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朝一番にエミを連れてクリニックへやって来た。小学校に入学する前に必要な予防接種を全て受けておかなくてはならないのだ。 「また注射するの?」 「ごめんね、でもしなくちゃいけないのよ。」 「どうして? アタシ、どこも病気じゃないのに!」 「今日の注射はね、予防注射っていってね、病気だからするんじゃなくて、この注射をしておけば、あとから恐い病気にかからないですみますよ、ってそういう注射なの。」 「病気じゃないのにするの?」 「そう。」 「この注射したら、あとで病気にならないですむの?」 「そうなのよ。」 「でも嫌だぁ。」 「ごめんね。我慢してね。すぐ終わるから。」 例によってエミは大泣きした。とにかく注射は大嫌いなのだ。 「48時間以内に副作用で熱が出るかもしれませんが、心配ありません。気になるようでしたら熱さましでもあげておいて下さい。」看護婦さんはにこやかに言う。 赤ん坊の頃からすでに何度か受けている予防注射だから、危険な副作用が出ないことはわかっていた。出るとしても発熱くらいだろう。 案の定、午後になってふと気付くと、エミがだるそうにソファに横たわっている。 「どうしたの? 苦しい?」 「うん、苦しい。」 顔もほてっている。額に手を当てると熱い。早速発熱だ。 「あの注射したら後から病気にならないですむって言ってたのにぃ。アタシ、前は病気じゃなかったのに、注射したから病気になっちゃったよ。」 うらめしそうにエミがいう。まったくエミの言う通りだ。私には返す言葉もない。もちろん病気になったとはいっても、軽い副作用の発熱だから心配はいらないのだが、エミにとってはそんなことは関係ない。 「ごめんね。病気じゃなかったのに、ママの言う通りに注射したら、病気になっちゃったね。 ママのこと、怒ってる? Are you mad at me?」 「No.」 「Why not?」 「Because you are my Mom. Because I love you no matter what.」(「だってあなたは私のママだもの。だって私はあなたのことを愛しているんだもの、何があっても。」) エミの返事を聞いて私は胸があつくなった。思わず涙がこぼれた。私はエミの母親だから、ただそれだけで、何が起きてもこの子にとって 予防注射は自分にとって益になることだから今は苦しくても我慢して感謝しよう、というのではない。エミは予防注射が益になるということすら理解していない。自分にとって益になるとかならないとか、そんなことはエミにとって問題ではないのだ。ただ私はエミの母親だから、それだけの理由で、私を愛しているといっているのだ。エミが理解できる範囲内では、私がしたことがあたかもエミを病気にしてしまったかの 神様が私たちに求めているのは、こういう愛の関係なのだろう。神様が私たちを祝福して下さるからとか、どんな困難も全てを相働かせて益と変えて下さるからとか、そういう条件付の愛によって支えられる関係ではなく。
(1997) |

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「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節) 聖書の中にはこのように書かれています。実は神様こそ究極の親ばかなのです。同じく聖書の中のゼパニヤ書というところでは「主(神)は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる(3章17節)」とあります。神様は私たちの中に"Delight(喜び)"を見い出すといっておられるのです。 あなたは愛されている… YOU ARE LOVED!! 私のことなど愛してくれる人は誰もいない… もしあなたがそう思っておられるなら、そんなことは決してないのです。あなたはとってもとっても愛されているのです。 「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネによる福音書3章16節)」 イエス様ご自身もこのようにいっておられます。 「わたしが来たのは、羊(人々)がいのちを得、またそれを豊かに持つためです(ヨハネ10章10節)」「…永遠のいのちとは、彼らが唯一まことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(17章3節)」 どうしたら受け取ることができるのでしょうか。 興味がある方は、是非この 子羊をクリックしてください。 |

(c) 1998, 2002 Sachi Nakamura