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はちことぼぼるの日記

エントリーの最後に(ぼ)とあるのはぼぼるパパによる日記です。

2004年7月1日

今日はぼぼる母と会って、ぼぼる父のお墓の掃除に行って来た。昨日は台風が近づいているという話だったので雨に降られるかと思ったけど、幸いいいお天気で助かった。中村家はぼぼる父の家もぼぼる母の実家もクリスチャン。特にぼぼる母のお祖母さんは熱心なクリスチャンだったらしい。(クリーニングの白洋社の創始者、五十嵐さんと同じ教会だったそうだ。)墓石には十字架が彫ってあり、お掃除のあともお花を添えるだけで線香をあげたりはしない。

今朝、八王子の駅でおばあちゃんと落ち合ったとき、ケンスケはおばあちゃんの顔を見るや、「あっ!」と叫んで私の後ろに隠れた。思いがけず突然知ってる顔が出てきて驚いたのかな。でも、落ち着いたらすぐに出てきて、駅前で得意の歌と踊りを披露してみせていた。この家にきてはちこ母に会ったときも、最初に歌と踊りをやってみせてくれたっけ。彼なりの挨拶なのかもしれない。(笑)この家といえば、みんは初日、しばらく家の中をうろついたあと、「This house is making me feel tall」と言って嬉しそうにしていたっけ。そうだよね、洗面台もテーブルも、何もかも小さくて低いから、自分が大きくなったように感じるのだろうね。

お墓掃除のあとはデパートでランチ。子供たちのリクエストによりラーメンを食べた。うちの娘たちはなぜか、日本に来るとみんなメロンソーダを飲みたがる。日本ではたいていのレストランにはこれがあるけれど、アメリカにはないんだよね。今日も3人とも嬉々としてメロンソーダに舌鼓を打っていた。ランチの後は地下の食料品売り場で夕食用のお惣菜を買った。美味しそうなものが沢山あって、まるで夢のよう。ただし、高〜い。たとえば、サラダを200グラムずつ3種類買ったら、それだけで1800円くらいした。びっくり。他に買ったのは銀だらの西京焼きと照り焼き、そして焼き鳥をいろいろ。最初にパパに「何が食べたい?」と聞いた時は、お昼を食べたばかりだからお腹いっぱいで食べたいものなんかわからないよ、と言っていたのに、焼き魚のコーナーを見つけたとたん、目を輝かせて「これ、これ!これが美味そうだよ!」目移りするものがたくさんあったけど、彼のこの一言で決定。焼き鳥は子供たちのリクエスト。昨日だったか、はちこ母が焼き鳥を買ってきてくれて、それがとても美味しく、子供たちはすっかり気に入っていたのでした。実際とても美味しくて、パパも一口食べるや「うん、美味いな。パーパスドリブンチキンという感じだ」と、意味不明のコメントをしていたっけ。(笑)

*****

それにしても、みんな時差ボケがひどい。夕べは8時頃に寝て、午前3時過ぎには全員目が覚めてしまった。4時頃までは頑張って横になっていたけれど、そのうちみんな喉が渇いただのトイレだの言い出して起き上がって歩き回り始め、もうそのまま一日の始まり。おかげで今日午後2時過ぎに帰宅した頃にはすっかり疲れていた。ケンスケはすでにパパの腕の中で寝ちゃっていたし。そして夕方4時頃には全員アウト。私とパパは9時頃には起きたけど、子供たちはまだ寝ている。〔現在11時pm。)多分夜中くらいには起きだしてくるでしょう。この後いったいどうなることやら。

明日はぼぼるパパと私は、夕方から新宿でぼぼるパパの友人達と食事の予定。パパと二人で出かけるのかと思うととても楽しみ。一方子供たちは夜、テレビでハム太郎を見るのを楽しみにしている。明日の夜は、みんな寝てしまわないでちゃんと起きていられるかな?

そうそう、ケンスケが今日新しく覚えた日本語。「お腹すいた。」でも何度も言っているうちにだんだんなまってきて、最後には「オマタスイカ」になってたけど。(笑)この分なら、5週間後には結構日本語が話せるようになっているかも。だといいな。

2004年7月2日

夕べはあの後、結局ほとんど眠れないままに朝になってしまった。子どもたちは3時過ぎまでずっと寝ていた。子どもたちに朝食を食べさせて(実は夕べの夕食になるはずだった焼き鳥だけど)、全員をお風呂に入らせ、お布団をあげ、部屋に掃除機をかけ、一仕事終わって時計をみるとまだ午前5時半。外はすっごくいいお天気で、涼しくて、最高に気持ちがいい。6時過ぎには退屈している子どもたちを連れて近所のコンビニへ。道を歩きながら、子どもたちはイギリスにいた頃を思い出す、と言う。歩いて買い物に行くなんていうのが、イギリス時代の暮らしを思わせるらしい。言われてみれば、確かに通じるものがあるかな。

8時過ぎになったら中学時代の友人に電話して、一緒にランチをする約束を取り付けた。10時くらいになったら家族全員で駅の方まで出て、東急ハンズをぶらぶらと。子どもたちは日本の可愛い文具に歓声をあげていた。11時半頃に駅で友人と落ち合って、皆で昼食。あー、急に眠くなってきた。今日はこのあとまた出かける予定があるので、ちょっと一休みしてこよう。

2004年7月3日

今は午前7時過ぎ。夕べは帰宅が11時半頃で、寝たのが夜中1時頃だったのに、今朝はやっぱり5時過ぎには目が覚めた。今朝も良いお天気で気持ちがいい。3時半起床ではさすがに早すぎるけど、5時ならちょうどいいので、これ以上は起床時間が後にずれなくてもいいな。

昨日はあの後、ぼぼるパパと二人で新宿に出て、まずはオアシスブックセンターへ。お目当ての現代訳聖書や「静かな風」(片岡栄子)「あなたこそ私の主」(唄野絢子)「女性のための実践的自立学 心のオアシス」(丸屋真也)などを購入。ぼぼるパパは「自然科学とキリスト教」(ポーキングホーン著 教文館)を購入。でも、「主にある女性の絶えざる喜び」(イングリッド・トロビッシュ)、「交わりに生きる信仰生活」(唄野隆)、そして友人用に探していた「主の弟子となるための交わり」(ハンス・ビュルキ)はいずれも品切れだった。残念。出版社さんのところにももう在庫がないらしい。片岡栄子さんと唄野絢子さんは、実は私がずっとあこがれてきた女性。女性として、主婦として、家族と地域教会に仕えることこそが自分の一番の召しだと思っている私にとって、まさにロールモデルのような存在。お二人ともビュルキ師の影響を強く受け、日常生活のなかのささやかでごく当たり前の事柄のなかに主を見出すことの尊さ、恵みについて語っておられる。静かで淡々として、それでいて絶えず主との濃密な交わりのなかにある日々の歩みは、ブラザー・ローレンスの「敬虔な生涯」にも通じるかな、と思う。

書店に寄った後は、ぼぼるパパの友人たちと一緒に食事。約束の中華料理屋さんにいくと、入り口のところに「中村昇さんを囲む夕べ 様」と黒い板に書いてあって思わず笑った。集まってくれた5人の人たちは、パパの中学高校時代の山岳部の仲間たち。一人を除いては私も面識がある人たちだったので、私にとってもとても懐かしかった。さすが元山岳部だけあって、金曜日とはいえ平日の夜なのにスーツ姿だったのは二人だけ。あとはみんなラフな服装にバックパックをしょって、「俺たちは本当に40過ぎた社会人の集まりか?」とみんな大笑いしていた。

ぼぼるパパは日頃から私に、学生時代の友人やいろいろな思い出話を聞かせてくれているので、みんなの話を聞いていても少しも疎外感を感じず、とても楽しかった。やはりみんな、普段は滅多に集まることなどないらしいが、学生時代何年も山を通して苦楽を共にした仲間たちとあって、絆の固さと関係の深さ、そして互いに対する愛情と尊重のようなものを感じて、男同士の友情とはいいものだなと思った。

今日は夕方からはちこ父と、父方の親戚たちと中華街で食事。従姉妹や叔母たちと会うのは何年ぶりだろう? 楽しみだ。

2004年7月4日

昨日は夕方から父たちと会うために横浜中華街へ。まず「新世界」とかいうところへ行って京劇などを観て、それから辺りをぶらぶらと。父の奥さんが「これは見る価値がある」と言って連れて行ってくれたのが中国風の金ぴかカラフルなお寺。お線香の独特な匂いが立ち込め、一瞬うっとなったけど、これもまた経験のうち。興味深く覗いて来た。祭壇の前ではひざまずいて、かなり気合を入れて祈っている人たちがいて、エミは目を見張っていた。エミは教会のユースグループを通して宣教のために献金したり、宣教師さんのために祈ったりする機会がたくさんあるが、このように世界には本物の神様を知らないばかりに偶像に向かって一生懸命祈る人たちがいるという現実を目の当たりにし、だから宣教の働きとは一刻を争う大切なことなんだ、と実感をもって感じてくれたのではないかと思う。

その後は親戚たちと合流して食事。総勢17人が集まった。14年ぶりに会う従弟とか、叔母とか、とてもなつかしく、嬉しかった。しかしうちの子供たちは時差ぼけで、特にま〜やは会場に着くや否や眠ってしまった。仕方がないので椅子を何脚かくっつけてベッドを作り、そこに寝かせ、結局彼女は食事もせず、誰とも話しもできず、最後までずっと寝ていた。ケンは食事の途中から朦朧とし始め、そのうちバタン。みんも食事が終わるともう我慢ならないとばかりにバタン。帰るときは3人の寝てしまった子供たちをどうしようかとあせったけれど、車で来ていた従弟が3人とパパを送ってくれたので助かった。(6人全員は乗れなかったので、私とエミは電車で帰宅。)この従弟、趣味で写真をやっていて、プロ仕様の立派なデジカメでみんなの写真を沢山撮ってくれた。そのうちウェブにアップしてくれるとかで、楽しみだなぁ。ちなみに、このサイトの写真は彼の作品だそうです。

スーパーよさこい2004 official web site

そして今日は母教会で主日礼拝。礼拝前だというのに、牧師さん自らが私たちを駅まで迎えに来てくださった。この教会も、この20年の間にいろいろなところを通って来た。小さな礼拝堂に一歩足を踏み入れたとき、彼らが通らされてきた痛みや傷が見えるような気がして、私もまた胸に痛みを覚えた。だけど、何て言うんだろう、主は確かにそこにおられ、私はとても励まされた。今朝、数年ぶりで彼らと共に主を礼拝することができて、本当に嬉しかった。礼拝のあとは皆で昼食。懐かしい人たちとのおしゃべり。それからA子姉とデニーズに行って二人で数時間話し込んだ。(ぼぼるパパと4人の子供たちは昼食後、先に帰宅した。最後まで付き合わせてまた昨日の二の舞になると可哀想だったので。)お互いに「変わってないねー」なんていいながらも、いきなり人間ドックの話で盛り上がってしまい、やっぱり歳を取ったんだなと思って苦笑した。

その後はA子ちゃんのご主人と子供たちをピックアップして、同じ教会でタクシー会社を経営しているS兄のお宅におじゃまして、夕食をご馳走になった。S兄の会社は聖書の原則を経営にそのまま適用させ、とても祝された良い働きをしておられる。彼は愛の心と仕える姿勢、そして首尾一貫した裏表のない経営こそが彼のビジネスの土台だというようなことを言っていた。セキュラーなビジネスでも、聖書の原則を適用させて行うならその働きは祝されるものなんだなとつくづく思った。それにしても、S兄とももう20数年の付き合いになるけれど、彼も彼の奥さんも全然変わってなかったなぁ。5人でいろんなことを語り合いながら、神様がこの教会でなさろうとしておられるに違いない御業に、何か心躍るものを感じた。

2004年7月5日

昨日「新世界」と書いたのは、「大世界」の間違いでした。似たようなものだけど。(!?)

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今日は一日特に予定が入っていなかったので、朝から唄野絢子さんの「あなたこそ私の主」を読んでいた。その中に出てきたビュルキ師の「理想は時として破壊的な強制力を持つ」という言葉に、著者の絢子さん共々、私もどきっとした。実は、私には相手を励ますつもりで、実際には私にとっての理想・「あるべき姿」をその人に押し付けてしまう傾向があるらしいことに、最近気づかされたところだったのだ。夫に対しても、子供に対しても、ミニストリーのパートナーに対しても、それをやってきたかもしれない。決して相手の現実の姿を否定しているつもりではなく、自分なりに励ましているつもりではあっても、私から繰り返し熱心に「励まされる」と、相手にとっては私の言葉はとても負担でうっとうしいものになっていたに違いない。そのことに最初に気づかされたのは、わずか半月ほど前のこと、シアトルのKazukoさんが自閉症児のSensory overload について書いておられるのを読んだ時だった。自閉症児は、大きな声で話しかけられると、かえって相手の言葉に反応しなくなるそうだ。Sensory overload といって、入ってくる情報が過剰になると、自閉症児はそれをプロセスすることができなくなってしまうらしい。だから、彼らに話しかけるときは、ささやくようにそっと優しく話すのがいいのだそうだ。これは自閉症児に限らず、ある面、誰にでも当てはまる部分があるかもしれないと思わされた。いくら善意だとしても、過剰に働きかけられれば誰でも心を閉ざしたくなることもあるだろう。

私はよく人から「情熱的」だと言われる。そんなことないと思うのだけど〔自分ではむしろ淡白なつもり)、そう言われたことは一度や二度ではないので、少なくとも周りの人からはそのようにうつっているのだろう。私のこの「情熱的」な部分が、自分でも気づかないうちに家族や友人をSensory overload に陥れ、そうやって人間関係に傷をつけてきたことがあったかもしれない。今朝、唄野絢子さんの本を読みながらそのことにもう一度思いを巡らせ、知らないうちにどれだけ多くの愛する人たちに不快感を与え、私にとって大切な関係をどれだけ自らの手で損なってきたことだろうかと思わされた。そしてとても悲しくなり、主の前に悔い改めさせられた。絢子さんはこのことをご自身に当てはめ、「これは、私の内側にある暴力でした。私は周りの人に仕えているつもりでしたが、実は支配するものだったのです(p.171)」と書いておられる。私もまた、周りの人を励ましているつもりが、実は支配しようとするものだったのだ。クリスチャンとして人に仕え、励まそうとしていたつもりが、実は相手を支配しようとしていたに他ならなかったと気付かされることは悲しい。でも、それが現実なら、その事に気付かされることはとても大切なはず。 …… 私もまた絢子さんのように主に向かって祈った。「主よ、憐れんでください。」

ところで、「あなたこそ私の主」のなかには「バウンダリーズ」に出てきたのと同じ概念が何度も登場する。たとえ夫婦や家族であっても相手の領域を侵さないこと、責任ある応答をすること、自ら主体的に主の御心を選び取っていくこと、自立した大人としての成熟を目指すこと、などなど… 改めて、これらのことは聖書のなかに顕されている、私たちに対する主ご自身の御思いなのだなぁと思った。

2004年7月6日

現在朝6時半頃。今朝も5時前に起きた。子供たちはケンをのぞいてまだ寝ている。そろそろ時差ボケも落ち着いてきたのかな。

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数日前から「注ぎたまえ主よ」と言う歌が頭から離れない。「♪主のみたまよ、ふれたまえ、わが心に、主の教会に…」

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昨日書いた件について、今朝また思いを巡らせていたら、「私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために働く協力者です」(第二コリント1:24)を思わされた。この個所は今までにも何度も示されてきたのに、私は相変わらず同じところでつまずいているのか。そういえば、4年前にも同じテーマで日記を書いたことがあった。

はちこの日記「喜びのための協力者」(2000年秋 リバイバル新聞より)

自分で書いた文章を読んで、ひどく身につまされてしまった。だけど、朝の空気のなかで、主は朝毎に新しい恵みと憐れみを、やり直しをするチャンスを、与えて下さる方であることを思い、私への主の忍耐と愛に心が感謝で溢れた。そして、今日一日どうか私があなたの願う私であれますようにと祈ったとき、主の平安と喜びを心に感じて、イエスさまご自身が、私の信仰を支配しようとする者ではなく、私の喜びのために働く協力者であることに気付いた。イエスさまは何とジェントルに、それでいて確かな存在感をもって私と共にいてくださるお方であることか。主よ、御名をたたえます。

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夜です。今日は暑くなりましたね。外を歩いているだけで熱射病にでもなりそうでした。ケンは汗をたくさんかいて、首のまわりがあせもになってしまいました。

今日は午後から、ネットで知り合ったお友達のうちに行って来た。会うのは初めてなのに、まったくそんな感じがしなくて、数時間があっという間に過ぎていった。日本でのゴスペル伝道の可能性と課題について(あ、なんかエラそう)とかで随分盛り上がった。美味しい杏仁豆腐や巨峰を食べながら、とても楽しくて、ほんとに初めて会ったというのがウソのようだった。次に会えるのはいつになるのかなぁ。

明日も一日盛りだくさんの予定。10時に銀座で友人と待ち合わせ。午後はあるところにご挨拶にちょっと顔を出して、夕方からはきよきよさん主催の恵比寿バイブルスタディーの方たちと落ち合う。あさっては品川で高校時代の友人たちと会う。しあさっては…と、実は8月に入るまで、連日予定がびっしり。体調を崩さないように気をつけなくちゃ。今夜はまだ9時だけど、もう寝ます。

2004年7月7日

私が生まれた1961年のJournal of Fluid Mechanicsには、成層流体中のシアー不安定に関する有名なMilesとHowardの定理が両者の論文を抱き合わせにして発表されている。臨界リチャードソン数=1/4という例のあれであるが、この結果自体はGI Taylorが30年も前の1931年に予想している。すでに受理されていたJohn Milesの論文の原稿を送られたMIT教授のLouis Howardは、その鋭い考察に感銘を受けつつも、解析の途中に使われている条件や手法がもっと単純化できるのではないかとにらみ、Rayleighの安定性条件の導出をお手本にして積分条件を組み合わせ、Milesが13ページかけて到達した証明をわずか4ページで完成させた。数学的なエレガンスという点ではHowardの証明が一枚上だが、下敷きとなっている物理がいまひとつ見えてこないという点で物足りなさが残る。

実際、Rayleighの定理では渦度が保存されているため、エネルギー量のcasimirを建設するのに渦度を用いればよいという筋道がはっきりしているが、成層流体中では重力の影響で渦度の(y成分)は保存されず、そもそも積分条件がエネルギー量のcasimirの存在に依存しているのかどうかも定かでない。保存則の存在は、安定性の定理の適用範囲を微小振幅から有限振幅へ一般化するための布石でもあるので、Miles−Howardが今日にいたるまで非線形へ拡張されていないのはそんなところにも理由があるのであろう。

というわけなので、ここ数日紙と鉛筆を走らせていて思いがけない保存則が見つかったとき、心が躍ったのも無理はない。何回もやりなおしてぬかよろこびでないことをたしかめる。とりあえず、穴はなさそうだが。これは、ブレークスルーへの予感であろうか。

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起死回生のNSFのグラントはようやく中身の90パーセントを書き終えた。締め切りは16日。今週中には予算部分を足してビジネスオフィスに提出しなければ。それから、12日までに読んでコメントを書かかなければならない博士論文がある。夏になっても、まだまだ忙しい。

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それはそうと、電車の中に大学のオープンキャンパスの広告がやたらと目につく。受験生に体験入学してもらおうという趣旨なのだろうか。きっと、どこも少子化で学生が集まりにくく、必死なのであろう。しかし、こうどこもかしこも右に習えってのはどうもね。大学を見たいという学生にはいつでも来てもらって、素顔のキャンパスを個別に見学をさせてあげるのがベストではないかと思うが。(ぼ)

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ああ、今日もまたとても実りの多い楽しい一日だった。私が出かけている間、パパは子供4人を連れて多摩テックへ。子供を遊ばせながら上記のようなことを考えていたのだろうか。

午後からご挨拶に伺ったいのちのことば社さんでは、以前ヤべツシリーズを翻訳したときに担当してくださったTさんが丁寧に社内を案内してくださった。皆さん、突然現れた私を歓迎してくださって感謝だった。ことば社さんのHPを担当している方にもお会いしたら、「はちこ様ですか、HP、時々拝見しています。生はちこさんにお会いできるとは」とおっしゃられ、私は大いにあせりました。それから、笑えたのが、Tさんのご自宅がなんと私の実家から歩いて行けるくらいの距離にあることが判明したこと。「ご実家はどちらですか?」「○○市です。××なんですが、△△の近くです。」「えっ、私は△△です。」「ええっ? じゃあ近いですね。」「△△会館ご存知ですか?」「ええ、歩いて行ける距離です。」「うちはその裏あたりです。」うーん、今まで、シカゴと日本でやりとりしていたのが、実はこんなご近所さん同士だったとは。あと、「主の弟子となるための交わり」を探していたのにもう品切れになってしまって残念、というお話をしたら、わざわざメモを取ってくださって、時々社内を片付けたりしていると出てくることがあるので、もし出てきたら優先的に分けてくださるとおっしゃっていただき、とても嬉しかった。言ってみるものだなぁと思った。Tさんはここはご覧にならないでしょうが、一応ご挨拶。Tさん、今日は本当にどうもありがとうございました。(^^)

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夕方からは恵比寿できよきよさん、奥さまのたえこさん、サスケさんと一緒にお食事。それからバイブルスタディへ。こちらも大変恵まれました。でも今夜はもう眠くなってきたので、続きはまたにしましょう。それから銀座でお会いしたF子さん、今日はどうもありがとう!お祈りしていますからね!(はち)

2004年7月9日

毎日出歩いていて忙しいのだけれど、とても充実している。昨日は高校時代の友人二人と午前11時に品川で待ち合わせして、おしゃべりにどっぷり漬かった。彼女たちと会うのは9年ぶり。品川で待ち合わせるとき、「改札っていうとたくさんあって迷うといけないから、ホームで待ち合わせようね。電車を降りてから、ホームの一番前、つまり東京側で待っていてね」と言うはなしだったので、東海道線で品川まで出た私は、そのつもりで駅に降り立った。でも、降りてまわりを見渡した瞬間、私は思った。「ホームだってたくさんあるじゃん!」(はちこ@文字通りお上りさん) 友人は、私が当然山手線で来ると思っていたらしい。(笑)幸いお互いの携帯の番号を持っていたので無事会うことはできたけど、携帯で連絡を取りながら、二つ向こうのホームで友人が手を振っているのを見つけたときはかなり笑えた。

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水曜日の恵比寿バイブルスタディでの学びの個所は、私の大好きな出エジプト記33,34章だった。あれは8年か9年くらい前のことだったか、あるお正月、今年は創世記の一番初めから順番に聖書通読をしようと決めたことがあった。しかし毎日数章ごと読んでいき、出エジプト記の33章まで来たとき、私はそこから先に進めなくなってしまった。11節以降に記されている神様とモーセの深い人格的交わりに、打ちのめされてしまったのだ。次の日、続きを読もうと思っても、どうしても33章に心と目とがいってしまい、何度も同じ個所を読み、ただそこに留まっていた。主の霊が私の霊を捕らえ、「わたしとモーセのこの関係をよく見ておきなさい。わたしはあなたともこのような関係を持つことを願っているのだから」と言われているような気がした。そして毎日同じ個所にとどまっていた後、1週間か10日くらいたってようやく私の霊はリリースされ、その先に進むことができたのだった。

その後も、神様は何度もこの個所から私に語り、励まし、教えてくださった。そして水曜日の学びでは、神様が善いお方であり、主権をもって私たちを恵み、あわれんでくださるお方であり、私たちが主の前に罪を犯しても、もう一度やり直しのチャンスを与え、回復をもたらしてくださるお方であることを私に示された。日記には書ききれないけれど、このことが今もう一度私に示されたことは、個人的にとても意味のあることだったので、本当に感謝だった。

昨日、「わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思うものをあわれむ」(33章19節)という個所にまた私の目が向けさせられ、そこに思いを巡らせていたとき、友人がメールでイザヤ66章2節の「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ」を分かち合ってくれた。そこで今朝、私も66章を読んでみた。読みながら、神様の主権、圧倒的な権威に目がくらみ、身のすくむ思いがした。そして、なかでも9節が私の心に留まった。

「わたしが産み出させるようにしながら、
産ませないだろうか。」と主は仰せられる。
「わたしは産ませる者なのに、胎を閉ざすだろうか。」と
あなたの神は仰せられる。

しばらく前にある件について主に明け渡すよう求められ、手を放したことがあった。もはや私のなかでは、焼こうが煮ようが、捨てようが壊そうが、主よ、ただあなたの御心のままになさってください、あなたのものです、私は一切口出しいたしません、という思いだった。そして今朝この9節を読んだとき、これがこの件に関するの主の御心だと確信することができた。たとえ、目に見えるところでは私の期待通りに進まないことがあるとしても。主権と圧倒的な権威を持ち、恵もうと思う者を恵まれ、あわれもうと思う者をあわれまれるお方が、わたしが産み出させるようにしたなら産ませるのだとおっしゃっておられる。ただ主の御名にだけに全ての誉れがありますように。私は主の御手の前に畏れをもって服します。あなたの御言葉が、私の先に立って進んでくださっていることを感謝します。

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さて、この週末ははちこ母も一緒に家族で泊りがけで出かけてきます。それにしても連日暑いですね。昨日は37度まで上がったそうで。びっくり。

2004年7月11日

金曜日はお昼前から出かけて、週末はホテル住まいでのんびりしてきました。たっぷり寝たり泳いだり、それだけで時間が過ぎていった感じ。朝は露天風呂に入ったりして。娘たちも誘ったのに、「オープンエアのパブリックバス」と説明したら、みんなに嫌な顔をされてふられてしまったので、一人で行った。 プールではサンスクリーンはしっかり塗ったはずなのに、首から胸にかけてのあたり、しっかり焼けてしまった。しかもまだらで痛い。はちこ母に「そういうのは歳とってからシミになるわよ」とおどされて、もうショック。ヘチマコロンでも買ってこようか。あれって何だか日焼けに効きそうじゃない? そうでもないのかな?

ぼぼるパパはダイビングボードでタイミングを誤り、膝をこすって負傷。プールからあがってきたパパをみたら、膝から血がダラダラ流れていたのでびっくりした。ちゃんと手当てしたけど、化膿しないといいんだけど。

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この週末中、「わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ」と「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ」の御言葉がずっと心のなかに留まっていた。この二つの御言葉が続けざまに与えられたことで、神様が「恵もう」と思う者、「あわれもうと思う者」とは、へりくだって心砕かれ、主のお言葉におののく者なのだと、神様ご自身が教えてくださったような気がした。そのことに思いを巡らせながら、どうか私がへりくだって心砕かれた者であれますように、私の心に主の御言葉を畏れる思いを与えてくださいますようにと繰り返し祈っていた。 主が語られるとき、軽く聞き流してしまうのでなく、わー、すごーい、と感動して終わってしまうのでもなく、へりくだってしっかり受け止めて、畏れをもって服し、応答していく者であれますようにと。

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留守中に、とても嬉しいメールが入っていて、主の御名を心からたたえた。詳細はまた今度。関係者各位、心から感謝します。

2004年7月12日

ぼぼるパパの膝の傷はとりあえず化膿はしてないけれど、見た目はなかなかすごく、ガーゼを取り替えるたびに痛そうで可哀想。何しろ、膝のちょっと下の毛むくじゃらのあたりなので、絆創膏をはずすときに毛がむしれて痛くて、傷に貼りついたガーゼをはずすのがまた痛くて、子供たちまでみんな集まって来て、息をひそめて覗き込んでいたりするから、可哀想と思いつつもつい笑ってしまう。先ほど近所の薬局で、傷に貼り付かなくて皮膚にも優しいとかいう絆創膏を買って来たので、次はもうそんなに痛まないでしょう。

今夜は横浜の父のところに泊まりに行く。そして明日はみんなで東京ディズニーランドに行き、一泊して帰って来る。来年古希を迎える父をディズニーランドに引っ張り出すのも何ですが、孫たちと出かけることに本人も乗り気らしいので。まぁ、実際は彼はほとんどホテルでのんびりして、夜だけ合流という感じになるのだと思うけど。お天気はどうかな。あまり暑くならないといいな。なんだか、目いっぱい遊び歩いていますね、と言われそう。ええ、ええ、遊び歩いていますとも。子供4人連れてね。(笑)そして、これも親孝行のうちなのです。

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今夜は、はちこ父の書斎に宿泊。彼のpcを使って今これを書いている。ところが、これが親指シフトのキ−ボ−ドなので非常に使いづらい。ネット環境としては、超高速で快適なんだけど。だからもうおしまい。

2004年7月14日

昨日今日ととても暑かったですね。でも、堪能してきました、東京ディズニーランド。昨日はディズニーランド、今日はディズニーシーの方に行きました。シーは初めてだったので、とても新鮮で良かったです。(子供たちが律儀に、「ディズニーシー(Disney She)」と発音しているのがおかしかった。)あまりの暑さに誰かが倒れるんじゃないかと心配したけれど、案外みんな元気でした。大人が一番のびていたかな。夏休み前の平日だったせいもあってか、わりとすいていたから快適だったし。もっと詳しくあれこれ書きたいところですが、さすがに疲れたので今日はここまでにしておきます。

2004年7月15日

ディズニーランドでは、私はジェットコースターの類はダメなのに、つい血迷ってスペースマウンテンに乗ってしまい大いに後悔した。私は高い所と揺れる所が苦手なのです。だから、観覧車とつり橋は大嫌い。(大学生の頃、友人と徳島を旅行しているときに蔓(かずら)橋というつり橋を渡らされて、泣きそうに辛かったことは今でも忘れない。ものすごく怖いところです。)ところが、みんやま〜やはジェットコースターが大好きで、まったくびくともしていない様子だったので驚いた。ディズニーシーではCenter of the Earth というアトラクションがうちの子供たちにはうけていた。ま〜やは身長制限をぎりぎりでクリア。座席に座ったとき、足が下につかなくてぶらつかせていて、大丈夫かいなと思ったけど、平気だった。一方エミは私に似てこういう乗り物は苦手。かろうじてスペースマウンテンには乗って、「大人になった気がする」などと言っていた。(笑)

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今夜は新宿で、ぼぼるパパのシアトル&プリンストンポスドク時代の同僚で現在東大助教授の中村尚先生ご夫妻と食事の予定。尚さんご夫妻とはお互いが新婚で子供がまだいなかった頃からのお付き合いだけど、私がお会いするのは11年ぶりになる。あの頃は年中お互いのアパートを行き来しあっていたっけ。なつかしいなぁ。

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先日入った嬉しい知らせとは、はちことぼぼるパパが去年の暮れから翻訳していた『境界線(バウンダリーズ)』が8月中くらいに出版されることになったこと。リバイバル新聞社さんからです。この日記を読んでくださっている皆さんからも随分お問い合わせをいただいたり、お祈りや励ましをいただいていたことを心から感謝します。以下はこの本の説明文の抜粋です。

クリスチャンは、愛に満ち献身的であろうとするばかりに、自分の限界を忘れてしまうことがよくあります。あなたも次のように思ったことはありませんか。限度を保ちつつ、なお、愛に満ちた人であることは可能だろうか? 私の時間、愛、エネルギー、そしてお金を欲しがる人に対して、どう答えたらいいだろうか? 境界線を引こうとするとき、罪悪感を覚えるのはなぜだろう? ゴールドメダリオン受賞作である本書において、ヘンリー・クラウド博士とジョン・タウンセンド博士は、上記のような困難な疑問に聖書的な答えを与え、両親、配偶者、子供、友人、同僚、さらには自分自身との間に健全な境界線を引く方法をひもときます。

2004年7月16日

やっと仕事が一段落した。11日にはほぼ徹夜で博士論文を読み、翌日の発表会に間に合うよう、詳細なコメントを書いた。実際に出席できる会議であれば、その場に顔を出してひとことふたこと発言するだけでも用は足せてしまうが、欠席の場合はあらかじめ意見を文書にして提出しなければならないため、かえって面倒だ。そもそも、博士号の発表会でしくじって学位を取り損ねるという話は皆無ではないもののめったにないので、この期に及んで私が何を言っても結果にさほど影響はないのである。しかし、論文の体裁を整え、書いたものに関する説明能力を試すのが発表会の主眼なので、これも学生のためと思い、熱帯夜にパワーブックを開いて120ページにわたる専門外の論文に取り組む。パワーブックが膝の上で発生する熱量がまた馬鹿にならず、冷房をかけても上半身から汗がしたたり落ちる。送られてきたファイルは句読法や論文引用のスタイルなどに大いに問題があり、またポストスクリプトの図面でうまく表示できないものが多数あったりと、一段落読んではコメントをつけるという感じで大いに手間どった。それでも、発表会が無事に終わり学生が博士号を取ったというニュースを聞くと、ああよかったなおめでとうと素直に思えるのは、自分もかつてそういう所を通ってきた経験があるからだろう。博士号とは、それなりの重みがあるものなのだ。

12日から今日まではNSFのプロポーザルの突貫工事。 学科長と学部長とEmailで談判し、なんとか必要なマッチングファンドを出してもらえることになった。大学のリサーチオフィスからは書いたプロポーザルのここを直せ、あっちを変えろと細かい注文がつき、当初6ぺージだった本文が10ページに膨れ上がった。提出の締め切りは明日だが、まだ何か注文がつくかもしれないので予断を許さない。しかしこれを提出してしまえば、とりあえずしばらくは締め切りに追われる必要がなくなるので、ようやく日本での夏休みをゆっくり楽しむことができる。ところで、大学の流体実験室の建設はいよいよ本格化し、きょうから実験室のアスベスト除去作業が開始になったそうである。シカゴに帰るころにはかなりサマになっているかもしれない。楽しみである。

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おととい東京ディズニーランドに21年ぶりに行った。どういう成り行きだったか忘れたが、開園1ヶ月前に招待券で入場したのがたしか1983年だったと思う。(映画評論家の小森和子さんに中でたまたま逢って話をした。)そのころに比べて園内のアトラクションの数もかなり増え、となりにディズニーシーができたり、モノレールができたり、ずいぶん規模が大きくなったという印象。これで我が家は1998年のアナハイム、2002年のパリに続いて、三大ディズニーランドの制覇を達成した。しかし、山を歩いていた学生時代には徹底して商業主義嫌いだった私が、子供ができたとたん、かくも容易に娯楽産業の資本主義になびいてしまうとは、誰が予想しえたであろうか。うちの子供にひとりくらい、遊園地に行くより川に魚釣りに行きたいという奴がいたっていいのにと思うが、夢のまた夢だろうな。

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きのうは、同業者で大学院時代からの親友である中村尚さんご夫妻と新宿でふぐ料理としゃぶしゃぶを食べた。私が尚さんに最後に会ったのは1998年、はちこが奥様に最後に会ったのが1993年だから実に久しぶり。きのうは会えなかったが尚さんの3人のお子さんも、うちの4人の子供もそれぞれに大きくなった。自分たちは変わってないつもりでも、子供の成長を考えるとやはり年をとったと思う。ケンが大学を卒業する頃には私は定年を迎えると思うと、あまりのんびりもしていられない。当時の仲間の動向を伝えあったり、日本では大学法人化や「ゆとり教育」、アメリカではブッシュ政権の無政策がサイエンスに及ぼす悪影響について嘆きあったりして、時間はあっという間にすぎた。今年学会賞を受賞された尚さんの最近の論文を頂戴して、おひらき。

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今日は、ネットでお世話になっているたかぽろさん、じゅんぽろさんご夫妻のお宅に、遠山じゅごんさんご一家といっしょにお招きいただいて、お昼ご飯をごちそうになりました。私は皆さんにお目にかかるのは初めてでしたが、とてもリラックスして楽しいひとときを過ごすことができました。子供たちもすっかり羽をのばしてしまったので、はらはらされたのではないかと思います。どうもありがとうございました。(ぼ)

2004年7月17日

今は土曜日の早朝。ぼぼるパパも書いているように、昨日はぽろぽろ家で本当に楽しいくつろいだ交わりのひと時を持たせていただくことができて感謝だった。ぽろ家もじゅごん家も主の愛に満ちたすばらしいご家族で、やっぱり実際にお会いするというのはいいことだなぁと思った。ノアのCDやリラのCDなどたくさんお土産にいただいて、聴くのが楽しみ。(実家にはなんとCDプレーヤーがないのでシカゴに帰るまで待たないといけない。(^^;))本当にどうもありがとう。

今日は六本木のアークヒルズで大学時代の友人たちと会う。アークヒルズにはその昔、一度行ったことがあるだけなので、無事にたどりつけるのか心配。正午の待ち合わせだけど、迷う時間も入れて10時には家を出ようと思う。みんなの携帯の番号を聞いていないことに気づき、慌ててメールをいれたところ、一人を除いて全員「私は携帯を持っていません」という返事が返ってきた。さすが私の友人だけあって、みんなこの時代の流れに逆らって生きているんだなぁ。(笑)

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おとといだったか、ちょっと母ともめた。母子なんて、ひとつ屋根の下でずっと顔をつき合わせていれば、ちょっとやそっとはもめるものだと思うけど、いろいろ思うところあってイギリスにいる祈りのパートナーのH子さんにすぐにメールしてお祈りをお願いした。すると彼女は次の日すぐに電話をくださって、一緒に祈ることができて感謝だった。H子さんはそのとき私が直面していた事柄をとてもよく理解できる立場におられ、適切な助言と励ましを下さった。話しながら、神様が私とH子さんを結び合わせてくださったという事実に改めて驚きと感謝を覚えた。 それにしても、母ともめたことと言い、7月5,6日の日記に書いたことと言い、陶器師である神様が私の品性を練っておられるのをつくづく感じる。主が私に、主ご自身の視点をお分かちくださろうとしているのを感じる。私が持つ薄っぺらな正義感や理想や理解で物事を量るのではなく、「神の愛(agape)」という座標軸に照らして量れるようになること教えてくださろうとしているのを感じる。聖書の真理は「然り」は「然り」、「否」は「否」とはっきりいう。しかし人の心の深さや複雑さやもろさを否定してしまうわけではない。ああ、私はなんと自己中心的な存在であることか。得たと思った私のものさしは、実はまだまだ未熟で不安定で自己満足的で、この世を神様の視線から見ていくにはまったく不十分なものなのだ。先日たらちゃん(恵比寿バイブルスタディにも来ておられた)が、出エジプト記33章のモーセの言葉について、このように分かち合ってくださった。「私にとって あの箇所の「どうか あなたの栄光を私に見せてください。」はモーセがどんなに立派になって、人に頼られる存在となっても、口べたな羊飼いである自分 いつもいつも神の恩寵を必要としている弱さを感じます。」本当にそうだなぁと思う。そして私もまた、今朝、主に向かって祈りたい。どうか、あなたの栄光を私に見せてください。私にはあなたのご臨在が必要なのです!

2004年7月18日

日曜日の朝です。昨日は(も)とても楽しかった。六本木ってこんなに近かったっけ?という感じ。何だか便利になったのですね。4,5年に一度、「帰ってきたよ〜」と声をかけると、「じゃあ集まろう」とこうしてすぐ集まってくれる友人たちに本当に感謝。外見も、言葉の切れ味の鮮やかさも、みんな昔のまま全然変わっていなくて、大学を出てから20年近くたっているなんて嘘のよう。次に会えるのはまた5年くらい先だろうけど、その時もこうして集まって、何事もなかったかのように昨日の会話の続きを始めるのだろう。そんな手ごたえのある関係が、頼もしく、嬉しい。彼女たちには『女性のためのヤベツの祈り』をプレゼントした。そうそう、昨日入手した情報。エミとみんがイギリスにいる頃にどっぷりはまったジャクリーン・ウィルソンの女の子向け児童書が、この数年のうちに日本語にも翻訳されて、日本の小中学生の女の子の間でもけっこう流行っているのだとか。うちの娘たちにも何冊か買ってかえろう。原書は読んでいるから、きっといい日本語の勉強になるね。

さて、今日の聖日は東京ホライズンへ行く。

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日曜日の午後です。東京ホライズインチャペルでの礼拝は、子供のクラスに先生にも子供たちにも英語を話す人が結構いたようで、うちの子供たちも楽しかった様子。今日は母も久しぶりに礼拝に出席することができてよかった。

夕方からは町田の奥地でもたれる友人のライブへ行ってくる。町田だっていうから、「じゃあ行くね」と気軽に返事して、あとから調べてみたら、遠い、遠い。「どこが町田よ、遠いじゃない!」と苦情を言うと、彼は笑いながら「だけど町田駅からバスで15分だよ。」そして自分のHPにこんなページをつくってくれた。こんなにわかりやすく地図と時刻表を載せてもらったら、行かないわけにはいかないね。(笑)彼のHPはこちら。この平川理雄氏は私の母教会出身で、約20年前には一緒に教会でバンドをやっていた仲間であり、弟分でもあります。

平川理雄Web

2004年7月19日

土曜日には、たまたま上京中だった同僚で北大教授のH氏と下北沢で会い、いろいろと仕事の話をした。日米の大学の研究環境や最近の学生気質などについてひととおり口角泡を飛ばしたあと、H氏いわく、「アメリカの研究者に話を聞くと、みんな、キリスト教原理主義者の出す騒音に付き合わなければならないので、閉口すると言うね。」

「騒音」の定義にもよるだろうが、私の印象はTell me about it! まさにその通りである。一般人の純粋に科学的な疑問に対して答えることは科学者の義務であるし、科学のルールにのっとってわれわれの主張に疑義をはさむことは大いに結構であるが、クリスチャンの中に、事実関係を吟味もせずにサイエンスのコンセンサスを平気で切り捨てる人がいるのは、きわめて遺憾であるといわざるをえない。

たとえば進化論を信じないのは自由だが、「進化論は間違っているので、学校で教えるべきでない」と主張する人は、その科学的根拠を専門家相手に真摯に議論できるのでないかぎり、科学者を説得できないばかりか、この人とは対話できないという印象を科学者に植え付けるだけである。この発言者がクリスチャンであることが知れた場合、神を知らない科学者が福音に対して心を開く可能性はますます低くなってしまうだろう。

残念ながら、(少なくともアメリカの)クリスチャンの多くは生涯科学者を友人に持つこともなく、また科学は信仰の敵というような誤った先入観を持っているので、上のような発言をしても自分は痛くも痒くもないのであろうが、科学者の仲間に福音を届けることに少しでも重荷を持っている私のような者にとっては、非常にやりづらい。短絡的な結論を下す前に、

科学とはどんな学問で、信仰とどういう関係にあるのか

進化論とひとくちに言うが、どういう学問で、どのような科学的な裏づけがあり、どこが不完全なのか。どの部分が自分の信仰と相容れないのか

自分の聖書解釈は、あたらしい科学的証拠が出てきたときに、どこまで変化する余地があるのか(例:コペル二クスとガリレオにより、天動説は地動説に取ってかわられた。)

トップダウンではなくボトムアップ思考に慣れている科学者にとって、どのようなアプローチが福音を語るのに適しているか

などの問題について、じっくり掘り下げてもらいたい。そうすれば、科学と信仰の間に不用意に「摩擦」を作り出すことはなくなると思う。

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そのあと、渋谷の旭屋書店を訪れ、理工学書のコーナーに行ってみて驚いた。ここは昔、高校・大学時代によく訪れては専門の教科書を買った場所だ。当時は理工学書だけで4,5段は棚があり、かなりオタク的な本もそろえていたはずなのに、いまやわずか2段、それもほとんどが啓蒙書のたぐいで、研究の役にたちそうなものはほとんどない。そんな中、私が大学で使った、昭和46年版の共立出版「力学演習詳解」「電磁気学演習詳解」が当時の装丁そのままで置いてあったのが、とても大時代的であった。何だか、日本のサイエンス教育の衰退がこんなところにも現れているようで、ややさびしかった。

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きのうはホライズンチャペルで礼拝したあと、駅前の映画館でケンとま〜やとみんを連れて封切りになったばかりのポケモンの劇場版映画を観た。いや、実際に観ていたのは子供たちだけで、私はデオキシスとレックウザが死闘を繰り広げているのを横目に、楕円関数の加法定理について考えていたのでしたが。

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きのうも一日暑かったが、西の空には丹沢の山々が意外なくらいくっきりと稜線を刻んでいた。むかって左から大山、表尾根、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳。中学生のころに慣れ親しんだ山々は今も健在だ。

夕方から、町田の田舎のThavasaという店へ、平川氏の演奏を聞きに行く。この店がまた、すごい。民家を改造したという、準和風の造り。開け放した建物の裏は鬱蒼としたたけやぶで、ひぐらしの鳴く声が平川氏のベースと神谷女史のチェロに微妙に重なって、なんともいえぬ日本の夏のけだるい夕刻を演出していた。お客も、蚊取り線香の臭いがたちこめる場内でうちわを片手にリラックスモード。13年ぶりに会う平川氏はあまり変わっていなかった。しかし、まがりなりにも大好きな音楽で食いつないでいけるようになったのだから、大したものだ。全身全霊をかけて打ち込めるものがあるというのは、美しい。

とちゅうから平川氏のご両親やTさんのお母さんもお見えになり、再会を喜んだ。平川さんには子供たちへ頂き物を頂戴したばかりか、はちこがどこを探しても見つからずにいた絶版の「主の弟子となるための交わり」をお母様からゆずっていただき、大感激。ありがとうございました。

それにしても、はちこが日記で大げさに宣伝するものだから、どこに行っても「おひざのぐあいはいかがですか。どうぞお大事になさってください」などと言われてバツが悪いぞ。なあに、ちょいとすりむいただけですから。もう、かさぶたもほとんどとれてます。(ぼ)

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月曜日の夜です。今日は小学校5年生以来の大親友と会った。12年ぶり。彼女とはお互いに、小中学校時代のイメージが一番強いので、さすがに「変わらないね」とは言えなかったけど(笑)、なつかしい話に花が咲いて、とても幸せで楽しい時間を過ごすことができた。

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数年前ぼぼるパパのサバティカルでイギリスに1年行ったが、次のサバティカルは日本にしようと話している。多分、2008年の4月からになるだろうか。今日、その話を子供たちにしたら、エミは目を輝かせ大喜び。「高校の最後の年をミスすることになるかもしれないけど、それでもいいの?」と聞くと、「I don’t care. I’d rather go to Japan!」ところがみんは蒼ざめて、「Wait a minute. What about school? I have a problem with going to school in Japan!」大丈夫よ、きっとすぐに日本語を覚えるから、と励ましたけれど、もうパニック状態。泣き出されてしまった。ま〜やはといえば、あまり気にしていない様子でそれなりに嬉しそうだった。「よし、じゃあ今から日本語の練習をしよう! なるべく日本語で話すようにしようね」と言うと、みんは「ゴメンナサ〜イ、ワカリマセ〜ン!」このフレーズだけ、日本に来る前にパパに教えてもらったのだそうだ。

2008年の4月から1年というと、エミの高校2年の途中から高校3年の途中まで、ということになる。(日本では高校2年生。)アメリカではちょうど大学入学準備の頃に当たるはずだと思うので、そのあたりは事前によく調べておく必要あり。2009年の4月からにする方がいいかもしれないし。

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明日から10日間、旅行に出ます。夜になってから荷物の用意をし、「ねぇ、これだけの荷物と子供4人抱えて、明日の朝どうやって東京駅まで行くの?」と、パパと顔を見合わせた。そして慌てて宅急便で荷物を送る手配をした。やれやれ、宅急便のおかげで命拾いしました。日本の学校は明日が終業式で、あさってから夏休みですね。皆さんも良い夏をお過ごしください。(はち)

2004年7月30日

ただいま。実家に帰って来ました。那須に7泊、鶴岡(山形)に3泊してきました。鶴岡では生まれて初めて日本海側で海水浴に行きました。海の匂いが心地よかったです。えーと、パパがネットを使いたいと隣で言っているのでまたのちほど。

2004年7月31日

今日は、私の帰国と、もう一人大阪にお嫁にいっている姉妹がこの週末に里帰りするということで、母教会で当時の青年会のメンバーを中心とした同窓会的な集まりを持った。 まずは教会で2時間半ほど賛美礼拝をし(近況報告や証の時間を含む)、それから愛鶴タクシーのS兄宅に場所を移して夕食交わり会。当時のメンバーはやはり、大半が就職や進学、結婚などに伴って引っ越していて、今ではそれぞれ異なる教会に集っているけれど、今日は何年かぶりにみんなで集まって一緒に主を賛美し礼拝することができて心から感謝だった。山形から一緒に実家に帰ってきた私の妹も、小学校から中学にかけてこの教会に来ていたので、彼女も子供二人を連れて参加できたのがとても嬉しかった。それぞれが連れてきていた子供たち同士も、だいたい年齢が近いのでみんなすぐに打ち解けて仲良く遊んでいたし。Y田さんちの長女のMちゃんとうちのエミが同学年で、趣味も一緒(イラスト描き)だということがわかり、二人が早速メールアドレスを交換していたのが微笑ましかった。

記念撮影のとき恥ずかしい失敗(?)をしたと、うちに帰って来てからぼぼるパパに告白された。何でも、パパが抱きかかえていたケンがもぞもぞ動くので、抑えようとして手をギュッと握り締めていたのだけれど、はっと気づくと彼がケンだと思って握り締めていた手はケンの隣に座っていたH姉の手だったのだそうだ。彼はあまりにあわてて、謝る機会すら逸してしまったらしい。Hちゃん、ごめんねぇ。いきなりぼぼるパパに手を握られて、さぞかし驚いたことでしょうね。(笑)

本当はもっと書きたいのだけれど、今夜は眠たいのでここまでにします。

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