ホームぼぼるパパの部屋研究日誌2002年7月

日々の研究

by 

ぼぼるパパ

2002年7月25日

テルアビブ大学のPinhas Alpertのランチタイム・セミナーは東地中海からイスラエルにかけての気候の長期変動に関して。地中海全体では、モデル、観測とも近年の温暖化傾向に対応して降水量が減少しているにもかかわらず、イスラエルの地中海岸、とくに南部の砂漠地帯に隣接している地方では年間降水量、とくに秋口の降水量が増加している点について、地域気候学の立場から考察していた。観測のフィールドとなった地帯には1964年から大規模な灌漑設備が入ったそうで、これにより土壌のアルベドが低下し、その分対流に使われるエネルギーが上昇し、対流性の降水量が増えた、というのが基本的なシナリオ。また、降水が増えることでさらにアルベドが低下するという正のフィードバックがかかり、1970年代にCharneyが提唱した砂漠化力学の逆のプロセスが働くという仮説も主張している。一般に気候変動の原因特定は難しいが、このセミナーに関しては多角的な解析からかなり信ぴょう性がありそうで、土地利用の効果が気候に及ぼす影響について、少なからず真面目に考えさせられた。1996年に訪れたイスラエルの印象は、エルサレムより南側はただひたすら乾燥した場所というイメージだったが、イザヤ書35章にある、砂漠が緑溢れる地にかわる日のことを思わずにはいられない。

Pinhasのセミナーに引き続き、小生のセミナー。それにしても、夏休みの時期に入ったため、先週までとくらべて出席者の人数の減ったこと。わずか4人である。あろうことか、「ちゃんとやってくれたまえ」と言っていたオーガナイザーまでしっかり欠席しているではないか。さいわい、Michael McIntyreとPeter Haynesは律儀に来てくれたので、少人数ながら、例によってインタラクティブでにぎやかなセミナーとなった。論点は、テクニカルなことよりもむしろ、ロスビー波の砕波を南北成分に分解することの意義そのもの。たしかに化学物質の分布とその時間発展に関するかぎり、有効拡散係数さえわかればよく、フラックスを南北成分に分解する必要はない。しかし、たとえば流体中にばらまかれた(拡散の影響を受けない)粒子が(拡散の影響を受ける)トレーサーの場の中をどう分散していくのかを考える上では、有効な手段であると思われる。このへんのところは、論文にする前にもう少しゆっくり考える必要がありそうだ。

セミナーのあと、久しぶりにPeter Haynesと時間をとって、今後の研究の方向性などを話した。

さて、小生のケンブリッジでの公式行事はこれでおしまい。土曜日には家をひきはらい、PeterboroughでのFaith Campに一週間参加して、8月4日にシカゴに戻る予定。

2002年7月24日

不規則な生活も毎日続けていると規則的になるように、引っ越しのどたばたもだんだん慣れてきて、もはやあまり不便を感じない。とはいえ物理学はいよいよ片手間になってきて、今日はついにオフィスに行きそびれてしまった。本当なら、締めくくりに同僚の連中とじっくり議論をして行きたいいくつかの問題があったのだが。たとえば、「ポテンシャル渦度思考は本当に地球流体力学の理解を深めたか。」という問題。たしかに、完全流体のハミルトニアン構造に由来するポテンシャル渦度保存則と、ある種のバランスのもとでポテンシャル渦度から流れが逆算可能であることが大規模な流れの時間発展を決定づけるという見方は、流体運動の記述としてとても「簡潔」であることは小生も認める。しかし、この見方をとると、ポテンシャル渦度の運動(kinematics)を除いては、力学の本質はすべてポテンシャル渦度と流れの関係(楕円型のオペレータ)に埋もれてしまい、ブラックボックス化してしまう。これは必ずしもプロセスの理解に役に立たないのではなかろうか。たとえば今はやりの成層圏の対流圏への影響でも、海面の気圧変化の一部は成層圏のポテンシャル渦度の変化に対する流れの応答である、ということはできようが、じゃあどういう力学的プロセスをへて海面気圧が成層圏の力学に応答するのか、という記述はすっぽり抜け落ちてしまっている。ブラックボックスを使うことで記述の必要がなくなってしまうので、プロセスがわからなくても議論はできてしまう。つまり、わからないのにわかったような気にさせる危険をポテンシャル渦度思考は秘めていると思うのである。

もうひとつは、「強いポテンシャル渦度勾配は本当に輸送障壁の原因か」という問題。輸送障壁の場所にしばしば強いポテンシャル渦度勾配が現れることは周知の事実だが、ここで問題にしているのは因果関係である。小生の感触では、強いポテンシャル渦度勾配は、むしろ輸送障壁存在の「結果」として生まれるものではないかと考えている。それにどんなにつよいポテンシャル渦度勾配があっても、流れの強さと向きによっては、強制ロスビー波が自由波と共鳴して砕波(混合)をおこすことは十分可能だからである。ケンブリッジはこれら既成概念の発祥の地であるだけに、このような議論は有益だと思っているのだが、時間がたりないようだ。お互い忙しくて6月に入ってからはホストのPeter Haynesとすらほとんど話をしていない。せめて明日のセミナーで多少のフィードバックがあるといいのであるが。長男の相手をしながら、わずかに残ったトランスペアレンシーに図面や要点を印刷していく。

2002年7月23日

ケンブリッジに来てから丸一年経過。ここを離れるまであと4日である。家の荷物の発送は大体終了。汚れた壁の塗り替えや庭の手入れも終了。帰国便のチケットも到着。(今回は紛失しないようにしないと。)しかし、まだまだ身のまわりのこまごまとしたものを片付けなければならない。子供の学校は25日まであるので、朝夕の送り迎えや友だちの家への送り迎えがあいかわらず続いている。あすは三女の誕生会だ。おまけに長男はここへ来てついに直立歩行に開眼し、地下から3階まで階段の上に住んでいるような我が家では、ますます目が離せなくなった。当然家内はてんてこまいの忙しさで、その時期にのうのうとセミナーの準備などをしているのはすごく気がひけるのであるが、やると決めた以上、手は抜けない。ロスビー波の非対称的砕波の数量化について、ラップトップとにらめっこしながらトランスペアレンシーの絵を作る。今回は原稿を書いているひまはないので、絵だけ整えたらあとはぶっつけ本番だ。昼からはIDLをバックグラウンドで走らせながら、手前でプロポーザルのレビューを書く。

改訂したJAS論文は今日無事受理された。

2002年7月22日

折角暑くなったと思ったら、週末からは最高気温が20度を割り込むという、冬のような夏に逆もどり。セーターが手放せない。

土曜日の「ディラック生誕100年記念講演会」は非常に楽しくためになった。量子力学は全く専門外の小生がディラックに惹かれる理由は、方程式に徹底して「美しさ」を要求したそのスタイルに多分に共鳴するからである。(共鳴するだけで真似はできない。)1939年の「数学と物理学の関係」と題した講演の中でディラックは、「(理論の)シンプルさと、数学的美しさは、その前提となる部分において一致することが多いが、もし両者が相容れない場合には、後者が優先されなければならない。」と宣言している。電子のスピンに関する方程式の導出と、ほとんど奇跡的とも思えるオマケの(?)反粒子予想は、まさに彼のスタイルを凝縮した成果であったと思う。しかし、ひとこと言うなら、理論に数学的美しさだけを求めてオマンマを食って行こうと思ったら、やはりディラック級の頭が必要だと思う。

一週間にわたるストリング理論会議のしめくくりとして企画されていたので、聴衆には分野の専門家が大勢いたはずだが、講演はどれも一般聴衆にわかりやすい内容で興味深かった。最初にディラック家を代表してお孫さんのVictoriaがあいさつ。本当は娘さんのMonicaが来るはずだったのだが、残念ながら先週ディラックの奥さん(つまりMonica女史のお母さん)が97歳でなくなった(ディラック本人は1984年に82歳でなくなっている)ため、Victoriaがピンチヒッターでお母さんの原稿を読み上げた。ディラックは物静かな性格で、犬は吠えるから嫌いだったとか。彼が娘の学校の数学の問題を手伝ってやると、いつも先生から学校のやり方と違うと注意されたそうだ。

2番手は英国物理学会の大御所Michael Atiyah卿。個人的にはこの人の話が一番面白かった。虚数が代数、解析、幾何、物理において意味するところから説き起こして、ハミルトンの四元数と非可換性、その解析学への応用としてのディラック・オペレータ、スピノルの幾何学的解釈などなど。次に演壇に立ったのはプリンストン高等研究所のEd Witten。ディラックの仕事がどのようにして現在のスーパーストリング理論につながってくるかということのレビュー。スーパーストリング理論とアインシュタインの重力理論との関係など。30分の休憩をはさんで、Stephen Hawking氏登場。話の中身は基本的にはストリング理論の現状(とくにMセオリー)のやんわりした批判という感じだった。ゲーデルの不完全性定理を引き合いに出して、完全無矛盾な物理法則はない、したがって宇宙のすべてを完全に記述する理論はないという結論だったが、「物理法則」をどう定義するのか聞き逃してしまったようで、ロジックのつながりがいまいちピンとこなかった。(このあたりはしかし、同業者のPenroseの影響を多分に受けているかもしれない。)しめくくりは、自ら学生時代にディラックの講義を取ったというSt. John's CollegeのPeter Goddardが、ディラックの残した書簡や写真などを交えて、数々のエピソードを紹介。

学生のころは難解な教科書の著者とデルタ関数の作者くらいの認識しかなかったディラックだが、今回様々な側面を知ることができ興味深かった。ハイキングが趣味、プリンストンで奥さんを見つけたことなど、全然関係のないところで小生と共通の背景もあったりして、運命的なものを感じる。わけはないか。

2002年7月19日

7月も中旬をすぎると、ケンブリッジから大学生の姿は消え、かわって観光客がどっと押し寄せてくる。それと、アジア人を中心とした、中学生ぐらいの団体。カメラをぶらさげて歩道いっぱいに広がって歩いているので、通勤のさまたげになることおびただしい。しかし、ここ1週間ばかりはケンブリッジらしからぬ暑い晴天の日が続いていて、いよいよソレロの夏到来という感じだ。

ロスビー波砕波にともなう北向きと南向きの質量フラックスが分離可能になったことは前にも書いたが、この二つの量と有効拡散係数の間にどういう関係があるのかについて、しばらく考えていた。運動学的に厳密になりたつ微分方程式はひとつあるのだが、有効拡散係数を質量フラックスの関数として解くことはできず、あまり役にたたない。そこでいくつかの仮定を入れて、トレーサーのフラックスを質量フラックスを用いて書き下してみると(つまりFickの拡散理論をなぞっていくと)、近似的に、有効拡散係数は北向きと南向きの質量フラックスの自乗和に比例するという結果がえられた。ほんまかいなと疑いつつ、この近似式を用いて有効拡散係数を試算してみると、驚いたことに厳密な計算に限り無く近い分布が得られたのである。ケンブリッジに来てから興奮するような発見はいくつかあったが、きょうのはおそらく1、2を争うインパクトだろう。これによって質量輸送だけでなく、有効拡散係数も北向き砕波と南向き砕波の寄与分に分解することが可能になったのである。また、トレーサーによる診断と粒子移流による診断の接点となる結果でもある。8年前の有効拡散係数の発見以来、最も重要な進展であると(ほぼ)断言できると思う。残り一週間になってこのような結果が出るとは思わなんだ。Thanky Jesus!

さて明日は午前中はD氏を連れてケンブリッジ観光、午後はストリング理論会議をしめくくる「ディラック生誕100年記念講演会」を学科に聞きに行く予定。

2002年7月18日

南フロリダ大のBoris Galperinによるセミナーは、ベータ面と球面上の順圧地衡風乱流において非等方性がスペクトルに与える影響について。Borisは昔、小生が大学院生だったころ同じプリンストンの地球流体力学研究所で研究員をしていた。そういう人は結構多く、彼らが今やあちこちで活躍しているのは感慨深い。さて、ベータ乱流ではジェットが生成されることはよく知られているが、このときx方向とy方向でエネルギースペクトルを測ってみると傾きが異なっており、コルモゴロフの-5/3乗則はy方向にのみ現れ、x方向には-5乗則があらわれる。この-5乗則はロスビー波に由来する3波長共鳴の帰結であり、この結果の普遍性はエネルギーが散逸するスケールが十分大きいことが条件となっている。ここまではよかったが、この理論を木星や土星などの巨大ガス惑星に適用するにあたり、まさつによる大きな空間スケールでのエネルギー散逸を当然のように前提としているのはいただけなかった。そもそも、地表のないガス惑星における「まさつ」とは何によってもたらされるのか。これがはっきりしない以上、モデルが先走っている感じをぬぐえない。

Borisのセミナーのあとヒースロー空港へ級友のNHKのD記者を迎えにいく。乗り継ぎのロンドンの地下鉄が乗組員のストライキで夜の8時まで止まっていることを知らず、あわや遅刻かと思われたが、D氏の通関手続きにも相当時間がかかったため何とか間に合った。2年ぶりの邂逅である。D記者は去年のニューヨークのテロ以来、アフガニスタン関連の取材でテレビに出ずっぱりだったから、おそらく読者にも見覚えがあるのではないか。テヘラン、エルサレムにつづき、4年間のカイロ支局赴任だそうで、100キロ近い荷物をかかえて現れた。(それなのに手みやげをどっさり持ってきてくれて、いたく恐縮する。)タクシーでロンドン市内のホテルまで行き、夕食を近くのポルトガル料理屋で食べる。中東情勢やアフガン情勢、また昔話などに花をさかせ、10時半におひらき。土曜の午前中には彼がケンブリッジを訪れることになった。D氏をホテルに落とし、そのままタクシーでキングス・クロスの駅へ向かうが、何でこんな時間に、と思うような大渋滞に巻き込まれ、すんでのところでケンブリッジに帰る電車に乗り遅れるところだった。地下鉄にしておけばよかった。帰宅は夜の一時。

本日は三女の誕生日で、満5歳になった。おめでとう、ま〜や。

2002年7月17日

11日に思い付いたアイデアと5月1日に思い付いたアイデアを組み合わせて成層圏のトレーサー解析をしてみると、予想外に面白い結果が得られた。1998年12月は北半球でも南半球でもロスビー波の砕波が顕著に見られた月であるが、新しい診断法では、両半球とも、南向きの砕波と北向きの砕波にともなう質量輸送がきれいに分離されていて、しかも有効拡散係数に比べ、個々の砕波エピソードが際立って表現されている。トレーサーの極投影を見ただけでは定性的にしかわからない砕波構造がかなり客観的に定量化できている感じだ。2枚組のHovmollerダイヤグラムにしてみるとなかなかいいぞ。ふむふむ、これで来週のセミナーのネタは何とか揃いそうだ。ひょっとすると有効拡散係数以来のヒット商品になるかもしれん。(が、ならないかもしれないので、とりあえず今のうちだけでも鼻の下を長くしておこう。)他に2つほど書かねばならぬ論文があるため、文章になるのは秋以降になるだろうけれど。

もはやシカゴに帰ってからやることに照準を合わせなければならない時期になってしまった。11月のテキサスでの中層大気会議のプログラムが送られてくる。トレーサー相互関係に関する小生の発表はまたしてもポスターにまわされた。口頭発表の方が準備がずっと楽なのでそっちに希望を出しておいたのだが。しかし、考え直してみると、込み入った理論を10分やそこらで発表するのは相当無理があるので、ポスターをじっくり見てもらうほうが効果はあるかもしれない。ただ、こんどは講義を教えている最中なので、ポスターボードのつぎはぎなどで時間をとられたり、腰に負担をかけるのはおっくうだなあ。

2002年7月16日

クイズに応募された方ですでに連絡のとれた5名の方に宛名書きをはじめて、北は北海道から南は沖縄の方までいらっしゃることが判明。つまり、こんな、書いてる本人があとで読み返して意味が分からなかったりするような怪文を、全国津々浦々(ひょっとして世界中?)で読んで下さっている人たちがいるというわけで、実におそれおおいことである。もともと、もの好きな同業者の役にでも立てばと思って公開に踏み切った研究日誌を、結構一般の方が読んでいらっしゃるもようである。これは意外であると同時に、あまり読み過ぎてお腹をこわさぬよう、注意をうながしておきます。(小生はこれが仕事だからいいけれど、ふつうの人には消化困難な内容が多々含まれているので。)それから、クイズに応募して下さったみなさん、お一人お一人にゆっくり返事を書いている時間が申し訳ありませんがございません。絵葉書だけ不作法に届きますがお許しのほどを。

帰国準備のどたばたの中で寸断された時間をつぎはぎしながら、farewell talkのための計算や、期限の迫っているプロポーザルのレビュー、論文の書き換えなどに追われている。なぜかあと2週間を切ったところで、娘の学校の学芸会や運動会、はてはディスコ大会など、こっちの予定には入っていなかった行事が突然降ってわいたようにアナウンスされ、いよいよ時間のやりくりが難しくなってきた。セミナーの責任者にさりげなく、「もうケンブリッジでは何回も話したし、若手に時間をゆずるのはやぶさかでないんだが」と打診するも、「だめだめ、みんな君の話をききたがってるんだから。ちゃんとやってくれたまえよ」と、一蹴されてしまった。

さて、木曜日に小生の中学時代からの級友、某NHK国際部D記者にヒースロー空港で会うことになった。カイロ赴任の往路だそうである。2年ぶりの邂逅、たのしみである。

2002年7月15日

先週のクイズの答えは(a)、(a)、(b)でありました。

(1)初期量子論の発展に貢献したPaul Diracは、ケンブリッジに着任した翌年の1933年にシュレディンガーとともにノーベル物理学賞を受賞し、1969年の退官までLucasian Professorshipを勤めた。Diracのあとを継いだのが、航空流体力学で貢献のあったJames Lighthill。1979に彼の後を継いだのが、現職Stephen Hawkingである。このパネルは学科の入り口を入ったところにかけてある。ちなみにLucasian Professorではなかったが、George BatchelorはG.I. TaylorやKolmogorovとならぶ20世紀の流体理論の重鎮である。とくに、小生が今いる応用数学理論物理学科を1959年に設立したり、Journal of Fluid Mechanicsを創刊したりと、その功績は多大だった。

(2)小生がケンブリッジに来てからファンになったものはギリシャ料理。とくにSt. Andrews Streetのレストラン「Varsity」は店内も店員もあか抜けていて、とてもよかった。とくに気に入ったメニューが肉や野菜のくし焼きであるスブラキ。(しかしこれには異論があって、小生がスブラキだと思っていたのは実はシシカバブだったのではないかという声もある。どなたか、スブラキとシシカバブの違いを知っている人は教えてください。)ちなみに、韓国焼肉の代表メニューであるブルゴキはかねてからのファンだが、残念ながらケンブリッジには手ごろな韓国料理のレストランが見当たらない。20世紀前半に結成されたフランスの数学者集団であるブルバキはその大著、数学原論で名をとどろかせたが、小生は本屋でぺらぺらと眺めたことがあるだけ。集合論とか、あまり得意じゃないもんで。

(3)去年の7月末、ケンブリッジに来てまもなく、小生たちはKingdom Faithの主催する教会のキャンプに参加。イギリスには珍しくたまたま非常に暑い週にあたり、キャンプグラウンドの中に来ていた小さなアイスクリーム・トラックが大繁盛。ここで買ったソレロ・エキゾチックというアイスキャンデーが、実にうまかった。スキムミルクのアイスクリームを、パッションフルーツ、マンゴー、ピーチなどのジュースをかためたものでくるんでいる。(ちなみに、これはイギリスだけでなく、全欧で売っています。)以後かなりはまったが、ある時家の近くのスーパーで類似品「ソロ」を発見して仰天する。類似品というのはたいがい元祖に比べて味が落ちるもんだ、と思いつつ食べ比べてみて、おもわず「ソレミロ!」と叫んだ小生であった。

もしみんながあてずっぽうに答えたとすれば、全問正答者は27人にひとりという計算になりますね。残念ながら今回、全問正解の方はゼロ。(不思議と、第3問は全員正解。しかし、第2問が全滅であった。)何も出さずにおしまいというのもさびしいので、応募総数もひとけたでしたし、出血大サービス、応募された方全員に絵はがきをさしあげまーす。

2002年7月12日

今日は三女と次女の学芸会のはしご。しかし、午後の次女の学芸会では長男が興奮して騒いだので、だっこして外に出るはめに。扉の外から遠巻きに覗き込むのがやっとだった。しかし、スケートの練習とちがって、見学の合間に計算をするなんていう手抜きはしなかったぞ。実際、両方ともなかなか気合いの入った劇で、目が離せなかった。

子供達も学芸会ラッシュだが、小生も25日に最後の「出し物」をすることになっているので、ぼちぼち準備をはじめる。きのう思い付いたアイデアをテストするために、Doug君からとりよせたトレーサーのデータを解析する。衛星の観測データでもよかったのであるが、鉛直方向の移流があると話がすこしややこしくなるので、まずは水平方向にのみ移流拡散しているトレーサーで試算することにしたのだ。一両日中には大勢が判明するであろう。

シカゴ大学の学科からときどき回ってくるEmailを読んでいると、1年るすにしている間に大分様変わりしているもようである。新旧交代というか、42年勤続の女性技官が定年退官し、ネットワーク・アドミニストレータも変わったし、二人の助教授があらたに就任したりと、まあ顔ぶれに随分変化が見られる。また同じ階のP教授はNSFから巨額のグラントをもらって自分の研究室を気候研究センターに改造し、大勢のポスドクをやとっているらしい。イギリスにいた1年もリフレッシングだったが、シカゴに帰ると浦島太郎になっているかもしれない。

2002年7月11日

きのうの日記の最後のところは言葉が足りなくて、何かずるをしているような書き方になってしまった。もちろんAmerican Mathematical Societyにはきちんと報告ずみ。しかし、報告はしても、漢字表記ができない以上、結局は読者には同姓同名の著者は判別できず、人の論文が小生の論文(あるいはその逆)と思われてしまう事態がおきてもやむをえない、という意味である。

さて、小生のfarewell talkは7月25日になった。同僚たちに「新しい結果を期待しているよ」とプレッシャーなんだかひやかしなんだかわからぬハッパをかけられて、ここへきてまたまた話のネタさがしに奔走することになった。乱流実験の方は少しずつデータがそろいつつあるが、解析が間に合うかどうかは微妙なところ。さーてどうしたもんかと思っていたら、どうも妙案を思いついたようだ。思いついたようだ、というのは、思いついた、と断言するにはまだちょっと不安があるからである。しかし、トイレの中、昼飯の間、銀行に行く途中と、ずっと考えても大きな穴は見つからぬようなので、ひょっとすると本当に妙案かもしれん。物質輸送の障壁がどのくらい障壁としての役をはたしているかということを、理想化したトレーサーの分布と拡散係数をくみあわせて定量化するモデルである。もともとはYongyunとの共著論文を改良するために考えだしたものだったが、これは速攻でデータ解析に使えそうだ。よしよし、これで行こう。

シカゴに帰ってからすぐ車を運転できるように保険のかけかえに関するファックスを送ったり、海外にいたため期限がのびていた税金の確定申告をオンラインで発送したり、シカゴに帰ってからの歯医者の予約を入れるため国際電話をかけたりと、引き続き帰国準備に追われている。

ところで、みなさん、クイズの応募はすまされましたか。あてずっぽう大歓迎。どうぞ清き一票を(あれちがうか)。月曜には解答を発表します。

2002年7月10日

朝起きると、ほぼ一週間ぶりに青空が広がっている。しかし、これで安心してはならないのがイギリスの天気だ。半年にわたって叩き続けてきたレンタルのコンガ2台を返送しに郵便局まで行き、しばらく放置してあった裏庭の芝生に手を入れていると、もはや空は雲に覆われ、昼御飯を食べる頃にはまたざばざばと雨になった。

今日は家内が用事で留守にするというので、家で1歳の長男の相手をしながらclosure理論の続きを考える。強制項はともかく、一番の難題は平均散逸率がトレーサーの平均値からのずれの絶対値の一次関数になる理由である。統計的定常状態においては、平均散逸率は流体要素の伸びによる増加と、拡散による減少がつりあっているはずである。かりに拡散はどこでも一様におこっていてトレーサーの値によらないとすると、平均散逸率のトレーサー依存は、平均伸び率がどうトレーサーに依存するかによって決まることになる。じゃあ、平均伸び率はどう決まっているのかということになるが、これがわからない。「おい、おまえ、わかるか」と長男に聞いてみると、食べていたパスタをブッと吐き出した。

しばらくこのテの照会は来ていなかったのだが、きょうAmerican Mathematical Societyから、この論文を書いたのはあなたですかという質問が来た。みると、N. Nakamuraの手になる論文が4つリストされている。2つは小生ので、残りのふたつは同姓同名の他人のものであった。さいわい気象学には同姓同名はいないのであるが、数学畑は広いとみえて、ほかにもNナカムラさんが活躍しているらしい。姓名とも漢字で書けばあるいは別人であることがはっきりするかもしれないが、あいにく日本名にはmiddle initialなるものがないので、ローマ字表記では区別のしようがないのである。まあ、アメリカ人には「こいつこんな数学の論文も書いてやがる」と思わせておくことにしよう。

2002年7月9日

昨日にも増して土砂ぶりの雨の中、子供達を連れて学校へ。オフィスにつく頃には、ただでさえ底がはがれかけているスニーカーがまるでスポンジのように水を吸い、一歩踏み出すごとにじゅくじゅくしみ出してくる。気持ちが悪いのでオフィスではずっと裸足でいた。

さてそのオフィスだが、危ぶまれていた帰国準備は思ったより簡単そうだ。もう使いそうもない本や書類を箱に詰めてみると、そもそもあまりものを持ってきていなかったこともあり、小さな箱2つに全部おさまってしまった。(ただし、机の上は紙やがらくたが散らかり放題だったので、整頓するのに3時間近くかかった。)それにしても、シカゴから空輸した20冊近くの参考書のうち、1年間で本当に「使った」といえるのはせいぜい4ー5冊。厳選したつもりだったのに、結局ほとんどは表紙も開かず、そのままシカゴへ送り返すだけになりそうだ。お金がもったいない。

Yongyunとの共著論文の中で、どうしても納得のいかなかったPDFのガウス型核と指数型裾野の分離について、平均散逸率と強制項をトレーサーの一次関数と仮定した上で導出することにようやく成功する。実はクロスオーバーのおこる条件のほかに、一次関数の係数間に拘束条件があるのを見のがしていたためにうまくいかなかったのだった。次の(より本質的な)問題は、平均散逸率と強制項がなぜトレーサーの一次関数になるのか(数値実験ではかなりよい近似でなりたつことがわかっている)ということだ。これはいよいよclosure理論であり、かなり思いきった仮定を入れないと容易には答えがでそうもない。

2002年7月8日

今日も雨の中、大きな小包を郵便局へ運ぶ。いっこうに暑くならないなあと思っていたら、ケンブリッジに長い日本人の友人が、「今年の夏はこれで終わりですね。これからだんだん涼しくなって、8月にはいったらもう秋ですよ」と言っていた。 Anticlimacticとはまさにこのことだ。暑いのはあまり好きじゃないけれど、暑くない夏は夏らしくなくてやはり好きになれない。シカゴに帰ればまだ当分は30度台の夏が待っていると思うと、やや救われる気がする。

ケンブリッジ滞在もあと3週間を切ったが、まだまだ計画は目白押し。子供たちの学校は25日まで(したがって朝夕の送り迎えも)。24日には三女の誕生会、23日にはfarewell talk(の予定)。20日には学科でDirac生誕100年記念シンポジウム、そのほか帰るまえに夕食でも一緒になどという人たちも結構いて、予定は詰まっている。ケンブリッジを出るまでに論文の原稿をあと2本形にしていこうと目論んでいるので、ここへ来てまた物書きモードに戻りつつある。今日はまたJGRからレビューの依頼があった。

忙しいついでに、と言っては何だけど、折角ケンブリッジにいるわけだし、次のような企画を組みました。


<クイズに答えてケンブリッジの絵はがきセットを当てよう>


以下の3問のクイズ全部に正解された方(正解者多数の場合は抽選で3名様まで)に、ケンブリッジの美しい風景をあしらった絵はがきのセットをプレゼントします。各問題の正解を選んで、こちらまでEmailでご返事ください。(Subject欄または本文に答えを明記して下さい。例a,b,c)。締め切りは今週金曜日夕刻(イギリス時間)とします。当選者には来週返信で御連絡いたします。

(問1)国会議員としてケンブリッジ大学の運営に尽力したヘンリー=ルーカス師の遺産をもとに、1663年ケンブリッジ大学数学科にルーカス教授席が設けられました。この席にはニュートンやホーキングなど、代々錚々たる面々が名前を連ねています。では、つぎのケンブリッジ教授陣の中でルーカス教授席につかなかった物理学者はだれでしょう。
(a) バチェラー (b)ライトヒル (c) ディラック

(問2)小生がケンブリッジに来てからファンになったものは次のどれでしょう。
(a) スブラキ (b)ブルバキ (c) ブルゴキ

(問3)小生が仕事の合間に好んで食べるアイスキャンデーの銘柄はつぎのどれでしょう。
(a) ソロ (b)ソレロ (c) ソレミロ

以上です。何だ、このふざけた問題は。わかるわけはないじゃないか!と思われるかも知れませんが、あてずっぽうで答えても全問正解は1/27の確率です。Good luck. なお恐れ入りますが、中村家の家族とケンブリッジの住人の方は、参加ご遠慮願います。 

2002年7月5日

ふうーっ。Charney問題のような標準的な問題でつまづくとは思わなかった。おととい得られた結果はやはりどうしても納得がいかないので、さらに3通り別の解法で計算してみる。どうも超幾何関数の特異点の取り扱いがあやしげなので、これを避けるため、3つとも上部境界条件を無限遠ではなくて天井でおきかえ、差分法で近似する。ひとつめは標準的なQRアルゴリズムを用いた固有値問題、ふたつめは同じ固有値問題を狙い撃ち法(shooting method)で、3つめは時間発展問題を解いてモード解を求める。ところが午前中は、この3解法が全くばらばらな答えを出してきて、いよいよパンドラの箱を開ける結果に。計算の詳細を調べてまず分かったことは、狙い撃ち法は、特異点がなく非圧縮性のEady問題では有効でも、特異点も圧縮性もあるCharney問題では、初期化を相当注意深くやらないと、ろくでもない答えを出すか全く収束しないということ。そこで狙い撃ち法は結果から除外する。QRアルゴリズムと時間発展解がくい違っているのもうさん臭かったが、固有値を求めるIMSLライブラリーを呼ぶときに行と列がひっくり返っていたことに気付き、これでかなりの進展を見た。結局、ベータ効果ゼロの極限での発達率最大の波のクリティカル・レベルは約7.3kmと、スケーリングによる予想(スケール・ハイト=8km)にぐっと近付いた。これなら納得できる。したがって、2日前の結果(20km)はとりけし。ただし、ポテンシャル渦度のフラックスはクリティカル・レベルのかなり上まで到達しており、積分値の90パーセントを与える高度は約17.5kmであった。これで、(ようやく)非線形の時間発展解(乱流問題)と比較するのに必要なデータが揃った。このような基礎的な問題を解くのに時間がかかるようになってきたのは、やはり年のせいかな。

Doug君からJAS論文の改訂版原稿が届く。図面が1枚増えただけで、前とほとんど中身は一緒。いっぽう、Yongyunと共著の混合問題の論文は、かなりテクニカルなのでJAS向けに大幅な書き換えが必要だ。

2002年7月4日

アメリカにいれば独立記念日でも、イギリスでは関係なし。我が家はすっかり帰国準備モードとなっており、家内は家で荷物の梱包に専念。子供の送り迎えや、郵便局への小包の搬送など外回りは小生の担当となったので、1日2時間から2時間半くらい乳母車を押して歩いている。(乳母車の中身は人間になったり、荷物になったり目まぐるしく変化。)考えてみればよく1年間車なしの生活を送ってきたものである。それだけケンブリッジの街はこじんまりしているともいえる。

さて、小生はケンブリッジに来てまもなく、後頭部に500円玉くらいの円形脱毛症を発症した。最初シャワーを浴びていてごそっと毛が抜けたときはさすがに血の気が引いた。さいわい自分では目のとどかないところなのであまり気にはならなかったし、なんとか上から髪をかぶせてカモフラージュしていたものの、外に出るとそこだけスースーと風が冷たく、何かが足りないことが実感できた。子供達と一緒に「ハゲの歌」を作ってうたったり、聖書のレビ記に出てくる「男の頭から毛が抜け落ちても、それはただのはげであって、その者はきよい。」という御言葉をはげみにしんぼうしてきたが、最近ようやく全快した。きのう家内に髪の毛を切ってもらい、今日外を歩きながら、ふともう後頭部に隙間風が入り込んでこないことに気がつき、大いに喜ぶ。

さて、きのうのCharney問題の計算についてはいまひとつ腑に落ちぬことがあるので、計算間違いの可能性も含めて、もう少し見直してみることにする。

2002年7月3日

傾圧乱流の実験と並行して、ポテンシャル渦度フラックスが地面からどのくらいの高さまで到達するのか、Charneyの線形モデルを使って計算してみたところ、予想外の結果がえられた。Pedloskyの教科書を見てもHeldの1978年の論文を見ても、流れの傾圧性が強くなるにしたがい(すなわちベータ効果がシアーの効果に比べ弱くなるにしたがい)、傾圧波の鉛直スケールはスケール・ハイトに拘束されると書いてある。そこで仮に大気のスケール・ハイトを8kmとして、ベータ効果をどんどん小さくしていけば、最も発達率の高い波の鉛直スケールは8kmくらいの値に収束するのであろうと思っていた。ところが実際に対数型特異点を持つ超幾何関数を用いて計算してみると、クリティカルレベルの高さは約20kmにも達することがわかった。別の方法で計算しても結果は同じ。おそらく、「スケール・ハイトに拘束される」というのは「イコール・スケール・ハイト」という意味ではなく、2.5倍という定数ファクターも勘定の内、ということなのであろう。地球物理学者ならこの程度のどんぶり勘定にはよく出くわすが、それにしても8kmと20kmの違いはでかい。対流圏界面の高さを知ろうという時に、500mや1kmの違いなら大目に見るとしても、12kmも不確定性があったのではお話にならない。なぜ定数ファクターが2.5なのか、という理由もいまいちはっきりしないし。

小生の門下生で1999年と2000年にそれぞれ博士号を取った中国人のJunとYuchengが、最初のポスドクを終えて、二人ともWashington DCで次の職を見つけた。JunはDoug君と同じ海軍研究所(NRL)、Yuchengは気象庁にあたるNCEP。DCで同窓会ができそうだ。

2002年7月2日

2日前の発ガン性物質の話について、友人から横浜国大の中西準子教授のホームページを教えてもらった。量的にはそうあわてるほどのものではなさそうだが、コレステロールとか太り過ぎとかにも悪いだろうから、当分フライドポテトは意識して減らそうと思う。

7月に入って急に寒くなった。シカゴにいるときは冬は寒く(氷点下20度)、夏は暑いもの(35度)と相場が決まっていたから、イギリスにきて少し季節感がずれたかもしれない。こういう肌で感じることを科学的に説明するのが気象学者の仕事なのだけれども、逆に理屈でいくら分かっていても実際に肌で感じたり目でみたりしないとぴんと来ないということは多い。たとえば、小生は南半球に行ったことがないので、赤道の向こう側では季節が逆転しているということを、どうしても実感することができない。そこで昨日、思い立ってオーストラリアに住んでいる旧友に、おいそっちは今冬か?とEmailでたずねてみたところ、「当然冬だよ。あまり寒くないけどね。あれ中村って地球物理学者だったよな?」という返事が返ってきて、ああ、やはりそうなんだ、と納得した次第。

われわれ理論屋が学生を教える時に注意しなければならないのは、抽象的なコンセプトや方程式をたたきこむことに偏りすぎ、体験学習の効果を軽視しがちなことである(注1)。とくに、専門外の学部生や、初年度の大学院生を教えるときはよく考える必要がある。たとえば、コリオリの力を理解させるのに、運動方程式を回転座標系で書き直してたしかに速度に直角な方向にみかけの加速度が出てくることを示すのと、回転台の上に学生を二人乗せてキャッチボールをやらせるのと、どちらが効果的か。答えは何をもって「理解」というかによるだろう。前者は物理量の間の量的な関係を知るうえで不可欠である。しかし、回転座標の上で運動する物体にコリオリの力が働く、ということを肌で体験するという点では後者にまさる手段はない(注2)。たしかに「肌で体験すること」自体は量的な理解とは違う。しかし、肌で体験することがコンセプトにリアリティーを与え、知的興味を刺激するという意味で、決定的に重要な役割を果たすのだ。「この式の表しているものは何か」というモチベーションの有る無しで、学習のインパクトに大きな差が出るというのが小生の経験するところである(注3)。

(注1)問題は、体験学習を実践するには教える側に多分に実験屋としての才能が要求される点であり、理論屋はえてして実験ができない、という厳然とした事実である。

(注2)口でいうのは簡単でも、小生は人が乗ってキャッチボールができるような回転台を作る自信は全くないし、きちんとした保険をかけなければ、学生を乗せたりしたくない。すくなくとも体験者は実験のあとで目がまわることは必至で、体験を必要以上に忘れがたいものにする危険がある。

(注3)もちろん、物理学の進歩の歴史は、まずリアリティーがあってコンセプトがあとからついてくるという展開ばかりではない。たとえばディラックは紙とエンピツで導いた方程式から反物質の存在を予想した(彼にとっても予想外の予想だった)。ただ、現代科学の究極の価値を予想能力(predictive power)におくとしても、それは理論が現実を正しく表現している(しうる)という前提があったればこそ。初学者には、体験的学習を通してこの前提について実感を深めてもらうことが、長い目でみて物理学教育にプラスになると考える。

2002年7月1日

乗り継ぎのロンドンの地下鉄が突然動かなくなり、あわや遅刻かと思われたものの、レディング大学への日帰り講演は無事終了。さすがにこの話(トレーサ間の相互関係について)は3回目ということもあって変に緊張することもなく、聴衆もケンブリッジに比べてずっとお行儀がよかったので、すべてスムーズに行った。レディング大学の気象学科は、規模においても質においても全英一と謳われているだけあって、スタッフの層の厚さや学生の数において、ケンブリッジやオックスフォードをしのいでいる感じだった。アメリカでいえばワシントン大学の大気学科あたりといい勝負だろう。発表後の質疑応答でもBrian Hoskins, David Marshall, Maaten Ambaumなどから核心をつく質問が続々と飛び出し、返事をしながら久しぶりに手ごたえを感じるセミナーとなった。(何人かから変更前の演題が聞きたかったとも言われたが。)

セミナーの前にはJohn Thuburnとしばらく対流圏力学の話、後にはランチを食べながらDavid Stephensonと気候力学と統計解析の諸問題について議論した。Davidとはポスドク時代にプリンストンで一緒だったが、実に10年ぶりの再会。あいかわらず頭と口の回転が速く、食事をしながら彼のペースで議論についていくのには苦労した。そのあと、John MethvenからCharney問題の再考証について、Maaten Ambaumからはかねてから気になっていた彼の「北極振動批判論文」について、直々の手ほどきをうけた。北極振動(AO)と北大西洋振動(NAO)については現在勉強中であり、そのうち小生自身の見解を表明する時もくるだろう。

レディングはロンドンの西、電車ではオックスフォードに行く途中にある。オックスフォードに行ったときもそう思ったのだが、くすんだ黄土色をした石造りの家が多いケンブリッジに比べ、赤れんがの家が圧倒的に多いため、街全体の雰囲気がずいぶん違ってみえる。で、この街がなんと家内と小生の実質的なハネムーンの場所だったのだ。というと妙に聞こえるかもしれないが、アメリカで結婚した我々は、直後に日本に一時帰国したので、そのあと(1989年夏)国際会議でレディングに家内を連れて行ったのが結婚して最初の「海外旅行」だったのだ。もっともハネムーンとは名ばかりで、昼間は小生は会議に缶詰め、家内は出席者の家族用に主催者が用意したストーンヘンジへのバス旅行などに参加していた。バスでとなりに座ったのがDick Lindzenの奥さんだったと家内が得意げに報告していたこと、Cats(ミュージカル)の切符を部屋に置き忘れて、ロンドンへ向かう電車の中でおもいっきりけんかしたことなど、懐かしく思い出される。

13年たってもレディングの駅構内はほとんどあのころのままだった。時間があれば駅周辺を散策しようかとも思ったが、突然降ってきた土砂ぶりの雨と、7月とは思えない肌寒さにあっさりあきらめて、帰路につく。

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(c) 2002 中村昇