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夕べの聖研、お開きの時間まであと5分足らず、という時になって突然バーバラがこんなことを言い出した。(バーバラは小学校の先生をしている) 「ねぇ、私はね、良い先生になりたいと思って出来る限り努力しているし、その努力にふさわしいだけの結果も得ていると思うの。そんな私が、まわりの先生たちから『バーバラはよく頑張っている。いい教師だ。』って思われたいと思っているって、いけないことだと思う?」 私たちは一瞬、バーバラが何を言い出したのかわからずあっけに取られていたが、リーダーのアルが「何だって?」と聞き直すと、バーバラはもう一度同じことを繰り返した。 「君は、それがいけないことだと思うのかい?」 「う〜ん、わからないけど・・・ でも聖書には、自画自賛はいけない、自分のことは他人に褒めさせよ、みたいなことが書いてあったでしょう?(箴言27:2)自分はよく頑張っているなんて思うこと自体、高慢を生む罪なのかなって・・・」 「なるほど、でも別の箇所ではtake a sober look at yourself とも言っているよ。(ローマ12:3)この箇所は実際以上に自分を高く思うことを警告しているけれど、同時に実際以下に低く思ってもいけないということじゃないのかい? もしも君が実際にいい教師であるなら、ことさらに『私はろくでもない教師です』なんて思う必要はないはずだと思うよ。」 「だいたいね、」ゲイルが口をはさむ。「教会の中って、そういう『false humility(誤った謙遜)』が蔓延してない? ああいうのって、イヤ味なだけだと思うのよね。そういう人に限って実はプライドの塊だったりしてね。」相変わらず彼女は辛辣だ。 ゲイルが言った『false humility(誤った謙遜)』というフレーズを聞いて、ふと先日読んだC.S. ルイスの「悪魔の手紙」の一章を思い出した。第14章だ。この章は「悪魔の手紙」の中でも一番強烈に私の印象に残った章でもあった。ここでルイスは神様が私たちに望んでいる「謙遜」について語っている。 ルイスいわく、神が私たちに願っているのは、必ずしも自分を「低く」思うということではなく、自分の「価値」ばかりに自分の注意を集中させて欲しくないということらしい。神は私たちが自分の目を自分の「価値」からそらし、神に向けるようになることを願っておられる。 一方サタンは私たちが自分のことばかり見て、自分のことばかり心配するよう願っている。それが優越感であろうと劣等感であろうと、結局は同じことなのだろう。 神は人間ひとりひとりを、本当に価値あるものに造られた。そして最終的には人がそれを知り、自然の美しさを見たときに人が神の創造の素晴しさを賛えるように、自分の価値、また他者の価値のことも同じように素直に心から認め、それを通して神のご栄光を見るようになることを願っておられる。しかしそうなるためには、自分で自分は何が出来るとか出来ないとか、どれだけすごいとかすごくないとか、そういうことばかりに囚われていてはいけないのだ。 ルイスは悪魔にこう言わせている。「....We must never forget what is the most
repellent and inexplicable trait in our Enemy; He really loves
the hairless bipeds He has created, and always gives back to
them with His right hand what He has taken away with His left. (我々は、この最もいやらしく、かつ不可解な敵
[神] そういえば、マーレイも言っていたなぁ。神様は、ご自身が私たちに返して下さるつもりのないものを、私たちに明け渡すように要求することなどなさらないのだ、と。とすると、神様が私たちに求めている「謙遜」 というのは、自我の明け渡しとも関わってくることなのかなぁ・・・ なんてことをつらつら考えていたら、はっと気付くとみんなが立ち上がって帰る準備をしている。あれ、結局バーバラの件はどういう結論になったのかな?聞き損なってしまった。 |