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加筆訂正してある場合もあります。 [ p.21 | p.22 | p.23 | p.24 | p.25 | p.26 | p.27 | p.28 | p.29 | p.30 ] 最近見つけたあるホームページのある日記を読んでいたら、心にズシンとくる証に出会った。 そのホームページとは「東京ツラノ書院へようこそ」。東京ツラノ書院とは「リビングライフ」というQT(Quiet Time、「デボーション」とか「静思の時」ともいいますね)の手引き書を出版しているところだそうだ。リビングライフは以前「ハーベストタイム」から出版されていたので私も聞いたことがあるが、とても使い易いと評判のQTガイドだと記憶している。 その東京ツラノ書院のHPのウェブマスターであられるnaoさんの日記に私は強い感銘を受けた。(この日記ではnaoさんがそれぞれの日のQTの中で神様から受けた恵みや励ましなどについて書いておられる。) naoさんはクリスチャンになる前も、またなった後も「なぜこんなことが」と思うような事件に多く見舞われてきたそうだ。お父様が経営しておられた会社が倒産して莫大な借金を抱えるようになったり、お母様が入院されて経済的に追い込まれたり・・・ そのような度重なる不幸のために神様を見失いそうになったとき、祈りの中で神様がnaoさんにこのように語られたという。 「十字架以外に欲しいものがあるのか」 十字架以外に欲しいものがあるのか・・・ 日々の繁雑な生活に追われていた今の私にとって、このセリフを軽く読み流すことは出来なかった。 考えてみると私がストレスを感じる時というのは、十字架以外のものを私の中で優先させ、そのことに心が囚われている場合が多い気がする。私が優先させているものが、たとえば子育てとか、家事とか、教会での奉仕であったとしてもそうなのだ。それ自体は決して悪いものでなくても、それが私にとって十字架よりも優先順位が高くなってしまうなら、それは偶像となり私たちをイエス様の愛、恵み、平安から引き離す材料になってしまうのではないだろうか? 「十字架以外に欲しいものがあるのか」 今、もう一度、自分に問いかけてみたい。naoさん、どうもありがとう。
昨日、今日と続けて家族5人でプールに行って来た。エミとみんはパパに連れられて深いプールへ、私はま〜やを連れて浅い子供プールへ。 ま〜やは初めのうちはモジモジしていたが、そのうちすぐに慣れてきてゴキゲンで水をはね上げて喜んでいた。子供プールは一番浅いところで深さ30センチあまり、深いところでも60センチくらいだろうか。 「よぉし、そんなに言うなら一人で飛び込んでごらん。」 私は一度だけ、ま〜やに一人で飛び込ませてみた。もちろん細心の注意を払って。 得意そうな顔でプールにドボンと飛び込んだま〜やは、案の定ブクブクブク・・・ 私はすぐさまま〜やをつまみあげてしっかり抱きかかえる。 「フエ〜」情けない泣き声をあげるま〜や。 ほらね、だから言ったでしょ。助けてもらっていたからこそ楽しく飛び込んでいれたのであって、決してあなたが自分ひとりの力でやっていたわけじゃなかったのよ。 ・・・ それにしても、こういう子供の愚かな姿、どこかで見た覚えがあるような・・・ 子供のふりみて我がふり直せ、ですね、天のお父様? (6/23/1999) 今週末はとっても暑い。日中は37度くらいまで上がったし、夜になってもまだ30度代だ。 今日は礼拝のあと、家でお昼ご飯におうどんを食べて(エミのリクエスト。暑いのに〜)、一休みしてからプールへ。 暑い時はやはりプールに限る。うんざりするような厳しい日差しも、一旦水の中に入ると途端に心地よく感じられる。 子供たちもすっかり真っ黒になった。エミは今、水泳教室でクロールを習っているのだが、泳ぎ始めはクロールなのに、25メートル泳ぎ終わる頃にはなぜか犬カキになっている。(笑) プールにはうちの教会の牧師さん一家も来ていた。18歳と22歳の娘さんが二人いる。上の娘さんのMちゃんは妊娠中で、あと2、3日くらいで生まれるはずだと言っていた。 このMちゃん、高校卒業後、聖書学校に進学したのだが、なぜか1年後には中退し、親元を離れ仕事を始めた。音楽の賜物のある人で、将来はミュージック・ミニストリーに、と言っていたMちゃんだったのに、何かどうなってしまったのか、親である牧師さんにもわけがわからず、混乱の時期が約2年間続いた。しかし去年の11月にもたれた伝道集会に彼女はやってきて、そこで再びイエス様のもとに立ち返ったのだった。 イエス様のもとに立ち返った一週間後、彼女は自分が妊娠していることを知った。 しかし、イエス様とご両親の一方的な無条件の愛を再びその身に一身に受け止めることのできたMちゃんは、苦しみながらも迷わなかった。シングルマザーになることは、決して容易なことではないだろう。でも神様が与えてくださった命なんだもの・・・ 牧師であるご両親にとっても、娘が未婚の母になるということは、衝撃であったに違いない。でも私たち信徒は、牧師夫妻が深い愛をもってMちゃんを支え、守っている姿に心打たれ励まされた。 誰だっていろいろな過ちを犯すことはある。牧師だからといって、模範的な子供を育てられるとは限らない。 大切なのは、間違えた時に、もう一度神様のところに立ち帰ってやり直す勇気を持つこと。自分が期待した通りにものごとが進まなくても、それでもイエス様にしがみついて、ただ信頼しつつ一歩一歩を踏み出していくこと。 パンパンにはちきれそうな大きなお腹のMちゃんを囲んで、プールサイドでくつろいでいる牧師さん一家を遠目に見ながら、何だか感謝の涙がこぼれてしまった。 赤ちゃん、早く生まれないかな。楽しみ。(^^) Jesus can fix a broken heart. (7/5/1999) 風邪の具合は相変わらずなのだが、昨夜はシカゴのUICパビリオンで持たれた「Awake America」というリバイバル集会へ行って来た。 これは、あのペンサコラのリバイバルで有名なブラウンズビルアッセンブリーオブゴッド教会の伝道師チームが全国を巡回し、地元の教会との協力のうえで行っているリバイバル集会だ。アッセンブリーだけに限らず、協力してくれる教会ならどの教団とも手をつなぎ一緒にアメリカのリバイバルを求める超教派的な集会らしい。 メインのメッセンジャーはあのスティーブ・ヒル師。ワーシップリーダーは私が普段よく聞いているブラウンズビルのCDのと同じ声のおじさん、リンデル・クーリーだった。 このペンサコラのリバイバルはカナダのエアポートビンヤードのリバイバルと並び、実はかなり賛否両論の多いリバイバルとしても有名だ。今回参加してみて、なるほどね、非ペンテコステ系の教会だけでなく、ペンテコステ系の教会の中からも批判の声が多いというのも頷けるなと思った、というのが私の正直な感想。 集会は午後7時からだったが、混雑が予想されたので、私たち(教会から数十人が参加し、バンで乗り付けた)は5時までに会場に到着した。ついてみたらそれほどの混雑でもなかったが、集会が始まる7時頃には1万5千人を収容するというパビリオンがほぼ満杯になっていた。 着席して待っている2時間の間、会場にはブラウンズビルの賛美テープが流れ、いたるところですでに立ち上がり手をあげて賛美している人たち、会場のステージの前に降りていって踊りながら賛美している人たち、数人で手をつないで会場を歩き回りながら祈っている人たち、あるいは輪になってひざまずいて祈っている人たち・・・等の姿が見えた。その場にいる人たちはみな神様を賛美するのが待ち切れないといった雰囲気だった。 7時に集会が始まる前に、場内アナウンスでいったんみんなそれぞれの席に戻るよう指示があったのだが、一旦集会が始まり、ワーシップチームが演奏を始めると、数百人がドッとステージの前に押しかけ、みんなが両手を上げピョンピョン飛び跳ねながら賛美を始めるではないか。まるでラッシュ時の駅のホームのような混み具合で、なかなかすごい光景だった。それらの高く上げられたうごめく無数の手をみながら、これ、何だか見覚えがあるなぁとしばらく考えていたら、わかった!ムーミンに出てくるニョロニョロだ!まさにそんな感じだったのだ。それだけ大勢の人たちが、中学生くらいの若者から白髪のおじいさんおばあさんまで、まさに老若男女、ステージの前につめかけ、押し合いへしあいでピョンピョン飛び跳ねながら神様を賛美していたのだ! 私の教会からの一行は、失敗したことに巨大なスピーカーのまん前に座席を取ってしまったため、賛美が始まってしばらくの間は、あまりのものすごい音量に私など耳を抑えずにはおれなかった。賛美しながら踊るのは大好きな私だけど、この私でさえ圧倒されるその光景に、はじめのうちはちょっとついていけないものを感じてしまったりした。 しかし、賛美が佳境に入った頃、ワーシップチームは演奏を止めた。1万5千人がつまっているパビリオンがシーンとなった。そしてどこからともなく、異言による賛美が始まり、演奏もなく、マイクを通してリードする歌声もないまま、パビリオン全体が異言による霊の歌で包まれたのだ。それはそれは素晴しかった。そして再びワーシップチームの演奏が始まったとき、私はもう耳を抑えてはいなかった。スピーカーから聞こえてくる音が振動となって私の身体全体に伝わってくるのを感じつつ、私はただ祈っていた。「主よ、あなたを愛します。愛します、愛します、愛します・・・」 賛美は素晴しかった。あっという間に賛美だけで2時間が過ぎた。神様が私たちの賛美のうちに住まわれるというのは、本当に本当なのだ! が・・・ スティーブ・ヒル師のメッセージが・・・ 以前ペンサコラ集会のビデオを見た時も感じたことだったのだが、まるで脅迫するような怖いメッセージなのだ。福音を、イエス様の十字架の愛を伝えるメッセージというよりも、ただ「裁きがあるぞ〜、今悔い改めないと裁かれるぞ〜」と言っているだけだという印象を受けた。もちろん彼が語っていたことは嘘ではないのだけれど、何というか、今ひとつバランスを欠いているような気がしてしまった。 それでもメッセージの後の招きの時には数千人がステージの前に駆けつけ、ひざまずいて祈っていた。イエス様の衣のすそに触れることさえ出来れば長血が癒されると信じたあの女性のように、彼らが神様を切実に求めていたのは確かだと思う。たとえこのペンサコラのリバイバルが、多くの批判にいわれるよう「肉」による部分が少なからずあるリバイバルだとしても、神様を求めて前に出てくる人たちを神様がないがしろにされるわけはないと思った。逆にいえば、何もこういう集会に来なくても、同じように熱心に、必死に神様を求めることはどこにいても出来ることなのだろうが、このような場所に来ないとなかなか求められないというのは人間の弱さなのかもしれない。 そんなこんなで帰宅したのは夜中の12時近く。 今回のこの集会に参加してつくづく思ったことは、神様は不完全な器を通して完全に働かれるお方であるのだなぁということ。ペンサコラのリバイバルは本物だ、偽物だと騒ぐ人々をよそにして、神様は神様が為さらんと思われることをその大能の御手をもって成されるのだ。純粋に神様を求める人々の上には神様の恵みは大雨のように注がれ、「このリバイバルが本物かどうか見極めてやろう」なんていう批判的な目をもって集会に臨んだ人は(私のように f(^_^;;; )それ以上のものを得ることがないまま帰宅したのだろう。 ペンサコラのリバイバル。 素晴しいじゃないですか。イエス様もこのように言っておられる。
(7/21/1999) ![]() ![]()
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