7/25 (日)3年前にデンバーに行ったときは4人家族だった私たちも今回は5人。ゆったりしていると思ったバンも、山ほどの荷物のおかげで思いの他ギュウギュウ詰めだ。エミとみんはそれぞれ自分の鞄に思い思いのおもちゃや本やノート、エンピツなどをつめ準備は万端の様子。次の日の夕方までにデンバーに到着しなくてはならないため、礼拝は車中でね、といいつつ午前中にシカゴを出発した。 トウモロコシ畑が地平線の彼方まで延々と続くなか、I-80という高速道路をイリノイからアイオワへとひたすら西へ西へ。夜7時近くになってネブラスカ州のリンカーンに到着。私たちは、6年前にデンバーへ行った時(あの頃はエミがまだ2歳になったばかりで、車もバンではなくカッコいいSupraだった!)、このリンカーンにあるインド料理屋に立ち寄って夕食をとったのだった。 不思議なことに、ぼぼるパパは◯◯年前にどこのホテルに泊まったとか、どこのレストランで食事したかということを、やけに克明に覚えているという特技(?)を持っている。(高校の修学旅行で泊まった「いたや旅館」の電話番号も今だに覚えている・・・
(^_^;;; ) ホテルの部屋はダブルサイズのベッドが二つ。去年まではそれでよかったのだが、もはやそれではどうも狭くなってきた。パパとエミが一つのベッドで、私とま〜やとみんがもう一つのベッドで寝たのだが、ま〜やは車のなかでたっぷり寝たせいか、ちっとも寝付いてくれない。みんはやはり体調が今ひとつで、ちょっと熱っぽく息も荒い。そのお姉ちゃんの上にまたがったり、髪の毛をひっぱったりする悪いま〜や。みんは息も絶え絶えに、「まやちゃん、やめて。 お願い、やめて。」と嘆願している。「ま〜や! いい加減にしなさい!」私がま〜やの両足をひっぱってみんからひきはがすと、ま〜やはいじけたような顔をしてそのまま寝てくれた。 夜中の1時頃、みんが再び泣きながら目を覚ました。「あ、これは危ない!」あわててバスルームからタオルを取ってきてみんの前に広げると、案の定「ゲボー。」しかし吐いたら落ち着いたらしく、うがい だけしてまたすぐに寝付いた。 寝相の悪いま〜やと具合の悪いみんの間にはさまれて眠れぬ夜が更けていく、第一日め。 7/26 (月)朝7時過ぎには起きてすぐに出発するはずだったのが、みんな疲れていたのかすっかり寝坊。ホテルを出たのは10時近かった。5時までにはデンバーに到着しなくてはいけなかったので、ぼぼるパパは珍しく時速85マイル(140キロ)で突っ走っていた。(制限時速は75マイル)途中カーニーという町でCabela'sという釣具/狩猟用品専門店に立ち寄り、ぼぼるパパは釣具を少し買い足す。彼は数年前からフライフィッシングを始め、以来釣りが出来そうなところに行く時は必ず釣具を持っていくようになったのだ。(荷物になるのに。) その後マクドナルドでランチ休憩をとってからひたすら走る、走る。ネブラスカを抜けていよいよコロラドというあたりで中西部の時間帯から山岳部時間帯へ入った。時計を一時間前に戻す。一つの国の中に4つの時間帯(ハワイもいれたら5つだ)があり国内で時差があるなんて、アメリカって本当に広い。 デンバー近郊に入るとちょうどラッシュアワーにかかってしまい、結局目的地に到着したのは6時近くだった。デンバーは「Mile High City」とも呼ばれ、町全体の標高が1600メートル程のロッキー山脈のふもとにある町だ。シカゴと違って湿度が低く、気温が高くても断然過ごしやすい。町そのものはちょっとした大都会なのに、遠くに目を向けると壮大なロッキー山脈が広がっているのが見える。山のないシカゴに住んでいる日本人の私たちにとって、山が見える風景というのはとても心地よい。 JCFNオフィスにつくと先に到着しておられた他の理事の先生方や主事の皆さんと再会を喜び、テイクアウトしてきた中華料理で晩餐。 ぼぼるパパはこのあと7時から10時近くまで理事会。 7/27(火)ぼぼるパパは朝8時半から夕方6時まで理事会なので、私は子供3人を連れて外に遊びに行く。理事のD先生が、最近デンバー郊外に出来たという「クラブ・ディズニー」がいいという噂だから是非行ってみれば、と教えてくださったので、早速そちらにいってみた。ここがもう完璧! 母親が一人でやや年齢差のある3人の子供たちを連れていく場所としては申し分のない楽しくて安全なプレイランドだった。 それほど大きくない建物(ディズニーのテーマでとってもかわいらしいデザイン)の中がいくつかのコーナーに分かれていて、いろいろな遊びをすることが出来る。幼児用の「100エーカーウッド」(くまのプーさんがいるおままごとセットや小さな滑り台などがあるエリア)、PC16台がずらりと並ぶ「マウスパッド」。それぞれのPCに20種類近い子供向けソフトがインストールしてあり、ネットサーフも出来るようになっている(ただしファミリーフレンドリーのあらかじめ限定されているサイトにのみアクセス可能)。デパートの屋上にありそうなゲームセンター風の「タイム・トースター」。コインもお金もなしにゲームをやり放題。ディスカバリーゾーン系のネットでできたジャングルジムと巨大ならせんトンネル滑り台、などなど。何がいいって、場所がそんなに広くなく、警備もしっかりしているため、私はま〜やにかかりっきりで、エミとみんのことは勝手に遊ばせていてもまったく心配がいらなかったこと。カフェも同じ建物内にあるので休憩も簡単にとれる。こんな場所がシカゴにもあればいいのに。 3人とも夢中になって開園時間の午前10時からずっと遊びまくった。とはいえ、やはりあまり広い場所ではないので、午後2時過ぎ頃にはだんだん飽きてきた様子。 しかし、はちこママにまかせなさ〜い! 入園前に、クラブ・ディズニーの隣にあった映画館をチェックし、3時40分から数日前に封切られたばかりの最新ディズニー映画「インスペクター・ガジェット」が上演されることをしっかり確認しておいたのだった! 3時過ぎまではカフェで休みつつ子供たちを遊ばせ、3時15分くらいになったところで映画館へ向う。 子供たちを連れて映画を観に行くのは初めてのこと。 エミもみんもウキウキ。でも、ま〜やが・・・ いくら子供向けの映画でも、スクリーンや音量の大きさにすっかり怯えてしまい、私はま〜やを連れてロビーに出るはめに。そのうち疲れたのか寝てくれたので後半は私も観ることが出来たけれど。 映画が終わってからJCFNオフィスに戻ったら、ちょうどいい按配に理事会もおわり、みんなで夕食をとった。K理事の奥様のY子先生の手作りのカレー。おいしかった!その後は学生アパートに戻り、子供たちをお風呂にいれて早々に就寝。2段ベッドが二組とシングルベッドが一台あり、普段から2段ベッドにあこがれていたエミは「あたし、上に寝る!」と意気込んで高いところによじのぼった。 落ちるなよ、落ちるなよ・・・ 7/28 (水)朝起きてみると、隣の部屋でエミやみんと寝ていたはずのぼぼるパパが、私とま〜やが寝ていた部屋で寝ていた。 「どうしたの?」 「夜中にドカンというものすごい音がしたからびっくりして飛び起きたら、エミが床の上に伏せっておってね。」 「ええ〜〜っ?」 「あわてて抱き上げて『大丈夫か』って聞いたんだけど、ガーガー寝ていてあんまり反応がなかったからそのまま僕のベッドに寝かせたんだ。大丈夫かちょっと見てこいよ。」 「ええ〜〜っ?」 私はガバッと飛び起きると隣の部屋へ行ってエミを揺り起こした。 「エミっ! 夕べ2段ベッドから落ちたって?大丈夫? どっか痛いとこない?」 「え〜、あたし、知らないよぉ。」 「どこも痛くないの?」 「痛くないよぉ。」 幸い片ひじにちょっとすり傷があっただけで他には怪我は何もない様子。床がわりとクッションのきいたカーペット敷きだったからよかった。これがリノリウムむき出しの床だったら骨折でもしてたかもしれない。あこがれの2段ベッドだったけれど、この晩からはエミは下のベッドで寝るよう言い渡されたのだった。 この日は午前中は歴史博物館へ行き、昼食は事務所で皆んなと一緒にチャーハンをいただいた。その時ま〜やがとんでもないことをしでかした。食事をしている部屋には黒板(というか白板? マーカーで書くタイプのやつ)があったのだが、先に食事を終えたエミとみんはその白板にお絵描きをしていた。ま〜やも一緒にお絵描きをしたかったのだろう。しかしま〜やはまだチビだった。背が届かなくて、白板にではなく、壁にマーカーでお絵描きしてしまったのだぁ〜!くくぅ、とんでもないことを。JCFNの事務所とはいえ、実はOMF(ハドソン・テーラーが設立したアジアミッションの宣教団体)のビルの中に間借りをしているのであって、食事をしていた部屋はOMFに属する部屋だったのだ!JCFNの理事でありOMFの職員でもあるD先生は「ペンキを塗り直せば済むことだから、大丈夫、気にしないで。」とおっしゃってくださったのだがそうはいかない。その日のうちにベンジン系の染み抜きを買ってきてかろうじてマーカーのいたずら書きは消したものの、マーカーと一緒に下の塗装もハゲてしまった。 (^_^;;; やっぱりペンキを塗り直してもらうしかない。JCFNがペンキ代を払うということだったので主事のYちゃんにペンキ代を渡しておいた。やれやれ、ま〜やよ。あなたって子は・・・ 気を取り直して午後からは事務所近くの映画館で「ターザン」を観てきた。「ターザン」ならアニメだからま〜やも大丈夫かと思いきや、やっぱり泣かれてしまった・・・(ちなみにみんはこの日以来、やたらと「アアア〜〜」と裏声で叫ぶようになった。) この日の理事会は4時に終わったので、その後5人でモールをぶらぶら。夕食は再び事務所に戻り、Y子先生とコロラド・クリスチャン大学の学生のMくんお手製のハンバーグ。修養会に参加する人たちもすでにチラホラとデンバー入りしていて、かなりの人数での食事はとても楽しかった。 7/29(木)修養会はレジストレーションが午後からで、夕食が6時、最初の集会は夜7時半から、とゆったりした予定だったので、昼間のうちは5人で再びクラブ・ディズニーへ行ってきた。 2時過ぎには会場に戻ると、パパは夕食までお昼寝、子供たちは部屋でお遊び、私はほかの人たちとおしゃべりしたり部屋でゆっくりしたり。 修養会期間中の食事は大学内のカフェテリアで、なかなか美味しいものを食べさせていただいた。今回の修養会のメイン講師はデンバー日本人聖書教会の牧師の福田先生と、日本で長年ラジオ伝道に従事してこられた正木茂先生。正木先生は6年位前からアメリカに渡り各地で日本人教会を設立したり、インディアナ州を拠点に日本人向けのクリスチャンラジオ番組を作成しておられる。当年とって72歳の先生は、私の予想に反して背が高く、堂々とした体格の素敵な方だった。そして福田先生はといえば、何と私の大学時代のKGKの先輩にあたることが判明し、話してみたら共通の知人がゾロゾロ出てきて嬉しいびっくり。 何だかとっても恵まれる修養会になりそうな予感・・・ 7/30(金)今回の修養会のテーマは「主が家を建てるのでなければ」。神様に自分の信仰の、また人生/生活全般の土台を明け渡すことの大切さについて学ばされた修養会だった。具体的に学ばされたことはいろいろあるのだけれど、それはまた個別においおいシェアしていこうと思う。朝のメッセージは福田先生。先生のメッセージは具体的な例が多くてとてもわかりやすい。午後の分科会の時間も私は福田先生の「賜物を主のために用いる」に参加した。 夜のメッセージは正木先生。この晩のために先生が用意しておられたのはどうちらかというと伝道的なメッセージだった。ところが直前になって、修養会参加者はみんなクリスチャンばかりだと聞かされた先生は集会の前の夕食の時間、「どうしましょうかねぇ」とおっしゃっておられたのだが、祈られた結果、そのまま与えられた通りのメッセージをお語りになったそうだ。「伝道的」とはいえ、クリスチャンが聞いてもとても恵まれる素晴しいもので、私も大変励まされた。メッセージを語られたあと座席に戻った時、主事に「実は二人ほどまだイエス様を受け入れていない人がいるんです」と耳打ちされ、先生はもう一度祈りつつ講壇の前に戻って来られた。 そして「もしもイエス様を救い主として受けいれたいという方、また自分の救いの確信が今ひとつ分からない、という方がいらしたら、この後、私のところにいらしてください。一緒にお祈りしましょう。」とおっしゃられた。その結果未信者の方は、二人ともイエス様を受け入れたのだ! ハレルヤ! 主は素晴しい!新しく神様の家族に加えられたA香ちゃんとT平くんのために天国の御使いたちも私たちもみんな大喜び! メッセージのあとはスモールグループに分かれての分かち合い。ここではアトランタから来た21歳の学生さん、M人くんの証を聞き、私は感動しておいおい泣いてしまった。彼が救われるにいたるまでの証も素晴しかったのだが、私が特に胸を打たれたのは、救われて受洗したのち、彼のなかに救いの確信がなくなってしまい、霊的に停滞気味になってしまったとき、いかにして神様が彼の心に語りかけ、再び救いの確信を与えてくださったか、というくだり。アメリカでは学期が終わると教科書を大学内にある本屋に売ることができるようになっているのだが、彼も使い終わった教科書を売りにいったそうだ。そのうちの一冊は、実は宿題として提出したために中のページが数枚ちぎられていたのだが、書店の人に、「足りないページはありませんね?」と確認されたとき、つい「ありません」と答えてしまったのだという。そのまま本屋を後にしたのだが、頭の中で「引き返すなら今だぞ」という声が何度も聞こえ、彼はついに耐え切れず、本屋にUターン。半分泣きそうになりながら「すみません、さっき売った本、返して下さい。」今までの自分だったら、きっとこんなとき、「しめしめ、うまく騙して売ったぞ」と喜びこそすれ、良心の呵責を感じるなんてありえないことだったのに、クリスチャンとなった今、確かに聖霊様は僕の中に住んでくださっており、僕に何が正しいことであるのかを教え、それを実行するための力も与えて下さっているのだ、と強く実感し、こんな自分の中にも聖霊様が住まわってくださっていることが嬉しくて、「ぎゃんぎゃん泣きながら」車を運転して帰宅したのだそうだ。背が高くて、風貌も話し方も時任三郎によく似たM人くん。私の印象にとても深く残ったのだった。 7/31(土)この日の朝の正木先生のメッセージは、まるで私とぼぼるパパのために特別に語られたのではないかと思うほど、私たちにずっしりくるものだった。先生は父親と子供の関係、ということに深く触れながら、信仰生活において優先順位を正しく保つことの重要性をとても分かりやすく語ってくださった。 私はウルウル泣きっぱなし。他にも泣いていた人は結構いたなぁ。 午後はワシントンDCからきた自称「チャラチャラ系クリスチャン」Dくんによる「クリスチャンとして、日本人として、男として」という分科会に参加。女性の方でも大歓迎ですよ、ということだったので行ってきたのだが、とても興味深い内容だった。(この同じ時間、ぼぼるパパは「科学と信仰」という分科会を受け持ち、なかなか白熱した議論が展開されたとか。)アメリカでも日本でもそうだと思うが、最近「男女」の違い、ボーダーがだんだん薄れてきているといわれる。社会における男女の役割にしても、個人レベルでも(外見など)以前ほど「男性はこれ、女性はこれ」という明確な違いが見えなくなってきている。そういう傾向の中にあって、神様があえて自分を「日本人男性」として造られたことにはどういう意義があるのか、クリスチャンの日本人男性として自分はどうあるべきか、などを模索した分科会。いろいろ思わされることがあったので、この話題で後日もう少し蒸し返してみようかなぁ。Dくんの話しでは、このテーマで作られた「女人禁制」のウェブサイトもあるそうだが(女性抜きで、男性クリスチャンが本音で話しているサイトらしい)私にはそのURLを教えてもらえなかった。残念。このDくん、自称「チャラチャラ系」だけど、イエス様の愛に燃えてる頼もしい青年なのでありました。 さて、夜は恒例賛美&証会。事前のアナウンスで「出し物をされる方は司会のIくんに申し出て下さい。あっ、真面目な証でもいいですよ!」 いやぁ、本当に素晴しい賛美&証会で、各種の出し物にはみんなお腹を抱えて大爆笑。特に絶品だったのはY主事とS主事(二人とも独身女性)による歌。「私たちはへんな歌を歌うのが得意です。特にこの歌を歌うとき、一番うまくハモらせることが出来ます。」そう言って歌い出したのがメンズファイブの「あなた『ヘ』をこきましたね」。 正木先生や理事の先生方は頭を抱えて困ったように大笑いしておられた。 M綱くんは最近まであるアメリカ人のクリスチャンの女の子と付き合っていた。二人の会話はいつも神様のこと、お互いに恵みを分かち合い祈り合ういい関係だった。しかし、ある時彼は彼女に「触ってしまった」のだそうだ。そしてそれから間もなく、二人は別れた。別れてしばらくしてからのこと、彼は夢を見た。夢の中には長い大きなダイニングテーブルが、そのテーブルの 端には体格のいい立派な青年が座っていた。そしてその青年の前には焼きたてのとても美味しそうなパンが置かれていたという。「美味しそうなパンだなぁ」M綱くんは夢の中でそのパンをじっと見つめた。すると、そのパンには何者かに一口噛られた形跡があったのだ。その時、M綱くんは神様の声を聞いた。「私はこの青年に与えるためにこのパンを用意したのに、あなたはそれを噛ってしまった・・・」 M綱くんはこのように言った。「皆さん、僕が犯したのと同じ間違いを犯さないで下さい。あなた自身を、そしてあなたのボーイフレンドやガールフレンドとの関係をどうか主の前にあって清く保って下さい・・・」 アメリカで救われたクリスチャンというと、男女間でも平気でハグしたり、男女交際にも随分オープンなんじゃないかと思われるかもしれないが、とんでもない。前述のDくんといい、M綱くんといい、このような文化の中に置かれているからこそ、一層自分を清く保つことの大切さを切実に感じているのかもしれない。 ぼぼるパパも別のことで証をしたのだが、私はもう泣いて泣いて、大変だった。 f(^_^;;; 彼の証についてはまたの機会に。(本人が自分で書くかもしれないし。) 笑いと涙でフラフラになってしまった修養会最後の夜。いろんな意味で、神様の恵みを満喫。 8/1(日)朝は主日礼拝、そして聖餐式。 聖餐式の前に理事のU先生の勧めで、この修養会を通して、主が私たちの「心の板に書き記して(cf. 第2コリント3:6)」下さったことに思いを巡らし、それを各々ノートに書き留めるという作業をした。 私が書き留めたことは・・・ 「自らを謙らせ、仕える者となることの尊さ;まず神に仕え、次に家族に仕え、さらに兄弟姉妹、隣人に仕えるという、そのorderを自分の中で確立させること;信仰の先輩たちから学び、自分が学ばされたことを次の世代の人達に伝えていくように。その意味での主にある交わりの大切さ、尊さ。」 これらのことを主はメッセージを通して、スモールグループなどの交わりを通して、そして何よりも、修養会期間中、ずっと娘たち3人のベビーシッターをして下さっていたY子先生(K理事の奥様)を通して強く語って下さったのだ。 文字通り朝から晩まで、Y子先生はずっと子供たち(うちの子供たちに加え、ハワイから参加しておられたTさんの二人のお嬢ちゃまたちも。遊び友達が出来てうちの子たちはゴキゲンだった)のお世話をしてくださり、夜など、私が集会を終えて12時近くに部屋に戻ってくると、子供たちはすでにお風呂にも入れてもらいパジャマにも着替えちゃんと眠っているのだ! 小さい子供がいると、普段は教会でも遅くまで続く集会の最後まで残るということはどうしても出来ない。 時には欲求不満になってしまうこともある。でも今回はY子先生のおかげで、私はたっぷり修養会を満喫することが出来たのだ。 本当に何と言ってお礼を申し上げたらいいのかわからない。 Y子先生は、私にとってまさに「仕える者」のお手本。4年前に初めてお会いした時以来、お会いするたびに多くを学させていただいてきた。どんな裏方の仕事でも、どんなに手間暇かかる面倒な奉仕でも、Y子先生はいつでもニコニコ、はいはい、と快くこなされる。5人のお子さんを立派に育てられた子育ての大先輩でもある。(そのうちの一人はJCFNの主事)私にはそう簡単には真似できそうにないが、でも私もY子先生の中にはっきりと写し出されたイエス様の姿に習う者になりたい、そしてY子先生が私にして下さったように、私も次の世代の人たちにしてあげることの出来る者になりたいと、今回あらためて強く思わされたのだ。 あぁ・・・ 本当にいい修養会だった・・・ 聖餐式の後は各自部屋の片付け、昼食、そして解散。 解散後はデンバー在住のお友達のK子さんご家族のところへ。こちらにはうちと同じく3人の女の子がいて(10、8、2才)会うたびに、親同士も子供同士も大変盛り上がる。面白いもので、それぞれの長女同士、次女同士、3女同士がいつもペアになって遊ぶ。次女同士とはいえ、8歳と5歳で年は離れているのに、二人とも性格がそっくりなのだ。二人で6人分の存在感を主張しながら遊ぶ。(笑)そして長女同士は、ペアになってとはいっても、二人ともおとなしく、個別に黙々と本を読んでいたり、静かに折り紙を折ったり、という具合。末娘同士はお人形の取り合いをしながらも、お互い、片方が泣いていると近寄っていって頭なでなでしたり、と慰め合い励まし合う関係のようだ。アメリカに親戚のいない私たちにとってK子さんご家族はまさに親戚のよう。このような家族ぐるみのお付き合いが出来る日本人クリスチャンのお友達が与えられて本当に感謝。夕方からみんなでデンバー日本人聖書教会の礼拝に出席し、そのまま教会で夕食。 8/2(月)早起きをして朝6時過ぎには山に向けて出発。デンバーは町中から2時間も行けばすっかり山に囲まれた絶好のキャンプ地、というようなところが数限りなくあるのだ。 目的地に行く途中で、「the Garden of the gods」と呼ばれる変わった地形の場所に立ち寄る。赤土の地層が斜めに走っていて、それがあちこちにむき出している。そして長い年月を経て、いろんなところが削りとられ、大きな赤い岩が不思議な具合にあちらこちらにニョキニョキ立っているのだ。the
Garden of the godsじゃなくて、the Garden of God だよねぇ。 日が暮れたら懐中電灯以外は一切あかりがないので、適当な時間に切り上げてテントまで戻る。たきぎをくべて火をおこし、ホットドッグをあぶって食べた。子供たちはホットドッグよりもあぶったマシュマロの方が欲しくてたまらない。串の先にマシュマロをさして火であぶり、チョコレートを添えてグラハムクラッカーで挟んで食べる。キャンプファイヤーにはやはりこれがなくっちゃね。でも気のせいか、子供たち以上にぼぼるパパとK子さんのご主人の方が夢中になっていたように思えたんだけど・・・ 食事の後片付けをすると早速寝る準備。夕方になってまた雲が出てきたので、残念ながら星は見えそうにもない。せめて雨が降りませんように。 山の上だからお手洗いは当然水洗ではなく、出てきて手を洗う場所すらないのはちょっと厳しい。キャンピングカーのキッチンのおかげで最低限のことは出来たけれど。 朝が早かったせいか、みんな日が暮れる前にテントに入って寝てしまった。山の上なので明け方はかなり冷えるといわれ、みんなトレーナーを重ね着し、寝袋の上からさらに何枚も毛布をかけて寝た。お世辞にも寝心地がいいとはいえないけれど、キャンプの醍醐味はこういう不便なところにあるのだろうね。 あっという間に寝付いたみんなの寝息を聞きながら、私もウトウトと・・・ 8/3(火)朝は日の出と共に起きるぞ、と思っていたのに、結局起きたのは7時半頃だった。でもぼぼるパパだけは一人で先に起き、湖に釣に出かけた。 みんなが起きるとまた火を起こし、持って来たシナモンロールを暖めたりシリアルを食べたり。K子さんは気がきいていて、冷やごはんと永谷園のお茶漬けも持参していて、大人はさらさらお茶漬けまで楽しんでしまった。そのうちぼぼるパパが戻ってきたが、残念ながら手ぶら。みんなでわいわい言いながらテントを片付けたり石ころを拾ったり。高山植物も沢山見た。私に絵心があればスケッチでもしたかったのだけれど。 キャンプ場を後にすると次は国立化石公園というところへ行ってきた。蜜蜂や蟻の化石、木の切り株の化石など、珍しいものがいろいろ。標高が高いので(2700m)、何もしなくてもどんどん日に焼ける。顔や腕がヒリヒリする。サンスクリーンを忘れたのは手痛かった。 山の景色をあちらこちら楽しみながら、帰宅したのは夕方5時過ぎ。 私はさすがにぐったり疲れてしまったのだが、キャンプ慣れしているK子さんは帰宅してからサササーっとカレーとサラダを作って下さった。主婦の鑑だなぁ。デンバー最後の夜、上の子供たち4人は夜中近くまで大騒ぎをして楽しんでいた様子。しっかり楽しみなさいね、明日はシカゴに帰るんだから。 8/4(水)朝起きてみたらみんとLちゃんはリビングルームに寝袋を広げて寝ていた。 (^_^;;; 最後の最後までお楽しみが目白押しの今回の旅行。今日は大陸横断中の、アーサー・ホーランド師率いるローズ・エンジェルスがデンバーに到着する日。デンバー聖書教会が主催で歓迎BBQ会が持たれることになっている。午前11時から、ということだったので、私たちは2時間くらい顔を出してから帰ろう、ということにした。 ところが・・・ 来ない。いつまでたってもローズの皆さんが来ない。場所は湖沿いの公園だったので、みんなでワイワイおしゃべりしながら待つのは苦痛ではなかったし、子供たちも目一杯駆け回って楽しんでいる様子だからいいのだけれど、それにしても来ない・・・ そう思った3時10分前、ブルルルルルル・・・ エンジン音と共に、出た!来た!現われた! 一台、二台、三台・・・次々と到着するハーレーデビッドソン。 皆思わず拍手と共に歓声をあげ、駆け足で出迎える。アーサー師、松沢先生他の面々がバイクから降りヘルメットをはずす・・・と、私の後ろに立っていた誰かが小さい声でつぶやいた。「き、汚い・・・」 そりゃあそうだよね、カリフォルニアからデンバーまで、3日間かけて、雨や風や太陽の光にさらされながらバイクに乗って来たんだもの。実際、途中で嵐にあったり、タイヤがパンクしたりと大変な道のりだったらしい。ネットでお友達になっていたRIROくんともはちこは無事にご対面。予想通りの好青年でした。(^^) 皆さんの分の昼食を用意する間に、松沢先生のご挨拶、アーサー先生のメッセージ、そしてローズの皆さんによる証を聞くことができ、いやぁ、待った甲斐があったというもの。ローズの面々も、もとヤクザさんあり、現役の博士課程の大学院生ありと、神様の恵みのキャパシティの広さを感じさせる。彼らはこの後まだ長い道のりが残っていて、各地でいろいろな集会が予定されている。シカゴでも15日に北部の日本人教会で集会が持たれるそうだ。皆さんの行程が守られ、各集会が主によって豊かに用いられますように! さ〜て、私たちは4時半頃に楽しかったデンバーを後にして、一路シカゴへと再び旅立つ。しかしいきなりラッシュに巻き込まれ、デンバーの辺りを脱出できたのは6時過ぎだった。 f(^_^;;; 出発が予定よりも大幅に遅れたので、ぼぼるパパはひたすら突っ走った。そうしないと明日中にシカゴにはたどりつけない。途中で簡単にディナー休憩をし(3年前にもとまったレストラン。ぼぼるパパがちゃんと覚えていた)、夜中の1時半まで走った。 あと一日だ、頑張ろう! 8/5(木)朝はややゆっくり起床。9時過ぎ頃に朝食抜きで出発。11時ちょっと前にネブラスカのリンカーン(デンバー/シカゴ間の中間地点)に到着。タイ料理のファーストフードの店でブランチをとる。これがすごく美味しかった! タイ料理には目のない私もパパも大喜び。こんな店がシカゴにも欲しいね、と帰る道々話していた。 午後も走る、走る・・・午後4時過ぎにマクドナルドでおやつ休憩、さらに突っ走ってイリノイ州に入った頃、ペルーという町でディナーストップ。ファーストフードや普通のファミレスには飽きていた私たちはレッドロブスターで夕食をとることにした。 ぼぼるパパも長い運転ご苦労さま。子供たちもいい子でよく頑張った。今年も楽しいバケーションになってよかったね! 何より神様、全ての行程を守って下さり、どうもありがとう。 さてさて、来年の夏は日本かな〜。 (完) |