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はちことぼぼるの日記

エントリーの最後に(ぼ)とあるのはぼぼるパパによる日記です。

2005年1月1日

明けましておめでとうございます。旧年中は私たちの日記におつきあい下さり、どうもありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。

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今日から、『人生を導く5つの目的』を一日一章ずつ読んでみることにした。この本は「私は何のために生きているのか」「第一の目的 あなたは神の喜びのために造られた」「第二の目的 あなたは神の家族となるために造られた」「第三の目的 あなたはキリストのようになるために造られた」「第四の目的 あなたは神に仕えるために造られた」「第五の目的 あなたは使命のために造られた」の六つのセクション、全四十章からなる。一日一章ずつじっくりと読んでいくことで、最後には読者が自分の人生に与えられている神の目的とその全体像を知るようになることがこの本の目的である。

今日読んだところは「すべては神から始まる」という第一章。

すべては神から始まる… 新しい年の始めに思いを巡らすのに、何とふさわしいことだろう。私の思いに浮かぶこと、やろうと思うこと、それは神から出たものだろうか、それとも私の肉から出たものだろうか。そんなことに心を留めつつ、自分の思いを吟味し、見極め、神から出たことだけを受け取って、それを追求していくようになりたい。それができたら、きっと私の思いも生活も、ずいぶんすっきりするのかもしれない。先日示された御言葉にあった、「心をひとつに」されることとも関係がある気がする。そして大切なことは、It's NOT about me. It's all about Jesus. 一日一日を、そしてこの新しい一年を、神様によってキリストのうちに始められ、神様によってキリストのうちに完成させていただけますように。

今日読んだ箇所のなかで、特に心に留まった一節。

「人生とは、神の目的のために自分自身を用いていただくことであって、神を自分の目的のために利用することではないのです。(p.23 強調は著者による)」

それから、書き留めておきたい御言葉。

すべてのもの、ありとあらゆるもの、天にあるものも地にあるものも、目に見えるものも見えないものもすべて… いっさいのものがキリストのうちに始まり、キリストの中にその目的を見出すのです。(コロサイ1:16 尾崎清仁師によるMessage Bibleからの邦訳)

第一コリント8:6

使徒17:27、28

ローマ11:36

2005年1月2日

今日の礼拝ではショッキングなアナウンスがあった。ユースパスターのパスター・アルが、一月一杯で別の教会に移ることになったのだ。礼拝のはじめから、最前列を陣取っているユースの女の子たちが目を潤ませていたからおかしいなぁと思っていた。聖霊様が今朝は彼女たちの上で特別に働かれているのかなぁと思ったりしていた。ところが、礼拝の最後にパスターが、パスター・アルから教会の皆さんにお知らせがあります、と彼の移転についてのアナウンスメントを読み上げたとき、そういうことだったのか、と合点がいった。

彼が約6年前にこの教会に就任したとき、彼はまだ24〜5歳の青年だった。ユースパスターにふさわしく、エネルギーと斬新なアイディア、そして神様とユースたちへの情熱と愛に満ち、ユースグループは人数的にも質的にもどんどん成長していった。また、一昨年教会の分裂問題が起きたとき、彼は本当によく頑張ってくれた。シニアパスターが不在となった約半年間、彼は通常の働きに加え、日曜日の朝晩の礼拝でのメッセージも引き受けてくれた。まだ20代にもかかわらず、未熟さを全く感じさせない素晴らしいメッセージと、何よりあの困難な状況のなかで彼が示してくれた忠実さは、この教会にとって大きな支えだった。彼は第一テモテ4:12をユースグループのモットーとしているけれど、彼自身がまさにそれを示していた。神様は彼の忠実さを喜び、祝福し、彼が行くところどこででも、彼を大きく用いられるだろうと思う。私はできることなら、うちの4人の子供たち全員、彼のミニストリーのもとで育てたいと思っていたけれど、この日がいずれ来ることも覚悟はしていた。思ったより早かったのがちょっとショックだけど…

パスター・アルの長男ケイロブとケンは同い年で仲がいい。仲がいいということは、ケンカもよくするということ。今朝も二人は子供のクラスの最中、何かでもめたそうで、ケイロブがケンを叩き、ケンがケイロブを押し倒し、先生からタイムアウトをくらったらしい。うちに帰って来てからそのことでケンをたしなめ、それから「ケイロブとケイロブのファミリーはね、もうすぐ引っ越していなくなってしまうのよ、だから仲良くしなくちゃね」と言うと、ケンは「ケイロブも行っちゃうの?」 私がうなずくと彼はヘナヘナと座り込み、毛布を頭からかぶって泣き出してしまった。ケンにとってもショックだよね… 私も、感情的にはすごく残念で、悲しいもの。

新年早々思いがけない変化の知らせ。神様はうちの教会に何をしてくださるのだろう。そういえば、今のシニアパスターを面接したとき、連れて来たいアソシエイトパスターはいますかと聞いたところ、特にいないけれど候補はいます、と言っていたっけ。ただ、その人はあと1、2年しないと動ける状態にはならないのだとも。そしてその人は音楽の賜物があり、素晴らしいワーシップリーダーだともと言っていたように記憶している。もしかしたら、神様はこの人を新しくうちの教会に連れて来てくださるかしら… いやいや、主がなさろうとしていることの先読みをするような真似は止めよう。ただ、主のgoodnessに信頼しつつ、主がこれから私たちの教会になしてくださる新しい御業に期待しよう。

さあ、また次のユースパスター探しのために祈らなくては。突然の知らせに打ちひしがれているユースたちのためにも。お正月にはお決まりの御言葉、イザヤ書43章19節が、リアルに私の心に響いてくる。主よ、あなたに信頼し、あなたの御手の業を待ち望みます。

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お昼のとき、ケンが「どうしてケイロブたちは行っちゃうの?」と聞いた。エミが「神様が行きなさいって言ったからだよ」と答えると、ケンは心配そうに「神様もケイロブと一緒に行っちゃうの?」  んー、かわいい。大丈夫よ、ケン。神様は確かにケイロブたちと一緒に行かれるけど、私たちとも一緒にここにいてくださるのだから。

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『人生を導く5つの目的』、今日読んだ章は「あなたは偶然に存在しているのではない」。

理由があってあなたを造られた神がおられます。あなたの人生には深い意味があるのです。私たちは、神を人生の判断基準に据える時に初めて、人生の意味と目的を見出すことができるのです。(p.32 強調は著者による)

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神様は今夜、私の心にとても素敵なことをしてくださった。『人生を導く…』と関わりがあるのだけど、詳しくはまた機会のあるときに。今はただ、嬉しくて、感謝で一杯で。Tim Hughの Beautiful One という歌を鼻歌まじりに歌ってしまう。

Beautiful One I love, Beautiful One I adore, Beautiful One, my soul must sing...

2005年1月3日

新学期。また早起きの日々だ。今日は初日なので、みんな眠そうにしている。私も眠い。そして月曜日は子供たちのスケジュールの都合でいつもとても慌ただしい。あっという間に夜。

今日は隣のジュリーがうちに顔を出してくれた。教会の人たちから寄せられたいろいろな日用品や衣類などを渡した。彼女はようやくホテル住まいから脱して、近くに家を借りてそちらに移った。家具付きの家で、とても快適だとニコニコしていた。そう、実際、火事で焼け出されたなんて嘘のように、今日の彼女は明るく、元気一杯だった。お化粧もして、シャキッと輝いていた。火事の前の普段の彼女より十歳くらい若く見えた。そして、Despite all these, God is good! He's so good to us! を何度も繰り返していた。元気そうな彼女を見て安心した反面、無理してるんじゃないといいけどな、と思った。

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今日の『人生を導く5つの目的』は(この本のタイトル、長いので、何かちょうどいい省略名称ってないのかなぁ?)、第三章「あなたの人生を動かしているものは何か」。この章はちょっと長かったですね。正直なところ、一日一章って、結構ペースが早いと思う。読んで、書かれていることに思いを巡らすって、神様と私の双方向のやり取りだから、一日一章こなそうと思うと、なんだかちょっと急かされているような感じになってしまう。まるで「こんにちは!」「こんにちは!」「お元気ですか?」「はい元気です。」「それは良かった、ではさようなら」「また明日」というような、通り一遍のやりとりだけして終わらせてしまうような。あるいは、すでに教えられている模範解答だけ復唱して、「はい、次!」と先に進んでしまうような。

三章も、朝読んだのだけど、一日ばたばたしていたのでゆっくり考える暇がなかった。私の人生を動かしているのは何か… これはとても深遠な質問なので、もう少し時間をかけて自分自身に問い直したい。自分で「これが私の人生を動かしているもの」と思っているものと、実際に私の人生を動かしているものの間には実はギャップがあるような気もするから… 

とりあえず、今夜はこう祈ろう。主よ、私の人生を動かしているものは何なのでしょうか。私の思いや感情、行動や決断に影響を与えているものは何でしょうか。私が自分に正直になって、それを見据えることができるよう、助けてください。

2005年1月4日

今日の『人生を導く5つの目的 (The Purpose Driven Life)』(今後は『PDL』と呼ぶことにします)は、第4章「永遠に生きる存在として造られた」。昨日の章がまだ消化不良の感じなので先に進むのは迷ったけれど、とりあえず第一部「私は何のために生きているのか」を通して読んで、それから一旦ストップして少し時間を取るかもしれない。

ヤベツシリーズの3冊め『神からの報い』を翻訳していたときも、この世での人生と永遠でのいのちの関係についていろいろ考えさせられたものだった。「永遠」と比べるなら、私たちのこの世での人生なんてほんの一瞬にしか過ぎない。しかし、そのほんの一瞬にしか過ぎない人生のうちで私たちが何を信じ、何を行なったかによって、永遠での私たちの立場が決定されるというのは、何度聞いても厳粛な思いにさせられる。

(人生は)死んで終わりではないというこの事実こそ、決定的な違いをもたらすものです。死によってあなたの存在は消えて無くなるのではなく、永遠の世界へ移行するのです。つまり、あなたが地上でしたすべてのことについては、永遠における結末が待っているのです。(pp. 49.50 強調は著者による)

もし「この世」と「天国」を比べて、この世の方が勝るものがあるとしたら、それはこの世では「やり直し」ができるということだろうか。何度失敗しても、何度つまづいても、どんなに絶望しても、この世に生きているうちはやり直しができる。神さまは何度でも私たちにやり直しのチャンスを下さる。だけど、永遠に入ってしまったら、もうやり直しはできない。あとは、自分の人生が生んだ「実」を永遠に享受するだけ。

いろいろ考えることはあるけど、そろそろ寝ます。

2005年1月5日

今朝起きたら外は一面雪。ほんの数センチくらいの積雪だけど、かなり冷え込んでいる。せっかくここしばらく暖かめだったのになー。

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夜です。結局今日は一日中雪が降り続き、今夜のミッショネットはキャンセルになった。明日に備えて、子供たちのスノーパンツやブーツなどの点検。みんのスノーパンツが小さくなっていたので、夕方から慌てて買いに行った。嬉しいことに60%オフのセールをやっていて、ラッキー♪

アンディさんにもお分かちしたのだけど、今年はお正月の余ったお煮しめを利用して、炊き込みご飯をつくってみた。具と煮汁を分け、煮汁でご飯を炊く。具の方は細かくきざんでおいてから、炊きあがったご飯にまぜこむ。美味しかったよー。五合炊いたのに、すぐになくなってしまった。

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五日めの『PDL』は「神の視点から人生を見る」。

2005年1月6日

あー、頭痛い。今日一日やった仕事が全部ふいになってしまった。どうしよう。もう夜の11時だけど、今から挽回できるだろうか。明日は検診で朝8時までに大学病院に行かないといけないので、夜更かしはできない。Jesus, help me.

2005年1月7日

首の筋をつったと思っていたのは、どうやらウィルス性の髄膜炎だったらしい。だったらしいというのは、予約をしても医者に診てもらえるまでひと月くらいかかるのではっきりしたことが言えないからだが、リサーチをした結果、症状的にはほぼ間違いなさそうだ。ウィルス性の髄膜炎なら風邪といっしょでなおす薬はなく、おとなしくしてるしかないらしいので、放っておく。先週に比べて症状も少しよくなったので、3日から平常通り通勤を再開。あいかわらず各種委員会や教授会の書記など、こまかい仕事が多い。

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きのうから今日にかけて結構雪が積もった。3年前滞英中にフランスに家族でスキーに行ったが、そのときま〜やが着ていたスノースーツがケンにちょうどよい大きさとなり、本人はすっかりスーパーヒーロー気取りである。始業時間より少し早めに学校にでかけて校庭で雪遊びをさせる。

さて、ま〜やが晩ご飯をなかなか食べにおりてこないのでどうしたのかと思ったら、2階の自室でふて寝をしているという。何事かと思ったら、みんにけっとばされて嫌になってしまったらしい。みんを呼んで話を聞いたところ、「間違ってま〜やの口を蹴った」と言う。どうして「間違って」妹の口を蹴ることができるのかと問いただしたら、「足を振り上げていたときにま〜やが急いでどかなかったから」だそうだ。やれやれ。まあ、我が家ではこんなことは茶飯事なのであまり驚かないがね。

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先月はエミが来年進学する公立高校のオープンキャンパスがあったが、きのうは同じ高校で大学履修科目(AP)の紹介をするというので、本人を連れて大雪の中をでかけてきた。こんな劣悪な道路状況で他に来る人はいるんかいなと思っていたら、会場は何百人という生徒と父兄でいっぱいで、関心の高さを印象づけられた。

AP(Advanced Placement)というのはアメリカの高校で履修できる大学レベルの科目のことである。アメリカの大学には日本のような入試制度がないかわり、高校でどのようなクラスをとってきたかということが選抜基準の大きなウェイトを占める。高校時代にAPクラスを多く履修し、それなりの成績を修めることが希望大学に入学願書を出すときのセールスポイントになる。きのうのAPクラスの説明会には、学校側のスタッフはもちろん、卒業生や地元ノックス大学の入学課の責任者などからなるパネルが来場して、APの効用について解説をしたあと、各クラスごとに別れての説明があった。

一年生が履修できるAPクラスは3つあって、「人文地理」「アメリカ合衆国政治」「コンピューターサイエンス」。それぞれのクラスで担当の教諭から10分間のブリーフィングを受ける。人文地理とアメリカ政治は、前後期制の大学ならば1学期分の内容だが、生徒への負担を軽くするために1年かけて教えるという。先生はさすがにプロで話が明快、私などよりはるかに教え方がうまそうだ。エミはコンピューターサイエンスでJavaプログラミングをびっしり教えてもらえると聞いてすっかり嬉しくなっていた。ただし、この科目を取るには数学の「代数学2」が同時必修なので、入学早々数学でも頑張らなければならないようだ。どのクラスも5月に全国共通の期末試験があって、この採点をするのはTOEFLやGREを監督するのとおなじ機関である。これで5段階の3以上の成績をとると、大学入学後にそれがすでに単位として認められることになっている。

卒業生や現役生の話を聞いていると、たしかにレベルが高いので勉強は大変だが、教材が非常に面白く、先生の教え方もうまいので、なによりクラスに行くのが楽しいのだそうだ。そして同時に、大学で講義を聴講する準備が整えられるらしい。実際にAPクラスをたくさんとった生徒は、大学に進学してからも難なく講義についていけるという。その意味では、大学入学のスクリーニング手段というよりは、大学生活への効果的な準備段階と言えそうだ。自分が高校から大学に進学したときに授業のレベルややり方の違いにずいぶん戸惑ったことを思うと、私もここのようなシステムで勉強していたら、大学生活がもっとずっと楽だっただろうなあとちょっとエミがうらやましかった。(ぼ)

2005年1月8日

今日は午後からみんとま〜やはお友達と一緒に近所の丘にそり滑りに行き、私とエミとケンは家の周りで雪遊びした。気温はそんなに低くなかったので、外で遊ぶには比較的快適だった。

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『PDL』、六日めは「人生は一時的な務めである」、七日めは「すべてのことの意味」。やっぱり一日一章はペースが早過ぎる。いろいろ思わされていることはあるけれど、全然統合できてない。

2005年1月9日

『バウンダリーズ』の14章に関してメールをくださったAさん、メールどうもありがとうございました。あなたのメールを読みながら、涙が出ました。最初のうちはあなたが通って来られた痛みを思っての涙でしたが、でもメールを最後まで読んで『バウンダリーズ』の14章があなたに新しい方向性と希望を与えたことを知り、嬉しくて感謝の涙に変わりました。

思えば14章は私にとっても印象深い章で、私自身泣きながら翻訳していたのを覚えています。その当時の日記に、私はこう書いていました。

握りしめているものを手放すことは、しばしば大きな痛みと喪失感を伴うものだけれど… 『バウンダリーズ』の14章を翻訳しながら思ったこと。この世の中にはどんなに願っても、かなえられない願いがある。しかし人はその願いにしがみつき、そのために境界線を設定できず、結果として苦しみ傷つく。私たちはそのような願いからは手を放さなくてはいけない。それを「失い」、失ったことを「悲しみ」、それからもう一度立ち上がって主が本当に与えようとしておられるものを受け取り、主と共に前進していく… 

かなえられない願い、本来自分に与えられるはずでないものに対する執着、それらのものを手放すときに感じる喪失感。バウンダリーズの著者は、そのときには思いきり嘆き悲しんでいいのだという。虚勢を張って頑張らなくてもいい。思いきって手を離したら、失ったものの大きさに泣こう。さんざん泣いて、思う存分悲しんで、そしたらようやく顔を上げたとき、涙の向こうにあなたの前に差し出されているイエス様の御手が見えるだろう。釘の痕のついているイエス様の御手が。

Aさん、主があなたに新しい思いを与えてくださったこと、心から嬉しく思います。今Aさんが願っておられる通り、主があなたの人生を新しくしてくださることを信じます。そのために必要なステップを、主ご自身があなたの手を引いて導いてくださることを信じます。そしてそのプロセスのなかであなたを具体的に支えてくれる仲間たちも与えられるよう祈ります。Aさん、お分かち下さって本当にどうもありがとう。あなたのなかに新たに灯された希望の光に、私も励まされました。心から祈りつつ…

2005年1月10日

ケンスケが「Mama, I love you. You are so カワイイ. Will you marry me?」と言う。いやぁ、困ったなぁと思いつつ「ママもケンちゃん大好きだけど、もうパパと結婚してるしねぇ」と答えると、彼は真剣な表情で「Actually, we are already married. I gave you flowers and we walked around the table in the kitchen. Remember? (そういえば、僕たち、もう結婚してるよ。僕がママにお花をあげて、一緒に台所のテーブルの周りを歩いたじゃない。覚えてる?)」 おおー、そういえば、10月頃にそういうことをしたねぇ。ケンが庭の花を根こそぎ引っこ抜いてきて、私は泥のついたままの花を持ってケンと手をつないでテーブルの周りをぐるぐる歩いたんだっけ。よく覚えてるなぁ、彼も。よほどママのことが好きなのね。You are so カワイイ、だなんてさ。しかし、先日お昼にお餅を食べた時に彼がお餅をみて「うわ〜、カワイイ!」と歓声をあげたのを、実は私は聞いている。彼にとって「カワイイ」が何を意味するのか、興味のあるところだわ。「ぶよぶよ」って意味だったらどうしよう!?

2005年1月11日

Space Alc社のオンライン辞書「英辞郎」には翻訳の作業で結構お世話になっている。英和も和英も訳語例や文例が豊富なので、意味は分かっていてもつぼにはまった訳語が見つからないとき、ヒントをもらうためにちょくちょくのぞきに行く。これだけのものをただで使わせてもらえるというのは、ありがたいことだ。ただ、このサイトは、ときどき普通の辞書には出てこないような文例が出てきてぎょっとする。たとえば、このページの真ん中へんに、

「脳がウジだらけになった人の写真があります。そういうのが苦手な人は見ない方がいいです」

という例文を発見したときは思わずのけぞった。さらに、その下のほうを見ると、

「脳たりん」「脳たりんの」

という単語になんと54行、200近い英単語や表現をあてている。それだけよく使われるということなんでしょうが、しかし、この単語でここまで集めるかね。それでも

bozo, homo insipience (おい、綴りがまちがってるぞ!), jellybean, pumpkin head,
 "The elevator doesn't go all the way to the top."

などは会話で聞くこともあるが、

"be an intellect rivaled only by garden tools"
 "have gone surfing in Nebraska"
 "have body by Fisher, and brains by Mattel"

などに至っては見たこともないな。しかし、どうもこれらはジョークをもとにしているのではないかと勘ぐって調べてみたら、あった、あった。たとえばココ。別れた彼氏の悪口を言う冗談だそうです。(ぼ)

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今夜は夕食のとき、ま〜やがテーブルセッティングをしてくれた。プレイスマットを並べて、食器類をその上に並べて… ところが、何かが違う。

「ねぇ、まやちゃん。ナイフとフォークじゃないんだから、お皿の両脇におはしを一本ずつ置くのは、おかしいよ。(笑)」  (はち)

2005年1月12日

今日はどうしたの?というほど暖かい一日だった。今も、夜なのに外は17度近くある。でも、予報によると、明日は一気に氷点下にまで下がるらしい。暖かかったせいで、今朝はすごい霧で、一面真っ白。ケンスケを学校に送っていくとき、ケンは「ママ、車を洗うの忘れたでしょ。窓が汚いよ」などと言うので笑ってしまった。窓が汚れてるんじゃないよー。車を降りてもまだあたりが真っ白なので、彼は「どうしてこんなに真っ白なの?」と不思議がっていた。

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翻訳、かなり順調に進んでいます。お祈りくださっている皆さん、どうもありがとう。もしかすると、まだ本のタイトルも言ってなかったかもしれませんね。今翻訳中の本は、『バウンダリーズ』の著者によるもので、『Making Small Groups Work』という、スモールグループリーダーのための手引書のような本です。スモールグループの聖書的意義から運営に関してまでとても実践的な本でありながら、同時に、「キリストの身体」とは本来どのように機能するべきものなのか、「霊的成長」とは要するにどういうことなのか、などなど、誰が読んでも教えられるところの多い本でもあります。『バウンダリーズ』が日本で出版され、読者の方々から「支援グループ」に関する質問があがったとき、著者にその件について問い合わせたことは以前日記にも書いたと思います。その時、著者の一人、ジョン・タウンゼント博士が支援グループに関する簡単な説明と共に、日本の皆さんにも役に立つかもしれませんと勧めてくださったのが『Making Small Groups Work』でした。

その後タウンゼント博士が3月に来日して東京でセミナーを開いてくださることが決定し、この本も博士の来日に間に合うように出版することになったため、大急ぎで翻訳しているわけです。翻訳の締め切りは2月14日。いつものように、翻訳をしながらいろいろなことを教えられています。日記でも分かち合っていきたいのですが、いかんせん今はゆっくりできないので、また終わったら追々お分かちしていきたいと思います。翻訳のことをお祈りに覚えていてくださっている皆さんにも、心から感謝します。

2005年1月13日

朝から降っていた雨が雪に変わった。また積もりそう。

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今日の『PDL』は8日め、「神の喜びのために造られた」。

神に喜ばれるためにあなたがする行為はすべて礼拝です。… 礼拝は、生き方そのものだからです。… 礼拝は自分のためにするのではありません。礼拝は神のためにささげられるものです。(pp.84、85、87)

これまでに読んだ部分もまだあまり消化できていなくて、3日めの「あなたの人生を動かしているものは何か」について、ずっと考えていた。私なりにこれが私の人生を動かしているものだと言えるものがあるとしたら何だろうと考えていて、それはきっと「主への礼拝」かな、と思っていた。少なくとも、そうでありたいと思った。主を礼拝することへの情熱こそ、私の全ての活動を駆り立てるものであって欲しいと。そういえば、数ヶ月前の日記でもこんなことを書いたっけ。

…主の大庭で、主の御臨在に包まれて主を賛美し、祈り、礼拝をしているとき、主の御腕に抱きかかえられたままずっとそこに留まっていたいと思うと同時に、立ち上がって、駆け出していって、この世の全ての人たちに向かって、神様の愛を叫び出したくなるものだ。宣教、伝道はもちろん、日々の生活の原動力が主への礼拝といってもいいかもしれない。 日々の生活そのものが主への礼拝として捧げられると同時に、主を礼拝するからこそ、一日一日を主にあって歩んで行こうという思いが新たにされ、強められ、押し出されていく…(8/30/04

この思いは今でも変わっていない。でも、今回改めて自分を振り返ってみたとき、そう願いつつも現実には、自分の日々の生活や活動の支軸が徐々にずれていってしまう傾向があることに気づかされた。だからこそ、毎日、毎朝、主の御前に出て、ずれを直していただく必要があるんだね… 文化人類学者によると、礼拝とはあらゆる人間社会に普遍的に見られる強い衝動であるらしい。つまり、人間は常に何かしらの礼拝の対象を持つわけだ。私の生活が、自分自身でもなく、他の誰かや何かでもなく、ただ主なる神さまへの礼拝となりますように。私の視線を、神さま以外のものに向けさせるものは私のなかから取り除かれますように。

他にも思わされたことがあるけど、長くなるので今日はここまで。

2005年1月17日

寒い。外はマイナス11度。新聞によるとここ数日は9年ぶりの冷え込みになるそうだけど、例年こんなもんじゃなかったっけ? あれはシカゴに越して来て最初の冬だったか、朝、シャワーを浴びてから濡れた髪のまま新聞を取りに外に出た。そしたら一瞬にして髪の毛についていた水滴が凍って、シャラシャラになってびっくりしたことがあった。あの時の寒さに比べれば、まだまだ可愛いものよ。

みんの喘息が出たので朝一でお医者さんに連れて行った。夕べは夜更かしをしたので眠たい。午後からはエミの歯列矯正のアポイントメント。エミは先週新しいワイヤーをいれてもらい、48時間は固いものを食べてはいけませんよと言われていたのに、帰宅してすぐにクッキーなんか食べたので、その日のうちにワイヤーが外れてしまった。だから今日はやり直しのアポ。やれやれ。 それから、みんのメガネの小さなネジが外れてしまったのでそれも直してもらいに行かないと。あっ、夕方からはま〜やの体操教室だ。忙しいなぁ、今日は。

ビル・ハイベルズの本に『Too Busy Not To Pray(忙しすぎて祈らずにはおれない)』という本があるけれど、まさにそんな感じ。こんなばたばたした日常生活のなかでも、孤独と空虚感で押しつぶされそうになる夜も、イエスさまが共にいてくださることに感謝。いつもいつも。私はイエスさまのことを忘れていないし、イエスさまも決して私を忘れない。

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エミの高校から、入学後の履修科目に関するインフォメーションがどっさり送られてきて、親の方が目を回している。なんでも、今月の29日が履修科目の登録日で、それまでに1年生で取るつもりの授業を全部選んでおかないといけないらしい。成績によって履修できるクラスのレベルに違いがあるため、11月に受けた試験の結果と照らし合わせながら、自分のレベルにあった授業を選ぶのがポイントらしい。とにかくシステムが日本と全然違うので戸惑ってしまう。アメリカの大学入学は、日本みたいに試験の一発勝負ではなく、SATという全国規模の標準テストのスコアの他、高校4年間にどんな授業をとり、どれだけの成績を修めたか、さらにどんな課外活動にどれだけ熱心に参加したか、などが主要な選抜要因になる。だから大学進学を希望するなら、1年生のうちから大学を射程にいれたプランを立てないといけない。先日説明会があったのだけど、先生方の気迫がすごかった。彼らはまさに教育の「プロ」。学生以前に、まず先生方のモティベーションが違うね、と思った。

2005年1月18日

エミの学校の合唱部は、シカゴホワイトソックス(プロ野球チーム)の試合で国歌を歌わせてもらうためのオーディションに応募するらしい。今日の放課後、近くの教会に集まって、送るためのCDの録音をした。私もずっと付き添ったのだけど、こういうイベントは何だか楽しい。出来の方はまぁまぁだったかな。歌わせてもらえることになったらすごいね。

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早く3月にならないかなー。

2005年1月19日

右肩が痛い。こういうのを腱鞘炎って言うのかな。掃除機をかけていても、お鍋を洗っていても、お椀にご飯をよそっていても、右肩が痛くてつい左手に持ち替えてしまう。腕が上がらないわけじゃないんだけど、ちょっとした力の入れ具合で痛みを感じる。そのうち自然に直るかな? だといいんだけど。

2005年1月20日

夕べは珍しく11時前に寝た。朝起きてみたら外はまた雪。一日ずっと降り続いている。道路のコンディションはかなりヤな感じで、こういう日の運転は気をつけないと。

2005年1月21日

夕方。今夜から明日にかけて大雪になるらしい。雪が降り始める前に、週末の分の食料を買い出しに行っておこう。

今日の昼間はまた大学病院。帰って来たら疲れて1時間半ほどお昼寝してしまった。最近、ほとんど毎日のようにお昼寝している。夜の睡眠時間が6時間未満というのはどうしても私には足りないようだ。

病院に行く前には、イギリス在住のH子さんと電話でお祈り。H子さんとはほぼ2週間ごとに、交互に電話して一緒に祈っている。H子さんと祈っていると、祈りながらいろんなことに気づかされたり、H子さんの祈る言葉を通して主からの語りかけを受けたりする。このように祈り合えるパートナーが与えられていることに心から感謝。

*****

朝7時半。娘たち三人はそれぞれ学校へ行った。ケンの幼稚園は月〜木までなので、今日はゆっくり寝ている。

今、思いを留めている『PDL』の箇所は9日め、「何が神を微笑ませるのか」。本に挙げられている項目には次のようなものがあった。

  • 私たちが何にもまして神を愛する時
  • 私たちが心から神に信頼する時
  • 私たちが心から神に従う時
  • 私たちが自分の能力を発揮する時

そして神を微笑ませる行為は、そのまますべて神への礼拝であると著者は言う。信頼することや従うことが礼拝だというのは一瞬ピンとこなかったけれど、アブラハムがモリヤの山で神を礼拝するためにイサクを捧げようとした行為は、まさに神さまへの信頼と従順の現れだったなぁと思い出して、納得した。

あああーー! みんがお弁当もっていくの忘れた。テーブルの上に起きっぱなしだ。急いで学校に届けて来なくちゃ。

2005年1月22日

なんだかとてつもなく惨めで、情けなくて、どうして神さまは私にこんなに厳しく当たられるのだろうと悲しくなってしまったとき。それでも神さまは最善をご存知であり、ご自身のご計画のためにぬかりなく御手を動かしておられることに信頼して、hang on, keep pressing on, stay faithful and diligent… そう自分に言い聞かせて一歩一歩進んでいく。そしてふと気づくと、まだまだ夜だと思っていたのにいつの間にか朝が来ていて、あんなに重たかった背中がすっきり伸ばせるようになっていることに気づく瞬間がある。そして、今までできなかったことが出来るようになっている自分にも気づく。最高のトレーナーである神さまが、私に適度に負荷をかけ、私をストレッチし、筋力を鍛えてくださっていたのだと知る。

2005年1月23日

今日はパスター・アルの最後の日曜日。夜は持ち寄りの送別会。使徒13:2、3が思い出された。「わたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」お別れは本当に寂しいけれど、これから神さまがパスター・アルをどのように用いられるのか、また私たちの教会には新しく誰を遣わせてくださるのか、考えるとわくわくする。

そういえば牧師夫人のデニースが、私がクリスマスに持っていったホームメイドのチョコレートケーキがものすごく美味しかった、と言ってくれた。彼女はお菓子作りが得意な人なので、彼女に誉めてもらえるととても嬉しい。(^^)

2005年1月24日

今夜は大人にはグリーンカレー、子供たちはチキンナゲット。この前タイの食料品を扱っているお店でグリーンカレーのペーストとココナッツミルクを買って来たので、久しぶりに作ってみた。味見をしてみたら、美味しいけど辛〜〜い! 半端じゃない辛さですよ、これは。

2005年1月26日

以前この日記でもお知らせしたように、『バウンダリーズ』の著者の一人、ジョン・タウンゼント博士が日本語版『バウンダリーズ』のために、あとがきを寄せてくださいました。このあとがきは第二刷以降に載りますが、初版を買ってくださった方のために、出版社さんの許可を得て、私のHPでも紹介させていただきます。

このなかで博士が言及している『Making Small Groups Work』(邦題未定)が今私が翻訳している本です。はからずも、このあとがきが次の本のイントロダクションにもなっている感じですね。(はからずも、と言うのは、このあとがきを書いていただいた時点ではまだ、『Making Small Groups Work』の翻訳出版は決まっていなかったので。)

タウンゼント博士の3月の来日が楽しみですね。せっかくだから、私も行きます。

タウンゼント博士からのあとがき:日本語版『境界線』(第二刷)に寄せて

日本語版『境界線(バウンダリーズ)』の読者の皆さんへ


本書を読まれた感想はいかがでしたか。「境界線」とは、あなた自身と、あなたの霊的生活、そしてあなたが持つさまざまな関係に関わるものであることがおわかりいただけたでしょうか。そこには愛、責任、自由といった極めて聖書的な問題が含まれます。神さまのやり方と原則に従うとき、あなたも主体的で自立した人生と選択を自分のものにすることができるでしょう。人生において神さまの道を進むため、本書が皆さんの励ましと導きになることを願ってやみません。

霊的な生活やさまざまな関係において変化をもたらすには、他の支援的な人々とつながりを持つことがどうしても必要です。私たちの葛藤を理解し、責めるのではなく私たちのために祈り、私たちの痛みや挫折について話をさせてくれる人たち、恵みを与え、健全な境界線を築きそれを維持しようとする私たちの努力を支えてくれる人たちです。このような同じ思いを持つ人々による助けなしには、上手に限界を設定することは非常に困難です。助けがないと、私たちは往々にして落胆や罪悪感、他者の反応に対する恐れを覚えるようになり、成長への道をあきらめてしまいがちです。

ヘンリーと私は、長年の経験から、この必要を満たすためにスモールグループが適した方法であることを実感しています。スモールグループは人々が変化し、成長していくための支援的な環境を提供するからです。スモールグループとは基本的に、同じ霊的・関係的目標を持った少人数の人々による定期的な集まりのことです。グループのメンバーは共に聖書の御言葉や霊的成長に関する本を学び、それぞれの生活や、問題に関する葛藤について分かち合います。そして、互いに支え合い、心を開き合い、導きを与え合い、祈り合います。これは人間関係に関する新約聖書の原則を全うする、最良の環境であると言えましょう。(ローマ十五・7、エペソ四・2、コロサイ三・16、第一テサロニケ五・11、ヘブル十・24、第一ヨハネ三・11)

本書のなかで「支援グループ」という言葉がたびたび使われていたことに、皆さんもお気づきになったことと思います。これは広い意味合いを持つ言葉で、さまざまな形式を取り得ます。多くの場合、支援グループにプロのカウンセラーは必要ありません。ただし、深刻な問題を抱えている場合にはそのような人のところへ行くのが最善でしょう。専門家による助けがすぐに得られるような環境にあるのでない限り、支援グループはセルや聖書の学び会のような形を取ることが可能です。米国では、ほとんどのスモールグループはプロのカウンセラー抜きで活動しており、それで十分に成長と学びの目的を果たしています。

あなたの教会ですでにスモールグループを実践しているなら、ぜひ参加してみてください。そしてリーダーに『境界線』についての学びを組み入れてもらえないか尋ねてみましょう。もしスモールグループがないのであれば、教会のリーダーの方たちに始めることができないか相談してみましょう。会衆全体で集まる礼拝の他に、スモールグループを始め、それを推進することによって教会が成長する様子を、多くのリーダーたちが経験しています。しかも、人々がそれぞれの生活や霊的必要のために互いに助け合うようになるため、カウンセリングのためにリーダーにかかる負担も往々にして非常に軽減されます。

このようなグループの本質は、単に誰かが他のメンバーたちに問題の解決法をアドバイスしたり指示を与えたりすることではありません。それではメンバーたちが本音で語りあったり弱みを見せ合うことができません。スモールグループの本質は、互いの人生や、困難、痛み、慈しみ、恵み、真理、そして現実を分かち合うことにより、キリストにあって共に成熟していくことにあります。心底安心して心を開き合えるようになるときにこそ、癒しが始まるのです。

米国のサドルバック教会では、霊的・個人的成長のためのスモ−ルグループの働きに力を入れています。特に彼らの「セレブレイト・リカバリー」と呼ばれるミニストリーでは、健全なスモールグループの形成に関するさらなる情報を提供しています。また、ウィロークリークコミュニティー教会もスモールグループを始めるための良い資料を提供しています。

もし身近にスモールグループがない、あるいは教会を通して始めることができないというのであれば、自分でスモールグループを始めるという方法もあります。これは思ったほど難しい事ではありません。霊的、感情的成長、個人や関係における成長に興味のある人々に声をかけ、定期的に集まることを誓うのです。そして共に学ぶ本、あるいは聖書の箇所を決めます。グループに骨組みと焦点を与えるため、誰か一人の人にまとめ役を務めてもらうといいでしょう。まとめ役は特別に訓練を受けた人である必要はありません。ただ話し合いをリードし、参加しているメンバーが居心地の悪い思いをすることがないように、またそこが安全であり、弱みを見せても大丈夫な場所だと思えるようにするだけです。もしあなたにスモールグループを始めたり、まとめ役をやりたいという願いがあるのでしたら、ヘンリーと私が執筆した『Making Small Groups Work』という本がきっと参考になると思います。 

読者の皆さんがこれらの原則について学ぶことで、知恵と癒しを得、魂を触れられ、そしてさまざまな関係において大きく成長していかれることを願います。どうかこのことを忘れないでください。良い境界線は自己中心を促進するものでは決してないということを。むしろ境界線は、愛、恵み、責任、自由、そして自制において私たちの成長の助けとなるのです。皆さんが、神の愛のなかであなたと共に成熟していきたいという、同じ願いを持つ人たちを見つけることができますよう祈っています。

祝福を祈りつつ


ジョン・タウンゼント

心理学博士

2005年1月27日

時々テレビのコマーシャルで、この番号に電話すれば今すぐこの商品を購入できます、という宣伝をやっていることがある。さっきもケンが子供番組を見ていたら、合間のコマーシャルで『ZooBook』という動物の本の宣伝をしていた。「You can get it now!」という誘い文句につられてケンスケが私に言う。

「ママ、今すぐもらえるんだって。電話してよ。」

「でも、もらえるって言っても、お金を払わないといけないのよ。ママには今、お金がないの」

するとケンはママって頭悪いねー、と言わんばかりの口調でこう言った。

クレジットカードを使えばいいよ!

…… 完全に商業主義の餌食になっている… これはいかん。何とかせねば。まずはテレビを消そう。

2005年1月28日

明日はエミの高校の履修科目の登録日。最高7科目まで履修できるうち、英語、数学、科学、体育が必修。エミは英語(I)、幾何学、化学、仏語(II)、人文地理学、体育、そしてオーケストラを取る予定。オーケストラが科目の一つと認められるのは、日本人の感覚からすると面白いけど、選択科目は他にもいろんな面白そうなクラスがある。コンピュータープログラミング、会計学、溶接、ディベート、心理学、ジャーナリズム、マーケティング、栄養学、被服、自動車技術、設計、合唱、演劇、などなど。高校に入ってくる全ての生徒が大学進学を目指しているわけではないので、商業高校、工業高校的な授業もあるわけなんだね。そして、同じ授業を取る子がみな同学年の生徒とは限らなくて、そのあたりは大学みたいな感じだ。

また、夏休みの間にサマースクールというのがあって(学費は別途)、ここで授業を取ればそれも単位として認められる。エミは今年の夏には生物を取りたいらしい。

さらに面白いと思ったのは、1時限目は朝の7時半から始まるけれど、それはオプショナルで、通常は2時限めから登校すればいいらしい。エミみたいに7科目履修したい子は、1時限目から登校することになる。なんだか日本の高校とは違うことだらけで戸惑うけれど、エミがしっかりしているので、親は助かっている。さて、明日持っていく書類の準備をしよう。

2005年1月29日

今日のエミの履修登録は無事に終わった。やれやれ、一安心。それにしてもエミはまだ13歳。日本にいれば中学一年生なのにね。

*****

口角炎っていうのかな、みんの口角が赤くはれて、見るからに痛そうで、ここ数週間、ずっと薬を塗ったりビタミンBを摂ったりさせてたのにちっともよくならないで困っていた。そして来週の水曜日には学校でイヤーブックのための写真を撮るので、それまでには治って欲しいなぁと思っていた。それで、夕べのファミリーディボーションのときに、みんなでみんの口角炎のために祈ったところ、今朝になったら見違えるほど良くなっていて、夜になったらもっと良くなっていた。この分なら水曜日までにはきれいになりそう。今度はみんなでイエス様に感謝!

ファミリーディボーションといえば、夕べはパパが放蕩息子の話をしてくれた。今朝になって、ケンが得意そうに私に言う。

「ママ、イエス様は、豚と一緒に住んでたんだよ! そして、豚のご飯食べたんだよ!僕、ちゃんと覚えてる!」

「は? ああ、夕べの話ね。違うでしょ、豚と一緒に住んだのはイエス様じゃなかったでしょ?」

ケンはちょっと考えてから、「あ、間違えた。イエス様じゃなくて、イエス様の息子だった。僕、ちゃんと覚えてるよ!」

うーん、ケンは、聖書のお話の登場人物は全部イエス様だと思っているらしい… そんなケンの目下のお気に入りの暗唱聖句は、「I am wonderfully made.」 Yes, you are, indeed, Ken!

2005年1月30日

『PDL』10日め。「礼拝の本質」

ここまで読んできて気づいた。私たちの人生の「第一の目的」として「神の喜びのために造られた」と著者は表現しているけど、著者にとって、「神の喜びとなる」とはすなわち「礼拝者になる」ことと同義なんじゃないだろうか。だって、ずっと礼拝について述べられているのだもの。しかも、著者の言う礼拝とは、日曜日の朝、教会に集まってするだけのことでなく、私たちの日々の歩みそのものでもある。私たちが日々の生活のなかで、真の「礼拝者」として歩むことこそ神さまに喜ばれる人生、ということなのかな。なんだか、とても納得。

そして今日の箇所。「礼拝の本質は降伏にあります。」うわっ、しょっぱなからこれはずっしりきた。いろいろ思わされることがあって考えがまとまらないので、とりあえず、もう二カ所、心に留まった箇所を書き留めておこう。

「私たちが神に降伏するのを妨げるものが三つあります。それは、恐れ、プライド、そして混乱です。」(p.103)

「人生は苦闘の連続です。多くの人は気づいていませんが、私たちの格闘はヤコブのそれと同じように、実は神との格闘なのです。」(p.104)

2005年1月31日

早い。もう1月もおしまいだなんて。毎日が飛ぶように過ぎて行く。今夜はエミの学校でアジアフェスティバルとかいうプチ文化祭みたいなものがあり、明日はオーケストラのコンサート。先週はクワイヤのコンサートだった。今週末は金曜日から日曜日の夕方までミッショネットのウィンターキャンプでウィスコンシンに行く。去年も零下20度の厳寒のなかを出かけていったんだよねー。大人にはキツイけど、子供たちは大好きな行事の一つ。

少し前から、ブリアナがアネット(仮名)という学校の友達を教会に連れて来るようになった。アネットはまだイエス様を知らない。先週のミッショネットで、歓迎の意味をこめてロゴ入りのペンをあげたら、彼女はすごく喜んで、後から私のところに来て「Thank you for the pen. It means a lot to me. I like this church, even though I'm not a Christian」と言ってくれた。彼女の様子から、教会での交わりを通して何か感じてくれているらしいのが伝わって来て、私も嬉しかった。

そしたら、昨日礼拝の後でブリアナのお母さんに、「アネットのために祈っていて欲しいの」と言われた。個人的なことなのでここには書かないが、アネットは家庭関係で多くの祈りを必要としていることを知った。神さまがアネットを守り、必要を満たし、将来への道を整えてくださいますように。アネットはウィンターキャンプにも一緒に行くことになっている。この週末が、彼女にとって救いの時となりますように!

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