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インスピレーション

はずれてたおむつ 

1歳半のエミがお昼寝から目を覚ました。エミはベビーベッドが嫌いなので、床に布団を敷いて寝かせていた。私が部屋を覗くと、なんとおむつがはずれて下半身むきだしのエミがおもちゃで遊んでいた。

「仕方のない子ねぇ、おむつはずしちゃうなんて。」 と、その時気がついた異臭。はっとしてあたりを見渡す。

あった! 落ちている! まさか触ってないでしょうね… あわててティッシュでつまみあげ、トイレに流す。 なんとおぞましい。ゾっとしながら落ちていたあたりを洗剤でごしごし拭き、殺菌スプレーをまく。エミの手も、念のため抗バクテリアの手洗い用石鹸でよく洗った。

やれやれ、最悪。 しかしまだ臭う。ビクビクしながらもう一度あたりをよく見回した。 あっ、ショック! おもちゃになすりつけてある! 壁紙にもなすりつけた形跡がある! 信じられない、なんてことを。 こみあげる吐き気をおさえつつ、徹底的にきれいにした。おもちゃは捨てた。 

なんだか悲しくなった。エミが嫌いになったわけではない。 まだわからないのだから仕方ない。でもだからといって、汚物で汚れたままのエミの手を握り締めたり、汚れたままの部屋をそのままにしておくわけにはいかないのだ。愛する我が子だけれど、汚物で汚れた手を差し出されても、「ちょっと待って、その手でママにさわらないで!」と叫んでしまうのは当然のこと。それに、エミがその汚れた手を口に入れたりしたら大変だ。

愛する我が子だからこそ、汚れっぱなしにはできないのだ。

神様、あなたにとっても同じですね。あなたは聖なるお方です。あなたは罪を憎まれます。
罪に汚れたままでは私はあなたのおそばに行くことができないのです。
でもあなたは私を愛しておられるので、イエス様の十字架の血潮で私を洗ってくださいました。
主よ、いつも私の心を探ってください、私の心に罪が繁殖してしまうことがないように。
私があなたの憎まれる罪で再びこの身を汚して、あなたを悲しませてしまうことがないように。

あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、
 あなたがたも聖なる者とならなければならない。
」  レビ記19章2節

ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。
 そうすれば、わたしはきよくなりましょう。
 私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
」詩篇51篇7節

(1992)

わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)

聖書の中にはこのように書かれています。実は神様こそ究極の親ばかなのです。同じく聖書の中のゼパニヤ書というところでは「主(神)は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる(3章17節)」とあります。神様は私たちの中に"Delight(喜び)"を見い出すといっておられるのです。

あなたは愛されている… YOU ARE LOVED!!

私のことなど愛してくれる人は誰もいない… もしあなたがそう思っておられるなら、そんなことは決してないのです。あなたはとってもとっても愛されているのです。

神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネによる福音書3章16節)」

イエス様ご自身もこのようにいっておられます。

わたしが来たのは、羊(人々)がいのちを得、またそれを豊かに持つためです(ヨハネ10章10節)」「…永遠のいのちとは、彼らが唯一まことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(17章3節)」

イエス様が私たちに与えてくださるという豊かないのち、永遠のいのちとは
どうしたら受け取ることができるのでしょうか。
興味がある方は、是非この 子羊をクリックしてください。

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(c) 1998, 2002 Sachi Nakamura