ホームぼぼるパパの部屋研究日誌2002年1-2月

日々の研究

by 

ぼぼるパパ

2002年2月28日

時間がたつのは早いものでもう2月もおわり。月初めにたてた計画が消化不良に終わるのは今にはじまったことじゃないが、今月は雑用が少なかったわりに計画の遅れが目立った。予定通りだったのはGRLの論文と、Peter Haynesに頼まれていた論文のレビュー、日々の研究日記くらい。肝心のプロポーザルは大幅に失速してもう少しかかりそうだし、JGR論文の方はDoug君が最終調整をしていて投稿は3月中旬くらいになりそうだ。JASから依頼された論文のレビューは最初の数ページを読んだだけで打棄ってあるし、読んで批評しなければならない論文がもう一本ある。理論上の発見としては等価緯度上での流体粒子の分散の方程式を導出したことがやや特筆に値いするが、物書きモードに徹していたこともあり、その他にめぼしい発想はあまりなかった。それでも、プロポーザルを書きながら、地衡風乱流の理論を一通り復習しなおすことができたのは収穫だった。勉強不足でろくでもないものを提出するよりは、時間はかかっても十分に練られたもので勝負するのが正攻法だからである。来月こそは、GRL論文の改訂、JGR論文の提出、プロポーザルの提出、JAS論文のレビューを実行するぞ。

こっちも多忙なら、家内も目下1週間という期間限定で翻訳の仕事の仕上げに追われている。小生はオフィスに入ってしまえば集中できるが、家内は家で目の離せない長男のご機嫌をとりながら、子供たちの送り迎え徒歩1時間という毎日のスケジュールと家事の合間をぬっての仕事なので、寸暇を惜しんでやっている。その上、夜には長男の授乳でまだ何回か起きなければならず、疲れがたまっているようすだ。今日はもう限界だと言って8時に寝てしまった。体を壊さないか心配である。

2002年2月27日

三寒四温、しばらく暖かかったケンブリッジもここしばらくはまた冬の気温に逆戻り。しかし、まちにはクロッカスや梅によく似た花もちらほら見かけられ、春は確実にそこまでやってきている。晩冬から春にかけてのイギリスの天気は、まったく予想がつかない。朝快晴であっても、昼過ぎには一天にわかにかき曇り、にわか雨がざーなどというのはざら。このあいだは青空のまん中に浮かんだ黒い雲からひょうや雪まで降った。

今日は全然たいしたことのない理由で医者の予約が11時過ぎに入っていたため、子供を学校に送ってから家に戻る。検診は一分で終わり、そのあと家内と長男と待ち合わせて、近くのショッピングセンターで一緒に昼を食べ、ちょいと買い物などをしたので、オフィスについたのは2時ちかく。いったんリラックスしてしまうと、仕事モードに切り替えるのは結構骨がおれる。機械的にプロポーザルの仕事にとりかかるが、月末までに完了させるという当初の予定を達成するのはほぼ絶望的だ。

2002年2月26日

うーむ。うーむ。う〜む。昨日書いた部分のプロポーザルを読み返してみるが、ベースとなる理論が全然なってないなあ。数学的には多少荒削りでも物理的に納得のいくモデルか、物理的には単純化されていても数学的にエレガントなモデルなら、なんとかゴリ押しも通用するんだが、今のは物理がほとんど現実離れなほど単純化されているにもかかわらず、数学的にあちこち穴がある。はっきり言ってひどいモデルである。それでも、見る人が見て何を立証しようとしているのか意図が汲み取れるのであればまだ救いがあるのだが、今のままでは、客観的に見れば見るほど背後にあるモデラーの意図が疑われるようなシロモノである。1月から考えてきた結果がこれとは情けない。しかたがないので、ミニマリズムに徹して、さらに思いきった仮定を入れることにする。(1)一様傾圧乱流の仮定と整合性を持たせるために、平均場のシアー、静的安定度は地面から無限大の高さまで一定とし、水平方向のシアーは考慮しない(すなわちCharney型の基本場)。したがって、温度風平衡により、南北の温度経度は地面からてっぺんまで一様。(2)地面から一定の高さ(=h)まで、渦位の拡散係数は一定の正値をとり、hより上では0とする。この拡散係数は地面での温位にも同様に適用する。仮定(1)は、極は冷たく熱帯はあついという現実をぎりぎりのところで表現しているが、地面から対流圏の南北温度勾配(海洋の影響大)と、成層圏の南北温度勾配(放射平衡による)が同じであるという、無理な注文をつけなければならない。ま、これはそんなに大した不都合ではないが。仮定(2)の渦拡散係数の一様性というのはかなり無茶なようだが、これにも一応の理論的な裏打ちはある。すなわち、ベータ面における準地衡風近似のもとでは、水平乱流はエネルギーをより大きい空間スケールへと逆カスケードする。この過程では流れが順圧化するため、渦拡散係数も上下に一様となる傾向にある。まあ相当苦し紛れの理論だが一応これでやってみようということに落ち着く。

2002年2月25日

プロポーザル書きの方は何となく勢いがなくなってきて、筆が進まない。ひとつには提出先のNSFのプログラムに締め切りがなく、随時受付というのが緊迫感を失わせる結果になっている。しかも、去年の11月にセミナーをやったりしてアイデアが斬新だったころはよかったんだが、間に別の学会が入ったりしてしばらく考えないでいるうちに、当初の興奮はさめやり、逆に今まで気付かなかった欠陥が目についてきて、よけいやる気がそがれてしまった。気分転換にHeld andLarichev (1996)を読んでいると、渦拡散係数のパラメタリゼーションに関するヒントが得られ、少し見通しが良くなった。統計的定常状態下での力学的拘束条件は、渦位に関する渦拡散係数をどう仮定するかによって微妙に異なってくるが、どちらにしても傾圧調節に基づいたHeld(1982)の条件とあまり違わない結果が出るのは面白い。そんなことを考えているうちに、Reading大学の気象学科からJohn Thuburnを通して講演の依頼がはいった。日にちは5月か6月とある。Readingといえば1989年に学会で訪ねて以来、13年ぶりだ。イギリス随一の気象学科からのこのお誘いを断るわけにはいかない。Readingで話す題目といえば、これはもう有無を言わさず対流圏力学であろう。つまり、今のプロポーザルに書いている中身である。こうなると俄然プロポーザルをさっさと仕上げて実際の計算にはいらねばならないという気になってくる。絶妙のタイミングで神様に尻をひっぱたかれた感じだ。速攻でイントロと第2章を書き上げる。

一方12月に出版したJASの混合診断に関する論文の別刷りがようやく船便で届いた。自分で書いたものを読みなおしてもしょうがないのであるが、いざ活字になると何となくしげしげと眺めてしまう。まあ、神様だって、自分の創造されたものをひとつひとつごらんになって、「よしよし」と思われたわけだから、神様のイメージに作られている我々が自分の仕事に満足するのは悪いことではなかろう。しかし、小生の場合、仕事の進みが遅くなってくると、出来たての論文だけでなく、かつて書いた自分のお気に入りの論文を取り出してきては、「おうおう、この式はよく思い付いたもんだよなあ。あのころは冴えてたなあ」と自己陶酔に陥る傾向がある。こうなると、生産性はがた落ちである。昔の論文の別刷りを持ってきても、読んでくれそうな人が見つかるより、結局自分で何回も熟読してしまいそうで、イギリスには、かつての別刷りをほとんど持ってこなかった。今のところ、これは功を奏しているようだ。

2002年2月22日

2002年2月22日。年月日に2と0しか入らないのは、今日を逃すと2020年2月2日までない。そう思うとなごり惜しいなあ。

この4月と5月にはフランスとベルギーでそれぞれ学会がある。フランスはニースのEGS総会、ベルギーはリージュという小さな大学街でのそう小さくない海洋学会だ。前者にはDoug君とやったオゾン・ミニホールの解析を、後者にはトレーサの微細構造とマクロの有効拡散係数の関係についての理論研究を出すことになっている。ベルギーの会議のオーガナイザーからきのう送られてきた暫定プログラムをみると、小生のtalkのすぐ後にEmily Shuckburgのtalkが入っている。要旨を読んでみると、これは明らかにEmilyのを先にした方が断然つながりがよいはずである。というのも、彼女の発表はもともと小生の開発したトレーサの等価長を海洋に応用したもので、この手法に慣れていない海洋のオーディエンスにはよいイントロになりそうだが、小生のは、より最近の結果にもとづいてひとひねりしてあるため、Emilyのtalkを先に聞いたほうがずっとわかりがいいはずだからだ。さっそくEmilyにメールすると、すぐ返事が返ってきて、彼女もちょうど全く同じことを考えていたのだそうだ。かくしてオーガナイザーに発表の順番を変えてもらうよう依頼することになった。気象の方ではぼちぼちユーザ層が広がっている等価長診断法も、海洋の方では年代診断法などにくらべ全然知られていないので、Emilyあたりが(いまのところ彼女とPeter Haynesだけだが)強力な推進役となってくれるとありがたい。こっちは手法を生み出すところまででエネルギーを使いきってしまっているので。

2002年2月19日

しばらくはまた物書きモードで仕事を片付けていかなければならない。学生が我々の職場を見て大概驚くのが、サイエンティストが物書きに費やしている時間の長さである。たしかに封筒の裏に計算をしたり、実験をデザインしたり、実験結果を解析したりすることが我々の仕事の重要な部分を占めていることには違いないのだが、実際はそれと同じかそれ以上の時間を、報告、論文、レビュー、プロポーザル、日々の研究日記などの各書類の作成にかけている。これは小生だけでなく、科学者なら程度の差こそあれ、そうだと思う。要するに、研究室の内側でやっている仕事の中身を外界に発信していくことが、科学者の仕事の半分であるといってもよい。それに加えて、講義ノートの作成や教授会の議事録(今年はさいわいこのふたつは免除)、学生の就職に関する推薦状などなど、まあ1年に書く書類の量たるや馬鹿にならない。量だけでいえば、人文社会系と比べて決してひけをとらないと思う。つまり、科学者になるためには実験のセンスがいいとか、数学が得意ということももちろん必要だが、ものを書くのが苦にならないということもかなり重要な適性の一つである。もっとも、文学的な文章を書ける必要はなく、理路整然とした簡潔な文章が書ければいいのであって、つまりは明快なロジックでものを考えているかということなんであろう。小生は筆が遅い。自分で書いたものを読み返して、意味がわからず、辞書をひいたりすることもある。不明快なロジックでものを考えている証拠であろう。サイエンティストとしてはかなりハンデを負っているといえよう。

5年越しに計画がすすめられてきた文部科学省の地球シミュレータがようやく完成したらしい。5120個のプロセッサを並列し、ピーク時のthroughputで40テラフロップの演算速度、10テラバイトのメモリを誇っているそうだ。これを使えば、たとえば地球上の大気を約10キロメートルの格子幅で網羅することができ、集中豪雨や台風など、いままでシミュレーションの分解能が悪くて予報精度の上がらなかった現象についてもより正確な予報が可能になるという。しかし、メディアも当の地球シミュレータのホームページも、何となく先走って強調しているのは、世界一というコンピュータの演算能力だけである。これだけではただちにサイエンスの進歩につながらないことは、シロウト目にもわかる。まず、そんなにたくさん計算しちゃって、出てきた答えはどこにどうしまっておくのか。シミュレーションは計算しておしまいではなく、出てきた結果を解析してはじめて意味のあるサイエンスになるのである。しかし、メモリの中身全部をひとつのファイルに落とすとして、10テラバイトのファイルなんて、ふつうの研究者のコンピュータでは手に負える大きさではない。かといって、粗視化してファイルのサイズを落としてしまったら、折角の高分解能シミュレーションの意味がなくなる。もちろん当事者の方たちはこういうところまで考えて開発にあたっているのだろうが、ユーザの立場からは、データのstorageとdisseminationはどういう計画になっているのか、もう少し説明してもらいたい。

さて、今週は子供の学期の中休み。明日と明後日は家族でロンドンにでかけてきますので、日々の研究もちょっとお休みします。

2002年2月18日

論文はオンラインでGRLへ提出した。ネイチャーに投稿してからひと月、中身は随分よくなったと思うが、はたしてレビューアの反応やいかに。レビューが戻ってくるまでの2ー3週間は、とりあえず別のことができる。まずはプロポーザルを仕上げてしまわねば。必要な文献調査をやり、研究の独自性をアピールするためのロジックを練ることに腐心する。特にJuckes(2000)やSolomon(1997)を詳しく読み返す。中心となる戦略は(1)傾圧調節を放棄する。(2)定常状態を考えるが、あからさまに熱フラックスを予測しない。(3)水の潜熱放出が静的安定度に与える影響を数量化する。の3点である。

プロポーザルで提案する中身を一部前倒しして試算するために、去年の9月までPeter HaynesのポスドクだったMichael Greensdaleの計算結果を借用することにする。しかし、さまざまなパラメータ設定で何回も実験している上に、ひとつひとつの実験には多変数の3次元分布が時間の関数として保存されているので、必要なファイルを見つけだして解析するのは容易なこっちゃない。いちおう大雑把な記録概要は残されているのだが、これなら自分で計算しなおすよりは多少ましかもしれないという程度である。あいにく、Mikeは現在、emailの届かない、ふつうのメールでもひと月はかかるという、ケニアの山の中の大学で物理を教えているので、ちょっとわからないことを気軽に聞くというわけにはいかない。やや試行錯誤の毎日になりそうである。

2002年2月15日

観測と同化データに食い違いが出たGRLの論文は、どうも観測の方にも問題がありそうだということになり、いくつかの可能性を指摘するにとどめることでDoug君と話がまとまった。2か月半のあいだ集中して解析してきて、大体やれることはやりつくした感じである。そろそろ片をつけて、次のプロジェクトに移行する時期かもしれない。今日明日中にも最終稿を仕上げてオンラインで提出する予定 。

午後はセミナーがふたつ。まず、きのう会って話しをしたPavel Berloffのstochastic modelによる渦拡散係数の見積もりについてのtalk。海洋中の多数の粒子の振る舞いについて、Langevin方程式を順々に高次のマルコフ過程で近似していき(Langevin方程式でやるところがミソで、Fokker-Planck方程式でやろうとすると0次(移流拡散方程式)以上は極めてややこしくなる)、さらに渦の状態によって流速、加速度、流速の分散などのパラメータがそれらを支配するpdfの間をランダムに遷移するという過程を入れることで、直接的な数値計算をかなり忠実に再現するstochastic modelができるという話で、面白かった。特に、次数を上げて行くごとにballisticレジームやsubdiffusive(バリヤ)レジームが再現されていくというマルコフモデルの階層構造はなかなかエレガントであった 。

2つ目のセミナーはJohn Hinchinの、Hele-Shaw cellの中におけるケルビンーヘルムホルツ不安定に関する話。これはフランスの実験屋がやった実験の理論的裏付けを取るための仕事で、線形安定性の方法論そのものに目新しいものはなかったが、理論が実験結果と徹底的に会わない時にどのようにモデルを改良していくかということの実践例として面白かった。つまり、計算の途中で導入した数々の仮定の正当性をしらみつぶしに調べていき、怪しいところを改良する、というアプローチである。問題の核心となる仮定を見つけるまで、改良したはずの理論がますます実験結果から離れていくという憂慮すべき事態に陥ったことなどをユーモアをまじえて語り、身に覚えがあってなかなか笑えた。けっきょく、気体と流体の境界でおこっていることには長波近似がなりたたず、力学的境界条件のほかに運動学的な境界条件も改良が要求されるというのが、パンチライン。

去年の暮れにJASに発表した論文の別刷りの請求が、ドイツの大気化学者からきた。最近は論文もオンラインでファイルに落としたりプリントアウトできるので、別刷り請求の依頼が来ることはめっきり減って、実は誰も小生の論文を読まなくなっているのではないかと勘ぐっていたのだが、久々にそうでもないことがわかり、ほっとする。

2002年2月14日

JASから論文のレビューを依頼された。にわかに片付けなければならない仕事の多さに気付き、今日はまず先延ばしにしていたPeter Haynesと彼のポスドクのMike Greensdaleの論文の内部レビューに着手。パラメータをいくつも変えて計算しているので山のようなデータが延々と続くわりには、理論的な肉付けがものたりない感じがする。まあ、この手のシミュレーション結果の報告というのは結構書くのが難しいのだ。こうなりました、というより、なぜこうなるのかというということの方が大事なのだが、えてして、こうなりましたの部分だけで膨大な紙面を割いてしまい、肝心の解説にこぎつけるころには書く方も読む方も息切れしてしまう。それでもいくつかの要点にしぼってコメントを書きあげ、ひとつノルマを完了。ふう。

Christophe Koudellaのランチタイム・セミナーに出かけていくと、もう皆集まっていて、セミナーは始まっていた。いつになくみんな集まりがいいな、と思いつつ腰をおろす。2次元と3次元の乱流問題で、渦位にアルファ・フィルターをかけた場合に、エネルギーとエンストロフィーの散逸はNavier-Stokesとどう異なっているかという議論である。しかし、随分と結果をはしょっているような気がするなあ、と思って聞いていると、10分もたたないうちにまとめのスライドが出てきて、「はいこれで僕の発表はおしまい。」ひぇー、発表は簡潔にと常々学生に指導している小生であるが、持ち時間50分のところを10分とは、これまた簡潔な。と、Christopheがつかつかと歩み寄ってきて、「ごめんごめん、Michaelが1時15分に用事があるっていうんで、30分早く始めることにしたんだよ。呼びに行ったけど部屋にいなかっただろう」ぬわ〜んと、要するにサンドイッチを買ってからいつもの時間にやって来た小生が聞いたのは、終わり5分の1だったわけ? どおりでみんな集まりがいいと思ったよ。

午後は、UCLAから3日間の予定でケンブリッジを訪問中のPavel Berloffと会談。彼はJim McWilliamsのところで海洋中の混合問題を研究しているそうだが、大気の混合問題で使われている診断法について学びたいというので、トレーサの等価長のコンセプトを手ほどきする。ベクトル解析の部分はややおおざっぱであったが、一通り解説する間、式のひとつひとつにも彼なりの解釈を入れて、納得のいくまで吟味しているようすだった。そうして、はじめはやや懐疑的な顔をしていたけれど、おしまいには目を輝かせて、「これは面白い!」。初めてこのコンセプトに出会う研究者の多くが、似たような反応をする。途中にベクトル解析が必要なのでとっつきにくいが、結果が美しいため、理解した人にとってはインパクトが強いようだ。ただし、こういう論文をゆっくり時間をかけて読む人は少ないので、とにかく人に会えば口で説明して、診断法の有効性と、背後にある理論の美しさを納得してもらっている。言ってみれば小生は研究のための道具をこしらえる道具屋なのだが、作って店頭においておくだけではどんなにいい道具もみんなに使ってもらえない。道具職人であると同時に、マーケティングもしなければいけないわけである。

2002年2月13日

提出寸前の論文の一部に不具合が見つかった。観測と力学的同化データとの差は主に化学反応によるものであろうと考えていたのが、そこで想定されている化学反応式を解いてみると、タイムスケールが長すぎて、25DUというような違いを2、3日のうちに生み出すことはとてもできないということがわかったのだ。化学過程を間接的に測定できる可能性が新手法のセールスポイントのひとつであったが、選んだ解析事例にはそもそも化学過程があまり関係なかったということになる。しかも、化学過程が無関係となれば、観測と解析の違いを説明する別のメカニズムを考えなければならない。この値は誤差の範囲というにはやや大きく、しかも低温のオゾン・ミニホールの中心部に限定されているので、化学過程と考えるのが一番都合がよかったのだが、数量的に裏づけがとれない以上、この説明は放棄せざるをえない。(まったく未知の、より速い化学過程が見つかったのだという都合のいい解釈は、100パーセントないとはいわないが、まず考えられない。)仮に原因を特定できなくても、論文の大勢に影響はないともいえるのだが、データ解析である以上、予想と結果の違いはあって当然、問題はその違いの原因を特定できるかどうかにあるので、ここが最後の正念場という感じだ。いくつかの比較解析を考案し、原因の究明を急ぐ。

小学校6年生の長女が学校の算数の宿題で、数学用語の辞書を作るというプロジェクトをやっている。幾何、数論、測度、データ表記などのいくつかの分野にわけ、いくつかの与えられた用語を自分の言葉で定義するというものだ。とかく式を解いて答えを出すことだけが算数と思いがちだが、議論に使う用語の正確な意味を知っているということは、ロジックを組み立てるうえでの基礎なので、こういう訓練は非常に重要である。たとえば、円の直径とは、半径の倍であると定義することもできるが、そのためには半径をきちんと定義しなければならない。だいたい自分でわかって使っているつもりの言葉でも、意味をくわしく考えてみると、どうもあいまいであるというものは結構ある。たとえば、角柱(prism)とは何かと聞かれて図形のイメージはすぐ湧くが、言葉で正確に表現しようとするとなかなかややこしい。また、基本的な測量単位が現実世界とどうむすびついているのかというようなことも長女にとっては新しい発見だったようだ。「ミリメートルは1000分の1メートル、センチメートルは100分の1メートル、1メートルは1000分の1キロメートル。じゃあ、1キロメートルってどれくらいの長さ、お父さん」「うむ、赤道の上を歩いて地球を一周すると、それが40000キロメートルだ」「ヘーえ、1キロって、15分ぐらいで歩ける距離かと思ってたけど。」「まあ、だいたいそうだけど、みんながみんな1キロを15分で歩くわけじゃないだろ。単位ってのは誰が測っても同じじゃなきゃ困る
んだ。だから長さの場合は、赤道を一周した長さを40000キロと決めたのさ」「ふーん」(とまだピンとこないようす)

2002年2月12日

きょうはDoug君のオフィスにNASAのプログラム・マネージャが視察に来るというので、今書いている論文の内容をtimelyに発表することができるよう、図面や論文の草稿の仕上げに余念がない。こういう特別な機会があると、集中して仕事がはかどりまた新しいアイデアもわくので、おっくうがってもいられない。というか、こういう特別な機会でもないと、だらだらと細部にこだわっていつまでも研究が先に進まなかったりするのだ。ちょうどお客さんでもくる予定がないと家のなかがきれいにならない誰かさんのうちみたいに。いや、うちはその段階を通り越して、来て下さったお客さんがあきれて掃除をしていってくださるというレベルなのだが。とにかく、大掃除よろしく、AdobeのDTP Suite, ワープロ, Fetch, Netscapeその他いろいろのツールを同時に動員してたまった仕事を一気にこなそうとしているので、さすがにOS X搭載のiBookもメモリーが足りなくなってソフトの反応が極めて悪い。なんとか5時間時差のあるDCの朝10時の締め切りまでに、草稿の第二段を完成させる。ネイチャー誌に門前払いされたころに比べると、あたらしい解析結果とより厳密な誤差のみつもりが加わったので、ぐんと良くなった。今週中にはGRLに提出できそうだ。

夕方からは家の近くのEmanuel CollegeにJohn Polkinghorneの科学と宗教についての講義を聴きにく。Polkinghorne氏は現在小生がいる応用数学理論物理学科のもと教授(素粒子論)、Queens Collegeのもと総統でありながら、なおかつ英国国教会の聖職者でもあるという、二足のわらじというか、科学とキリスト教信仰の双方で前線に立っておられる方である。彼の本を最初に手にしたのは93年、シカゴ大学の書籍部であった。スーパーストリング理論とキリストによる救いが同じ本の中でそれもかなりの深さで議論されているというのが斬新だった。科学と信仰の接点を第一線の科学者の立場から書いたものとして、非常に感銘を受けたのを覚えている。今日の講義の聴衆は約200人、あとの質疑応答から察するに科学系と人文系が半々(質問した人たちはほとんど無神論者または不可知論者とみうけられた)、年齢層は著名なPolkinghorne氏を反映してか学生からお年寄りまで幅広かった。話の中身自体は大体彼の著作と重なるところが多かったが、いかにも切れ味のいい話しっぷりと効果的なアナロジーで全然飽きることがなかった。なぜ我々の住む宇宙は特別なのかという話の中では、彼が個人的に知っていた今世紀の物理学の巨匠たち(たとえば、Paul Dirac)についての回想などもあり大変興味深かった。この他話題は、なぜ宇宙というものは存在するのか、なぜ科学することに意味があるのか、なぜ科学や数学はうまくはたらくのか、というような科学哲学よりのことから、なぜ世の中には病気があり、神を信じるものが苦しまなければならないのか、という神学的なことまで多岐にわたっていた。こういう話を家から5分のところで聞けるというのが、ケンブリッジのケンブリッジたるゆえんである。

2002年2月11日

日本から義母が訪ねてきているのに家中で風邪をひいてしまい、用事を片付けるためあちこち走り回っているうちに小生の風邪はどこかへ行ってしまった。今日は子供たちも学校を休ませたので、送りに行く必要がなくなり、朝はちょっとゆっくりできた。オフィスは比較的閑散としている。かつてシカゴでポスドクをしていたこともあるAmalaがやってきて、パワーブックの電池を切らしてしまったので、iBookのアダプタを貸してくれという。さいわい小生のiBookは数時間分充電されていたので、どうぞどうぞと貸し出す。パワーブックとiBookのアダプタに互換性があったのは幸いだった。通常アップルではこういう融通がきかない。それにしても、AcademiaにはMacを使っている研究者や学生がまだ大勢いる。小生などは、インターネットも計算もグラフィックスも論文書きも、ぜんぶ一台のiBookでまかなっている。MacOS Xは基本的にUNIXなので、いままでワークステーションでやっていた仕事がそのままMacでもできるようになり、何かと便利になった。球面上の浅水波方程式くらいなら平気で積分できる。(そう、コンピュータとはそもそも計算をするための道具なのだ。)しかしGUIのほうはThinkCやCode WarriorでちゃかちゃかとプログラムできたOS 6.xxのようなわけにはいかなくなってしまった。 128Kとフロッピーでワープロがわりに使っていた85年のころからは隔世の感がある。

さて、いよいよGRL論文の詰めが最終段階に入ってきたので、昼過ぎからはWashington DCのDoug君とほとんどチャット状態でファイルのやりとりをする。わざわざイギリスに来ていながら、イギリス人とほとんど話をしないで海のむこうと仕事をしているというのも変な話だが、この種の仕事はいっとき集中してこなしてしまわないと、いつまでもずるずると時間がかかってらちがあかない。特に今回の論文はデータ解析であり、理論畑の小生からすると、頭を使うというよりは手作業的要素が強いので、Doug君の才能に多大にお世話になっている。彼の解析を小生が見て論文を書くという二人三脚だ。研究者にとっては、有能な助手をもつかどうかで、仕事の能率に天と地ほども違いが出る。そういう意味で、Doug君のような優秀なポスドクに恵まれた小生は大変幸福だといわなければならない。むしろ、こちらに時間のある今の方が、忙しかったシカゴでより彼とよく研究の話をしているような気がする。むこうにとってはいい迷惑かもしれないが 。

2002年2月8日

風邪をひいて喉が痛い。GRL論文に手を加える前に、もう一度だけ昨日の問題を考えてみる。Langevin方程式の右辺が決定論的に書き下せてLangevin方程式にならないと書いたが、それは単に、ものごとが本質的に確率過程抜きで記述できるということじゃないのか?そう考えて個々の粒子の運動方程式を見直してみると、おや? 昨日と何かが違うぞ。昨日は等価緯度を場の変数と考えてオイラー的記述を試みたのでややこしくなったが、個々の粒子がたどる等価緯度の履歴を考えるなら、ずっと表現が簡単だ。あっというまに分散についての微積分方程式がたち、そこから2階のODEが導かれた。初期状態に極めて近い微小時間に限るなら、分散の1階時間微分は消えてなくなるので、方程式は2階時間微分と定数項だけとなる。きのうはこれにもう一項加わって、この表現がややこしくてあきらめたのだが、なんとそれがなくなっている。計算間違いなどのぬか喜びでないことを確認して、すべての粒子について足し合わせる操作を線積分で置き換えると、おお、できた!予想通り、分散の大きさが等価長の自乗に比例している。(他にもちょっと面白い量に比例しているのだが。)微小時間極限の近似解とはいえ、これで粒子群が拡散の影響下にあるトレーサに相対的にどう分散していくか、数量的に示せたことになる。きのうの段階ではあきらめていただけに、なんだかきつねにつままれたような気分だ。具体例を示すために、移流拡散の数値実験と、楕円関数で表される移流のみの厳密解を比べるプログラムを作ることにする。午後は風邪でもうろうとしてきたので、セミナーに行くのはやめて論文の方をぼちぼちとやる。

シカゴのアドレスに一通のEメールが届いた。シカゴ大学から入学許可をもらった新1年生の親御さんからである。来週家族で大学の下見に行くので会えませんかと言う。アメリカの私立大学は月謝が相当高いこともあり(年間2万5千ドル以上、寮費や食費はもちろん別)、どの大学を選ぶかについては、入学許可をもらったあと家族でキャンパスツアーに参加し、設備その他について詳しく下見するのが通常となっている。しかし、新入生の親から直接面会を求められたのは初めてだった。キャンパスの学生キリスト教団体から小生の名前を聞き、クリスチャンの教員としての意見を聞きたいという。娘さんのキャンパスにおける信仰生活についてアドバイスが欲しいとのことで、すでにクリスチャンの学生とは何人か連絡を取ったそうだ。これを聞いて小生は感心した。理知至上主義が蔓延し、キリスト教信仰に必ずしも友好的でないアメリカの一般大学にクリスチャンの子供を送るのは、親としてそれなりに勇気のいることである。施設も講義も大事だが、ご両親としてはまず、娘さんが信仰を守り、神との関係において成長していくのに、はたしてここはふさわしい大学かどうかということが一番の関心事なのだ。小生はまず、このご両親は本当に娘さんのことを愛しているなと直感した。小生も、自分の子供を大学に送る時がきたら同じようにするだろうと思う。小生の知る範囲では、強い家族のサポートがある学生には、概して精神的にタフなのが多い。そして、アメリカの大学で成功するには、相当タフであることが要求される。残念ながら今回はイギリスにいてお目にかかることはできないが、シカゴであれどこであれ、きっと娘さんは主と共に歩み、学業でも生活面でも、そしてもちろん霊的にも、大いに祝されることであろう。大学でのクリスチャンの同僚のEメール住所を送るとともに、この新入生のこれからの4年間のためにお祈りをした。

2002年2月7日

再挑戦したアイデアはやはりそう簡単ではなく、丸一日いじくりまわしたが前よりほんのちょっと前進したかな、という程度である。目論見としてはマスター方程式を書き下して展開し、Fokker-Planck方程式の形にもちこむつもりだったけれど、遷移関数の形式が煩雑でにっちもさっちもいかなくなった。逆にLangevin方程式を狙っていくと、右辺が決定論的に書き下せてしまい、どうやって確率過程を導入したものか見通しがたたない。う〜ん、これはやはりあまり深追いしないで、ほかのやるべき仕事を先にかたづけたほうがよさそうだな。というわけでDoug君の再解析をもとにGRLのオゾン論文を書き上げることにする。

今日のようにあまり進展のなかった日は、頭を空っぽにするのが一番。家で最近レンタルした2台のコンガをぽこぽこ叩く。たたく場所やたたき方で音程や響きが変わって、面白い。そういえばその昔、大学院の入試で太鼓の振動についての問題が出たのを思い出した。(夏からアメリカに留学することが決まっていたのに、わざわざ3か月在籍するために入試を受けたというのも、我ながら律儀であったと思う。)しかし当時は不勉強でベッセル関数がうろ覚えだったので、苦肉の策として、丸い太鼓を正方形で近似して三角関数で解いたのであった。まあ、どっちにしても端を固定された振動子の固有振動で物理的には同じことなんだが、四角い太鼓というのはあまり見かけないから、音色とかきっと悪いに違いない。第一たたきにくいだろうな、角がでっぱっていると。試験官としては特殊関数の知識をためすつもりだったのだろうに、開き直ってこういう強引なことをして、それでもなんとか大学院に入れてもらえたんだから、あのころはよかった。とはいえ、Rodinについて述べよ、という試験問題で、魯迅について書いて某大学の入試をすべったという人もいたそうだから、ゴリ押しにも通用限界はあるようである。

2002年2月6日

昨日浮かんだアイデアはほとんど進展を見ないまま頓挫。もともとトレーサの等価長というのは混合過程の不均一性を数量化するための道具で、つまり基本的に非平衡状態を記述する変数である。そこで孤立系が平衡状態に移る過程において、実際にエントロピーが増えていくようすを、トレーサの等価長によって記述できないかというという疑問だったのだが、そもそも非平衡状態のエントロピーをどう定義するかという点でつまずいた。理想気体と違って温度も密度も一定の均一流体の中に、物質だけが不均一に分布している。この系のエントロピーとはいったい何だ? 熱力学第二法則からの類推で言えることは、混合が完全に終了した時点、すなわち物質が完全に均一化した時点で極大値をとるような状態量ということなんだろうが。たとえば、物質の混合比の勾配の自乗の領域平均の逆数(「の」が5つもつながっていてひどい日本語だが他に言い方がない)はこの条件を満たすが、なぜこれでなければいけないのか、根拠が希薄だ。自乗のかわりに4乗だってかまわないではないか。ふーむ。もしかするとここには深遠な真理が埋もれているかもしれないが、それを発掘するのは容易なことではなさそうで、とりあえず棚上げしておくのがよさそうかな。

一日で挫折するような思いつきとは情けないと思われるかもしれないが、こういう陽の目を見ないアイデアがつぎつぎと巡ってきては消えていき、たまにその中に使えるものがある、というのが物理学の性質であると、少なくとも小生は思っている。と言ってるそばから次のアイデアが湧いてきたぞ。これはPeter Haynesの論文を読みながら思いついたことなのだが、正確に言うと、前に一度考えて、やはり難しそうだということで棚上げされていたのを急に思い出したのだ。それは、完全に二次元の移流のみによって支配されている粒子群が、移流と拡散に支配されているトレーサの等価緯度を座標としたときにどのように分布をかえていくかという問題である。直感的にはこれはトレーサの等価長に支配されていると考えられるのだが、はたして有効なPDEを粒子群のPDFに関して書き下すことができるか。できるのではないかという気がしていたのだが、それがPeterの論文を読んでいて、できてほしい!という願望にかわった。というのは、これができると、コンター移流法と等価長という二つの異なる解析法の接点を見い出すことができるからだ。むずかしいかな。しかし、エントロピーの問題に比べれば、目的がはっきりしている分、ずっと可能性がありそうに思える。というわけでまた紙とエンピツを持って机にむかう。

今日はこの他、JGRの原稿と、オゾンの再解析結果をめぐってDoug君とかなりつっこんだやりとりをした。

2002年2月5日

JGRに送る予定のDoug君の等価緯度の論文に集中的に手を加える。今回は初めて、TEXで原稿を作っている。物理数学の分野で長年研究をしていながら、今まで一度もTEXを使ったことがないなんて、もぐりじゃないかっという声も聞こえてきそうだが、方程式が原稿の上できちんと見えていないと気持ちが悪いので、これまではもっぱらワープロソフトに方程式ソフトと文献ソフトを連動させることで用を足していたのだ。今回もそれでよかったのだが、たまたまDoug君の原稿がAGUのTEXテンプレートを使って書いてあったので、ワープロのファイルに変換するのも面倒くさいから、これを年貢のおさめ時と思ってTEXを学んでみましょうということにした。やってみると、まず第一に、簡単なテキスト・エディタで編集できるのが有り難い。最近のワープロは機能が増え過ぎて、メモリーやディスクを食い、タイプしてても何となく重い感じがするし、そもそもソフトを立ち上げるのに1分近くかかったりして、簡単な文書を作るには何だか使い勝手が悪い。それに比べ、テキスト・エディタは余計なものがついていないぶん小回りが利く感じで、原稿のレイアウトがすぐ見れないという不便さえしのべば、大変使いやすい。また方程式や図面の番号などを自動的に決めてくれるのも便利だ。まあ、やはり一番厄介なのは、方程式のsyntaxを覚えなければいけないことであるが。しかし、これとてもマニュアルを見ながらしばらく練習すれば、基本的な数式ならそれほど時間をかけずに書けるようになりそうだ。学習曲線の傾斜という点からいうと、数値モデルのユーザインタフェースをpythonを使ってモジュラー化するという今シカゴの方でやっている仕事よりははるかに楽だぞ。それにいざとなれば、小生のWYSIWYGの方程式ソフトはTEXのsyntaxで出力することもできるから、ずるをすることも可能だ。しかもいったんpostscriptに変換すると、アウトプットの美しさはやはりワープロを上回っている。よしこれでファンになったぞ。

Peter Haynesに読んでくれと頼まれている彼の論文の原稿もあったなあ。いろいろやることが多い。こういう時に限って妙なアイディアがわいてそっちに気をとられたりする。ふと、数年前に導出したトレーサの等価長をつかって、エントロピーが定義できるのではないかという気がしてきて(仮にできたとしてどうということはないかもしれないが、こういうことはいったん気になりだすと、徹底的に調べないと気がすまない。)バックパックに熱力学の教科書を入れて家に帰る 。

2002年2月4日

金曜日行方不明になった娘はさいわい1時間ほどで歩いて戻ってきた。何のことはない、来ないバスをしぶとく待ったあげくの彼女なりの判断だったらしい。

さて、話は全く飛ぶが、小生が現在滞在中の学部にはスティーブン・ホーキングという著名な宇宙物理学者がいる。残念ながら彼のオフィスは小生のいるビルとは離れた所にあるため、まだ実際に会って話をしたことはない。彼がつい最近還暦を迎えたのを記念して、学部が特別に「理論物理と宇宙論のこれから」というシンポジウムを開催した。これまた残念ながら家族で旅行をしていて聞き損なったのだが、このシンポジウムでホーキング自身が40年の研究歴をふりかえる講演を行ったらしい。その講演の原稿はここで読むことができる。小生はホーキングさんとは分野も違うし彼の業績は詳しく知らない。しかし自分が60歳になったところで誰かがバースデイシンポジウムを開いてくれるとはとても思えないので、いったい彼の科学者としての歩みとはどんなものだったのだろうかと、いささか興味をもって読んでみたのだが、なかなか面白かった。

宇宙の密度が定常状態にあるとする理論が60年代に観測によって崩れ、宇宙の膨張や収縮に関する理論が生まれていく過程、Big BangやBig Crunch(という単語は使っていないけれど)という数学的な特異性をどう扱うのか、またこの問題とのからみで、一般相対性理論(重力場理論)およびその量子力学との整合性、そしてブラックホールのエントロピーに関する全く新しい知見が得られていく過程がダイナミックに描かれている。まったく門外漢の小生が読んでも、実力と運命的な出会いといくばくかのインスピレーションがキャリアの推進力になっているところが、同じ物理学者としてとても共感できた。(物理学のいとなみ一般のことを言っているのであって、ホーキング氏の主張そのものに賛同する、という意味では必ずしもないですぞ。)寿命を終えブラックホールに収縮していく星の形が完全な球体でなかった場合に、数学的特異性は回避されるだろうかという問題に使われている手法などは、我々が流体力学で日頃使っている手法とさして違わない。かたや時空間にはじめとおわりがあるかという崇高な問題、かたやなぜかきまわすと物はよく混ざるのかという常識の解釈、という応用の違いだけである。宇宙物理学は文字どおり雲の上の学問と思っていたが、あながちそうでもなさそうだな。

それにしても、科学対宗教という対立の図式があちこちにばらまかれているのは、ホーキングさん自身がそうお考えなのであろうか。たとえばホイルの定常宇宙理論やリフシッツ=カラシニコフのバウンスバック理論が当初もちこたえた理由として、宇宙に始まりや終わりがあるならば、物理学があつかえるのはそこまでで、それ以上は創造主たる神をもちださなければならない。それでは困るので、科学者たちは始まりや終わりを含まない宇宙論にこだわった、と述べられている。(とくにリフシッツ=カラシニコフの理論は彼らの生きたマルクス=レーニン唯物主義統制下のソ連には都合がよかったとも。)それともこれは、彼らの扱っている問題が単なる日常の問題を超えた、我々の存在意味にまでかかわる大問題なのだということを強調するためのレトリックなのだろうか。ちなみに、ホーキングさんご自身は「imaginary time」なるものを導入することで、Big Bangやブラックホールの数学的特異性を回避している。つまり、そこで方程式が崩壊して宇宙論の予知力が失われるという危機から物理学を救っている。しかも、そこから描かれる宇宙には始めも終わりもない。

聖書の神による宇宙創造を信じる者として、小生は近代宇宙論と創世記1章の整合性というような議論はとりあえず置いておくとしても、科学と宗教が対立するとは特に考えていない。それに、もし、ブラックホールの中心で一般相対性理論が崩れたとしても、別にいいじゃないですか。いやそれでは困るんだと言って新しい理論を構築するには、それこそ科学を超えたとてつもない「信仰」が必要だと思うのは小生だけであろうか。

2002年2月1日

午前中はプロポーザルの執筆。プロポーザルであるからして、1. この研究をすることにどういう意味があるのか、2. 仮説および結果の予測、3. 仮説を検証する手段、4. コスト などについて記述しなければならない。これらをきちんと説明しないと研究費がもらえないわけだからいきおい力がはいるが、たとえお金がおりても、研究がプロポーザル通りに行ったためしがない。仮に3年の研究として、1年か2年もたてば、予想もしなかったような結果がでてきたり、全然別のもっとよい方法が見つかったり、頼みにしていた大学院生が突然研究室を去ったりと、まあ当初の計画からは大なり小なりスコープがずれてくる。さいわいNSFの場合はそういう変化に寛容なので、1年ごとの経過報告と同時に、いつも研究費の使い道の軌道修正を申請している。(とはいえ、気象理論が途中から恐竜の化石掘りに化けたりとか、そういうことはないけれども。)他の人たちはどれくらい当初の予定に忠実に研究をしているのだろうか。最初からすべて計画通りなんて、研究として面白味がないし、大発見というのはえてして予定に全然なかったところに降ってわくものだ。そういう余地を残してなおかつ、レフェリーを納得させるプロポーザルを書くのは本当に難しい、などと考えているうちにたちまち時間切れ。

いくつか読んで手を入れなければいけない論文があるのだが、Doug君の等価緯度の論文以外は来週に持ち越しとなった。3時からは大学院生のAndy Crickの流体セミナー。彼のtalkは12月に別の機会にも聞いていたので大体同じ中身だろうと思っていたら、なかなかどうして2か月間の進歩の足跡をしっかり見せていて立派だった。テーマは、シアー流の中で特異モード同士の弱い非線形相互作用により、ノーマルモードのロスビー波を励起することができるかという問題。ロスビー波の最適励起問題といえばBrian Farrellのアジョイントに関する研究が知られているが、線形の初期値問題であるBrianのパラダイムと比べ、初期条件においては個々の特異モードは全くノーマルモードに投影しておらず、もっぱら後の非線形性がノーマルモードを生み出すという点で異なっている。結果は、特異モードの伝播速度が近いほどノーマルモードを効率的に励起するという。方程式の上では、非線形項は調和振動子の強制項と同じ役割をはたし、ノーマルモードは共振のメカニズムによって(時間に比例し)振幅を増していく。このメカニズムが線形初期値問題における最適励起よりも有効な場合があるかどうか、興味のあるところだ。

もうひとつセミナーに出ようとしていたところへ家内から電話が入り、上の娘が学校から帰宅途中に行方不明になったというので、急遽帰宅することになる。

2002年1月31日

10か月の息子が「hexagon!!」といってくしゃみをしている。行く末は数学者かな。(おやばか)

相関関係の理論をもう一歩先にすすめた。微量成分の混合比そのものでなく、それを領域全体にわたるRMSで正規化した量についての相関をとることで、本質はかわらないが見通しがさらによくなった。(この手法はSinai & Yakut 1989にヒントを得た。)本来は等価緯度でこれをやろうとしたのだが、混合や化学反応項の表現がややこしくなりすぎるため、それにかわるものとして選んだ苦肉の策だったのだ。予想外によい結果が得られたので驚く。とくに混合比の分散が時間によらないばあい、昨日までの結果では0/0となって不定だった箇所が、この変換できちんとした数になり、すっきりした。次のステップは数値計算と直接比較することだ。

きょうのランチタイム・セミナーはChris Warner. 1年ほど前に彼がMcIntyreと共著で発表したサチュレーション・スペクトラムにもとづく重力波のパラメタリゼーションの有効性を、ラジオソンデの風データで検証しようというもの。ヨーロッパでこの手の研究をしようとするときにまず泣かされるのが必要なデータの入手である。ラジオソンデのデータは基本的にソンデをとばしている測候所が管理しており、必ずしも品質管理が行き届いているとは限らない。国によって行政のアプローチが違うが、おおかたこれらの測候所は微々たる予算で運営されており、データを提供するかわりに、それを使った論文の共著者に名前を列ねることで存在意義を顕示している。だから複数のソンデプロファイルを使おうと思ったら、個々の測候所の責任者に個別に連絡をとらなければならない。一か所のハードディスクに全てが整理されている数値モデルの出力と違って、データ収集にはかなり労力がかかる。小生も最近オゾンソンデのデータを集めようとしてこの壁にぶつかった。(というか、すでにデータを収集した同僚からおすそわけしてもらったのだが、それでも使用許可をとるためにデータ元の測候所をひとつひとつ照会しなくてはいけなかった。)で、ラジオソンデだが、欠測はつきものだし、必ずしもほしい変数がほしい形式で観測されているとは限らないので、いきおいデータを使ってできる研究の幅は狭まってくる。このような制約の中で、ChrisのGCMーソンデ比較は、できるすべてのことをやってはいた。たしかに、パラメタリゼーションのこのような直接的な検証は絶対に必要であるが、いかんせんデータの制約とモデルの分解能の限界で、りんごとみかんを比べているような感じがするのは、いたしかたのないところであろう。中層大気のMUレーダーのデータなどは役にたつのではないだろうか。

もう1月も終わり。いろいろやっているわりに達成感はいまひとつだ。Starbucksでキャラメル・マキアートをすすりながら、来月の作戦を練る。

2002年1月30日

サバティカル期間中といっても、シカゴの大学院生の教育には連帯責任を負わなければならない。幸い小生のグループは最後の学生が去年の8月に修士号を取って卒業して行ったので、現在はだれもいないのだが、他の研究室の学生たちの指導委員会にいくつも属しているため、学生の博士論文の進行状況や単位の取得状況などについて時々報告が来る。けさもある同僚から、学生の一人が秋学期に授業でも研究でも惨憺たる成績をおさめたとの由。君が教えたクラスではどうだったかという質問のE-メールが来た。小生が1年前に教えたのはかなり初歩的な気象と流体力学のコースで、このときはその学生はまあまあの成績をおさめていたので、訓練次第ではモノになるかなと思っていたけれど、ここに来てボロが出たのだろうか。それとも秋に個人的に何かあったのだろうか。我々の目から見て極めて優秀な学生というのはなかなかいない(うちにこない)ので、彼のようにある程度見込みのある学生をとり(学部のGPAとGRE、外国人の場合はTOEFL、それと推薦状の中身はかなり厳しく吟味するが、これだけで全てが読めるわけではない)、博士号のレベルまで鍛え上げるというのがうちのやりかただ。しかし、学生の出来には普通ムラがある。大切なのは、学生がつまづいたときにその原因を出来るだけ早くはっきりさせることだ。小生のグループでは過去にひとり、この判断を誤ったため、3年目になって成績不振で放出せざるをえない学生がいた。もちろんすべての学生は、優秀な成績をおさめてくれることを期待して入学を許可するわけだし、学生の成長によって指導教官の真価も問われるわけだが、やはりものごとには(好き嫌いとは別に)向き不向きというのがあって、これを見極めていないと、先は暗いと言わねばならない。どんなに気象に興味があっても、一次常微分方程式が解けないようでは、話にならないのである。(もちろんそういう学生が入ってこないようにGPAやGREがあるわけだけれども。)残念ながら、大学4年までで全ての学生が自分の適性を熟知しているとはいいがたい。

さて、理論(というよりは形式論に近いのではあるが)の裏づけをとるため、解析解が知られているRhines & Young (1983) の問題を使って、昨日の結果が予想通りの数字をはじきだすことを確認する。これがうまく行ったので、思わずそのまま論文の草稿に手を出したい衝動にかられるが、今日のところはプロポーザルの方を先へ進めなければいけないので、じっとがまん。

2002年1月29日

朝はきのうの計算の再確認。テイラー展開の係数をいくつか間違えており、これをなおすと、化学反応を入れても一次摂動項はきれいさっぱりなくなった。特に摂動と第一解が無相関の場合には、相関係数のふるまいが4つの二次摂動項だけで表されることが判明。さらに相関係数が時間によらない場合、相関係数と拡散および化学反応の関係がコンパクトな式に表され、見た目にもうるわしい。ここ二日ばかりの結果は小生にとってはブレークスルーであり、おそらくこれまでの成果とあわせて「成層圏の微量化学成分の混合比の相関関係に関する新理論」として発表するに十分の中身がととのったように思う。ただし、もともとの考えでは、等価緯度が普遍性を持つ条件を見つけて、この普遍性にのっとった理論のフレームワークを完成するつもりだったのが、ここへ来ての発見は、等価緯度が普遍性(つまり相関係数=1)を持たない時に、拡散および化学反応がいかに相関係数の値を決めるか、ということであり、むしろこれまでの結果と相補するパラダイムについての理論を見つけたことになる。平たく言うと、これまでの成果は混合比間に分散がなく、非線形の一対一の関係がある場合についての理論であり、今回のは、両者の間にほぼ線形の関係があるが同時に分散もある場合だ。この展開は予想外だったが、まあ理論物理ではよくあることで、これがまた研究の醍醐味でもある。あとは、理論の裏付けとなるような観測や計算結果をそろえればよし、と。

Doug君のオゾン再解析がまだしばらく時間がかかりそうなので、この隙にNSFのプロポーザルを書くことにする。中緯度対流圏の静的安定度と対流圏界面の高さという、古くて新しいテーマである。観測体制や計算能力の向上により、ここ20年ほどで近代気象学は飛躍的な進歩をとげたが、一方実に基礎的なことがよくわかっていなかったりする。たとえば、なぜ赤道と極の温度差は平均すると30ー40度なのか、中緯度での対流圏界面の高さはなぜ8ー11kmなのか。もちろん、このあたりはおおぜいの優れた科学者たちが取り組んできた問題なのだが、最近の数値実験の結果はどうも既存の理論の根本的な見直しを迫っているように思える。煎じ詰めて言うと、観測されている気候学的平均状態を、ある種の(熱)力学的平衡状態としてとらえることはできないということだ。業界用語でいえばそれは傾圧調節仮説の終焉を意味し、エネルギー・バランス・モデル(EBM)にはじまる非平衡熱力学の定常状態理論の復活である。地球大気のエネルギー収支を考えてみれば当たり前ともいえるこの帰結が、今になってようやく主流になってきたのは、まず第一に70年代のEBMによる予想(たとえばアルベド・フィードバックとか)が、その後のより精密な大循環モデルで再現できなかったこと、またこの路線でEBM以上の理論を構築するのはエラく骨が折れるので、もっと簡単に現状を説明できる(かもしれない)力学的平衡理論に大勢の研究者が(小生もふくめて)流れた、というような事情がある。でもって非平衡熱力学理論の中心課題は、赤道から極への熱輸送の大きさを予測することとされている。ところがふつうの熱伝導と違い、大気中では熱輸送は半球規模の巨大な「水平乱流」によって達成されているため、フラックスを単純な熱伝導係数で表すことはできないのである。ここらへんに難しさがあるのだが、すくなくとも対流圏界面の高さに関していえば、熱フラックスの絶対値ではなく、鉛直方向のスケール(つまりフラックスがどの高度まで維持されているか)が問題になるので、なんとか難題を回避して答えにたどりつけるのではないか、というのが小生の希望的観測である。プロポーザルではここらへんから攻めてみたいと思っている。

2002年1月28日

さてまた新しい一週間のはじまりだ。今日も祈りをもってスタート。家族の平安と健康を感謝して--それ抜きに小生の研究はなりたたないのである。

ケ大と外界をつないでいるネットワークのファイバーがロンドン郊外でちょんぎれたとかで、インターネットが使い物にならない。そこで文献調査はとりあえず置いておいて、また紙とエンピツのモードに戻る。昼過ぎまで、正しいけれども使い物にならない方程式や、使えそうだがよく見ると間違っている方程式などを次々に導出した。だんだんうんざりしてきた頃、思うところあって解同士の相関係数そのものを支配する方程式を書き下してみると、何だかうまくいきそうである。ここ数週間こういうサスペンスからは遠ざかっていたので、心踊らせる。一般解はしんどそうなので、第2解が第1解の微小摂動になっている場合について考察し、線形化してみると、あれれ、摂動の一次項は相関係数になんら影響をおよぼさないぞ? そんならと二次項までひろってみると、おお、これは使える結果だ。思わず没頭してしまい、書かなければいけないNSFのプロポーザルもそっちのけにしてしまう。月曜日は上の娘を近くの公文の教室に連れて行く日だが、そこで娘を待っている間、拡散の他に化学過程を入れて計算しなおし、このばあいは摂動の一次項で効いてくることがわかって、いよいよ面白くなってきた。

話はかわるが、先日Peter Haynesに招かれて彼がフェローの一人であるQueens Collegeのフォーマル・ディナーに出かけて行ったことは書いた。その席上、MITの言語学の教授陣が10人ほど同席していた。こんなにみんなで来ちゃって、留守宅の講義の方は大丈夫なんですかと余計な心配をしたのだが、やっとその理由がわかった。イギリスの大学は産学提携などの面においてアメリカの大学に遅れをとり、インフラの整備状況などで競争力をほとんど失っているということは以前からずっと言われてきたことだけれど、最近になって英政府が、ケ大とMITとの研究提携にまとまった援助金を出すことを決めたらしい。MITを「お手本」としてノウハウを盗めと、いわばケ大にハッパをかけた形である。ケンブリッジ・MITコネクションはすでに工学部間では始まっていて、それに続く分野として双方の言語学部が話をまとめるために、ケ大に集まっていたところだったのだ。さらにあとから分かったことは、その翌日みかけたMITのAlan Plumbも、両校の協力体制を気象学分野で整えるためにきていたらしい。まあ、個人的には、別にケンブリッジがMITのようになる必要もないと思うし、コレッジ制など特有のシステムを維持しながら同時にMITを「ビジネス・モデル」とすることがどれくらい成功するかいささか疑問である。(MITでなくケンブリッジをサバティカルの場所に選んだのはそれなりの理由があるのだ。)それにしてもこれ、MITにはほとんどタナボタのような話だよなあ。シカゴ大の小生としては指をくわえているだけだが、せめて経済学くらいはうちをモデルにしたらどうですか、と言ってやりたい。

2002年1月26日

土曜は書かない予定だったが、今日書かないと三日坊主みたいになるので、今週だけ、書く。

膠着状態を打破するため文献を検索してみると、地球流体ではなく、ダイナモ理論の方で似たような問題をやっているグループが結構あることがわかった。もしかすると問題の半分くらいはすでにどこかで解かれているかもしれない。分野でひとりかふたりと思っても、他の分野まで入れると結構裾野が広かったりするから物理学は面白い。とくにおどろいたのは、数日前にシカゴの同僚のPierrehumbert氏の学生のJaiから送られてきた論文の草稿を今日読んでいたら、物理的にかなり近い問題を、全く異なる観点から議論している。となりの研究室で同じことをやっていて知らないとは、ずいぶんと閉ざされた学科だと思われるかもしれないが、アメリカの大学なんてこんなものである。まあもっとも旧帝大で研究に没頭していて日露戦争があったことを知らなかった先生もいたそうだから、研究室の壁というのは国籍を問わずコミュニーケーションの壁ということなんでしょうな。これで解決は意外と早いかもしれない。

ネイチャーで没になった論文をアメリカの何人かの同僚にコメントしてもらい、どこが良くてどこがまずいかが次第にはっきりしてきた。GRLに提出するころにはずいぶん良くなっているだろうという予感がする。Doug君には解析の分解能を2倍に上げてもらい、また誤差見積もりももう少していねいにやり直してもらっている。来週早々には新しい結果が出る予定だ。

今日は風雨の中、下の娘をクラスメート(中国人)の屋外のバースデー・パーティーに連れていった。子供達がぶるぶるふるえているのに、おやつにアイスクリームが配られたのには仰天した。いくらシカゴから来ていて寒さに慣れているとはいってもねえ。挙げ句に娘はシーソーから仰向けに転落し、すっかりやる気を失ってしまった。ホストには悪かったが早めに引き上げる。


2002年1月25日

引き続き等価緯度の漸近普遍性について考えている。寝てもさめても、風呂の中でも考えている感じになってきた。ちなみに、学科の分館であるアイザック・ニュートン研究所にはトイレの中にも黒板がかかっていて、井戸端会議ならぬ厠会議ができるようになっている。いつでもどこでも考えておれという研究所のモットーなのか、イギリス人独特のユーモアなのかは、不明。この永年の問題になぜ今集中しているかというと、これを証明できれば、成層圏の微量化学成分の混合比の相関関係に関する理論を一挙に一般化できるというところまでこぎつけているからだ。これが完成すれば、Plumb & Ko (1992) の古典的理論と解析の実態のギャップをかなり埋めることができる。ところでそのAlan Plumbだが、けさ学科に行くとMITからひょっこり訪ねてきていて驚いた。

永年の問題と書いたけれど、これは小生にとっての永年の問題ということであって、世の中でこれを問題として認識しているのは小生を含めてひとりかせいぜいふたりであろう。競争する必要がなくて楽ともいえるが、日本の同僚には「中村さんは独自の学問体系を築きあげておられますね」などと、賛辞とも揶揄ともとれるコメントをちょうだいしている。それはともかく、非定常流に関する移流拡散方程式の解が初期条件によらぬ普遍解に収束するための十分条件は、オペレータの定常(時間平均)部分と非定常部分が可換であることである、というところまでは漕ぎ着けたものの、これは離散化した有限の解空間での話であって、対応する物理的イメージがさっぱり湧かない。同じことをPDEのレベルでいうとどういうことになるんじゃ? 流線関数の時間依存性に関する拘束条件は? まだ道は険しいようだ。

午後は流体の2つのセミナーを聞く。一つめは大学院生のBjoern Hasslerによる熱帯成層圏の上昇流に関する話。大気モデルの微小な格子拡散が熱帯のBrewer- Dobson循環にそう小さくない影響を与えるという結論。物理的に重要な現象がモデルのtuning knobである格子拡散によって決まるというのは、本当だとすればいかにも居心地が悪い。同じ熱帯成層圏のQBOもその周期は鉛直拡散係数にきわめて敏感でモデラー泣かせではあるけれども、少なくとも基本流と赤道波の運動量交換という物理的なメカニズムははっきりしている。Bjoernの経度方向一様のモデルでは経度波を表現できないため、擬運動量の格子間拡散の源になっているのは、南北に伝播する慣性重力波と赤道付近の慣性不安定だけ。ロスビー波の効果について知りたいところだ。

2つめのセミナーはLadHyxの Jean Marc Chomaz による非線形の絶対不安定と移流不安定の話。実験結果は美しかったけれど、解釈はどうも釈然としなかった。ウソは言っていないと思うのだが、解釈の根拠となっているモデルがほとんど天下りの上、Navier-Stokesとの関連が極めて希薄。そのモデルである必然性が(結果をうまく説明できるという以外)感じられないのだ。せめてNavier-Stokesのなんらかの近似解であるならもうすこし納得できるところだが。残念ながら彼は時間を大幅に超過して話したので、質問する時間もほとんどなかった。概してヨーロッパ人はアメリカ人とくらべてプレゼンテーションがうまくないと思う。(話の中身の善し悪しでなく、話しかたの問題である。)おそらく初等中等教育でのトレーニングに差があるのだろう。

2002年1月24日

起きる前1時間の貴重な眠りを、隣に寝ていた長男がけっとばしたり叫んだり挙げ句に鼻先でうんちをしたりして妨害するもんだから、いたたまれずに早起きしてしまった。おかげで午前中はずっと眠かったぞ。予想にたがわず、ネイチャー誌からは鄭重なお断りのメール。要するに我々の論文では専門家にはいいが一般読者に訴えるインパクトが足りないということらしい。まあ、1999年11月30日のミニ・オゾンホールがいかに最強だったとはいえ、すでに2年が経過し、この件についての解析例が他のグループからもぼちぼち出てきていることを考えれば、他の追随を許さぬ最新手法を用いていると頑張っても(これは事実だと思う)timelinessという点で落第なのであろう。レフェリーに読んでもらえないのではしかたない。気をとりなおしてGRLに再投稿すべく、手を入れはじめる。LMDから来たBernard Legrasのセミナーは、極渦周辺の混合過程というお約束のテーマながら、非定常2次元流の双曲線領域を診断するOokubo-Weissのオイラー的手法をラグランジュ的に拡張した最近のHua-Kleinの手法を取り入れた解析で、面白かった。Hua-Klein理論は現在考察中の等価緯度の漸近普遍性の問題に関して密かに注目していた手法である。それはそうと、小生が1996年に開発したトレーサ・コンターの等価長にもとづく有効拡散係数が、最近の水平混合問題の解析にはほとんどスタンダードな診断法として用いられているのは喜ばしい。(小生のホストであるPeter Haynesと彼の学生のEmily Shuckburghがこの手法の記念すべき最初のユーザであり、これが広報の役割を果たした。)実はこの有効拡散係数誕生に際しては家内が重要な役割を担っているのだが、これについては、また今度。夜はBernardとともにPeterに招かれて、Queens Collegeのフォーマル・ディナーに行ってくる。めったに使わない背広が陽の目を見た。食事の後コレッジのフェローたちとしばらく歓談したが、「炎のランナー」の1シーンを彷佛とさせる雰囲気だった。

さて、仕事と全然関係ないが、北の湖親方が日本相撲協会の新理事長に決まったようだ。小生の高校時代のヒーローだった彼が協会の看板を背負うことになって、ちょっとうれしい。

2002年1月23日

突然ある方のまねをして仕事の日記をつけてみようと思い立つ。三日坊主にならないといいけど。きょうでケンブリッジの研究休暇もちょうど半年がすぎ、息子もきのう満10か月を迎えた。早い。先月の中頃からは物書きモード。先週には現在NRLにいる私の以前のポスドク、Doug君と共著のオゾン・ミニホールの論文をネイチャーに投稿した。ネイチャーに送るのははじめてだ。大方の予想ではレフェリーにまわされることもなく門前ばらいになるだろうとのこと。(ネイチャーに送られてくる論文の大半がそうなんだそうだ。)その暁には書き直してGRLに送る予定。さいわいこの問題にはひと月半しか費やしていないので、たとえ蹴られたとしても時間のロスは少ない。(が、どうでもいい片手間仕事という訳ではないぞ。) もう一本の共著論文、トレーサによる等価緯度の評価に関するDoug君の初稿に手を加えた。これはJGRに投稿する予定。おおむねよく書けているが、ところどころ説明がていねいすぎて、読みにくい(くどい)。7割くらいの長さに削る。あまり物書きばかりしているのも疲れるので、午前中は懸案の等価緯度の普遍性の証明について考える。線形問題なのであるが、流れが非定常の場合にはオペレータがnonautonomousかつnonnormalになるため一般的な取り扱いはややこしい。Farrell & Ioannou(1999) の論文を参考に、第一リヤプノフ指数の符号を決めるのに主要な役割をはたす流れの性質について考察する。わかったようでわからん。この問題については、こんな状態がもう2年以上も続いている。もっとも、きわめておおざっぱな診断という意味でなら、トレーサ勾配自乗の領域平均の方程式の歪み項を数値解から実際に計算して、時間発展を調べるというのが一番見通しがいいような気がするが。たいした進展を見ないまま、午後はNSFの科研費申請の書類を作りはじめる。久しぶりに対流圏の力学に戻る予定。アイデアはかなり固まりつつあるが、ほとんど新規応募に近い状況なのと、昨今のアメリカの厳しいfunding状況を考えると、手は抜けない。一週間くらいで骨子を固めるつもり。こういう時、講義や委員会の仕事がないというのは実にありがたい。あすはLMDのLegrasがくるので、Peter HaynesとQueens Collegeで飯を食べることになっている。

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このページの掛線はshinoさんのHomepage tipsを参照させていただきました。

(c)2002 中村昇