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はちことぼぼるの日記

エントリーの最後に(ぼ)とあるのはぼぼるパパによる日記です。

2004年10月1日

夕べ動揺していた件は、もしかしたら私が祈っていたことに対する神様からの答えの一部かもしれない、ということに気付いた。と同時に、神様の御手が置かれていたこと、ご介入が確かにあったことを改めて思わされた。しかし相変わらず私の好奇心はうずいているが。(笑)

ここ数日、先日も書いた「Through faith, we are kept by the power of God」(第一ペテロ1:5)が何度も思い起こされ、とても励まされている。ついうわーっと叫んじゃうこと、動揺すること、さじを投げたくなるようなこと、いろんなことがあるけれど、それでもGreat keeping power of God が私を支えてくださっていることを信仰によって告白できるとは、なんと素晴らしいことだろう。

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今夜は泊まりがけで、教会の婦人リトリート(修養会)。楽しみです。

2004年10月2日

修養会から帰って来ました。楽しかったけど、疲れたー。普段ゆっくりお話しする機会のない婦人たちともゆっくり交わることができて、感謝でした。ゲストスピーカーによるメッセージもよかった。神様の慈しみと、権威について。私が「主」とお呼びしているお方、私のうえに一切の支配権を持っておられるお方は、慈愛に満ちた神であると知っていることは、なんという幸い。

さて、帰宅してみると、何人かの方から「『バウンダリーズ』が届きました!」のメールが入っていた。予約注文して購入して下さった皆さん、どうもありがとうございます。(発送は木曜日と金曜日の二日にかけて行なったそうなので、まだ届いていない方のところへも月曜日には届くと思います。もう少しお待ちくださいね。)そして早速感想メールを送ってくださった方、本当にどうもありがとうございます。今後も、『バウンダリーズ』の御感想をはちこ and/or 出版社さんの方までお寄せ下さるととても嬉しいです。皆さんからの声が伺えることは、翻訳者として一番の報酬です。よろしくお願いします。(はち)

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エミは合唱部とオーケストラの選抜グループのオーディションに無事両方とも合格した。しかし仲のよかった何人かの友達が合格できなかったことが結構ショックだったようだ。昔大学入試の合格発表の時、私も似たような体験をしたことを思い出した。

新学期が開始一週間がたち、すでにどっと疲れが出ている。今学期教えているのは学生数10人の少人数クラスなのだが、学部生と大学院生の混合クラスで、明らかに学力にばらつきがある。このコースを完了するためには、気象海洋の予備知識は前提としていないが力学と微積と基本的なプログラミング能力は必須である。しかし、しょっぱなから「プログラミングをしたことがありません」という学生が複数出て来て、おおいにめげる。まがりなりにも地球物理学の専攻で、プログラミングの経験ゼロというのでは、データをいじったり積分計算をするのにどうするんだ。「この際学んでくれ」と言い放って、ついてこれる学生だけを相手にすべきなのだろうが、そうすると学生数が半減するか、TAの負担が倍増するかのどちらかだろうな。まだ試験や宿題を出したわけではないので何とも言えないけれど、感じとしてはできるグループとできないグループの両極分布で、こういうクラスに平均的なレベルで話をしても、誰も満足しないという、いわゆるno win situationが出現する確率が高い。やれやれ。

今年は学科でカリキュラム委員会の委員長を仰せつかっているため、てめえのクラスだけでなく学科全体のカリキュラムに目を光らせなければならず、手がぬけない。待った無しのacademic cycleがまた始まった。(ぼ)

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ぼぼるパパは横浜出身だけど、両親がそろって江戸っ子なのでその影響か、ときどきべらんめえ調になることがあって、そのたびに私はなぜかハラハラしてしまう。(はち)

2004年10月3日

コーヒーって、飲んでいた時には一日に何杯となく飲まずにはおれなかったのに、一旦減らすようにしたら今度は飲みたいという気持ちすら湧かなくなった。修養会ではみんながコーヒーを飲んでいるとき、私はカモミールティーを飲んでいた。もともとハーブティーはあまり好きじゃなくて、カモミールティーにいたっては嫌いの部類だったのに、今回は美味しく飲めたので自分でもびっくりした。

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エミの親友、ブリアナのお母さんのサンドラ(仮名)が今度の土曜日に結婚する。サンドラにはブリアナの他に大学生の息子がいるが、サンドラは今までずっとシングルマザーだった。今回が彼女にとっての初めての結婚。相手のショーン(仮名)と一緒に暮らし始めた頃は結婚はしないと言っていたのだけれど、この一年くらいの間の間に気持ちがかわったらしい。サンドラはお母さんがクリスチャンで、本人も信仰を持っていたけれど、若い頃に一旦神様から離れ、その後いろいろあってキリスト教系カルトに入っていた時期もあった。私がサンドラと初めて出会った十年前、彼女はカルトから抜け出したばかりで、まだ心に傷を抱えていた。長い話なのでその後のことは省略するが、彼女は、娘のブリアナにはしっかりした信仰を持って欲しいと願い、教会やユースグループやキャンプなど、いつでも喜んでブリアナを送り出してくれた。そして、ブリアナが霊的にどんどん成長していくのを目の当たりに見るにつけ、彼女は自分の生活も神さまの前に立て直さなければいけないと思ったようだった。それで、当初は結婚はしないと言っていたのに、やはりきちんとけじめをつけ正式に結婚することに決めたらしい。そして、うちの教会のユースパスターに結婚の司式を頼み、彼のもとでショーンと二人、ずっと結婚カウンセリングも受けている。教会へも、毎週ではないものの、ショーンを連れて来るようになっていた。ショーン自身は実家がメソジストなんだそうだが、本人が個人的に信仰を持っているわけではない、とサンドラは言っていた。そんな彼をカリスマティックな教会に連れてくることを彼女はちょっと心配していた。でも、ショーンはあまり嫌がる様子もなく、サンドラに言われるままに礼拝に出席していた。

そのショーンが、今日は一人で教会に来ていた。サンドラはどうしたの?と聞くと、ウェディングドレスの準備でインディアナに行ったという。そして、彼自身、今日は午後から南イリノイで仕事があるので、二時には出発しないといけないんだ、と言っていた。礼拝の最中、彼は一人で居心地悪くなってないかな、と時々様子を盗み見したのだけれど、彼は一人でも嬉しそうに賛美していたし、礼拝の最後のお祈りの時間には、立ち上がって祈ってもらっていた。

その様子を見て、私はものすごく感動してしまった。もし彼が、ただサンドラに合わせるためだけに教会に来ていたなら、サンドラは留守で自分も午後から仕事で遠出をしないといけないような日に、わざわざ礼拝に来るだろうか。何度か教会に来たりカウンセリングを受けているうちに、きっと彼自身の心のなかに神様に対する飢え乾きのようなものが出て来たのだろう。ブリアナの信仰がサンドラに影響を与えただけでなく、ショーンにもこんなふうに影響を与えているなんて! ハレルヤ、神様は素晴らしい。誰かが神様に触れられ、人生が変えられて行く様子を見るのはとてもエキサイティングだ。土曜日の結婚式が済んだら、今度は三人が揃って受洗なんていう日がそう遠くないうちに訪れるかもしれない。(^^)

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しばらく前に注文したのに発売早々バックオーダーになっていたRevival in Belfast 2 が昨日ようやく届いた。前作をしのぐ…とまでは言えないにしても、これはこれでとても良かった。ケルティックサウンドとロビン・マークの太い声が耳に心地よくて。

2004年10月4日

『境界線(バウンダリーズ)』の翻訳者献本が届いた。光沢の美しい紙を使った素晴らしい装丁で感動してしまった。朝から表紙ばかりをためつすがめつして見ているが、何だか怖くて(?)表紙を開けないでいる。『ヤベツ』のときもそうだった。私は出来上がるまでは何度でも読み返すけれど、一旦出来上がってしまうと、なぜだか読めなくなってしまう。日本語版の『ヤベツ』を自分でもじっくり読んでみたのは、出版されてから一年以上たってからだったと思う。

一方ぼぼるパパは私とは全然違う。やっぱりもともと芸術家肌というか、クリエイタータイプだからか、彼は自分が造ったものを念入りに吟味し、そしてとことん愛でる。『バウンダリーズ』のことも早速じっくり読んでいる。そんな彼を見ていると、そこに創造主である神さまのご性質が反映されているような気がしてくる。神さまも、ご自身がお造りになったものは念入りに吟味し、手入れし、そしてとことん愛でられるお方だろうと思う。

さて、私も誤字脱字などがないかを確認するためにも、読み返してみますかね。再刷になることを信じて。

Lord, I ask that You would use this book to touch people's lives and to draw them closer to You.

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「ちょっと泳いで来る」そう言って出かけて行ったぼぼるパパが、20分としないうちに帰って来た。

「なんと、水泳パンツ持って行くのを忘れた。ズボン脱ぐとこまでやって、それで気がついたんだ。」

「悲しかったでしょ。銭湯じゃないからねぇ。裸じゃ入って行けないもんね。」と私。

あ、それで思い出した。今朝、ぼぼるパパと一緒に郵便局の集配センターに日本から送られて来ていた本を取りに行ったとき、彼はジャージの上下に革靴というスタイルだった。彼曰く、「だって、革靴の方が履くのが楽だったから。どうせ俺は車を運転するだけで、外には出ないからいいだろうと思ってさ。」それにしたってジャージの上下に革靴ってのは、やめて欲しいよね。(笑)

しかし、実は私も人のことを笑えない経験がある。あれは確か去年の2月頃。夕拝に行くのにきれいなワンピースを着ていたのに、家を出るときぼんやりしていて、普段ジーンズにあわせるスニーカーを履いて教会に行ってしまったのだった。しかも恐ろしいことに、自分では全然そのことに気付かず、前に出てワーシップチームの一員として歌っていた。そして礼拝の途中で祈るために頭を垂れたとき、自分の足下が目にはいり驚愕した。「なんでスニーカーなんか履いてんのよっ!」私は内心怒号をあげた。

この時は教会の分裂問題の最中で、私はものすごーく落ち込んで暗くなっていたのだけれど、足元のスニーカーを見たら可笑しくて可笑しくて、みんなが敬虔に祈っているなか、一人で笑いを押し殺すのに往生するという非常に不謹慎な事態になってしまったのだった。そもそもこの日はひどく落ち込んでいたからこそ、出かけるときも靴のことにまで気が回らなかったのだと思う。でもおかげでその後はリラックスして賛美することができ、神様もユーモアのセンスがあるというか何というか。(というより、やっぱり単に私が間抜けなだけかなぁ? でも、普段の私は靴と洋服の組み合わせにはとても気をつかう人なんですよー!)(はち)

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ううー、CナイルなMe↑。歳は争えない。そういえば先日、教会のバンドのドラマーのジェフが私よりひとつ年下であると聞いて、おおいにショックを受けた。彼にはもうすぐ大学生になる息子もいて、ずっと年上だと思っていたのに。つまり、ベースのアルさんとトロンボーンのロブさんを除くと、チームで私が最年長ということかい?いやだねえ。

それはともかく、今日は「バウンダリーズ」の出版を祝って、種無しパンならぬ具なしインスタントラーメンのセレブレーション・ブレックファストをはちことふたりで食べた。

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20年以上アメリカにいても、英会話はむずかしい、と思う事がある。特に苦手なのがマクドナルドやバーガーキングのドライブスルー。私の記憶力はとても良いのだが非常に短いため、家族6人のオーダーを車の中で聞いて全部覚えておくということができない。しかたがないので、オーダーを言うときにはいつも助手席のはちこにひとつひとつ言ってもらってそれをそのまま伝えるのだが、同時に店員が聞いてくる質問にも答えなければならない。「飲み物は何にしますか」「カップホールダーは要りますか」「オマケは男の子用ですか女の子用ですか」どうするか考えているうちにオーダーの確認がおろそかになって、いざ食べ物を受け取ってみると、あれが足りなかったりこれが足りなかったりする。我々がよく行くマックには黒人の従業員が多く、彼ら独特の発音がとくにスピーカーを通して聞いたときに聞き取りにくいということにも一因がある。

黒人英語と言えば、むかしニュージャージーのショッピングモールで、はちこと一緒に何かに使うための布を買いに行った時、たまたま品切れかなにかで、そこの黒人店員が「チワワ!」と言った。はちこも私も何のことだかわからず、顔を見合わせて「チワワ?」と聞き返すと、店員はうなずいて「Yeah, チワワ!」と繰り返す。「オーケー…」狐につままれたような気持ちで外に出て、コンコースの向こう側をぼんやり見た私は、とつぜんひらめいた。

「チワワって、"Try Woolworth" (ウールワースに行ってみな)だよ!」

やっと合点が行った我々はウールワースののれんをくぐったわけだが、何がおかしいって、こっちがわからずに日本語の発音で「チワワ」と言ってたのにちゃんと店員には通じていたことだ。

逆に、ことばははっきり聞き取れていても、それが予想外の言葉であった場合、会話がなりたたない場合もある。むかし、スーパーのレジで品物を紙袋に入れるかビニール袋に入れるかという意味で店員が「Paper or plastic?」と聞いていた時期があった。ところがあるとき、外国から帰国したアメリカ人の宣教師がそう聞かれて、全くなんのことだか理解できなかったそうだ。彼がアメリカを離れるころはまだそのような習慣がなかったからで、てっきり「支払いは紙幣にしますか、クレジットカード(プラスチック・マネー)にしますか」と聞かれているのかと思ったそうだ。

こう考えると、会話をなりたたせているものは発音や文法だけではなく、状況ごとに一定の言葉や節回しが使われることへの暗黙の期待が大きな比重を占めていると思われる。この期待が裏切られると、英語そのものは完璧でもコミュニケーションがなりたたないことが往々にしてある。そのような状況に応じた表現というのは、アメリカにいても場数を踏んでやっと学んでいくものなので、日本の学校英語だけではやはり限界があるだろうなあと思う。もちろん、読み書きも含めた総合コミュニケーションを考えた場合、学校英語をきちんと習得することは必須であるが。(ぼ)

2004年10月6日

今日のミッショネットのレッスンでは、ローマ12:1、2がテーマだった。 この半月あまり、ずっと繰り返し思いをめぐらし、味わっていた御言葉がこんなところにもまた出てきたので驚いた。(実は、日曜日の朝の礼拝メッセージもこの箇所からだった!)ここは本当はこれまで私にとってちょっと苦手な御言葉だったのだけど、今日は喜びとエキサイトメントをもって、私がこの半月あまり教えられてきたことを子供たちに分かち合うことができたので感謝だった。

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茨城県南部で震度5の地震があったそうですね。大丈夫でしたか? はちこ母やぼぼる母が住んでいるあたりは震度3くらいだったみたい。

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今、JCFNのHPを見ていて発見。いつもJCFNの会報でユニークな4コマ漫画「トミ吉の聖書レッスン」を披露してくれているトミ吉くんの、オリジナルみことばカレンダー2005がいのちのことば社CR企画から発売になるそうだ。(商品番号56786 :2005年 トミ吉特製イラスト入りカレンダー \800 10月上旬入荷)すごいぞ、トミ! 彼は大学でアートを専攻していて今年のお正月にうちに来たとき、もうすぐ卒業なのでその後の導きを祈っていると語ってくれた。ここにひとつ道が開かれてよかったね! 

2004年10月7日

子供達のインフルエンザの予防接種の予約を入れておこうと思っていた矢先に、ワクチンの製造工場で汚染が見つかった為、工場が製造中止処分となり、アメリカでのワクチンが大幅に足りなくなりそうだというニュースが流れた。リスクの高い二歳未満の子供と高齢者が優先されるらしい。う〜ん、ま〜やみたいな喘息持ちの子はどうなるんだろ。明日クリニックに電話して聞いてみよう。

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『バウンダリーズ』を早速読んでくださったアンディさんから、この本の表紙に関してとても嬉しいコメントをいただいた。許可をいただいたので御紹介。

この表紙の絵は「境界線 」の意味を、まったく上手に表現しています。
私たち自身(霊、肉、魂)を一軒のHomeにたとえておしえてくれます。
自分と隣人との間の垣根が低く、美しい花が咲いて自分も隣人も
その恵みにあずかっています。
隣人とのコミュニケーションはスムーズです。
しかし垣根を越えて不しつけに押し入ってくる人はいないし、
自分も乗り越えません。
親密な交わりを持つときは、ゲートを開く選択によってはじまります。

自分の家を愛する人は、他人の家も侵しません。
自分の家をきよめる人は、汚れ(罪)をそのままにしません。
不燃物を自分の領域に置かれないように、
(サタンの足台を築かないように)ガラクタは貯めこみません。
この家はきっと
イエス様を迎えて家の中に光が灯っています。

アンディさんのおっしゃる通り、この表紙のデザインは確かに「境界線」のことを上手く表現していると私も思います。アンディさんのコメントを読んで特に「おっ」と思ったのは、垣根には美しい花が咲いて、自分も隣人もその恵みにあずかっている、というくだり。そう、境界線というのは、人と人を隔てる冷たくて厳しくて何だか嫌なもの、というわけでは決してないんですよね。適切な境界線が引かれる時、関わる人たちはみなその恵みにあずかることができるのですね。アンディさん、ありがとう!そして内容にふさわしい素晴らしい装丁をしてくださったデザイナーの村上芳さんにも心から感謝します。

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明日までにやらないといけないことがある。今夜は徹夜かも…(泣)

2004年10月8日

夕べは結局、一時過ぎには寝た。

今朝は、教会の婦人会で境界線について分ちあうことになっている。人前で話すのは苦手なので、内輪のグループとはいえ、結構ナーバスだったりする。(苦笑) ああでも、今日集まってくださる婦人たちに、彼女たちが必要としていることを語ることができますように、聖霊さま、助けてください。

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婦人会は楽しかった。かなりいろんなことをしゃべったのだけれど、それぞれに、何か一つでも心に留まって、そこから祈り聖霊様に導きを求めるきっかけになればいいなぁと思う。

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明日はサンドラとショーンの結婚式。屋外での式とレセプションになる予定なんだけど、お天気は大丈夫かな? (今日は一日雨だった…) エミは、レセプションでBGMとしてのヴァイオリン演奏をすることになっている。サンドラもショーンも、アイリッシュ系なので、ケルティックな曲目をいろいろ用意している。幸い、エミのヴァイオリンの先生がやはりアイリッシュだったため、彼が選曲を助けてくれたのだそうだ。

それにしてもサンドラとショーンが神さまの前に誓いをたてて、夫婦としての歩みを始めることになったのは本当に嬉しい。祝福がたくさんありますように。

2004年10月9日

ああ、とてもいい結婚式だった。お天気も雲一つない快晴で、少し寒くなるかと思ったけど半袖でも大丈夫なくらいだったし、サンドラもショーンもとても幸せそうで、本当に良かった。式場はインディアナ州で、うちから車で2時間くらいのところにあるアイリッシュインというコッテージ風のホテル。アットホームで素敵だった。なんだかケンスケもすっかり楽しんだようで、帰り際「明日もウェディングだったらいいのに」などと言っていた。(笑) エミのヴァイオリンも私が期待した以上に上出来だった。小川が流れる庭園でみんなが写真を撮ったり歓談しているそばでずっとBGMとしてヴァイオリンを弾き続けたのだけど、スピーカーに通さなくても音がよく響き、とても雰囲気を盛り上げていて良かった。(^^)そして、何よりも良かったのは、サンドラとショーンがこの結婚を神さまの前に差し出してコミットすることができたこと。あー、私も幸せ。主よ、感謝します!

2004年10月10日

今週末もあっという間に過ぎた。さて、明日から水曜日まで、ぼぼるパパは会議でコロラドに出張。しかしなぜか荷物のなかには釣り竿をはじめとする釣り具一式が入っている。ううむ、この出張の本当の目的は何なのだろう?

2004年10月11日

今日はま〜やの体操教室の初日だった。この子はなかなか才能があるかもしれない。(親ばか)

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パパは出かけた。でも、よく考えてみると、目的地はコロラド州ボールダーだという以外、滞在先のホテルの電話番号はおろか、名前も聞いてないし、どこの航空会社のどのフライトで出かけたのかも知らない。何かあったらどうするんでしょうね。せめて早く連絡をくれればいいのに、到着したら早速釣りにでも行っちゃったのか、今のところ音沙汰なし。もうっ。

それにしても、以前は彼が泊まり掛けで出かけると、不安だったり寂しかったりしたものだけど、子供が4人になった今は寂しがっている暇などなくなった。さあ、今夜ももう一仕事だ。

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パパからメールが入った。「ごめんごめん。チェックインするまえにさっそく釣りに行ってた」だって。そんなことだろうと思ってましたよ。で、これが今日の収穫だったらしい。全長20センチのブルック・トラウトだそうな。頭が輝いちゃっているのはなぜ? 川の水は澄んでいてとてもきれいなので、魚を手でさわってもヌメリがなく、全然生臭くならないのだそうです。こんな魚なら、食べたら美味しいだろうなぁ!

2004年10月12日

今日も一日中忙しかった。今夜は楽しい夢が見れるといいなぁ。これから眠りにつくという時間帯にお住まいの方、皆さんの睡眠が祝され、ぐっすり眠って十分な休息がとれますように。これから一日を始めるという時間帯にお住まいの方、皆さんの今日一日の手の業が祝され、歩みが確かなものとされ、決断のうえには主からの知恵と導きがあり、一瞬一瞬喜びと平安に満たされていますように。

すべてをそっと主に委ねる

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今日の収穫だそうです。(クリックすると大きいのが見れます。迫力です。)ううむ、はちこにはこれはちょっと刺激が強過ぎるかも。このカラフルな斑点が、ちょっと… でも、大きいね!すごいよ、パパ! 

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夕べは悲しい夢をみた。とても悲しくて、泣きじゃくりながら目が覚めた。ただ不思議なことに、具体的に何がどう悲しい夢なのかは思い出せないのだけど。朝起きたら、ただ悲しさだけが残っていた。

…だけど、どうせ夢だから。現実には「勝利者」なんだものね。第一ヨハネ4:4

2004年10月13日

夕べは熟睡して気持ち良く目覚めました。ずっと前に、睡眠が祝福されるよう祈ってから寝るのはいいことだという話を聞いたことがある。人間は人生の三分の一から四分の一を眠っているのだから、その時間を祝福のなかで過ごすかどうかは人生の質に大きな違いをもたらす…みたいな話。日本にいらっしゃる方は、これからお休みになるところでしょうね。皆さんの睡眠が祝され、ぐっすり眠って十分な休息がとれますように! たとえ短い時間しか睡眠時間が取れない方も、深い眠りのなかで身体と心の疲れが癒され、明日の朝すっきりとリフレッシュされて目覚めることができますように! そしてこれから新しい一日を始められる方々は、This is the day that the Lord has made! Let us rejoice and be glad in it! Blessings to all.

さて、パパから送られてきた日記です。(はち)

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>でも、大きいね!すごいよ、パパ! 

いや、そんなに大きくないんだよ。片手で魚をぶら下げて、もう片方の手でカメラを持って至近距離から撮ってるから大きく見えるのである。(右下に魚をぶら下げた私の影が映っているので、大体わかると思う)

どうも出張の名目で魚釣りに出かけていると思われているようなので(釣りも目的の一部であることは否定しないが)、会議にもちゃんと参加していることを付け加えておきます。実際に魚を釣っていたのは日没前の2時間と日の出後の2時間で、のべ15時間にわたる会議に比べれば大した時間ではない。その4時間のために釣り竿やバカ長とよばれる胸当てズボンとフェルト底の長靴が一体となったものまで荷物に入れて行くのは、確かに大変だ。しかし、コロラド州で開かれる会議の合間ぐらいしか、今の私には渓流でフライフィッシングをするような時間はとれないことも事実で、いきおい気合いが入ってしまうのである。

現場に着いてみると水量がずいぶん少なくて釣果があやぶまれたが、初日に3匹、二日目に3匹、つごう6匹の中小型のブルッキーを釣り上げて、まずまずの成績。とくに昨日の朝の一匹目は、餌を求めて水面に何回も浮上していた「見える獲物」を、ドライフライを使ったパーパス・ドリブン・キャストで見事にとらえたのでエキサイティングだった。釣りの腕はそれほど衰えていないかなと思ったが、明らかに衰えたのが視力。私は読み書きにはバイフォーカルの眼鏡を使っているのだが、それを使っても小さな毛針に糸を通すのが2、3年前と比べて疑いもなく困難になっている。

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会議のあとのレセプションではコロンビア大学のLorenzo Polvaniから大昔に書いた傾圧不安定理論の複数の論文について質問を受け、成層圏対流圏の相互作用について情報と意見をかわす。またハワイ大学のKevin Hamiltonからは横浜のEarth Simulatorの計算結果解析に関する苦労話を聞いた。出なくていい学会には極力出ないようにしている私にとっては、この会議(大学間連絡会)は同僚と交わる年に一回の貴重な時間であり、今年も例年に劣らず有意義であった。(ぼ)

2004年10月14日

ぼぼるパパは夕べ遅くに帰宅。帰宅早々、今日の講議の準備だとかで明け方まで仕事していた様子。6時に起きた私と入れ代わりで今はお休み中だけど8時半には家を出るので、二時間くらいしか眠れないのかな。彼の睡眠も祝福されますように。

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『バウンダリーズ』を読んで下さったMasakoさんという方が、ご自分のHPで以下のような紹介文と共に『バウンダリーズ』を紹介してくださいました。心に感じるものがあったので、Masakoさんの許可をいただき、ここに転載させていただきます。

特に、第二次大戦後の短い、日本のキリスト教会、特に福音派の歴史のなかでは、たぶん、キリスト教がキリスト教としてストレートに消化され、伝えられてきていなかったために、『みことば』『聖書の教え』の前に人の心というのが軽視されてきたような気がしますが、近年、その反動でか、過度に「ありのままでいい」ということを強調する風潮があったようなジレンマがありました。早くからキリスト教会に行ったがために、かえって自分の心を見失って生きてくるようになったのは、私にとって悲しむべきことですが、かといって、私の何もかもがありのままで良しとされて、いいはずはない。・・・私たちは、神の前に、自分の何を肯定し、何を否定するべきなのか、どのように自己を保っていったらいいのか。この本はそれを明確に教えてくれている気がします。そして、『健全な境界線』が私のなかで形成されていくとき、神さまとの関係が、人との関係が、自分との関係がよくなっていき、過去の人間関係で受けた、一番深い傷さえも、いやされていくのだと思います。私にとって、今までどうしても抜け出せなかったところから抜け出す道を教えてくれた、貴重な一冊となりました。

Masakoさん、お分かちくださってどうもありがとう。ここには書ききれませんが、何だかいろいろなことを考えさせられ、祈らされました。Masakoさんのうえにも、主の祝福を心からお祈りいたします。

天のお父さま、あなたの子どもたちが、愛と尊敬に溢れた自由な人間関係を、喜びと充足感に満ちた生産的な労働と奉仕を、本来神さまが意図しておられた豊かないのちを、自分のものにすることができますように。成熟に向かって進んでいくことができますように… イエスさま、あなたの贖いの御業はすでに完成されていることを感謝します。

2004年10月15日

もう金曜日だ。一週間があっという間。今夜から明日にかけてはミッショネット恒例のスリープオーバー(お泊まり会)。この一ヶ月くらい準備で大わらわだった。今年は「Mission Possible」というテーマで、それに合わせたお話やクラフト、ゲーム、スナックなどが用意され、会場もスパイ風に飾り付け。(指紋や足跡のプリントを床や壁に貼ったりとかね。)去年は子供たちは午前四時頃まで起きていたらしいけど、私はちゃんと午前二時には寝るぞー。彼女たちのパワーにはつきあってられん。遅くまで起きているのは30代の若い先生にまかせます。(笑)

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アンディさんが日記で『バウンダリーズ』の感想を書いてくださっていますね。どうもありがとう!(^^)

アンディさんの日記 Tea Time (十月十四日分)

ちなみにアンディさんは私と同い年の主婦の方。いつも楽しいお交わりをありがとう。そして、今月がお誕生月なんだよね? おめでとう!

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夕べはすごく嬉しい夢を見た。でも、目が覚めてからそれが夢だとわかって、思いきりがっかりした。だって、すごくリアルだったんだもの。正夢になったらいいんだけど。

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そういえば先日、<葡萄の実>ほん訳ミニストリーのうさたろうさんが御連絡くださり、ファミリーライフジャパン発行の『将来の魂−新しい時代のための子育て』(アンディ・ミーコ著1999年)のなかでも、クラウド&タウンゼント博士の本に基づいて、子どもたちが自分の境界を定めるのを助けることの大切さに言及されていることを教えてくださいました。うさたろうさんはこの本の翻訳に関わられたそうです。この本もとてもよさそうですね。日本キャンパスクルセードを通して注文できます。 うさたろうさん、感謝! 

ちなみにうさたろうさんは現在、スポルジョンの説教全編を日本語に翻訳し、ウェブ上で公開という壮大なプロジェクトに取り組み中。現在300編あまりアップされています。(スポルジョンの説教って、確か全部で3500編以上あるんでしたよね?)固めの食物を必要とされている方、是非ご覧になってください。

Metropolitan Tabernacle Pulpit (スポルジョン説教集 翻訳 by うさたろうさん)

2004年10月16日

スリープオーバー(お泊まり会)には、30数名の女の子たち(三歳から十三歳)が集まって、とても楽しかったです。普段は年齢別に分かれてのアクティビティが多いなか、こういうふうに縦の繋がりを大切にしたイベントって、とってもいいなと思った。年上の女の子たちが小さい子たちの面倒をみて、クラフトやスナックを取るお手伝いをしていたり、髪の毛を三つ編みにしてあげたりマニキュアを塗ってあげたり、見ていてとても微笑ましかった。こういう世代を越えた交わり(ちょっと大袈裟)って、絶対大切だと思う。だって、「家族」って本来いくつかの世代が一緒に暮らすものなのだもの。自分と同世代のことしか理解できない、関われない、ではなくて、上の世代とも下の世代とも、互いに学びあったり助け合ったりしていきたいよね。

それから夕べのもう一つの収穫。ホームメイドのキャラメルソースのレシピをもらったこと。とろとろに溶けたあったかいキャラメルソースを、スライスしたリンゴにつけて食べるの。すっごく美味しい。病みつきになりそう。忘れないようにここにも書き留めておきましょうか。

Caramel Sause (for apple wedges)

1 can Eagle brand Sweet Condensed Milk
1/2Cup margerine
3/4 cup light corn syrup
2 cups light brown sugar
Dash of salt

Combine and bring to slow boil, constantly stirring --about 15 min.
It is done when you let a drop fall in glass of cold water and it holds its shape.
(Cook in pan on stovetop. Use a crockpot to keep warm.)

あと、CDケースを使った写真立てのクラフト。これも簡単で、すごくいいアイディアなので感激だった。CDケースって、オフィス用品屋さんでまとめ買いすると安いし。基本の作り方はケースの大きさにあわせて色画用紙を四角く切って、写真を貼ってケースに差し込むだけ。あとは好みでケースの外側にいろんな飾り付けをする。貝殻とかビーズを貼ったりとかね。

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アンディさんが、T&Gキリスト教カウンセリング研究会という団体の日本ディレクター森田悦弘師が『絆と境界線』というセミナーを行なっている、という情報をくださった。絆(bonding)と境界線(boundaries)が高まってこそ成長する、ということを御言葉に照らし合わせながら教えているセミナーだそうです。この団体の名前のT & G とは、Truth(真理)と Grace(恵み)のこと。聖書のなかでは「恵み」と「まこと(Truth)」はしばしばペアになって、神様のご性質を現すのに用いられていますよね(詩篇86:15詩篇108:4詩篇25:10他)。そして、イエスさまご自身こそまさに恵みとまことに満ちたお方なのですよね(ヨハネ1:141:17)。 この研究会のHPにはこうありました。

『真実』と『恵み』の両立はキリスト者にとって非常に大切です。育児には骨組みと成る『真実』と受容を意味する『恵み』が同時に必要ですし、人間関係でも『真実』を語り『恵み』によって受け入れ合う事が理想です。相談を受ける時も、相談者に『真実』を見せるだけでは『裁かれる』ばかりで赦しを経験する事が難しくなってしまいます。『赦し』には『真実』と『恵み』の両面が必要です。一方『恵み』ばかりでは相手を受け入れる事ばかりを強調し、罪やその他の責任が無視される傾向があり、結果的に相談者は何時までも成長しない可能性が出て来ます。

本当にその通りだなぁと思った。そしてこれって、先日Masakoさんがおっしゃっていたことにも通じますね。イエスさまを通して実現された「恵み」と「まこと」について、しばし思いを巡らせた土曜日の午後でした…

2004年10月17日

みんが風邪をひいている。咳がひどく、具合が悪そうだったのでみんと私は教会へは行かずお留守番。みんが自分の部屋で寝ている間、私はマット・レドマンのFacedownというワーシップDVDをかけながら一人で礼拝していた。このFacedownというタイトルは、レビ記9:24からで、「ひれ伏す」という意味。

レビ記は礼拝に関する書だ。私が持っているスタディバイブルにはこういう説明がついている。「レビ記は神がどのように礼拝されるべきであるか(how God is to be worshiped)に焦点を合わせている。そこにはいけにえ、祭司職のあり方、きよめ、聖別なども含まれる。この書物は『レビ記』と呼ばれているが、祭司だけに当てはまる箇所はわずかであり、ほとんどの箇所は全ての神の子どもに当てはまる。」そこで私はレビ記を読み始めた。

そして10章3節まできた。「わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現わす。」ここはアロンの子ナダブとアビフが、主が命じられたのとは異なった火を主の前に捧げたために、主によって焼き殺された箇所だ。その時モーセがアロンに「主が仰せになったことは、こういうことだ」と言って語ったのがこの言葉。私の日本語の聖書のマージンの部分には次のようなこの節の英語訳が書き込んであった。

By those who come near Me
I must be regarded as holy;
And before all the people
I must be glorified

これは日本語訳とは随分印象が違う。むしろこういう感じか。「わたしに近づく者たちは、わたしを聖なるものとしなくてはならない。すべての民の前で、わたしの栄光が讃えられなくてはならない。」日本語訳だと、神さまがご自分でご自身の聖と栄光を現されるように聞こえるけれど、英語訳だと神さまの聖と栄光は、神さまに近づくものたちの態度などによって(神さまをどれだけ聖なるお方とみなしているかによって)現される、というように聞こえる。神さまを聖なるお方とみなすとは、単に「主よ、あなたは聖なるお方です!」と叫ぶことではなく、私たちが主に何を捧げ、どのように捧げ、どのように仕えるかが、「主よ、あなたは聖なるお方です」という私の告白になっていないといけない、神さまはそのようであることを私たちに求めておられる、ということか。さらに言うなら、私が神さまに近づくことを願うのであれば、私の生活そのものが、「神は聖なるお方です」という証であり告白でなければならない、ということだろうか。

そんなことを思わされたとき、「わたしは聖であるので、あなたがたも聖でなければならない」とおっしゃるお方の聖い圧倒的な御臨在が私に臨み、まるで強く抱き締められているかのように私は息苦しくなった。

この後まだ続きがあるのだけれど、私と神様の間のことなので、ここまで。

2004年10月18日

みんの風邪がうつったみたい。喉が痛くて熱っぽい。そして朝起きたら声がほとんど出なくなっていた。無理に話そうとすると、低音のガラガラ声しかでない。子供たちには気持ち悪がられてしまった。(苦笑)まるでお化け屋敷みたいな声。あー。子供たちとぼぼるパパを送り出したら少し休もう。

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声の方は時間がたったらかなり出るようになって、今は大原麗子さん風になった。(お化け屋敷からすごい進歩だ。笑)風邪が直ったらまたもとのはちこ声に後退するんだろうか。

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やっぱり身体がだるいので、今夜はカモミールティーでも飲んでもう寝よう。鼻から頭にかけてが朦朧として、喉から胸にかけてが苦しいです。

2004年10月19日

お化け屋敷再び。朝は全然声が出ない。でも、だるいながらも日中は必要なことはこなせる程度に動けるので感謝。

ところで、今日ははちこ妹の誕生日。おめでとう! Love you!

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北海道のJさんから、今月24日に受洗なさるとのメールをいただいた。 ハレルヤ、おめでとうございます! 詩篇37:23、24を贈ります。(^^)

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お笑い牧師ともストリートミュージシャン牧師とも異名をとる、田崎敏明牧師のメールマガジンが復活!

メールマガジン 日常用語で聖書を語る

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夜です。今日は結局一日中声がなかった。日曜日までには回復するといいのだけれど…

今日はケンスケがとても可愛いことをした。庭に咲いていたインパチェンスの花を一株、根こそぎ抜いてきて「Here, Mom, this is for you. I'm marrying you tonight」と私にくれた。それから私の手を取り、「Let's walk!」 私は根っこに泥がついたままのインパチェンスを抱え、ケンスケと手をつないでキッチンのテーブルの回りを二人でぐるぐる歩いた。結婚式のつもりだったらしい。先日のサンドラの結婚式がよほど印象に残っていたんだろうね。それにしてもこの年にしてプロポーズの仕方を知っているなんて。ケンスケってば、可愛すぎ。

2004年10月20日

声の方は相変わらず。ガラガラ声を通りすぎ、枯れ葉がカサカサ音をたてているような、どこかから空気がもれているような、そんな声しか出せなくなってしまった。こんなに声が出なくなったのって、私は初めて。声だけ聞いていると、息も絶え絶えで今にも行き倒れしそうなんだもの。(笑) 今夜のミッショネットのクラスのレッスンはベッツィーに委ねた。でも、頭痛とか発熱とかはなく、だるいながらもとにかく動けるので感謝!

日本は台風23号の影響がひどいようですね。被害がこれ以上広がりませんように。

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幼稚園から帰ってきたケンスケ(三歳7ヶ月)が、ヒソヒソ声しか出せない私のことを心配してお祈りしてくれた。

「Dear Lord Jesus, thank you for Mom's voice. Make her better tomorrow and this afternoon. Amen!」だって! ありがとね、ケンちゃん! ところでケンスケ、夕べ私に手紙を書いてくれた。手紙とはいっても、もちろんまだ字なんて書けないので、紙にニョロニョロと波線を書いただけのヘビ文字なんだけど。ところが、そのヘビ文字レターの一番上の行には、たどたどしい筆跡でこう書いてあった。

ITCHII

「これはなぁに?」と聞くと「It's your name!」とケン。すごいじゃない! いい線いってるよ。ケンスケ、あなたは天才かもしれない。(親ばか全開)

2004年10月21日

先日、Viviさんから『バウンダリーズ』を読んだ感想と「支援グループ」に関する質問をいただいた。

Viviさんの日記「ひとりごと」(10月11日、13日)

『バウンダリーズ』では、境界線を引くことを学ぶにあたり「支援グループ」というものがいかに不可欠であるかが繰り返し述べられているが、では支援グループとは具体的にどういうものなのか、もしそういったものが身近にない場合はどうすればいいのか… このような問いは、実は私自身も最初に『バウンダリーズ』を読んだときに思わされたことだった。

著者はクリニックを経営し、カウンセリングやセラピーの現場で働いておられる方でもあるためか、本のなかではそういった専門家によってリードされるグループカウンセリングなどの様子が何度も登場する。しかし、本全体から読み取るならば、著者が意図している「支援グループ」とは、必ずしも専門家による特別な支援機関に限られるわけではないようだ。むしろ、教会の聖書の学び会やセルグループのような、共に成長していくためのグループ、互いの人生に深く関わり合おうとしている人たち同士の、愛を基盤とした責任を伴う交わりの総称として、「支援グループ」という表現が使われているのではないだろうか。原文ではsupport group となっていたので、そのまま「支援グループ」と訳したが、著者の意図するsupport groupの本質は、恐らく「主にある聖徒の交わり」と言ってかまわないのではないかと思う。(このあたり、著者に直接確認してみたい。)一方で、深刻な境界線問題を抱えている方たち(たとえば配偶者から虐待を受けている、何らかの事情で交わりから一切切り離されているなど)の場合は、やはりちゃんと訓練を受けた専門家のところにいってカウンセリングを受けるのが良いかと思われる。(たとえば『バウンダリーズ』に推薦文を寄せてくださった丸屋真也先生のいらっしゃる、臨床心理・ファミリー相談室 のような。Tel(03)3265-1907)

このあたりのことをViviさんとメールや掲示板でやりとりさせていただいて、私のなかでも漠然と考えていたことが随分整理されて感謝だった。さらに嬉しかったのは、皆で話しているうちに、すでに与えられている交わりのなかで訓練され成長させられていくことに対する希望と期待のようなものが、Viviさんの掲示板に集まる方達のなかに生まれてきたこと。境界線というと何か個人の問題のようだけれど、境界線について共に考え、互いの霊的成長が促されるよう愛と責任のある関わり方をしていこうと、交わりのなかで皆が共通認識を持ち始めるとき、「個人」だけでなくその「交わり」全体が成熟へと向かわせてもらえることになるのですね。キリストの身体の成長とは、きっとこういうことなのではないかな。感謝。

そういえば、私も先日教会のお母さんの会で「境界線」について分ち合う機会があって、一通り分かち合ったあと、「まずはこのグループのなかで『ノー』を言う練習をしてみようよ」みたいなことを話しただった。「ノー」を言う練習といっても、カウンセラーが指導するような練習じゃなくて、次に何か自分にはできないことを頼まれたときに、無理に「イエス」と言わないで、思い切って「ノー」と言ってみよう、その際には相手の立場や感情も考えて優しく、でもはっきりと言ってみよう、そして「ノー」を言われても、言われた側は個人的に拒絶されたかのように受け取るのでなく、相手が正直に言ってくれたことを感謝しつつその「ノー」を受け入れるようにしようよ、みたいな感じに。

自分がすでに植えられている交わりのなかで、まずは「境界線」に関する共通認識を持つこと、さらに、この交わりはただの仲良しグループでも情報交換のためのグループでもなく、「主にあって共に成長していくことを目的とした交わり」であることを互いに確認すること… そんなところから始めていけばいいのかな、なんて思った。

そんなわけで「主にある交わり」「共に成長していく関係」というようなことをここ数日考えていたら、そういえば、ハンス・ビュルキ師の『主の弟子となるための交わり』(いのちのことば社 現在品切れ中)がまさにそのことに関する本ではなかったか!と思い出した。この本は全三部から構成されていて、第一部は「信仰についての様々な視点」、第二部が「信仰における交わりの基礎づけ」、第三部が「信仰の交わりの実現」となっている。第二部、三部に出てくる「交わり」についての考察と具体的なアドバイスは、境界線を実践しようとしている人たちにとってもきっと参考になると思う。(ただ、いかんせんこの本は品切れ中というのが痛い。)

さらに、私は個人的に、唄野隆先生の『交わりに生きる信仰生活』(いのちのことば社)という本に非常に興味があってずっと探しているのだけれど、これもまた品切れなんですよね。(泣)

2004年10月22日

子供たちが学校で撮ってもらった写真ができてきた。アメリカの学校写真は、クラス全員でのグループ写真ではなく、個別に撮る。娘たちのはまあまあの出来だったが、ケンのがすごくて笑ってしまった。上目遣いに睨みつけるような恐い表情をしている。本人に聞いてみると、写真を撮るのがイヤでカメラにむかってすごんでみせたそうだ。確かに、今にもうなり声が聞こえてきそう。(笑)やれやれ、これもまた御愛嬌か。

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風邪でバテています。 ぐすん。

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今日は日中、ずっと寝ていた。ケンはしばらくは寝ている私の側で遊んでいたけれど、そのうちいなくなっていた。階下でテレビを見ていたらしい。ごめんね、ほったらかしにしちゃって。子供たちが学校から帰ってくる時間にはいったん起きたのだけど、みんなの顔を確認したらまたベッドに逆戻り。次に目が覚めたときにはすでにパパは帰宅していて、夕飯に中華をテイクアウトしてくれていた。ありがと、パパ。私はスープだけちょっと飲んで、すぐにまたダウン。そしてようやく今また起き上がって、キッチンの後片付けをしたところ。

まだ頭と腰が痛い。風邪に加えて御機嫌激悪の今月のお月さまのダブルパンチだ。

2004年10月23日

おはようございます。シカゴは今、朝7時過ぎです。

夕べは日記を書いた後にまたすぐ寝ました。そして明け方5時頃、寝仕度をするぼぼるパパの気配で目が覚めました。

「新潟で震度6の地震が三回あったらしいぞ」

新潟方面の方、大丈夫でしたでしょうか。東京あたりもかなり揺れたようですね。台風で地盤がゆるくなっているところに地震なんかきたら、たまらないですね。守られますように。(はち)

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秋学期の講義を始めて4週間が過ぎた。はじめのうちは学生の学力に差がありすぎて両極分解になるのではないかと危惧していたクラスだったけれど、やってみるとどっこい嬉しい計算違いで、みんな予想外に(失礼!)頑張っている。学部の講義だと、開始して一週間もすると数学のレベルが高すぎるとかいろいろなことを言って数人は来なくなるのが普通なのに、今回は最初に登録した10人がそのまま残っているばかりか、一週間のうちにもう3人増えて13人になった。採点した第一回目の宿題は、結構手の込んだ問題であったにもかかわらず、全員85点以上だった。もちろん、私は成績の如何にかかわらずつねにカスタマーのために全力投球しているわけだけれど、やはり、みんなが理解してくれていると思うと嬉しいし、やりがいを感じる。

その上、クラスを取っている3年生の一人が、卒業研究の指導教官になってくれと言い出した。ちょうど指導する大学院生がいなくて、研究を進めるのに助手ぬきでどうしたものかと考えていたところだったので、願ったりかなったり。こういうときにNSFのグラントは融通がきき、大学院生雇用のための資金で学部生を雇うことをプログラムマネージャーが快諾してくれ、物事が非常にすんなり進む。しかも、そのついでにと言っては何だが、グラントの一部を流体実験室の道具を作るために使ってもよいことになり、最終段階に来て予算オーバーの危機に瀕していた実験室建設のほうもめどが立ってきた。やっとあちこちの歯車がかみ合ってきた感じだ。

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学科の今日のゲストスピーカーはプリンストン大学のJorge Sarmiento。ホーヘイは私が20年前プリンストンの大学院に入学したときにプログラムのディレクターをしていた(まだAssistant Professorだった)。さすがに20年の年月は争えず、年をとったな(おたがい)という印象を持ったが、当時同じくプリンストンで教えていた現在の同僚のRay Pierrehumbertと3人で話していると、何だか大学院生時代に逆戻りしたような錯覚を覚える。よみがえる栄光の記憶…。さて、ホーヘイの話の内容は、海底に沈んだ栄養素が再び海面付近まで上昇してくるメカニズムについて。定説となっている鉛直混合ではなく、南半球の周極海流域における湧昇流が重要な役割をはたしており、全世界の海洋における生物循環の生産性に多大な影響を及ぼすということだった。

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横でエミがフランス語のクラスの発表のために、アニメーションをこしらえている。将来の自分の仕事についての発表だそうだ。アニメーターになりたいエミは、さっそくそのスキルを実践に移したということらしい。なんでも、2週間かけて800枚の原画をマウスを使ってコンピューターで描いたというから、見上げた忍耐と根性である。800枚のフォトショップのファイルをクイックタイム動画に落としてほしいというのでいろいろやってみるが、さすがに800枚もあると、メモリーを食うことと時間のかかることおびただしい。しかたなく4つの動画に分けて作り、それをiMovieでひとつにつなげてセーブする。明日はこれに自分のフランス語をアテレコするのだそうだ。

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覚え書き: God does not call the equipped. He equips those He calls. (ぼ)

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今日も半日寝て過ごした。でも夕食はちゃんと用意したよ。二晩続けてテイクアウトというわけにもいかないので。

明日の礼拝の歌をぼぼるパパと練習。うーん、ダメだ。話す分には声は出せるけど、歌い出すととたんにかすれてしまう。1〜2曲歌ったらすっかり森進一さんに。思わず眉根を寄せて「おふくろ…さんよ、おふくろ…さん♪」とやってしまう私。そっくりだよう。クリソツ。実は数日前、大原麗子さんだったときには「すこし愛して、なが〜く愛して」をやって一人で喜んでいたのでありました。ヒマというか、バカというか…(笑)

いや、そんなことを言っている場合ではない。ものまね歌の練習はもうやめて、ハチミツたっぷりのペパーミントティーを飲んでからお祈りして、明日に備えてもう寝ましょう。(はち)

2004年10月25日

夕食後はファミリーデボーション。最近は、ケンが日曜日に教会で学んだ箇所を復習するような形でやるようにしている。今日はサムソンのお話。それから、ケンのお祈りは可愛い。何もかもThank you for 〜〜と、三歳にしてマーリン・キャロザースの弟子になったか、というような祈り方をする。風邪をひいたときも、頭をぶつけて痛くしたときもThank you for Mom's cold.... Thank you that I bumpled my head... となる。さらに、早く直りますように、と祈るにも Thank you that Mom will get better tomorrow だ。可愛いなと思いつつも、何でも素直に感謝している彼の祈りに、教えられるものがある。

ファミリーデボーションのあとは、ケンをお風呂に入れてから、ちょっと添い寝のつもりがそのまま一緒に寝てしまい、今頃目がさめた。夜中の12時過ぎなり。これからどうしようかな。夜中にはりきって片付けものとかすると、明日にひびきそうだから、また寝てしまおうか。そうしよう。まだ少し頭痛がするし。Thank you, Jesus, that I'd get better tomorrow と祈りつつ。

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お昼寝から目を覚ましたケン、声がガラガラ。ショック。ついに彼にうつったか。

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昨日は、声のコンディションはよくないながらも、主の憐れみによって無事、一日を終えました。森進一声でも、思いきり主を賛美できて幸せだった。でも久しぶりの外出で疲れたのか、夕拝から戻ったらそのままケンと一緒にすぐに寝てしまいました。なんだか、風邪をひいている方が多いようですが、みなさんもどうぞお大事に。

2004年10月26日

何ごとかを成したとか、そんなふうには少しも思っていない。ただ、生ける神、全知全能の造り主、主を畏れます。主の御声は小さくて、ほんのかすかなささやきのようだけれど、それでも私を捕らえて決して放すことがない。主よ、あなたを畏れます。詩篇139:7-10

2004年10月27日

今年は日本もアメリカも台風のあたり年で、日本本土への上陸数も前代未聞の10と、社会や経済に与えた影響は測りしれない。台風は南北の温度差をエネルギー源とする温帯低気圧と異なり、水蒸気の凝結で放出される潜熱が主なエネルギー源とされている。そしてこれがとんでもない量のエネルギーなのである。どのくらいとんでもないかというと、それはもう、ひたすら、とんでもないのである。

たとえば、JAXAの台風データベースから、先日の台風23号(閑話休題:この台風に「トカゲ」という名前をつけた人はどういう発想の持ち主なのであろうか。せめて「レビヤタン」とか「トリケラトプス」とかだったらまだ台風らしいのに。)の衛星データ(閑話休題:このデータを集めたのは、TRMM=Tropical Rainfall Measuring Mission というNASAとJAXAの共同運用の衛星である。NASAの資金難により、あやうく今年の7月で運用停止になるところだったのを、かろうじて年内一杯まで運用が延長されたため、今年の貴重な台風データが収集できた。何とかさらなる延命措置を取ってほしいものである)を見てみよう。

台風の勢力範囲において平均して毎時15ミリくらいの雨が降っている。仮に台風の勢力範囲を半径300キロの円で近似すると、その円内で毎秒100万トン以上の雨が降っている計算になる。この雨は当然大気中の水蒸気が凝結してできたものなので、これをもとに潜熱の発生量を計算できる。するとこれがだいたい3ペタワット(ペタは10の15乗)。全世界のエネルギー消費率は約10の13乗ワットなので、毎秒単位でいうなら、ひとつの台風が全世界が消費する300倍の早さでエネルギーを生み出している計算になる。台風の寿命はたかだか2週間であることを考慮しても、その期間に全世界の1年の消費量をはるかに上回るエネルギーを放出する計算だ。一年に台風は世界中で80個くらいできるので、台風のエネルギーをうまく捕捉できれば、エネルギー問題は一挙に解決でえというわけである。めでたし、めでたし。

もちろん、そんなおいしい話があるわけはないので。放出された潜熱のほとんどは空気と水を上空に運ぶ仕事に使われてしまい、実際に風の運動エネルギーに変換されるのはわずか数パーセントである。(さらに言うなら、台風の強さと降水量の間にはそれほど強い相関はない。)もちろん、数パーセントといっても大変なエネルギー量であることには変わりなく、台風の破壊力を見れば明らかであるが。台風の中心付近に風力発電機を並べ、台風とともに移動させることができれば、並の風力発電よりは高効率だろうけれど、現時点ではとても現実的なアイデアとは言えませんね。

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で、何がこの「数パーセント」という台風のエネルギー効率を決めているのかという点について、台風の熱力学理論で一世を風靡したMITのKerry Emanuelとメールでやりとりをしていたら、何かの拍子にケリーが、「僕の理論は間違っていたようだ。つまり、台風の強さに関して、熱力学にもとづく理論は現時点では存在しない、ということだ。」と言い出して、仰天した。NYUのOlivier Pauluis(ケリーのポスドクだった)の最近の数値計算によると、台風を熱力学機関と考えた場合、かなりのエネルギーが非可逆的なエントロピー増大によって散逸してしまい、第一法則を用いて熱力学効率を拘束するのは多大な困難を伴うということらしい。

それにしても、80年代の中頃から90年代にかけてあれだけ華々しく宣伝していた理論を、こうもあっさりひっこめるとは思わなんだ。科学者として非常にいさぎよいとも言えるし、鳴りもの入りで出してきた理論が寿命わずか15年というのは、気象学のむずかしさと同時にある意味進歩を示しているとも言えるが、「持久力(staying power)」のある理論作りを目指しているわたしには複雑な気分だ。間違っている可能性が高くても話題を提供できる論文を次々に発表していくのと、数は少なくてもより完成度の高いものを発表するのとどちらがいいのか。これは、難しい問題だ。ちなみにこの問題は毛利vs岩本パラダイムとよばれている。(ぼ)

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今日は午前中はケンスケの遠足の付き添い。午後は庭で落ち葉かき。まだ五分の一も終わっていない。延々と続く作業なんだよね、これが。そして夜はミッショネット。今日はびっくりするようなことが起きた。

今年度の私のクラスは生徒が11人いて、全員のアテンションを終始保ち続けるのは大きなチャレンジ。今日は「きよい心」という単元の最終回で、ダビデの話をしていた。預言者ナタンに罪を指摘され、ダビデが自分の犯した罪の深刻さに打ちのめされ…と、話が佳境に入った頃、テーブルの片隅でヒソヒソ、クスクス、おしゃべりをしていた数人の女の子たちが突然「キャー」と悲鳴をあげた。何ごとかと思ったら、ヒソヒソ話をしていた一人が立ち上がり両手で口を押さえ、手の隙間からは液体がしたたりおちている。おしゃべりしていて吹き出し、笑いを押しこらえていたら嘔吐してしまったのだ。側にいた子たちは椅子から飛び上がった。私もベッツィーもびっくり仰天。呆れて声もでない。一瞬の沈黙のあと、私はその子に「洗面所にいって手と顔を洗ってらっしゃい」と言い、ベッツィーは立ち上がり、無言で汚れの後始末をしてくれた。私はどよめく女の子達を鎮めて、レッスンを続けた。この年代の女の子たちが笑い上戸というのは万国共通なようで、一旦笑い出した子たちをしずめるのは楽じゃありませんでしたよ。あー、まったくもう。せっかく大切な話をしていたのに。子供たちと一緒にいると、いろんなことが起きるものだね。(はち)

2004年10月28日

今日はケンスケの幼稚園でハロウィンパーティー。ケンスケは忍者タートル(って、日本の人は御存知だろうか?)のコスチュームを着けて嬉々として出かけていった。幼稚園に着くと、可愛い、可愛い、シンデレラ、オズの魔法使いのドロシー、ライオン、エルモ(セサミストリートのキャラクター)、スパイダーマン、バットマン、消防士、クリフォード(アメリカの子供番組のキャラクターの赤い犬)ティンカーベル、etc. みんな思い思いのコスチュームで仮装して、賑やかなこと。カメラを持っていったのでグループ写真を撮らせてもらった。

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今日は一日身体の節々が痛くて、一体何をしたのだったかしら?と首をかしてげから、あっそうだ、と気がついた。昨日の落ち葉かきが犯人だ。やだなぁ、もう。たったあれくらいのことで、こんなに身体中痛くなるなんて。

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先日マット・レドマンのFacedownというDVDのことを書いたけど、このDVDに収録されていたFacedownコンファレンスでのワーシップに関するメッセージを聞いて以来、ずっと心に留まっていることがある。ワーシップは私たちから主への捧げものであるということを踏まえ、メッセンジャーがこんなことを言っていた。

礼拝が終わって教会を出るとき、「How much did I get out of the service? (今日の礼拝から私はどれだけ得ただろうか)」と問うことがよくあるが、本当は私たちが問うべき質問は「How much did I give to the Lord this morning? (私は今朝、どれだけ主に捧げただろうか)」であるべきではないだろうか。現代に生きる私たちは「消費者(consumer)」メンタリティーにすっかりはまっていて、ワーシップミュージックまでもが一つの市場になっている。そしてコンスーマー(消費者)である私たちは次から次へと新しい歌(賛美)を求め、ある程度歌ったらもう飽きて次へと移る。今朝の歌の選曲は良かっただとか、あの歌は好きじゃなかったとか、この歌だと今いち乗れないのだとか、コンスーマーの目線でワーシップの品定めをする。しかしながら、礼拝のコンスーマーは、私たちではなく主なる神であることを忘れてはいけない。レビ記には神がどのように礼拝されるべきであるかが事細かに記されている。まぁ、くどくど、長々と記されている。しかしその細かい決まりにしたがってイスラエルの民がモーセとアロンの指揮のもとに捧げものを捧げたとき、何が起きただろうか。9章24節にはこうある。

ついでモーセとアロンは会見の天幕にはいり、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現われ、 主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くした(comsumed)ので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。

私たちが礼拝するときに望むべきことは、これではないか。「私」が満たされるかどうかではなく、コンスーマーである神に私たちの捧げる賛美のいけにえをコンスームしていただくこと。After all, it is not about me, but it's ALL ABOUT JESUS.

そんなことをこの1、2週間ずっと思わされていたら、この前のワーシップチームの練習の時だったか牧師夫人のデニースが、最近聞いたすごくいい歌があるの、と教えてくれた歌の歌詞の一部がこうだった。

If praise is like perfume, I will lavish mine on You.

Lavish... そう、まさにそういうこと。イエスさまに高価な香油を惜しげなく注いだ女性のように、私も私の心からの賛美と礼拝を、主に惜しげなくすべて捧げたい。主にコンスームしていただくために。

2004年10月29日

髪が伸びてきてうっとうしい。そろそろ切りにいかないとダメかな。でももう当分パーマはかけないつもり。

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以前は衛星放送でNHKの番組が見れるようにしていたが、あまりにも見る回数が少ないので、夏に一時解約をした。そのため今回の台風や地震のことも、オンラインの日本の新聞を通してでしか情報が入らないのだけれど、ニュースを読むたびに胸が痛む。神さま…

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今、あることを我慢している。だいたい年末くらいまでと自分で期間を決めて、それまでは我慢することにしたのだ。我慢するのは苦しい。だけど、自制することを学ばなくちゃいけない、そう毎日自分に言い聞かせている。

2004年10月30日

講義を担当している学期は、講義の準備、資料および宿題の作成、宿題に関する質問の受付と採点(これはTAがかなりやってくれる)、試験問題の作成と採点と、11週間のあいだ息つく間もない。これに教授会の議事録録りとか、カリキュラム委員会の仕事など雑用(と言ってはいけないのだろうが)が追い打ちをかけて、目のまわるようないそがしさだ。それ以外に人から頼まれることはことごとく断っているにもかかわらず、仕事を時間通りにこなすためには、起きているあいだ集中力を持続させ、時には睡眠時間を削らなくてはならない。体力的にはぎりぎりの線を行っていると思う。家族の風邪をもらったりすることなくとりあえず健康なのは、ありがたいことだ。

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大学の東洋研究所美術館(Oriental Institute Museum) のメソポタミア館が改装開館したというので、さっそくのぞきに行ってきた。東洋研は私のオフィスからもそう遠くなく、入館無料でフラッシュを使わなければ写真も撮り放題という環境で、スマート美術館と並んで仕事の息抜きによく訪れる場所である。

OIMの目玉はなんと言っても古代中近東の美術品や発掘資料であろう。今でこそ戦争で大変なことになってしまったが、現在のイラクは古代メソポタミア文明発祥の地。地図にはウルとかキシュとかニネベとか、聖書でお馴染みの地名を見つけることができる。エデンの園もこの地帯のどこかにあったとされている。メソポタミア館の中に一歩足を踏み込むと、アッシリアやバビロニア時代の壷や工芸品が所狭しと並び、旧約聖書の時代にタイムスリップしたような錯覚を覚える。

無数の土器石器に混じって、ハンムラビ法典のレプリカや粘土の板に刻まれた60進法の数学の教科書など、非常に興味深い発掘品が並んでいる。そんな中にさりげなく展示されているのがこれ。(画像はクリックすると大きくなります。)


この高さ38センチの6角形の土の柱の側面には、アッシリアのくさび形文字がところ狭しと刻まれている。(細い無数の溝のように見えるのがそれである。)そこには、アッシリアの王セナケリブが周辺の都市制圧に出かけた8回の遠征のもようが記録されているそうだ。セナケリブはその8回のすべてにおいて勝利を宣言している。その3つめの遠征は当時ヒゼキヤ王の治めていたエルサレムへの遠征で、第二列王記やイザヤ書に記述のある事件のことであろう。セナケリブは「私はエルサレムでヒゼキヤを鳥かごの鳥のように黙らせ、彼はニネベに大量のみつぎものをよこした」と書いている。しかし、エルサレムを奪取したという記述はない。第二列王記19章とイザヤ書37章によれば、主の御使いが18万5000人のアッシリア兵を打ったので、セナケリブはエルサレムに攻め入らずニネベに帰ったとある。またギリシャの歴史家ヘロドトスによれば、その日無数のねずみがアッシリア兵を攻撃して、大勢が病死したのだそうだ。

2700年前の中近東でおこった歴史的な事件が、複数の資料から時を越えて鮮やかに再現される。なかなか感動的であった。(ぼ)

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夜です。アッセンブリー教団の留学生伝道の働きの一環で、フレンドシッププログラム(だったかな?)というのがある。割り当てられた留学生と、1年間定期的に交流を持ち、まずは友達になることを通してキリストを証ししていくというもの。私たち家族もこの秋そのプログラムに登録し、今日、割り当てられた留学生との顔合わせのパーティーがあった。私たちがお世話することになったのは、留学生ではなくすでに博士号を持つ46歳のスペイン人の客員研究員の女性。ものすごい美人で、人間的にも魅力的な人だった。とても愛らしく、柔和で、素朴で、こんな素敵な人と知り合いになれて、私もぼぼるパパもとても嬉しく思った。彼女の英語はたどたどしく、何度も辞書を引きながらの会話だったけれど、スペインのこと、日本のこと、アメリカのこと、いろいろ話しが盛りあがり、すっかり意気投合して楽しかった。

別れ際、「スペインではね…」と言いかけてから、「ちょっと待って」と鞄のなかから分厚い辞書を引っ張り出し、何やら単語を引き、「ええと…、ああ、これこれ。salute するときには、こうするんですよ」 そう言うと、ニコニコしながら私をハグし、両頬にキスしてくれた。子どもたちにも、ぼぼるパパにも同じようにハグしてキスしてくれた。(^^)

次に彼女に会うのは2週間後。一緒に日本食を食べに行く約束をした。楽しみ。(はち)

2004年10月31日

冬時間になったので、今は夕方の5時半過ぎだけど、あたりはもう真っ暗。日本との時差は15時間です。こちらの日曜日の夕方6時は、日本の月曜日の朝9時。日本の月曜日の夜10時は、こちらの月曜日の朝7時。

そういえば、昨日のフレンドシッププログラムの顔合わせ会で、シカゴ大学に在学中の日本人の方と会った。話していたら相手もクリスチャンだとわかり、今年も我が家でもたれるシカゴJCFNのサンクスギビングディナーにお誘いした。クリスチャン・ノンクリスチャンにかかわらず、日本人のお友達をじゃんじゃん連れて来て欲しい。化学科の院生のYくんも、今年は日本人学生が大勢いるとかで、10人くらい連れて来てくれるらしい。楽しみだね。

実は今、シカゴJCFNは転機を迎えようとしている。代表を務めてくださっていたO夫妻が転勤でデトロイトに引っ越されることになったり、O夫妻と一緒にリーダーシップを取ってくれていた学生さんたちが次々と卒業して別の土地に導かれたりして、今後の活動の目処が立ちにくくなっているのだ。数年間一緒に働き、交わりを持ってきた人たちがいなくなってしまうのは寂しいけれど、シカゴJCFNの今後の活動については悲観はしていない。とりあえず最低限の引き継ぎは私たちがして、JCFN本部と連絡を取りながら祈っていこう。神さまが次のフェーズに私たちを引き上げてくださることを信じ、期待しつつ。

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