ホームぼぼるパパの部屋>Idle Musing 2003年2月

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ぼぼるパパの研究日誌 Idle Musing

2/28/2003 エウロパの海

昼のfaculty lunch は最近着任したばかりのBruce Buffett による地球の核構造に関する考察。現在の地球内部の層状構造や温度分布は、地震波の解析や熱伝導モデルなどから比較的よく拘束されている。固体内核と液体核の境界では、鉄などの成分が液体化するさいの潜熱と、軽量元素の質量分別などによって浮力が生み出され、これが液体核内での対流を維持している。生み出されたエネルギーの大半はダイナモによって地球磁場を作るのに用いられる。内部エネルギーの生成率と地球磁場の強さがわかれば、その比からダイナモのエネルギー効率が推定される。さて、地学的なデータからは、短い時間での変動や反転などはあるものの、地球は大昔から一貫して磁場を持っており、その強さは平均するとあまり変わっていないらしい。もし、ダイナモのエネルギー効率にもさして変化がなかったとすると、核内のエネルギ−生成率もそれほど変化していないであろう。一方で、惑星学の語るところによると、固体核は地球誕生時から現在にいたるまでの間にかなりの成長を遂げている。つまり、歴史をさかのぼるほど、内核が小さかった。問題は、核内のエネルギ−生成率を変えずに内核を縮めると、液体核の上限、すなわちマントルとの境界での温度が急激に上昇することである。理論的には、内核を縮めていくうちに核マントル境界の温度がマントルの融点を通りこして、マントルがそっくり液体化してしまうということになる。そういうことが実際にあったという証拠はどこにもないので、では、初期の地球で核とマントルの温度を低くたもっていたメカニズムはなんだったのかというのが論点。Bruce の仮説は、微量な放射性元素(カリウム40など)の存在を仮定するとうまく行くかも、ということであった。力学屋の小生としてはダイナモのエネルギー効率が温度によってどれくらい変化するのかが気になるところだが、その点についての言及はなかった。

1時半のセミナーは学科長のDavid Rowley による、地球規模での海水面高度変動の地学データの解釈について。(こちらの非ではないとはいえ、最近、外部の講演者が直前になって来れなくなるというケースが目立ち、そのつどうちわから講演者を出してくる、というのはあまりいい傾向ではない。)海水面高度を変化させる要因として、プレートテクトニクスによる海床の高さの変化(長いタイムスケール)と、氷河の消長による海水の容積そのものの変化(短いタイムスケール)の2つが考えられる。講演の要旨は、これまでの海水面高度変化の見積もりがプレートテクトニクスの効果を過大評価していることを指摘することであった。より綿密なデータ解析によると、長期的なプレートテクトニクスの効果は海床を横に広げることであって、高さの変化への影響は平均すればごく少ない。その点を考慮にいれると、過去の海水面変動の幅は、現在考えられている250メートルというオーダーではなく、むしろ 50メートルくらいであろう、ということである。なんでも、ヨーロッパで現在集中的なデータの再収集をやっているグループがあるらしいが、ヨーロッパではアルプスの造山活動とか、局所的なプレートテクトニクスの影響を受けているだろうから、まずいんじゃないかなあ。

ひきつづき3時からは、ポスドクのJason Goodman による木星の衛星エウロパに関するセミナー。この9月に木星に衝突して使命を終えるNASAのガリレオ衛星が過去数回にわたって送ってきたエウロパの画像は、いろいろな意味で貴重な資料であった。なんといっても大ニュースだったのは、水の存在である。現在エウロパの表面は氷点下60度くらいで、大気はなく、全球を氷がおおっている。エウロパの内部のエネルギー源は木星の潮汐応力で、活火山などがある別の衛星イオについての推定結果をエウロパの大きさにスケーリングすることで推定できる。その推定結果にもとづく熱伝導モデルや、重力測定などの結果から、エウロパの表面をおおっている氷の下には、液体の海がある可能性が高いと考えられている。また、表面の氷そのものにも、縦横にしわのような線状のでこぼこが走っており、海の対流によるプレートテクトニクスを想起させる。さて、エウロパの北半球表面に、数100km 四方にわたり氷がくだけたようなあとがあり、「カナマラ・カオス」と呼ばれている。Jason はこれを、海底火山の噴火によって生じた局所対流で氷がうすくなり、何かの拍子にくだけて多数の氷山となり、それが再氷結するまでのあいだに海流に流されて動いた結果であろうという仮説をたて、回転流体の中で局所対流が起きたばあいに生じる水平方向のストレスを、計算と回転水槽実験で推定。考えうるさまざまな浮力強制の大きさのもとで推定した結果、応力の回転成分の影響は対流の中心から25-50 km くらいに及ぶという結論がえられた。カナマラ・カオスの大きさにくらべてやや小さい気はするものの、第一近似としては悪くないと思う。それにしても、太陽系に海を持つ惑星(衛星)が地球以外にもある可能性がでてきたというのはすごいことで、当然生物の存在ともからめて、今後の探査研究が待たれるところである。

2/27/2003 Edward Perronet 1726-92, Coworker of John & Charles Wesley

All hail the power of Jesus' Name! Let angels prostrate fall; Bring forth the royal diadem, and crown Him Lord of all. Bring forth the royal diadem, and crown Him Lord of all. Let highborn seraphs tune the lyre, and as they tune it, fall Before His face Who tunes their choir, and crown Him Lord of all. Before His face Who tunes their choir, and crown Him Lord of all. Crown Him, ye morning stars of light, Who fixed this floating ball; Now hail the strength of Israel's might, and crown Him Lord of all. Now hail the strength of Israel's might, and crown Him Lord of all. Crown Him, ye martyrs of your God, who from His altar call; Extol the Stem of Jesse's Rod, and crown Him Lord of all. Extol the Stem of Jesse's Rod, and crown Him Lord of all. Ye seed of Israel's chosen race, ye ransomed from the fall, Hail Him Who saves you by His grace, and crown Him Lord of all. Hail Him Who saves you by His grace, and crown Him Lord of all. Hail Him, ye heirs of David's line, Whom David Lord did call, The God incarnate, Man divine, and crown Him Lord of all. The God incarnate, Man divine, and crown Him Lord of all. Sinners, whose love can ne'er forget the wormwood and the gall, Go spread your trophies at His feet, and crown Him Lord of all. Go spread your trophies at His feet, and crown Him Lord of all. Let every tribe and every tongue before Him prostrate fall, And shout in universal song the crowned Lord of all. And shout in universal song the crowned Lord of all.

2/26/2003 青いカーネーション

小生に実験のセンスがないというよく知られた事実を裏付ける証拠が、またしても見つかった。次女のサイエンスフェアで、白いカーネーションを赤いインクで着色した水にさしておくと赤くなる、ということを実証しようとしているのだが、どの小学校の教科書にもきれいな実験例の写真が出ているのに、小生が手伝ってやるとどれもうまくいかないのである。カーネーションの茎の根元のところをななめに切り、食紅を数滴たらした水の中にさし、数日置いておくと、花全体がピンク色に染まってくるはずなのに、ガクに近いところの数枚の花びらの裏側に数本のピンク色の筋が入るだけで、花は基本的に白いままである。時間がかかるだけかも知れないと思い、一週間くらいがまんして待っていると、ピンク色どころか、花全体がしおれて茶色になってしまった。食紅の濃度が高すぎて浸透圧が逆向きに働いているのかも知れないと思い、濃度を下げたり上げたりしてみても、ほとんど結果にかわりはない。これではサイエンスフェアに出すには、あまりにもお粗末である。

唯一得られた科学的な結果は、同じ実験を、水を張って密封した容器の中でやると、花びらにまったく色の変化があらわれなかったことである。すなわち、水蒸気で飽和している環境では、カーネーションはまったく水を吸い上げていないことになる。とすると、蒸散作用だけでは説明しにくいのではないか、と前に書いたけれど、結局蒸散が吸水作用にかなりの影響を与えていることは否定できないようだ。むむ、Clausius-Clapeyron 恐るべし。

花を着色するヒントを得ようとスーパーの花売り場を物色していると、白地に鮮やかな青い柄の入ったカーネーションを見つけた。こんな色のカーネーションが自然にできるとは考えにくい、と思ってよく調べてみると、果たせるかな、そのカーネーションは何やら青色をした水の中にさしてあるではないか。つまり、白いカーネーションを人工的に青くしているようなのである。そこで、小生はその場に売っていた、3本で99セントの白いカーネーションを持って係りの人のところへ行き、「この白いカーネーションを、あそこにある青いカーネーションのようにするには、どんな薬品を使えばいいのですか」と聞くと、「ああ、そんなのは簡単さ」と引き出しから何やら容器を取り出している。次に目の前で起こったことは、期待で胸を膨らませた小生には、到底信じられないことであった。

「ほら」といって店員は、やおら容器のふたを開けると、白いカーネーションに青のスプレーペイントを吹き掛けたのである。

言葉を失った小生は、スプレーの臭いのぷんぷんする青いカーネーションを握りしめて、うつむいたまま、レジの列に並んだ。

2/25/2003 エクマン層の力学

講義に出席中の学生4人のうち、唯一学科外(宇宙物理)から来ていたサムが、研究関係の仕事で3週間ヨーロッパに行くことになり、今日から姿を見せなくなった。サムは秋学期の流体力学のクラスからずっと継続して聞きに来てくれていたのでちょっと残念だが、考えてみれば、暗黒物質の厳密な質量測定をやっている彼が、台所用品を寄せ集めて作った実験装置で水しぶきをあげながら教えている小生の流体力学を、よく今まで熱心に聞きにきてくれたものだ。そのサムから送られてきたEmailに、とてもためになって面白かったと書いてあり、ちょっと嬉しかった。何かの機会に、そういえばあの時の中村の実験は悲惨だったなあ、ぐらいにでも思い出してもらえれば、流体への興味をつなぐわずかな役割を果たしたことになるであろう。

その講義であるが、きのう予習しておいた式の導出に誤りのあることが黒板にいろいろ書いているうちに発覚。(といっても気がついたのは小生だけだが。)海洋の表層中でのエクマン・パンピングを計算するさいに、質量保存則を鉛直積分したところまではよかったものの、きのうの時点では係数を割り忘れていたことがわかったのだ。しかたがないので、その場であらためて計算しなおしながら書き進めていく。係数が変わっただけで、なんだか見覚えのない形になっていくなあ、とだんだん心細くなっていたら、とつぜんバサバサとキャンセルする項が出てきて、結局答えはきのう家で調べておいたのよりずっとすっきりした形になり、めでたし、めでたし。

昼から始まった人事委員会では、必要な背景となる知識がまったく欠落しているために、ほとんど意味のある発言をすることができず、蚊屋の外にいるみたいだった。しかも昼御飯を食べ損ねて、まわっていたのは頭より目のほうだった。

いっぽう「百聞は一見にしかず」と題したプロポーザルは、ようやくあと図面と予算を入れればいいところまで漕ぎ着けた。

2/24/2003 プロポーザル執筆

およよ、えれえこった。流体実験室のプロポーザルの締め切りは3月3日だから、まだ先だと思っていたら、なんと2月は28日しかないことをすっかり忘れておって、もうあと一週間後ではないかいな。共著者二人との調整もあるし、学科長の署名も必要なので、何がなんでも一両日中に書き上げなければならない。まあ、3ページ以内という短いプロポーザルではあるのだが、こういう時に限って人事委員会があったり、すっかりやり忘れていた論文のレビューを思い出したり、雑用に時間をとられて肝腎の仕事が後手にまわっている。家に帰れば長女の理科の宿題の見直しや次女のサイエンスフェアの手伝い。あすの講義の準備をして、ようやく夜中すぎにちょっとだけ仕事の時間がとれる。考えてみると3月もまたイベントが目白押しで忙しい一月になりそうである。そうそう、来学期の講義用の教科書も忘れずに注文しなくちゃ。

吹雪の中をよろよろとオフィスまで歩き、午前中は気候変動に関する輪読会で、モンスーンの変動と強制パラメータの関係についての論文をいくつか討議する。アジアのモンスーンがチベット高地の高さに強い影響を受けているという結果はいいとして、アフリカのモンスーンの消長についての大気海洋非同期結合モデルによる計算結果が誰の目にも直観にあわず、みんなで首をひねる。アフリカ大陸がかつて湿潤だった可能性があるとして、水蒸気ははたして北大西洋から運ばれてきたのか、あるいは赤道をこえて南から侵入したのか、大いに議論が別れた。

おお、大相撲中継でおなじみの北出清五郎氏が亡くなったらしい。80歳だそうである。もうそんなお年だったのですね。神風さんとのコンビで一世を風靡した70年代の大相撲放送が思い出される。まるできのうのことのようなのにね。

2/21/2003 生物相が熱帯の気象に与える影響

どうもここんところ目の疲れがたまっているようで集中力に欠ける。コンピュータの画面を見続けるのは比較的ましだが、レクチャーホールや車の運転席のように、遠くと手元にかわりばんこに視線を移さなければならないような状況が特にしんどい。大学病院の眼科の予約は4月7日(どうして大学病院というところはふつうの診察の予約に2か月も待たなければならないのか、理解に苦しむ。このため、風邪などではほとんど診てもらえない、といっても過言ではない。予約が入っているころに運良く次の風邪でもひいていれば話は別だが)、とてもそれまで待ってられそうもないので、近くのアイクリニックに自腹を切って行ってこようかと思う。41歳にしていよいよ遠近両用眼鏡のごやっかいになるのかなと思うと、複雑な気分。

1時30分の学科のセミナーはコロンビア大学のHezi Gildor。熱帯の積雲対流の1ー2ヶ月周期変動に、海洋中のプランクトンの消長が及ぼす影響のみつもりについて。最近のSeaWiFsなどの衛星観測によれば、海面のクロロフィルなど植物性プランクトンの分布には季節内でも結構変動がある。これはおそらく食うものと食われるものの関係(predator-prey relationship)や栄養分の循環などによるものと考えられる。原因はともかく、プランクトンの消長は太陽光線が海洋のどのへんの深さまで到達するかを決めており、これによって海水面温度を決める熱力学が微妙に摂動を受ける。すると、とくに西部太平洋や東部インド洋のように海水面温度と対流活動の間に強いフィードバックの効いている場所では、これだけで対流活動に数日から数週間のスケールの変動があらわれうる、ということを数値モデルで実証するという話。実験結果はプランクトン密度と太陽光線の吸収率の間の比例定数に強い依存性を示すのであるが、残念ながらこのパラメータは観測から決定するのは難しいそうだ。この話は小生が大学院生だった15年くらい前だったら、水蒸気風応力フィードバックとか、もっぱら大気海洋相互作用の物理過程のみのモデルで取り扱うのがファッションだったのに、今やどの分野でも物理と生物過程のカップリングというのがはやりになっている。しかし、生物過程に適用される方程式はあくまでも実験式なのであって、こんなのをNavier-Stokesと結合するというのはなんかつぎはぎのような気もするが、それを言い出したら環境科学のモデルの大半はつぎはぎだらけなわけで、それがState of Artなのだから仕方がない。

つらつらとネットサーフをしていると、おお、Stuart Townend、Chris Tomlin、Twila Parisら一線のワーシップリーダーが集まって5月にシカゴでワーシップのコンファレンスをやるというじゃないですか。プログラムを見るとどれも興味ある内容。これはぜひ参加したいなあ。

2/20/2003 三寒四温

去年の秋に左のひじを骨折した三女の三ヶ月検診で、朝早く大学病院の特別小児科にでかける。レントゲンをとって簡単な所見で終わるはずだった(というか、実際そうだった)のだが、なぜか非常に混雑していて待ち時間が長かった。待ち合い室で腰掛けていると、子供のつきそいで来ていたと思われる中年の男性が、診察室からよろよろと出てきたかと思うと、近くに止めてあった移動式ベッドに思いきりぶつかり、次の瞬間には「目がまわる」といってその場にひっくり返ってしまった。「すみません、この人、気絶してるんですけど」という周囲の声で、主任の教授を始め、研修医が何人か駆け付けてきて、その場は騒然とした雰囲気になった。さいわい大事には至らなかったようで、意識もすぐに戻ったようだが、小児病棟で大のおとながひっくり返るのを見るとは思わなかったので驚いた。まあ、気絶したのが病院の中というのが不幸中の幸いとも言えるが。なんでも、ぐわ〜んという音を聞きながらギブスカッターの動きに目を集中していると、目がまわることがあるそうだ。そういえば小生も、長女の出産に立ち会ったときに、いきむ家内の横で思わず一緒に息を止めて失神しそうになったことがあったっけなあ。三女はそれまで待ち合い室にあったゲーム機で遊んでいたのだが、この騒ぎで引き離されてしまったものだから、しきりと気絶している人の上をまたいでゲームの方に戻ろうとするので、押さえておくのに苦労した。

GFDは最後の論文Simmons, Wallace, Branstator (1983) を読み、エクマン摩擦と地衡風力学のマッチングを解説し、次の宿題を配付する。2月も後半にはいり、ようやく寒さが弛んできたかんじ。久しぶりにモモヒキなしで出かける。しかし、予報によるとこの暖かさもあと2日ほどで、また猛烈な寒気が次に控えているのだそうだ。春よ来い。

2/19/2003 Legacy continues

冬の間にのびた髪の毛を切りに床屋に行く。前回は、何もチェックを入れないでいたらひどい髪型にされたのであった。そこで、この前行ったタイ料理のレストランの話(何を隠そう、この床屋のオヤジに教えてもらったのだ)、オヤジがシカゴ・オートショウに行って今まで乗っていた1968年製のベンツからトヨタのプリウスに買い替えた話など、雑談の間にもちらちらと鏡を盗み見して、途中経過を確認する。さいわい、前回よりはかなりましに仕上がった。小生の前のお客が白髪の老人だったので、終わってから床の上を見ると、白と黒の髪の毛が見事に折り重なって散乱しており、まるでディズニーの「101匹ワンちゃん」に出てくるCruella De Vil が髪を切りにきたあとのようだった。(前にも何回かこういうことがあったぞ)

現在、ひょんなことから教育用の流体実験室を作る計画がうちの学科で進んでおり、そのプロポーザルのとりまとめ役を仰せつかっている。学科の先達で、地球流体実験の大御所だった故Dave Fultz 教授の御家族から、故人の意志を継いで流体実験室を学科に残しておくように、と必要経費の一部が献金されたのである。大学から補助金を出してもらうために、実験室に入れる器材の選定をして、2月の末までにプロポーザルの形にまとめなければならない。残念ながらFultz 教授御自身の研究室はすでに取り壊されていて、当時の実験器材などはなくなっており、小型版を一から組み直さなければならない。MIT やワシントン大、テキサス大学、京大などの研究室をお手本にして、中形の回転台やカメラ、水槽その他の道具のスペックを検討しているが、正直なところ、思ったよりずっとお金がかかるので驚いている。回転台など電動ろくろのようなものを想定していたが、実験に必要な回転数精度をもたせるには、ある程度の投資が必要なようだ。小生のような理論屋にこんな仕事を任せるというのも無茶な話ではあるのだが、ふだんあまり話をすることのない学科の実験屋さんたちと交流を持つよい機会と割り切って、不馴れな作業に手を染めている。これでFultz 教授のレガシーが語り継がれていかれるなら、やりがいのあるお手伝いだ。ただし、プロポーザルを出すところまでで、実際の器材組み立ては小生にやらせないほうがいいと思うよ。

2/18/2003 氷河期のロスビ−波

GFD古典輪読の第2回目はCook & Held (1988) の氷河期の定常ロスビー波についての論文と、古典中の古典、Charney & Drazin (1961)。氷河期の氷床の高度分布がどうなっていたかという点については、モレーンなどの地学的証拠と、バルバドスの珊瑚などから推定される海水位の歴史とを組み合わせて得られたCLIMAP のデータや、アイソスタシーにもとづいたモデル計算によるPeltier のデータなどが有名だが、それぞれにいろいろ批判はあって、あまり確定的なことは言えないらしい。しかし、最終氷河期には北米大陸にローレンタイド氷床という巨大な氷の山が広がっていたことはほぼまちがいないと考えられている。この氷床のせいで北米大陸全体の平均高度は相当高くなっていたもようである。冬のジェット気流がローレンタイド氷床の上を吹き抜けるときに強制される定常ロスビー波を線形モデルで計算したのがCook & Held の論文。線形モデルは因果律の解釈が簡単になるという利点はあるものの、人工的な減衰を適当に入れてやらないと不自然な共鳴現象が起きたり、臨界緯度が特異点になるなど、それなりのテクニックも必要になってくる。それでも、線形モデルが非線形過程をすべてふくむGCMの結果をかなりよく再現できるのは、特筆に値すると言わねばならない。非定常擾乱に対しては、力学的な線形モデルがほとんど役にたたないのと対照的である。(擾乱をランダムなノイズであらわす統計的な線形モデルは、かなりいい線行くが。)

2/17/2003 ヨハネの福音書16章21-22節 & イザヤ書43章18-19節

女が子を産む時には、その時が来たので苦しみます。
しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、
もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。
あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。
そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。
そして、その喜びをあなたから奪い去る者はありません。

先の事どもを思い出すな。
昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しい事をする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。
確かに、わたしは荒野に道を、
荒れ地に川を設ける。

2/14/2003 ベータ面乱流のスケーリング

おととい入学願書の審査をしたと思ったら、入学許可を出した学生のひとりがさっそく大学の下見にやってきた。優秀な学生が他に行くことなくうちを選んでくれるよう、研究の面白さや学生に対する教員側のケアについて、こちらも一生懸命売りこまなければならない。同僚のRay Pierrehumbert と一緒に彼を連れて、昼過ぎから物理学科のセミナーに出かける。テキサス大学のHarry Swinney によるベータ面乱流の水槽実験の話である。水槽の底を傾けてベータ効果を入れるのは小生のロスビー波の実験装置と一緒だが、底にあけた多数の小さな穴を通して水を入れたり出したりして渦度を強制し、ジェットと大小の渦が共存するような地衡風乱流のレジームをつくり出し、その中でのエネルギースペクトルを測定するというもの。測定されたパワーはkのー2乗と、コルモゴロフの-5/3乗則から有意なずれを示していて、これがどういう理由によるのかが論点だった。実は、去年ケンブリッジにいた時にシカゴ大学の応用数学のPeter Constantin が来て、地面準地衡風モデルにおけるパワー則の傾きの下限をー2と厳密に証明するセミナーをやっており、Swinney はそこに理論的裏づけを見い出そうとしているのだが、地面準地衡風モデルは成層の存在が議論の前提であり、均質な水を用いての実験には適用できないのである。当のPeter も聞きにきていて、活発な議論がかわされた。

コルモゴロフスペクトルからの観測のずれは、通常、エネルギー散逸領域の間欠性によるものとされている。おおざっぱに言ってエネルギー散逸は渦度の自乗(エンストロフィー)に比例するので、引き延ばしやおりたたみによって渦度が狭い領域に集中するのが、間欠性の原因と考えられている。しかしこれは3次元乱流の場合であって、回転流体の場合はTaylor-Proudman の定理により流れはほぼ2次元となっており、渦の延び縮みやおりたたみは著しく制限される。ひとつ考えられるのは渦が組織化して統計に悪さを及ぼしているのではないかということだ。統計を取る前に組織化した渦を場からうまく抜き取ることができれば、コルモゴロフ則がもっとよく見えるかもしれない。

晩御飯を、最近家の近くにできたタイ料理のレストランへ食べに行く。しかし、タイレストランとは名ばかりで、働いているのはほとんど地元の高校生だし、第一食べ物がタイ料理の真似事ににもなっておらず、がっかりした。メニューにはラーメンとかお寿司とかも入っていて、長女がラーメンをたのんだが、これがおよそ我々が考えているラーメンには似ても似つかぬ代物で大層まずく、滅多なことで食べのこさない長女が途中でギブアップ。なぜか1歳11か月の長男が喜んで残りを食べていた。寿司などは恐くて注文する気にもなれない。中は広く、内装は凝っているし、とても混雑してはいたが、しょっちゅう来ようとは思えない場所だ。まあ、人口2万人の村にもこんなレストランができたかと思うと、妙に感慨深いものがあるけれど。

2/13/2003 古典論文の輪読

バスが遅れて、ついにケータイの出番!今回は充電もバッチリ!!と喜んで家にダイアルすると、「おつなぎできません」という冷酷非情なアナウンス。嗚呼。ついにアクティベートしてから1回も使わぬうちに、45日間有効、25ドル分のプリペイドアカウントは切れてしまっていたのであった。ほとんど諦めの境地。要するに、小生には必要ないシロモノだったのだよ。

論文を書いていて、「apparatus」の複数形が「apparati」だったか「apparatuses」だかわからなくなって調べているうちに、ラテン系の-us型の単語の複数形を作るルールを全く忘れていることに気づいた。というか、ルールなんてものがあるのかさえ、わからなくなった。「alumnus」「cactus」「focus」「radius」「stimulus」などが複数形になると-iで終わることはよく知られているが、「octopus」や「fungus」のように-iでも-esでもいいものもある。一方で、「bonus」「campus」「census」「chorus」「prospectus」などは-esしかとらない。一体どうやって見分ければいいんじゃ。「bus」が「bi」になったり「us」が「i」になったりしないことは直感的にわかるが。つくづく英語はむづかしいと思う。

GFDの講義は定常ロスビー波に関する古典的な論文の輪読。小生がまず去年のHeld et al.のレビュー論文で模範を示し、次に学生にやらせる。要旨だけを手短かにまとめるように、と言ったのに、最初にHoskins & Karoly (1981)を担当したロシア人の学生がいきなり45分しゃべって時間切れになってしまった。まあ、大学院2年生ではまだまだ発表のコツとか飲み込めていないのであろうが、テクニカルなところに気をとられて、聞いてる方に大局的な図式が全然伝わってこない。あちこちで待ったをかけて小生がパラフレーズしなければならず、効率が悪い。本来きょう一日であと3本読むつもりだったのだが、来週に持ち越しになってしまった。気候学の論文に比べると力学の論文の方が読んで理解するのに時間がかかるのはしかたないとして、もうすこし頑張ってもらいたいものだ。

昨日の日記を見た娘達と家内に、「こんな家の恥を全世界に発信して」とさんざんおこられた。そして新しい靴下1ダースをプレゼントしてもらいました。

2/12/2003 靴下エレジイ

家族でのバイブルタイムの時に、次女が

「Please meet whatever need dad has, maybe a pair of socks」(お父さんに必要なものをどうぞ与えて下さい。くつしたとか)

というお祈りをした。おおよく知っているな、と感心した。というのは、今日も引き出しから取り出した靴下をはいて階下に行くと、靴下をはいているはずなのに足の裏が冷たい。あれれ、と思って足を裏返すと、こんな状態。

      ↓ 

しょうがねえな、と別の靴下をとりにもどり、はきかえて下りてくると、やっぱり足の裏が冷たい。あれれ、どうなってんの、と思って足を裏返すと、こんな状態。 →

(うう、お見苦しい物をお見せしてしまいました)

驚いて引き出しの中の靴下をかき出して調べてみると、どれもこれも穴だらけじゃないか!

どうなっているんだ。理由として、(1)アメリカの靴下は寿命が短い (2)家の床に問題がある (3)小生の足に問題がある。の3点が考えられる。家内の靴下にも結構穴があいているのがあるらしいから、これは(1)か(2)ではないかと思うのだが、(3)にも実は心あたりがある。家内とつきあいはじめてまもなくのころ、ニュージャージー州のスキ−場に日帰りで一緒にでかけたことがあった。その時小生がはいていたスキー靴がやけに小さく、足が窮屈だなあ、と思いながら滑っていたところ、とつぜんバキッという音がして、足が急に楽になった。なにが起こったのかと目をこらしてみると、プラスチックのブーツの両足とも、つま先から横側にかけて大きなヒビがはいり、中から赤い靴下をはいた小生の足が顔をのぞかせているではないか。自分のものとはいえ、破壊的な足に、そら恐ろしくなった。

今日は昼からたっぷり時間をとって、教授陣総出で大学院の入学願書を逐一吟味する。一つ一つエッセイや推薦状や大学の成績表やTOEFL、GREの点などを調べ上げ、他の願書と比べあいながら、誰をとって誰をおとすか決めるという、いつやってもタフな仕事である。

2/11/2003 学部長の栄転

しばらく前に高校同期のメーリングリストで、同級生のD君のお父さんの作と思われる短歌が週間文春に載っていたと紹介されていた。

「イラクにてテレビ取材の吾子の顔 つつがなかれと画面を見守る」

D君はNHKのカイロ支局からバグダッドへ長期取材中。親友のことを思えば、ますます、戦争にならなければいいがなあ、と願うばかりだ。一方で、いい加減早く落ち着いて、ご両親のそばで孝行してやれよ、とも言ってやりたい。自分ができなかったから、特にね。あと3年は単身カイロの予定だそうである。

シカゴ大学の物理科学系の学部長であるDavid Oxtoby 教授が今年6月をもって、カリフォルニア州のポモナカレッジの学長として栄転することになった。James Franck Institute の所長を経て、95年からは2期続けて学部長を務められ、この間に生物学と物理学の学際的な研究をする新しい研究所の青写真をまとめるなど、めざましいリーダーシップを発揮されたのが評価されたのだと思う。もともとは量子化学理論の研究者だったのが、いつのまにか管理者コースに入っていったわけだが、そちらの方面でも見事な実績を残された。Oxtoby 氏は敬虔なクリスチャンで、小生がシカゴに来た当初、よくふたりで学生主催の「科学と信仰」に関するパネルディスカッションにかり出されたりしたものだった。化学者の立場から生命の起源などについてわかりやすく解説されていたのが印象に残っている。また事あるごとにリーダーシップの難しさや目に見えないところでの気配りを教えてもらった気がする。大学院から27年間ずっとシカゴだったそうだが、カリフォルニアでの新しい仕事に、神様の恵みと油注ぎがありますように。長いことありがとうございました。

2/10/2003 創世記1章と自然科学

友人のDr. Lukeからの質問に答えた小生のメール(一部加筆)。同じ文章が彼のホームページの論考集のコーナーにも掲載中。

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どうもルークさん、返事が遅くなってしまいましてごめんなさい。

地球物理学者の立場からGap Theoryにもとづく創世記1章の解釈についての意見を、というご注文だと理解していいですね?

私自身は、Gap Theoryにはいくつか問題があると思っています。純粋に地球物理学的な見地からは、化石や年代測定からギャップを特定することはむずかしいという点です。「ギャップ」をどうとらえるかにもよるのでしょうが、たとえばスコフィールドのように、神のさばきによってそれまでの生き物がすべて死に絶えてしまった時期、というふうに考えるならば、地学的にそのような時期があったという証拠はありません。仮に現代のホモサピエンスが登場する前、たとえば10万年前としますと、ワニとかサンショウウオとか、何百万年も前から現在にいたるまでほとんど形状を変えずに至っている動物は、どうやってギャップを乗りこえることができたのか、ということが疑問です。またホモサピエンスに先立ついくつかのヒト科の動物も、相前後する形でかなり長い間存在していた形跡があり、すべてが不連続になっている時期というのはみあたりません。

Gap Theory にとどまらず、創世記1章の解釈に関する諸説にはそれぞれ一長一短あり、取捨選択に迷うところです。また、これは一ケ所の解釈を超えた信仰と科学の関係一般にもかかわることですので、以下に小生の考えを大雑把にまとめてみます。

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聖書の記述の中には、自然科学の知識に照らしてどう解釈していいのかわからない、という箇所が少なくありません。そのことで鼻から聖書の信ぴょう性を疑う人もいれば、クリスチャンの間でも意見が大きくわかれていることもあります。聖書の冒頭部分である創世記1章、創造の過程の解釈がよい例です。10人のクリスチャンに聞けば、10通りの返事が期待できると言っても過言ではありません。よく知られている説だけでも、Young Earth Creation (創造の科学)、Day-Age Theory、Gap Theory、Theistic Evolution、Hugh Ross に代表されるProgressive Creation、Gerald Schroeder の相対論的創造などが挙げられ、それぞれに聖書解釈と近代科学の整合性を探っています。

これらひとつひとつの説を吟味するスペースはここにはありません。創世記1章の解釈をライフワークにしている人で、最新の科学的なデータの知識がなければ、どの説がどの点でもっともらしくどの点で不明瞭なのか、判断はむずかしいでしょうし、そもそも何通りも解釈があるということ自体に、落ち着かない気持ちになる人も多いのではないでしょうか。ここでは、具体的な解釈を持ち出すかわりに、自然科学にたずさわるクリスチャンとして、私自身が聖書を解釈するにあたり、自然科学との関係についてふだん考えていることを、一般的なガイドラインとして書き留めておきたいと思います。あくまで私見でありますが、考えるヒントになれば幸いと存じます。

(1)聖書の無謬性(Inerrancy of Bible) と創造の完全性(Integrity of Creation) を理解の前提とする。

(2)聖書解釈の手段としての神学と、被造物解釈の手段としての科学は、理想的には、両者とも正しく用いられた場合、調和するはずである。

(3)しかし現実には神学も科学も不完全なので、見かけ上の矛盾はおこりえる。特に、「絶対」という基準を置かず、つねに新しい発見の余地を残すのが科学のルールであるので、両者の関係は時間とともにかわり行く宿命にある。

(4)したがって現在ある矛盾には目をつぶらないが、あまり心配もしない。議論に直面したときは、それが神学的なものか、科学のルールを曲解していることからくる混乱かをみきわめる。

(5)聖書の目的は科学を教えることではない。近代科学の登場する前と後で、聖書のメッセージが変わったわけではない。しかし、科学者にいのちをあたえるのもまた、聖書の神である。

(6)自然科学は物質世界のはたらきを解明するのが目的であり、霊の世界、神の存在や介入については沈黙を保つ。しかし、それらを否定はしない。実際、科学の制約性の中から逆に創造主の存在を見い出すという人も多い。

(7)クリスチャンは「神の介入」を因果関係のひとつとして科学の学問体系に積極的に取り入れるべきだという意見があるが、いかがなものか。客観性が科学の礎石であり、神を持ち込むことは主観的な操作に陥る危険がある。(大多数の科学者をのけぞらせ、ますます神から遠ざけることは必至。)科学は、神を知る人にも知らない人にも同じように門戸が開かれているということが大事で、それが神を知る機会を広げることにもなる。

(8)そもそも自然科学がなりたっていること自体が、被造物の秩序という創造主ぬきには考えらない現実によっているのであり、それだけで神を証している。

(9)科学者が被造物をまじめに研究してたどりついた結論は、まじめに聞く必要がある。なぜなら被造物は神の性質をあらわしているはずだからである。

(10)であるからして、たとえば、地球の年齢は約45億年というのが大多数の科学者の意見なら、実はそう見えるだけで1万年前に45億歳の地球が創造された、と主張するのはやや無理がある。「いつわりの証をすることなかれ」という神が、自らまじめな探求者をあざむくとは思いがたい。

(11)偶然にもとづく進化論は、神の存在を否定する前提で展開されるなら拒絶するが、科学が神の介入に関して沈黙を保つのがルールである以上、生態系の時間発展を理論化するのに「確率過程」という概念を導入せざるをえないのはむしろ自然なことで、それ自体には問題を感じない。しかしそこから世の中すべて偶然の積み重ねという結論が出てくる必然性はない。

(12)ことわっておくが、もちろん、キリストの肉の甦りも、アダムとイブの創造も、聖霊のバプテスマも、奇跡の数々も、私はそっくりそのまま信じている。

(13)以上のことすべてについて、論理だった反論をすることは、もちろん可能である。しかし、信仰と科学の整合性についての議論は、人とキリストの関係においてなされるのでなければ空しい机上の空論である。人が求めるべきものはキリストであって、すぐれた聖書解釈ではない。聖書によれば、何を信じるかでわれわれの永遠が決定され、永遠のいのちにいたる道はイエス・キリストしかない。そして、このことについての解釈は一通りしか存在しない。

以上であります

2/7/2003 問題の多い沈降モデル

やはり、風邪をひいていると注意が散漫になるようで、指輪も腕時計もオフィスの鍵も全部家に忘れてきてしまった。建物の鍵を管理している施設係の人がたまたま席をはずしていて、ペイジャーで呼び出してもらうまで時間がかかり、なかなかオフィスに入れなかった。

昼のfaculty lunch はポスドクのPam Martin による、地中海の熱塩循環と海底の腐泥(sapropel)分布の関係についての考察。地中海は比較的降水の多い西海盆と乾燥していて蒸発の多い東海盆にわかれている。したがって、現状では東海盆海面での塩度が高く、これが密度の高い海水の沈みこみを起こし、熱塩循環を生成しているのだが、海底の腐泥分布から察するに、過去にわたって恒常的にこのような熱塩循環があったわけでなく、循環が弱かったかまたは逆向きだった時期もあったようだ。そこで、デルタ18O の勾配を用いて過去の塩度分布を推定したり、マグネシウムと温度の相関を用いたりして、熱塩循環の歴史を拘束しようというのがねらいらしい。らしい、というのはまだ研究が計画段階で、具体的な成果が得られていないからである。

ひきつづき、1時半のセミナーはコロラド大学のINSTAARのJames Syvitski によるコミュニティー沈降モデルの開発について。海の中で物質が沈澱して地層になるまでの経過をモデル化し、オープンソース化する話だが、大気海洋モデルと違って簡単に比較できる観測がほとんどないため、モデルの正当性そのものを測ることが極めて困難だ。それに、パラメタライズしなければならない物理過程の中には、粉粒体のふるまいなど、それこそセル・オートマトンではシミュレートできてもマクロの連続体方程式自体が知られていないものも含まれている。したがって、シミュレートすることはできても、沈降過程そのものの物理的理解には役に立ちそうもない。うーん。あまり納得できない。

90年ころから持っていて、最近はオフィスでほとんど使うことのなくなったドットマトリックスプリンターをきょう処分した。また、94年から使っていた前々々世代のMac も処分に出した。(しかし、88年製のMac IIx がまだ動いているが。)開いたスペースに、Power Mac G4 のdual processor モデルと23インチのシネマディスプレイを入れるべく、コンピュータストアに伝票を持って行く。納品はしばらく先になるそうだが、たくさん買い物をしたため、3匹のビニーベイビーをおまけにくれた。娘達のお土産に持ち帰る。

2/6/2003 海面温度に対する大気の応答

hh、がぜぼびいだ…。ぐるぢい。喉ど頭が痛い。鼻がづばっでいるぐぜに鼻水が流れっばだじで、どうじようぼだい。

火曜日に学生をせっついて宿題を回収し、今日までに次の宿題を作ってくるはずだったのが、風邪で寝込んでしまい、間に合わなかった。しかたがないので、去年の8月にでたJournal of Climate の特別号からHeld et al. の海面温度強制に対する大気の定常応答のレビュー論文をコピーし、来週までにこの論文と、参考文献の中からもう一本選んで読んでくるように命ずる。浅水方程式系の強制ロスビー波の問題が現実の気候にどう関連しているのかについて、実際に論文を読みながら考察させようというねらいである。熱帯の海面温度偏差に対する中緯度の応答については、80年代の初頭から現在にいたるまでかなりよく調べられているが、中緯度の海面温度偏差に対する応答については、諸説あって未だに結論が収束していない。(これはただちに、NAO における海洋の大気への影響という問題にからんでくるわけだが。)

きょうはこのほか、きのうの夜中のうちに運び込んでおいた回転水槽を用いて、地形による強制ロスビ−波のデモンストレーションをやった。風邪でもうろうとしていたわりには、うまく行った。ドーナツ型の水槽の底を傾斜させ、内側ほど水が浅くなるようにしてベータ効果を表現。底の一ケ所をさらに少し高くして「山」とする。この状態で水槽をレコード・プレーヤーの上に乗せ、毎分45回転で水が剛体回転に落ち着くまで待つ。そして水槽の内側の部分にインクを落として水を半分だけ着色。(回転しているため、テイラー=プラウドマンの定理によりインクはカ−テン状に縦にのび、横方向にはまざらない。)それから、レコード・プレーヤーの回転数をおもむろに33回転に落としてやると、慣性により水槽の水に流れが生じ、その流れが山をこえるところで渦が押しつぶされることによって、風下ロスビ−波が発生する。インクと水の境界が蛇行して、美しい波列が現れた。

hh、ぞでにじでぼ、がぜがじんどい。ぼう寝でじばいだいどごろだのだが、ごれがら教授会の議事録ぼががねばだらだい。

2/5/2003 Joseph Addison (1672-1719) Chief Secretary for Ireland, British hymn writer

The spacious firmament on high, With all the blue ethereal sky, And spangled heavens, a shining frame Their great Original proclaim. Th'unwearied sun, from day to day, Does his Creator's powers display, And publishes to every land The work of an Almighty Hand. Soon as the evening shades prevail The moon takes up the wondrous tale, And nightly to the listening earth Repeats the story of her birth; While all the stars that round her burn And all the planets in their turn, Confirm the tidings as they roll, And spread the truth from pole to pole. What though in solemn silence all Move round the dark terrestrial ball? What though no real voice nor sound Amid the radiant orbs be found? In reason's ear they all rejoice, And utter forth a glorious voice, Forever singing as they shine, "The hand that made us is divine."

2/4/2003 力学と学力

4時半に講義を終えてオフィスに戻ってくると、留守電にメッセージ。シカゴ・デイリ−・ニュースの記者が、最新のサイエンス誌に掲載中のHoerling & Kumar によるラニーニャと全球規模での旱魃の関係についての論文を紹介する記事を書くにあたり、基本的なことをお聞きしたいので至急電話してくれとのこと。ラニーニャやエルニーニョは必ずしも自分の専門じゃないが、public relations も科学者にとっての大切な務めであるから、オンラインで問題の論文をダウンロードしてさっと目を通す。基礎的なところでウソを言ったりしないように、PMEL のエルニーニョ・ウェブに行って、事実関係をいくつか確認。その上で、留守電に残された電話番号に電話をかけ直す。トコロガ、出てきた記者本人はいともそっけなく、「あ、もう原稿を出してしまいました」。やれやれ、せっかく短時間(30分くらい)でリサーチしたのに、やはり新聞社というところは、尋常でないスピードで物事が動いているのですな。大学の研究者の時間の感覚とは、雲泥の差である。このメンタリティーの違いが、メディア(というか、企業一般)と大学が協力することのバリアーのひとつになっていると思う。誰かが言っていたが、企業にとっては「時は金なり( Time is money.)」だが、大学の研究者にとっては「時は時なり( Time is time.)」なのだ。

最近インターネットで日本の新聞を読んでいて、文科省の新しい学習指導要領がさらなる学力低下を招くとか招かないとかいう論評に出くわした。この手の議論は今に始まったことじゃないと思うが、いつも感じることは、「学力」って一体何だ、ということである。「学ぶ力」と言っても分かったようでわからない。英語では「academic ability」とか「scholastic ability」などという訳語が当てられているようだが、大学の同僚や学生と話をしていて、このような漠然とした単語を使うことは滅多にない。アメリカには政府による指導要領みたいなものはないかわり、大学に入学してくる学生についての「学力」については、けっこう具体的にいくつかのチェックポイントがある。たとえば「problem solving skills (問題を解く能力)」、その中でも「analytical(分析力)」「quantitative(数量理解)」など。これらは、まあ、試験の成績である程度わかるから、はっきりしている。また「verbal(言語運用)」に代表されるコミュニケーション能力。それと、特に重要視されるのが「critical thinking (批判的思考)」。「批判的」というと聞こえは悪いが、要するにアイデアの受け売りでなく、自分で考える態度である。これは主に願書に含まれるエッセイ(小論文)で見る。知識の量は、最重要項目ではない。質の方が重視される傾向にある。こう考えると、指導要領みたいなものは、生徒のどういう特性をどこまでのばすのかゴールを具体的にすることで、ある程度絞られてくるのではないだろうか。

小生は高校のころ、物理の成績はぱっとしなかった。先生の言うとおりにやって問題の答えを出すことはできても、何かわかった気にならず、いろいろ勝手なことを思いめぐらして、時間がムダに過ぎていってしまったのだ。たとえば、どうしても納得できなかったのが、ビー玉の完全弾性衝突。二つのビー玉を隣あわせておき、ひとつを指で押さえる。この指で押さえた方のビー玉に、3つめの別のビー玉をころがしてぶつけると、はねかえることなく静止し、押さえたビ−玉の反対側に止まっていたビー玉が代わりに動き出す。3つのビー玉について、衝突前と衝突後での運動量とエネルギーの保存則を解けば、そうなることはすぐわかるのだが、どうも釈然としない。ころがって来たビ−玉と、衝突後にころがり出すビー玉は直接接触していないのにどうやって運動量をやりとりすることができるのだろう。衝突に際して、指で押さえたビー玉は動かないわけだから、このビー玉を介して運動量が伝達されるというのではなさそうだしーー云々。もちろん、これは小生が、撃力の性質(と作用反作用)について正しく理解していなかったことからくる混乱だったわけなのだが、当時は単に自分の頭が悪いせいだと思って観念していた。今から思うと、悪い頭なりにcritical thinking をしていたのかもしれないと思う。少なくとも、運動量保存則やエネルギー保存則には撃力はあからさまに入ってこないわけだし、力学のメカニズムはそこに埋もれてしまっている。そこが気持ち悪かったのだ。(ただ、残念ながら、授業ではその気持ち悪さを解決するヒントは得られなかった。)

実は25年たって、いまだに似たようなジレンマに悩んでいる。地球流体力学の、ロスビ−波の西進というやつだ。スタンダードな理論では、線形化したポテンシャル渦度保存の式に波型の解を代入することで、数学的な解としては簡単に示すことができる。しかし、なぜ西向きなのか、ということを物理的に単純に説明するのは困難なのだ。(ポテンシャル渦度の移流によって生じた渦度偏差が循環を誘起し、その循環がポテンシャル渦度のコンターを西向きに動かすという説明は、教科書では定番だが、結局ポテンシャル渦度保存を冗長に言い換えているにすぎず、より明解な説明になってない。)Critical thinking も解決の糸口なしにはあまり役にたたない。どなたか、妙案のある方、教えてください。

2/3/2003 養目茶の季節

どうもここのところ左目の視力が目に見えて(というか見えなくなって)衰えている。右目は相変わらず千里眼のため、アンバランスのせいか頭が痛い。おそらくは乱視に眼精疲労が重なったとかそんなことなのだろうが、今日は特に体がだるいので、大学を休んでしまった。ラップトップの画面の細かい字を読んだりするのが最近苦痛になっているのは、老眼ということなのですかね。あまり仕事にさしつかえても困るので、大学病院に電話して眼科の予約をとる。そんなわけで、昼間はほとんどコンピュータに向かわず、もっぱら地下で実験器具の修理。

スペースシャトルの事故。うーん、いろいろ思うことはあるけれど、まず、クルーの御遺族の方たちのためにお祈りいたします。

数年前にNASA のある人工衛星計画の審査委員会に加わった経験から言うと、たしかに今のNASA の現場は、ひっ迫財政の中で能率性向上のお題目のもと、相当なプレッシャーにさらされながら仕事をしているという印象はある。しかし、じゃあ財政事情がよくなれば事故がなくなるかといえば、必ずしもそんなことはないだろう。(でも小生はFeynman のように「NASA のやってることはRussian roulette だ」などとは言わない。)しかし、こういう事故のあとは、エンジニアたちに何らかのモラルサポートが必要で、ブッシュ政権がNASA の来年度予算に上乗せした5億ドルが(たとえ付け焼き刃だったとしても)しかるべき目的に用いられてほしいものである。宇宙での実験結果を楽しみにしていた中高生の夢を壊さないためにも、神の創造された宇宙についてのawe-inspiring な観測を続行するためにも(小生の研究のかなりの部分はNASA の衛星観測に頼っている)、ここはNASA の皆さんにふんばっていただき、国民に「そんな危ないものに税金をつぎこむのはやめてしまえ」と言わせない、より安全性の高い次世代の輸送システムを開発してもらいたい。

ちなみに、1986年1月のチャレンジャー号の事故は、ケネディー大統領暗殺、最近では9.11 と並んで、今の世代のアメリカ人にとって忘れることのできない国家的悲劇に数えられている。よくアメリカ人の間では、「ケネディー暗殺の日、自分はどこでなにをしていた」というような会話がなされる。小生はケネディー暗殺を覚えているほど年をとっていないが、チャレンジャー号の事故のことはよく覚えている。その日はコロラド州スノーマスのスキ−場のゲレンデでスキーをしていたのであった。ゲレンデ脇のカフェテリアに「Shuttle blows up」のサインが出た時、何のことかよくわからず、宿舎からスキ−場まで来るのに乗ってきたシャトルバスに爆弾でも仕掛けられたのだろうかと、とんちんかんな想像をしたことを思い出す。で、今回の事故のニュースを聞いたのは土曜の朝、教会のワーシップチームの練習の時だった。

明るいニュースが少ない昨今、元気の出るワーシップ・ソングは小生にとってリポビタンDみたいなもの。家内も書いているように、Paul Oakley は確かによい。しかし、元気がでるという点では、何と言ってもこれです。フロリダ州のパームビーチ・ガーデンズにあるChrist Fellowship Church のワーシップチームによるライヴ。オリジナルの名曲が目白押し。その中でも、オープニングと、タイトルカットと、Unspeakable Grace が特によい。中村家おすすめの一枚。

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(c) 中村昇  2003