さーて、春学期が始まった。今学期は学部で「The Atmosphere(大気)」という、ネーミングもそのものずばりの基礎講座を担当することになっていて、今日はその初日だった。教務科によると1年生から3年生まで、15人が登録しているとのこと。しかし実際に教室に行ってみると20人近い学生が座っていた。学部の基礎講座と大学院の講義とでは緊張感が全然違う。学生の数が多いだけでなく、学年や分野もまちまちなので、話のレベルをどこに設定するか、必要となる予備知識の量と質、成績の算定方法などをきっちり決めて、あらかじめ学生にいいわたしておかなければならない。さもないと、あとで学生から(とくに成績が本人の予想を下回った場合)いろいろクレームをつけられることになる。学費丸抱えで雇われている大学院生にくらべ、学部生たちは年間2万5000ドルもの学費を家族や奨学金にまかなってもらっているので、「学ぶ気迫」というか、貪欲さが違う。それは、教室を見渡して学生一人一人とアイ・コンタクトを取って行くとき、実感として伝わってくる。みんな、一生懸命小生の話を聞いている。(もっとも、講義の初日からよそ見をしたり昼寝をするような奴はわざわざ教室まで足を運ぶこともしないだろうから、これは当たり前といえば当たり前。)去年までの担当だったJohn Frederickから受け継いだ講義ノートをもとにシラバスを作り、5回分の宿題と、2回の中間試験、期末試験を10週間にわたって入念に采配した予定表を組んで、学生に配布する。採点を担当するTeaching Assistantは先学期小生のGFDの講義を取っていた大学院生のOlga。講義の全体像といくつかの関連事項を解説して、50分はあっという間に過ぎた。
午後は人事に関する件で学部長に単独で呼び出され、質疑応答。この件に関しては教授会でもかなりもめたが、今度は学部長や副総長を相手に議論しなければならないかと思うと、やや気が重い。
気が重いと言えば、仕事道具のiBookが壊れた。壊れた箇所はACアダプターのプラグを差し込むソケットで、iBookにさしこんであったプラグを長男がぐりぐりといじりまわしているうちに中の金具が折れ曲がってしまったらしい。お陰でラップトップを電源につなぐことができなくなってしまった。電池が完全に切れてしまう前にサービスカウンターに持って行くと、係りの人はしぶい顔をした。ソケットそのもののコストは50セントとかそんなものだが、iBookのソケットはマザーボードと一体となっているため、ソケットをなおすためにはマザーボード自体を入れ替える必要があり、それにはパーツ代だけでも600ドルはかかります、というのだ。ソケットの修理に600ドル!アメリカには、「Throwing the baby out with the bath water」ということわざがある。赤ん坊を洗ったあとの汚いお湯を捨てようとして、赤ん坊まで捨ててしまうということで、悪いものをとりのぞこうとして、大事なものまで失ってしまうことのたとえである。ソケットがお風呂のお湯なら、マザーボードは赤ん坊というところだろう。しかし納得できないのは、手前の手落ちで赤ん坊を捨てることになるのではなく、お湯を捨てると自動的に赤ん坊も流されてしまうという構図である。なんか、アップル社の陰謀を感じるなあ。こわれやすいパーツをマザーボードと一体化することで、修理代から暴利をむさぼっているとか。
きのうMac にIDLをインストールする手続きが面倒だとつぶやいていたら、きょう同僚から、Mac OS X にOpen Source のプログラムをスムーズに搬入するためのFink というメカニズムを 教えてもらった。これは便利そうだ。また、アップル社のX11 のベータ版についても教えてもらい、さっそくダウンロードして試してみると、今までのXFree86に比べて断然速い。いよいよこれでMac がパソコンとしての機能とUNIX ワークステーションとしての機能を兼ね備えた、使い勝手のいいマシンになってきた。
半日かけて期末試験と最後の宿題の採点をし、教務課に成績を提出する。応用数学的色彩の濃い問題では、やはり数学のセンスのあるなしではっきり成績に差が出るが、基礎的な知識を問う問題と、波の種類に関するエッセイでは全員かなりよく頑張っていた。これで今学期の講義に関連する仕事はすべて終了。さっそく、来学期の学部の講義のシラバス作成に着手する。今度は、サイエンスに縁のない学生が大多数(30人前後)の予定なので、まったく教授法の発想を変えなければならない。
懸案となっていた次女のサイエンス・フェアの続編。本物のカーネーションでうまく行ったので、今度はストローとガーゼでカーネーションの模型を作って試してみた。ストローに竹串をつかって白いガーゼをつっこみ、ストローの上10センチくらいのところで切り落とす。この10センチの部分を適当に結んで、カーネーションに見立てる。ストローの各所に小さな穴をあけて「茎」と外界との間で水のやりとりがしやすいようにしたうえで、全体を水に沈めて一様に水を含ませる。花瓶に色水を張って模型の花をさし、一本はキッチンのカウンターの上に放置し、もう一本はお湯を張ったボールの中に入れて全体をビニール袋で密封する。この状態で2日ほど待つと、カウンターの上の模型は色水を吸い上げて赤くなったが、袋で密封した方は、ストローのてっぺんまで色水が上がっては来るものの、「花」は白いままで、本物を用いた実験とよく一致した。下図参照。
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手前がカーネーションの模型。後方には同じ条件に1週間置かれた本物のカーネーション。 |
水蒸気が飽和している袋のなかの模型では水の蒸散がおこらないので、下から色水を吸い上げることもないと考えれば、蒸散がポンプの役割をしているといいたいところだが、厳密に水蒸気の化学ポテンシャルから負圧の大きさを計算したわけではないので「ポンプ」のアナロジーが正しいかどうかはあまり自信がない。力学的な解釈よりむしろ、てっぺんでの水の蒸発を境界条件とした鉛直質量輸送の観点からの議論の方がすんなり受け入れられる…なんてことを小学校3年生のサイエンスフェアで発表させたら、ひんしゅくを買うだろうなあ。
さて、秋学期・冬学期と全力疾走してきたので、春休みは少しゆっくり休むことにします。この日記からも10日ばかりおいとまをいただくことにします。次のアップロードは、エイプリル・フール?
週末のうちにぐんぐん気温が上がって、ついに今日の日中の最高気温は18度だった。こうなると、はっきり言って、暑い。キャンパスではさっそく短パンや水着姿になっている気の早い学生もいる。10日ほど前までは日中でも氷点下という陽気だったのに、この気紛れと言うか過激なシカゴの気象が、小生は大好きである。(ミシガン湖の湖畔にはまだ青光りする流氷が何層にもひだをなして盛り上がっている。)本格的な春の訪れは5月になってからだが、6月の第一週のプール開きに向けて、これからの2、3か月でかなりの気温の上昇が見込まれる。
論文のレビューや雑用の合間をぬって、デュアルプロセッサのPowerMacを開封し、セットアップする。23インチのシネマ・ディスプレイは巨大だが、デスクトップに100個近いファイルやアイコンを並べている小生のようなユーザーにとっては、これぐらい大きくてはじめて使い物になりそうな感じだ。Office X やAdobe のグラフィックス・ソフト一式とIDL をインストールした。IDL は基本的にUNIX のソフトなので、X Window を使って.tcshrc ファイルに環境パラメータやpath を付け加え、ライセンス・ファイルを入力した上でライセンスサーバを起動するという、まったくMacらしからぬ手作業を強いられた。Fortran 90 のプログラムを2つのプロセッサにロード分配し、AltiVec対応のコードに書き換えるプリプロセッサを注文することに決める。
さて、夕方5時で締め切りの持ち帰り期末試験は無事全員の解答を回収。これから模範解答とつきあわせて採点し、成績を出さなければならない。
ひゃっほう。今日は日中の気温が10度くらいまで上がって、ついに春の気配が感じられるようになってきた。例年木々が葉っぱを出し始める5月上旬までは寒い日もあるのでまだまだ油断は禁物だが、ようやく長いトンネルの先が見えてきた感じだ。
昼のfaculty lunch はRay Pierrehumbert のところに来た新しいポスドクChristian Dietrich が、植物性プランクトンと海洋の混合層の深さとの関係をGCMとbiogeochemical cycleモデルで計算した結果について発表。北大西洋では主に浮力強制、南半球の大西洋では主に風による混合が混合層の深さを決めているというところから始まり、クロロフィルの四季変化と混合層の深さの変化の相関を調べたりしているのだが、海洋モデルの数値拡散がかなり効いているようなので、どのへんまで信用していいものか、いまひとつ釈然としない。
続く1時半のメインセミナーはChristianのボスであるRay Pierrehumbert。火星の表面には無数のクレーターの他に川や峡谷のあとのような地形が数多くみられ、かつて地表に水が流れていたことを示唆している。また、最近の観測から、火星の地表面の下には、永久凍土に閉じ込められたかなりの水が眠っているのではないかと見られている。これらの地形を年代測定してみると相当古い(40億年近く前)。前にも書いたが、このころは太陽の明るさが現在の75パーセントほどしかなく、その状態で水が凍らないような大気温を保つには、相当の温室効果ガスが必要である。火星大気の現在の組成から言って、主な成分が二酸化炭素であったことは想像に難くないが、現在の6ミリバール(ヘクトパスカル)から最低でも2バールくらいまで気圧を上げなければ必要な温室効果が得られない。しかし、気圧を上げ過ぎると今度はあっという間に飽和状態に達して液化し、雨となって地面に落ちてしまうので、実現可能な気圧の上限(すなわち温室効果の上限)が存在する。いろいろな条件を組み合わせても、火星での平均気温が当時0度よりかなり高かったと考えるのはむずかしいらしい。そこでRay は視点を変え、1年(地球の1年の約2倍)の間に0度を上回る気温がどこでどのくらいおこっていたかを、力学モデルで見積もった。浅水波方程式によるハドレー循環に、季節によって変化する太陽放射による過熱と赤外放射による冷却をかませただけのおそろしく単純なモデルであるにもかかわらず、なかなか面白い結果が得られた。第一に、火星のサイズが地球にくらべ小さいために、定常な強制のもとでもハドレ−循環が地球よりずっと曲近くまで届くことである。さらに、火星には(すくなくとも現在は)海がないので、太陽放射の季節変動による地面温度の変化がもろに大気の大循環に効いてきて、とくに夏至、冬至ではハドレ−循環が夏極から赤道をこえて冬極の近くまで到達する。つまり、ハドレー循環による加熱地帯から冷却地帯への熱輸送がかなり効果的である。これによって、暗い太陽の状況下でも、加熱地帯の高温域の影響がかなり広範にわたっていたのではないかと考えられる。地球でも昔は海陸分布のようすが今とずいぶん違っていただろうから、ハドレー循環が高緯度まで達していた時期もあるかもしれない。
GFDの最終講義は回転水槽で傾圧不安定波を発生させる十八番の実験で締めくくる。実験に使うため、お湯をわかすポットや氷を入れたアイスボックスなどをぶら下げてえっちらおっちらと出勤すると、ひと月以上前に注文してあった新型のPower Macとシネマ・ディスプレイがようやく配達されていた。今までは2年前に卒業した学生が残していった古いMacと、8年前のモデルのUNIXのワークステーションでそれこそえっちらおっちら計算をこなしていたのだが、新しいMacの投入で演算速度もグラフィックスの能率も向上することが期待される。しかし今日は忙しくて、パッケージを開けている暇はなかった。(これまで、根本的な問題は演算速度よりも小生が計算のためにコンピュータに向かう時間がないことだと思っていたが、どうもそれ以前に、コンピュータの包みを開ける時間すらないことが問題のようである…)
永年同じ科目を教えていても、前回教えた内容や教え方にいつも何らかの不満が残るというのが世の常であり、毎回少しずつ改良を加える結果、しだいに理想的な講義内容に近づいていく、というのがあるべき姿なのであろう。理想的な内容に近づいているかどうかはともかく、今学期のGFDには輪読を取り入れたり、海洋の風成循環を最後にまわさずエクマン層の講義と一体化したり、新しいことをいくつか試みた。輪読は、受講していたのが全員大学院2年生で論文を読むことに慣れていたので、ある程度成果があったと思う。1年生中心の講義の時には難しいかもしれない。輪読のテーマを強制定常ロスビー波にしぼったのも正解だったと思うが、これから毎回このトピックというわけにもいくまい。次回どうするかはまた改めて考える必要がありそうだ。また、不安定理論のように、物理学の他の分野との関連上、抽象的な議論と数学的に厳密な取扱いがどうしても必要な部分を、いかに地球科学の具体的なイメージから離さずに教えるか、というのはあいかわらず難しい。Charney-Sternの不安定必要条件などは、GFD系で食っていく研究者にとっては常識だから教えないわけには行かないとも言えるが、力学を専門としない研究者にとっては猫に小判(あれ、これではまるで力学屋以外はネコである、と言っているように聞こえるではないか。意図していることわざではないなあ。しかし、他に思いつかないぞ。馬の耳に念仏、では馬になってしまうし)であって時間と労力の無駄とも言える。どのあたりで線を引くかは意見のわかれるところであろう。
明け方まで期末試験の解答を作っていたので、ふらふらだ。問題と一緒に解答を作る事で、問題が実際に解けることが確認されるので、このプロセスは重要なのである。家内いわく「そんなにふらふらになるまでやるくらいなら、問題の最初に『この問題は解答可能とは限らない』とか断り書きでもしておけばいいじゃない」。それもひとつの手だが、昨今の日本のマスコミの報道を見ていると、どこかで聞き付けて、「シカゴ大学地球物理学科大学院課程地球流体力学の期末試験で出題ミス。解答不能」とかいう記事を書かれてしまいそうだからなあ。とにかく、あした最終講義をすれば、今学期の講義もすべておわりで、あとは採点をするのみ。早かったといえば早かったし、長かったといえば長かった。しかしやはり、講義のある学期は他の仕事の進み具合は遅くなる。
あとひといきで春休み。待ち遠しい。
夕刻の6時半から8時すぎまでは、次女の学校で「math night(数学の夕べ)」という3、4年生とその家族を対象にした企画があったので、娘とふたりで出かけてくる。8つの教室でそれぞれ種類の違うゲームに興じながら、家族で数学に親しんでもらおうという趣旨らしい。ビンにつめたキャンディーの数をあてたり、自分の体格をセンチメートルで測る、などという他愛のないものから、たしざんと五目並べを組みあわせたようなゲーム(うまく説明できない)や、つまようじをマシュマロでつないで多面体を作るとか、結構熱中できるものまで、いろいろあった。先日は三女の学校で、「reading night(読書の夕べ)」という似たような企画があったばかり。そっちに行ったときにも見かけた教育委員会の役員の父兄たちが、今日もがんばって切り盛りしていた。いつもお世話になってます。
で、帰ってきてから晩御飯を食べて、確定深刻申告についてああでもないこうでもない、と言っているうちにもう夜中。えれえこった、まだ期末試験を考えてもいない。あすの朝までにEmailで学生の手許へ届けることになっているのに。というわけで、これから突貫工事のため、きょうはここまで。
金曜日にキャンパスの下見に来た大学院生候補も、日曜日に教会のゲストスピーカーだった宣教師も、テキサス州の出身で、シカゴの寒さに驚いていた。テキサスの家を出る時は華氏70度(摂氏20度)だったのに、シカゴについたら17度(氷点下9度)だったとか。早く日中の最高気温が氷点上になってほしいものだ。
午前中は三女を虫歯の治療のため、歯医者に連れていく。何でも、前回行った時はあばれて大変だったので、次に来る時はお母さんではなくお父さんと一緒に来て下さいと、お医者さん直々のリクエストだそうである。どんな騒ぎになるのかと心配していったが、結局麻酔を打つときに手を押さえるのを手伝っただけで、あとは歯を削る間泣き叫んで手足をばたばたする娘の横でじっと腰掛けていただけ。何を言ったって泣く時は泣くのだから、よけいな事は言わず、ひっこんでいるしかないのである。お医者さんも心得たもので、経験の浅いアシスタントでなく、もうひとりの先生が手伝ってくださって、二人がかりでおだてたりしかったりしながら、てきぱきとやるべきことをこなして行く。治療時間は全部で15分にも満たなかった。混合問題に関する中央極限定理の応用について考えていたのだが、ほとんど進展を見ないうちに終わってしまった。さんざん泣いたあげくに、終わったら「鏡見せて」と新しい銀歯をしげしげと眺め、御満悦な娘。回復の早いところも、子供の特徴である。結局、小生が同伴した理由は何だったわけ?
午後は、推薦状を二通、論文のレビュー一本、教授会の議事録と、締め切りに追われている仕事をばたばたとこなす。この手のことは、忙しく仕事をしているような気分にはさせてくれるが、研究とか自分の論文とか、本来の目的から研究者をどんどん遠ざけていく。去年1年のサバティカルのツケと言って自分を納得させるには、ややしんどい分量だ。
そうこうしているうち、講義を取っている3人の学生が集団で押し掛けてきて、木曜日に渡すことになっている持ち帰りの期末試験を、火曜日(あした)にもらえないか、とのたまう。君たち、教授の忙しさというものを理解していないようだね。こちらは、まだ期末試験の問題を考えるような余裕はないのであるよ。大体、一日や二日余計に考えたからと言って結果にそう変化が出るような問題は、持ち帰りの期末試験には出さないのであーる。しかし、集団の圧力に押されて、水曜日に出題ということで手を打つことにあいなった。問題作成が一日繰り上がったことでますます研究のほうが先送りとなる。
A wife is someone more special than words.
She's love mixed with friendship, and marriage bonded with hope, thanks, and joy.A wife is beauty and lasting togetherness, and there is no one more precious in the world. A wife is one who inspires some of the most special moments two people have ever shared. A wife is a treasured perspective on the past, a reassuring part of the present, and a million wishes for all the days that lie ahead. A wife is a reminder of the blessings that come from closeness. Sharing everything. Disclosingdreams. Learning about life together. She's a hand within your hand. She's so often the only one who understands. A wife is understandingand trust enfolded with love. She is a helper and a guide, and she is a feeling, deep inside, that makes you realize, each and every day of your life ... that there is no one who could ever be loved in the way a husband... loves his wife. -Poem by C. Martin
きのうちらりと木星の帯状流の話が出たと思ったら、本日発売になったサイエンス最新号にNASAの土星探査衛星Cassiniによる木星大気の画像解析の話が出ているではないか(Porco et al. 2003, p1541)。Cassiniは現在土星に向け飛行中の衛星であるが、2000年の末から2001年にかけて、木星の重力を利用して飛行を加速するために接近通過したさいに、木星大気の画像をほぼ6ヶ月にわたって連続して送信してきた。画像の解像度は60キロから200キロというから、Voyager やGalileo の解像度よりはやや劣るものの、6ヶ月連続画像というのは画期的であり、木星大気の渦構造の変動を調べるのに重要な資料となることは間違いない。
注目に値するのは、水平スケールが数百キロから2500キロ程度の、対流セルの記録である。これは地球の巨大積乱雲と同じように、木星の内部で水の相変化を伴う湿潤対流がおこる結果だと考えられている。その雲頂のカナトコがまわりをとりまく大気の中に白く浮き上がるので、識別が可能である。Cassini は6ヶ月で43の対流セルを識別、その解析の結果、対流セルは木星大気の中でも色の濃い「ベルト」と呼ばれている部分で多く発達することがわかった。また、中緯度より低緯度での頻度が多いことも明らかになった。
この観測がなぜ注目に値するかというと、ベルト地帯は対流の頻度が多いので、平均すると上昇流になっているはずであり、すると質量連続の法則から、ベルトを取り巻く白っぽい「ゾーン」と呼ばれている地域には、下降流が存在するはずである。これは過去50年ほどのあいだ考えられてきたのと正反対の結果なのである。「ゾーン」が白いのは雲の高度が高いからだと考えられており、今までその理由は、そこに平均して上昇流があるからだとされていた。今回の観測はこれを覆すものとなったわけである。ベルト地帯は帯状流が低気圧性(正)の渦度(シアー)をもつ地域であることが知られている。したがって、上昇流による渦の伸長と正の渦度のあいだに相関があるということになり、力学的にはこれはむしろ納得がいく。
さらに重要な点は、これら木星の大きさに比べたら微々たる大きさの対流セルが、木星をとりまく帯状流のエネルギー源になっていることである。惑星の回転により流れは大規模なスケールではほぼ水平になっており、ここではエネルギーが小さいスケールから大きいスケールへ逆カスケードする。大赤班が放射減衰などに打ち勝って何百年も生き長らえているのは、小さい渦を飲み込んでエネルギーを吸収しているからであると考えられている。今までは対流セルによる強制は均質に分布しているという仮定のもとにモデリングされていたが、この観測で対流強制は正の渦度があるところに集中していることがわかったので、これからのモデルは強制分布の非対称性も考慮にいれなければならなくなるだろう。大赤班や白楕円など、寿命の長い大きな渦がほとんど高気圧性(負の渦度)であるという非対称性もかねてから指摘されており、両者には何らかのつながりがあることも予想される。
脚光を浴びる火星に隠れ、しばらくおとなしかった木星が、また面白くなってきたぞ。
現在走らせているベータ面での成層地衡風乱流の数値実験がどうも思ったような結果にならない。エネルギーの逆カスケードが切断されるスケールは、べータの値を変えると変化するはずなのに、長いこと模型を走らせていると、ベータの値によらず結局領域の大きさギリギリまで逆カスケードしてしまい、東西のジェットが一対しか生成されない。カスケード切断スケール(Rhines' scale) はベータの他に流れの強さにもよるので、ベータを変えたときに流れの強さも変わって、両者の影響がちょうどキャンセルされているようだ。2層流体でやるとこんなことはなく、ベータの値によって生成されるジェットの数が変わり、木星のような複数の帯状流をまねすることができる。この違いはいったいなぜなのか考えているうちに、エクマン摩擦による流れの減衰の影響が、2層流体と成層流体では根本的に違うのではないか、という気がしてきた。2層流体ではエクマン摩擦は下層の渦度を直接減衰するが、成層流体では下部の境界条件を通して流れの鉛直構造を変えるだけなので、もしかするとスケールの大きい順圧流れの減衰にはあまり効果がないとか、そんなことかもしれぬ。
原因はなんであれ、結果としてエネルギーの逆カスケードが無制限に進むのは非現実的なので、大きいスケールで流れを減衰するメカニズムをモデルに入れる必要がありそうだ。エクマン摩擦でなく、aerodynamic formula に基づくひきずり摩擦(地衡風モデルではあまりやらないが、GCMでは標準である)を導入するとか。
と書きながら、ふと、これって想定される結果を出すためにモデルを(無理に)いじってるってことにならないか、と考え込む。あくまでfirst principles に基づいて結果を予測するのが主旨なら、予想に反した結果はそれとして素直に受け入れることが大事なような気もする。しかしながら、とすぐに反転。実験と理論をどう整合させるかは、科学者の勘とか、本能的なものに頼る部分が多分にあることもまた事実で、これぬきにサイエンスはなりたちまへんで。このへんのさじ加減が難しい。(first principles そのものは正しくても、その表現と解釈がさまざまというのが、実際のところであろう)
モデルいじりといえば。一般相対性理論によると、宇宙は膨らむか縮むかしていなければならない。これでは宇宙は定常という直感に反するので、この矛盾を解決するため、アインシュタインが、自ら導いた式の右辺に「宇宙定数」という未知の定数を付け加えたというのは有名な話である。この直後にハッブル によるケフェウス型変光星の観測が発表され、宇宙は膨張中という証拠が出るに及び、アインシュタインは「宇宙定数は一生の不覚だった」と悔やむのである。ところが、ところが。近年の観測や理論からは、宇宙全体の質量のうち73パーセントは、「暗黒エネルギー」という得体のしれないものによって占められており(23パーセントが暗黒物質、いわゆるふつうの原子はわずか4パーセントにしかすぎないそうだ)、これが暗黒物質をなめるがごとく宇宙の膨張を加速したりいろいろ悪さをしているらしい。しかしなにしろ得体がしれないものだから、「未知の定数」としてしか表現しようがなく、ここにめでたくアインシュタインの宇宙定数が復活したという次第。世の中何が幸いするかわからない。
青いカーネーションのショックからかろうじて立ち直った小生は、気をとりなおして次女のサイエンスフェアの手伝いを再開。前回と少し変えた点は、細長い花瓶を用意し、短く切ったカーネーションを花の根元まで色水につけたことである。こうしておけば、仮に毛細管現象が弱くても、静水圧だけで花の近くまで色水を送ることができるはずである。案の定、実験を始めて半日もたつと、有意な変化があらわれはじめた。
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やはり、水蒸気が飽和していると吸い上げが弱いのは間違いないようだ。次はストローとガーゼを使って、花の模型を作ってみようという算段。水でぬらしたガーゼをストローにさして花に見立て、色水の入った花瓶に入れて実験をした時に、カーネーションと同じ結果が得られるか、興味のあるところである。あれ、おい。実験の主催者はどこへ行ってしまったんだ?これはお父さんの実験じゃないんだぞ。
またまた寒波の到来で雪だ。そろそろうんざりしてくるなあ。大体、11月のころは、エルニーニョの発達で暖冬になるというのが大方の予想だったのに、はずれ方もここまでひどいと、長期予報の説明責任ということを考えたくなる。そりゃね、何月何日何時のどこそこの天気を、数カ月先まで正確に予報しろというのが無理なのは承知してますよ。しかしね、この冬は暖冬になります、と言っておきながら、記録的な寒波だの、平年を数度下回る平均最高気温だのという結果になったら、素人目にはやっぱりちょっと、気象局は何をやってるんだ、という気持ちになりますわな。「エルニーニョの発達が早々に終息したのに加え、北極環状モードの正偏差が急激に発達した」などというゴタクをあとから聞かされても、何でそれが前もってわからなかったのか、といぶからずにはおれない。もちろん、ユーザー側も完璧な予報は期待していないし、はずれることがあるのは百も承知だが、血税を使って予報をしている以上、はずした場合の責任の所在をもっと明確にしたらどうだろうか。たとえば、現業予報をいくつかのチームにわけ、各チームに予報の精度を競わせる。一年ごとにチーム毎の成績を評価し、優秀なチームには報奨金を出し、劣悪なチームには視聴者の前で3回まわって「ワン」と言わせるとかすれば、みんな必死になって予報の精度向上に励むようになるであろう。視聴者にも、「この地方での降水確率は60パーセントです」などという根拠のはっきりしない予報ではなく、「Aチームの予報によると、この地方では今晩雨になるそうです。ちなみに、Aチームによる過去の予報適中率は80パーセントです」とか説明したほうが、はるかに説得力があると思うのだが。
で、小生であるが、あれ、中村さんはお天気のほうの専門家じゃなかったでしたっけ、というようなつっこみを入れられないよう、パーティーとかでは極力「気象学やってます」などと言わないよう、気をつけている。