ホーム日記はちこの日記(リバイバル新聞)七月

7月×日 結婚と聖霊の油注ぎ

先日、友人からこんなことを聞いた。久しぶりに同期の仲間六人で会った時、そのうちの既婚の四人がみんな口を揃えて「自分の結婚はつまらない、夫婦で共通の趣味も話題もない」と言っていたのだそうだ。「共通の趣味も話題もないなら、そもそもどうしてその人と結婚したんだろうね。それとも、結婚生活を送るうちに共通のものがなくなっちゃったのかな?」友人は首をかしげていた。

結婚することをよく「ゴールインする」と言うけれど、実は、結婚してそこでおしまいというものではないのだ。おしまいどころか、そこからが新しい始まりなのだから。同じ頃、結婚を目前に控えている別の友人が、私にこう語ってくれた。「『僕は夫であり男であり続けるためには努力を惜しまないつもりだから、君も妻であり女であり続けるために努力を惜しまないで欲しい』と彼女にいつも言っているんですよ。」素晴しい。結婚しっぱなしじゃいけないってことかな。結婚を二人にとって有意義なものとして維持するためには、やはり双方の努力が必要なんだろう。

そんなことを考えていたら、教会での学びの時間に牧師先生が「結婚における愛」の定義としてこんな引用を教えてくれた。「結婚における愛とは、自分のパートナーが、一人でいるよりも自分と結婚していることで、神様がその人のために意図している本来の姿により近づき、より良い人となることが出来るような、そういう環境を作るためにお互いが絶え間ない努力を続けることである。」・・・努力は努力でも、ちょっと視点が違う。これはかなり衝撃的な愛の定義だ。つまり、私の夫の中に神様が備えて下さっている彼本来の良い資質が、私と結婚していることによって、より引き出されているか、引き出されるよう私は絶え間ない努力をしているのか、という観点から私の彼への愛が量られるということか。ううむ、彼の良さを引き出すどころか、潰したり蹴散らしたりしていることの方が多い気がする・・・

神様は今私に、結婚について何かを語らんとされているのだろうか。実はペンテコステの日曜日の礼拝メッセージも、またもや結婚についてだった。ペンテコステと結婚がどう結び付くのかと思ったら・・・ 内容は一言で言うと、私たちが神様に喜ばれる聖書的な夫婦の関係を保ち、その上に家庭を築いていくためには、「結婚」の上にも聖霊様の油注ぎが必要である、というようなこと。たとえばエペソ書5章や第一ペテロ3章にあるような、「夫たちよ、◯◯しなさい。妻たちよ、××しなさい」という勧めだが、頭では「うん、そうだ!」とわかっても、それを日常生活のなかで実践していくのは難しい・・・ というか、ほとんど出来ない。そもそも、聖書のなかにある全ての勧めがそうであるように、このこれらの箇所の勧めもまた、自分の力で成し遂げることが可能なものではないのだ。結婚とは、人間が発明した儀式でもなければ生活形態でもない。神様が人間を創造した時に人間にお与えになった、聖なる祝福された関係だ。もともと神様が考え付いたことなのだから、そこには当然神様のご計画があるし、また神様ご自身によってバックアップされてしかるべきものなのだ。

牧師先生は力強く語った。「今日、あなたの結婚をもう一度主の御前に差し出し、そこにも聖霊様の油注ぎが必要であることを認めてください。そしてそれを求めてください。五旬節に弟子たちの上に注がれた御霊は、今日、あなたの結婚の上にも注がれ、あなた方の関係をリフレッシュし、刷新してくださいます! 今、聖霊様はひとつひとつの結婚という関係を聖別し、祝福し、 癒し、立て直すことを願っておられるのです!」

秘訣はこれか。聖霊様の満たし、油注ぎ。 今、私も、私と夫との結婚を神様の御前にもう一度差し出そう。主よ、あなたの御霊によって満たして下さい!

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