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暖かくなり、外遊びをする機会も増えてきたので、道路用のお絵描きチョークを買ってきた。プラスチックのバケツに20本くらい入っているやつ。 ま〜やはチョークを持って早く公園に行きたくて、朝から私におねだり。 ほらほら、そんなにあわてないの。まずジャケットを着て、それからおクツを履くんでしょ。 「シューシ、シューシ」そう言いながら自分の足を私の目の前につきだす。シューシとは、ま〜や語で「シューズ」つまり靴のことだ。準備が出来たら外へ出る。公園はうちから通りを隔てたすぐ向かい側にある。喜々として道路を渡ろうとするま〜や。両手にチョークのバケツを抱えて。 ちょっと待って。あっちの方から車が来ているのよ。 ま〜やのおなかのあたりを後ろから抱きおさえる。車が危険だとわからないま〜やは、公園を目の前にしてストップをかけられ、手足をバタつかせて抗議する。そして怒ってバケツを地面に放り投げた。 チョークはアスファルトの地面に飛び散って、ボキボキに折れてしまった・・・ この子ったら・・・ 本当に何もわかっていないんだから。せっかくま〜やのために買ってあげたチョークを台なしにして。早くチョークを使いたかった気持ちはわかるけど、ま〜やが安全に楽しく遊べるようにするためには、いろいろ準備したり待たなくちゃいけなかったりするのよ。 そう思ったとたん、悲しそうな顔でため息をつきながら折れたチョークを拾うイエス様の姿が、なぜだか私の目の前に浮かんだ。 チョークは神様が私たちに与えて下さっている様々な賜物(ギフト)。いただいている賜物を早く用いたいと思うのは無理もないだろうけれど、私たちがその賜物をもっとも有益なやり方で用いれるようになるために、神様も私たちを整え、また時期をはかられたりなさるのだ。でもなかなか全てが整えられず、神様からのゴーサインがちっとも出ないからといって苛々してせっかくの賜物をないがしろにし、台なしにしてしまっていることって少なくないのかもしれない・・・ 神様、私に与えて下さっている賜物を感謝します。
(1999) |

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「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節) 聖書の中にはこのように書かれています。実は神様こそ究極の親ばかなのです。同じく聖書の中のゼパニヤ書というところでは「主(神)は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる(3章17節)」とあります。神様は私たちの中に"Delight(喜び)"を見い出すといっておられるのです。 あなたは愛されている… YOU ARE LOVED!! 私のことなど愛してくれる人は誰もいない… もしあなたがそう思っておられるなら、そんなことは決してないのです。あなたはとってもとっても愛されているのです。 「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネによる福音書3章16節)」 イエス様ご自身もこのようにいっておられます。 「わたしが来たのは、羊(人々)がいのちを得、またそれを豊かに持つためです(ヨハネ10章10節)」「…永遠のいのちとは、彼らが唯一まことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(17章3節)」 どうしたら受け取ることができるのでしょうか。 興味がある方は、是非この 子羊をクリックしてください。 |

(c) 1999, 2002 Sachi Nakamura