ホーム日記はちこの日記(リバイバル新聞)九月

9月×日 ただいま工事中

  
今日、買い物をしていたら、面白いTシャツを着ているおじさんを見かけた。「The Older I Get, The Better I Was」 そのTシャツにはそう書いてあった。それを言うなら「The Older I Get, The Better I Am 」(歳を取るにつれてだんだん私は良くなっていく)と言うのが普通だが、最後のAm がWas になるとそれだけで意味が逆転してしまう。アメリカ人らしいユーモアだ。

アメリカにはユーモラスなものから社会批判をしているものまで、ユニークなデザインのTシャツが多いが、先日はキリスト教書店でこんなTシャツを見つけて唸らされた。「私の心」という名の工事現場の絵が描いてあり、そこには大きな「工事中」の札が下がっている。そして横にはイエス様とおぼしき人物が工事現場のヘルメットをかぶって立っている、というもの。

私は育児真っ最中のお母さん方と話しをする機会が多いのだが、クリスチャンであろうとなかろうと、彼女たちはみんな悩んでいる。特にクリスチャンママの場合、どのように育児したらいいのかわからないから悩むというより、何をなすべきかはわかっていながら、それが出来ない自分に悩むというケースが多いようだ。

クリスチャンの育児書を見ると、聖書的な子育てで何より大切なのは、小さい頃から親への従順を教え、子供の成長につれて親への従順がそのまま神への従順へと移行していくように導くこと、また「罪」と「赦し」の概念を教え、何が神様に喜ばれ、何が悲しまれることであるかを自分で判断出来るようになるよう教えることであると書いてある。アーメン、ごもっとも。しかし、そのためには親の言動が御言葉と矛盾しているようなことがあってはならないし、親自身が明確な罪意識を持ち、日々の悔い改めと赦し、そして神への従順からくる喜びの生活を送り、言葉だけではなく行いを通して自分の生の信仰を子供に見せてあげる必要がある・・・ と続かれると、母親はまず間違いなくひきつる。

ちょ、ちょっと待って。子供に模範を示す云々の前に、私自身が今それを学ばされているプロセスにあるんですけど? 私自身が今、イエス様の御手によって練られ、焼かれ、打たれ、砕かれ、そして立て直されている「工事中」の状態なんですけど?

あるお母さんは次のように語った。不遇な家庭環境に育ち、自分自身が幼い頃からのまだ癒されていない傷を多く負っている、このままでは私は虐待に走り、自分が受けたのと同じ傷を愛するわが子に負わせてしまうのではないか、私のこの手で子供の人生を台無しにしてしまうのではないか・・・

御言葉を教え、毎日祈ることの大切さを伝えるといっても、自分自身が煩雑な日常生活にもまれ、ろくに静まる時間が持てず、御言葉に養われてもいないのであれば、どうして子供にそれをするよう教えることが出来るだろう、そもそも私はクリスチャンになってから今に至るまで、デボーションの習慣を確立出来たことがなかったのだ、こんな私がクリスチャンとしての育児をしようと考えることすらおこがましいのではないか、そういう告白をしてくれたお母さんもいる。

「ただいま工事中」の私たち。現場には釘も飛び出しているし、コンクリートの塊も転がっている。そんなところに子供を近付けるのは危険なことかもしれない。でもきっと大丈夫なんだ。この工事現場を監督しているのは、他でもないイエス様御自身なのだから。 そもそもこんな不完全な者に子供を預けられたのは神様なのだから、私たちが神様に助けの声をあげるとき、御手を差し伸べて下さらないわけがない。

あぁ、主よ、私は私に出来うる限りを尽くして子供を育てます。どうかあなたが導いてくださいますように。

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