ホームぼぼるパパの部屋研究日誌2002年6月

日々の研究

by 

ぼぼるパパ

2002年6月28日

メルボルン大学のKeith HigginsによるBurgers渦の融合についてのセミナーを聞く。全体にそつなくまとめた感じだが、とくに目新しいものはなし。これは暴言かもしれないけれど、小生の見た感じ、2次元非発散の流体そのもの(渦度、ひずみ)の数値解ということなら、ほとんどやりつくされているのではないか。もちろん、レイノルズ数をどこまで上げることができるかとか、数値解の精度をどこまで上げることができるかという挑戦はいつまでも残るだろうが、そういういわば技術的な進歩と流体についての新しい知見とは必ずしも直結しているとは思えない。むしろ、得られた解をどう解釈するかという診断法などに新しいアイデアが求められているのであり、流体力学が沈滞してしまわないためにも、(自分をふくめ)すでに耕された畑でいつまでも鋤をふるっていず、前人未到の周辺域に足を踏み込むガッツを持ちたいものだと思う。

さて、話はまったく変わるが、ポテトチップスやフライドポテトに含まれる発ガン性物質(アクリルアミド)に関して、影響を査定するためWHOが緊急対策会議を開いているそうだ。日本にいればいざ知らず、アメリカやイギリスではポテトチップスやフライドポテトなど、サンドイッチやハンバーガーのつまとして、ほとんど毎日食べている。(ちなみにイギリスではフライドポテトはchips、ポテトチップスはcrispsという。)少なく見積もって1日ジャガ芋半分として、過去18年の間に、小生はジャガ芋3287個分に相当するポテトチップスかフライドポテトを食べ続けてきた計算になる。げっ。いくら微量とはいえ、これだけ食べていればやはり発ガン性物質の摂取量だって馬鹿にならないはず。食べてしまったものは今さらどうしようもないけれど、これってやっぱり相当ヤバいんでしょうかね。もっとも、小生以上に油で揚げたポテトを食べているはずの英米人がまわりでガンでばたばた倒れているってわけでもないし。しかし、一年に一度夏の地中海へバカンスにでかける裕福なスカンジナビア人の方が、地中海沿岸の住人に比べ、メラノーマ(皮膚ガンの一種)になる率が高いという話を聞いたこともあり、だとすると、土地の人が大丈夫だからというのはあまり気休めにならない。ま、あまり考えないことにしよう。

2002年6月27日

乱流実験をバックグラウンドで走らせながら、共著論文の書き換えや月曜のセミナーの準備など、いくつかの仕事を並列処理する。7月に入ったらこのオフィスもそろそろ片付けはじめないといけない。書類の山が散乱し、机上で鳴っている電話の場所も特定することのできないシカゴのオフィスに比べ、まだまだすっきりしているとはいえ、1年間で論文のコピー、書きなぐった計算用紙の束、使い過ぎで表紙が本体からはがれ、ばらばらになった参考書の一部などが机の上に堆積して、これを整理するのはちょっと骨が折れるかも。家の方では梱包作業が軌道に乗りはじめており、すでに5ー6箱の小包を発送したが、6人家族では今のところ焼け石に水という感じだ。

きょうは6月27日。単身日本を離れてアメリカにわたったのが18年前の今日。つい昨日のことのようだ。あのころは身軽で、スーツケース一個で引っ越しがすんでしまったのだから気楽なものだった。18年たった今、当時に比べて自分が進歩しているような気は全然しないのに、もちものだけは増えた。もちろん、モノだけじゃなく大切な家族も、思い出も増えたわけだけど。

小生は幸か不幸か22年間を日本で過ごしてから海外に出たので、浦島太郎となった今も日本人としてのアイデンティティーはかろうじて保っている。しかし時々ふっと、俺はこんなところでいったい何をしているんだろうと思うことがある。それとあちこち動いているせいで、「自分はどこの出身なのか」ということを説明するのがだんだんややこしくなってきた。このあいだフランスを旅行していたとき、「どこから来ましたか」と聞かれて、日本と答えるべきか、アメリカと言ったほうが正しいのか、それともやはりイギリスなのかなあと悩んでしまった。説明しようとしてもうまく伝わらず、長々と身の上話をするはめになったり。今日も日本人の駐在員の奥さんに、いずれ日本にはお帰りにならないのですか、と聞かれたが、一時帰国以外では当分ないだろうなあ。大体、海外へ引っ越しをするたびにこの騒ぎをすることになるかと思うと、このあと当分どこにも動きたくないというのが正直なところ。

2002年6月26日

驚いたことに、毎日使っているオフィスの2階のトイレは、南側のMill Laneに面しているものとばかり思っていたのが、実は北側のSilver Streetに面していることに今日はじめて気が付いた。建物の構造と方角をちょっと考えればすぐわかることなのに、1年もの間思い違いをしていたとは。これは結構ショックだった。

このトイレのいいところは窓から外が見えることである。入り口からは通りの反対側のビルの壁が見えるだけだが、歩み寄って下をみると、狭い往来を歩行者や自転車が乗用車の合間をぬってちょこまかと動き回っており、見飽きない。この往来がMill Laneだと思っていたら、じつはSilver Streetだったというわけである。ケンブリッジの路地は大概どこも狭く、両側に似たような石造りの建物がひしめいているため、いったん思い込んでしまうと、雰囲気からは判別しにくかったのかもしれない。しかも、Mill Laneは朝と午後に子供の学校の送り迎えに歩いて通る道なので、なじみが深い。それに比べ、Silver Streetは昼にサンドイッチを買いに横切るだけで、特別な思い入れはない。こうしたことも、「窓の外はMill Lane」と勝手に思い込む心理的要因になっていたのかもしれない。(そういえばあるとき、子供を迎えに行く家内を驚かせてやろうとこの窓から下を伺っていたことがあったっけ。待てど暮らせど来ないので変だなと思ったけれど、これで謎が解けた。)

こまったことに、このトイレが小生の頭の中ではすでに、オフィスの建物とケンブリッジの街をつなぐ重要な接点になってしまっている。小生のオフィスは建物の中庭に向いているため、窓から街のようすを見ることができない。いったん職場に来てしまうと、昼の休憩時に外に出るほかは、街の息づかいを唯一伝えてくれるのがこの「Mill Laneに面したトイレ」から見える風景なのである。この一年の間、行き交う人々の服装に季節の移り変わりを感じ、Mill Laneの向こうに広がるであろう街の喧騒を思い浮かべてきた(何しにトイレに行ってるのかって?)。今さら、「君が一年間見てきたのは、実はSilver Streetなのだよ。君は全くアサッテの方角を見ていたんだ」と言われても、これがMill Laneであると確信して築きあげてきた小生のケンブリッジのイメージは、どうしてくれるのだ。改めてSilver Streetに基づいたイメージ再構築をはかろうにも、残された時間が1か月ではあまりにも短すぎる。

現実が突然虚構へ。虚構なら虚構と割り切って受け入れるところまで、ふっきれない。やりきれぬ気持ちで、家路につく。

2002年6月25日

Reading大学の担当者と連絡がとれ、演題変更は全然かまわないそうだ。さて、どうしたものであろう。実行中の数値実験の途中経過を見ると結構いい線を行っているので、このまま予定を変えず一瀉千里に突っ走って、いつものように滑り込みセーフの発表を狙うか、手堅くすでに手元にある別の材料を持っていくか。実行中の準地衡風乱流の実験は、専門家が揃っているReadingの聴衆を意識して考案したものだけに、できればこれを持っていきたい。同様の研究で彼らに先を超されてしまう前に、こっちはすでにこんな結果を出しているんだということを誇示しておきたいのだ。とここまで考えて、しかし待てよ、と思う。手柄をあせってはいないか。かりに計算が間に合ったとしても、その意味を咀嚼し、一般聴衆に理解できるレベルまで噛み砕くには、ちょっと時間がなさすぎる。どんなによい研究であっても、自分で完全に消化する前に発表すると、必ずどこかにほころびが出るものだ。現に、金星探査競争に勝つため、成功率99パーセントの段階で見切り発進した毛利博士のおおとり号は、宇宙でバルタン星人に捕捉されてしまったではないか。小生は、たとえ競争に負けても100パーセントの成功を確信するまでフェニックス号を飛ばさなかった岩本博士のようでありたいと、かねがね思っていたはずではなかったか。こう考えて、このあいだオックスフォード、ケンブリッジでやったのと同じ演題に切り替えることに決めた。始めてしまった実験はそのまま続けていれば、あるいはケンブリッジを出る前のfarewell seminarくらいには間に合うかもしれない。

今日はひとつ嬉しいことがあった。かつての教え子J君からemailが届き、ロッキード・マーティン社でソフトウェア・エンジニアとして充実した日々を送っていることと、お医者さんの彼女と婚約をしたことなどを報告してくれたのだ。嬉しかった理由は、J君は唯一小生の研究室から学位を取れずに去って行った学生だからだ。彼は非常に勉強熱心であったにもかかわらず成績が足りず、大学院3年の時、小生の判断で放出を決定。正しい判断だったという確信は今もゆるがないが、あの時は断腸の思いだった。しかし、今しあわせいっぱいのJ君のようすを聞くと、つくづくGod is good.と思わずにはいられない。自分がkick outした学生と3年を経てなお交友関係が続いているということ自体、奇跡である。

2002年6月24日

Reading大学でのセミナーを一週間後に控え、なさけないことにいまだに手元になんの結果もない状態が続いている。(仮説だけなら大それた奴があるのだが、検証なしにはおとぎ話にしかならない。)先週一週間、うまく走らなかった数値モデルの改良とデバッグに腐心した。モデルそのものは9年も前に自分で書いた古いfortranのコードをもとにしていて構造はよく飲み込めている。ただ、境界条件を変えるのに相当手間どった。(境界の影響をうけるサブルーチンだけで40以上ある。)なんとか今日の午後には走時エラーが出ずに走る状態にこぎつけたものの、一つの実験を走らせるのに少なくとも2ー3日はかかるうえ、モデルが走ったからといって、すぐに答えが正しいと信じるわけにはいかないし(3日後にコードエラーが発見されれば、それまでの努力は水の泡である)、期待通りの答えが出る可能性となるといよいよ少ない。はたして起死回生のカンフル剤となるか?客観的には相当厳しい状況といわねばならない。実は先週から、ここ2か月間あちこちでやってきた同じセミナーをリサイクルするという安易な代替案を先方に打診しているのだが、どういうわけか返事がなかなか返ってこず、直前の演題の変更依頼に気を悪くしているのではないかと勘ぐったりする。とにかく全ては数値実験の結果を見てからだ。

一方Yongyun Huとの共著の論文について、彼の結果をより単純化したRubic Cube模型で追試してみたところ、強制項のpdfについては似た結果になるが、散逸項がトレーサーの混合比にほとんど依存せず、その結果トレーサーのpdfはほとんどGaussian coreで独占されてしまった。実際の成層圏の風を使ったYongyunの計算ではGaussian coreの両脇にexponential tailsが出ており、この違いはおそらく、Rubic Cube模型では成層圏にくらべ有限時間リヤプノフ指数がほとんど一様であるためと考えられる。この論文については磨くべきところが他にもいくつかあり、投稿にいたるまではまだしばらくかかりそうだ。

2002年6月21日

本の話が出たついでに書くと、最近読んだpopular scienceの本で面白かったのは、"It Must Be Beautiful: Great Equations of Modern Science" (Farmelo編)。20世紀の科学の成果を代表する方程式をいくつかとりあげ、12人の専門家が一般むけに解説したもの。プランクの黒体放射の式、相対性理論、ディラック方程式などの物理分野から、ロジスティック方程式、シャノンの情報エントロピー、オゾンホールの化学式など、広範な分野をカバーしている。方程式の持つ意義のほかに、その方程式が誕生した背景についても解説されていて興味ぶかい。(シュレディンガーの波動方程式は浮気の最中に思い付いたものだとか。けしからん奴である。)すでに知っている中身でも、歴史的なコンテキストにおいて読み返してみると、より深く納得できるような気がするから不思議である。もし小生がこれにつけたすとすれば、ローレンツ・アトラクターとコルモゴロフの乱流理論あたりかな。全然きれいじゃない方程式を毎日いじっている小生は、やや羨望のまなざしでもって読んだのであった。

話はかわるが、最近、ハーバード大学の医学部で指導教授の研究室から無断で遺伝子のデータを持ち出して捕まった日本人研究員の話が新聞に出ていた。どの新聞も、この研究員の知的財産所有権についての認識の甘さを指摘していた。確かにそれはそうなのだが、そもそも何でこんな事件が起きたのかが、新聞を読んだだけではあまり見えてこない。複数の情報筋が伝えているところによると、教授と複数の女性研究員の間には確執があり、コミュニケーションが全くとれていない状況だったらしい。そのため、当の研究者と中国人の同僚は、真夜中の考えられないような時間にこっそりと研究室にきては、研究をするという日々だったそうだ。発見した遺伝子も教授に報告することなく、勝手に企業と取り引きしてしまった。ことの真偽は知るよしもないが、一研究室を預かる身として無関心ではいられないところである。部下が問題を起こしたとすれば、上司の責任が問われるのは洋の東西を問わないわけで、この場合、いったい教授は何をどう指導していたのか、問いただされるべきである。何があったか知らないが、自分のところの研究員と口もきかぬというのは尋常ではない。本来、研究室はチームワークを発揮すべき場であり、研究員や教授がお互いの競争相手になっていつもピリピリしているというのは問題があると思う。仮にそれが教授の流儀だったとしても、そのことは最初にメンバーにきちんと伝えて了解をとっておくべきであり、今の場合そういうコミュニケーションが当事者間にあったとは到底思えない。一方、研究者や学生は指導教官の権力や影響力を恐れて、横暴にも目をつぶって黙ってしまいがちである。ここは勇気を出して指導教官と話をする努力をすべきだ。身をひいてしまってはかえって疑心暗鬼にとらわれる。指導教官が自分たちに何を期待しているのかはっきりさせるだけでも、ずいぶん気持ちが楽になるはず。実際、研究室内のいざこざの大半は、このようなコミュニケーション不足から来ているといっても過言ではない。半年ほど前にうちの学科のある研究室で学生と教授の間がぎくしゃくしたときも、小生が割って入って話を通したことで事態の進展を見た。こんな役に立つサイトもある。

研究室の頂点に立つ教授は、自分が自分のボスであるため、倫理面で暴走してもなかなか歯止めをかける者がいない。しかし、神様は見ておられるのである。また、どんなにひどい上司であっても、事態の好転を望むなら、下につく者は尊敬の態度を保って接し続けることが基本だと思う。イエス・キリストをボスと仰ぐ小生は、次のふたつの聖書のみ言葉が、研究室のあるべき子弟関係を表していると信じている。(別に学生を奴隷と思ってるわけじゃないので、あしからず)

奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。(コロサイ人への手紙3:22)

主人たちよ。あなたがたは、自分たちの主も天におられることを知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。(同4:1)

2002年6月20日

5月中旬に発売になったStephen Wolframの"A New Kind of Science"という本を探しに書店にでかけたが、入荷していなかった。Stephen Wolframといえば、数学ソフトMathematicaの作者で、現在はこのソフトを販売する自社のCEOになっている。若いころから天才と騒がれ、CalTech時代にはRichard Feynmanにも一目置かれていたそうだ。しかし、何かと波風を立てるのに長けた性格だったらしく、大学と折が合わず、80年台後半からは自分の会社を設立、ビジネスのかたわら、そのうち世界をあっと言わせる研究を発表すると豪語して15年間の沈黙の末に、鳴りもの入りでようやく自社から出版された本がそれである。

まだ中身を自分で見ていないので詳しいことは書けないが、1000ページを超す大著で、一貫したテーマは「セル・オートマトン」、本人の弁によると彼の理論はいずれ流体力学から進化論まで、科学の諸分野における物の見方を根本的に書き換えることになろう、と大上段にふりかぶっているから、これは何となくほおっておけないという気になる。

米国アマゾンのサイトで調べてみると、すでに128もの読者による書評が掲載されていて、賛否両論入り交じり、はたしてこの本が現代版プリンキピアなのか、あるいは電話帳ぐらいの役にしかたたないのか、大いに物議をかもしている。(これから本を読もうと思っている人は見ない方がいいかも。)

さすがに書評を書いている人たちはその道の専門家が多いようで、愚にもつかぬような批評は少なく、むしろ読んでいて書評の書き方の勉強になるくらいだ。もっとも、アマゾンの場合、何を書いても最終的には星5つで評価を下さなければならず、何を基準に星を与えるかは個人の判断にまかされているから、評価の客観性にはいささか疑問が残るが。面白いのは、好き嫌いや、中身に賛成するかしないかということが必ずしも星の数と相関しているわけではないこと。「書かれていることのほとんど全てに賛同しないが、知的興味を刺激する面白い本だった」として星4つを与えている人もいた。このへんがアメリカ人の公平さの感覚を知る上で興味深いところだ。早く読んで、小生も書評を書こう(とはいえ1000ページというのが気が重いが)。

書評で思い出したが、NSFから依頼されているプロポーザルの査読をやらなければいけないのであった。

2002年6月19日

地球物理の研究スタイルとしては、理論、データ解析、実験、野外調査とおおざっぱにわけられるかと思う。これらは必ずしも独立しているわけではないが、それぞれに要求されるセンスや資質が微妙に違うので、理論屋、解析屋、実験屋、フィールド屋と分業化されることが多い。小生の場合、実験に必要な手先の器用さや、データ解析や野外調査に必要な忍耐が足りないので、最も楽のできる(いつでもどこでもできる)理論畑を選んだ。

たとえば、大学の卒業研究ではマントル対流による地殻の沈み込みを定性的に再現する実験に取り組んだが、これが悲惨だった。室温で凝固する作業流体を水槽の中で下から温めて対流をおこし、表面付近で凝固して皮状になっている「地殻」を引きずってシワをよせる様を観察しようという主眼だった。しかし、つごうのよい物理条件をみたす作業流体にはひとくせもふたくせもあるのがふつうである。この実験に使ったのは尿素という物質で、名前からも想像がつくようにえらい臭気を発生するシロモノだった。惨事のもとは、実験に使うアクリル水槽を自作したことにあった。円筒状の側壁と底板を強力な接着剤でつなぐところまではよかったが、対流を起こすべく底板を過熱したときに、横方向へ膨張して側壁との接着面に亀裂が入ってしまい、そこから液体がもれるはもれるは。しかも、こぼれだした尿素は室温となってただちに凝固するため、最初に実験の様子を見に行って、水槽の側壁の底の所に鍾乳洞よろしくガチガチに盛り上がって悪臭を発している白い塊を発見したときはぎょっとした。結局、どう水槽を作り直しても浸水を止めることはできず、こぼれだした尿素を始末するのに終止して、ろくな実験結果が取れなかった。この時点で自分には実験のセンスはない、と確信した。(もっとも上には上がいるもので、ものの本によると、排他律で有名なパウリは、彼が実験室に近付いただけでフラスコなどが壊れたそうである。)

同じく大学4年の時の卒業演習では、福島県の断層から岩石標本を採集してきて、残留磁気を測定するというプロジェクトをやった。当時相撲部員だった小生と、もうひとりボディビル部の同級生が体力を買われて参加することになった。採集旅行そのものは飯もうまく楽しかったが、出発早々ジープのシフトレバーが折れてJAFのご厄介になったり、東北自動車道の上でバンの後扉が突如開き、積んであった旅行鞄や試料が路面に散乱、だれが取りに行くか路肩でジャンケンをして決めるなど、ハプニングも多かった。さらに、苦労して集めてきた試料の残留磁気を一本一本測定するのは気の遠くなるような作業で、野外調査に対する印象が一挙に悪くなった。

大学院へ進み最初に論文にした仕事は大気の熱輸送のデータ解析だったが、図面にエラー・バーをつけずに投稿したのが査読者の逆鱗に触れ(?)、解析を全部やりなおし。この時点で自分には理論しか進む道はない、と心に決めた。

消去法で入ったような理論畑だったが、やってみるとなかなか面白い。それに気象関係だと観測データがずらりと揃っているし、数値模型も比較的簡単に走らせられるので、その方面の論文は多いが、物理的直観に訴える理論研究というのは稀少価値がある。難点を言えば、小生の頭ではほんとうに使える理論は5年にひとつくらいしか出てこない、ということぐらいだろうか。

2002年6月18日

小生のケンブリッジ滞在もあと一月と少々を残すのみとなった。もう使わなくなった冬物の衣類などをシカゴに送り返すべく、午前中は大きな段ボール箱をえっちらおっちら抱えて郵便局まで往復する。

Doug君と共著のJAS論文のレビューが戻ってきた。レビューアー3人ともいたって好意的で、大きな変更はほとんどなしで受理されることになった。何かあまりすんなり行きすぎて拍子ぬけしたが、まずはめでたしめでたし。さっさとコメントに返事を書いて、改訂はDoug君にまかす。

昼過ぎにはパリから戻ってきていたEmily Shuckburghが訪ねてきて、海洋循環中のトレーサーを使って有効拡散係数を計算するさい、大陸の境界をどう扱うかについて議論した。なんでもMITのJohn Marshallのグループと提携して海洋循環モデルを使った有効拡散係数の計算を請け負っているらしい。最近は海洋のほうでも小生の開発した有効拡散係数が注目を集めつつあり、最新のJPOに出たDeese et al.の論文などは、水槽中に流したインクの形状から有効拡散係数を推定するという、理論屋の小生にはとうてい真似のできない離れ業をやってのけている。診断法が開発者の手を離れて一人歩きをはじめた感があり、感慨深い。

JAS論文の査読を終了。かろうじて却下は免れたものの、相当手を加えなければ出版可能にはならないシロモノだった。小生のところに回ってくる論文だけがそうなのか、最近どうも論文の体をなしていない原稿が次々に送られてくるのには閉口だ。だいたい1年を通してJASをはじめ10数本の論文を査読するが、ここ数年は半分以上を却下している。publish or perishという神話の悪影響か、投稿される論文の数は増える一方だが、概して質が伴っていない。主なパターンは(1)結果は信用でき、よく書けてもいるが、いかんせん重箱の隅をつつくようなテーマ (2)テーマとしては面白いが、結果の信ぴょう性がきわめて低い (3)せっかくいいテーマと結果を押さえていながら、書き方がなってない。せめてedit and submitという基本ぐらいは遵守してもらいたい。

きょうはもうひとつ、シカゴ大の博士課程進級試験を受けた学生の追試の採点もすませた。

2002年6月17日

むむう。ほとんど何もしないうちに月の半分が過ぎてしまった。フランス旅行では十日間、伝統的黒和三烏貝酒蒸生牡蠣仏揚芋等等高脂肪高熱量の食事に舌鼓を打ったが、おかげでお腹を詰まらせたり鼻を詰まらせたりして、結構往生した。しかし、要所要所で思い付いたこともあったので、忘れてしまう前に書き留めておこう。次女を乗せた馬を引っ張りながら考えていたのは、トレーサーの確率分布関数がガウス型のピークと指数型の裾野を持つというよく知られた事実を、流体粒子の過去の引き伸し経過を仮定して経路積分するのではなく、統計的なclosure理論から引き出すことはできないか、ということ。これについてはいくつかアイデアがわきかかっていたのだが、反対側を歩いてきた別の馬がすれ違いざま用を足し、その落下物の巨大さに呆気にとられているうち、全部忘れてしまった。モンサンミシェルからパリに向かう高速道路の上では、準地衡風近似式の空間対称性破れを解の不安定性として定量化する方法について考えていたが、アイデアが浮かぶ前に高速出口に来てしまい、出たとたん道に迷ってそれどころじゃなくなった。しかし、これについては後日パリの近代美術館でカンジンスキーの絵を見ているときに突然、流れの空間対称性に由来する新たな保存量をみつけることによって、不安定性を定義し直すことができるかもしれぬと思い付いて、大いに舞い上がる。(ちなみに20数年前、大学の同級生Nが発した、「カンジンスキーは漢字がお好き」というしょーもないごろあわせも、同時に思い出された。)

さて、旅行に出かける前に仕掛けておいた数値実験は軒並み途中でNaNエラーを出して死んでおり、がっくり。現在の白紙状態から2週間後のReadingでのセミナーまでに必要なデータを揃えるのは至難の業だ。何だかやめたくなってきたな。とりあえずJAS論文の査読あたりから手をつける。

2002年6月3日

エリザベス2世の戴冠50周年記念とかで、今日と明日は国民の休日になっているということを知らずに、郵便局や図書館に行ったらどこも閉まっていてアワを食った。子供達の学校のハーフタイムを利用して明日から10日間フランスのブルターニュ地方へ家族でキャンプ旅行にでかけるので、その前にいろいろとやっておこうと思っていたのに。パッキングの方も必要なものが膨大な量になって(6人分のシーツとか、寝袋とか)遅々として進まない。午後の4時から6時までは、次女の誕生パーティーのため、近くのプールにみんなで出かけて行く。(何も旅行の前日にやらなくても、といいたいところだが、都合のつく日が今日しかなかったのだ。)さいわい誰もおぼれず、無事終了。夜のわずかな時間を利用して乱流実験をいくつかセットアップする。1つの実験につき数日はかかるので、ちょうど旅行から帰ってくるころには結果がでているはず。この結果を用いて7月1日にReadingでセミナーをする予定になっている。本当は今日中にJAS論文の査読も終わらせて行きたかったのだが、ちょっと時間が足りないようだ。

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(c)2002 中村昇