ホーム日記ケンブリッジ日記4月

はちこのケンブリッジ日記

4/30/2002

うわ〜。もう4月もおしまい。参ったなー。

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夕べは疲れていたらしく、ケンを寝かし付けながら八時半頃に寝てしまった。朝まで。

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外は雨。箱につめてアメリカに送り返そうとしていたダウンの上着を、もう一度引っぱり出すほど冷え込む日が続いている。やっぱりイギリスだ。

4/29/2002

昨日はヨーロッパ旅行中のheidiさんがケンブリッジにも立ち寄ってくださり、一緒に礼拝に出たあと、ランチ、お茶、ディナーと食べたり飲んだりしながらひたすらおしゃべりに花を咲かせた。とても楽しかった。(^^)

4/27/2002

アガペー』という、戦時中に日本軍の捕虜になっていたイギリス人と日本人との間の和解の働きをしておられる恵子ホームズさんからメールをいただく。早速、ケンブリッジJCFで恵子ホームズさんをお招きしていろいろお証しを聞かせていただくことにした。ケンブリッジJCFは、恵子さんがアガペーの働きを始められた当初から彼女の働きをサポートしていたんだそうだ。だから私以外のJCFのメンバーはみんな恵子さんのことを個人的にもよく知っている。恵子さんをまたケンブリッジにお招きしようということになり、みんなワクワク。

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驚き、驚き。二週間前にケンブリッジに来られたクリスチャン経済学者のT先生は、ハンス・ビュルキ師のことをよく御存知だった。五月にはビュルキ師に会いにスイスに行くつもりだったとか。つい先日お亡くなりになられたことを今日のJCFの聖研の時に言ったら、T先生は大変驚いておられた。

話が『主の弟子となるための交わり』に及んだところ、他にもこの本を持っている人がいて、彼女は開口一番、「とてもいい本なんですけど、ちょっと難しいんですよね。」やっぱりみんな同じことを言う。T先生もこの本のことをよく御存知で、原書も読んでおられるとのことだったので、今度T先生にこの本の学びをしていただくことになった。なんという恵み!!!  ただの偶然とは思えない。神様は本当に私にこの本から学んで欲しいと思っておられることがあるに違いない。感謝。

4/26/2002

ぼぼるパパが帰って来た。(^^)

たかが二晩留守になるだけでそんなに大騒ぎしてたの?と言われそうだが、そうなんです、二晩だっていないと寂しいではないですか。

今回の学会は本当は1週間あったのだけれど、1週間も留守にされると私がどれだけ大変かとパパは配慮してくれて、フランスまでわざわざ出かけたにもかかわらず、たった二泊三日で帰って来てくれたのでした。パパ、ほんとに優しい。(*^_^*) 来月のベルギーの学会なんて、一泊だけしか行かないんだって。私のために。(*^_^*)(*^_^*)

今回の学会は大きなものだったし、ニースなんていう観光地で行われたので、たいていの参加者は1週間丸々滞在して学会だけでなく観光の方もしっかり楽しんでいたことだろうと思う。本当は私だってぼぼるパパにも会議も観光もたっぷり堪能してきて欲しかった。でも実際問題として、1週間もの間、子供4人抱えて一人で頑張るのはさすがにちょっと無理だったと思う。だからパパが早く帰って来てくれて、心底ありがたい。

しかも今回は、珍しくお土産も買って来てくれた! いかにも南仏らしい雰囲気のコーヒーカップをペアで。子供たちへのお土産はないからこれは内緒だよ、と言いながらこっそり渡してくれた包みが嬉しかった。

ところで、パパはニースでイタリアンマフィアと思しき人に話しかけられ、立ち話をしているところを警官に取り囲まれ尋問されたんだとか。上から下まで黒ずくめの男性に呼び止められ、地図を広げて道を聞かれたので、僕は旅行者なのでわかりませんとか何とか言っていたら警官がどやどやとやって来たのだそうだ。麻薬の売買をしているんじゃないだろうな、と尋問された挙げ句に所持品のチェック。その黒ずくめの男性はお財布のなかに1000ユーロ札が数十枚も入っていたそうだ。一方ぼぼるパパの財布はといえば、5ユーロ札が1枚入っていただけ。(笑)それでパパはあっさり釈放、黒ずくめの男性はパトカーの方へ連れて行かれていたとか。

いやはや、とにかく無事でよかった。

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エミは学校のあと、お友達の誕生日会。これがまたすごくて、二人の子の合同パーティーだったのだけれど、学校の体育館を借りてのディスコパーティー。ちゃんとライブのDJもいた。小さい学校なので、五年生と六年生は全員招待されたんだそうな。

それにしてもイギリス人がこんなにディスコ好きとは知らなかった。学校主催のディスコも毎学期末にあるんだよね。校長先生が最初と最後に挨拶をして、先生方も一緒になって踊ってるの。小学校で。日本の夏の盆踊り大会に近いノリがあるのかも。幼稚園の盆踊りでドラえもん音頭にあわせて園児たちが踊るように、テレビの子供番組のテーマソングにあわせて小学生たちが踊っている。いわゆるディスコミュージックもかかってたけどね。

4/25/2002

昨日の日記で長々と引用したハンス・ビュルキ師が、日本時間の24日(つまり昨日)夕方、77歳で主のみもとに召されたということを、今朝になってから知った。不思議な偶然にびっくりするとともに、一度も御会いしたことのなかったビュルキ師が、私の信仰にどれだけのインパクトを残されたかを改めて思った。

先日召された片岡伸光師もビュルキ師とは親交があり、多くの影響を受けていたらしい。また私が敬愛するJCFN理事の上沼昌雄師や唄野隆先生もビュルキ師から多くを学ばれた方々である。(私が『主の弟子となるための交わり』を読んだのも上沼師の勧めだった。)私が片岡先生や上沼先生から学んだと思っていたことは、実はもとをただせばビュルキ師から受け継がれたものだったことに気付かされた。

ところで『主の弟子となるための交わり』だが、タイトルが示す通り、この本のメインのテーマは『聖徒の交わり』だ。ビュルキ師は「人間は本来的に共に生きる存在で」あると言う。私たちは人との交わりのなかでこそ、信仰と愛を具体化することを学び、服従と規律を学び、鍛練されていくのだと教えている。そして聖徒の交わりを通してさらに深くキリストを知るようになる。昨日引用した箇所からはあまりそれが伝わらなかったと思うので、一応付記しておく。

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いつだったかアーサー・ホーランド師がこう言っていた。「キリスト教というのはねぇ、Religion(宗教)じゃないんだ、 Relation(関係)なんだ。ボク発音いいでしょう? 何たってハーフだからね。」

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今日は学校帰りにみんがブロンティの家に遊びに行った。夕べ電話でブロンティのお母さんと話したとき、「じゃあ六時頃に迎えに行きますね」と住所を聞いて、電話を切ったあとに場所を地図で確認したらめまいがした。うちから学校を挟んで正反対の方向。すっごく遠い。とてもとても歩いて行ける距離じゃない。幸いそちらの方向へ行くバスがあったけれど、それでも迎えに行ってまた戻って来るのにたっぷり1時間以上かかった。

4/24/2002

ぼぼるパパは行ってしまった。

出かける前に、私にキャッシュを50ポンドばかりおいていってくれるはずだったのに、パパは忘れて行ってしまった。今、私のお財布のなかには現金が8ポンド(1500円)くらいしかない。ケンブリッジでは私は銀行のキャッシュカードを持っていないので、自分でお金をおろすことは出来ない。明日とあさっての朝、子供たちを学校まで連れて行くのにタクシーに乗らなくてはいけないのに。ギリギリで足りないかも。本当は今朝はもう少し持ってたんだけど、タクシーのことをすっかり忘れて、青空マーケットで美味しそうなイチゴとバナナを買ってしまったのだ。それからお昼にサンドイッチも。しまった、うかつだった。エミに、「ねぇねぇ、イギリスのお金、いくら持ってる?」とスリ寄って聞いてみると、彼女は身構えて、「どうして?」 これこれしかじかでお金が足りなくなるかも、と言うと、フッとため息をつかれてしまった。(笑)10ポンドくらいは持っているらしいので、エミから借りれば何とかなるでしょう。(情けない。)

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ハンス・ビュルキ師『主の弟子となるための交わり』(いのちのことば社)より。

(最近読み直したときに、心にとまった箇所)

「私たちの時代は、感情過多を知り過ぎるほど知っています。私たちは感覚からあふれ出てくる過剰な表現に慣れっこになっています。……

「過剰な表現の追求について語るとき、私は映画の広告や新聞のことだけを考えているのではありません。…宗教の世界においても、大げさなものを追求する傾向が、あまりかんばしくない影響を与えているように思われます。
 自分の信仰の現れ方に対して私たちがもっているイメージは、本当の信仰が明らかになったとき、それを認める妨げになっていないでしょうか。『聖なる』信仰生活、『確かな』信仰生活とは、大きな苦しみや挫折、ヴィジョン、妄我、また英雄的勝利などに彩られたドラマチックな生活であると考えていないでしょうか。
 なるほど信仰は力にあふれた奥深い現実、感動的で持続的な現実です。しかしながら信仰に関わる偉大なものはみな、目立たないようなかたちで生き、働いているのです。このことは根本的にすべてに当てはまります。……

「神の臨在と働き、神の愛の啓示、神の恵みの支配は、穏やかに、静かに、当たり前のことのように起こるので、キリスト者と称する人でも、多年にわたってしばしば誤ったものの中に神の恵みを見、求め、とらえ、待ち望みます。神が私たちのもとにやって来られるに先立って、嵐、雷、地震が起こることもあるかもしれません。しかし神が人間のもとにいるときには、穏やかで静かな風の中に姿を隠されるのです。(第一列王19:12参照)神の臨在は、神を信じ、神に従う人々の心の内に、一点の疑念の余地もない明るさに包まれた新しいいのちを生み出します。この明るさは無頓着や浅薄さではなく、大人でありながら無邪気になること、不安から解放された弟子としてのあり方を意味しています。
 多くのキリスト者のふるまいは、どうしてこれほど不自然で作為的なもの、背伸びした自意識過剰なものに見えるのでしょうか。彼らの信仰は外界の一部のようなもの、自分にとってよそよそしいもの、単なる付け足しにしかすぎないのです。
 自分で理解できないような生活のあり方や働きのありようは、自分の外部にあるのであって、内部で統合されたものではありません。この場合、自分が何をするか、自分が何であるかがいつも気にかかります。自分がどうふるまうべきかを確定しようとします。自分が達成したいと思うことをみな意図的に行います。
 そのような人の場合、自分のすることなすこと、生きること体験することに、絶えず『私は何々すべきである』という重圧がかかります。生活の中で絶え間なくこの要求に直面していると、魂は慢性的疲労状態に陥ります。私は祈らなければならない、聖書を読まなければならない、もっと平和、信仰、喜びを現さなければならない…と。
 このような圧迫感のもとでは、キリスト者としてのわざは、それが実際になされた場合、わざとらしいもの、計算ずくのもの、それ自体不自然なものになってしまいます。自分を若く見せたいと願う老人と同じような印象を他の人に与えます。そのようなライフスタイルは本物ではありません。その信仰の働きは低俗で、硬直して生気がなく、時として非人間的になります。……」(第六章 信仰の現れ方 より)

「『目立たない』は『目に見えない』と同じではありません。信仰生活は目に見えない世界に目を向けますが、そのような世界にとどまるわけではありません。信仰は、目に見えないもの、知性や感覚で認知できない現実を見ます。目に見えないものを、目に見えるもの、感覚的なもの、身体を伴ったものの中に移し入れ、注ぎ込みます。
 『イエスのいのち』(第二コリント4:11)は、人間の身体において見えるものになりました。日常生活を成り立たせている目立たない準備や活動のあり方はすべて、身体を伴ったいのちに属しています。
 日常生活は最も目立たないものであり、私たちの営みをかたちづくっているものの中で、最も無視され軽視されています。語る、食べる、飲む、眠る、歌う、悲しむ、働く、疲れる、気分が悪くなる、衰弱する、回復する、遊ぶ、身体の手入れをする、座る、横になる、立ち上がる、歩く、見る、手で押す、声を出す、手紙を書く、会話する、泣叫ぶ、笑う、失望する、希望する、洗う、髪の毛をとかす、整頓する、骨折る、日ごとの課題を果たす…などです。
 私たちの生活は日々の事柄から成り立っています。どんな高貴なこと、偉大なことを経験し、考え出そうとも、日常生活に移し替えなければ、いつまでたっても実りはなく、それ自体として現実性はありません。この日ごとの生活こそ、信仰による変革の出発点なのです。信仰のかたちは日、週、月、年と区切られる目立たない時の中で、だれにも気づかれずに成長し、『イエスのいのち』が内側から、私たちの存在と働きの最も取るに足らない細部、最も瑣末な細部に至るまで現れてくるのです。最も一般的なことを、つまり日常生活を包括し、貫き、変化させる信仰でなければ、非現実的なものーー頭だけの信仰、表面的な信仰になってしまいます。 ……

「…神に仕え、神を誉め讃えることは、他の行為から切り離された宗教的行為だけでなく、楽しくも喜ばしい身体の日常的な活動形態の中に認められるものです。ですから以下のみことばも同様のことを語っているのです。『あなたがたは、食べるにも、飲むにも…神の栄光を現すためにしなさい。…自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい』(第一コリント10:31、6:20)
 日常生活の中で、永遠のいのちを実現される方としての神の栄光を現し、神を喜ぶことです! 私たちはこのような生活へと召されているわけです……」 (第七章 信仰のかたち より)

4/23/2002

ケンブリッジはこのところ、とてもいいお天気が続いている。今朝など、近くのパーカーピースという公園ではなんと芝生の一部にスプリンクラーで水撒きをしていたほど。雨の多いはずのイギリスでわざわざスプリンクラーで水撒きをするとは、最近いかに雨が降ってないかがうかがえるというもの。私にとっては大歓迎だけれどね。

最近、やることが多すぎて、頭と身体が動きたくないとストライキをおこしている。動きも思考も鈍くて、嫌になってしまう。まさかと思うんだけど、鼻グシュグシュがずっと直らないのって、もしや花粉症ってやつ? 頭がぼーっとしちゃって、ちっとも集中できないのはそのせい? (単なる怠け癖か?)でも目が痒くなったりはしないから、違うかな。違うといいな。

今朝目が覚めたとき、なんだか自分がミイラになったような気がした。吸い取られて、吸い取られて、カラカラにひからびてしまったような変な感じ。この妙な感覚の原因はケンだ。一緒に寝ているケンが明け方早くから、セルフサービスでおっぱいをもらいに来たのだ。子犬のような可愛い子がモゾモゾ吸い付いてきて、いつまでたっても離れやしない。そうこうしているうちに目覚ましが鳴ってしまったので無理矢理引き剥がしたら、彼は怒って泣いた。実はこれは毎朝のパターン。母乳をあげている母親はそれだけで体力を消耗すると言うけれど、本当だなぁ。ミルクと一緒にいろんなものを吸い取られているようだ。もうそろそろ本気で断乳しなくてはと思う。でも断乳するにも気力と体力が必要だし、家族の協力も不可欠。パパは明日から学会でフランスだし、フランスから戻ってきてもその10日後にはまた別の学会でベルギーへ行く。パパも当分は忙しいから、断乳するならベルギーの学会が終わってからかな。五月中旬頃か。

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昨日偶然見つけた面白いサイト。

Japanese Engrish

日本の街中で見かける、ネイティブの目から見たおかしな英語を集めたサイト。

たとえば、日本エアシステムの、秋田ー沖縄直行便のポスターのコピー。

「Akita to Okinawa Non Stop Fright」 恐いなー。(笑)

こんなのもあった。仙台の新幹線の駅にあった化粧室の場所をしめすサイン。

「化粧室は後方です。For restrooms, please go back toward your behind.」

でもね、英語のネイティブはこういうのみて笑うけどね、あなたたちだって結構怪し気な日本語や漢字のついたTシャツとか着てたりするのよ。(笑)

4/20/2002

今日のJCFにはまた新しい人が来た! というか、彼女は以前ケンブリッジに住んでいてもともとJCFのメンバーで、2年近く日本に帰っていて、また戻って来られたのだそうだ。このタイミングが本当に嬉しい。今日はロンドンJCFの盛永先生に来ていただいての学び。第一コリント13章の愛についての箇所から。

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帰米までの3ヶ月余りの間にしなくてはいけないことを、そろそろリストアップした方がいいかな。考えるとユーウツなんだけど、しないわけにはいかないし。う〜ん、忙しくなるぞ。

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ケンスケは相変わらずとっても可愛いんだけど、最近気にいらないことがあるとギャーと泣いて身体を思いきり反らしたりするようになった。これが危ないんだな。ところかまわず、手加減しないで身体を反るからどこに頭を打ち付けるかわからない。だっこしていても落っことしそうになる。そしてこうやってギャーと泣いたあとに自分の思い通りになると、たちまちエヘヘと笑う。生後12ヶ月にして、早くも親をmanipulate(操作)することを覚えたわけだ。人間って、やっぱり罪深いものとして生まれてきたんだなぁとつくづく思う。私もしっかりしなくちゃね。可愛い可愛いとばかり言っていられない。

4/19/2002

今日はみんの新しい友達で、ニュージーランド人のブロンティがうちに遊びに来た。

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月曜日にロンドンの科学博物館に行ったとき、入場料がタダでびっくりした。聞くところによると、去年からロンドン中の博物館の入場料が無料になったのだそうだ。よしっ、こっちにいるうちに自然史博物館とV&A博物館にも絶対にいくぞ、と心に決めたはちこでありました。 V&A博物館というのは、世界中の工芸品を集めて展示してあるんだそうだ。科学博物館や自然史博物館ならシカゴにもあるけれど、V&A博物館みたいなのはイギリスにいるうちでないとね。絶対行くぞ〜!

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風邪の峠はとっくに越しているんだけど、相変わらず鼻ずるずる。早くスキッとしたい。来週はぼぼるパパが学会でフランスのニースに行く。パパの留守中は毎晩カレーにしようかな… 

4/17/2002

今日のケンブリッジは日中15度くらいまで上がったらしい。春らしくて気持ちのいい陽気。でも東京はもっと暖かいのでしょうね。シカゴなんて、昨日は31度、今日も28度くらいだったらしい。信じられない。

今日はエミは学校のあとキャロラインのうちへ遊びに行った。一方でみんのクラスメートのジョアンナがうちに遊びに来た。ま〜やはお姉ちゃんたちから仲間はずれにされて大泣きしていた。(^_^;

ジョアンナのお父さんが面白くて、自己紹介で私が「Hello, I'm Miho's mum.」と手を差し出すと、握手を返しながら「Hello, I'm Joanna's mum.」ジョアンナは隣でお父さんの上着をひっぱりながら、「Dad, Dad, you are a dad!」お父さんは「あっ!」と叫ぶと自分の額をポンと打っていた。(笑)

ところでみんのクラスには新学期になって二人の新入生が入ったらしいが、一人はニュージーランド、もう一人はサウジアラビアからだとか。本当にインターナショナルだね、この街は。

春眠暁をおぼえず、なのか、単なる寝不足か、一日中眠くてしかたがない。ケンが早起きだからなぁ。

4/16/2002

昨日は楽しかった! 

朝11時までにロンドンへ行き、バッキンガム宮殿の前で人込みに揉まれながら衛兵交代を見学。実際に交代しているところは人の壁で見えなかったけれど、衛兵たちが行進して入っていく様子と、交代が終わって出ていく様子は間近で見ることが出来た。子供たちも面白がっていた。お昼は、ウェールズに住む私の大学時代のクラスメート、ヨーコと落ち合って一緒にランチ。その後、私たちは科学博物館へ行くことにしていたのだが、ヨーコもつきあって一緒に来てくれた。ま〜やは終始彼女に手をつないでもらい、すっかりなついていた。ヨーコとは2000年の夏に私が一時帰国したとき、彼女もちょうど里帰り中で、その時に会ったのがなんと16年ぶりだった。今回は約二年ぶりだったわけだが、外国で昔からの知り合いと会うとホッとする。時間があれば今度はウェールズまで遊びに行きたいな。

さて、子供たちの春休みは昨日で終わり、今日から新学期。またお弁当作りと送り迎えに明け暮れる毎日が始まる。でも今日は昼間、家の中が静かで安らかだったなぁ。(笑)

そうそう、ケンスケは今日MMRの予防接種。全然泣かなかった。さすがは男の子。

4/14/2002

風邪のせいで頭が朦朧とする。明日はロンドンに行って、私の日本の大学時代の友人と一緒にお昼御飯を食べる予定なので、それまでには症状がよくなっていて欲しい。今夜は薬を飲んでから寝よう。

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ぶんさんがまた本をいくつか紹介してくださった。そのうちの一冊、「信仰の友への手紙」(ユージーン・ピーターソン著)の書評をいのちのことば社のHPで読んでみた。

ピーターソンは一貫して、クリスチャンが霊的であるとは、人が聖霊なる神の働きと導きをその人生に受け入れることだと定義し、クリスチャンの成長は普段の生活の中で日常的な出来事を通じて神の霊によって育まれていると教えている。従って彼は、クリスチャンの自らの魂に対する責任とは、人が神の霊の働きに気づき、それに思いを巡らすことだと指摘している。(太字はちこ)

この箇所、一語一句に「アーメン!」と言いたい。超自然的な奇跡だけが神様の御介入なのではない。私の平凡な日常生活の一コマ一コマに、私は神様の御手が働いておられるのを見る。そして授乳しながら、玉ねぎを刻みながら、皿洗いをしながら、掃除機をかけながら、洗濯機をまわしながら、聖霊様が私に語っておられることに耳を傾け、それに思いを巡らすのが大好きだ。また、御言葉を通して何かが示されたとき、私はその御言葉を心に納め、一日中でも一週間でも、何度も何度もその箇所を反芻し、聖霊様が私の霊をリリースしてくださるまでそこに留まる。(このプロセスはとてもプライベートなものだと感じるので、その途中経過を日記に書くことはあまりない。)

御言葉を通して語られたこと、日々の生活のなかでの出来事、友人や状況を通して示されたこと… 個々の事象はバラバラで独立しているようでありながら、それらにゆっくり思い巡らすとき、まるでジグソーパズルのピースがつながるようにピタリとおさまっていき、そこからはっきりとしたひとつのテーマが浮かび上がってくる。

今もそうだ。神様はここしばらく、私にあることをずっと語って下さっていた。たとえば昨日のJCFでのTさんの証を通しても、私にずっと個人的に語られていたことが確かに神様からのものであることを再確認出来たし、ぶんさんが紹介してくださったこの本の書評からも同じテーマを見た。数日前にはJohn Bevereの『Bait of Satan』というビデオを見たのだが、そこでも同じだった。

何を語られているのかについては、私自身十分に咀嚼出来ていない気がするので今はまだ書かないでおくが、この全地宇宙の全てを造られた大能の主が、被造物の一つに過ぎない私とこんなにも深く近密に関わってくださるなんて、私はただ畏怖を感じる。神様と親しい関係になるのに、私たちは世界的に有名な説教師である必要はないし、○×ミニストリーの主幹である必要もない。主婦でも学生でもビジネスマンでも何でも、私たちさえ心を神様に向かって開くなら、神様と共にゆっくり時間を過ごすことをいとわないなら、神様はいくらでも私たちに語ってくださる。

ちょっと余談だが、こうして神様が私に語ってくださっているとき、私の霊的理解力を阻止しようとするかのような敵からの攻撃を同時に感じることも少なくない。これでもかこれでもかと、右から左から揺さぶりがかかる。その攻撃や誘惑は巧妙なので、初めのうちは振り回されてその対処に追われるのだが、はたと気付くと、そうだ、これは敵のしわざではないか、とわかる。私の良心を責めてきたり、つぶやきや自己憐憫を引き起こそうとしたり、まぁ上手に私の弱味をついてくる。そんな時私は、水戸黄門の印篭をかざすごとく御言葉をふりかざし、敵の嘘に対して「It is written!」と言い放つ。自分の心に浮かぶひとつひとつの思いを御言葉のスポットライトで照らし、それをイエス様の前に差し出す。そしてひたすらイエス様だけに目を留める。どんな問題が起きてきても、私たちはイエス様以外のものは見る必要がないのだから。

えーと、話しをもとに戻して、ピーターソンの本だが、この本は著者が、40年ぶりに信仰を回復した旧友に書き送った書簡をまとめたもので、「教会に理想を求めすぎないこと、『霊的』ということばを多用すべきでないこと、霊的と思えない現実の生活の中で真の霊性は養われることなど、つまずきを覚え、長らく教会から遠ざかっていた友に、親身に、具体的かつ実際的に語りかけ」ているものだそうだ。そのため、書評を書いた重田稔仁さんによると、「全体を通じてキリスト者の信仰生活における誤った固定観念や幻想、あるいは人為的な操作を狙った教えに対して、厳しい態度と言葉で批判している」そうだが、それは決して著者が単にシニカルな傍観者だというわけではないと、著者を個人的に知る重田さんは言う。

彼は、… 人と人の関係にその身を置き、傷つき痛み、悲しむことをいとわないキリスト者である。したがって彼は、本著でいたずらに他者を批判して自らの傷を覆い隠し、批判的な精神を持つ人々の共感を安易に期待しているのではない。

この箇所がまた、私が今語られているテーマによく通じているので驚いた。

クリスチャンが人間関係でつまづき、傷つき痛むとき、彼らは当然神様との関係のなかに逃げ込む。そうあってしかるべきだと思うし、私自身もそうだ。でも、傷つくのを恐れるあまり、神様との関係の中から出て来れなくなってしまうことも時にはないだろうか? もちろん私たちは神様との関係に留まるべきなのだが、それは決して人との関わりを断つことを意味しているわけではない。

… うん、今日はこのへんにしておこう。聖霊様からストップがかかった気がするので。

4/13/2002

ぐるじい。風邪をひいてしまった。鼻がつまっていて息が出来ない。何だか顔がガビガビ。

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ケンブリッジJCFのリーダーであるHさん御夫妻は、今月末から3ヶ月ほどお仕事で日本に行かれることになっている。彼らは19年前にイギリスで救われて以来、毎週土曜日に日本語聖研を持ち続けてきた。現在のケンブリッジJCFは小さなグループで、お二人がいなくなってしまったら、レギュラーで来るのは私たち夫婦とあと二人のご婦人だけ。なんだか寂しくなっちゃうなぁ、と思っていた。

すると先週、七年前にケンブリッジJCFに集っていたという姉妹が、仕事でまたここに戻って来られた。そして今週は、日本からTさんという新たな方がいらしゃった。彼は七ヶ月間ケンブリッジに滞在されるのだそうだ。Tさんは大学の先生で、奥様がKGKの主事をしておられたとか。そのため共通の知人が多くいて、話がはずんだ。もう、神様のこの絶妙なタイミングに感激。

4/12/2002

昨日は子供たちを連れて「Monsters, Inc.」(ディズニー映画)を観て来た。ヒマを持て余している子供たちへのサービス。出来れば子供たちだけを中に入れて、私は外で一人コーヒーでも飲みながら待っていたいところだったが、やはりそうもいかない。自分のチケットも買ってやれやれと思いながら座っていたら、おーおー、これがなかなか面白かった。ケンは都合よく私に抱かれたまま寝てくれたので、中座しないですんだし。でも、私、本当は「ビューティフル・マインド」が観たかったのよね。なんでもプリンストンが舞台になってるって話しなので。シカゴに帰ってからビデオを借りてくるかな。

今日はエミの誕生日パーティー。エミはとても楽しいひとときを持つことが出来て感謝。(^^)

イギリス人って、どうもアメリカ人より声が小さいというか、概していつもそよそよそよと静かな声で話す。女の子たちの会話を聞いていても、生っ粋のブリティッシュイングリッシュでそよそよそよと話している様子は、いかにもお嬢ちゃまたちのティーパーティーという感じで、やたらけたたましかったアメリカでのパーティーとは随分違うなと思った。(もちろん、イギリス人でも賑やかタイプはいるけれど。道を歩いていても、複数で連れ立ってゲタゲタ笑いながら歩いている女の子たちを見かけることはよくある。)

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今日のファミリーデボーションにて。

<その1>

パパ「Let's open the Bible to the Book of Acts, chapter 3.  By the way, when I was in junior high school, I had a friend by the name of 阿久津.」

子供たちはパパが何を言っているのかわからず、無反応で聖書を開いている。ママだけはそっと顔を横にむけてつぶやく。「親父…

<その2>

(パパのお話が一通り終わった頃)

ま〜や「Dad, I have a question.」

パパ「Yes, Maya. What is it?」

ま〜や「Is it finished?」

一同爆笑

4/10/2002

昨日はQueen Mother(皇太后)の御葬式。今日のニューススタンドにはめそめそ泣いているチャールス皇太子の写真がトップに大写しになっている新聞がたくさん並んでいた。チャールス皇太子はおばあちゃん子だったらしい。Queen Mother特集の雑誌もいろいろ出ていたので、記念に1冊買ってみた。興味深い英国王室の歴史がいろいろ出ていた。

Her Majesty Queen Elizabeth The Queen Mother

ところで、前から不思議だったんだけど、エリザベス女王の夫君であるエジンバラ公フィリップ殿下って、どうして「キング」とは言われないの? 

そういえば、称号の話しで思い出した。

先日オンラインであるものに登録をしていたら、名前を書くところで自分のタイトル(称号)を選ぶ欄があった。普通は(少なくともアメリカでは)タイトルといえばMr., Mrs., Ms. , Missのどれかのこと。時々Dr. やRev. (聖職者)などが出ていることもあるが、まぁそのくらいだ。ところが、そのサイトでは称号の欄のプルダウンメニューをクリックすると、ずらずらずら〜っと長いリストが出てくる。お決まりのMr., Mrs., Ms. , Missに始まって、Lord、Lady、Duke(公爵)、Marquess(侯爵)、Earl(伯爵)、Viscount(子爵)、 Baron(男爵)、 Knight(騎士)、Sir(卿) … さすがにプリンスやプリンセスはなかったと思うが、いやはや、驚きましたね。さすがイギリス。

ちなみに、私が登録をしようとしていたのは、スーパーマーケットの宅配サービスでした。(笑)

4/9/2002

今日の夕方、ケンがらりらりと言った。私はすっごく嬉しくて、「ケンがらりらりって言った、らりらりって言った!」とおままごとをしていたみんとま〜やに報告したら、二人は「それがどうしたの?」と言わんばかりに私をちらっと見ただけだった。(^_^;

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先日、ちょっと心に重たいものがあって落ち着かない気持ちに襲われていた。こんなときは、とにかくイエス様に洗いざらい正直な気持ちを打ち明けようと思って祈り始めたら、祈り終わらないうちからピリピ2:3の御言葉が示された。自己憐憫に陥りそうになっていた私に、いきなりイエス様から待ったがかけられたような感じ。

「でも、この箇所って、『互いに』ってあるんですけど?」思わずつっこむ(?)と、「その通り。でも今わたしはあなたに語っているんだよ」と優しくいさめられた。

イエス様の両手が私の両頬ををはさみ、きょろきょろする私の視線をイエス様だけに向かせてくださる。アーメン、主イエス様。あなたの御言葉にアーメンします… イエス様の御顔を拝していたら、それまで私の心を悩ませていたことなど、どこかにふっとんでいってしまった。

Sweet Jesus...

4/8/2002

ケンの熱の正体は中耳炎だった。こんなに何日も熱が続くなんて、きっとどこかがinfectionを起こしているのだろうと思っていたが、やっぱりそうだった。幸いケンは処方されたお薬(抗生物質)の味が気に入ったようで、嫌がらずに飲んでくれている。これであと数日もすればおさまるね。よかった。体調が戻ればまたらりらりも復活するかな。あなたのらりらりを聞かないと、ママは調子が出ないのよ。

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つぶやきの心にサタンは巣食う…

まったくその通り!

Take captive every thought and make it obedient to Christ!! (第二コリント10:5)

私の心に浮かんでくる思いのすべてを、つぶやきも驕りも、自己憐憫も他愛のない空想も何もかも、全部とっ捕まえてひとつひとつイエス様の前に差し出し、イエス様に服従させる。

心のなかに浮かぶ思いを暴走させない。ネガティブな思いも、楽しくてワクワクするようなポジティブな思いでさえも。

敵につけこまれる隙を与える前に、イエス様に服従させる。御言葉の光で照らす。

これぞ「こころ」というバトルグラウンドでの勝利の道。

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片岡伸光先生が先週の土曜日、凱旋されたそうだ。片岡先生は元KGK総主事、JCFN理事、そして3月末までシンガポールJCFで牧会をされていた忠実な主の器。

早かった。癌のターミナルケアのためにシンガポールから日本にお帰りになったばかりだったのに。

片岡先生とはJCFNでご一緒させていただいており、4年前の修養会でま〜やの1歳の誕生日を先生の50歳のお誕生日と一緒にお祝いさせていただいたのがつい昨日のことのようだ。

「名は体をを現すといいますが、私の場合もまさにその通りで…」を言って講壇の上からみんなを笑わせるような楽しい方だった。

語られた御言葉に留まってゆっくり思いを巡らすということを、私は片岡先生から学んだ。

先生は今、天国でイエス様と一緒におられるんだなぁ…

でも、地上では寂しく思う者が大勢いるはず。私もその一人。御家族の皆様をはじめ、先生をmissする私たち一人ひとりの上に主の慰めがありますように。

●『主の前に静まる』片岡伸光 著(いのちのことば社刊)

4/7/2002

ケンの熱は、昼間は下がって夜になるとまた上がってのくり返し。食欲も落ちてるし、明日は朝一にお医者さんに電話しよう。

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実は、今、PCに向かう時間を思いきり制限している。昼間は基本的に一切PCには触らず、夜子供たちが寝てからだけ、ということにした。最近エミがPCに向かう時間が非常に長いので、少し制限させることにしたのだが、子供に制限させるからには親もそうしないと示しがつかないと思ったのだ。最初の数日は禁断症状がかなり辛かった。(^_^; でもようやく慣れて来たかな。

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そろそろシカゴに帰るための荷造りのことを考え始めている。スキーウエアなど、もう絶対に使わないものはさっさと箱につめてシカゴに送り返してしまおう。4ヶ月なんて、きっとあっと言う間だものね。

子供たちの学校が7月25日まであって、27日の土曜日から1週間、Kingdom Faith Ministry のFaith Camp 2002に参加して、それからシカゴに帰る予定。Faith Campには、去年もイギリスに来てすぐの時に参加したのだが、とても素晴らしかった。子供たちも今から楽しみにしている。今年は、ケンブリッジJCFのHさん御夫妻も参加の予定だし、日本のルークさん御家族も参加されることになっている。私も楽しみだ♪

4/5/2002

ケンの熱は、それほど高くはないもののまだ続いている。昼間は結構機嫌がよかったけれど、やはり食欲は今ひとつだった。今夜も、夕べと同じように夜中に泣いて、カルポル入りヨーグルトを食べてからまた寝入った。

そういえば、ついこの前までケンのおしゃべりは「らりらりっ」とか、「ら〜りら〜」とか、「ら〜りらりらりらりらーっ!」など、「らりらりら〜」とそのバリエーション一筋だったのに、昨日あたりから突然「らりらりら」を言わなくなった。「かっくん」とか、「あーたたたた」とか、「ダジ」とか、「ジーザ」とか、急にこれまで出したことのないような音を出し始めたのだ。心境の変化かな?

あ、また泣き出した。よしよし、苦しいのかな、今いくよ。

4/4/2002

今日はエミの誕生日。もう11歳か。早いものだ。4人姉妹弟(こういう表記ってあり?)の長女だけあって、随分しっかりしてきた今日この頃。11年前のプリンストンでの春の日が、まだ昨日のことのように思い出せるのに。

今朝連れて行った絵付けのお店は大変気に入ったようだった。エミの作品はマグカップにハムスターの絵柄。釉薬を塗って焼き上がってくるのが日曜日らしい。取りに行くのが楽しみだね。来週の金曜日には同じ場所でお誕生日会を開く予定。

思えば、去年の誕生日の頃はエミは仲良しだった友達との関係がギクシャクしていて、結局誕生日会をしなかったのだ。私の方もケンを出産したばかりだったし、イギリス行きの準備もあったしで忙しく、この件に十分時間をとっていい解決策を見つけてあげることが出来なかった。本人は納得してのこととはいえ、本当は寂しかったに違いない。だから今年はエミが喜びそうなパーティーを計画することが出来てとても嬉しい。クラスで一番親しいお友達五人だけを招いてのこじんまりしたパーティーだが、きっとみんな楽しんでくれるだろう。エミにとっても形にも残るいい思い出になるはず。

イギリスに来てから、エミは友達にも恵まれ、気持ちの上でもとても安定した毎日を送っている。イエス様がエミのために、去年の分まで穴埋めをしてくださっているかのようだ。愛と憐れみに満ちたお方に感謝。

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昨日のプールがよくなかったらしく、ケンが39度以上の熱を出してしまった。今は薬を飲んで寝ている。イギリスで一般的に使われている幼児用の熱冷まし『カルポル』はイチゴ味で、ストロベリーヨーグルトに混ぜるとケンは少しも嫌がらずに食べてくれる。さっきも冷たいヨーグルトと薬、そして冷たいお水をちょっぴり飲ませたら、火照っていた身体が楽になったのかすぐに寝付いた。

昨日のプールはもちろん屋内の温水プールだったけれど、実は結構寒かったのだ。少なくとも私は寒いなぁと思いながら水につかっていた。でもケンは嬉しそうにしていたし、他の赤ちゃんたちもみんな普通にしていたので、大丈夫なんだろうと思っていた。でもやっぱり身体が冷えちゃったんだろうな。ごめんね、ケンスケ。愛しているのに、こんな目にあわせちゃって。早くよくなりますように。

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「聖書の出会い」の仲嶋先生から先生のHPのURL変更及び御著書出版のお知らせをいただいた。新しいURLは以下の通り。

「聖書の出会い」http://members.tripod.co.jp/galilee

このHPに掲載されていた先生の日記が、八月に文芸社から『み神を慕いて』というタイトルで出版されるとのこと。トップページに社内刊行審査委員会の意見が出ているが、それがまた素晴らしい。キリスト教の出版社ではないところからこのような評価を得るとは、先生のお働きが、いや、日々の生活そのものが、どれだけ神様にご栄光をお帰しするものであるかがよくわかる。この本、八月に出版されたら是非はちこ母に買って送ってもらおう。

4/3/2002

『ヴァインの祝福』が発売になったらしい。

http://www.wlpm.or.jp/pub/1580/index.htm

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今日は半袖で過ごせるような暖かくて気持ちのいい日だった。

午前中は、公園でもたれたケンブリッジ日本人育児の会の集まりへ。ケンは生まれて初めてのブランコに挑戦。でも、あまり好きでなかったらしく、嫌そうにしていた。(笑)せっかく公園へ行っても、ケンはまだあんよが出来ないので結局ママに抱かれっぱなし。しまいに眠くなってバギーのなかで寝ていた。何しに行ったんだか。でも、私の方はいろんなママさんたちとおしゃべり出来てとても楽しかった。今日初めて知り合ったOさんは、うちから徒歩五分くらいのところにお住まいとわかりびっくり。そんな近くに日本人の御家族がいたなんて! 帰りは車で送っていただいてラッキーでした。(^^)

午後は、4時頃から家族みんなで近くの市営プールへ。ケンは朝のブランコに続き、今度はプールデビュー。プールの方は大好きだったようで、嬉しそうにしていた。

ま〜やは小さい子用のプールで、「ママ、見て!」と言っては鼻をつまんでブクブクと水のなかに潜り、泳ぐ真似事。本人は泳いでいるつもりなんだろうが、傍から見ていると手足をばたつかせてまるで溺れているように見える。大丈夫なんだろうか、と見ていたら、一度本当に溺れかかった。これだから絶対に目を離しちゃいけないんだなー。

明日はエミの11歳の誕生日。近所に素焼きの器に絵付けをさせてくれるお店があるので、エミとみんをそこへ連れていくことにしている。誕生日パーティーは12日にやる予定。

4/2/2002

数日前のファミリーデボーションにて。

「エミがまだ一歳くらいだった頃にね、おむつを自分ではずしてうんちにさわちゃったことがあったの。うんちがおもちゃになすりつけてあってねぇ。(笑)」

み&ま「キャハハハハハ…」

「や〜ん、はずかしい!」

「エミだけじゃなかったよ。みんだってま〜やだって、小さい時はいろいろ汚いことしてママを驚かせたものだったわよ。」

エ&み&ま「キャハハハハハ…」

「で、うんちをさわっちゃったエミを、ママはどうしたと思う?」

「手をよく洗ってあげた!」

「そう。もちろんそうだよね。いくらうんちが汚いからって、エミが汚くなったからもう知らない、な〜んて言わないよね? エミがどんなに汚いことしても、悪い事をしたとしても、だからってママがエミのことを好きじゃなくなるなんてことは絶対にないよね?」

エ&み&ま「うん!」

「どうしてだと思う?」

「だって、エミはママの子供だもの! お母さんっていうのは、いつでも子供を愛するものでしょ。」

「その通り。それじゃあね、エミがどんなに汚くてもママはエミのことを愛しているから、別にうんちまみれでも構わないわ、このままでほっときましょって、言うと思う?」

エ&み&ま「言わな〜い!」

「どうして?」

「だってママはエミを愛しているんだから、エミのことをきれいにして、面倒みてあげたいでしょう? うんちがついたままだったら、エミは病気になっちゃう。」

「その通り! ママがエミを愛するのにエミがきれいか汚いかは関係ないけど、愛しているからこそエミをきれいにしてあげたいんだよね? わかるね?」

エ&み&ま「うん!」

「神様も同じなんだよ。聖書には、私たちは神様の子どもだって書いてあるよね。じゃあ、聖書を開いてごらん…」

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。 わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。 あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。 ヨハネ14:27 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。 あなたがたは、世にあっては患難があります。 しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。 ヨハネ16:33


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