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はちことぼぼるの日記

エントリーの最後に(ぼ)とあるのはぼぼるパパによる日記です。

2004年8月1日

聖日。今日も東京ホライズンチャペルへ。今週ははちこ母とはちこ妹とその子供たちも一緒に。滅多にないことなので嬉しかった。礼拝後、副牧師の渡部先生とお話しているとき、お知り合いにカリフォルニアで地球物理学を研究しておられる日本人クリスチャンの研究者の方がいらっしゃることを伺って感激した。 母は平野先生から「お母さんはお近くにお住まいなんだから、もっといらっしゃってくださいよ」と言われていた。(笑)

今日のメッセージは第二サムエル6章から。ここの、牛がひっくり返した神の箱を手を伸ばして押さえたためにウザが神の怒りによって打たれた箇所、 私は以前から不思議だなぁ、納得がいかないなぁ、と思っていたが、今日のメッセージを聞いてついに納得した。3節によると、人々は神の箱を「新しい車に載せて」運んでいたことがわかる。いかにも彼らなりに敬意を表し、できる限りのベストを尽くそうとしていたようにも見受けられる。ところが、律法の書によると神の箱は、それについている4つの輪に棒を通して、祭司がかついで運ばないといけないことになっていたそうだ。決して手を触れてはいけないと繰り返し書かれていたのだそうだ。いくら彼らが自分たちで考えたベストのやり方で行っても、それは神様が彼らに教えたやり方ではなかった。平野先生によると、当時の祭司が神の箱の正しい運び方を知らなかったというのは、現代の牧師が十字架の意味を知らないのに相当するくらいとんでもない無知だったらしい。なるほど、彼らは不勉強極まりなかったわけで、言い方を変えれば、神の言葉を侮っていたことにもなる。牛が蹴っ飛ばした神の箱がひっくり返らないように押さえただけで打たれるなんて随分理不尽な気がしていたけれど、そういう次元の問題ではなかったんだ。神様がやってはいけないとおっしゃっていたやり方で神の箱を運びながら、神様のお心にも気づかずに意気揚々と彼らは「力の限り喜び踊っ」ていたのかと思うと、何とも情けなく、哀れでさえある。しかし私に彼らのことを言えるだろうか。私だって同じことをしている時があるかもしれない。神様の言葉を軽く聞き流し、自分で最善だと思ったやり方で事をなそうとしてしまうことが。それで神様に喜んでいただいていると思って能天気に「ハレルヤ!」と叫んでいたりすることが。なんとも身につまされる。

一方、思いがけない事態に激し、主を恐れたダビデは、予定変更して神の箱をガデ人オベデ・エドムの家に回すことにした。オベデ・エドムも「とんでもないものが来ち ゃったぞ」と泡をくったに違いない。ヘマをしでかせば自分も神の御怒りに打たれることになるかもしれないのだから、彼はさぞかし恐れをもって仕えたことだろう。そして神は、オベデ・エドムと彼の全家を祝福された。平野先生はこの箇所から、祝福と神への畏れとは表裏一体をなすものだというようなことをおっしゃった。つまり、神への畏れのないところには神からの祝福もない。私は、先日私自身が語られていたことを思い出した。恵もうと思うものを恵み、あわれもうと思うものをあわれむとおっしゃる神様が目を留めるのは、へりくだって心砕かれ、神のことばにおののく者である(イザヤ66:2)ということ… それからもう一つ思い出した。私の母教会の入り口には「恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ」(詩篇1:11)が掲げられていたことを。これは当時の牧師、ケニーさんのモットーだったのだろう。神様が私にこのように繰り返し神を恐れることを語られるとは、私には主への畏怖が足りないのだろうか。そうなのかもしれない…

今朝のメッセージのなかでもう一つ印象に残ったこと。神様がオベデ・エドムを祝福しておられるのを見て気を取り直した(?)ダビデは、今度はちゃんとかついで(13節)神の箱をダビデの町まで運び込んだ。そして体面も気にせず主の前で力の限り踊り、いけにえをささげて主を礼拝した。それから彼はイスラエルの民を祝福した。(18節)この箇所から平野先生は、私たちは、神を賛美し礼拝する者であってこそ、初めて他者を祝福することができるのだとおっしゃった。言葉巧みで絶妙な御言葉の説き明かしのできる説教者や才能豊かな歌い手やパフォーマーは、他者を感心させ唸らせることができるかもしれない。しかし本当に人々を主の御臨在の中に導き入れ祝福できるのは、真の礼拝者だけなのであると。

主を恐れることと、主を礼拝すること。そういえば確かにつながっているかもしれない。主の御臨在のなかで圧倒的なご栄光を見てしまったイザヤが、「Woe is me! For I am undone and ruined!」と叫んで嘆いたことを思い出す。(イザヤ6:1〜8)

>2004年8月2日

今日は午前中に美容院に行って、白髪隠しのためにカラーリングに初挑戦してきた。本当は黒髪に結構こだわりがあったのだけれど、どうせ染めるなら、少し色を入れてみてもいいかなと思ったので、地毛より2トーンくらい明るい色でメッシュを入れてもらった。それから特に白髪の目立つあたりにはメッシュの色より少し濃い目の色をちょいちょいとぬってもらった。やれやれ、これで当分は目立たなくなるかな。

夕方からは横浜に出て、ルークさんご一家とKFMの仲尾さんご一家と共にお食事。山下公園の氷川丸の前で待ち合わせ、しばらくあたりをぶらついてから中華街へ。あ、ルークさんの方にはすでに写真入りの日記がアップされていますね。 こちら。確かに子供の数が多くて、貸切だったお部屋は最後には動物園と化していましたね。(笑)食事の後はもう一度山下公園に戻り、エネルギーの有り余っている子供たちを芝生の上で放し、もとい、遊ばせました。小さい子供たちはルーク家のお兄ちゃんお姉ちゃんたちにたくさん抱っこやおんぶをしてもらいましたね。みんな歓声をあげて大喜びでした。

ルークさん、今夜はお食事もごちそうになり、また楽しい時を過ごさせていただき、どうもありがとうございました。仲尾さんとは2年前にイギリスでお会いし損なってしまいましたが、今回ついにご一緒できて嬉しかったです。またいつか次の再会の機会が与えられることを楽しみにしています。(^^)

2004年8月3日

シカゴに戻る日まであと二日。子供たちも親の方も、やり残したことがないように、最後まで目一杯動き回っている。今日は子供たちを100円ショップに連れて行ってあげたら、アメリカのダラーストア(Doller Store:何でも一律1ドルのお店)よりすごい!と目を輝かせていた。

そういえば、エミは日本では誰もが写真を写せる携帯を持っていることにすっかり魅せられてしまった様子。「私もアメリカに帰ったら携帯が欲しい」と言い出した。何しろ、どこへ行って誰と会っても、み〜んな携帯で写真を撮り合っているのだもの。エミの気持ちはわかるけど、そう簡単にホイホイ買ってあげるわけにもいかない。とりあえず、クリスマスまでは待ちなさいと言い渡した。

今夜はぼぼるパパは実家のお母さんのところへ一人ででかけている。明日は私たちも合流して、みんなで彼女の喜寿のお祝いをする予定。下は、送られてきた彼の昨日の日記。そうなんです、いま我が家にはカブトムシがたくさんいるんです。キリギリスもいて、夜中になると騒々しいの何のって。最近私もカブトムシにはすっかり詳しくなって、お店でカブトムシの模型などを見かけると「あ、ヘルクレスオオカブトムシね」とか「これはコーカサスオオカブトムシね」なんて見分けがつくようになっちゃって、ああ、私も男の子を持つ母親になったんだな、と妙なところで実感。(はち)

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また海を鋳て造った。縁から縁まで十キュビトであって、周囲は円形をなし、高さ五キュビトで、その周囲は綱をもって測ると三十キュビトであった。 列王記上 / 7章 23節 口語訳

旧約聖書のこの記述を読んで、円形の鋳造の海の直径が10キュビトなら、周囲 は当然 31.415926535897932384626433832795028841971693993751058209749445923078164 062862089986280348253421170679キュビトでなければならないはずなのに、聖書 の記述は不正確であり真理ではないと結論するのも的外れなら、聖書にも書かれているくらいだから円周率は3であると教えておけばいいと言うのも大いに困る。べつにそういう議論を実際に聞いたわけじゃないけれど、前者は測定には誤差が伴うということを見落としているし、後者をまじめに応用したら、自動車が走らなかったり飛行機が落っこちたりするかもしれない。聖書は数学や科学のテキストではなく歴史書と考えるのが基本であるから、この箇所から言えることは、ソロモン王の時代にはすでに、測定によって円周率がおよそ3であること示す技術があったということである。ただ、この記述からだけでは、円周率が円の大きさによらない普遍量であるという認識があったかどうかまでは何とも言えない。たまたま、この円の直径と円周を測ったら、10キュビト−30キュビトだった、と言っているにすぎないからだ。いずれにしても、のちにアルキメデスが初めて円周率を定式化する1700年以上も前に、先駆けとなる記述が見られるというのは興味深い。

#ところで、わざわざ綱を使っているところをみると、必要があって周囲長を測ったようである。これはおそらく、その次の節に、縁の下に沿ってひょうたん模様が周囲を取り巻いていた、と書いてあるので、周囲を取り巻くひょうたん模様をデザインする上で必要だったのであろう。

##ちなみに、今日では、円周率はコンピューターを使って1000兆桁くらいまで計算されている。原理的には、逆三角関数を展開したテイラー級数を評価すればいいので初歩的な計算だが、収束の早い級数を見つけることが肝心で、いろいろな工夫がなされているようである。

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那須から持ち帰った2組(プラス雌もう2匹)のかぶと虫のつがいが、後ろの虫かごの中でにぎやかに交尾している。かぶと虫の交尾は、優雅なものでは全然ない。逃げ回る雌を雄が戦車よろしく高速で追っかけまわし、馬乗りになって力づくで押さえ込み、ぎゅうぎゅう音を出しながら生殖器をふりかざす。一度つかまえたらちょっとやそっとでは離さない。雄のしぶとさたるや大したものである。

最近、私の研究分野では、はやりのテーマを追っかけて、ひとつのことを徹底して追求しない研究者が多くなってきたような気がする。要領がいいというか、あっさりしてるというか。しかし、私は、インパクトのある結果はそれでは生まれないと思う。ちょっと壁にぶつかると、じゃあ他のテーマにするか、と言っていたのではブレークスルーはありえない。攻撃的で執念深く、しぶとく、ねちっこく、下心ありあり、脂ぎった形相で、一度狙った獲物は逃がさない。研究者はそうでなくちゃ。かぶと虫の雄に学ぼう。(ぼ)

2004年8月4日

いよいよ明日、シカゴに戻る。午後4時の便なので、昼前にはここを出る。奇跡的に(?)荷物もほとんどまとめ終わった。あとは明日の朝、洗顔用品とか私の化粧品を片付ければいいくらいかな。ケンスケが最後の最後になって風邪をひいたらしく、鼻水を垂らし、声はガラガラになってしまった。冷房のせいかもしれない。明日になって熱でも出さないといいけど。それにしても5週間の間、誰も大きな怪我も病気もなく元気に楽しく過ごせたことは大いに感謝。

ぼぼる母と喜寿のお祝いの写真を撮って、食事をしてから別れて帰ってくる途中の電車のなかで、エミが声を出さずにあごを震わせながら泣いていた。どうしたのと聞くと明日アメリカに帰らなくちゃいけないのが悲しいという。エミはすっかり日本大好きになってしまったようだ。大学は日本で行きたいとまで言っている。どうなるかな。今回は限られた日数の滞在だったから、かなり大判振る舞いの日々だったけれど、日本に住むとなったらこんなふうに毎日がエブリデーみたいな過ごし方はできないのよ… とはいえ、私にとっても日本は生まれ育った国。やっぱり居心地はいい。戻って来た直後の数日はなんだか慣れなくて、随分いろんなところが様変わりしてしまったようで不思議な気がしたけれど、1週間もしたらすっかり違和感もなくなって、当たり前のように過ごしていた。結局のところ、日本も表面的にはいろいろ変わったようでも、根っこの部分というか、内側の部分は、今も20年前も実はそう変わっていないということなのかもしれない。

この5週間は本当にあっという間だった。何にも予定の入っていない日は一日しかなく、あとは毎日誰かと会ったりどこかへ行ったりしていた。5年分くらいのバケーションを一気に取ったという感じ。何年かぶりで会った昔からの友人や親戚、今までずっとお会いしたいと思っていて今回初めてお目にかかった方たち、お一人お一人、本当にお会いできて良かった。はちこやはちこファミリーに会うためにお時間を作ってくださった方々には心からお礼を申し上げます。あなたに会えて、お話しすることができて、本当に本当に嬉しかったです。また今回は時間が合わなくて、あるいは地理的に遠くて、会うことがかなわなかった方々とは、いつかきっとお目にかかる機会が与えられることを願います。5週間なんて長いようで短くて、やり残したこと心残りなことはいろいろある。次に私たちが日本に来るのは、多分4年後…かな。その日が今から待ち遠しい。

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「境界線(バウンダリーズ)」のゲラがあがってきた。500ページ。ずっしり重い。分厚い本になりそうですが、皆さん、書店で見たときに引かないでくださいね。ページ数は多くても、絶対読みやすい本に仕上がるはずですから。出版は8月の末くらいになるでしょうか。さぁ、私はシカゴに戻ったら校正です。だいたい1週間くらいでと言われているのだけれど、本当に1週間でできるのかな?(汗) 大変そうだけど、でもとっても楽しみ。主よ、感謝します。(はち)

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んー、今年の夏は、ちょっと良かったかもしれない。1978年の夏を彷彿とさせるような、らしい暑さだったし。すんごい雷の到来があったかと思えば、午後遅くなっても軽く積雲をちりばめただけの澄んだ青空がどこまでも広がっていたり。昼はじーじーと油蝉、夕方はけたけたとヒグラシ。その油蝉の羽化も目の当たりに観察できたし、カブトムシの交尾も見た。子供と一緒にオニヤンマを追い、ニジマスを釣って炭で焼き、水蒸気の吹き出る茶臼岳の岩場をよじ登り、日本海では泳いでワカメを採ってスイカ割りをした。プールや温泉にも行った。寝苦しい夜は線香花火や横向き十連発が、金鳥の夏・日本の夏を彩った。火の見櫓や瓦ふきの家並みが目にやさしかった。このさい、黒和牛ステーキとか岩牡蠣などうまいものを食べ過ぎて、一月で体重が7キロ増えたことなどは伏せておこう。

よく遊び、思い出に残る夏になった。(ぼ)

2004年8月5日

ただいま。無事シカゴまで戻って来ました。今回は直行便ではなく、デトロイト経由だったので、ちょっと長くかかりましたが、飛行機のなかではわりとよく眠れたかな。ケンが風邪気味だったため、多少ぐずったりしましたが、それ以外はだいたいみんな元気です。みんはアメリカに到着してからお手洗いにいくとき、「もう、洋式トイレがあるかどうか心配しなくてもいいんだ!ここはアメリカだから、全部洋式なんだ!」と喜んでいた。(笑)トイレといえば、ケンは日本にいる間に立って用を足すことを覚えました。和式だと、立ったままの方が失敗が少なくて(男の子の場合は、です)。おかしかったのは、那須でパパと虫捕りに行ったとき、野外でトイレに行きたくなってしまったため、パパの指導のもと、そのへんの原っぱで立ったまま用を足したのだそうです。そのときケンは「I'm a real man now.(これで僕も本当の男だ)」と誇らしそうにしていたのだとか。

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家まで帰ってくると、玄関に模造紙で垂れ幕がかかっているのを発見。何かと思ったらそこには「Welcome home, Nakamuras!」と書かれていた。私が教えているミッショネットのクラスの女の子たちからだった。びっくりするやら嬉しいやら。(涙)アメリカは私にとって外国のはずなのに、5週間留守にして戻ってくると「Welcome home」と言って迎えてくれる人たちがいるなんて。みんなの愛が身にしみる。こうしてご自身の民を通して御愛を示してくださる神様にも感謝。

それにしても、アメリカに戻って来たんだなぁ。また日本との時差が14時間の毎日が始まる。今こちらは夜の11時過ぎなので、日本は午後一時過ぎですね。今日も東京は暑いですか? シカゴはびっくりするほど涼しいです。寒いと言ってもいいくらい。 さて、片付けることがたくさんあるので、今日はこのへんで。

2004年8月6日

夕べは荷物の片付けもそこそこに、「バウンダリーズ」の校正をやっていた。寝たのは午前4時過ぎ。今朝は十時半に目が覚めた。アメリカから日本に行ったときの時差ぼけは早寝早起きでとても気持ちがよかったのに、今回は宵っ張りの朝寝坊になってしまい、まるで自堕落な生活をおくっているようで気がひける。(笑)今はもう午前11時半だけど、子供たちもまだ誰も起きて来ない。一方ぼぼるパパは、夕べは帰宅してすぐに就寝、今朝は普通に起きて早速出勤した模様。普段は不規則で朝晩逆転した生活のくせに、時差ぼけになると人並みのサイクルになるのだから、面白い人。

さてと、郵便局に局留めにしておいてもらった郵便物を取りに行って来ようかな。牛乳も買って来たいし。コーヒーが飲みたい。

2004年8月7日

新任の助教授のオフィスを都合するため、となりのオフィスに引っ越しをするよう言い渡された。せっかくイタリアに行く前に整理整頓して以前よりましになったのに、引っ越ししてしまっては努力が水の泡じゃんか。「新任の人にとなりのオフィスをあげたらどうですか」と言ったのだが、如何ともしがたい理由があるらしく、「今のオフィスより広い」「窓の数が3倍(今はひとつ)」などと言って丸め込まれてしまった。で引っ越しの期限は、と聞くと来週までだという。げげっ、そんな。というわけで昨日は帰国早々朝から出勤して、終日荷物の運搬をした。丸一日働いて、本やコンピューターや論文など仕事に必要なものは何とか移動を完了したものの、オフィスは空になるどころかほとんど外見に変化がない。手のつけられない使途不明瞭な書類が山のようにあって、これがオフィスの外観の大勢を決定しているようだ。いっぽう、新しいオフィスはまだがらんとしていて、まったく生活感が感じられない。前のオフィスより30パーセント床面積が広がったことも相まって、部屋の大半が無意味な空の空間で占められていて耐えがたい。ソファーベッドや冷蔵庫やトレッドミルやこたつなどを備えることにしよう。

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きょうは朝から外回りの仕事。耐用年数3年のところ10年もほったらかしにしてあった子供用のぶらんこと滑り台のセットを裏庭から撤去する。さびついていてねじまわしなどはまったく受け付けないため、強引に地面からひっこぬいて、鉄パイプのつなぎ目をぐにゅぐにゅ曲げて、なんとか分解する。そのあとHome Depotに行き、数ヶ月前の浸水で廃棄を余儀なくされた地下室の絨毯を新調してくる。丸めた288平方フィートの絨毯はうちのバンには乗らないので、トラックを借りた。玄関からえっちらおっちら引きずりこんだのはいいが、地下室におろす入り口は狭くて、長さ12フィートの絨毯の筒は容易には通過しそうもない。疲れたのでとりあえずホールに放置し、これからのことは後で心配する事にする。このあたり(午後3時)で、ようやく家族全員が起きてきて朝ご飯を食べている。時差ぼけは当分続きそうだ。(ぼ)

2004年8月8日

現在、朝9時過ぎ。もうすぐ教会へ行く。夕べは今朝起きれないと困るから早く寝なさいとぼぼるパパに言われ、夜中一時過ぎには仕事をきりあげて寝室へ行った。ところが眠れない、眠れない。ぜ〜んぜん眠れない。悶々としているうちに4時半になり、あまりに時間がもったいなかったので、結局起き出して、朝6時半まで校正の続きをやっていた。やっと5分の2くらいかな。こんなことなら最初から寝ようとしないでずっと仕事してればよかった。

さぁ、今日は久しぶりにこちらの教会での礼拝。主よ、あなたにすべてを感謝し、あなたを礼拝します!

主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 (詩篇37:4)

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夕方6時です。礼拝後、お昼御飯を食べてから倒れるようにお昼寝。

日本滞在中は、いくつかの教会を訪れることができた。母教会が居心地よかったのは言うまでもないが、特に知り合いがいるわけでもない東京ホライズンや、旅先でたまたま寄らせていただいた那須高原教会など、どこへ行っても私は少しも違和感を感じることなく、リラックスして主を礼拝することができた。

那須高原教会でのことを少し。那須には、〜〜教会、〜〜チャペルと名の付く施設は多いけれど、そのほとんどが結婚式専門。でも町で日本同盟キリスト教団那須高原教会という看板を見つけ、ここなら本当に主を礼拝することができるだろうと、前日の土曜日に電話をして場所と時間を確認してから、日曜日の朝はこちらでお世話になった。高原らしいログハウス調のステンドグラスの美しい教会で、隣には「ハウスオブレスト」というペンションが併設されていた。地元のクリスチャンたちの霊的養いと、観光で訪れる人々への福音伝道の両方を使命としておられるらしいことが伝わってくる、主の愛に満ちた素敵な教会だった。牧師の近藤先生をはじめ、皆さん旅行者としてただ一度訪れただけの私たちを快く歓迎してくださり、子供たちは日本語がよくわからないのでというと、エミとみんには英語の聖書を、ま〜やとケンには英語の絵本を貸してくださった。またこの日は、横須賀中央教会の岡村先生という方がスピーカーとしていらっしゃっていた。紹介のとき、「岡村先生御夫妻」と言っていたのに、奥様らしい人は先生の隣におらず、おかしいなぁと思っていたら、礼拝後、私たちの真後ろの、隅っこの方にひっそり座っていらした老婦人が奥様であることがわかりびっくりした。アメリカだと、ゲストスピーカーの奥さんはたいていスピーカーと一緒に最前列のまん中に座っているものなのに、日本の牧師夫人は謙遜なんだなぁと思った。礼拝後、岡村先生の奥様とは知らず、「うちの子供たちが礼拝中もぞもぞ落ち着きがなく、すみませんでした」と声をかけると、奥様は「そんなことありませんよ、子供たちは教会の宝です。気にしないで、大いばりで礼拝に連れてきてください」とおっしゃってくださり、私は涙が出そうだった。近藤先生とお話しているときは、ロンドンJCFの盛永先生を御存知とのことで、話しがはずんだ。

教会を後にしながら、ぼぼるパパがこう言った。「日本人クリスチャンと話していると、初対面の人でもいつも必ずといっていいほど共通の知り合いに突き当たるのは、それだけ日本のクリスチャン人口が少なくて狭いからだと思っていたけど、やっぱりそれだけの理由じゃないよ。僕たちは、実際、繋がっているんだ。キリストの身体として、家族として、ひとつなんだよ。だからだよ!」本当にその通りだよね。私たちが、キリストを頭としたひとつの御身体につらなるものであるということ、神の家族であるということは、なんて素晴らしい真理なんだろう!

どの教会を訪問しても、クリスチャンの集まりに参加しても、そのままそこを私の居場所にしてしまえそうなほどの居心地の良さを感じたのもそのせいなんだろうな。日本に帰ってくると、やはりここが私にとっての「ホーム」だと思い、アメリカに帰って来たら今度は「でもここも紛れもなく私の『ホーム』だ」と感じ、一体どっちなんだろう?と自分でもわからなくなった。今日も、アメリカの母教会で愛する兄弟姉妹たちと共に主を礼拝しつつ、This is where I belongと思った。でも、その時気付かされたことは、アメリカとか日本とか、○○教会とか××教会とかの問題ではなくて、主の御名によって人々が集まり、そのまん中に主のご臨在のある場所ならどこでも私にとってのホームなんだということ。教会は神さまの宮。私のお父さんの家。私のお父さんの家であるなら、当然私の家でもあるわけだ。世界中どこでも、主の教会のある場所には私の家(別荘?)があるなんて、なんて素敵。しかも、私の究極のお家は天国だし。私の「ホーム」は本当はどこなんだろう、なんて、あまりつきつめて考えて悩まなくたっていいんだ。ハレルヤ!

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お返事したいメールがいくつかあるのだけど、校正が終わるまでは我慢しよう。16日の月曜日までには東京に着くように送り出したいと思っている。

2004年8月9日

昨日はその前の晩に一時間ほどしか寝なくて、お昼寝も数時間しただけだったので、さすがに夜中の12時頃になったら眠くなって、よし、このチャンスを逃すな!とばかりにすぐに寝た。そして今朝は8時過ぎにパパに起こされて起床。やった、これなら人並みの生活だわ。このまま時差ぼけを乗り切れるか!?

でも、寝ている間、隣の部屋のま〜やの咳がひどくて、それで何度が目が覚めた。喘息持ちなので寝る前にネブライザーを使わせたけど、お医者さんに行った方が良さそう。というわけで、先程電話して予約した。つくづく、日本にいる間にこんなふうにならなくて良かった。自分たちでも気付かないところで、いろいろ守られていたんだろうなぁ。

今日から二週間、エミは学校のオーケストラと合唱部の練習が毎朝十時から二時まである。学校は近いので私が車で送らなくても、エミは自分で歩いて行けるのでありがたい。あれ、でもお弁当持たせないといけないのじゃなかったかな。大変、準備しなくちゃ。

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校正をやっていたら、「私たちの心の内側には、感情や衝動、欲求を、外に表現することなくしまっておける場所があるべきです。抑圧のない自制が必要なのです」という文章が出てきて、なるほど、と思った。抑圧のない自制("self-control without repression")、つまり、自制は抑圧することとは違うんだ。抑圧は、本当はそこにあるのに、それを押さえ込み、心のどこかに封印して存在しないフリをすること? 一方自制は、そこにあることは認めるけれど、そのような感情(衝動、欲求)に自分を支配させたり流されたりすることがないようにすること? その違いは微妙な気もするけれど、前者の場合は都合の悪い感情などと闇に封じ込み、後者の場合はそれを主の光のもとに差し出すことになるのかな。そういえば、「癒しは光のもとでのみなされる」という文章もどこかにあったなぁ…

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現在夜十時半。夕食後、耐えられなくなって眠ってしまった。そしてさっき起きた。これじゃあ多分今夜も明け方まで眠れないぞー。困ったなぁ。寝るとか起きるとか、生活のなかのそんな基本的なことでさえ、自分の思ようにコントロールできないもどかしさ。

ま〜やはお医者さんで胸の音を聞いてもらったら、案の状喘鳴がひどく、これから一週間あまり数時間ごとにネブライザー(吸飲薬)を使うことになった。ほんとに、日本にいる間にこうならなくてよかった。一応インヘイラーは持っていってたけど、ま〜やはまだインヘイラーはうまく使えないから。あとアトピー性皮膚炎の方も悪化気味なので、喘息とあわせてステロイド剤(飲み薬)を処方された。

2004年8月10日

ふえーん、ダメだぁ。時差ぼけ、全然直んないよ。夕べは十時過ぎに起きてから、その後ついに朝までほとんど眠れなかった。別に勤勉に働いているとかいうわけでもなく、とにかく寝付かなくて。やっぱりリカバーするには一週間から十日はかかっちゃうのか。からだのおもむくままに、寝たり起きたりしているケンがうらやましい。

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現在夜9時。今日は、朝9時過ぎに寝て、午後三時半に起きました。(日本時間で言うと午後11時過ぎ就寝、朝5時半起床。健康的な生活でしょ?)日本の皆さん、私は当分皆さんと同じ時間帯に寝たり起きたりすることになりそうです。これからもどうぞよろしく!?

今夜は久しぶりにワーシップチームの練習。楽しかった。また日曜日にみんなで主を礼拝し、賛美の歌を歌うのが待ち切れない。

主をほめたたえよう。
私たちの神にほめ歌を歌うことは、すばらしい。
主をほめたたえることは楽しく、またふさわしい。
(詩篇147・1 現代訳)

2004年8月11日

日本は暑い日が続いているようですね。こちらは今年の夏は冷夏のようで、今日もやっと20度Cいくかいかないか、というくらいでした。半袖でいると寒いです。(はち)

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ふぇーん、時差ぼけが直んないよう。毎日夜9時半に寝て朝5時に起きるという、まるで健康児のような、いたたまれぬ睡眠パターン。書き入れ時の深夜に寝ていたのでは、全然仕事がはかどらないではないか。一方、時差ぼけのはちこや子供たちは私が寝ている間に起きているので、最近家にいてもお互いあまり顔を見かけない。(もっともこれは時差ぼけでなくても、そうだが。)

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きのうは、まだがらんとしていておよそ体裁のととのってない新研究室に、東北大学の大学院生のMさんをお迎えした。私の研究室を訪ねるために、わざわざビクトリアのSPARCの会議から足をのばしてくださったのに、研究の匂いが皆無のこんな部屋にお招きするのは気が引けた。(写真上)D論で研究されているオゾン輸送の解析手法の形式論についていろいろとお話を聞き、昼過ぎにはセミナーもやっていただいた。夏休みで学科にほとんど人がいないため、聴衆が集まるか心配したが、それでも学生やポスドクで7、8人やってきた。この時期にしては上出来である。

他にお見せするようなものもないので、施工が始まった流体実験室にお連れした。施工と言っても、壁をくずしてドアを拡張する作業がかろうじて始まったばかり(私が購入したタンクが大きすぎて入り口を通過できなかったため)で、部屋の中にはまだ何もない。(写真右下)むこうの床のタイルがはがしてあるところが実験のエリアで、まもなくエポキシによる防水加工をし、床排水口を設置することになっている。そしてここに直径1メートルの回転台を運び込む予定。(写真左下)

天井のパネルを抜いてあるところには、ビデオカメラをまわす副回転台が装着される。(右写真)副回転台は主回転台と同調する(はず)。これら一連の設備が整うのは9月の下旬くらいになる予定で、秋の講義にはさっそく利用できそうだ。(ぼ)

2004年8月12日

最高気温が61度F(16度C)で、10月並み。シカゴの観測史上、一番寒い8月の気温だったそうです。あんまり寒いのでセーター着込んじゃいましたよ。それに、風邪もひいた模様。これはケンのをうつされたのだと思うけど。鼻声で、くしゃみが止まらな〜い!

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日本での話しをちょっと。ぼぼる母と那須で一週間過ごしたあと、山形の父の別宅へ行き、そこで関西から出てきていたはちこ妹と姪(8歳)と甥(5歳)と合流した。山形へは那須から仙台まで新幹線で、仙台から庄内までは高速バスで。バス路は、大平洋側から日本海側までいくのに、いかにもまん中の山脈を越えています、という感じにトンネルをくぐり、谷間の橋を渡り、トンネルをくぐり、また橋を渡り、を繰り返す。途中の景観はとても美しく、二時間の間私はまったく退屈しなかった。

山形では三泊し、海水浴に行ったり、何とかっていう有名なお寺神社(お寺なんだけど鳥居がある)のある羽黒山の方(芭蕉の「奥の細道」のゆかりの地だとか)へ連れて行かれたり。そのお寺神社の一角には「蜂子皇子(はちこのおうじ)の墓」というのがあって、笑った。はちこ皇子だって! それにしても、今回の日本滞在で気がついたことは、日本人というのは私が思っていた以上に信心深い人たちだということ。行く先々にほこらや鳥居があって、みんな結構真剣に参拝している。信心というのは、裏を返せば恐れの現れなんだろうね。悪いことが起きないようにとか、たたられないようにとか。早く日本の隅々にまで福音が伝えられますようにと祈らずにはおれなかった。

昼間出かけた後、夜は庭でバーベキュー。それから花火。打ち上げ花火がたくさん買ってあって、ぼぼるパパが活躍。10連発のものを打ち上げている時、途中で倒れて花火が横向きに発射されてしまうという事故(?)が起きた。幸い、私たちが座っているのとは違う方向に発射されたからよかったものの、結構危なかったかも。おじいちゃん(はちこ父ね)も、横向きに発射されるたびに「おう。おう。」と反応していた。

花火がしばらく続くうち、おじいちゃんがおもむろに言った。「しかしな、ここに座っていると、パラソルが邪魔で、打ち上げられた花火が全然見えん。」「ええー? 今まで、全然見えてなかったの?」「うん」「じゃあ、今上がったやつは?」「見えない」一同、唖然。今まで、一体何のためにそこに座っていたのか。どうりで花火が横向きになったときは反応が良かったわけだ。「じゃあ、ちょっと後ろに下がって見えるところまで移動すればいいじゃない?」「そうだな」ガタガタと椅子を50センチほど後方に移すおじいちゃん。「おお、これで見えた」ところが、せっかく見えるようになったのもつかの間、その時、数メートル向こうで次々と花火に点火していたぼぼるパパが叫んだ。「これでおしまいだよー」おじいちゃんはがっくりとうなだれていた。

ぼぼるパパが子供と一緒にポケモン映画を見ながら楕円関数の加法定理について考えるように、おじいちゃんもきっと、孫と花火をしながら頭のなかでは自分の研究について考えていたんでしょう。まったく、学者ってやつは。(笑)

山形では他にも面白いことがあった。セミの羽化を目の当たりに見たこと。庭で遊んでいた甥のたっぴーが、「あっ、生きているセミの抜け殻だ!」と声をあげた。少し離れたところにいた私と妹は「生きているセミの抜け殻って、何よ?」と苦笑していた。たっぴーはなおも「だけど、背中が割れてないよ!」様子を見にいった妹は「本当だ。生きているセミの抜け殻だ!」要するに、地面から出てきたばかりのセミの幼虫だったらしい。早速つかまえて虫かごに入れた。きっと数時間のうちに羽化するんだろうけど、そのためにはつかまるための枝が必要だよね?と、妹と二人で近くの原っぱに走り、手頃な枝を見つけてそれをかごに入れてあげた。幼虫は待ってましたとばかりにその枝によじ上り、途中で動かなくなった。その後私たちは食事に出かけ、数時間留守にしたのだが、帰って来てからかごを覗いてみると、おお! 背中が割れて、半透明でうす緑色のセミが出て来ている! 私たちは全員で息をひそめて(いや、かなり賑やかだったかな、フラッシュ撮影したりとか)、セミが完全に羽化する様子をじっと見つめた。だいたい30分から1時間くらいかかったかな。 なかなか感動的だった。出てきたときは半透明だったセミも、次の日の朝にはちゃんと普通の茶色になっていて、もともとそう長くはない命なんだから逃がしてあげようね、と近くの木に放してあげた。

セミの話しが出たら、次はカブトムシのコッキーちゃんの話もしないとね。でも長くなってきたのでそれはまた今度。

*****

ところで、那須にいたとき、お土産やさんで「那須の月」という美味しそうなお菓子が売っていた。丸くて黄色いスポンジケーキのなかに、カスタードクリームが入っているもの。ところが、仙台の駅では「萩の月」というまったく同様のお菓子が売っていて、あれ?と思った。宣伝文句からすると、どうやらこちらが本家らしい。さらに笑ったのが、山形から羽田まで飛行機で帰って来たとき、羽田で「お台場の月」というこれまたまったく同様のお菓子が売っていたこと。要するに、日本中で売っているものなのか?

2004年8月13日

ひたすら校正に明け暮れる毎日。最近では夢にまで出てくる。夕べは明朝体の文字が私のところにビュンビュン飛んで来る夢をみた。でも今週末中には終わらせる予定。

『境界線(バウンダリーズ)』の出版は9月になりそうです。出版社は「地引網出版」さん。聞いたことないと言われそうですが、これはリバイバル新聞さんの出版部門の新しいレーベル(という表現でいいのかな?)です。いのちのことば社さんのフォレストブックスみたいに。

ちなみに、この本の副題は「聖書が語る人間関係の大原則」となりました。人間関係といっても、人間同士の関係にとどまるものでなく、人が持ちうるあらゆる関係、と言ってもいいかもしれません。自分と他者との関係、自分と神様との関係、そして、自分自身との関係。愛は関係のなかでのみ表現されるるものです。関係を持つことなしに愛は体験できません。ところが、この「関係を持つ」ということにおいて悩みつまずいている人は、クリスチャンであるなしにかかわらず、この世の中には大勢いるのではないでしょうか。関係とは、双方の独自のアイデンティティーが明確であってこそ、持つことができるものです。そして境界線は、互いに愛し合おうとする双方のアイデンティティーを定義付けます。「私」を形作るものは何か、私は何を所有し、どこまでが私に委ねられた私の責任で、どこからは私の力や責任の及ぶ範囲ではないのか…等など。この本が、皆さんがご自分の「境界線」を見い出し、それを適切に行使することを学び、それによって皆さんの「関係」をさらに愛に溢れ自由でいのち豊かなものにするための助けになるよう、祈っています。

2004年8月14日

今日はケンスケとま〜やはパパにつれられて、The Wiggles のコンサートに行っている。ケンはWigglesの大ファンなのです。去年のクリスマスも、教会でクリスマスの歌を歌うはずだったのに、マイクを握るや否や「I'll do the Wiggles song!」と言っていきなり踊りだしたほどだった。(笑) 楽しんでおいでね!

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結城さん、『バウンダリーズ』の件でリンク感謝です。

結城さんの8月14日の日記

ちなみに、結城さんはクリスチャンのプログラマで、プログラミングに関する何冊(何十冊?)ものベストセラーを執筆、出版されている方。結城さんの「よい文章を書く」ことに対するこだわりは、私もいつも参考にさせていただいています。今回、私が翻訳や校正をするにあたっても、結城さんが以前「書き手が苦労した分だけ、読み手は楽に読めるようになる」というようなことをおっしゃっていたのを何度も思い出し、それを励みにしてきました。感謝します。結城さんのお仕事のうえに、これからもさらなる主の祝福がありますように!

よい文章を書くために (結城浩さん)

2004年8月15日

日本では食べ物がおいしくて一日三食きちんと食べていたので、体重が7キロ増え、持っていった33インチのジーンズが全然はけなくなっていたが、アメリカに帰っていつもの粗食(一日1.3食くらい)に戻ったら、たちまち4キロやせて32インチが楽々はけるようになった。この調子で、あと3キロ落とそう。

*****

ううむ、残念ながら負けてしまいましたね、酒田南高校。いや、とくにひいきってわけでもなかったんだけれど、鶴岡で海水浴をした日がちょうど山形の地区大会の決勝戦の日で、酒田南と東海大山形の試合中継を海水浴場のラウドスピーカーで逐一流していたので、記憶に残っていたのだ。大会随一のチーム打率をほこっていたので、横浜との対戦も見てみたかったんだがな。

*****

エミの新しいハムスターの名前は「スイカ」。まだ生まれてまもないシャンガリアンで、ピンポン玉くらいの大きさくらいしかない。ほとんど眠ってばかりで、あまり顔を見せないぞ。あ、でもこれは私が時差ぼけで夜寝ているせいかも知れぬ。むこうも夜に起きて同じことを思ってるかもしれない。

*****

ひさしぶりにワーシップのリードをする。でも、リードといいつつ、一番楽しんでいるのは自分だろう。(ぼ)

いかに楽しいことでしょう
主に感謝をささげることは
いと高き神よ、御名をほめ歌い
朝ごとに、あなたの慈しみを
夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは。 
詩篇92篇1、2節  新共同訳

*****

今、8:45PM。 夕拝から戻ってきたところ。うちの教会では今夜から水曜まで、四晩連続で子供のための特別集会を持つ。ルネッサンスを舞台にしたお芝居あり、歌あり、パペットありのマルチメディアなもの。さあ、これから校正の残りをやって、今夜中に送信します。終わるかなぁ? (はち)

2004年8月16日

自分に理解できないような事柄が身に降りかかってきたときには、「主よ、なぜですか?」ではなく、「主よ、何のために?」と祈ろう、とよく言われるけれど、今日、あることについて祈っていたら、「何のために?」の答えは実はすでに与えられているのだということに気づかされた。

その答えとは、「イエス様の似姿に変えられていくために。

私たちが直面するどんな状況も、困難も、いやそれだけでなく、祝福でさえも、そのことを通して私たちがイエス様の似姿に変えられていくようにとの、御父の尊いご計画があるのだと。

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日本にいたとき、ぼぼる母が「最近、高齢者向けの算数のドリルをやっているのよ。脳の老化防止にいいんですって」と言っていて、へぇ、と思っていたら、Yomiuri-On-Line で「『脳を活性する』中高年にドリル帳ブーム」(8/13社会面)という記事を見つけて、なるほどこれかと納得。「買っていくのは必ずしも高齢者だけでなく、30ー40代など、”老いの兆し”を感じ始める世代にも幅広く売れている」そうです。

2004年8月17日

オフィスの引っ越しが完了。古いオフィスはやっと空になった。

こんどのオフィスは無闇に広くて、机や椅子がたくさんある。これは勉強机。

これは電子計算をするための机。

これは物書きをするための机。(積み重なっているのは裏が白い計算用のいわゆる「馬鹿紙」)

これは人と会うための机(だが今のところ物置になっている)。

これは実験器具を置くための机。

この実験器具の大半はしかし、やがて階下の流体実験室に移されることになっている。その実験室だが、ドアの拡張工事が一段落ついた。

さて、今回の引っ越しではかなり思い切ってモノを廃棄した。たとえば、1990年にはちこ父から譲ってもらったMac IIx。拡張スロット6個というすぐれもので、加速器、イーサネットカードの他、当時としては画期的なビデオキャプチャーカードやアニメーションコントロールのカードを装填した。お陰で消費電力がかさみ、一回電源を飛ばして部品交換している。14年まえ、これに14メガバイトのメモリーを足すのに1500ドル近くはたいたとは、今となっては信じられない。が、それを使って作ったアニメーションのお陰でシカゴ大学に職をもらえたのだから、こいつには世話になった。さすがに16MHzでは、システムをアップグレードすることも8年まえくらいからできなくなっていたけれど…。

このほか、一番最初に出版した論文の受理の知らせや、一番最初に取ったNSFのグラントの受理の知らせなど、懐かしい書類が次々に出てきたが、いつまでもとっておいても仕方がないので片っ端から処分。しかし、大したことがないようで12年の間にずいぶんいろいろなことがあったなのだなあ、と改めて思わされる。この間、神様は私のすべての必要を満たして下さった。これを機に新たな気持ちで仕事にとりくもう。(ぼ)

2004年8月18日

ようやく、夜寝て朝起きるというサイクルが戻ってきた。やはり疲れが出たのか、昨日今日と、たくさん寝ている。

某所で見かけたこの御言葉が、疲れた頭にゆっくりしみてくる。御言葉って、心が怠惰になっているときには沸き立たせ、騒然としているときには鎮めてくれる。今日は一日、これを私の祈りとしよう。

 
 「主よ。あなたの道を私に教えてください。
 私はあなたの真理のうちを歩みます。
  私の心を一つにしてください。 御名を恐れるように。」
(詩篇86篇11節)

2004年8月20日

何とか朝には起きているのだけれど、どうも日中は調子が出ない。夕方のこの時間(6時頃)からようやく頭が目覚めてくるという感じ。こんなに長く時差ボケを引きずるのって初めてなので、自分でもびっくり。

*****

那須の南ヶ丘牧場の釣り堀でマス釣りをしたときのこと。どういうわけかやたらとよく釣れて、釣り糸を垂らして5秒もたたないうちに釣れるという勢い。あっと言う間にバケツが一杯になったが、それもそのはず(?)ここでは釣った魚は全部買い取らないといけないという決まりになっていた。(釣り師を自認するぼぼるパパは苦い顔をして、「こんなのを本当の釣りと思ってもらっては困る」とかぶつぶつ言っていた。)買い取った魚は持って帰るか、その場ですぐに塩焼きに食べるかのオプションがあったので、持って帰るのは大変だから食べちゃいましょう、ということになった。パパと子供たちが釣ったマスは全部で1キロ以上あって、お金を払うとき、1キロ以上釣った人にはオマケを差し上げますと、雌のカブトムシを一匹もらった。初めて見る本物のカブトムシに子供たちは大喜び。しかしみんやま〜やはカブトムシが何なのか今ひとつわかってない様子で、袋の中のそれを何度も「コックローチ」と呼んでいた。カブトムシもさぞかし気を悪くしたことでしょう。(笑)旅先で手に入れたペットに気をよくした子供たちは、早速名前をつけることにした。

「Let's call her Cocky-chan, because she looks like a cockroach!」(コックローチに似てるから、『コッキーちゃん』と呼ぼうよ!)

かくして、中村家にもらわれてきた雌のカブトムシは、あろうことか「コッキーちゃん」という名前をいただくことになったのでありました。

その数日後、私たちは今度はりんどう湖ファミリー牧場へ行った。そこではちょうどイベントで、カブト虫捕りをやっていた。コッキーちゃんも一匹ではさびしかろうと、我々も挑戦することに。子供一人500円ずつくらいで、一人雄と雌を一匹ずつまで。一匹も捕まえられなくても、帰り際にはもれなくもらえます、というルール。会場の林に行くと、子供もさることながら、目を輝かせて燃えているパパたちが大勢いた。合図と共に、林の仕切られた一角に、ビニール袋を片手にみんなが走って行く。制限時間は30分。私も一緒についていくと、いる、いる、木の根元に数匹ずつカブトムシが置いてある。そう、棲息しているとかじゃなくて、明らかに「置いてある」という感じ。どの子供たちも、あっという間に雄のカブトムシ一匹はゲットした模様だった。(虫捕り師を自称するぼぼるパパは「こんなもののどこがカブト虫捕りなんだ」と苦虫をかみつぶしていた。) ただ、面白いことに、なぜか雌の方はなかなか見つからなくて、みんな結構必死になって探していた。私は知らなかったけどカブトムシって、地面にもぐる習性があるようで(雌だけ?)、木の根元の地面を枝でかき回していたら、雌を二匹見つけた。三人分の料金を払っていたため、帰り際にもう一匹もらい、かくしてコッキーちゃんには新たに雄雌三匹ずつの仲間ができたのでありました。

総勢7匹のカブト虫たち、子供たち(とパパ)は目一杯堪能しました。もちろんアメリカに持って帰ることはできないので、全部従兄弟のタッピーにあげましたけど。 ところでその後、山形で「アマゾン博物館」というところに行って、本物の生きたヘラクレスオオカブトを見ましたよ。大きくて、テラテラ光ってて、すごかった。

2004年8月21日

以前この日記で紹介したことのある米田浩司(ひろし)さんの証が、クリスチャン新聞福音版に掲載されたのでここにも御紹介します。

引きこもりからやり直し−歌で伝える米田浩司さん−

この記事の一番最後に出ている浩司くんのHPはリンクがうまくつながっていないようですね。こちらです。

2004年8月22日

今朝の礼拝メッセージのなかで特に印象に残ったこと。

世的な喜びは人をのぼせ上がらせる(puff up)。 信仰から来る喜びは人を満たす(fill up)。

2004年8月23日

今朝はみんの新しいメガネを作りに行った。午後からは私の本棚とま〜やのタンスを買いに、ちょっと遠くの家具屋さんまで家族みんなで出かけた。アメリカの家具は自分で組み立てるようになっているのが多くて、その分確かに安いけど、結構大変。今も私の背後でパパが本棚を組み立ててくれている。そしてそれをケンがお手伝い。パパが電動のねじ回しや金づちを使っているのがケンの興味を引いたらしく、「ボクは男の子だからパパと一緒に作るんだ!」と嬉しそう。パパが作業する隣で、説明書を手にあれこれ生意気なコメントをしている。「Do it from the top!」「Good job, Dad. 」「Be careful, don't hurt yourself.」「It's coming along.」などなど、言うことだけは一人前。(笑)ほとんど完成になると「We are almost done. Dad and me, we are almost done, Mama.」などと私のところに報告にくる。すっかり自分も一緒に作った気になっているらしい。でも、そのうち本当にパパの代わりに日曜大工をしてくれるようになるかもね。楽しみ。

2004年8月24日

今日のワーシップチームの練習はいつもにも増してとても良かった。選曲はいつもリーダーのぼぼるパパがやっているんだけど、ただ好きな曲、歌いたい曲を選んでいるわけではない。ぼぼるパパに言わせると、まず(1)全体のテーマ、(2)それぞれの曲が持つemotion(元気のいい曲か、しっとりした曲か等)、そして(3)キープログレッション(曲から曲へのキーの流れ)の三つを主に考慮して選曲し、順番を決めていくのだそうだ。それは本当に祈りながらのプロセスで、聖霊さまに教えていただきながらでないととてもできないと彼は言う。一年ちょっと前までは、彼はこんなことしたことなかったのに、どうしていつの間にかできるようになったのだろう? 側で見ている私が一番不思議。やっぱり聖霊さまなんだなぁと思う。彼のテクニックとか知識とか、そんなのじゃなくて、聖霊さまが教え導いてくださっているんだなぁと実感する。

そして今日ぼぼるパパはチームのみんなにこう言った。我々ワーシップチームのためにだけ祈るのでなく、会衆のためにも祈っていてくれ、彼ら一人ひとりが今週も日々イエス様に触れられ、語られ、取り扱われ、日曜日には霊も魂も身体も主を礼拝するよう整えられて(ready to worship) 教会に来ることができるように;我々が教会として心を一つにして、霊とまことによって主を礼拝するためには、チームだけが整えられていても不十分なのだから、と。彼がこう言うのを聞きながら私は思った。ああそうか、ワーシップリーダーの役目というのは、日曜日の朝に賛美の歌をリードするだけでなく、会衆みんなが主の御臨在の中に入っていって礼拝を捧げる者であれるようにと、一週間を通して祈りにおいても仕えることなんだなぁと。

次の日曜日の朝の曲目は、
プレサービス:

  • I Love to Tell the Story  Hymnal #320  Ab
  • Higher Ground  Hymnal #104  Ab
  • We Worship and Adore Thee  Ab

本割:

  • King of Majesty  A
  • Let There Be Joy  A
  • More Love, More Power  Em
  • Awesome God  Em
  • Awesome In This Place  E
  • You Are Holy  E

Oh, Jesus, let Your Glory fall! Fill Your temple with Your Holy Presence! We lift Your mighty Name above all things!

*****

『境界線(バウンダリーズ)』の出版に先立って、紹介ページを作りました。是非ご覧ください。

『境界線(バウンダリーズ)』の紹介ページ

2004年8月25日

日本からから戻って以来、子供たちが日本語を話す割合が明らかに増えている。エミは、大学は日本で行きたいという目標を持ったようで、自主的に漢字の勉強を始めた。小学校2年生までの漢字はできるけれど、それ以上になると難しいといって頭を抱えている。「読めるけど、書けないのよ。」しょうがないよ、それはママも同じだもん。実際に漢字を書くなんて機会は、ほとんどなくなってしまったからね。

みんやま〜やも、怪しげながらも結構日本語で話している。せっかくそういうモードになってくれたのだから、なるべくやる気をくじかないようにしたい。

可愛いのはケンスケ。彼が生まれたときにエミが心配していたのが的中し、彼は自分のことを「あたし」と言うようになった。そして語尾には「〜よ」とつける。「ご飯よ〜」とか、「ここよ〜」とか。今日も公園でケンスケとかくれんぼをしていたとき、せっかく上手に隠れていたのに私がなかなか彼を見つけることができなかったら、木陰から大きな声で「ここよ〜、ママ、あたし、ここよ〜」と叫んでくれた。(笑)

さて、子供たちの学校は、今年は例年より始まるのが遅くて、新学期は9月8日頃から。エミは8年生、みんは5年生、ま〜やは2年生、そしてケンスケもプリスクール(幼稚園年少)に入学。さあ、どんな1年になるのかな? 主の祝福と守りを祈りつつ。

2004年8月26日

ふう、多忙なり。7月いっぱいと8月のはじめにかけてほとんど頭がからっぽだったので、もはや夏休みなどと言っていられない。講義のない今のうちに少しでも研究を進めておかないと。ちなみに前にも書いたかもしれないが、7、8、9月は教えていないので大学からは給料が全く出ない。私も含め理系の教官はだいたい連邦政府のリサーチグラントでまかなっている。逆にいうと結果さえ出せば別に大学に来なくてもよく、オフィスの建物には今はほとんど誰もいない。しかし、私はオフィスの引っ越しや実験室の建設などがあるので、律儀にほぼ毎日出勤している。静かなものである。

*****

さて、実験室に装填されるターンテーブルがついに完成。

直径1メートル、高さ90センチ。1馬力のモーターを1対8のギアで減速しているので、トルクは相当あるだろう。まあ、大型の電動ろくろという感じかな。3人の技官と顔をつきあわせながら、ここはああしたほうがいいとか、そこはそれではだめだとか議論しながらやってきたので、手抜かりはないと思うが、これをショップから実験室までもちあげるのは一苦労だろうな。

*****

日本にいる間、ケンスケがはじめて作詞作曲をした。車にゆられて退屈しているときに思いついた歌らしい。といっても、「あ・でん・あ・でん・あで〜んでん」とくりかえすだけの言ってみれば鼻歌で、タイトルもずばり、「あ・でん・でん」。自分で気に入ったらしく、何回も飽かず倦まずうたっている。

しょっちゅう歌うもんだから、しまいには家族みんながおぼえてしまい、あちこちで口ずさんでいる。そのうち、そういうことに造詣の深いエミが曲をちゃちゃっとアレンジして、ちゃんとした作品にしてしまった。というわけで、作詞作曲ケンスケ、編曲エミ、Midi file created by Emi で、「あ・でん・でん」をお贈りします。(ぼ)

「あ・でん・でん」(クリックすると音がでます。)

2004年8月27日

副牧師夫人のラナに赤ちゃんが生まれた。赤ちゃんを見てきたデニースが、「ものすごく可愛いわよ〜。新生児を抱っこしてたら、私ももう一人欲しくなっちゃった」と言っていた。そうなんだよねー。新生児の可愛さって、格別。泣き声も、新生児独特のフニャフニャーっとして感じがあって、スーパーとか歩いていても生後一ヶ月未満の赤ちゃんが泣いてると、すぐにわかる。過去のパターンからすると、回りに赤ちゃんが生まれると、釣られて(?)私も妊娠するという傾向があるので、気をつけないといけない。そのせいで四人も生んでしまったのだから。ラナの赤ちゃんも抱っこしたいけど、なるべく目線を合わせないようにした方がいいかもしれない。(笑)

一方、私と同い年のタミーが明日、子宮摘出手術をする。入院は四日間だけだが、その後三週間は重い物を持ち上げたり運転したりしてはいけないそうだ。タミーには子供が四人いてきっといろいろ助けの手が必要だろうから、私も手伝いにいくつもり。

今夜は、最近家を買って引っ越した友人宅での持ち寄りディナー会に行って来た。私はブロッコリーのサラダとシフォンケーキを焼いて持って行った。日本にいたときは、ブロッコリーやカリフラワーを生で食べることってなかったけど、こちらに来てから生でも食べるようになった。最初は違和感があったけど、慣れると気にならない。ブロッコリーのサラダは、生のままのブロッコリーを小房に分けたものと、レーズン、ナッツ(松の実とか、ひまわりの種とか、くるみなど)、タマネギを細かく切ったもの、ベーコンをカリカリにいためて細かく砕いたものを、マヨネースとお酢と砂糖をよく混ぜただけのドレッシングで和える。簡単で美味しい。いろんなバリエーションがあって、Google などで broccoli salad で検索すると、たくさん出てきます。

*****

再校ゲラがあがってきた。前回よりずっと良くなっていて(そうでないと困るけど)嬉しい。あともう少しだ、祈りつつ頑張ろう。

2004年8月28日

水曜日に申命記30章を読んでから、ずっとこの章が心に響いている。特に15〜20節。「いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい」との迫り。神様はいつも私たちに選択肢を与えられる。それは決してどっちを選んでもいいよ、というものではなく、神様がどちらを私たちに選んで欲しいと思っておられるのかは、御言葉のなかに明らかだ。またそれぞれの選択肢を選んだ後どういう結果になるかも明らかにされている。そのうえで神様は私たちに選択を迫られる。選択をしなくてはいけないのは私たち。そしてその選択の結果を負うのも私たち。

さあ、神の祝福を選ぶか、呪いを選ぶか、今日、はっきり決めなさい。神の祝福を選ぶなら、あなたがたもその子孫たちも、神様に祝福され、生きがいのある人生を長く送ることができる。(申命記30:19 現代訳)

祝福を選ぶとは、8節にあるように主の御声に聞き従い、それを行なうことかな。 (奇しくも、最近複数の友人のウェブ日記のなかでも「主のことばを聞き、それを行なう」ことについて言及されていた。)この夏はずっと、神様のことばを恐れることについて語られてきたけれど、申命記30章も私にとって、その延長線上にある神様からのメッセージのようだ。

2004年8月29日

今日は朝の礼拝のあと、二時から友人のウェディングシャワー、四時半からは教会でミッショネットのリーダーミーティングがあって午後中留守にしていた。ミーティングのあと、夕拝の前にパパと子供たちをピックアップするために一旦家に帰って来ると、家の中がものすごく焦げ臭い。「どうしたの」と聞くと、エミが泣きそうな顔で、「ケンがひとりでポップコーンを電子レンジでつくろうとして、焦がしたの」と言う。電子レンジのなかをのぞくと、ススで真っ黒。ゴミ箱を見ると、真っ黒こげになったポップコーンの固まりと焼けた袋が捨ててあった。

「何よ、これ!? もう少しで火事になるところだったんじゃないの?」

子供たちだけで留守番させてたわけじゃない。パパも家にいた。それなのにこれだもの。なんて恐ろしい。ケンスケは独立心旺盛で、何でも自分でできると思っているところがある。電子レンジはケンの手の届く高さにはないのに、自分で椅子を引っ張っていって、電子レンジ用ポップコーンの袋を入れて適当にボタンを押したらしい。二階にいたエミが焦げ臭いにおいに気がついてすぐに降りて来てレンジを止めたときにはすでに黒焦げだったようだ。

しばらく前にも、日本で二歳の男の子がお母さんの留守中におもちゃを電子レンジに入れて火事になり、子供二人が一酸化炭素中毒で亡くなったという記事を読んだばかりだ。この時も人事じゃないと思って恐ろしかったのだけど、やっぱりうちの子も似たようなことをやるんだと思ってゾッとした。でも、あれだけ真っ黒こげになっていたのに、火が出なかったというのは奇跡的。神様が守ってくださったのだろう。 ケンには一人で電子レンジを触っちゃだめと厳重に言い聞かせた。

2004年8月30日

じゅんぽろちゃんがデボーションガイド「クレイ」に連載されていた「真の礼拝者への道」という記事の一部を送ってくれた。読み始めてあっと気がつく。これ、マット・レドマンの「The Unquenchable Worshipper」の日本語訳だ。一年くらい前にぼぼるパパが買ってきて、とてもいいからはちこも読みなさいと言われていたのだけど、まだ読んでいなかった本。送ってもらった日本語訳を読んでみたら、なるほど、素晴らしい。ものすごく共感し、またいろいろ大切なことを思い出させられた。今やっている校正が一段落ついたら、この本、読まなくちゃ。じゅんぽろちゃん、ありがとう!

ところでマット・レドマンといえば、一番新しいワーシップアルバム『Face Down』のDVD版が来月早々に発売になるので、買おうね、とパパと話していたところだった。すでに発売になっているCDは、worshipmusic.com でEditor's pick になっている。このサイトのエディターの評は、いつも長くて、すごく情熱的で、これを読んでいるだけでも面白い。

今回の評のなかで、ジョン・パイパーの言葉が引用してあった。これ、私も以前どこかで聞いたことがあるんだけど、「教会の究極の目的は宣教ではない。礼拝である。礼拝者がいないから宣教するのだ」というもの。これには確か続きがあって、宣教はこの世での一時的な活動だけれど、礼拝は天国でもとこしえに続く、とかなんとか言うんだよね。 ジョン・パイパーがどういう文脈のなかでこの発言をしたのか知らないけど、多分彼が言わんとしていることは、宣教はそれ自体がゴールなのではなく、宣教を駆り立てるものは私たちの主への礼拝であり、宣教するのはそれによってこの世が、そして天国が、主を礼拝する人々によって満たされるため、ということなんだろうと私は想像する。

このCDのなかに『Mission's Flame』という歌があって、その一節に「Let worship be the fuel for mission's flame, we're going with a passion for Your name, we're going 'cause we care about Your praise, send us out」という部分があるらしい。礼拝を宣教の炎の燃料とせよ。あなたの御名への情熱を携えて私たちは行く。あなたへの賛美のゆえに、私たちは行く。私たちを送り出したまえ… うーん、共感する。実際、主の大庭で、主の御臨在に包まれて主を賛美し、祈り、礼拝をしているとき、主の御腕に抱きかかえられたままずっとそこに留まっていたいと思うと同時に、立ち上がって、駆け出していって、この世の全ての人たちに向かって、神様の愛を叫び出したくなるものだ。宣教、伝道はもちろん、日々の生活の原動力が主への礼拝といってもいいかもしれない。 日々の生活そのものが主への礼拝として捧げられると同時に、主を礼拝するからこそ、一日一日を主にあって歩んで行こうという思いが新たにされ、強められ、押し出されていくのだもの。

おお、そろそろ夕食の支度をする時間だ。まず買い物に行かなくては。 主よ、あなたの御名への情熱を携えて私は行きます。あなたへの賛美のゆえに、私は行きます。私を送り出したまえ、愛する家族の食事の支度をするために、私を送り出したまえ!

2004年8月31日

再校原稿、明日には送り出せそう。今からちょっと近所のFedExの代理店に行って、この原稿が入るサイズの箱があるのか確認して来る。

*****

ううむ、FedEx、UPS、USPSの三つをあたってみたけれど、どこも水曜日に発送したら東京につくのは月曜日になるそうだ。Overnight だとかNext Day Air だとかGlobal Express Guaranteed だとか、たいそうな看板下げているわりには、いざというときには役に立たないんだから。それだけ日本は遠いということかな。私が住んでいるところも田舎だし。DHLにも聞いてみようか。多分同じだろうけど。

あ、日本はもう9月なんですね。新学期。日本の子供たちのうえに神様の守りと祝福の御手が置かれることを祈りつつ。

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