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はちことぼぼるの日記

エントリーの最後に(ぼ)とあるのはぼぼるパパによる日記です。

2004年12月1日

12月になりましたねー。やっぱりあっと言う間だ

はちこ父とちょっとメールで話す。夏に聞いていたある問題が相変わらず続いていて、頭が痛いとのこと。いかにもストレスになりそうな問題で、もっと父のためにも祈らねばと思わされた。心も身体も守られ、早く解決しますように。

ケンスケは、相変わらず嘔吐を続け、下痢もし始めた。下痢の様子からこれは絶対ロタウィルスと確信。午前中は水を飲んだだけでも吐いていたけど、午後になって少しおさまってきた。ロタウィルスだったら、水分補給さえして脱水症状を起こさないよう気をつけて休ませておけばいい。むしろ、他の家族に移らないように、そっちの方が気をつかう。でも、私が一番うつる可能性高いんだよねー。やれやれ。とにかく手洗いを徹底させる。

2004年12月2日

★お知らせ★

ハーベストタイムで『境界線(バウンダリーズ)』が取り上げられることになりました。昨日収録が無事に終わり、放送は一月の第四週だそうです。出演は、同書に推薦文を寄せてくださっているライフ・プランニング・センター臨床心理ファミリー相談室長の丸屋真也先生と、地引網出版(リバイバル新聞)代表の谷口和一郎氏。番組内の最後のメッセージでは、ホストの中川健一先生が聖書からバウンダリーを解き明かされ、とても良い収録だったそうです。

ハーベストタイムは、沖縄テレビ、テレビ金沢、KBS京都、サンテレビジョン、テレビ和歌山、びわ湖放送、群馬テレビ、テレビ埼玉、千葉テレビ、テレビ神奈川、岐阜放送、奈良テレビ、三重テレビ、及びスカイパーフェクTV!CH216で視聴できます。また、アメリカでもKIKU-TV ハワイ CH20、KSCI-TV ロサンゼルス CH18、テキサス州プレーノ市TCIケーブルCH A10、ニュージャージー/ニューヨークwmbc - tvCH 63、及びスカイエンジェル衛星放送で視聴できます。 放映時間など、詳しくはこちらをご覧ください。

そうか、スカイエンジェルでハーベストタイムが観れるのかぁ。でもうち、スカイエンジェルは入れてないんだよね… 後からビデオを送っていただくのを楽しみに待とう。

*****

ケンスケは随分落ち着いてきた。昨日は夕方頃になって、お腹がすいてきたのか「朝御飯を食べなくちゃ。たまごちょうだい」というのでおそるおそる卵焼きをあげたら、ちゃんと食べることができたし、夜も、マッシュポテトとお肉を少し食べた。でも、幼稚園はもう一日休ませる。今日は遠足の日なので、バスの中とか出先で何かあっても困るし。今週末ゆっくり休めば、来週からはまた幼稚園に行けるね!

2004年12月3日

段ボール箱で車を作って、とケンスケにせがまれ、朝から工作に励んでしまった。うーん、私は不器用だから、こういうことはパパに頼んで欲しかった。パパはすごいんだよ、段ボール箱でヘリコプターだって作っちゃうんだから。ちゃんとプロペラがついてるやつ。

とにかく、なんとかそれらしきものを作って(中にケンが入って運転の真似事ができるようなもの)、ほっと一息ついたのも束の間。おお、今日はオックステールのスープを作ろうと思っていたのだった。これは早いうちから煮込みはじめないといけないから、今朝はのんびりしていられないぞ。なぜそんなものを作ろうと思い立ったかというと、オックステールを煮込むとコラーゲンがたくさん出て肌にいいと聞いたから。ちょっと試してみましょうかね、と。一回やってみたくらいでは、特に効果は期待できないでしょうが。我が家では、オックステールのスープなんて五年に一回くらいしか作らないからね。(笑)あ、でも、今日は洋風ではなく、韓国のコムタンスープ風でいきます。それをやってみたかったので。

*****

夜です。牛テールスープは皆に好評でした♪

ケンスケが午後になって、またお腹が痛いと泣き叫んだので、週末に入る前にお医者さんに診ておいてもらおうと思って、夕方になってから連れていった。でも案の上、ウィルス性のものは自然に直るのを待つしかないとのこと。脱水しないように、他の家族にうつらないよう気をつけるように言われた。うーむ、それくらいなら自分でもわかっていた通りだ。笑えたのは(?)、ケンがあまりに泣き叫んでいたので結構あせって慌てて病院に行ったため、私はハンドバッグを持っていくのを忘れ、支払いのとき、ツケにしてもらったこと。なんてヤツだ。<自分

それにしても毎日忙しい! 明日も一日中予定が入ってる。来週の土曜日も、再来週の土曜日も。でも平和の君なる主が共におられる。インマニュエル。感謝します!

2004年12月4日

お昼に、さて何を作ろうかと冷蔵庫をみたら数日前の残りのローストビーフの小さな塊を見つけた。これはお醤油ベースのグレービーが美味で、御飯のおかずにもよくあう。子供たちも大好きだ。でもみんなで食べるほどには残ってなかったし、どうしようかなと考えていたらひらめいた。ローストビーフは細かく刻み、器の底の方にたまっていたグレービーにはごはんをいれてよく混ぜる。そこに刻んだローストビーフと、ちぎったレタスをまぜこんで、即席のローストビーフまぜ御飯のできあがり。すっごく美味しくて、子供たちにも大うけだった。残り物を無駄にせず、いかに美味しく食べさせるかは主婦の腕の見せ所ですね。って、いつもは私、無駄にしちゃうことが多いんだけど。(^_^;; (ちなみに私が作るローストビーフは、お醤油とオリーブオイル、ワインビネガー、みじんぎりのにんにく、オレガノを混ぜた漬け汁に牛肉の固まりをしばらく漬け込んで、それをオーブンで焼くだけ。焼いている最中にお醤油の香ばしい香りとビネガーのツンとした香りが部屋中にただよって、それだけでも食欲がそそられます。)

今夜はま〜やの友達が泊まりに来ているので、夕食はスパゲティミートソース。ミートソースにはひき肉を約1.3キロ使って、たっぷりつくってしまった。余った分は冷凍しておけばいい。ま〜やのお友達は、明日は私たちと一緒に教会に行く。だけど、多分私はケンスケと家でお留守番だろうな。相変わらず調子が悪そうだし。

さぁ、これからまた一仕事だ。

*****

今日、教会の婦人会主催のクリスマスティーパーティーで聞いた話。ミステリー作家のジョン・グリシャムって、クリスチャンなんですって。彼の『The Testament』という小説は、救いについてかなりはっきり書かれているとか。でも、日本のアマゾンで読者の書評を読んでみたら、キリスト教色強すぎということで、あまり評判よくなかったみたいだけど。(苦笑)

2004年12月5日

上記の御言葉は、しばらく前から繰り返し指し示されていた箇所ですが、今翻訳中の本のメインテーマの一つでもあります。そして、クリスマスのこの時期に思いめぐらすのに、なんとふさわしい御言葉でもあることでしょうか。イエスさまが人となってこの世にこられた。そして私たちの間に住まわれた。イエスさまを通して私たちに現された栄光、恵み、まこと。そこに込められた神様のご計画は、罪の贖いはもちろん、私たちのこの世での歩みにおける霊的成長、成熟にも深く関わってくるのだと気づかされました。そして、その背後には「万軍の主の熱心」(イザヤ9:7)があるなんて! ハレルヤ、御名を讃え、心からの感謝をささげます。

2004年12月6日

早くも息切れしてきて、私にはもう出来ないよー、と泣き出したくなった日。ネガティブ思考に陥って一日鬱々としていたら、ふと、ちょうど一年くらい前に語られていたことを思い出した。日記を開いてみるとこう書いてある。

God-confidenceとも関連して、最近、私のキャパシティというものは私が自分で決めるものではない、ということを思わされている。何かタスクがあるとき、このくらいなら私にもやれる、私のキャパの範囲内だ、と思うことがある。だけど、私が本当に考慮しなくてはいけないのは、それが「私の」キャパの範囲内であるかどうかというより、「神様が」そのことを私にやるようにと召しておられるかどうかだ、ということ。私が物理的にそれをすることが可能であるのと、神様がそれを私にさせたいと思っているかは別次元の問題。出来るからといって手を広げ過ぎるなら、神様が本当に私にやらせたいと思っていることが手薄になってしまうかもしれない。同様に、これはとても私にはこなせない、私のキャパの範囲外だ!と感じる事柄もある。しかしそれも私が決めることではなく、神様が召しておられることなら「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)」 

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです… ほんとですか? どうやって? 思わず聞き返してしまう私。そしたら直ちに心のなかに響いてきた神様の御声。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。(ルカ1:35)」

ああ、もう。このお方には逆らえない。  神様、あなたのお約束がなければ、私は本当に何もできないのです。あなたのお言葉をそのまま受け取ります。どうかあなたの御手の業を見せてください。あなたの御力を見せてください。あなたのご栄光を見せてください。私はただ、このからっぽの器を御前に差し出します。

2004年12月7日

今夜はスペアリブ。買い物に行ったら美味しそうなリブが売ってたから。ホームメードのBBQソースがオーブンからいい香りを放ってる。下味をつけておいて、あとはオーブンで焼くだけ、という料理は私のように不精な主婦にはうってつけ♪ しかも見た目はゴージャスで、子供たちも大好きな一品です。あとはサラダとスープと、カリフラワーもあるからこれも何とかしよう。

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今夜はエミとみんの合唱部の合同コンサート。みんにとっては初めてのコンサートなので、私も楽しみ。家族みんなで行って来ます。

2004年12月8日

小学六年生の時だった。学校の行事で、六年生全員が山でキャンプをした。確か二晩くらい過ごしたのだったろうか。キャンプそのものは楽しかったのだと思う。何も記憶には残ってないけれど。問題は山を降りる時だった。途中に吊り橋があった。私は六年一組だったので、一番最初に橋を渡るグループのなかにいた。ところが私は橋の下を見たとたん、身体が硬直し、どうしても渡れなくなってしまった。担任の先生や級友たちに大丈夫だから渡ろう、手をつないであげるから渡ろうと言われても、いやだ、いやだと後ずさりをし、結局一組は私をおいて、全員先に橋を渡った。次に二組が渡り、三組が渡り、最後の四組も全員が渡った。最後に私と校長先生だけが後に残った。先生は、渡らないと帰れないよ、と言う。膝をがくがく震わせて涙を浮かべている私からリュックサックを取り、ほら、と私に手を差し伸べた。渡らないと帰れない。帰らないわけにはいかない。学年全員が橋の向こうで私のことを待っている… こんな最悪の状況ってあるだろうか。ついに私は観念し、校長先生の手を握って橋を渡り始めた。

キャンプが終わってから担任の先生が、キャンプ中に撮った写真をいつものように教室の後ろの壁にはり出した。そのなかには私がムンクの「叫び」のような顔をして、校長先生の後ろをついて橋を渡っている写真があった。しかも望遠で、私の怯えた顔はかなりアップで写っていた。

今の私は、約30年前、校長先生の手にしがみついて恐る恐る吊り橋を渡ったあの時と同じような気持ちがしている。一人じゃ絶対できないという絶望にも似た感覚のなかで、必死にイエス様の手にしがみついている。あの時と同じように、後生大事に背負っていたリュックはイエスさまに預け、私の手はただイエスさまだけを握りしめる。笑顔を見せる余裕はまだないかもしれない。でも、揺れる橋の上で膝は震え顔は引きつっていても、それでもこの手を放さない限り、絶対大丈夫なんだとわかっている。私の霊は、それを知っている。

2004年12月9日

新しい香水を買った。新しいといっても、私にとって新しいという意味で、この香水自体はもう30年くらい前からあるらしい。もはやお店では滅多にみかけないようだけれど、ネットで見つけたのでついオーダーしてしまった。Tea Rose という、その名の通り、バラの花の香りがする香水。ほんとにバラの花束のような香りがする。ボトルもいかにも古めかしく、それがアンティークな感じがしてまたいい。まだBeyond Paradise を卒業するつもりはないけれど、これからは時々気分転換にTea Roseもつけることにしようと思った。

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God is good! 主は素晴らしい。 書きたいことがあるけど、今はちょっと時間がないので。とにかく主の御名をたたえます。

2004年12月10日

クリスマスカードをつくるのを先延ばしにしていたら、すでに各所からちらほらとカードが届くような時期になってしまった。ようやく重い腰をあげ、今年一年の家族写真の中から使えそうなのをいくつか選んでMacで合成し、CDに落として近くのドラッグストアの写真コーナーに持って行く。昨今は便利になったもので、その場で機械を使って自分で背景の図柄と口上を選定し、写真と組みあわせてあっという間にクリスマスカードがデザインできる仕掛けになっている。斯くして、象糞紙を使うという当初の計画は結局時間切れであえなく挫折。いずれこれを封筒に入れ、宛名書きもやらなくては。それが終わると切手を貼って投函するという大事業が待ち構えている。

考えてみれば年末年始のあいさつとは不思議なものだ。私のように筆無精で、ふだんから手紙はおろかEメールでも私信はほとんど書かないような輩が、この時期になると何か書かねば、という気になるのだから。その動機をさぐってみると、きまりごとだからという外的なものが半分と、年に一回くらいは相手に消息を知らせたいという自発的なものが半分。キリスト降誕を祝うという特別な季節であることも大きいと思う。私の知り合いには本当に多忙で年末年始のご挨拶はいっさい失礼させていただいてますというのや、とにかく形式的なことがきらいでこの手のことは全然やらないというのもいる。たしかに相手に対する敬愛の気持ちやそれを表すゆとりもないのに義理で書くくらいなら、書かないほうがましかもしれない。神様も「わたしは誠実をよろこぶが、いけにえは喜ばない」と言っておられるし。しかし白状すると、私は長年これを自分の自堕落な性格の言い訳にして、正月をすぎてやっと残り物のクリスマスカードに筆をしたため始めるというならわしだった。心の底ではもっと早く書くことが正しいことであるとわかっていて、その時間もあり、自分でもそうしたいと思っているにもかかわらずである。パウロさんもどこかで似たようなことを言ってましたね。こういう者には、ある程度規律が必要であろう。不自由な律法としてでなく、自由な愛の行為を促す枠組として。国内だったら、「クリスマスカードは12月20日までに出しましょう」みたいな。それと説明責任も必要かな。だからこそ、ここにこうして書いているわけである。もっとも2分でクリスマスカードがデザインできるご時世とあっては、何を言っても言い訳にはならないともいえるが。

とまあしかし、私が一人でいろいろ言っても、ものごとそう簡単に変わるわけではないのだ(と突然開き直る)。今週私の重い腰を動かしたのは、早々に友人たちから届いた心暖まるクリスマスカードだった。それはつまり、私が「恵みを経験した」ということだと思う。自分で自分を律することができないなら、誰かに恵み(自分にはなく、自分のためになるもの)をもらうしかない。その経験なくして人は変わらないと、某所にも書いてあったっけ。

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七転八倒の苦しみを経て、数日前にようやく秋学期の全講義を終了。戻ってきた期末試験の答案を前に、これからいよいよ冬の祭典採点に入る。今学期は12人の学生のうち、最後にきてやむを得ぬ事情で一人がドロップアウト、もう一人が来学期へ持ち越しとなったほかは、おおむねみんなよく頑張ってついてきた。しかし、大半の学生がプログラミングのプの字も知らず、レポートの問題でエクセルを使って定積分を計算しようとしているのを知ったときは目の前がまっくらになった。結局TAのジュードに頼んで、MATLABのコーチをお願いした。来年からは「地球物理学者のためのプログラミング入門」みたいな講座も必要かもしれない。

とにかく講義が終わって、平穏な研究者としての毎日が戻ってきた。講義とセミナーさえなければ、基本的に一日中人と会うこともなく、朝家を出てから夜帰宅するまで、声をかわすのはバスの運転手さんだけ。その間どれだけじっくりものを考えるかによって、研究の成果に違いが出る。ここは気息を丹田に沈めて。(ぼ)

2004年12月11日

今日は、インターナショナルフレンドシッププログラムを通して知り合ったスペイン人のローデスと御主人のモイスがうちに来た。

モイスは先週スペインから到着したばかりで、二週間ローデスと一緒に過ごし、それから二人で揃ってスペインに帰国する。前回ローデスと会ったときに約束したように、今日はうちに二人を招き、ローデスにスペインの家庭料理パエリアを作ってもらうことになっていた。そこでまず二人をピックアップしてシカゴ郊外にある日本食材のスーパー、ミツワに行き材料の買い出し。主婦にとって、外国に行くと一番楽しいのは現地のスーパーだったりするが、ローデスも例外ではなかったようで、目を輝かせながら「これは面白い!」と大喜びしていた。そしてパエリアに必要な魚介類やチキン、野菜などをじっくり品定め。シカゴの普通のスーパーではローデスの目にかなうような魚は絶対見つからないと思ったのでミツワに連れて行ったのだけれど、大正解だった。イカ二種類、エビ二種類、あさり、ムール貝、タラなど、見ているだけでお腹が空いてきそうなものを選んでいた。あと、彼女たちに食べさせたくて、まぐろのおさしみも買った。

うちに帰って来たら早速料理に取りかかる。彼女はとっても手際がよくて、見ているだけでも楽しかった。この人は本当に料理の達人なんだなと感じたのは、料理が出来上がると同時にキッチンもすでに片付いていたこと。素晴らしい。

モイスは英語が全然できなくて、最初に会った時、開口一番「ノー イングレース!」 でも、言葉は通じなくてもとても楽しい時間を一緒に過ごすことができた。彼は子供好きだそうで、ケンスケのことがいたく気にいった様子で嬉しそうに一緒に遊んでいた。ケンスケのおかげで彼もリラックスすることが出来たんじゃないかな。ローデスも、料理をしながらそんなモイスを見て「I am very happy!」と嬉しそうで、私もとっても嬉しかった。モイスも帰り際に何かスペイン語で言って、ローデスが「He says he is very happy」と通訳してくれた。お客さんにそう言ってもらえるほど嬉しいことはない。二人は、是非いつかスペインに遊びに来てください、子供たちがスペイン語を勉強したくなったら、うちにホームステイに来ていいですよ、と言ってくれた。ほんとにいい人たち。(^^)思いがけずこんな素敵な人たちと友達になれて、とても嬉しい。短い期間しかなかったので、福音のふの字も直接伝えることはできなかったけど、今回はこれでよかったんだと思う。

さて、パエリアの作り方は、忘れないうちに簡単に手順を書き留めると…

(1)平底の大きな中華鍋にかなりたっぷりのオリーブオイルを入れてチキン(ドラムスティック)を炒める。火にかけている最中はほとんどほったらかしで、途中で一回ひっくり返しただけだった。外側がこんがり焼け、火もだいたい通ったら油から取り出して脇においておく。

(2)1センチ角くらいに切った玉ねぎ(一個と半分)と長ネギとピーマンをチキンを揚げたあとの油(弱火)で炒める。これも、火にかけたらほとんどほったらかし。そんなにせわしくかき混ぜたりはしてなかった。途中でニンニクも2、3かけら加えてた。

(3)野菜を炒めている最中に、別の鍋で魚を煮てスープストックをとる。まず鍋に魚をいれ、水を加え、そのまま火にかける。かなり強火でぐつぐつ煮てた。(ちなみに、魚を煮るときは水から火にかける。そうすれば生臭くならない。)魚のほかに、むいたエビの殻も入れてた。あとネギもちょっと入ってたけど、他には何を入れたのかなぁ。この部分はあまりよく見てなかったからわからない。そういえば、ぼぼるパパは独身時代は結構料理にはまっていて、フランス料理の本に出ていた魚のスープにチャレンジしたことがあったそうだ。ところが、魚を煮ながらストックをとっている最中、あまりの生臭さに吐いてしまったのだとか。でも、ローデスの魚ストックは、全然生臭くなかったよ。

(4)(2)の野菜の鍋に、輪切りにしたイカとエビ、それから皮をむいてから角切りにしてさらに潰したトマト(2コ)を加えて、そのまま中火で煮続ける。

(5)荒く刻んだニンニクとパセリをすり鉢に入れ、オリーブオイルを加えてからすりこぎで潰したものを(4)加える。

(6)じっくり煮た(3)を漉してスープを取る。魚の身は骨と皮を取ってから別にわけておく。それ以外のものは捨てる。

(7)(4)にあさりとムール貝(最後の仕上げ用に6コくらいを別にわけておく)と魚の身を加える。レモン半分をしぼって回しがける。

(8)赤ピーマンの皮をむき(!)、短冊状に切っておく。

(9)(7)に塩を小さじ二杯くらいと、醤油を加える。彼女は醤油が好きで、どんな料理にでも使うのだそうだ。チキンコンソメの素も適当に加えていた。

(10)(9)にお米を加える。(日本のお米ではなく、ロンググレインと呼ばれる細長いお米。タイ米みたいな感じかな。炊きあがりがパサパサするやつ。)分量は目分量で、う〜ん、カップ三杯くらいだったかな。もっとだったかも。そしてそこにサフランをパラパラといれ、(6)のスープを加え、弱火〜中火でぐつぐつ煮る。途中で何度か味をみながらチキンコンソメ(をお湯で溶かしたもの)やビーフコンソメ(をお湯でとかしたもの)や水を適宜加えていた。このあたりの按配は、素人が真似するのは難しいんだよねー。

(11)(10)にとりわけておいたムール貝とエビ(エビも何尾かとりわけてありました)と赤ピーマンを表面にきれいに並べ、さらに煮続ける。

(12)後から加えた材料に火が通り、お米も柔らかくなったら火を止め、蓋をして数分むらす。そのとき残りのレモン半分を切ったものを上にのせる。 それで出来上がり! こんな感じです。↓ ものすごーーく美味しかったです。飲み物はノンアルコールのスパークリンググレープジュース。

ついでにローデスと私。それからモイスも一緒に。彼らはおさしみも美味しい美味しいと喜んで食べてくれたので嬉しかった。

2004年12月12日

数日前、エミの高校のオープンキャンパスがあって一緒にのぞいてきた。エミは来年の秋から地元の公立高校に進学の予定。おなじように高校進学を控える8年生が親子連れで大勢見学に来ていて、会場はごったがえしていた。アメリカの高校は公立も私立もいくつか見てきたけれど、評判がいいところは概して規模が大きくて設備も整っていて、外見は日本の小さな大学よりよほど立派だったりする。エミが行くことになっている高校もオリンピックサイズのプールがあったり、自前のフットボールスタジアムをかかえている。オープンキャンパスはクラブ活動の紹介や勧誘などが中心で、所狭しと並んだテーブルの前でクラブのメンバーが実演をしたりビデオを見せたりしていた。日本だったら新入生歓迎のオリエンテーションを思い浮かべれば近いかも知れない。ただそれが実際の入学の9ヶ月以上も前にあって学校の紹介を兼ねていることと、発表をする側のエネルギーと動員力が違う。ひとつには公立高校への進学は学区制で、本人も親もどの高校に行くかすでに知っているので、このような企画を早々にすることで新入生の高校に対する期待を高めることになるし、クラブの方も有能な人材のリクルートにつながるので双方にとって利益になるのだと思う。ちなみにアメリカの高校のクラブ活動の運営は自前のファンドレージング(資金集め)でまかなっているので、コネをつくることはクラブにとって死活問題である。

クラブ活動の内容はさまざまだ。オーケストラや合唱部、スポーツ各種などのオーソドックスなものから、アジア系、アフリカ系という人種や文化背景を代表するクラブ、株式投資の理論と実践のクラブまでさまざま。エミはひとつひとつ律儀に説明を聞いていくので時間がかかって大変だった。必ずしも自分の専門(?)分野でないことでも面白いと思うと吸い込まれてしまうのが彼女の特徴。自動車整備のクラブでお揃いの赤いつなぎ服のお兄ちゃんたちがエンジンの解体を実演するのをじぃーっと眺めて"That's so cool!" と歓声をあげたり、キルトの縫製を実演していた家庭科のクラブでミシンの構造をしげしげとチェックしたり。もちろん、ろくろで壷つくりの実演をしていた美術部には、ちゃんと名前を残していた。「高校行くのがほんと楽しみになっちゃった。でも、やりたいことが多すぎて時間が足りないかも」というのが本人の弁。

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きょうは夕拝に行く途中に近所の別の教会に立ち寄り、屋外に作られた降誕劇のセットを見学する。ベツレヘムの馬屋や羊飼いの前に天使が現れる場面などをひとつひとつ丁寧に再現し、その前で聖書を朗読する。もちろんイエス様が主人公なのだが、ロバや羊やヤギやあひるなどの本物の動物が人目をひくので、普段は教会にこない人たちも大勢立ち寄っているようだった。最後のシーンでは福音が手短かに語られ、牧師さん(とおぼしき人)がお祈りをして下さる。コミュニティーの中で、このようにクリスマスの本当の意味をきちんと伝える働きがあるのはほっとする。もっともきょうは風が強くて寒く、人も動物も気の毒だったけれど。(ぼ)

2004年12月13日

おはよう、皆さん。今日のシカゴは曇っているよ。日中もずっと氷点下、しかも風が強くてちょっと外にでるだけで凍えそうだった。

今日は一日、クリスマスカードの発送の準備。もう少しで終わるはず。

2004年12月14日

うっかり翻訳原稿のファイルを開けっ放しにしたまま夕食の支度をしていたら、いつの間にかケンが私に代わって翻訳を進めてくれた模様。こんなふうになっていた。消すにはしのびなかったので、こっちに記録を残しておこう。

第36章 何がおこっても驚かない心づもりをuiううイウイウイウイユユユッユy風うい応言いういうういう良い鵜0.thじおjy;k「;;l、、っっっっkrむいけnけんけねええwじぃ8きkjgdfんっっっk、。

ケンスケ、才能あるかも。最後がちゃんと句点で終わってるのがすごいよ。(笑)

さて、今夜はエミの学校の合唱部、バンド、オーケストラ合同のウィンターコンサート。これは結構大掛かりで、聞かせてくれるコンサートなので楽しみ。

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寒ーい。と思ったら、今朝はマイナス六度だった。手袋しないで外にでたら、手がちぎれそうだった。ま〜やが学校に行ったあと、ふと見たらソファのうえにま〜やの手袋が置きっぱなしになってたけど、大丈夫だったかな。

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詩篇73:21〜25

私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、 私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。 しかし私は絶えずあなたとともにいました

もし私が癇癪を起こすなら、あなたの前に出て癇癪を起こしましょう。
もし私が我を忘れて泣き叫ぶなら、あなたの前にでてそうしましょう。
イエスさま、感謝します、あなたは私の一番醜く、一番意地が悪く、一番愚かな部分を見ても、驚くことはなく、蔑むこともなく、後ろ指を指すこともないお方であることを。
どんなに最低最悪の私でも、あなたから離れることなくあなたと絶えずともにいるのなら、あなたは私をつかまえ、私をさとし、栄光のうちに受け入れてくださることを。
Thank you, Jesus. There is no one like You.
Thank you, Jesus. There is no one I'd rather be with.
Jesus, only You. Only You.

2004年12月15日

大学は冬休みに入って、全く閑散としている。ほとんど人っ子一人いないと言っても過言ではない。キャンパスのカフェテリアも軒並み閉店してしまったことを知らず、きのうはお昼もコーヒーも買えないでひもじい思いをしたので、きょうははちこにサンドイッチを作ってもらって持っていく。(それで安心したのか今度は財布を忘れた。)それにしても、急に寒くなった。一日中氷点下の上にシカゴ名物の強風が吹いて、いたたまれない。しかも寒いのは外だけじゃない。オフィスの中も、窓ガラスから熱が逃げるわすきま風は入ってくるわで決して快適とは言えず、オーバーと手袋を着たまま仕事をしている。というわけで今年も今日からモモヒキをジーンズの下にはいて出勤。モモヒキと言ってもアメリカ製で、保温力が高いわりには通気性もあって、なかなかのすぐれものである。しかし、このパッケージのデザインには首をかしげたくなるな。筋肉隆々のお兄さんが不可解なポーズをとっている上、肝心のモモヒキが半分も写っていない。これはボディービルダー用のモモヒキなのであろうか。しかも、中に入っていたのは似ても似つかぬ真っ黒のモモヒキだったぞ。と、いろいろツッコミを入れたくなる。

今晩の夕ご飯はおでん。寒い日はこういう胃の腑にしみわたる汁物がいいね。お・でん・お・でん・おで〜んでん♪

*****
エミの学校の冬のコンサートはなかなか盛大だった。合唱団が4つ、ブラバン、ジャズバンド、パーカッションアンサンブル、管弦楽団、フィドルアンサンブルなどなど。複数のグループに参加している生徒も多く、エミも衣装を替えて管弦楽団と合唱団の間を行ったりきたりと大忙しだった。

クリスマスのテーマが多かったのは当然としても、ひとつ驚いたのは"We Wish You a Merry Christmas and a Happy New Year" の歌詞が"We Wish You a Happy Holiday and a Happy New Year" に書き換えられていたこと。アメリカの公立校では政教分離政策で特定の宗教を後押しする行為は禁じられている。趣旨はわからなくもないが、「クリスマスパーティー」を「ホリデーパーティー」を呼び替えたりすることにどれだけの意味があるのだろうか。本質と無関係なうわべだけの「政治的公正」をふりかざすのは馬鹿げている。まるで特定の商品のPRはできないからと言って、山口百恵に「Play Back Part II」で「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」と歌わさせたNHKの紅白歌合戦みたいじゃないか(歳がばれますね)。最後の曲がヘンデルのハレルヤコーラスだったので、ますますちぐはぐな感じがした。ハレルヤがいいなら、メリークリスマスがいけないって法はないだろう。(ぼ)

2004年12月16日

タウンゼント&クラウド両博士の、比較的最近のものとおぼしき写真発見。うーむ、予想はしていたけど、やはり本に出ている写真よりは随分貫禄がついてますね。こちら

2004年12月17日

お知らせ

『バウンダリーズ』の著者のひとり、ジョン・タウンゼント博士が三月に来日することになりました。リバイバル新聞社さんとパーパス・ドリブン・ジャパンさん(『人生を導く5つの目的』)の共催でセミナーが開かれます。日程は3月21日(月)〜23日(水)、場所はまだ未定ですが、都内の教会になる予定です。また詳しいことがわかりましたら、追ってお知らせします。

2004年12月18日

今日はエミが学外で参加しているオーケストラのコンサート。今シーズンはこれで11回目のコンサートだ。でも年内はこれが最後だというのでちょっぴりホッとした。昼間は子供たちのクリスマスプレゼントを買うために買い物にでた。どこもかしこも混雑していたこと!特にトイザラスはすごかった。いつもならたくさんあるはずのショッピングカートが3つしか残っていなくて、通路にはおもちゃが山積みのうえに人とカートでごった返していて。日本のドン・キホーテみたいに、もしも今「火事だ!」なんてことになれば、大混乱が起きるだろうなと思ってぞっとした。

…今年もあと二週間なんですね。

2004年12月19日

もうすぐ夕拝のキャロリングに出かける時間かなと思っていると、玄関をどんどんとたたく音がする。はちこが「今手が離せないからちょっと出て!」とキッチンから叫ぶので、どうせみんの友人のパティか誰かだよと思いながら、てれんこてれんこと玄関に出向いて外をのぞくと、黒人の女性である。ん、ものみの塔?(ステレオタイプ汗)と思ったのもつかの間、どうもようすが変だ。通りの別の人と大声で叫び合っている。「911には電話したの!?」「いま、したわ!」等々。なんだかただならぬ気配にドアを開けると、「お宅の隣の者ですが、うちから出火しました。中に人はいませんが」

外に出て見ると、隣の家のガレージから激しく炎が燃えさかっていて、ガレージの外に停めてあった車にも引火してバコン、バコンと大きな音を立てながら、火柱を立てている。発生した大量の煙が舞い上がる様は、典型的な高レイノルズ数の乱流だった。消防車はまだ到着していない。すぐに我が家まで延焼しそうな気配ではなかったが、さっそく家族に避難命令を出す。「隣が火事だ! みんな、外に出ろ!」いったん怒鳴ったものの、外は氷点下なのを思い出し、「いや、車に乗るんだ!」 いつもはぐずぐずするみんも驚くばかりの早さで移動し、消防車が到着して道をふさがれる前に無事、車ごと脱出。近くの公園の駐車場に避難する。ガレージを出るときに燃え上がる隣家を目の当たりにしたみんとま〜やは泣きだした。

いったんそこに車と子供を置いて家に戻る。火の元その他を確認していると、電話が鳴った。出ると、「もしもしパティです。みんはいますか。」「いないよ。あのねー、隣が火事なんでね、避難してるとこなんだ。」「あ、知ってましたか。ああ、良かった。」それを知らせるだけなら何もみんを呼び出す必要はないでしょうが。仲がいいのはわかるけど。結局子供たちは、状況が落ち着くまでパティのうちに預かってもらうことになった。

消防が到着するまでけっこう時間がかかった。消防車が6、7台、パトカーが6、7台集結してうちの前の通りは封鎖された。10人くらいの消防士のチームが、ガレージと停車中の車に消化剤をまきはじめる。ふと見ると、隣から着のみ着のままで脱出した二人が、表でがたがた震えている。あまっているコートや毛布を探してきて着てもらったが、外で消火活動を見ていても何かが変わるというわけではないので、結局中に入って暖まってもらう。隣家のオーナーのジューンの妹と息子だそうだ。ジューンは出かけていて連絡がとれないと言う。警察官が立ち寄って事情聴取をしていった。ガレージの中から出火したらしい。そんなこんなでキャロリングどころではなくなった。私がリードすることになっていたのだが、教会のタミーに電話して事情を説明する。

消火作業は予想以上に難航。一階の火は消し止めたが、火のまわりが早く、二階に延焼し、中からものすごい煙を吐き出している。こうなるとほとんどお手あげなのか、やる気がないのか、消防士は大勢いるのにほとんど見守るばかりで、消火活動も滞りがち。思い出したようにホースから放水する水は壁の外側にばしゃばしゃ当たっているだけで火に届いていない。はちこと二人で、「なにやってんだ!」と大いに憤慨する。子供を消防車で学校に送ったりするひまがあったら、消火訓練をして欲しいものだ。ようやくハシゴ車が出動して上から放水を始めたのは到着後一時間以上たってからだった。このころまでには、隣家が全焼をまぬがれないのは誰の目にも明らかだった。私たちの家は風上だったので、延焼の心配をしなくてすんだのは幸いだった。外は氷点下十数度くらいだったろうか、庭木にしたたる水がこおって、樹氷になっていた。道路に塩を撒いている消防士もいた。浄めの塩じゃなくて、氷結を防ぐための塩だけど。

出火後2時間近くたって、オーナーのジューンが帰宅。炎につつまれる自宅を前に呆然と突っ立っている彼女をはちこが見つけ、とにかくうちに招きいれた。ジューンの妹と息子は隣町の親戚の家にすでに避難しており、預かっていた電話番号を彼女に渡した。「あなたに連絡しようとしていたけど、連絡がつかなかったみたいで」とはちこが言うと、「今、私の携帯はサービスが止められていて…」とジューン。うちの電話を貸すと、彼女は淡々と何ケ所かに連絡をした。"I knew it was my house. Merry Christmas..." という彼女の言葉が、ショックの大きさを物語っていて、痛々しかった。いっぺんには飲み込めないものがあるだろうな。一切合切を失うって、どんな気持ちだろう。言葉で慰めてあげられないのが、もどかしい。せめて、何かの彼女の役に立つことができれば。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という御言葉にここまで現実味を感じたことはかつてない。(ぼ)

右手前に見えているのはうち。

2004年12月20日

夕べは本当にびっくりした。というか、恐かった。隣が火事だから逃げてと言われたときは、手や膝が震えて、自分でも何をしたらいいのかわからなかったもの。これが平日だったら、あの時間はまだパパも帰宅していなくて、私一人で子供4人を抱えて相当パニックしていたかもしれない。

一夜明けて隣の家を見ると、屋根は焼け落ち、外壁もめくれ上がり、家の枠は残っているものの、内側は全滅だろうと思われる。焼け残った軒下にはつららが下がっていて、夕べの寒さを改めて思わされた。ジューンからは連絡がないので、その後彼女がどうしているのかわからない。夕べは恐らく、現実を把握することもままならなかったことだろう。今頃は、保険会社に連絡したり、いろんな後処理で駆け回っているのだろうか。

出火当時、ジューンの妹のマリー(名前は全部仮名です)は二階にいた。何かプラスチックがこげるような臭いがしてきたので、まず台所を確認し、さらに臭いのもとをたどってガレージに続くドアを開いたら、そこで車が火を噴いて燃え上がっていたのだという。彼女はいそいでジューンの息子のジョージを呼び、二人は着の身着のまま外に飛び出した。マリーは靴も履いておらず、室内履きのままだった。上着やお財布も何も持ち出す間もなかった。そしてそのままうちのドアをたたいたらしい。後から、「すぐに教えに来てくれてありがとうね」と言うと、彼女は「反対側の隣人は見た事がないから知らなかったけれど、お宅は子供たちをよく見かけていたから、早く知らせなくちゃと思ったのよ」と言っていた。マリーたちはその後、隣町に住む親戚に迎えに来てもらい、とりあえずそちらに避難した。出火してから2時間くらいたって、ジューンが帰宅したが、燃え盛る家の前で、呆然と立ち尽くしている彼女を見つけたとき、私は本当に心が痛んだ。「ジューン、ジューン」と声をかけても彼女はすぐには気が付かず、私が彼女の正面まで行って、大声で「ジューン!」と呼んではじめて、我に返ったように私の顔を見た。私は彼女を抱きかかえるようにして家のなかに迎えいれ、マリーとジョージの居場所を伝え、わかる範囲での事情を説明した。出火したのは二時間くらい前だったと聞くと、彼女は「家が一件燃えるのに、そんなに時間はかからないものなのね」とつぶやいた。ジューンは何件かに電話をかけると、そのまま厳寒の暗闇のなかに出ていった。必要があれば、いつでもうちに来ていいからね、と私たちは言った。その後、夜10時くらいになって、一旦マリーが顔を出した。先に貸していたコートを返しに来たのだった。返さなくてもよかったのに。これからどうするの?と聞くと、調査員と話をしなくちゃいけない、と彼女。話をするならうちですれば?と言ったのだけれど、調査員が来るまで外で待ってるように言われたから、とりあえず車のなかで待機するとのこと。その後彼女たちは戻って来なかったので、多分警察にでも行き、そのまま親戚の家に戻ったのだろうと思う。

今日になってからはジューンからは連絡がないので、番号をもらっておいたジューンの親戚(義理のお姉さん)に電話をしてみた。ジューンは走り回っていて、彼女自身、まだどういう状況になるかわからないと言う。手伝えることがあれば何でもするから、遠慮なく言ってね、と伝えた。私だけでなく、近所の人たちもその心づもりでいるから、本とに遠慮しないでね、と。そして彼女にも私の番号を渡した。

実際、近所の人たちからは私に連絡があり、何かお手伝いしたいから、ジューンにどんな必要があるのかわかったら教えて欲しいと聞かれたのだ。うちの教会の方でも手伝ってくれそうだし。私に連絡をくれた近所の人も、彼女のセルグループも協力するつもりだと言ってくれた。

ジューンたちがこれから対処しなければいけない問題、直面することになる現実の大きさを思うと、私たちにできることなんてたかがしれているけれど、それでも何かできるなら、出来る限りのことをしたいと心から願う。そして、そう思っているのは私一人じゃないとわかったことはとても嬉しかった。今はまだ、本人自身もどんなふうに助けてもらいたいのか自分でもわからないだろうけど、もう少ししたら、具体的なことが出てくると思うから。募金とか、衣類や日用品の寄付とか、食事のヘルプとか… そして、何より祈りで支えることだよね。具体的なこともそうだけど、精神的な打撃はこれから襲ってくると思う。今はまだ気が張っていて、気丈にいろいろ動いているかもしれないけど、失ったものの大きさはこれからだんだんに迫ってくるに違いないから。ちなみにジューンはクリスチャン。神様、この困難な状況にあって、あなたがジューンと御家族の心と、現実的な必要の全てを満たし、守ってください。

早速お見舞いのメールをくださった皆さん、どうもありがとうございます。続けてこの御家族のためにお祈りいただけると感謝です。

2004年12月21日

最近、ちょろちょろとチェックしているサイトがある。オンラインのクリスチャンの新聞、『クリスチャントゥデイ』だ。アンテナに入れておいて、興味ある見出しがあったら見てくる、という程度なのだけど。このサイトで今日更新されていた「日ごとのマナ」のコーナーの文章、おやっと思わされた。これはどなたが書いているのかな。

ちょっと抜粋。12月22日の「日ごとのマナ」〜命の教え〜より

神の命を持っている人の特徴は、彼が外側でうそをつくとき、彼の内側は間違っていると感じることです。内側で不快感を覚えるのです。もちろん、禁止事項だけではありません。直面した出来事にもみことばと真実によって何をするべきか感じるのです。内側に命がある、内側に感覚がある、これがクリスチャンです。命の感覚がクリスチャンの特徴です。表面上の規則は、標準にすぎず、命ではないのです。

…(中略)…内側に一つの命があり、光があり、感覚があるのが、クリスチャンです。内側の感覚こそ、わたしたちが注意を払うべきものです。この内側の感覚は、神の光に照らされることで得られます。これは命から来るのであって、人に聞くことから来るのではありません。

「内側に命がある、内側に感覚がある、これがクリスチャンです。命の感覚がクリスチャンの特徴です」という部分、アーメンと思った。この内側の感覚というのは、人に教えられて得られるものではないよね。ただ、内側のいのちは神から来るものだからといって、じゃあ他者は自分の霊的成長にとって必要ないのかといえばそうではなく、聖書は互いに教え合い、勧め合い、語り合い、戒め合い、励まし合うことも勧めているけれど。(エペソ5:19、コロサイ3:16など)そしてそれはとてもとても大切なことなんだということを、このところずっと教えられている最中の私でした。

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「バウンダリーズ」の表紙デザインをしてくださった村上芳さんが、地引網出版から発売中の「みことばカード」をプレゼントしてくださった。発売中のカードだけでなく、未販売(?)のカードも一揃え、ケースにいれて贈ってくださった。ものすごく嬉しい。

これだけでも充分嬉しかったのに、さらに嬉しかったのは、新宿シャローム教会のワーシップリーダーで、昨年ファーストアルバムをリリースされたシンガーソングライターのMichiruさんのCDも贈ってくださったこと。なんと、この Michiruさんは、村上芳さんのご長男のお嫁さんなんだそうです。Michiruさんの『Love Song』というアルバムを聞いていたら、この夏日本の私の母教会で歌った曲で、私が一発で気に入ってしまった『イエスに栄光あれ』という歌が入っているではないですか! 感激! そうかー、この曲はMichiruさんのオリジナルだったのかぁ。すごーくいい歌です。昨日このCDを受け取って以来、ずっとこれを聞いています。うちの娘たちもこのCDが気に入ったようで「It's so cool!」と耳を傾けています。芳さん、素敵なプレゼントの数々をどうもありがとうございます!

Michiruさんのホームページ

2004年12月22日

昨日ご紹介した「日ごとのマナ」からの文章は、恐らくウォッチマン・ニーの書物からの抜粋でしょうというご指摘をある方からいただいた。なーるほど、ウォッチマン・ニーと聞いて納得。ニーの「キリスト者の標準(Normal Christian Life)」は素晴らしいですよね。(と言っても、私はまだ全部は読んだことないですが。)ただ、その方からの情報によると、クリスチャン・トゥデイのこのコーナーでは、ウォッチマン・ニーの書物からだけでなく、ウィットネス・リーからの引用もたびたびしているようだとのこと。うーむ。ウィットネス・リーのことは、私は詳しくは知らないのですが、ニーが共産党によって幽閉された後、彼が言わばその後を継いだのですね。ところがリーは「人が神になる」と教えてしまい、異端化したのだそうです。よって、ウォッチマン・ニーとウィットネス・リーのミニストリーは切り分ける必要がある、と。ということですので、一応この日記の読者の皆様にもお伝えしておきます。

(以下は一般論として)本質的なことを深くつく「本物」と一緒に、微妙に似て非なる「偽物」が混ぜられてしまうことがあるのは、とても残念なこと。でも、このあたりの見極めは、まさに「内側のいのち」がこれは本物、これは偽物、と教えてくれる。同時に、この「内側のいのち」「真理」は、自分一人が所有しているものでなく、キリストに連なる人には全て与えられていることを忘れないようにしよう。だからこそ、昨日も言及したように、キリストに連なる者同士が、互いに教え合い、訓戒し合い、チェックし合うことはとても大切で、価値あることなのだ。自分一人で走っていると、いつどこで道を逸れてしまうかわからない。私たちには「お互い」が与えられていることは、なんと感謝なことか。そして先日emiさんも書いておられたけど、たとえ神様から示された、語られたと自分では思うことであっても、「間違っている可能性もある」という柔軟でへりくだった姿勢を持ち続けたいものだ。

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ハーベストタイムの番組案内のページに一月の分がでました。『バウンダリーズ』がとりあげられるのは第4週、979回分です。だけど… この案内文、肝心の本のタイトルが空欄になっている… 

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夜中になってからチョコレートケーキをいくつか焼いた。日本人の友達からもらったレシピだから、甘過ぎず、ふんわりととっても美味しい。きれいにラッピングして明日これを普段お世話になっている人たちのところに持っていく。

2004年12月23日

日本はクリスマスイブですね! 皆さん、祝された時を持たれますように。私たちは、明日の夜は近所の教会でのイブサーヴィスに出ます。

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ジューンたちとはその後も連絡を取り合っている。今は彼女たちは近くのホテルにいて、週明けには家具付きの家を借り、焼けた家を建て直すまでの間そちらに住むのだそうだ。この火事のことを聞いたうちの教会のある姉妹がとても心配をして、「これをお隣さんに」と現金の入った封筒を持ってきてくれたので、すぐにお隣さんの滞在しているホテルまで届けて来た。また、パスターとも話をして、教会のホールに彼女たちを支援するための愛の献金箱と日用品などの寄付を受け付けるための箱を置かせてもらうことにした。

皆さんからのお見舞いのメールも、その後もたくさんいただいています。心から感謝します。このクリスマス、このような状況のなかでもジューンたちが主の愛に触れられ、祝された時を持つことができますよう、続けてお祈りいただけると感謝です。

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ケンスケは、日曜日以来やたらと「火事ごっこ」をするようになった。霧吹きを持って、「ファイヤー、ファイヤー!」と叫びながらあちこちに霧を吹いている。それから何度も火事の話をする。私にも「Mom, do you hate fire?」と何度も聞いてくる。私は、家を燃やしちゃう火は嫌いだけど、私たちを暖めてくれる火や、お料理に使える火は好きよ、と答える。当然のことだろうけど、やっぱり炎につつまれる隣家を目の当たりに見たことは、ケンスケにとってそれなりのトラウマになっているのだろうな。こうやって火事ごっこをしたり、火の話をすることで、彼なりに自分の心のなかにある不安や恐れをプロセスしているのだろう。今のところは特に危険と感じさせる兆候は見えないけれど、一応気をつけて見ていようと思う。休みが明けたら、幼稚園の先生にもちょっと相談してもいいかもしれない。

幼稚園の先生といえば、笑える話を聞いた。日曜日の夜は火の手が回るのも早かったけど、噂が流れるのも早かったようで、ケンの幼稚園の先生のところには「ナカムラの家が火事だ!」という情報が入ったらしい。それでびっくりした彼女は、大急ぎでPTAの電話連絡網に電話してサポートをお願いしたそうだ。でも、みんの親友パティのお母さんであり、ケンのクラスの副担任でもあるジュリーがそれを聞いて、すぐに訂正し、連絡網を止めたのだとか。笑えるけど、何だかすごく、ありがたいことだよね。ジュリーにその話を聞いて大笑いしながらも、胸が熱くなりました。身寄りのいない外国暮らしの私たちだけど、こうやってケアしてくださる方たちがいるおかげで、何とかやっていくことができるのだなぁと改めて感謝した。

2004年12月24日

この地区にある高校の3年生の生徒が、今年の初め、ハワイに旅行中、海で溺れて亡くなるという事故があった。卒業を間近に控えての事故だった。その後、彼と一緒に旅行していた友人二人が、最近相次いで自殺した。友人の事故死を気に病み、鬱状態になっていてずっと医者の監視下にあったらしいが、家族の目をすり抜けるようにして首を吊ったのだそうだ。子供たちが希望を失っている、絶望している、子供たちのためにもっと祈らなくちゃいけない、もっとサポートしなくちゃいけない、そういう祈りの課題がまわってきた。

イエスさまは、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすためにこの世に来てくださった。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、すべての悲しむ者を慰め、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためにこの世に来てくださった。だけど、この世にはイエスさまが来てくださったことを知らない人がまだ大勢いる。イエスさまが成し遂げてくださったことを知らず、それを受け取っていない人が大勢いる。

イブ礼拝で、私たちに現されたこの人類全体のためのすばらしい喜びの知らせに感謝しつつ、今、この瞬間も、絶望のなかにいて、自ら死を選ぼうとしている人たちもいるかもしれないことを思い、心臓をギュッとつかまれるような、そんな苦しさを感じた。

2004年12月25日

メリークリスマス! 私たちの主イエス・キリストの降誕をお祝いします。

この時期、近所の家は夜になると色とりどりの電飾を競い合い、通りによってはさながらおとぎの国に迷いこんだような錯覚すら覚える。数少ないアメリカの風物詩とも言える。そんな中で、先日火事に見舞われた隣家だけは壁がすすけてはがれ、窓やドアやガレージにはベニヤ板が打ち込まれ、ドライブウェイには焼け残った車の残骸が放置されたままだ。しかしこの「場違い」な殺伐とした風景を目にするたびに、なぜかイエスさまの生まれたベツレヘムのことが思いおこされる。イエスさまがお生まれになったのは、輝く宮殿ではなく、暗く薄汚い厩の中であった。心のまずしい者に御国を継がせ、悲しむ者を慰めるために来られたのだった。彼を信じる者のために、この世の富をはるかに越える永遠の命というプレゼントを持って。今宵もう一度心の虚飾を取り去って、醜いありのままの自分の中にイエスさまをお迎えしたいと思う。(ぼ)

2004年12月26日

スマトラ沖地震には驚いた。ぼぼる母が今日からタイのプーケット島にツアーで行くことになっていたのだ。大津波でプーケット島では市街地も冠水し、ホテルにいた人たちまで波に流されたりしたらしい。母の出発が一日ずれていたらどうなっていたかと思うと、ぞっとする。まだ安否の確認が出来ていない方たちが、無事に見つかりますようにと祈る。

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クリスマスにもらったティム・ヒューのWhen Silence Falls とクリス・トムリンのArriving をかわりばんこに聴いている。どちらもとても良い。前者では『Beautiful One』が、後者では『Indescribable』と『Mighty is the Power of the Cross』が特にお気に入りかな。(どちらも試聴できます。)

2004年12月27日

上沼昌雄先生が、先生の新刊『苦しみを通して神に近づく』を送ってくださった。嬉しい。また読み終わったらゆっくりご紹介したいと思うが、一言。この本は「叫び」「嘆き」「心と語り」「思い巡らす」の4つの章から成っている。私の日記の読者の方のなかには、私がしばしば御言葉や日常の出来事について「思いを巡らす」という表現を使うことに気づいた方がおられるかもしれないが、この「思いを巡らす」という姿勢は、上沼先生との10年余りになる交わりのなかで、私が先生を通して教えていただいたことだった。結論を急ぐのではなく、すぐにまとまったことを言おうとするのでもなく、主の前に静まり、神様は善い御父であることに信頼しつつ、何かこう、温泉にでもつかりながら凝り固まった疲れた身体をほぐしていくような、ゆっくりと、じっくりと、主に導いていただきながら、主の大庭で憩わせていただいていることを味わう、そして主のお心のなかに入れていただく… 私にとって「思い巡らす」とは、そんなプロセスかもしれない。

『苦しみを通して神に近づく』書評

2004年12月28日

今日はケンスケ、初めて美容院で散髪してもらった。ぼぼるパパにそっくりになったとエミが悲鳴をあげた。(笑)髪を切ってもらっている間、ケンはピーチクパーチクよくしゃべり、美容師さんに「指を切らないように気をつけてね」などと言って感動されていた。「そんな優しい言葉をかけてもらったのは初めてよ」と。

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やっぱり先が長い。目次を見ると気が遠くなる。でもやっぱり、一番の戦う相手は、時間でもなく原稿でもなく、自分のなかにふつふつと湧いて来る否定的な思いか。 とはいえ、年内に終わらそうと思っていたノルマは数日前に完了。不可能を可能にしてくださる主に感謝。さあ、これからが本番だ。一方、ぼぼるパパは風邪でダウン。早く回復しますように。

*****

アンディさんの日記を読んで、この御言葉を思い出した。

詩篇86:11

この箇所は、以前別の人を通して示されたことのあるところだ。今もう一度思い返し、そうだ、私もこんなに心が落ち着かないのは、心が一つになっていないからだと気がついた。「二心ではなく、ひとつだけの真実をもって主の前に出たい」というアンディさんの言葉が、私自身の願いと重なって共鳴する。

2004年12月30日

東京は寒いらしいですね。雪、降ってますか? シカゴは昨日今日と日中10度を越える暖かさです。珍しい。

今日はミツワに行って、懸案になっていたあるものを買って来た。「あるもの」とは、白髪染め。全体を染めるタイプのものではなく、部分的なタッチアップに使うもの。午後、プチ掃除で膝をついて台所の床みがきをしていたら、ぼぼるパパが上から覗き込んで「あー、こんなに白髪が。上から見ると、まるでおばあちゃんに見えるよ」などとおっしゃるので。失礼な。悲しいじゃないですか。それで即刻、「よし、じゃあミツワに行って、日本製の白髪染めを買おう」ということになったのでした。でも、こんなので効果あるのかなぁ…

2004年12月31日

国連のアナン事務総長が「ひどい1年」と呼んだ2004年も終わろうとしている。その締めくくりにふさわしく、昨日私は首の筋をつって上半身が動きにくくなってしまった。もともと数日前から体調を崩して全身の関節が痛かったのに、いよいようっとおしいことになった。高速道路で車線変更するときの目視が特にきびしく、1時間も運転すると首から右の背中にかけてしびれてしまう。肩こりを5倍くらい強烈にしたかんじだ。

高速道路といえば、元旦よりイリノイ州の高速道路はI-PassとよばれるETCシステムの普及期間に入る。いままでも料金所のゲートの3分の1くらいはETCに対応していたが、いっこうに交通渋滞が解消されないので、さらにその割合を広げようということらしい。普及期間といえば聞こえはいいが、実情は元旦からETC以外の通行料金を2倍にするというから強引な話だ。そう頻繁に高速を使うわけではないのだが、さすがに2倍の料金を払うつもりはないので、あしたスーパーに行って前払い式の車載器(50ドルなり)を買ってこよう。

*****

数日前に上沼先生の話が出たが、去年、先生の『夫たちよ、妻の話を聞こう』や、石井希尚先生の『この人と結婚していいの?』をはちこから「これ読んでよ」と手渡されて、ぱらぱらと流し読みしたときには、まあ夫婦なんてそんなもんだよねくらいにしか思わなかったけれど、ここ一年ばかり自分とはちこのコミュニケーションについていろいろ考えてきた結果、私たちの間には、どうやら埋めることのできない大きな違いがあるらしいことがおぼろげながらわかってきた。(この点では、石井先生の主張が正しいことが証明された形だ。)

まず、はちこの話を聞くといっても、ただ時間をとって聞けばいいというものではないことがわかった。実際、私たちは毎日結構顔をつきあわせており、はちこの言うことはかなり私の耳に入っているはずなのである。では私たちの間にコミュニケーションギャップがないかというと、そんなことは全然ない。むしろ、いっしょにいる時間が長くなるほどケンカの回数も増えるかもしれない。どれだけ話を聞いているかではなく、どう聞くかということが問題らしい。

たとえば、私が仕事から家に帰ってくるや、はちこが「大変、大変。きょう、お隣さん、火事だったのよ」と言ったとしよう。ここで私なら、しばらく考えたあと、「よし、じゃあ、晩飯の後、バーリントンコートファクトリーに買い出しに行こう!」と言うのがごく当たり前の反応なのだが、どうもこれがはちこには通じないらしい。「何で私の話を聞いてくれないの」という気持ちになるらしいのだ。私にしてみれば、話を聞いていないどころか、聞いたことに対して極めて迅速な対応を練っているのに。(お隣さんには10代の息子がふたりいるな→この時期火事で焼け出されたとなると、冬の寒い中着るものもなくて大変だろう→少なくともコートのたぐいを差し入れなければ→そういえばバーリントンでセールをやっていたはずだ。あそこなら品揃えも多い→バーリントンが閉まるのは夜の9時だから、晩ご飯を食べてからでも充分間に合う)という一連の考察の結果、上のような返事になるのだ。我ながらよく考えている。トコロガ、はちこは自分が全く取り残されてしまったように感じるらしいのだ。

上の例で本人に確認したわけではないが、今までの観察から、はちこが期待しているのは次のような会話なのではないかと推察される。

は 「大変、大変。きょう、お隣さん、火事だったのよ」
ぼ 「お隣さんが火事?」 (はちこが言ったことを繰り返すことで、ちゃんと聞いたよ、と認証)
は 「留守だったみたいだけど、煙がモクモク出て、うちに燃え移るんじゃないかと思ってどきどきしちゃった」
ぼ 「それは、恐かったなあ」 (はちこの気持ちに共感)
は 「子供たち4人を外に連れて、パティのうちまで連れていくの、一人で大変だったよ」
ぼ 「ご苦労さんだったね。誰もけがしなくてよかった」 (同上)
は 「消防車が来るまで15分もかかって、火のまわりが早かったから、ほとんど全焼よ」
ぼ 「15分も?それはかかりすぎだな」  (認証) 
は 「ほんとうにお隣さんには気の毒よ。何か私たちでできることはないかしら」

と、事態への対応に話が移るまでに延々4〜5回のやりとりが交わされる。正直言って、私にはこのようなやりとりはまどろっこしくて耐えられない。相手が言ったことを繰り返すだけなら誰にでもできるではないか。なぜ早く手を打つことをすぐ考えないのかと思ってしまう。しかし、対策を練ることも二人でゆっくりアイデアを出し合って決めて行こうというのがはちこの期待するところらしい。つまり、私はあくまで結果重視なのに対し、はちこはプロセス重視なのである。パウロ型とバルナバ型と言ってもいいかもしれない。このふたりが激しい反目に陥ったように、結果型とプロセス型は噛み合わないことが多い。とすると、いままで口には出さなくても、はちこは私には話をしてもむだだと感じることが多々あっただろうなあと思う。結果重視の私は人とひと月ぐらい話をしなくても全然苦にならないが、プロセス重視のはちこの場合そうは行かない。私に話を聞いてもらえないと思う不満がつのっても不思議はない。

まずは、違いに気がつくということが大事なのであろう。今まではエペソ5章22〜33節を読んでも、ふむふむとしか思わなかったのが、現にこのような埋めることのできないギャップを目の前にすると、居住まいを正される。現状と理想の間にある深い谷に目を覚まされる感じ、と言ってもいいかもしれない。「バウンダリーズ」では、私は単なる扶養者、育児のパートナーとしてだけではなく、愛情ある夫としてはちこと気持ちを通わせる責任がある、と学んだ。はちこの必要に応答できないことは、自分の責任を怠っていることになる、と。二人のコミュニケーションモードの違いを考えたとき、これはすごくチャレンジングなことである。ほっといて自然にできることではないからだ。こう考えるとまたまた自分の中の問題解決性向が燃え上がるのを感じる一方、これが一朝一夕に行かないことも明らかだ。プロセスなしの結果はないということかもしれない。これだけ違う二人がお互いを独立の人格と認めつつ一心同体でいるというのは、まさに「偉大な奥義」としかいいようがない。(ぼ)

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