ホームぼぼるパパの部屋>Idle Musing 2003年7月

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ぼぼるパパの研究日誌 Idle Musing

7/31/2003 時間の観念

プログラムは何とか文法エラーなどを駆逐して、コンパイルするところまで漕ぎ着けた。で、走らせてみると、山のようなNaN (Not a Number、難、Nakamura Nuked、要するに不具合が生じたということ)がスクリーンを埋め尽くす。まあ、予想されたこととはいえ、これからが本番、すなわちデバッグにとりかからねばならないというわけである。7月も終わりというのに、あまり目に見える結果は出せなかったなあ。

出直しのグリーン・カード書き換え申請は、とりあえずいままでのカードの裏に1年延長のステッカーを貼ってもらっておしまい。で、新しいカードはいつ届くのかと思って聞いてみると、1年半から2年かかるというじゃないか。ちょっと待ってくださいよ、来年の7月の末に延長期限が切れた時にまだ新しいカードが届いてなかったら、海外に出れなくなってしまうわけ?(来年の夏には日本に帰ろうと目論んでいる。)小生の不服そうな顔にも、「911以来ビザの申請には時間が余計にかかるようになっています。」の一点張り。さらに食い下がると、必要がある場合にはシカゴの移民局本局に行って交渉しろという。何か納得できないなあ。時間がかかるのはしょうがないとしても、書き換えに2年かかるなら延長期間も2年にしろってえのよ。わからん連中だ。

ついでにいうと、消費者社会といわれるアメリカでも、時間の観念はまちまちである。インターネットでオーダーするとFedExで翌日商品が配達されるというようなサービスもあるかと思えば、結婚式の記念写真を注文すると、できあがるまでに半年くらいかかるというのが相場だったりする。アメリカだと、記念写真が届く前に離婚しちゃうというケースだって結構あると思う。

かねてから懸案だった裏庭のやぶ払いをやった。防虫スプレーを使ったにもかかわらず、あちこち蚊にさされた。今年は西ナイル熱は大丈夫だろうな。

7/30/2003 ルーチン・ワークの日々

グリーン・カードの書き換えに必要な書類や写真をそろえて移民局の出店に到着したのは3時25分。4時の閉局までには時間があるはずだと思っていたら、書類の申請は3時で締めきりなので出直して来いとのこと。ぶう。渋滞の中を一生懸命運転してきたのに、時間を無駄にしてしまったじゃないか。そもそも電話による質問はいっさい受け付けないというお役所仕事だから、前もって確認することすらできなかったのだ。ウェブページに開局時間を書いておく心遣いがあるなら、ひとこと断り書きくらい添えておきたまえ。と、文句たらたらで、渋滞を避けるべく裏道を通って家に帰ろうとすると、ここでも途中で大々的に道路工事をしていてたちまち数珠つなぎに。なんか忍耐を試されているようだなあ。

リサーチを先に進める上でどうしても必要な数値模型の並列化に圧倒的に時間をとられている。コードの一般的な部分はプリプロセッサが自動的に並列化してくれるが、出来合いの数学サブルーチン(IMSLとか)の中まではいじってくれないので、並列用のサブルーチンを別に用意してきて組みこまなければならない。ところが、直列用にはいろいろなバリエーションのあるFFTのような基礎的なサブルーチンも、並列用となるとごく簡単なバージョンしかなく、特定の目的のために使用するには結構コードを書きたさなければならないのだ。これは本来大学院生にやらせるべき仕事だが、諸々の事情によって目下一人も学生をとっていないために、自分の手を汚しつつ、エラーメッセージの山に対応を追われるという日々。初心に帰れということですかね。

裏庭のやぶがぼうぼうに生えて見苦しくなってきたので、庭仕事の方もそろそろやらねばならない。

7/28/2003 グリーン・カードの書き換え

思うところあって久々にラップスイミングを始めたところ、むかしは背泳ぎで20ラップくらい泳いでも何ともなかったのに、いまや6ー7ラップで息が上がる。運動不足だなあ。大学で相撲をとっていたころによくやった、プールの水の中を端から端まで摺り足で歩くというのも試してみたが、全然足が出ず、前に圧力がかかってない。実際に土俵に上がったらすぐふっとばされてしまうだろう。42という年齢の重さを感じる。

さて、8月末にワークショップでイギリスのケンブリッジ大学を再訪する予定をたてていたら、グリーン・カードが8月13日で期限切れになることが判明した。グリーン・カードとはアメリカの永住者ビザのことであり、10年ごとに書き換えをすることになっている。シカゴ大学に就職して1年後に取得してからもう10年になるとは、これまた時の流れを感じるなあ。ビザの期限切れに気付かずに出国してしまうと、再入国の時に非常にやっかいなことになるので(体験済み)、今のうちに気がついてよかった。移民局のオフィスに写真と130ドルの手数料をもって出頭しなければならない。何ごとにもお金のかかることよ。

7/25/2003 プログラムの並列化

学科の古気候グループではLINUXで走るPCを96台並列につなぎ、大気海洋モデルをガリガリ走らせている。プロセッサ間の情報のやりとりにはMPIを使い、必ずしも96倍のスピードになるわけではないが、スーパーコンピュータなみの演算速度を達成している。しかし、もともとシングル・プロセッサ用に書かれた数値モデルを並列化するには、プログラムを相当書き直さなければならないので、この手の計算をするにはサポートしてくれるプログラマーの存在が不可欠である。

さいわい、小生のやっているような理論的な研究ではコンピュータそのものを使う必要はあっても巨大な並列マシンは不要なので、今までコードの並列化を考える必要はあまりなかった。しかし、乱流の研究をするようになってから、数値模型を利用する機会が徐々に増え、走らせる以上はできるだけ速く走らせたいと思うのは人情である。大昔のFORTRAN 77のコードをFORTRAN 90に書き換えて、行列演算のループを取り除いてベクトル化することで若干の処理速度の向上はあったものの、これ以上は並列化する以外に手がなさそうだというところまできていた。

PCを何台も持ちあわせているわけではないので、とりあえずマルチプロセッサのMacを使って試してみることにした。また、小生は無精なので、わざわざMPIを学ばなくても現存のコードを自動的に並列化してくれるプリプロセッサを買い、FORTRAN 90のコードをそのまま使用。(ほんとうはPYTHONで行きたいところなのだが、プリプロセッサがPYTHONに対応していないので…)で、きょうはじめて、ケルビンーヘルムホルツ不安定のコードをマルチプロセッサ・モードで走らせてみると、物の見事に演算時間が半分になるではないかいな!期待通りの結果と言ってしまえばそれまでだが、ほとんど労力ゼロでこの収穫は大きい。高いお金を取りながら大した効果のないユーティリティーが多いなか、これはお買得だった。ちなみに、このメーカーはFORTRAN 77のコードをベクトル化するプリプロセッサも出している。

さて、いよいよあすはウナギの買出しだ。

7/23/2003 浦島太郎シカゴへ

日本の母が無事にヨーロッパ旅行から帰ってきた。今回の目的地はクロアチアだとか。食事は大したことなかったものの、景色が大層美しかったそうだ。ところがヨーロッパは今年は異常気象で、普段夏は涼しいはずのクロアチアでも連日摂氏30何度の猛暑だったらしい。何だか最近、世界の誰と話しても天気の話題が出てくるが、さすがにそこは親類、自分の息子に天気のことなど聞いても何も知らないことはよくご承知なので、話題がそっちにふられる心配もなく安心して話ができる。

さて、印鑑証明にかわるものを用意する必要があって、今日ひさしぶりにシカゴのダウンタウンにある日本領事館に行ってきた。いつものことながら、ここの領事館の職員の皆さんは対応が懇切ていねいでとても気持ちがよい。それにしても、Eメールやこの日記の更新などを除けば、日本語を書く機会がほとんどないので、申請書に日本語で記入しようとすると、なんかぎこちない。今年が平成15年であることは今日初めて知った。日本の自分の本籍地を思い出すのに苦労した。アメリカの住所を日本語で書くとこれまた妙な具合だ。アメリカ合衆国イリノイ州○○村××通り△△番地てなぐあいで、あらためて自分が住んでいるところは「村」なのだなあ、と変なところに目が行ってしまう。(英語ではふつう市町村字の区別はしない。)挙げ句に、見本を見ながら記入していたので、自分の名前の欄にもう少しで外務太郎と書き写すところだった。(浦島という名字の方がより現実に近いと思うが。)

前に在外選挙人名簿登録をしたような気がするのだが、よく覚えていないので、ついでにこっちの申請もしておいた。成人として、母国での選挙権が保証されていることは当然としても、現実問題として国を離れて20年近くなり、自分の本籍地もよく覚えていないような日本人が、とくに地方選挙に投票するということにどれくらい意味があるのだろうか。はっきり言って自分の問題意識は外部者としてのそれであって、自分の出身地の人たちが今何を必要としているかはほとんど知る由もない。

帰り際、マグニフィセント・マイルに先月末オープンしたばかりのApple Storeに立ち寄る。ソニー・プラザやナイキ・シティーのすぐ隣である。「究極のApple Store」といわれるだけあって、店内はとても広く、100台近くのマッキントッシュがゆったりと並べられ、通りを行く歩行者が大勢訪れているにもかかわらず、混雑した感じは全然なかった。2階にはインターネットカフェや劇場まである。G5がまだ陳列されていなかったのがちょっと残念だが、17インチ・パワーブックの巨大な画面や、MIDIキーボードを直結してToast 5のデモを搭載しているマシンなどをつらつらと眺めた。印象的だったのは、何十台とあるiMacすべてに、スタイリッシュな小型のビデオカメラがスクリーン上部に取りつけられていて、前を通過するお客さんの姿をウェブ・ブラウザに写し出していたこと。低価格でビデオ・コンファレンスができる、というのが売りものらしい。日常生活のデジタル化がどんどん進んでいるのですね。

7/22/2003 食三昧妄想

数値計算のプログラムを書いているとき、「module」とタイプしようとして「d」のキーを叩きそこね、「moule」になってしまった。間違いに気づいてから、なんか見覚えのある単語だなあと思ってじっと眺めていると、おお、そうだ。これはフランス語の「ムール貝」ではないか。去年の6月家族でイギリスからフランス旅行に行った時、あちこちでムール貝を注文していたので、よくおぼえているのだ。そういえば、しばらくムール貝を食べてないなあ。急に食べたくてしょうがなくなってきたぞ。

ところで、7月といえば土用。土用といえばウナギだ。おお、ムール貝もいいが、さんしょの効いたアツアツのうな丼が食いたいなあ。日本と違って、街角でうなぎの蒲焼きを煙をたてて焼いているなどという光景にはお目にかかれないので、パックのうなぎで我慢するしかないが。

いかんなあ。腹が減っているとろくなことが考えられない。ポトフの残りを食べてこようっと。

はちこへ私信:こんどの土曜は土用うなぎを買いにミツワに行こう。

7/21/2003 大学改革

日本では国公立大学の法人化に伴い、大学の運営や評価基準をどうするかという議論が活発に行われているらしい。日本の事情をよく知らずに物言いするのもなんだが、思うところをいくつか。

まず、教員の立場からは、大学の運営には教授(会)の意見が最大限に反映されるべきであるということ。アメリカのいろいろな大学の様子を見た感想は、教員が自分の大学の「オーナーシップ(所有者意識)」を感じているところほど、学究活動に自由と活気があり、創造性が発揮される余地があるようだ。ある著名な大学院大学のとある学科では、人事に関する教授会の満場一致の議決がことごとく事務局の意向で却下されるという状況が続いており、教員の間に一種あきらめに近いムードがただよっていると聞いた。事務局が何を考えているのか知らないが、こうなると学科の成長にとっては大きなマイナスである。

うちの大学でもしばらく前に、学長が「シカゴ(大学)を楽しくする構想」なるものを教員への説明一切なしに土地の新聞に発表し、大変な物議をかもしたことがあった。カリキュラムの質の低下を懸念した大多数の教員と卒業生から(現役生からすら)猛反対が起こり、その後一年あまりこの件について侃々諤々の議論が沸騰した。こんなことの議論のために時間とエネルギーを研究から削られるのはたまったものではないと思ったものだ。この学長はまた、伝統ある留学生寮をシカゴ市の消防法基準を満たしていないという理由でとつぜん閉鎖すると発表し、これまた学生・卒業生との(不必要な)軋轢を産んだ。この件が原因かどうかはさだかではないが、まもなく学長が辞任して、やっとキャンパスに平安が訪れたという次第。教員や学生とのコミュニケーションをきちんと保っていれば、いずれも避けられた事態のはずだ。大学のリーダーシップは教員・学生・卒業生あっての大学であるということを肝に命じてほしい。

それから、大学の教育研究の評価という点では、いままでがうやむやになっていたのならば、大学が自主的にきちんとした評価基準を定めて公表することには大きな意義があると思う。しかし、何をもって評価の基準とするかは、誰が評価するかによって違う。たとえば、学部入学希望者にとっては、学費はもちろん、講義の選択の幅、内容、講師の技量、クラスの規模、卒業生の進路などが評価基準になるであろうし、卒業生を雇う側の企業にとっては、研究室で行われている研究の質および応用性、将来性といったことが焦点であろう。基準は分野によってもずいぶん異なるはずだ。こうしてみると、何をもって大学の評価とするかは一筋縄には行かない問題である。

再び教員の立場から言うと、大学が提供する教育研究は教員の日々の活動の結集であるということを考えると、大学の評価は煎じ詰めればそこで教え研究している教員の評価ということになる。それには、学外の同業の研究者による相互評価ということが不可欠である。同業者でなければ専門分野での研究のよしあしは判断できない。同業者ゆえのなれあいとか競争心理による不公平な評価の可能性がゼロとは言わないが、アメリカでそのシステムを見ている限りでは、10人ぐらいに意見を聞けば、大体おおまかな評価は見えてくるものだ。そして、これが大事な点だが、評価の基準はあくまでも「質」であるべきであって、数値基準であってはならない。年に何本論文を書いたかとか、何回引用されたかとか、研究費をいくら取ってきたかとか、学生を何人かかえているかとかは、直接の判断材料にすべきではないのだ。100回以上引用されているしょうもない論文などざらにあるのだし、学生が多ければそれだけ教授の目の届く範囲は狭くなる。中心となるべき基準は、「この研究者は分野と門下生にどれだけ前向きのインパクトを与えたか」という点であり、一本の論文でもインパクトは与えられるのである。この質問に対する答えは同業者だけが語ることができる。

残念ながらアメリカでも数値基準にこだわる大学はまだ多数あるが、アイビーリーグやうちでは質優先の評価になって久しい。すくなくともうちの学科では、人事に関する決定では上のような数値基準はいっさい考慮されず、もっぱら外部からの推薦状の内容によっている。ハーバードなどでも、どんなに多数論文を書いていても、選考書類に含められるのは代表作5本まで、と聞く。これはもちろん教員個人の評価で、それが公表されることはまずありえないが、同じような外部評価が数年に一回、全米の主要大学の各学科単位に行われる。それをとりしきっているのが米国科学院で、その結果として公表される分野別ランキングは当然のことながら権威がある。(これと対照的なのが、上記のような皮相的な数値基準によって杓子定規のランキングをする某USNews誌。うちはそのような雑誌には資料を提供していない。)

日本の大学評価が質にのっとったものになるよう切に祈る。

7/18/2003 Frances R. Havergal (1836-1879) British hymnist

Take my life, and let it be consecrated, Lord, to Thee.
Take my moments and my days; let them flow in ceaseless praise.
Take my hands, and let them move at the impulse of Thy love.
Take my feet, and let them be swift and beautiful for Thee.

Take my voice, and let me sing always, only, for my King.
Take my lips, and let them be filled with messages from Thee.
Take my silver and my gold; not a mite would I withhold.
Take my intellect, and use every power as Thou shalt choose.

Take my will, and make it Thine; it shall be no longer mine.
Take my heart, it is Thine own; it shall be Thy royal throne.
Take my love, my Lord, I pour at Thy feet its treasure store.
Take myself, and I will be ever, only, all for Thee.

7/16/2003 火星人の錯乱戦術

数年前から火星を周回しているNASAの探査機グローバル・サーベイヤーからは、いろいろと面白い画像が送られてくる。たとえば、これ。火星の北極の砂丘の画像なんだそうだ。この奇妙な模様を見て、腑に落ちない事がふたつある。まず、ほんとうにこれ、火星の写真なんじゃろか。NASAには失礼だが、この程度のモノクロ画像なら、イラストレーションのソフトを使って簡単に合成できるぞ。長男のジグソーパズルがまさにこんな感じだ。まあ、ミニマリストの絵画を観てこれぐらい俺にも描けるわい、と言うのと同じ次元のコメントではあるが。それよりどうしても納得がいかないのは、写真の黒っぽいところが実は盛り上がった砂丘で、周辺の白い部分(ドライアイスの雪原)が低地である、ということだ。どう目をこらしても、白い部分が手前に出っ張っていて、黒っぽい部分は低くへこんで見えるけれど、実はその逆だというのである。(太陽の光は左下から差している、と説明書きにある。)それとも小生の目がおかしいのであろうか。

同じようなことはこの写真にも言える。このお椀を伏せたような地形は、ちょっと見ると右上から光があたった丸い丘のように見えるが、実は左下から光があたったクレーターで、要するに窪地になっているのだそうだ。何かきつねにつままれたような気分だ。火星人におちょくられているとしか思えない。

7/15/2003 真夜中の宴

冷蔵庫に残っていたビシソワーズがよく冷えていてうまかった。また、キッチンに残っていた寿司ご飯と切り干し大根で手巻きを作って食べたら、これもなかなかイケるではないか。夜中の2時半に思わず食道楽をしてしまった。こんな時間に物を食べると体にとってろくなことはないとは思うのだが、午後の6時に晩ご飯を食べてから朝の7時に寝るまで、何も食べないで仕事をするというのもしんどいので、やむを得ない。不規則な生活も、毎日繰りかえしていると規則的になってくるから不思議だ。(あたりまえか)

論文はなんとか2章を書き終えた。これから結果の中心部分となる3章に向かう。

同僚のRay Pierrehumbertが来年はサバティカルでパリに行ってしまうので、通常彼が教えている気候学の講義を冬学期に代講することになっており、その資料の下調べをしている。かなり込み入ったプログラミングを必要とする部分が多く、しかもすべてのプログラムは小生がまだ完全に習得しきっていないPythonで書かれているため、解釈するのに時間がかかる。うちの大気海洋部門では、力学のコードはもはやすべてPythonで書くのが標準になっており、互換性を高めるために小生もFortran 90で書かれたいくつかのプログラムを書き換えねばならぬのだが、この歳になってあたらしい言語を学ぶというのがおっくうで、あまり真面目にやっていなかった。しかしいよいよ本腰を入れねばならぬ時がきたようだ。

7/14/2003 流体実験室の青写真

大リーグのオールスター戦が行われているセルラーフィールド(ホワイトソックスのホームグラウンド)はオフィスから数マイルしか離れていない。出勤途中の電車では、「オールスター戦に行かれる方は、23丁目の駅で降りてください」というアナウンスが流れ、特別ダイヤも組まれているようである。イチローさん、松井さん、長谷川さん、がんばってください。

さて、先学期に大学の4つの部局に提出した流体力学実験室設立のためのプロポーザルはめでたく4つとも受理されたので、来年春から夏への完成をめどに、青写真を練り始める時期となった。学科からはもともとFultz教授の実験室があった地下の広大なスペースを頂戴することになっているのだが、あまりにも広すぎて、おそらく実験器具を入れても隅っこの方にコチョコチョとまとまってしまうのではないかと思う。何しろ地下一階と二階が吹き抜けになっていて、地下一階の「天井桟敷」から階下にある実験を観察できるような構造になっている。これに見合うような実験装置は、たとえば回転水槽だったら少なくとも直径3メートルくらいは欲しいところだが、実際には60センチくらいが限度であろう。それ以上大きいと、万一不具合が生じた時に修理したりするのがえらい面倒なことになりそうなので…。小生はもともと理論屋であることを忘れてはならない。

夏から秋にかけては、他の大学の流体実験室の見学ツアーをいくつか企画することになりそうだ。MIT、ケンブリッジ、ワシントン大学、テキサス大学あたりを訪れてみたいと思っている。

7/11/2003 Summer Slumber (夏眠暁を…)

ここんところ生活が昼夜逆転している。きのう(というか今朝)寝たのは午前6時で起きたのは午後の3時だった。夜の方が仕事がはかどるからとはいえ、これでは同じ屋根の家に暮らしていながら、家族と過ごす時間は半分である。(断っておくと、夏の間は大学から給料はびた一文出ないので、必ずしもキャンパスへ行って仕事をする必要はないのである。そのかわり、連邦政府に支給してもらっている科研費で、研究をして結果を出す必要がある。)非対称混合についての論文は、第2章の執筆途中で妙な欲を出して紙に計算をガリガリしたが、どうも結果はあまり美しくないようだ。余計な紙面を割かずに、オリジナルのアイデアでさっさと書き上げてしまうのがよさそうだ。

起きてただちに4時からの知人の結婚式へ。さらに7時からは少し離れた場所で結婚披露宴。一緒のテーブルに座ったのはお互いよく知っている人どうしだったので、話題がお天気の方に振られるのを阻むのに相当苦労をした。

7/10/2003 再保険と数値予報

久しぶりに電車に乗って出勤すると、月曜夜の嵐の影響らしく、駅からオフィスまでの道すがら、街路樹が軒並み根こそぎひっくり返っていたり、まん中からまっぷたつに裂けていたりと、かなりの惨状を呈している。折しも、オフィスの留守電に土地の教育テレビである「チャンネル20」からメッセージが入っていて、連夜の嵐の到来について科学的なコメントをいただきたいので、カメラクルーを連れてインタビューに伺ってもいいかと言う。きちんとしたことを言うにはリサーチが必要な上、ここ一両日たてこんでいるため、お天気のことは専門でないので、と丁重にお断りすることにしよう。

修士号の免状取得の要件であるセミナーをするために、S君がニューヨークから仕事の合間をぬって帰ってきた。都合がつくのが今週だけだったそうなのだが、あいにく7月上旬は例年休暇などで教授陣がほとんどシカゴにいない。きょうのセミナーにも、S君の指導委員会のメンバーで出席したのはアドバイザーである小生だけだった。(もっとも、これは事前に分かっていたので、不在者にはあらかじめS君の論文に目を通してもらい、修士に相応しい仕事かどうかのコメントだけはもらってあった。)一方、学生は大勢聞きにきてくれたので、教室はかなりいっぱいになった。わざわざニューヨークから2、3人の聴衆のために帰ってくるのは空しいだろうから、小生は内心ほっとした。学生はみんなS君が博士課程に進級できなかったことを知っているので、修士号セミナーに大挙して来ることで彼へのサポートを表明していることも、よくわかった。北極振動のセミナーは、なかなかどうして、立派なものでした。というわけでS君、無事、修士号を取得。

セミナーのあと、御苦労さんの意味もこめ、S君を食事に連れ出す。といってもほとんど学食のようなどうってことはないレストランだけど。ここで彼の現在の仕事についていろいろ話を聞いたが、面白かった。何でも、欧州系の某再保険会社なのだそうだ。台風や洪水や地震(最近ではテロも)などにともない、保険会社が顧客の保険金を払いきれずに窮地に陥ることがままあるため、保険会社のための保険というのが大きなビジネスになっているらしい。S君は台風の数値模型を使って、リスクマネジメントに必要な情報を提供するチームの一員として働いているそうだ。もちろん会社であるからビジネスを成り立たせることが主眼なのであるが、気象関係の科学者をお抱えで多数雇っており、科学の提供する知識を積極的に利用しているという点で、単なる情報提供会社以上のことをやっている。

サイエンスとビジネスをクロスオーバーするという職業モデルは、伝統的な地球物理学博士課程では、石油産業とのかかわりがあるくらいで、あまり積極的に奨励されてこなかった。その結果、天気のことは専門でないからと言って何も言わないような気象力学屋などがのさばるようになった。しかし、アカデミアの職数が限られている以上、これからはこのようなキャリアトラックをどんどん奨励していくことが、サイエンスが社会へ貢献して行く上で重要だと思う。博士課程だけがサイエンスではないぞ、S君。がんばってくれ。

7/9/2003 火星の砂嵐

二日前に七夕がないので星を見上げる理由もないと書いたが、ちょいと訂正。今年は火星大接近の年にあたっていて、NASAも欧州の宇宙局もこぞって火星探査船を打ち上げている。すでに飛んでいる日本の「のぞみ」などとあわせて、いくつもの探査機から多くのデータが回収されることが期待されている。さて、その火星で、しばらく前から大規模な砂嵐が発生している模様だ。すでに火星の直径の4分の1くらいの規模に広がっており、わずか15センチくらいの小型天体望遠鏡でも、南半球でほこりが白っぽい雲のように広がっているのが確認されるそうだ。

現在水のない火星の表面は、ほこりのような細かい粒子の層でおおわれており、これが強い風とともに空中に舞い上がる。ふつうだと重力の影響で粒子は数日で地面に落ちるのであるが、風が強いとより長時間空中に滞在することになる。そうすると、この粒子には強い温室効果があるので、熱を吸収して大気をあたため、より強い風を生み出し、ますますほこりを宙に舞いあげるという正のフィードバックがかかり、しまいには惑星全体をほこりがおおってしまう。もっとも、このような全球規模の砂嵐は何年かに一度くらいしかおこらない(前回は2001年だった)。

現在発達中の砂嵐が全球規模に広がるかどうかはまだわからない。この砂嵐のメカニズムについての数量的なモデルはまだ完成していない。ほこりの光学的特性や滞空時間、地面からのほこりのフラックスと風速の関係など、わからないことが多いからだ。しかし、似たような砂嵐は(規模は小さいながら)サハラ砂漠などで恒常的に起こっているので、地球環境への応用も十分可能だ。考えてみる価値はあるかもしれない。

7/8/2003 地球物理学における輸送問題

10月の第一週から始まる秋学期に、大学院の新しい講義で「地球物理学における輸送問題」というのを担当することになっていて、その構想を練っている。これは大学院1、2年生を対象に、学科の教授がどのような研究をしているのかを紹介するセミナー形式の授業で、毎週違う教授が入れかわり立ちかわり自分の研究について解説するというもの。それだけなら小生は発表者のリストを作ればすむことなのだが、去年と同じ内容では2年続けてやる意味がないので、今回は統合テーマを設けることにし、「輸送」というテーマで行くことにしたのだ。

これは我ながらよいアイデアで、相当幅広い研究を包むことができる。大気放射は光子の輸送ととらえることができるし、大気海洋ではその他にエネルギーや運動量輸送の問題には事欠かない。うちには海洋中の生地化学循環の専門家もいるし、海氷の広域分布を研究している人もいる。二重拡散問題を扱っているグループもある。地球内部の層構造を鉛直熱輸送モデルに基づいて計算している人もいれば、地学分野では堆積作用の権威もいる。古生物分野では、種の移住に伴う遺伝子流動も輸送問題の一種だ。惑星生成過程を研究している人には惑星間浮遊塵の輸送問題についても話してもらえる。

考えるはじめるといろいろな可能性があって楽しみだ。うちのような学際的な学科では、違う分野の寄せ集めというイメージをぬぐうためにも、一貫性のある教育をしなければ、とかねてから思っていたので、これは願ってもないチャンスである。小生の役割は、講義理解に最低限必要なコンセプトや理論(連続方程式とかボックスモデルとか、移流拡散とか)を始めに解説することと、学生がレポートの研究テーマを選ぶ手伝いをすることと、実際の講義で学生の質問に答えることなどであろう。また忙しい一学期間になりそうだぜ。

7/7/2003 花火・雷・ホタル

アメリカには七夕などという風流なお祭りはないので、とりたてて星を見上げる理由もないけれど、この時期夜空を彩るものは他にもある。まず、独立記念日の花火。これは、どんな地方都市でも必ず開催される、恒例行事。しかし、見に行こうとすると大抵ものすごい人込みをかき分けて行かなければならないので、うちでは、ドドーン、ドドーンという音が聞こえたら二階の窓から外を眺め、遠くの空にパラパラと花火が散るのを見て満足している。もっとも、日本の隅田川花火なんかに比べるとはるかに規模も小さくて、どうってことはないのだが。

花火に比べてずっと迫力があるのが、中西部特有の雷嵐。熱雷がやってくるのは大半の場合夜間なので、演出効果は満点である。車を運転して雷雲に近付いていくと、空の半分くらいがピカピカと黄色や緑色に点滅して壮大だ。もちろん、雷雲の下に入ってしまうともっとすごい。ハヤタ隊員がベータカプセルを焚いた時のように、空全体が瞬時真っ白になり、音も「コロコロコロン」とエコーがかかっているような感じで始まり、最後に振動とともに「ドドーン」と来る。近くに落雷しようものなら一瞬の閃光とともに「ベキ」というただ事でない音がして、しゃっくりが止まってしまったりする。きのうも車を運転していた時、すぐ近くに落雷があり、その瞬間、ハンドルを握っていた腕を逆なでするような感触が走り、なかなか痛快であった。しかし、このような状況下では雷だけではなく、バケツをひっくり返したような雨やひょう、ダウンバーストによる突風などを伴うことが多いので、雷見物は気をつけた方がよい。昨日も家に帰る途中のあちこちで突風で折れた大きな木の枝が道を塞いでいた。

雷に比べてずっとおとなしいにもかかわらず、なお見ごたえがあるのがホタル。ちょうど今頃の夕方から宵にかけて、裏の芝生からむらむらとわきたつようにしてゲンジボタル(より大きいからヤンキーボタル?)の群れが一斉に点滅を始める。時には、暗い夜道を運転しているときに、ホタルの大軍がフロントガラスめがけて飛んできたりしてそれはそれは幻想的なのである。こうなると、夏も佳境に入ってきた証拠だ。

7/3/2003 裏庭の夏

6月の第一週あたりから百の単位で花をつけていたつるバラもボタンも一段落し、庭から華やかさは消えたが、木々や野菜はかわりに夏の日光をいっぱいに浴びて元気よく葉っぱを茂らせている。一時アブラムシに葉っぱを編み目状に食いちらかされたズッキーニもなんとか新芽が生えてきたし、今年はその他にチェリー・トマトなども栽培しているので、収穫が楽しみだ。収穫といえば、裏の家との境にあるラズベリーとブラックベリーの薮が早々に実をつけ始め、今日は家内がボウルを持ってひとにぎりほど摘み取ってきたが、甘くてとても美味しかった。もともと裏の家が家庭菜園で作っていたのがうちのほうに地下茎で進出してきたもので、始めは有り難迷惑だったのであるが、そのうち当の裏向かいの家が菜園を潰してしまったので、結局うちの側だけにラズベリーの薮が残ることになった。普段はほとんどぼうぼうの雑草という風情で見栄えはいささか悪いのだけれど、この時期になると甘い実をいっぱいつけて収穫の楽しさを教えてくれるので、ついつい苅り払えずにいる。とはいえ、繁殖力が強いので、このまま放っておくと、そのうちチューリップや水仙など、畑の他の植物を駆逐してしまうかも知れんなあ。

気温も湿度もかなり上がり、午後に娘ふたりをアイススケートのレッスンにつれて行くころには大粒の夕立ち。傘を持ち合わせていなかったので、駐車場を横切っているうちにずぶぬれになった。しかし、心なしか雨粒の温度も暖かい感じがした。教科書には、中緯度での夕立ちはほぼ100パーセント、過飽和の氷晶が未飽和の過冷却水滴から水分を奪って成長する「寒冷降水過程」であると書かれているが、今日のは雨粒が衝突併合して成長する「温暖降水過程」の結果ではなかろうかと推察された。夏も本番、あすは合衆国独立記念日である。

7/2/2003 成層圏-対流圏交換測定の新手法

同僚のBob Clayton から連絡が入り、成層圏ー対流圏交換について頭を貸してほしいとたのまれた。Bob Clayton といえば地球化学の大御所で、放射性同位元素を用いた年代測定法を隕石に適用して太陽系の年令を推定するという画期的な研究を60年代になしとげた研究者である。2年前に引退して名誉教授になったはずなのだが、教授会には毎回出てきて発言はするわ、新しい学生はとるわで、引退前と何ら変わっていない。まあ、現役で土俵に上がるのをやめて親方になるお相撲さんと違い、大学院大学の教授は現役時代から親方みたいなもんだから、それでもいいんだろうが。ま、それはともかく。何でも、原因は分からないのだが、成層圏でしか起こらない酸素原子の新しい同位体反応を発見したのだそうだ。で、それが成層圏ー対流圏交換率の見積もりに役立ちそうだという直観はあるものの、大気輸送理論は専門外なので、要点を手際よく学べるレビュー論文や教科書を教えてほしいというのであった。ちょうど5月にJGR にAndreas Stohl のレビュー論文が出たばかりなのでそれを推薦する。それにしても、老いて(失礼!)なお学ぶ姿勢の衰えていないところに、とてもへりくだらされる思いがした。

きょうは昼から家族全員でインディアナのウォーターパークへ水遊びに出かける。波の出るプールの波打ち際で三女や長男が溺れないように眼を光らせながら、波が砕けて空気を巻き込む時に空気と水の間でやりとりされる運動量の大きさの見積もりなどをする。4時間以上も直射日光の下に突っ立っていたので、体中陽に焼けてひりひりする。

7/1/2003 成層圏の対流圏に及ぼす影響など

イェイ。橋が落ちて運休中だった通勤電車が9日ぶりに復旧。しかしそのニュースが入ってきたのは昼ごろだったので、きょうはまだ家で仕事。とはいえ、あまりオフィスを長期間るすにする(おっ、回文になっている)のもなんなので、夜中に車を運転して様子を見に行く。ところが、この時間ならいい加減空いているはずの高速道路が大渋滞。アメリカの高速道路の修復工事はいつも夏、それも夜の時間帯に車線をいくつか閉じて行うので、夜中にけっこう渋滞にまきこまれることが多いのであ〜る。さいわい車の中にTwila ParisのHouse of Worship(このCDはおすすめです)が置いてあったので、それを聞きながらのんびり運転する。そんなわけでいつもより時間を余計にかけて久しぶりにオフィスに出かけたものの、郵便受けにはジャンクメールが1通だけ、留守電のメッセージも空っぽといささか拍子抜け。

さて、北極振動の話題が出たところで、関連する疑問をひとつ。冬には北極振動の順圧成分が成層圏にまで達しているので、成層圏と対流圏が力学的に結合していると考えられている。そればかりではなく、成層圏が対流圏に影響を及ぼしているのではないかというのが最近ホットな話題になっている。通説では対流圏が(ほぼ一方的に)成層圏に影響を及ぼしているとされているから、その逆も真なりととなえるこの仮説は耳目を集めるところとなっているのである。この仮説を支持する人々の論拠は、対流圏でブロッキングなどの短期的な気候変動が起こる前に、成層圏になんらかの力学変動が見られ、しかもそのシグナルが上から下へと移動しているというものである。しかし、変動のシグナルが上から下へと移動しているからと言って、力学的影響が上から下に働いていると結論するのは早計であろう。熱帯成層圏にみられる風速の準2年振動(QBO)は変動が上から下へと伝わっているが、そのもととなっているものは下から上へ伝播している波である。したがって、原因と結果の方向が違うということがありえるのである。とくに成層圏の北極振動は極渦の消長に関連しており、これは下から伝わってきたロスビ−波が砕波した結果、それ以上の上向き伝播ができなくなって西向きの運動量を吐き出すことによって、上方から順次極渦の西風が弱まっていくという、いわばロスビー波によるQBOが起こっていると考えた方が、反射や屈折などより自然だと思うのだが。というわけで、小生は上述の仮説には懐疑的である。

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(c) 中村昇  2003