CPU2個入りのMac に、プログラムを自動的にベクトル化・並列化させるプリ・プロセッサーをインストールして実験してみたところ、256 x 256の2重フーリエ変換のプログラムでsegmentation faultが出た。メモリーは512メガバイト搭載しているので、この程度の計算でエラーが出るはずはないのだがといぶかりながらも、他に解決法を思いつかないため、512メガのメモリーをさらに2個追加して、1.5ギガという大記憶量にした。ところが、メモリーを増設してもなおsegmentation faultが出るではないか。メモリーが問題ではないことはわかったが、原因は依然不明である。インターネットでしかるべきサイトをいくつか検索してみた結果、どうやら512K というMac OS X のデフォルトのスタック・サイズに問題があるらしいことがわかった。.tcshrc ファイルをいじってスタック・サイズの上限を取り除いてやると、無事に走るようになった。なあんだ。それにしても、512メガのメモリー一個がわずか90ドルとは、驚きである。かれこれ12年程前には、1メガあたり100ドルはした。これなら、頭を使って効率のいいプログラムを書くより、プログラミングには頭を使わず、大雑把なコードでもメモリーを大量に注ぎ込んでガンガン計算したほうが、生産性が上がるかもしれない。
講義の方はようやく力学分野に入ってきて、今日はコリオリの力の説明。教科書定番の、回転している円盤の上での物体の運動。絶対座標の中で線運動をしている物体でも、回転台の上に立つ人には、物体は曲線を描いて動くように見える。これは定性的には明らかだが、(ベクトル解析を使わずに)定量的に議論しようとするとむずかしい。とくに、コリオリ・パラメータの中に入る係数の2がどこから出てくるのかがはっきりしない。きちんと説明するには、コリオリの力と遠心力を両方考慮にいれなければいれないのだが、それをやると現在のレベルの学生にはおそらく混乱に輪をかけるだけだろう。うそにならない程度まで話を簡略化して分からせるほうが、厳密性を追求するあまりややこしい説明になってしまうより、ずっと害が少ない。
きのうで42歳になった。この歳になると誕生日なんてものはありがたくもなんともない。ここんところ、日記の更新もままならぬほど多忙で、戦没者記念日で休日のきょう、ようやく物を書くゆとりがちょっとだけできた。男の42歳は厄年なんて言うが、このようなフル操業が続いては体に無理がかかるのも無理はなく、あながち事実無根ではなさそうだ。気をつけなければ。
きのう、バグダッドの取材からカイロに戻ったNHKのD記者が電話をくれた。D記者は中学から大学までの同級生で、小生の誕生日にはいつも律儀に電話やemailをくれるので恐縮している。去年カイロへ赴任する途中でロンドンに立ち寄ったとき、ケンブリッジにいた小生をたずねてきてくれた。なんでも、きのうまで小泉首相がカイロを訪れていて、首脳会談の取材やピラミッド観光のお伴をしていたのだそうだ。小泉首相に、「毎日テレビで見ているよ。黒いジャンパーがいいね」と言われたそうだ。ところで、同行していた首相の秘書官三人のうち二人が高校の先輩で、うち一人は同じ担任の先生に受け持たれていたこともあったらしく、ひょんなことから昔話に花が咲いたと言っていた。また外務省から同行してきた一行の中にも大学時代の同級生がいて、久しぶりの再会を祝ったとのこと。なんか、首相の外遊をサカナにしてエジプトで同窓会をやっているみたいだが、日頃から同窓会に顔を出す暇もない程多忙のD記者にとっては、こういう交友の機会も貴重なのである。
先週の金曜日は、学科で37年勤めた地学者のFred Zieglerの引退(アメリカの大学には定年制というものがないので、高齢の教員には自主的に引退してもらうしかない)を祝って、かつての教え子や関連各位を招いてのシンポジウムと晩さん会が開かれた。大盛況であった。こういう機会にいつも思わされることは、教員の業績は、どれだけ論文を書いたかではなく、どれだけ学生に前向きなインパクトを与えたかであり、それはどれだけ学生のためにエネルギーと時間を「投資」したかで測られるということだ。単純なことのようでなかなか実行できない。かつての教え子が何十人という単位で戻ってきて口々にZiegler研究室での思い出に言及しているのが、まさにFred の輝かしい業績を物語っていた。
Holy, holy, holy! Lord God Almighty! Early in the morning our song shall rise to Thee; Holy, holy, holy! Merciful and mighty! God in three Persons, blessed Trinity!
Holy, holy, holy! All the saints adore Thee, Casting down their golden crowns around the glassy sea; Cherubim and seraphim falling down before Thee, Who wert and art and evermore shalt be.
Holy, holy, holy! Tho' the darkness hide Thee, Tho' the eye of sinful man Thy glory may not see; Only Thou art holy; there is none beside Thee, Perfect in pow'r, in love, in purity.
Holy, holy, holy! Lord God Almighty! All Thy works shall praise Thy name in earth and sky and sea; Holy, holy, holy! Merciful and Mighty! God in three persons, blessed Trinity!
最近のワーシップソングには、自分の神に対する思いとか、感謝とかを歌う曲は多い。それはそれで大切だと思うけれど、神の性質、つまり神様とはこういうお方である、ということを深く語りかける曲はあまり多くないように見受けられる。小生が古い賛美歌に惹かれるのは、まさにその現代のワーシップソングに欠けている要素がふんだんに盛り込まれているからである。歌詞の重さが全然違う。Perfect in pow'r, in love, in purity. 主の完全なる力、愛、聖さ。我が主に永遠の栄光あれ。アーメン。
先日同僚といっしょに口頭発表に行ってきたWomen's Board から、実験室設置のための助成金を付与しますという通知が来た。人件費が予算に入っていないので金額はそう多くないが、逆に全額ハードウェアに使うことができるのは大変ありがたい。このグラントに関しては、競争率が高いと聞いていたのに、あまり時間やエネルギーを費やすことなく、ささっと書いたものがすんなり通ってしまった。結果的に、自分で扉をこじ開けることなく、すでに開かれた扉を素通りしたような感じだ。成功する時はこんなものかもしれない。問題は、たいていの場合、どこの扉が開いているのか容易には判断がつかないことである。
小生の指導している大学院生が、博士課程進級試験で合格基準を満たす成績を上げることができず、今日、不合格を本人に口頭で通達した。救済の余地がない成績で、試験問題を出題した4人の教官の一致した見解であった。これによって、この学生には本学を去ってもらわなければならない。ところが、本人は当然合格すると思っていたらしく、通知に呆然となり、言葉を失っていた。あのような成績で合格すると思っていたということ自体が、現実の把握能力の欠如を物語っている。小生は過去にこのようなことをすでに1回経験しているので、大体心の準備はできていたものの、やはり学生に面と向かって「君は不合格でした。他所へ行って下さい」というのはいい気分ではない。どんなに言い回しを考えてみたところで、伝達内容の重大さを軽減することはできないので、よけいなことはいっさい言わず、事実だけを淡々と述べる。まずは成績のどこがまずかったのか説明をし、本人に納得してもらわなければならない。当然その場の空気は重く、せめて励ましの言葉でもかけてやりたいと思うのだが、今は何を言っても効果は薄いだろうから、じっと我慢する。大勢のクラスの中の一人を落とすのとはわけが違い、自分の指導していた唯一の学生が不合格ということになると、究極的には学生本人の問題とはいえ、指導方法にも問題はなかっただろうかと、自問せざるをえない。研究指導を通して学生の進路にポジティブな影響を与えるのが教官の任務だとすると、これは小生にとっても手痛い黒星である。
しかし、何より気が重いのは、人の本当の価値は成績や能力で決まるのではないとよくよく承知していながら、少なくとも表面上はそれと全く逆のメッセージを発信しなければならないことである。こういう時、自分の無力さを思い知らされる。今は「神様、この学生の魂をお守りください」と祈ることしかできない。
今日の教授会では、学籍簿を管理する大学の教務科の対応の悪さに教官の不満が爆発して、みんなが言いたい放題のことを言っていた。火種は、期末試験の採点結果は時間通りに提出するように、という教務科からの通達だった。完全にバックファイアーしたかたち。学期も半分以上すぎたのに、受講している学生の大半が登録されていなかったり、去年同じクラスを受講した学生の名前が今年の名簿に残っていたり、またそれを指摘しても対応に無限大の時間がかかるなど、大勢の教官が各自のホラーストーリーを披露していた。また、グラントの帳簿を管理するグラント・オフィスのミスで口座に入っていた数万ドルの資金がこつ然と姿をくらまし、気がつくのが遅れて大いに難儀したというような話も、複数耳にした。さいわい、神のあわれみによって小生はそのようないざこざには今のところ巻き込まれていない。(あるいは、巻き込まれていても気がついていないだけかもしれないが。)それにしても、あそこまで情熱的になれるのは、みんな相当頭に来ているのだろうなあ。学科長が最後に、「皆さんの気持ちはよくわかりますが、それでも採点結果は時間通りに提出するように」と念を押していた。復讐は我が手の内にあらず。
講義は水の相変化を含む大気の熱力学。水蒸気の飽和状態の話をするのに、さっそく次女のサイエンスフェアでやった着色カーネーションの実験をやってみせる。子供の教育ネタを(むりやり)仕事でリサイクルすることで、実験に費やした何時間という労力も決して無駄ではなかったのだ、という自己満足にひたることはできる。
しばらく前に教育用流体実験室を設置するためのプロポーザルを執筆中と書いた。最初に提出したプロポーザルが一次審査を通過したので、口頭発表に来て下さいと最近大学側から連絡があり、きょう、同僚のDoug MacAyeal とふたりで敵陣(?)に乗り込んで来た。大学側といっても、いろいろな組織がいろいろな財源を持っていて、今回のはWomen's Board という、委員全員が女性の組織。この2月までそんな組織があることは知らなかったのだが、毎年、「キャンパスとコミュニティーライフを豊かにするプロジェクト」いくつかにお金を出しているそうだ。教育施設や研究の支援にとどまらず、教員の幅広い活動をサポートしているという。こちらにしてみれば、お金を出してもらえるところなら相手を選ばず、という哲学なので、とにかく出かけてくる。女性ばかり約20人の審査員、しかも質疑も含めてわずか20分の持ち時間というのは、初めての経験であった。どうせ初めてなのだからと、回転水槽実験の機材を持ち込み、委員の目の前でジェット気流を作るという曲芸を試みたところ、大層好評で、活発な質疑応答がもたれた。これで補助金がもらえれば言うことはないが。
大学院生の成績のことで頭痛の種がひとつ増えた。が、これに関してはまた、のちほど。
ミズーリやカンザスのほうで大竜巻が発生し、大ぜい人が亡くなったらしい。大体いまごろは成層圏の極渦が分解する時期にあたっており、中低緯度の上空にも寒気が入りやすく、大気の状態が不安定になりやすい。地表面での気温は大分上がってきて、シカゴでもチューリップやモクレンの花がようやく盛りになり、木々の新芽も生えはじめる季節となっているが、かなり頻繁に嵐が来るので、花もあまり観賞できないうちに散ってしまう。木々が芽吹いたり花が咲いたりしているところに風がふくと、空気がなんとなく花粉などでほこりっぽい感じになる。実際、次女はアレルギー症状が出てここのところ結構咳き込んでいる。喘息もちなので要注意だ。小生は日本にいたら杉花粉症で身動きとれなくなるところだが、さいわい今のところ、春には大したアレルギー症状が出ないので(小生のアレルギーの季節は8月末から9月にかけて)救われている。と思っていたら、きょうはさみで鼻毛を切っている時に、切り落とした毛先を誤って何本か鼻の奥に吸い込んでしまい、どこか妙なところにひっかかっているらしくて、くしゃみが止まらなくなったぞ。
あいかわらず採点と試験問題の作成に追われる日々。
「等温大気(240 K) の気圧の鉛直分布と、実際に観測される温度分布に基づいた気圧の鉛直分布を比べ、地上80キロ以内での相対誤差の範囲を特定せよ。」という主旨の問題を宿題に出したら、一人、「誤差の最大値は34500パーセント」などと平気で書いている学生がいる。一体どうしたのかと思って答案を調べてみると、等温大気の方はちゃんと計算できているのに、実測温度分布にもとづく計算をする時に、指数の中に入れる高度をメートルじゃなくてキロメートルで与えているために、高度80キロでも気圧がほとんど1気圧のままになっている。このような単純な間違いをすること自体は別にかまわないのだが、誤差34500パーセントという答えを出しておかしいと思わず、そのまま答案を提出するというのはどういうつもりなんだ、とつぶやいていたら、「あの先生だったらそういう答えの問題も出しかねないと思われてるんじゃないの。」と家内。ううむ、言われてみると思い当たるふしもなくはないな。ということは、責任の一端は小生にあるということか。反省し以後気をつけなければならない。
昼のfaculty lunch はRay Pierrehumbert によるSnowball Earth (全球凍結状態)からの脱出のシナリオに関する数値実験の話。かりに大昔、地球全体が氷に覆われていた時期があったとして、ではその状態から脱出するには何が必要か、という問題である。地表がいったん氷で覆われてしまうと、風の応力による運動量のやりとりも水の蒸発もなくなってしまうので、海洋の循環はほとんど気候に影響をおよぼさなくなる。そこで、大気GCMに氷床の境界条件でモデルを走らせればよい。シナリオとしては、地表が氷でおおわれると、大気中の二酸化炭素が海にとけたり地面に捕捉されることがなくなるので、永年の火山活動などの結果、いずれ大気中の二酸化炭素濃度が上昇し、温室効果で氷がとける、というもの。ところが、Ray の計算では二酸化炭素濃度を25パーセントまで上げても氷が解ける気配がない。起源のわからない大量のメタンを人為的に投入しても、事態に変化無し。海洋にふたがかぶさっているのと低温のため、水蒸気によるフィードバックがかからないのが敗因(?)のようである。それと、冬半球では地面の温度が大気にくらべてずっと冷たいため、対流がまったくおこらず、地面での熱交換の効率もがた落ちになるそうだ。したがって、もしかりに全球凍結状態になったとすると、そこから脱出するのは極めて困難であり、したがって、過去にそういう状態があったとは考えにくい、という結論。しかし、これって、GCMを持ち出すまでもなく、エネルギー・バランス・モデルでも十分予想がつく結論でないかい?