ホーム>日記>はちこの日記(リバイバル新聞)>十月
![]()
この話しを聞きながら、私は夏休み前にもたれたミホの幼稚園の先生との面談を思い出した。 ミホの担任の先生は大変素晴らしい人で、子供一人一人にそれは愛情深く接してくれる。子供の表面的な言動だけを見るのではなく、その奥にある可能性や長所を見い出す天才ではなかろうかと思うほどだ。 たとえば、ミホは非常に口が達者でおしゃべりで生意気で、時として一言多いというか、とんでもないことをポロリと言ったりする。私も彼女のそういう傾向のおかげでどれだけ恥をかかされたことか。しかし先生に言わせると、ミホは何事においても自分のものの見方、考え方を持っていて、それを人にシェアすることをいとわず、とても頭の回転の早い明朗快活な子だ、ということになる。また、私から見るとミホは学習面においては今ひとつで、実際、先生の質問に対してとんちんかんな答えをしたり、焦点からずれた質問をすることも少なくなかったらしい。ところがそれですら先生にかかると、ミホは学ぼうとする意欲が旺盛で、間違いを恐れず何にでも興味を持って質問するので、今後は学習面でもどんどん伸びていくでしょう、ということになるのだ! こんな調子でミホの幼稚園生活について大変ポジティブなフィードバックを下さったので、私はまるでミホがこの世で最も価値のある高価な宝石であるかのような気持ちになってしまった。 この社会には他者のネガティブな部分ばかりを強調する批判的な人も残念ながら少なくないかもしれない。そういう世にあって、周りの人のうちにポジティブなキャラクターを見い出しそれを伸ばしてあげようとすることは、なにも良いリーダーや良い教師ばかりに求められることではなかろう。全ての人間関係において、私たち一人一人がそのような心構えで互いに接することが出来るなら、世の中が随分変わってくるのではないだろうか。私たちはなぜ他者のことを褒め惜しむのだろう。箴言にはこう書いてある。「人を潤す者は自分も潤される。(11章25節)」つまり、人を認め、褒め、励まし、たて上げるような言葉を惜しみなく周りにかけるような人は、その人自身もまた心潤され、満たされるということではないだろうか? 「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ書43章4節) |