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あれは夫が学会のため出張中のある週末の出来事。 エミは七歳、ミホは三歳、マヤはまだ一歳にもなっていなかった。 今から約2年前のことだ。 聖日礼拝を家族で守るのはクリスチャンホームにとっては当然のこと。しかし、日曜日の朝、小さな子供たち三人の支度を整え、朝食をとらせ、日曜学校に間に合うように出かけて行くのは結構大変なことだったりする。夫の助けがあればこそなんとか出来るようなものの、留守中となると私一人に全てがのしかかってくる。 夫の出張も数日めになり、この日曜日の朝の私はすでに疲れていた。 ミホは私が出した服が気に入らないと言って泣いて愚図っていた。なんとかなだめて食卓につかせたものの、いつまでたっても彼女のお皿の上のものはなくならない。ハイチェアの上ではマヤが着せたばかりのかわいい服の上に離乳食をひっくり返した。がっかりしながらハイチェアからマヤを取り出すと、彼女が片手にしっかり握っていたコップが床の上におち、ジュースがあたりにぶちまける。エミはといえば、髪の毛がボサボサのままテレビを見ている。 「エミ! 日曜日の朝からテレビなんかつけないで! 早く髪の毛をとかしなさい! ミホ、少ししか入ってないんだから、それくらい早く食べなさい。間に合わなかったら置いていっちゃうわよ!」 私の声はついヒステリックになる。二階に駆け上がり、マヤの新しい服を持って来て着替えさせようとすると電話がなった。 「おはようございます。ただいまお徳なプロモーションをやっておりまして、今、当社の新聞に購読申し込みをなさったお客さまには・・・」 新聞の勧誘だ。 「今いそがしいのよっ!」相手の返事も待たずに乱暴に受話器を置く私。教会に行くところだから忙しいとは言わなくてよかった、これじゃまるで証しにならないよ・・・ 電話をきってから思って自己嫌悪に陥る。 散々怒鳴り散らした挙げ句、ようやく支度の整った子供たちを車に乗せて教会へ向かう私はすっかり落ち込んでいた。一体どんな顔して教会へ行けばいいのだろう? 一体どんな顔して神様を礼拝するというのだろう? こんな私は聖なる神様を礼拝するにはふさわしくない・・・あまりにみじめで涙が溢れた。教会に着くと、涙でお化粧が流れた顔を誰にも見られたくなくて、そっと後ろの方に席を取った。その日のメッセージがどんなものだったかもう覚えていない。礼拝の最後に招きがあったのだが、どういう招きだったかも覚えていない。ただ私は泣きながら前に出た。恵みの御座の前にひざまずき、手を挙げることもできず、祈りの言葉もなくただ泣いていた。 「だからわたしは血を流して死んだのだよ。あなたを洗い、わたしの義であなたを被うために。」 聞こえてきたイエス様の御声。そうだ、そうだった。私自身はどんなに頑張っても、決して神様の前にふさわしい者となることなんてできない。でも、神様が私のなかに御覧になっているのは私自身の義ではなくイエス様の義なんだ。こんな私なのに、神様の目にはしみも傷もないものとして立たせていただけるのだ。 ただ十字架で流された尊い御血潮のゆえに・・・ 今でも私は多くの失敗をする。一体どんな顔をして主の御前に出ようかと悲しくなることはしょっちゅうだ。しかし、カルバリで現わされた恵みは、今日も私を主の義の衣で被ってくださっている。
ハレルヤ、主よ、感謝致します。 |