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エミは6才になったばかりの頃、補助なしの自転車が乗れるようになった。練習にはいつも私がつきあって、自転車の後ろをおさえてエミと一緒に走ってあげたものだった。 「ママ、離さないで! 離したらやだよ!」 「わかってる! 離さないから一生懸命こぎなさい。止まったら駄目よ。」 「ママ、離さないで! 離さないで〜!」 「大丈夫、大丈夫だからどんどんこぎなさいってば!」 でもあるとき、私はついに手を離した。 エミが乗った自転車はゆらゆらゆれながら4、5メートルほど進んで、エミの悲鳴とともに横倒れになった。 エミはふくれっ面をして、泣いて怒った。 「離さないでって言ったのにぃ! ママのうそつき! 転んじゃったでしょ!」 「ごめん、ごめん。でも少し一人で乗れたじゃない! 出来たじゃない! やったねぇ!」 エミはちょっと得意そうに泣き笑い。 「もう一回やってみる!」 本当は私だって、エミが転んで痛い思いをするのは見たくない。でも、彼女の成長のためには思いきって手を離さなくてはいけない時もある。 子供は、転んで泣きながら、強く逞しく成長していくのだから。 旧約聖書の申命記の中で、神様が人々をどのように愛と慈しみをもって導いているのかを表わしている箇所に次のような部分がある。
鷲という鳥は、ヒナの巣立ちの時期になると、巣の中でクッションのように暖かく柔らかくヒナたちをつつんでいた羽毛をわざと羽をばたつかせて全部散らしてしまうそうだ。そうすることで、小枝などがむきだしになった巣はヒナたちにとって居心地の悪い場所になる。そしてあたかも「さぁ、飛んでごらんなさい」と誘うようにヒナのすぐ上をぐるぐると飛んでまわってみせるらしい。それでもヒナが巣から飛び出そうとしないと、時にはわざとぶつかってヒナが巣の外に飛び出すのを促すそうだ。巣から出されたヒナたちは思いきって外に飛びたつ。しかし飛行に失敗して落ちていくと、親鳥がサーっと飛んできて羽をひろげてこれを受取り、また巣へ戻すという。 神様が私の手を離すとき、飛んでごらんとつっつくとき、それは私にとって訓練のときなのだ。思いきって飛んでみよう。失敗しても、神様がひろいあげて下さる。
(1998) |

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「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節) 聖書の中にはこのように書かれています。実は神様こそ究極の親ばかなのです。同じく聖書の中のゼパニヤ書というところでは「主(神)は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる(3章17節)」とあります。神様は私たちの中に"Delight(喜び)"を見い出すといっておられるのです。 あなたは愛されている… YOU ARE LOVED!! 私のことなど愛してくれる人は誰もいない… もしあなたがそう思っておられるなら、そんなことは決してないのです。あなたはとってもとっても愛されているのです。 「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネによる福音書3章16節)」 イエス様ご自身もこのようにいっておられます。 「わたしが来たのは、羊(人々)がいのちを得、またそれを豊かに持つためです(ヨハネ10章10節)」「…永遠のいのちとは、彼らが唯一まことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(17章3節)」 どうしたら受け取ることができるのでしょうか。 興味がある方は、是非この 子羊をクリックしてください。 |

(c) 1998, 2002 Sachi Nakamura