ホーム日記ケンブリッジ日記

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はちこのケンブリッジ日記

2001年7月22日、はちことぼぼるは子供たち4人をぞろぞろ引き連れて、
朝の礼拝後、イギリスに向かってシカゴを出発した。
これから一年間、サバティカル(研究休暇)でケンブリッジ大学に行くぼぼるパパにくっついて
家族みんなでイギリスにお引っ越しなのである。

離陸間際になって突然襲ってきた雷雨のせいで、はちこファミリーを乗せたヴァージンアトランティックの
747はいきなり2時間の足留めをくらったものの、その後は約七時間、快適な空の旅。
娘たちは各客席に備え付けのテレビスクリーンで映画やゲームを堪能、
生後4ヶ月になったばかりのケンスケもみんなに愛想を振りまいていい子にしていた。

ロンドン・ヒースロー空港には23日の朝8時頃到着。降り立ってまず思ったのが、
おお、インド人が多い!
そうかぁ、東インド会社かぁ、と社会科苦手のはちこはとんちんかんに納得していた。

なにしろ小さい子供を連れているから飛行機を降りたのは私達が一番最後。
眠くてフラフラしているチビたちの手を引いて、入国審査の列に並んだのも一番最後。
しかし、係の人が手招きして私たちを列の始めに連れて行き、空いている窓口へと導いてくれた。
(後の者が先になるとはこのことか!?)

税関を通りぬけると、シカゴから予約しておいたタクシー(といってもミニバン)が
CAMBRIDGE NAKAMURA
と書いた紙を持って迎えに来ていた。

思いっきりブリティッシュアクセントの親切そうなおじさん。
私たちのたくさんの荷物にも、嫌な顔ひとつ見せずに次々と車に積んでくれた。

「この2週間ほど、ずっと天気が悪くて雨続きだったんだがねぇ、今日はきれいに晴れましたねぇ。」
運転手さんが窓越しに空を見上げていう。
そう、暗くて鬱蒼とした天気を予期していたのに、本当に見事な青空だった。
なんだか私たちがアメリカからいい天気を連れてきたような気がして、
ちょっぴり得意になってしまった。(あなたの手柄じゃないって<自分)

高速道路を行き交う車は、アメリカとは違ってこぎれいな小型車が多い。
やたらのどかな田園風景を見ながらケンブリッジに向かって北の方へ進むこと約一時間。
はじめのうちは興奮状態だった子供たちも、一人また一人と眠りに落ち、私もそろそろアウトか・・・
という頃になって「さぁ、ケンブリッジの街に入りましたよ。」

うわあ、本当に古めかしい建物がたくさん!
二階建てのバスも走ってる!
ついに来たんだ、ケンブリッジに。

ぼ〜っとして見入っているうちに、私たちが住む家のあるアールストリートに到着。
狭い道の両側にはいかにも古そうな石造りのテラストハウスが並ぶ。

この家が、これから一年間私たちの「我が家」になるのね。
どうぞよろしく、お世話になります。
来年の七月まで、一緒に楽しくやりましょう。どんな一年間になるのかな・・・

・・・・・・

という訳で、日記はお休みしますと宣言しておきながら、早々にそれを翻すことになりました。(*^_^*)
「はちこの日記」の番外編ということで、これから一年弱、
皆様、ケンブリッジ日記によろしくおつきあい下さいませ。m(_ _)m

(日付が後のものが上になってしまっていて、読みにくいかと思いますがお許しください。)

9/30/2001

雨の日曜日。

大学の新学期が始まったからか、今日の礼拝は今までよりも人がずっと増えていた。外国人も結構多い。ワーシップのあとケンがうるさくなったので廊下に出ると、日本人の女の子二人に出くわした。この教会に来ているイギリス人のあるご婦人と、英語のレッスンを兼ねたバイブルスタディを持っているという。日本語で話していたらそのご婦人がやってきて、私も一緒にレッスンに出ないかと誘ってくれたので、おじゃましてみた。他にもう一人の日本人の女の子と韓国人の女の子二人がいた。レッスンはなかなか楽しく、来週からも続くという。私にもお手伝い出来ることがあれば、何でも言ってくださいねとそのご婦人に伝え、私の電話番号をわたした。

それから、台湾人の奥さんとも知り合った。年のころは多分私よりちょっと若い感じで、生後七週間の赤ちゃんと二歳くらいの男の子がいる。グラフトンセンター(はちこのうちの近く)の側にある教会で、毎週金曜日に幼児のためのプレイグループがあって、日本人のお母さんもたくさん来ているから是非はちこもいらっしゃいよと誘われた。早速今週から行ってみようと思う。

シカゴにいた時からは考えられないような、オフラインでの日本人との出会いの機会がたくさんある。ケンブリッジでの生活はすでに6分の1が過ぎてしまったが、まだまだこれからが楽しみだ。

午後からは突然睡魔に襲われて、怒濤の昼寝。

*****

夕べ、私のベッドで寝ていたケンの隣でま〜やも寝ていたら、11時頃ケンが夜泣きした。しばらく泣かせておいたが泣き止みそうになかったので様子を見にいくと、起きたま〜やがそれはそれは眠たそうな目をしばたたかせながら、枕もとにあったおもちゃでケンをあやしていた。ケンが隣で泣いてうるさいといって怒るのでなく、自分は眠たくてもちゃんとあやしてあげているなんて、ま〜やも随分お姉さんになったものだとしばし感動してしまった。

*****

夕食のあと洗い物をしていたら、キッチンの流しが詰まってしまった。う〜ん、困ったなぁと思いながら流しの下を覗き込むと、パイプは結構新しくて、取り外しが簡単そうに見えたので、思い切って自分ではずしてみた。新しそうに見えたとはいえ、中は汚い、汚い! バスルームのシンクで二時間ほどかけて取り外したパイプをひとつひとつ洗った。とっても気持ち悪かったけど、以外にも臭いがほとんどなかったので頑張れた。

それからまた元通りにつけて水を流してみる。さっきよりはましになってはいるものの、まだ駄目だ。がっかりして途方にくれつつぼぼるパパに相談。二人であーだこーだ言っているうちに、キッチンの片隅に小型のサクションカップがあったことを思い出した。サイズからいってトイレ用ではなさそうだったので、それをよく洗ってからぼぼるパパにガボンガボンとやってもらう。流しの側面についていた小さな穴からばっちい水が飛び出す。

「おお、気持ちわり〜!」ぼぼるパパはうめき声をあげながらもなおガボンガボンを続けた。そうこうしているうちについに水がススス〜っと流れるようになった。万歳! これで水道屋さんを呼ばずにすむぞ。

プロに頼まないで自分たちで処理できたと思ったら、なんだかとても嬉しかったのでありました。(^_^)v

9/29/2001

先日、ぼぼるパパの母がこちらに来ていて、そして彼女が湖水地方へ一人で出かけた、というところまでは書いたと思うが、いやいや、おばあちゃんは今回は大冒険をなさいましたよ。

湖水地方では思ったよりも天気に恵まれ、ツアーに参加したりのんびり散策したりと楽しかったらしいが、帰りに思い掛けないアクシデントが起きたのだ。

月曜日の夕方、4時過ぎ頃に電車でロンドンに戻って来るはずだった。途中で乗り換えがあるのでちょっと心配だったが、まぁそんなに複雑なことはなかろうと思っていた。

4時半頃、迎えに行っていたぼぼるパパから電話があり、乗っているはずの電車におばあちゃんが乗っていなかったと言う。電車に遅れがあったらしいので、多分乗り継ぎで失敗して、乗り遅れたのだろうとのこと。

その後何度かぼぼるパパから電話。その次の電車も、また次の電車にも、おばあちゃんは乗っていなかった。乗り遅れただけならいいけれど、全然違うところに連れていかれて、戻ってこれなくなってたらどうしよう?

ぼぼるパパはその日、おばあちゃんをピックアップしてロンドンのホテルにチェックインさせたあと、本当ならロンドンで開催されていたある会議に出席するはずだった。しかしもはや会議どころではない。

考えてみると、最後におばあちゃんから連絡があったのは土曜日だ。もしかすると電車に乗る前に何かが起きたのかもしれない。おばあちゃんが泊まっていたゲストハウスに電話でもして、無事チェックアウトしたのか、確認した方がいいのではないだろうか・・・?

そんなことを考えていたら、10時過ぎ頃だったろうか、再びぼぼるパパから電話。湖水地方から来る終電にも乗っていなかったので、いよいよ大変なことになったか、と青くなっていたところに、思い掛けない方角からおばあちゃんがトコトコとあるいて来たのだそうだ。

何のことはない、めちゃくちゃ電車が遅れただけのことだった。電車では、ツアーで一緒だった数人の人と乗り合わせたとかで、その人たちにいろいろ助けてもらったらしい。

ぼぼるパパがその晩帰宅したのは、もう夜中の一時頃だった。

おばあちゃんはさらにロンドンに三泊し、一日は市内観光、もう一日はウィンザーに行った。ところが、そのウィンザー行きが次なる大冒険。パディントンの駅からいきなり違う電車に乗ってしまい、20分くらいで着くはずなのに、一時間たっても到着しないからおかしいなぁと思って下車したら、まったく得体のしれないものすご〜い田舎の駅に降り立ってしまったらしい。駅員さんと身ぶり手ぶりで会話をし、なんとか無事ウィンザー行きの電車に乗り直した。

あとから「お城はどうでしたか?」と聞いたのだが、お城よりも電車を間違えた話ばかりを嬉しそうにしてくれた。

ぼぼるパパの母。当年とって74歳。これからが旬です。(?)

9/28/2001

普段はあまりメモリアルカウントとかキリ番とかこだわらないはちこですが、ひょいと見たらこのページのカウンタがもうすぐ50000だったので、カウンタを一時的に見やすいところに移動させました。どなたか、ゲットしたよ〜という方がいらしたら、是非教えてくださいな。

*****

先日書いたCSルイスのアスランのセリフの解釈について、質問をいただいた。

「CSルイスの解釈によると、たとえ真の神について無知ゆえに、真の神以外のもの、すなわち異端の神に忠誠を誓い、熱心に全身全霊をこめてその異端の神につかえてしまったとしても、その人が、信仰を自己実現の手段として用いるのでなく、むしろ自己を否んで誠実に自らを捧げようとしたものであるなら、そのような信仰は、真の神様の前に受け入れられるものである」とあったけれど、では、今回のテロとか日本の玉砕自爆特攻隊のように、自分の信じ従うもののために自分の命を惜しまなかった人たちも、神に受け入れられているということなのですか?という御質問。

まず、先日の日記に書いたのは、あくまでCSルイスが言わんとしていたのはどういうことだったのか、私なりに考えてみただけで、実際にルイスがそのようなことを意図していたというわけでもなければ、当然、聖書がそのように言っているとか、私がそのように信じているという意味ではないです。誤解を招く書き方でごめんなさい。

ただ、CSルイスが聖書の真理を割り引きしたり割り増ししたりするような適当なことは言わないはずだという仮定のもとに、何とかこの部分を理解してみようとしたのでした。私は、 Beloved, unless thy desire had been for me thou wouldst not have sought so long and so truly. For all find what they truly seek. というアスランのセリフから、多分この場面の背後にはエレミヤ29:13,4があるんじゃないかなぁと思ったのですが、どうでしょうね。

結城浩さんがCSルイスメーリングリストというのを運営しておられます。

こちらにいって質問してみたら、何かわかるかもしれないですね。(^^)

*****

ふうううう、やっと金曜日だ。毎日とても忙しい。相変わらず子供たちの送り迎えに明け暮れる日々。でもよく歩いて気持ちいい。

今週はま〜やの学校が午後だけの週で、私は毎日彼女を1時10分までに送りとどけなくてはいけなかった。ケンをベビーカーにいれてバス停まで歩いていき、そこでケンをだっこひもで抱っこ、ケンを抱えたまま片手でベビーカーを閉じて、ま〜やの手を引きながらバスに乗り込む。これはなかなか大変な作業で、ひとりでやろうとしても、そう簡単に出来ることじゃない。でもたいていどなたか親切な方がいらして、手伝ってくださるからありがたい。おとといバスを降りる時に手伝ってくださったのは杖をついていたおばあさんだった。彼女は自分の杖を置いて、私のベビーカーを運ぶのを手伝ってくれたのだ。もう泣けましたね。本当に。私を降ろしたバスが走り去っていくのを見ながら私は何度も頭を下げた。

ところで、このイギリスのバスというのは何とものんきだ。

私はバスターミナルから乗るのでそこが始発なのだが、出発の時間になっても運転手さんがどこかに行ったまま戻ってこないというのはいつものこと。そんな時、運転手さんはたいていコーヒーだの新聞だのを買いに出かけていたり、外でタバコを吸っていたりする。もう時間なんだから早くバスの扉をあけて中に乗せてよ、と思うのだが、本人はいたってマイペース。そうかと思うと客の方ものんびりしている。これはぼぼるパパから聞いた話だが、乗車して運賃を払おうとしたあるお客さん、どうやらお金が足りなかったらしい。

「あ、ちょっと待ってて。銀行に行っておろして来るから。」「ああ、いいよ!」

他の乗客は誰も文句を言わないし、運転手も外へ出て一服。う〜ん、なんかすごい国だなぁ。

9/24/2001

今日、街なかでUPSの茶色い配送車を見かけた。

ハンドルが右側にあったことを除いては、アメリカで見かけるUPSのトラックとまったく同じだった。ああ、なつかしい!と思ったとたんに涙がこみあげてきて、自分でもびっくり。どうやらちょっぴりホームシックのようだ。(苦笑)

*****

数日前、某所で、CSルイスのナルニア国物語第7巻 The last battleに出てきたアスランのあるセリフについて質問を受けた。それに対するはちこの昨日の書き込みより。

Hさん>

>前にも申し上げましたが、ナルニア国物語の第7巻 The last battleにおいて、

>ナルニア国の世界が終わろうとするとき、最後の審判が行われ、アスラン

>(物語の世界の創造主です)はこういった意味のことを言います。

>「たとえ異教の神を信じていても、それが心からの篤い信仰なら、その信仰を

>持つものは異端者ではなくて、アスランを信じることにつながるのだ」と。

実は私は最後にナルニア国物語を読んだのが大学生の時(約20年前!)で、しかも、第七巻までは確かたどりついていなかったように記憶しています。そこで、私は大急ぎで図書館にいって、七巻を借りてきて、御指摘の箇所を探しました。

そしたらあった、ありました。15章ですね。確かにHさんがおっしゃっているような感じのことをアスランが言っていました。そこで、このセリフがアスランから出てきた背景を少しみてみたいと思います。(かなり感動してしまったので、ちょっと長々と書きますがゆるしてくださいね)

15章はEmethがピーターたちに自分のアスランとの出会いについて語っているところから始まります。

EmethはTarkaanの一族の出で、彼は子供の頃からTashに熱心に仕えてきた者でした。彼はアスランはTashの敵だと信じ、その名前を聞くだけで憎しみを覚えるほどで、Tarkaanの者たちと一緒に彼がナルニアに来たときは、アスランの手下たちと戦いを交えるのを喜びと思っていました。

ところが、Tashに仕える戦士としての誇りをもっていたEmethは、ナルニアに来たはいいものの、せこくてずるい非常に姑息な手段を使うよう命じられうんざりしてしまい、あげくに、実はTashとアスランはひとつなのだ、などと言われ、絶望してしまいます。そして自分は騙されていたのだと思い、怒り心頭に達するのです。

というような心理的葛藤を覚えるなかで、Emethはアスランに出会います。

最初にアスランのいるところに入ってきたときは、そこがあまりにも美しく心地よい場所なので、きっとこれこそまさにthe country of Tash かと思うのですが、ついにa great Lion、すなわちアスランに出会ったとき、彼はその方こそ全ての栄誉を受けるにふさわしいお方であることを、直ちに悟るのです。そして彼はアスランの足下にひれふし、こう思います。

Surely this is the hour of death, for the Lion (who is worthy of all honour) will know that I have served Tash all my days and not him. Nevertheless, it is better to see the Lion and die than to be Tisroc of the world and live and not to have seen him.

つまり彼は、アスランに出会うことなくTashに仕えて続けて、生き長らえてそこで功をなすよりも、このお方に出会って裁かれて死ぬ方がましだ、とまで思ったのです。

この麗しいご栄光のなかで畏怖と喜びを感じているEmethにむかってアスランは言います。"Son, thou art welcome.(子よ、よく来ましたね。)"

しかし Emethは、自分はこれまでずっとTashに仕え続けて来た者であり、アスランに「子」と呼んでいただく資格などありません、というようなことをいうと、アスランが問題のセリフ、「Child, all the service thou hast done to Tash, I account as service done to me. 」を言うわけです。

Emethがアスランの言う意味がよくわからず、それではあなたと Tashは同じものだったのですか?と尋ねると、アスランはそれをきっぱり否定します。同じものであるどころか、全く正反対であると言います。アスランのセリフをそのまま引用すると以下の通りです。

For I and he are of such different kinds that no service which is vile can be done to me, and none which is not vile can be done to him. Therefore if any man swear by Tash and keep his oath for the oath's sake, it is by me that he has truly sworn, though he know it not, and it is I who reward him. And if any man do a cruelty in my name, then, though he says the name Aslan, it is Tash whom he serves and by Tash his deed is accepted. 

この部分、非常に興味深い聖書的真理が示唆されています。

つまり、「善」と「悪」とは、相対的なものではなく絶対的なものであり、神とは絶対的に善なる存在であっていかなる悪をも神からは出てこない、 一方、神に敵対する者、すなわちサタンは絶対的悪であり、いかなる善もサタンからは出てこない。

CSルイスの解釈によると、たとえ真の神について無知ゆえに、真の神以外のもの、すなわち異端の神に忠誠を誓い、熱心に全身全霊をこめてその異端の神につかえてしまったとしても、その人が、信仰を自己実現の手段として用いるのでなく、むしろ自己を否んで誠実に自らを捧げようとしたものであるなら、そのような信仰は、真の神様の前に受け入れられるものである、一方、いくら人が「神」の名を掲げようとも、そのなすことが悪であるなら、それは神に受け入れられることはなく、異端の神(またはサタン)を喜ばすだけである・・・ ということでしょうか。

もうひとつ、見落とせないのは、Emethはアスランに出会ったとき、このお方こそ全ての栄誉を受けるにふさわしいお方であると直ちに悟り、彼の前にひれふした、ということです。アスランに出会うことなくTashのもとで生き長らえるよりは、アスランに出会って裁かれて死んだ方がましだと思ったというのは、ものすごいことだと思います。

この時点で彼はTashからアスランに回心したといえるのではないでしょうか。

アスラン自身、さらに続けてこう言っています。

Beloved, unless thy desire had been for me thou wouldst not have sought so long and so truly. For all find what they truly seek. 

つまり、Emethが生涯かけて熱心に求め続けてきたものは、実はアスランであり、だからこそ Emethはアスランを見い出すことが出来たのだ、人は、自分が真に求めるものを見い出すものなのだ、というようなことです。

ですから、たとえ異端の神を篤く信仰していたとしても、その信仰が真実のものであるなら、いずれその人は真の神を見い出すことができる、ということがルイスの言わんとしていることではないでしょうか。

あるいは、生きているうちに真の神について聞くことが一度もなかった人でも、その人が生きている間に何らかの神を篤く信仰していたのであれば、その人の信仰は神に受け入れられる、というルイスの解釈かもしれません。(とはいえ、救いはただイエス様を通してのみ受けることが出来るものであることは、聖書は明確にしています。)

Hさんがとても興味深い箇所を指摘してくださって、感謝しています。

それにしてもこの部分、

And if any man do a cruelty in my name, then, though he says the name Aslan, it is Tash whom he serves and by Tash his deed is accepted.

今のアメリカの姿とダブりますね。

Yさんが

>彼(ブッシュ米大統領)は霊的に「善」と言えるのでしょうか?

という問いかけを下さいましたが、アメリカは、「神」の御名さえ掲げれば、自分たちが自動的に「善」になると思ったら大間違いだということに気付かないと、大変なことになると思います。

先日、クリスチャンは「霊の世界」を信じていると申しましたが、さらにもうひとつ、クリスチャンは「善」と「悪」とは相対的な関係にある概念ではなく絶対的なものであると信じています。

テロリズムが「悪」であることに議論の余地はないと思いますが、「悪」によって自分が攻撃されたからといって、それで自分が「善」とみなされるというわけではないのですよね・・・

Yさんもおっしゃるように、「決めつけ」は危険だと思います。他者を「悪」と決めつける前に、我が身をふりかえって自分は神の御前にどうなのかを吟味する必要があるのだと、クリスチャンである私は思っています。

それから、クリスチャンであっても「悪」に染まってしまうことはある、ということも付け加えておきたいと思います。もっと掘り下げたいのですが、長くなってきましたし、話題がずれるような気もするので、とりあえずここまでにしておきますね。

9/22/2001

今は朝の六時過ぎ。夕べはとても疲れたので早々に寝たのだが、夜中にふと目が覚めてしまったので、しばらく祈ってから時計をみたら、午前4時半だった。イギリス時間の4時は日本時間の12時だ。

*****

昨日はとてもがっかりすることが起きた。

ケンブリッジを訪問してくれるはずだった父が、結局予定を変えて、こちらには寄らずそのまま日本に帰国することにしたのだ。目と鼻の先まで来ていながら会えないのはとても残念だったが、無理もないとは思う。今回の旅は父にとって心身共に非常に厳しいものだったに違いない。疲れきった父は、きっと一日も早く日本に帰って休みたかったに違いない。いくらロンドンからケンブリッジまで電車で一時間とはいえ、一泊するためだけにここまでやってきて、そして次の日にはまたすぐに二時間以上バスに揺られてヒースロー空港までいって、それから帰国、というのは、今の彼にとって、もはや体力的にも精神的にもキャパシティを超えていたのだと思う。会えなかったのはものすごく残念だけれど、まず第一に父には安全なところに帰ってゆっくり休息をとってもらうことを、私も望む。

神様が憐れみによって、そう遠くない将来に、私たちにもう一度再会の機会を与えてくださることを祈る。

父はまだケンにも会っていないのだから・・・

*****

某所でのはちこの書き込みより:

>Yさん、Hさん

レスありがとうございます。(^^)

ここの掲示板の方々は、センシティブな話題でも、とても冷静かつ理性的に反応してくださるので、とても感謝です。

クリスチャンは今回のテロに始まる一連の出来事をどう見ているのかということですが、たどたどしいながらも少し書かせていただきます。言葉の足りない部分が多くあるだろうことをあらかじめお詫びしておきます。

クリスチャンは「霊の世界」を信じています。(いわゆる「亡霊の世界」ではありませんよ〜。)

たとえば、「神」は「霊」です。

「神」に敵対するもの、すなわち「サタン/悪魔」も霊です。

そして、人間は「肉体」と「魂(SOUL)」と「霊(SPIRIT)」の三つからなると考えます。(クリスチャンによっては、「魂」と「霊」の区別をしない人たちもいますが。)端的にいうなら、神やサタンの存在を信じ、人間の諸活動も、いろいろな意味でその影響下にあることを信じている、とうことになるでしょうか。

この世の中で私たちが見ている物理的な世界と平行して霊の世界があって、私たちが生きているこの世界、外に現れている物理的な世界は、霊の世界で起きていることの結果として現れて来ていることだと思っています。

聖書では、「終わりの時」が来ることを預言しています。終わりの時に先立って、この地上では「大患難」が起こり、それから終わりの時がきて、そしてイエス様の再臨があります。その「終わりの時」の前兆として、イエスはこう言いました。(マタイによる福音書24章)

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

聖書のなかには他にも終わりの時についての記述が多くあります(旧約聖書のダニエル書とか、新約聖書の黙示録とか)。

終わりの時とは、単にこの地上が戦争などによって滅びる時、という意味ではなく、罪の呪いの結果一時的にサタンの支配下におかれていた世界が、サタンもろとも滅びる時だと私は理解しています。

クリスチャンは、聖書の預言の通り、終わりの時が近付きつつあることを今、目の前に起きている事を通してみているのです。

今回のことも、「イスラム教」という特定の宗教云々ではなく、またアメリカ対テロリズムという人間的な勧善懲悪の議論の次元ではなく、究極的にその背後にある霊の世界の動きを見据えるべき、というのが、ぼんやりながらも私が思わされていることです。

昨日、テレビでブッシュ大統領のコングレスでのスピーチの後半を聞きました。そのなかで

「世界の諸国は、アメリカ側につくか、そうでなければテロリスト側につくのか、どちらかを選択しなくてはならない」

「神にとって、善と悪の間で中立はない」

というようなことを言っていました。

アサヒコムに出ていた演説要旨には、「自由と恐怖、正義と残酷さが戦っている。神が我々に英知を与え、合衆国を見守ってくれんことを。」という一文がありました。

でも、アメリカは、神が自分たちの側についてくださっていると勘違いしてはいけないのです。自分たちこそ正義であると、都合良く仮定してしまってはいけないのです。

現実に、今までのアメリカの社会がどれだけ神様の定めたルールに反してきたのかを思い出し、悔い改めるべきです。神がアメリカ側につくのでなく、アメリカが神の側につかなくてはいけないのです。そうでなければアメリカも裁かれます。そしてそれはアメリカだけでなく、すべての諸国、諸個人(私自身も含めて)にもあてはまることだと私は思っています。

*****

上記のものを書きながら、第二歴代誌20章のヨシャパテ王を思い出していた。

9/20/2001

連日の雨のなかの送り迎えで、多少バテ気味なので今夜はもう寝ようと思ったが、やっぱりちょっとだけ書くことにした。

みんは昨日がイギリスでの学校の初日。朝は緊張した面持ちだったが、帰って来るときにはルンルンで飛び跳ねていた。ジョディという女の子の隣の席になり、ジョディがいろいろとわからないことを教えてくれて、面倒をみてくれているらしい。

クラスのほとんど全員とお友達になったと嬉しそうにしていたみんだったが、学校からの帰り道、ふと困った表情で私にこう言った。

「ジョディはとっても優しいんだけどね、私にイブとは遊んじゃいけないって言うの。でも私は、イブもいい子だと思うから一緒に遊びたいんだけど、私がイブと話していると、ジョディが怒るの。」

おやおや、初日にしていきなり人間関係のもつれに巻き込まれてしまった様子。こういうのって、国籍も年令も関係ないのね。

どうしたらいい? と聞かれてちょっととまどってしまったが、みんが思う通りに、ジョディともイブとも普通に遊べばいいと思うよ、と答えると、みんはニコニコしながら「そうだよね!」とスキップして私を追い越して行った。

そして今日、またみんを学校へ迎えに行くと、朝はポニーテールだったのがいつの間にか三つ編みになっている。

「イブがやってくれたの。可愛いでしょ?」三つ編みをふってみせるみん。

「イブと遊んだの?」

「うん!」

「ジョディは怒らなかった?」

「大丈夫だった。今日はジョディも私と一緒に、イブと遊んだんだよ。あとからジョディに、『イブのこと、好きになって来た?』ってきいたら、『うん』って言ってた!」

私はそれを聞いて、ものすごく感動してしまった。みんって、天性のdiplomatというか、peace-makerというか・・・(もっとも、姉妹喧嘩はいつも激しいけど。(^_^; )

それからもう一つ、みんらしい話。みんのクラスに英語がほとんど出来ない中国人の男の子が二人いるらしい。

「ママ、私、中国語話せる?」

「あなたは中国語は話せないでしょ。みんが知ってるのは日本語よ。」

「じゃあ、ママは中国語、話せる?」

「う〜ん、ママも中国語は知らないなぁ。」

がっかりしたように口をとがらすみん。もし自分が中国語を話せるなら、この男の子たちと友達になって、助けてあげようと思ったのだそうだ。

ところで、エミもみんも口をそろえていうのだが、イギリスの学校の子供達は授業中のおしゃべりが非常に多くて、先生は年がら年中怒鳴ってばかりいるそうだ。エミもみんも、授業中は静かに先生の言うことをきいて勉強に専念する方が、能率もいいし、先生も怒らないし、自分も楽しくて、その方が好き勝手におしゃべりするよりずっといい事だと体験的に知っているらしい。確かに、アメリカで彼女たちが行っていた学校は、普通の公立の学校だったけれど、そのへんの教育は非常によく行き届いていた。思えば、クラスサイズも20〜22人と少人数で先生にとっても扱いやすかったのだろう。こちらの学校は一クラス33〜35人といった感じ。日本と同じかな?(ちなみに、こちらでのエミの学校もみんの学校もとても小さくて、各学年ともひとクラスずつしかない。)

よほどうるさいのか、今夜のファミリーデボーションのお祈りのとき、みんが出した祈りの課題は、クラスのみんなが授業中うるさくしませんように、そして先生が怒鳴りませんように、というものだった。

エミも、あまりにいつも授業中うるさいので、授業中みんなが静かになるようにするためにはどうしたらいいか、アメリカでの学校のノウハウを伝授するようなプロポーザルを書いて、校長先生に提出すると言っている。

エミにとってもみんにとっても、これは今まで彼女たちがイギリスで体験したなかで、一番のカルチャーショックのようだ。

*****

はちこの父は、おととい無事ロンドンに到着した。結局ワシントンDCからカナダまではレンタカーで行ったらしい。大変だったろうなぁ。相当の距離があるもの。休憩なしで走り続け足って丸一日はかかるはずだから。しかし、イギリスでの仕事も終え、明日はケンブリッジを訪問してくれることになっている。おじいちゃんがケンに会うのは初めてだから、きっと楽しみにしていることだろう。

先週の木曜日からこちらに来ていたぼぼるパパの母は、今日から湖水地方へ4、5日の一人旅に出た。あんまり雨が降らないといいんだけど。

9/18/2001

エミとま〜やだけはここから徒歩45分の学区外の学校へ通い始めたことはしばらく前に書いたが、みんだけはどこにも三年生の空きがないため、今までずっと自宅待機していた。みんも、イギリスで学校にいって新しい友達を作ることを とても楽しみにしていただけに、私もぼぼるパパもとても辛かった。それでも、最初のうちは、いくらどこも定員一杯だとはいえ、義務教育なんだし、絶対どこかに入れてくれるはず、とタカをくくっていた。でも、いろんな人と話しをしているうちに、どうもそんなに甘くはなさそうだということが次第にはっきりし、あせりはじめた。もちろんずっと祈っていたし、いろんな人にもお祈りをお願いしていた。しかし、あせりが募るにつれ、ぼぼるパパのこちらでの同僚や教会の人、その他私たちに持ちうる限りのコネを総動員させはじめ、自分たちでもあれこれと動いてみた。

回りの人はとても親切で、ここに電話してみればいいとか、しかるべきところにしかるべき圧力をかければ絶対大丈夫、私にはコネがあるから任せておきなさい、などなど、本当に心強いことを言って下さって、感謝だった。にもかかわらず、一つ、また一つと道は閉ざされ、昨日は一番頼りにしていた筋の人からも、やはりダメだったとの連絡を受け、私はがっかりして目の前が真っ暗になっていた。

そんな時、ちょっと前にheidiさんがこんなようなことを言っていたのを思い出した。

私たちにとって一番いいことは、自分の手にはまったくおえないような最悪の状況に陥ることだと。そうすれば、私たちは嫌が応にも自分の無力さを思い知ることになり、神様に委ねざるを得なくなる。しかし、神様に完全に明け渡すことさえできれば、その時こそすなわち解決の道が開かれるときなのだ、と。 

それを思い出し、私は神様に頼るといいながら、実際には自分で八方手を尽くし、人のコネに頼ろうとしていたことに気付かされた。なぜ人のコネに頼ろうとしていたのか。私たちとって、一番の大コネは神様御自身ではないのか?

私は深く悔い改め、ぼぼるパパと二人で、祈りのうちに改めてこの問題を神様の御手に明け渡した。それが夕べのことだった。

そうしたら! 今日になって突然、うちからそう遠くないところにあるキリスト教主義(英国国教会)の公立の小学校の三年生に急に引っ越した子が出たために空きが出来たことを知らされたのだ! それがお昼ちょっと前のことで、午後から直ちにみんを連れて、入学手続きに行ってきた。

実はこの学校はこのあたりで一番評判のいい学校で、私たちの第一希望だったが、定員が他の学校より少ないうえに人気が高いから、絶対無理だと言われていて、私たちは最初から諦めていたところだった。

学校を見に行ってみたら、なるほど人気が高いというのもうなずける、とても雰囲気のいい学校だった。

ちなみに、エミとま〜やが通っている学校も、うちからはかなり遠いものの、やはりとても評判のいい学校で、こちらはうちの大家さんのお勧めだった。ぼぼるパパのような客員研究員や大学関係者の子女が多く、外国人の多い国際的なところで、一年しかいないような子供たちの扱いにも慣れていて、うちの子供達にとってはうってつけの学校だ。

本当は、どちらでもいいからどちらか一つの学校に三人とも一緒に通わせることが出来ればベストなのだろうが(少なくとも親の都合では)、贅沢なことは言わない。このようなアレンジメントになったことにも神様の御配慮があるはずだし、感謝してもしきれない思いで一杯だ。

これで明日からみんも学校に通える。とっても嬉しい。 神様にただただ感謝。

それにしても、目に見える状況がよくならないと感謝出来ないなんて、私もなさけないなぁとつくづく思った。言葉ではどんなに立派なことを言っていても、実際は本当に信仰の足りない者であったことを思い知らされた一件だった。

一方、みんはこの二週間、よく耐えた。神様がきっと私のことも学校へ行かせてくださるから、とエミとま〜やだけ学校へ行くのを横目で見ながらよく頑張った。偉かったよ、みん! これから始まるみんの新しい学校生活も、神様がきっと何倍にも祝福してくださるよ!

9/17/2001

先日、フルタイムミニストリーに携わっているYちゃんからニュースレターが来た。彼女はそのなかで、神様のためにやっているはずの働きを、いつの間にか自分の野望や自己実現の手段とすり替えてしまうことの危険について語っていた。

たとえば修養会を企画するとする。みんなが泣いて悔い改めるような修養会になって欲しい、チャレンジを受けて、大勢の決心者が出るような修養会にしたい・・・ そういう願いは表向きは少しも悪いことではないけれど、そのような結果をみることを願うのは、結局人間的な、自己満足の尺度でしかないのだと、彼女は言っていた。

そういえば、VFMの掲示板でも先日きよきよさんが「魂の事柄であるものを、霊の事柄を引っ張ってきて装う」危険について言及されていた。

こういうことって、クリスチャンにとって、特に何らかのミニストリーに携わっているクリスチャンにとって、とても陥りやすい罠だと思う。本当は、自分の肉が欲しているだけなのに、あたかも神様のために願っているかのように装う・・・ いや、自分では装っていることにも気付かず、たいていの場合本人としてはいたって誠実なのだろうけれど。

Yちゃんは、そのニュースレターのなかで、ドン・モーエンの「I offer my life」という歌の歌詞を引用していた。

実は、私もこの歌詞を以前の日記のなかで引用したことがある。(でもいつのことだったか思い出せないので、リンクバック出来ない・・・)うちの教会の牧師夫人が特別賛美で歌ったことがあり、ものすごく語られたので書き留めたのだった。

そうか、これはドン・モーエンの歌だったのか。

私もここで再び引用させてもらおう。この歌詞を噛み締め、改めて、神様の前に私自身の祈りとして差し出しながら。

Things in the past, things yet unseen, wishes and dreams that are yet to come true:

All of my hopes, all of my plans, my heart and my hands are lifted to You.

9/15/2001

昨日の午後、私の父から電話がかかってきた。彼は、仕事で来週ロンドンに来ることになっていて、その後はケンブリッジの私たちのところにも立ち寄る予定なのだ。

てっきり日本からかかって来た電話かと思いきや、何と彼は今ワシントンDCにいるというではないか!何でよりによって今、アメリカにいるの!?

しかも、事件当時はマンハッタンのホテルに滞在していたという。貿易センタービルからは10数キロ離れたところだったので直接の危害は受けなかったそうだが、それにしても大変な混乱と恐怖のなかに巻き込まれたのは間違いない。

彼はその前日に日本からNY入りしたばかりだった。そして、さらに今回の旅に同行する人二人が日本から到着するのを待っていたところだったらしい。

同行者二人(ひとりは日本人、もうひとりはイギリス人)は、事故が起きる直前にケネディ空港に着陸したので、事件の混乱のさなかでも何とか合流することが出来たから良かった、と言っていた。本当にそうだ。このような中で、60代後半の父が一人で行動しなくてはいけなかったとしたら、私は心配で心配でどうしようもなかったと思う。一緒にいてくれる人たちがいて本当によかった。

NYからはレンタカーをしてワシントンDCまで来たそうだ。なぜわざわざDCまで行ったのかなぁとも思ったが、多分そこで会う予定になっている人がいたのだろう。その後は、本当なら直接ロンドンまで飛ぶはずのところを、まずカナダまで出て、それからロンドンに向かう予定だという。問題は、DCからカナダまでの足だ。飛んでいる飛行機もあるので、できれば飛行機に乗りたいと言っていたけれど、昨日の電話の時点ではまだどうなるかわからないと言っていた。レンタカーにしてもバスなどを使うにしても、DCからカナダまでというのはかなりの距離がある。できれば飛行機の方が楽だろうが、現状では飛行機もまた恐い。

あちらでは、やはりあちこちで物騒なデマや噂が飛び交っていて、嫌な雰囲気らしい。

父も今頃、心身共に疲労困憊していることだろう。早くイギリスに来て、休んでもらいたい。

それでも父はあと数日もすれば遅かれ早かれ国外に脱出できるのだからいいけれど、現地で暮らしている方々にとっては、これから毎日、否応なしに現実に向き合いながら暮らしていかなくてはならないことを思うと、祈りの手を休めてはいけないと感じる。

ところで、ロゴスミニストリーのきよきよさんが、今回のテロ事件に絡んで、いくつもの興味深く有益な学びや情報を提供して下さっている。そのなかでも、マタイによる福音書24章を講解している「オリーブ山での講話」は、とてもわかりやすくて必読だと思う。マタイ24章は終わりの日についてイエス様が弟子たちに語っている場面だが、ぱっと読んだだけでは案外わかりにくい。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅び去ります。

しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(32〜35節)

ここを読むと、なるほど終わりの時が来る前には前兆があり、私たちはよくそれを見極めるべきなのか、と思わされる。ところが、その次では

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。(36〜42節)

とあり、ここによると、その日がいつであるのかは誰も知らないとある。

そのあたり、きよきよさんの講解を読むと、わかりにくい場所がよくわかるように説明してくださっているのでありがたい。

きよきよさんは言う:

イエスさまは、ご自分が突然来られることについて語られています。ひとりは残され、ひとりは取られます。そして、この日は父なる神しか知らず、いつか分かりません。この記事と、そのすぐ前の、主の再臨の前兆は矛盾があるように感じます。一方では前兆があり、もう一方には何も前兆がなく、予測不能なわけです。使徒たちの書簡を読みますと、これが二つの別の出来事について語られていることを知ります。前兆があるのは、今読んできましたように、「キリストが地上に再臨される」ことです。前兆がなく、だれかが取り去られるのは、「キリストが天から来られて、信者たちを引き上げる」携挙についてです。

携挙について大事なことは、これが、「いつくるか分からない」ということです。今すぐに来られてもおかしくありません。

また、携挙は、すべての目が見ることができる地上再臨とは異なり、一瞬の出来事です。

そして、携挙が来る時は、飲んだり食べたりしている日常生活が繰り広げられており、地上再臨前の大惨事になっている地上の風景とは異なります。

そしてイエスさまは、「目をさましていなさい」と勧めておられます。この意味はテサロニケ第一5章を前半部分を読むと分かります。「昼間の子」として歩んでいること、愛と信仰を胸当てとして着け、救いの望みを抱きつつ、慎み深くしていること、です。(終わりの時を語ると、すぐにセンセーショナルになる傾向があります。あるいは、「伝道に出て行きなさい」と何らかの活動を引き出すように誘導されることもあります。けれども、神は、「慎み深くしている」ことを命じておられます。)

なるほどなるほど。

こういう事態になると、妙にいきんだり、右往左往してしまいがちだけれど、神様は「慎み深くしている」ことを命じておられるのだ。さらに続くイエス様の例え話からは、今わたしたちになすべきことは「目をさましていること」「用意していること」「労していること」の三つであることがわかる。

きよきよさんのHPでは、ほかに「きよきよの部屋」というコーナーにあるエッセイのなかの「米同時多発テロ」と「イスラムに働く霊」が今回新たにきよきよさんがアップされたもので、こちらも併せて読むといいかもしれない。

9/14/2001

義母は無事到着。たくさんの日本食の食材をおみやげに持ってきてくれた。嬉しい!(^^)/

一方、おばあちゃんが来たと思ったら、いきなりま〜やが風邪をひいてしまった。風邪をひくと喘息も出やすくなるから要注意だ。

9/13/2001

今日の午後、ぼぼるパパの母が日本からやってくる。ケンとも初めての対面なのできっと楽しみにしているだろう。ただ、成田を出るときも恐らくそうだったろうが、ヒースローの警備もかなり厳しくなっているはず。こちらに到着する頃には疲労困憊しているかもしれない。

私の方は、毎日エミとま〜やの送り迎えで一日が終わっている気がする。気がする、どころか、実際にそうだ。しかも足腰は慢性の(?)筋肉痛でギクシャクしている。アメリカに帰る頃にはきっと私も子供たちもとてもヘルシーでフィットになっているかも。

*****

アメリカでのテロ事件は、これからまだまだ余波が広がっていくだろう。現地の人たちが今、直面しているひとつひとつのことを思う時、胸がえぐられるような気持ちだ。

しかし、私たちの神は主権をもたれるいと高きお方。全てをその御手のなかに治めておられる。今回の事件でさえも例外ではない。もちろん私たちのなかにはたくさんの「なぜ?」がある。そして神様は私たちに対して、その「なぜ」にお答えくださるべき義務は負っておられない。私たちの目に見えること、理解できることだけに目をとめ思いを向けるのではなく、歴史を超越し、すべての造り主であられ、I AM WHAT I AM であられる神様を信頼すること、そして傍観者になってあれこれ言うだけでなく、またいたずらに不安を募らせたり混乱するのでもなく、へびのようにさとく、はとのように素直になって神様に従い、祈りの手をあげること・・・ きっとそれが今必要なのだ、と何度も自分に言い聞かす。

9/12/2001

ビルの窓から身を乗り出して助けを求める人、人、人・・・

そして窓からバラバラと人々が飛び下りていく。

街角でインタビューされていた人が、事件の様子を証言しているさなかに、突然の轟音とともに二番目のタワーが崩れ落ちていいった。 証言していた人は思わず頭を抱え込み、カメラも顧みずに走りだす。回りの人たちも逃げまどう。

塵煙にまみれて真っ白になった人たち。

血まみれになりつつも、命が助かったことを感謝する人たち。

アメリカでのテロ、本当に大変なことが始まった。

湾岸戦争のときは、日本は対岸の火事、という感じにひと事だと思っていたかもしれないが、今回はそうはいかないだろう。イギリスのブレア首相も、これはアメリカ対テロリズムではなく、全世界全てのcivilizednations対テロリズムであり、全てのcivilized nationsは一丸となって、この悪に立ち向かうべく立ち上がるべきである、というようなことを言っていた。

別のところでは、ワールドトレードセンターは、単にアメリカだけを象徴するものでなく、世界の civilized nationsを象徴するものであり、今回のテロはそれに対する宣戦布告である、という声もあがっている。

この、全ての civilized nationsは一丸となって、一致して、・・・という表現を聞くたびに、何か恐ろしいものを感じる。

あぁ、目をさましていなくてはならない、と非常に厳粛な思いだ。

終わりの時にはもっともっとひどいことが起きる。

一人でも多くの方々が、早くイエス様と出会って、どのような状況が起きようともその御名のなかに安息を得ることが出来ますようにと祈る。

あの瓦礫の山のなかから、無事生きて救助された人もいるそうだ。今なお閉じ込められつつも命をつないでいる人たちのために、適切な状況把握のもとでの、救援と復興作業のために、現地でそれにあたっておられる方々のために、犠牲になった方々とその御家族のために、アメリカ側とそれをサポートしている各国のリーダー達が冷静に状況を分析し、神の御心にかなう適切な判断を下せるように・・・

9/11/2001

せっかく日記を再開することにしたのに、結局毎日忙しくて、なかなか更新が出来ない。f(^_^;;

今日は午前中はSociety for Visiting Scholarsというところが主催の、客員研究員の家族のための集まりがあった。行ってみると、おお、日本人の奥さんたちが大勢いる! すっかり嬉しくなってしまった。 同じケンブリッジとはいえ、住んでいるところはみんな結構バラバラだけど、この集まりは10月からは毎週もたれるらしいので、これからが楽しみ。

さて、子供たちの学校だが、昨日からエミとま〜やだけ、学区外の学校に通い始めた。イギリスのシステムだと、エミは六年生、みんは三年生、ま〜やは「レセプション」と呼ばれるものになる。レセプションとはアメリカでいうキンダーガーテンのようなもので、小学校にあがる前の子供たちのこと。ただし、イギリスの小学校はアメリカより一年早く始まるので、年令的にはレセプションの方がキンダーガーテンより一年早い。日本でいうと、幼稚園の年中さんだ。(ちなみに、エミはアメリカなら五年生、日本にいれば4月生まれなので4年生になる。)

学区内の学校はどこも定員一杯だといわれ、学区外だけれどとりあえず六年生とレセプションには空きがあるという、うちから歩くと30分はかかる(子供の足なら45分か)ところにある学校にエミとま〜やだけは送りこんだというわけだ。みんは、可哀想に、空きが出るまで自宅待機。 子供の足で45分歩くのは大変だが、朝はちょうどいい時間のバスがあるので、それに乗っている。帰りはみんなでのんびり歩いて帰って来る。もちろん、私とぼぼるパパが交代で送り迎えをしている。

9月中はま〜やの学校は半日だけなので、朝はパパがエミを送り届け、昼に私がま〜やを送り届け、三時過ぎに私かぼぼるパパが迎えに行くというスケジュール。

しかし昨日は初日から失敗してしまった。3時10分までに迎えに行くところを、三時発のバスに乗れば1、2分は遅れるけど、まぁそのくらいなら大丈夫だろう、
という時間に家を出てバス停に向かった。ところが三時になってもバスが来ない。おかしいなぁと思い、時刻表を確認してみると、が〜ん、なんと私の勘違いで、バスの時間は二時半。それを逃すと次のバスは4時までない! 目の前が真っ暗になったが、考え込む暇もない。私は学校へ向かって大急ぎで歩き始めた。バスに乗るつもりだったので、ケンはベビーカーではなく、抱っこひもを使って抱っこしていた。

くり返すが、歩けば30分かかる道のりだ。あと10分で学校まで到着するなんて、どう考えても不可能。校庭でポツンと取り残されているエミとま〜やの姿が目に浮かんだ。

私は歩いた。ほとんど走るようにして歩いた。でも、ケンが重い。足がたちまち棒のようになってもつれる。涙が滲む。ハアハア息をつきながらどんどん歩く。前を歩いていた人のすぐ後ろまで追い付くと、その人は私の激しい息遣いに気配を感じたのか、ぱっと振り返り、ものすごい形相の私を見ると、ただちに横に一歩退いて、道をあけてくれた。

歩いて歩いて歩いて、ようやく学校が見えてくると、まだそこは大勢の父兄と子供たちでごった返していた。私を見つけたエミが、ま〜やの手を引いて駆け寄ってきた。

30分の道のりを、15分で歩き切ったはちこママであった。(喝采)

今朝は今朝で、ぼぼるパパが失敗した。

私たちが使うバス停は、実はケンブリッジのシティセンターにあるバスターミナルで、たくさんのバスが出入りしている。昨日は朝8時のバスに乗ったら学校に早く着き過ぎてしまったため、今日は8時35分のバスに乗る予定だったのが、たくさんのバスのなかから目指すバスを発見することが出来ず、乗り損なってしまったのだそうだ。私と違ってお財布にちゃんとお金が入っていたぼぼるパパは、ただちにタクシーを拾って無事エミを時間通りに学校へ送り届けたそうだが、いやはや、やっぱり最初の数日はいろいろとまどいますな。

それにしても、早くみんも学校へ通えるようになりますように。そうでないと、みんだけ可哀想だもの。でも、きっと、神様がいいようにしてくださるはずだと、毎日家族みんなで祈っている。

*****

午後、ま〜やを学校に送りとどけ、それからちょっと買い物をしてから帰宅すると、家で仕事をしていたぼぼるパパが青ざめた顔で言った。

「はちこ! 大変なことになった!15分くらい前に、NYのワールドトレードセンターに、ジェット機がつっこんだらしい!」

事件発生当時、ぼぼるパパはちょうどオンラインで読売新聞を読んでいたら、速報が入ったのだそうだ。彼が驚いて  いるところにちょうど私が帰ってきたのだ。

二人で早速テレビをつけBBCのニュースを見ると、ライブでものすごい映像が続々と入って来る。

あの超高層ビルが倒壊する瞬間の映像をみたとき、背筋がぞっとした。とても現実のこととは思えなかった。

NYから、あのツインタワーがなくなってしまったなんて!

どれだけ大勢の人々が巻き込まれたかと思うと・・・

9/6/2001 共有日記より御引っ越し

ケンブリッジにやって来て、早くも一ヶ月半になる。

生活は今だなんとなく不安定ではあるが、まぁ楽しくやっている。

日記の方もいろいろ書きたいことがあったのだが、どうもどたばたしていたので、しばらくは結城さんちの「共有日記」に時々間借りさせていただいていた。そこでとりあえず、そちらに書いていたものをいくつかこちらにも転記することにする。

実は、日記を再開しますと言ったとたんに、明日から三日ほど留守にするので・・・ f(^_^;; ウィンザーに行ってお城をみて、それからレゴランドに行って、それから日曜日にはロンドンはブロンプトンにあるHoly Trinity Churchを訪問する予定。

8/23

今日でケンブリッジ(UK) に移って来てから丸一ヶ月。

あっと言う間だった。

慣れないこと、不便に感じることが多くて、最初はとまどったけれど、住めば都になりつつある。

ケンブリッジのcity centreに家を借りたこともあり、車を持っていない。

だからどこへ行くにも歩いて行く。

とことことことこ、子供4人を連れて歩いて行く。

喘息持ちのみんもま〜やも一生懸命歩く。

生後五ヶ月になったばかりのケンも、プッシュチェアー(米語でいうストローラー、日本語だとベビーカー? 乳母車?)のなかで揺られながらどこへでもお供する。

道路の狭さは日本並み。

その狭い道路を歩道スレスレに大きな2階建てのバスが走り抜ける。

上の階には屋根のついていないタイプのバスもある。

エミはそれを見上げて「アタシもあそこに乗ってみたい」という。

みんとま〜やも「アタシも〜、アタシも〜」と連呼する。

高所恐怖症の私は絶対に嫌だと言う。

ママのいない時にパパと一緒に乗りなさいねと言う。

イギリスの食事はまずいだなんて、誰が言ったのだろう?

カントリーサイドは知らないけれど、

ケンブリッジはとてもインターナショナルで、食文化にもそれがよく現れている。

インド料理屋やチャイニーズはもちろん、ギリシャ、イタリア、ドイツ、フランス、

アラブ、コーシャー、タイ、なんでも揃っている。

それにコーヒーも美味しい。

紅茶の国だからコーヒーには期待していなかったけれど、それは大間違い。

アメリカの色付きお湯のアメリカンコーヒーなんかよりも何倍も美味しい。

雨は一日中降ったり止んだり降ったり止んだり、まぁ忙しいこと。

今日は雨が降りそうな空模様だから外出はやめておこうなんて言っていたら一生どこへも行けないね。

でも毎日涼しくて、冷房もいらないし、シカゴの猛暑よりはるかに過ごしやすい。

久しぶりの外国暮らし(!)。

しかも、赤ん坊を含む4人の子連れ。

足りないもの一つ一つ、不安なこと一つ一つ、

毎朝毎晩、祈りのなかで神様の御前に差し出す。

でも、

一ヶ月過ぎてみると、あれが足りないんです、これが心配なんです、と

神様の前に訴えていたことよりも、

あれを感謝します、これをありがとうございます、と

主の前に喜んで数え上げる恵みがどんどん増えていることに気付く。

ぼぼるパパは今、私のとなりで自分のラップトップをのキーを叩きながら、

「ホワイ カーント アイ ドゥー ディス?」とぶつぶつ

ブリティッシュイングリッシュで独り言を言いながら仕事をしている。

Simple Abundance.

=====

8/29

ゆっくり歩いて35分くらいかかるところにあると〜っても楽しい公園に子供たちを連れていった。

公園には大人の膝くらいまでの深さのプール(コケだらけでほとんど池)もあって子供たちは大はしゃぎ。

上の3人が遊び回っている間、芝生の上にブランケットを広げてケンを転がす。

すると、同じように近くにブランケットを広げていた親子連れの、2歳くらいの女の子が急に泣き出した。

お母さんはその子を抱き上げてあやしながら私たちの方へやってきて、女の子にケンを見せながら言った。

「ルック! ヘーズアリトバイビ!」(Look! Here's a little baby!)

女の子はまだしゃくりあげている。

お母さんは私に向かって蜂に刺されちゃったんですよ、と言う。

そこで私はバッグのなかからマクビティのダイジェスティブビスケットを出して

女の子の前に差し出しながら言った。

「Would you like some biscuits?」(イギリス英語風に語尾を下げながら)

女の子はにっこり笑ってビスケットをつかむ。

お母さんも安心したようににっこり笑う。

私がさらにナプキンも差し出すと、それを受け取りながらお母さんが聞いた。

「Do you live around here?」

私は、シティセンターの方に住んでいるのでここまで歩くと30分以上かかる、

でもこんなふうにお天気のいい日には苦にならないですね・・・

というようなことを答えた。

するとお母さんはすかさず聞いた。

「Where are you originally from? US?」

アメリカから来たことがあっという間にバレてしまった。(笑)

最初の一行はイギリス人ぽく言えたのにな。

=====

8/31

イギリスでは9月4日から新学期が始まる。

イギリスの学校に行くことを楽しみにしている娘たちだけど、

彼女たちはまだ、どの学校に行くのか決まっていない。

学区内の学校はどこも定員一杯なのだ。

市の担当の人からは、

「新学期が始まってみたら、夏の間に黙って引っ越していなくなった人たちが

いるかもしれないので、それがはっきりわかるまで待機していて下さい」と言われた。

でも、もしも誰も引っ越していなかったらどうなるのだろう?

街中が「新学期〜!」の色に変わっていくなか、ふと不安がよぎる。

娘たちは、来週になれば当然「どこか」の学校に行くはずだと嬉々としている。

あせる思いが湧いてくるなかで、先月、ケンブリッジに到着したばかりの頃に

エミが買った女の子用のデイリーデボーションの本のなかにあったお話を思い出した。

タイトルは"I DON'T WANT TO GO TO ENGLAND!"

奇しくも7月22日--私たちがシカゴをイギリスに向けて出発した日--のストーリーだ。

家族でイギリスに引っ越すことになったけれど、引っ越すのが不安で嫌がっている女の子のお話。

環境の変化には不安がつきものだけれど、イエス様はあなたの行くところどこへでも一緒に

来てくださって、必要なものは全て備えてくださるから大丈夫、むしろ変化を新しいことを

経験するチャンスだと思って喜びましょう、イエス様が共にいてくださるのですから、というような内容だった。

エミにこのページを見せられた時、私は息を飲んだ。

そして、あまりの神様のご配慮に、泣きそうになりながらエミにこう言ったのだった。

これはね、きっと神様が個人的にエミを励ましてくださっているのよ、イギリスに引っ越して来て、

不安なことがいろいろあるかもしれないけれど、何にも心配はいらないのですよ、ってね・・・

そう。何を心配することがあろうか。

イエス様が共にいて下さるのだ。

子供たちの教育のことはとっくに神様の御手に委ねてある。

神様がどのような道を開いて下さるのか、主の御名を讃えつつ、楽しみに待ち望もう。

=====

9/1

[赤っ恥ケンブリッジ日記]

どこへ行くにも歩いて行けるのは便利だが、

スーパーに買い物に行く時だけはちょっと困る。

両手に抱えて持って帰ってこれる分量なんて、たかがしれているのだ。

そこで私は、土曜日にパパに子守りを頼んで、

空のベビーカーをショッピングカート代わりにして買い物にいくことにした。

  

空のベビーカーを押しながら歩くのはかなり勇気がいる。

すれ違う人たちが、赤ちゃんの入っていないシートをみて

ギョッとしたような顔をして私を見るのだ。

「ちょっとあなた、赤ちゃん忘れてますよ!?」と言わんばかりに。

恥ずかしいのでなるべく誰とも視線を合わせないようにしながら

はちこはすたこら歩く。

今日はスーパーに行く前にちょっと本屋に立ち寄った。

買ったのは旅行の本で、

「Take the kids LONDON」と「Take the kids PARIS」の2冊。

レジで支払っていたら、レジの奥の棚に「アジアの著者フェア」みたいな

垂れ幕とともに、中国人やら韓国人やら日本人やらの本がディスプレイしてあった。

ジュンイチロー・タニザキとかコーボー・アベとか。

中に聞いたことのない日本人の作家の名前があったので、

誰だろうと思い近視の目をじっと凝らして見ていたら、

レジの店員さんが、「これですか?」とその本を取って私に見せてくれた。

表紙をみると、タイトルはもう忘れたが、副題にsensual desireがどうのこうの、と書いてある。 

ぎょっ。

私は本を取り落としそうになりながら、大急ぎでそれを店員さんに返した。

本屋を出てから、今度は斜め向かいにある旅行代理店に入り、フランス旅行の

パンフレットをいくつかもらった。

パンフレットをベビーカーの下のバスケットに入れようとして、はっと気付く。

この前公園に行った時に持っていった、子供たちのローラースケートやら何やらが

まだ中に入ったままだった! ガーン。

これじゃあ何のために恥ずかしい思いをしてベビーカーを押して買い物に来たのか

わからないじゃないか〜。

  

やれやれとため息をつきつつ、旅行代理店の次はスーパーの隣にあった

おしゃれなキッチン用品のお店に入った。

一人で街に出られるなんて滅多にない機会なので、つい寄り道してしまったのだ。

便利そうな物がたくさんある。

私は嬉々としてひとつひとつの棚を丁寧に見てまわった。

そしてカラフルでかわいいまな板があったので、それを買おうとしてレジの長い列に

並んだ。やっと私の順番がきて、お金を払おうとすると、

「ああっ、ない! お財布がない! さっき本屋さんで使ったばかりなのに!」

私は動揺して大声をあげる。

背中にしょっていたバッグの、お財布が入っていたコンパートメントのフラップが

ペラペラと開いていた。落としたのか、すられたのか・・・

店員さんや列に並んでいた人々の気の毒そうな視線が私に集まる。

ああ恥ずかしい。

しかも私は空のベビーカーを押している。

実は三週間程前にはぼぼるパパもお財布を落としたばかりだった。

一ヶ月のうちに夫婦揃ってお財布をなくすなんて、なんという間抜けな夫婦だろう!

ショックで呆然としながら、まず本屋まで戻り、レジのお兄ちゃんに聞いてみた。

彼は気の毒そうに首を横にふりながら、警察に届けた方がいいですよ、それから

クレジットカードは止めるようにね、とアドバイスしてくれた。

旅行代理店にも戻って聞いてみたが、返事は同じ。

嘆きつつ再びキッチン用品のお店に入る。

もしかしたら店内に落としたのかもしれないじゃないか・・・

今度は棚ではなく、床をジッと見つめながら店内をぐるりと回る。

やっぱりない。店員さんが「見つからないのですか?」と声をかけてくれた。

肝心の食料品の買い出しをする前にあちこち寄り道なんかしたからいけなかったんだ、と

がっくり肩を落としながら家路に向かい始めた。数歩歩いてから、もう一度、肩から

バッグをするりとすべらせ中を確認した。あぁ、イエス様・・・

すると! 

いつもお財布を入れているのとは違うポケットに、ちゃんと入っているではないか!

Thank you, Jesus!

私は大急ぎで回れ右をすると、今度はどこにも寄り道せずにスーパーへ駆け込み、

ベビーカーに山盛りの食料品を買い込んで、無事に帰宅したのでありました。

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