[1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 ]
|
2004年6月1日菜の花はやはり季節ものなので衣替えしましょうと、はちこが新しい背景を用意してくれた。 ***** いつもの急行電車に乗っていつものように出勤。当然いつもの駅で降りるつもりでいたのが、なぜか今日はようすが違った。 「次の停車駅は57丁目」 ん、57丁目? 私が降りる(はずの)59丁目は通過ってこと? どうなってるのかと思って車掌に聞くと、二日前から大学の表玄関駅が59丁目から57丁目に変更になったんだそうだ。というわけで、急行電車はもはや59丁目には停まらないらしい。そう言えば、数年前にそんな話が出てたっけ。大学周辺の住人は57丁目付近に集中しているので、こっちを急行停車駅にしてくれという彼らの嘆願が通り、プラットホームの増設に着手したのだが、途中で工事を請け負っていた会社が倒産したため、この話は長いこと棚上げになっていたのだった。それが突然今頃になって、工事完了となったらしい。私の家のもよりの駅から大学方向に行く電車はみな急行電車なので、もはや59丁目で降りるためにはまず57丁目まで行ってから各駅停車で一駅戻らなければならない。 しかし、実を言うと59丁目でも57丁目でも、通勤時間にそれほど差が出るわけではないのだ。むしろ駅から歩く距離は57丁目からの方が若干短いくらいだ。けれども12年間歩きなれてきた通勤路を急に変えるというのは、心理的に抵抗があるのである。とくに、静かで緑が美しかった59丁目に比べ、57丁目は繁華街で人通りも多く、狭い歩道でのすれ違いもうっとおしい。もはや歩きながら数学の問題を考える環境ではなくなってしまった。 ***** きのうの重労働にもかかわらず、排水のスピードを上回る早さで地下のいろいろなものにカビが生え始めている。青かったはずの子供のバックパックが、たんぽぽの種のように白くふわふわになって刺激臭を発しているので、これは捨てた。はちこと相談した結果、濡れた絨毯はどうせ安物なので、廃棄処分にすることに決定。そうとなれば話は簡単。床一面に敷き詰められていたものをいくつかに切り分けて屋外に運び出す。水を吸い込んで鬼のように重くなっており、輸送するのも容易ではないが、きのうの排水作業にくらべれば、朝飯前だ(実際に運び出したのは晩飯の後だったが)。(ぼ) 2004年6月2日学校の遠足で動物園に行ってきたま〜やとはちこの会話。 は "What did you see at the zoo?" ま "We went to the fish place and it was stinky." は "What else did you see?" ま "And then we went to see the reptile house and it was stinky." は "I see. What else did you see?" ま "After that we went to see the rhinoceros. It was the stinkiest." 動物園はよっぽど臭かったんだね (^^)。 ま〜やの繰り上げ誕生会は今週の金曜と土曜(うちでお泊まり)。公園でのバーベキューなども予定しているので、天気がいいといいんだけれど。(ぼ) 2004年6月3日
昨日聖書を読んでいたとき、サムソンのこのセリフが妙に心に残った。サムソンは主に祝福され、主の霊によって用いられ始めていたある時、ペリシテ人の一人の女性を目にとめた。彼は彼女のことがとても気に入り、彼女を妻にしたいと自分の両親に申し出たが、両親はペリシテ人の娘はダメだとサムソンをさとした。その時に彼が言ったのがこの言葉。このセリフは聖書が「肉の欲」と呼ぶものの正体を、見事に言い表わしているなぁと思った。I want this, I want that, for it pleases me well! 自分を喜ばせるもの、楽しませるもの、満足させるもの、そのようなものを求める思いは誰にでもある。それ自体は悪いことではないはずだけれど、「ノー」と言うべきものに「ノー」と言えずにむさぼるなら、それはいずれ私たちの生活に、いのちに、大きな害をもたらすことになる。今、ミッショネットで「自制」についての単元を学んでいるのだけれど、後のデリラとの関係といい、サムソンは自制を欠いたために自分の人生に破滅を招いたいい例じゃないだろうか。サムソンという人はただの怪力男だったわけではなく、主の霊が彼とともにあり、士師として20年もイスラエルをさばいた人だったのに。 あぁ、私も今までに何度サムソンのようにGet 〜〜 for me, for it pleases me well と言ったことがあるだろう。何だかとても身につまされて、「ごめんなさい」とイエス様に祈ったら、主はガラテヤ5:16を私の心に語ってくださった。
***** 明日はま〜やの7歳のお誕生日会。(本当の誕生日は7月だけど。)さぁ、これからケーキを焼かなくちゃ。リクエストはチョコレートケーキ。 ***** 先日の停電のこと。あの時のケンは本当に可愛かった。だけどパパの記述はちょっと現実とは違っていたので、訂正します。 エミがいないと言って心配しているケンをエミの部屋に連れていくと、エミはベッドの上でウォークマンを聞きながらくつろいでいた。その姿を確認したケンは、いきなり「うぇーん」と泣き出して、ベッドに突進し、エミの枕につっぷしてえんえん大泣きした。わけがわからずびっくりしているエミに私が事情を説明すると、エミは「Oh, Kenny! Give me a hug!」と言ってケンを抱き締めた。エミに抱っこしてもらってようやく落ち着いたケンは、「I'm so happy now」と言って、意気揚々とエミの部屋を引きあげた…のでした。でもエミはその直後、感動しつつも、「ケンの涙と鼻水とよだれがついた!」と言って、濡れた枕をティッシュでゴシゴシ拭いていた。(笑) で、この話にはちょっと続きがある。次の日の朝早く、私はエミがまだ寝ているケンの枕元にかがみこみ、その寝顔にキスしているのを目撃したのだ。それを見た時、私は幸福感で胸が一杯になって、イエス様の御名を賛美した。私がこの話をパパにして、「ねぇ、これも日記に書く?」と聞くと、彼は「そういうのは恥ずかしくて男親には書けないよ」と言った。ふーん、そういうもの? 私のくだらない夢の話は平気で書くくせにね。(笑) というわけで、久々のはちこでした。(^^) 2004年6月4日疲れたー。今日はま〜やの誕生日パーティー。夕方5時から公園で子供たちを遊ばせながらバーベキュー。といっても、子供向けにホットドッグだけどね。あと、スイカとか生野菜のスティックとディップとか。ペニヤーダをしたりマシュマロをローストしているうちに、よその子供たちもどんどん集まってきて、バースデーケーキの時間になった頃には、全く知らない子たちが元気よくま〜やのためにハッピーバースデーの歌を指揮してくれていた。(笑)もちろん、ケーキはその場にいた子供たち全員にふるまいました。幸い、ミッショネットの私のクラスにいるダニエールという女の子が助っ人に来てくれて、エミと二人で上手に子供たちの面倒をみてくれたのでとても助かった。今日はお天気も良く、暑すぎず寒すぎず、屋外のパーティーにはうってつけだったのでそれも有り難かった。 8時頃には公園からうちに場所を移して二次会(?)。みんな今夜はうちにお泊まりだ。7歳の女の子たちが9人、ファミリールームに寝袋を並べて。十時過ぎまでみんなワイワイやっていたけれど、さすがに疲れて機嫌が悪くなってきた子もでてきたので、強引に消灯にした。興奮しているのか、疲れているはずなのになかなか寝つけなくて泣き出す子もいて、一刻も早く全員が寝付きますようにと、私は心のなかで必死にお祈りした。(苦笑)11時過ぎには全員眠りに落ちたようで、私もやっと一安心。で、日記など書いています。あたりはシーンとして、聞こえるのはPCのモーターと私がキーボードを打つ音だけ。大好きな、一人きりの静かな時間。 ***** 夕べケンスケが「また」階段から転がり落ちた。アッという小さな悲鳴と、それに続くゴロンゴロンという音。慌てて駆け付けたときにはすでに一番下まで落ちていた。すぐに抱き上げて泣いているケンスケを慰める。おでこを擦りむいていたけれど、それ以外には怪我はなさそう。本人は泣きながら「I rolled.」と説明してくれたので、てっきり転がりながら落っこちた、という意味かと思ったら、どうやらテレビの真似をして、階段のてっぺんからでんぐり返しをしたらしい。よくディズニーのアニメで、トムとジェリーとかが階段をボール状になって転がり落ちてたりするけど、あれを自分でもやってみようと思ったそうだ。なんて恐ろしいことをやってみてくれちゃうのか。でも、きっとこれで懲りたでしょう。そんなケンがとても愛しいけど、なんだかとっても先が思いやられるというか… ほんとに育児と祈りは切り離せない。 ***** 先日のJCFNのセントラルコンファレンス、私たちは今年もまた初日しか参加できなかったけれど、その後他の参加者の人たちからいろんなメールが回ってきて、今回もとても祝されたコンファレンスになったことを知り、主に感謝。準備を担当してくださった方々にも心から感謝。 ***** 一年前の6月を思い返して、いろんなことに思いを巡らせている。そして、今年の年頭に語られた哀歌3:22〜24の御言葉は、今もずっと、私を支え続けている。朝ごとに新しい、主の恵みとあわれみが。いつ倒れて野たれ死にしたって不思議はないような歩みだったのに、私は今もここにいて、主を礼拝している。どうしてですか… 思わず主に尋ねてしまう。すると主は私の耳もとで言われた。「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」のだよと。「万軍の主の熱心」…
ああ、イエスさま… あなたは私の主です。私を治め、ささえてくださるお方です。あなたを心から、心から礼拝いたします。 2004年6月5日夕べ11時過ぎに寝た子供たちは、今朝は6時半には目を覚まし、朝から元気一杯だった。私は夕べは珍しく夜中の1時過ぎまで起きていたので、6時半に階下から歓声が聞こえてきたときには泣きたくなった。エネルギーがあり余っている様子だったので、朝食後8時には子供たちを公園に連れ出してそこで遊ばせた。お開きになる午前10時まで、みんなたっぷり楽しんでいきました。子供たちが帰ったあと、掃除をしていたらあちこちから忘れ物が出てきて苦笑した。ソックス、くつ、Tシャツ、パジャマのズボン、上着、テディベア、パンツ(下着)… 私はすっかり疲れたけど、ま〜やは嬉しかったみたいなので、よかった。 昼には、友人のデメトリアの教会へ行ってきた。デメトリアの教会のゴスペルクワイヤーは4年前に大阪、神戸、天理でコンサートをしたことがあり、今回はその時招待してくれた大阪のゴスペルクワイヤーがシカゴのゴスペルフェスティバルを観るためにやって来たのだそうだ。それで、是非紹介したいから来て、と言われて顔を出してきた。リーダーの方はクリスチャンだけれどメンバーのほとんどはノンクリスチャンだとかで、ノンクリスチャンの方たち何人かと興味深い話をすることができた。みんなゴスペルにぞっこんで、歌うのが楽しくて仕方がないのだそうだ。ある方は、今回のフェスティバルで本場のゴスペルを聴き、歌っている人たちの信仰表明としての歌いっぷりに、心動かされる部分と、ちょっと引いてしまう部分の両方を感じたそうだ。大好きなゴスペルを、自分も彼らのように全身全霊を込めて歌いたい、ああいうふうに歌える人たちが羨ましい、そう思う気持と、宗教に関わることへの抵抗とのあいだで、自分の心に葛藤がある、というようなことを言っておられた。ふむ、なるほど。 時間があったらもっとゆっくりお話したかったな。 2004年6月6日>あちこちから忘れ物が出てきて苦笑した。ソックス、くつ、Tシャツ、パジャマのズボン、… ソックスやパジャマのズボンはともかく、くつを忘れた子は、裸足で帰っていったのだろうか。 ***** 6月末からの日本でのスケジュールを煮詰めているが、一ヶ月などあっという間にすぎてしまいそうだ。両家のおばあちゃんやおじいちゃんが手ぐすね引いて待っているので、あれもしてこれもしてと欲張っているうちに、結構びっしりした計画になっている。この間、子供も親も健康が守られますように。 ***** 今日の夕拝をもって、はちこと私は日本から帰ってくるまでの約2か月間、ワーシップチームからお休みをいただくことになった。思えば、去年の6月に期せずしてこの奉仕にたずさわるようになってからほとんどノンストップで走り続けてきたので、この充電期間はありがたい。 そもそもワーシップリーダーというのは新約聖書が叙任する役職ではなく(20年後の教会にこのような奉仕のポストが残っているかどうかも定かではない)、教会の機能上どのくらい本質的なものなのか時々考えることもあるが、とにかくこれがいま私たちに求められていることらしいので、引き受けている。どうひいき目にみても音楽の賜物があるとは言えないふたりが、あっぷあっぷしながらもなんとか1年間沈まずにやってこれたのは、ひとえに主の憐れみだと思う。私たちの非力を見越してか必要な助け手はすべて与えられたし、教会のみんなのサポートにはいつも励まされてきた。歌いながら聖霊さまが主の宮を満たすのを肌で感じ、主の前にひれふすると同時に、深い満足感もいただくことができた。 とはいえ、やはり才能が足りない分、毎週相当の重圧を感じていることも否定できない。私たちも含め素人の寄せ集めのバンドが、週1時間の練習で日曜日ごとに14-5曲をこなすということ自体、技術上かなりの無理がある。練習の前に半日くらいかけて選曲し、バンドのメンバーのために楽譜を用意し、リードするために自分で何回か歌ったりギターを弾いたりし、練習の後には歌詞をパワーポイントの係に送り、土曜日にははちこと二人で礼拝の流れをもう一度確認する。(最近では、楽譜の用意や歌詞のコピーは他のメンバーが手伝ってくれるようになったが。) プロだったら、ここまで時間とエネルギーを使わなくても、本番前の簡単な音合わせだけでぱぱっとできちゃうのだろうな。 オリジナルのウルトラセブンのビデオを今見ると、アンヌはもう少しましな演技ができなかったものかとか、ここのセットはもうちょっとなんとかならんかったかとか思うが、彼らがー週間に一本の割合で結果を出さなければならなかったことを考えると、「もう少し時間があれば…」という制作者側の叫びも理解できるというものだ。ワーシップチームを始めてから特にそう思うようになった。 というわけで、チームで過ごす時間の9割以上が技術的なことに終始し、一緒に祈ったり御言葉を学んだりする時間が少ないことは残念である。それでも、私たちがベストを尽くすために技術的なことで練習を積むとき、主は忠実に報いて下さると思う。練習であまり細かいことまで決めてしまうと、本番で聖霊さまが自由に動く余地がなくなってしまうのではないかと考えがちだが、私の見た限りでは、練習が行き届いているときほど、礼拝で聖霊さまが動いてくださるようである。 これからの2ヶ月間は別のことで忙しくなるが、いったん奉仕のルーチンから身を離して、パーソナルなレベルで主との関係をもっと深く掘り下げていきたい。(ぼ) 2004年6月7日昨日の夕方、エミが「何だか今日はものすごく疲れちゃった…」と、いかにもだるそうな様子で言った。 「じゃあ、今夜はエミは夕拝には行かないで、おうちで休んでる?」 「うん、そうする。」 エミはこの日の朝、教会で幼稚科のクラスのヘルパーの奉仕をした。学校ではこのところ年度末のせいで行事続き、金曜日にはま〜やの誕生日会の手伝い、それに加えて日曜日の朝、十数人の3〜4才児を追いかけ回して、すっかり疲れてしまったのだろう。 クリスチャンホームのくせに、疲れたくらいで礼拝を休ませるの?と思う方もいるかもしれないが、私は、エミくらいの年齢(13歳)になったら、教会に行くことや教会関連の各種プログラムに参加することに対して、本人の選び取りを尊重することが大切だと思っている。子供が小さいうちは、親の権威で有無を言わせず子供たちを教会へ連れて行ってかまわない… というか、そうすべきだと思うけれど、子供にはいつまでも「親が行くから」自分も教会へ行くのだと思って欲しくない。教会へ行くのは、自分が行きたいから、聖書の御言葉を学び、主を礼拝したいと自分が思うから、だから行くのだ、と認識していて欲しい。そうすれば、後になって親に対する反発や、日々の生活での優先順位の混乱によって教会から離れる、ということにならないで済むのではないだろうか。また、本人に主体的な選び取りをさせるなかで、日曜日に身体が疲れ過ぎて教会に行けなくなってしまうことがないように、週の間の自分の活動の分量を調節するという自己管理についても、子供が大学生になって親元を離れるときまでには身につけておいて欲しいものだ。そのあたりのことは、まだ親の目が行き届く今のうちから、しっかり教えていきたい。 『境界線(バウンダリーズ)』のなかで、「『ノー』と言う自由が与えられていてこそ、私たちの『はい』は意味のあるものとなる」ということが繰り返し出てきた。つまり、私たちが「ノー」という自由を持たないならば、何に対して「はい」と言おうとも、それは自分の意志による純粋な「はい」ではなくなってしまうということ。聖書は「いやいやながらではなく、強いられてでもなく、ひとりひとり心で決めたとおりにしなさい、神は喜んで与える人を愛してくださる」と言っている。神は人間に自由意志をお与えになった。それは、人間が神の愛に対して、恐怖心や罪悪感によってではなく、また意志を持たないロボットのようにでもなく、主体的に応答することを望まれたからだった。「ノー」と言う自由、主体的に応答し選び取る自由、それがあってこそ初めて、私たちの主への献身と従順は、愛を動機としたものになり得る。 ***** 夕べ、ケンスケに添い寝をしていたら、暗がりのなかで私を見つめるケンと目が合った。 は「You love Mommy, don't you?」 ケ「ヤー」 は「How much do you love me?」 ケ(鼻息を荒くしながら)「フ、フ、ファイブ!」 んま。ファイブですって。この前はthreeだったのに。増えてる。嬉しい。ママへの愛が高まったのネ。(笑) 2004年6月8日主体的に応答し選び取る自由を持つ信仰の話しの、昨日の続き。昨日一旦アップしたのだけど、ちょっと言葉がごちゃごちゃしてる気がして取り下げたのを、もう一度アップします。意味不明かもしれないけど、自分への覚書として。 ===== そういえば、お正月にJCFNの人たちが我が家に滞在したときのこと。テーブルの上に出しておいたリバイバル新聞の新年号を皆さんがまわし読みしていた。そして、その号に掲載されていた丸屋真也先生の「自立への一歩 〜境界線を知ろう」という連載記事を見て、ある人が「『自立』?」と不思議そうな顔をした。どうもクリスチャンと「自立」というのは、なかなか相容れない概念であるらしい。みな、クリスチャンとは自らを主に明け渡し、委ね、依存すべき存在であると教えられているからだろう。一方「自立」というと、神から独立して自力で生きていくことのように聞こえるのかもしれない。私たちが自らを主に明け渡し、委ね、依存すべきなのは確かにその通りだけれど、実はそれは私たちが自由意志を行使して主体的に選び取っていかないとできないことなのだと思う。そしてこの私たちの選び取りに関しては、神様はあえてご介入なさらない。ここに神と私たちの間の境界線がある。でも、この境界線が明確であればこそ、私たちの神への明け渡し、依存、従順、献身は、神の愛に対する私たちの愛の応答なのであると、神様に対しても世に対しても証することになるのではないだろうか。そして、愛の応答としての主体的な依存(!)は、私たちと神様の関係をさらに親密で深いものにする。受動モードになって自分を放棄するような依存では本当の「関係」は築けない。 ガラテヤ5:1に「キリストは、自由を得させるために、私達を解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」とあるが、これがクリスチャンにとっての自立なのじゃないかと思う。つまり、罪にも、他者にも、私たちを隷属しようとする何ものにも支配されることなく、愛を動機とした主体的な選び取りができるキリストにある自由を持っていること。そしてそのような自由の中にいるとき、「愛によって働く信仰(ガラテヤ5:6)」によって、神と人との間に健全な関係を築き、喜びをもって仕えていくことができるのだろう。 何だか話しがそれたけど、育児のなかで信仰の継承について考えるとき、親の信仰と子供の信仰の間にもきちんと境界線を引き、子供が主にあって自立した「愛によって働く信仰」を持つようになることを目指したいと思わされている。 今日はまたケンブリッジのH子さんと電話で祈った。今朝、ある知らせが入り、それは決して私にとって嬉しい知らせではなかったのだけれど、不思議と平安があり、驚きはしたもののまったく動揺したり失望したりすることはなかった。というのも、その件について、日曜日の夜ぼぼるパパと祈っていて、祈りのなかで私たちは、全ての主権は主なる神様にあることを認め、その件から手を放します、と主にお委ねしたばかりだったのだ。だからその知らせを聞いたとき、私はまず主を畏れ、そして主は確かに生きておられますと、主の御名を誉めたたえた。H子さんにもそのことを分かち合い、二人で主をあがめ、そしてこの件に関わる人たち全てを主が完全に守り、養ってくださるように祈った。 佐世保での事件に関しても祈った。この事件を最初に聞いたとき、ニール・アンダーソンの「The Seduction of Our Children -- Protecting Kids From Satanism, New Age, and The Occult」という本のことを思い出した。敵は子供たちを狙っている。育児というのは、ある意味、子供を巡ってのサタンとの激しい争奪戦なんだ。子供たちを取り囲んでいる霊的リアリティーについても、親はもっと目を覚まして見張っていなくてはいけないと思わされる。そして、自分の子供のためにだけ祈っているのでは不十分だ。自分の子供だけでなく、子供の友人、クラスメート、学校、インターネットやテレビ、映画、音楽、書物、ゲームなど子供たちを取り囲むあらゆる環境のために、親たちは膝をかがめてとりなしていかなくてはいけない。祈りをもって戦っていかなくてはいけない。実際、公園やプールなどで無邪気に歓声をあげて遊んでいる子供たちをみると、「ここにいる子供たちのうち誰一人として敵の手に陥ることなく、全員イエス様に出会ってイエス様と共に歩む人生を送るようになりますように」とひそかに祈ってしまう。というのも、うちの子供たちは普段から親やいろんな人たちに祈られているけれど、公園やプールや学校で見かける子供たちのなかには、誰にも祈られていない子たちがきっといるはずなんだ。そう思っただけで涙が出てくる。この邪悪な世の中で、サタンが吠え猛る獅子のように子供たちを食いつくそうとして狙っているこの世で、誰にも祈られることなく日々を過ごしていくなんて… もっと、よその子供たちのためにも祈ろう。 それから、祈りのなかでH子さんを通して与えられた箇所。忘れないように書き留めておこう。
今あらためて詩篇23篇全体を読み直し、深い慰めを感じる。ハレルヤ、主よ、感謝します。 2004年6月9日シカゴは暑い日が続いています。おととい、ついにエアコンのスイッチをいれました。でも、今日あたりから天気が崩れて、少し気温も下がるらしい。子供たちの学校は今日が最後の日。いよいよ夏休みです。 えっと、昨日書いたことにちょっと補足。神様は私たちの選び取りにはあえてご介入なさらない、と書いたけれど、それは私たちの選び取りについて無関心という意味ではないのです。神様は、何でも好きに選べばいいさ、わたしは知らん、とそっぽを向いておられるわけではなくて。無関心どころか、助け主なる聖霊を私たちにお与えくださった。この助け主は、イエス様を主として受け入れた者の内側に住んでくださり、いつまでもともにいてくださり、私たちにすべてのことを教え、イエス様がお語りになったすべてのことを思い起こさせてくださるお方。 だから、私たちがさまざまな選択をするとき、決してひとりぼっちで自分の知恵に頼って選ぶのではなく、御父のみこころを教えてくださる聖霊に助けていただきながら選ぶことができる。なんと感謝なことか。もちろん、聖霊の御声に耳を傾け、それに従うかどうかの選び取りは、やはり私たちの手のなかにあるのだけれど。 2004年6月10日レーガン元大統領の死去は私たちにとってもひとつの時代の終焉を意味するように思う。はちこと私がそれぞれ初めてアメリカに来て大学院生として過ごした80年代の半ばは、レーガン大統領の2期目であり、アメリカが良くも悪くも自信を取り戻し、いろんな点で社会がはつらつとしていた。(そもそも、『アメリカに行ってみたい』と思ったのも、レーガン大統領のオプティミズムにアメリカの底知れぬ機会と可能性を感じたことが大きな要素になっていたと思う。)彼はある意味で、私たちののびのびとした青春時代の象徴でもあった。バック・トゥー・ザ・フューチャーのなかで、1955年に行ってしまった主人公のマーティ・マクフライが1985年の大統領は誰だと聞かれて「ロナルド・レーガン」と答えると、「何、あの役者が?」と返され、劇場の笑いを取っていたのがつい昨日のことのようだ。レーガノミックス、冷戦終結への舞台つくりなど彼の業績は大きく、軍事力信奉やイラン・コントラ事件、巨額の財政赤字といった問題もないわけではなかったが、大局的に見て、近年の大統領の中では群を抜いてすぐれたリーダーシップを発揮したとアメリカの多くの国民が認めるところであるし、私もそう思う。とくに、1986年にNASAのチャレンジャー号の爆発事故のあとに国民にむけて放送された彼のスピーチは胸を打った。悲しみを自分のものとしつつも国民と共有し、思いやりにあふれながら、宇宙開発への勇気を失わさせない語り口は、おそらく彼以外には真似ができなかっただろう。名実ともに名大統領だった。 *****
さあ、いよいよ夏休みだ!と、教師なら(学生よりも)それだけで解放的な気分になるわけだけれど、それだけではなさそうだ。ここ一週間ほどで、肩の荷がおりるようなことがたてつづけにいくつもあり、急で細い山道から突然視界の開けた野原に出たような気分なのである。数ヶ月の間、ああでもないこうでもないと言っては気をもんできたことが、消えてなくなったり、もはや気にならなくなった。主のタイミングなのであろうが、それを夏休み前に持ってきてくださるとは、神様もやることがニクイ。御名をほめたたえます。 さあ、12日からはいよいよイタリアでサマースクール。アルプスの山の中でおいしい空気をいっぱい吸って、よいアイデアをいっぱい練ってこよう! おっ、さっそくひとつ思いついたぞ。 「イタリアでも、どこか子供でありたい。」(回文です) (ぼ) 2004年6月11日![]()
![]()
***** 父の日の前倒しで、はちこが上着とシャツとネクタイとズボンの一式をプレゼントしてくれた。私の愛用の背広と言えば4、5年前に買ったチャコールグレーのスーツの一張羅だが、かなりくたびれてきたため、見かねて新調してくれたらしい。ジーンズ以外は滅多に洋服を買わない私にとっては猫に小判とも言えるが、セールで30パーセント引きになっていた上、デパートのカードでさらに20パーセント引きのお買い得品だったのだそうだ。お店の人がカラーコーディネートを手伝ってくれたというだけあり、色もきちんとそろっている。ありがとう。 さっそくその一式を身にまとい、エミにベビーシッターを頼み、シカゴのダウンタウンに二人でAnniversary Dinnerを食べにいく。過去15年間、はちこと二人のデートでとにかく圧倒的に多かったのは食事。二人とも食いしん坊なもんで。もともとはちこが私に惚れたのは、私の食いっぷりが良かったからだそうである。何でも、「食べ始めると、まわりに誰がいようがお構いなし。お皿と自分だけの世界に入り、何者も寄せ付けない雰囲気になる」のがいいのだそうだ。そんなにがっついているかな、俺。 とにかく、今日は滅多にない機会のフランス料理だと言うので、ふたりとも朝昼抜いて、気合いを入れて臨んだ。私たちはお酒をたしなむということをしないので、もっぱら、目的は食べることである。飲み物は水とソーダだけ、あとはひたすら食べる。いやあ、美味しかった。満足したー。デザートのスフレを食べ終わるころ、 は 「ねーえ、あなた」 ぼ 「なんだい?」 は 「あのね、私ね」 ぼ 「うん?」 は 「もーお腹いっぱい。吐きそう」 ぼ 「をいをい」 私たちとほぼ同じ時間に着席したとなりのテーブルの5人組を見ると、何と、彼らはこれから食事をオーダーするところであった。(私たちも2時間はたっぷり食べていたのに、この人たちは何をしていたんだ。人ごとながら心配になる。) ***** いや、別に、回文が趣味とか、そういうわけじゃなくて。だいたい私が口ずさむのは、 「だ、ダダだ」 「僕、久保」 「ダムは無駄」 とかしょうもないやつばっかりだし。中学校のとき先輩に教わった 「見事うどん汁すする神道と五味」 (神道、五味という先生がいた) などはいいほうだけどね。もちろん、英語にも回文(palindrome)というものはあって、 "Madam, I'm Adam." "Eve." などは典型的。しかし、この世界一長い(英語の)回文には、どぎもを抜かれました。字数で19000弱、語数でも4900を下らないというから、ものすごい。上には上がいるものである。(ぼ) 2004年6月12日結婚して15年経ちました。昨日の食事のとき、彼に「15年間いろいろとありがとうございました。これからもよろしくお願いします」と頭を下げた。彼も「こちらこそ」とペコリとした。 私が彼の食べっぷりの良さに惚れたというのは本当の話しだけど、彼は決してがっついているわけではありません。よく食べるのだけど、品のある食べ方をします。そしていつも幸せそうに、美味しそうに、満足げに頬張ります。そして食べ終わると必ず「美味しかったよ、ありがとう」と言ってくれます。どんな失敗作でも、見た目が悪くても、味が悪くても、必ず「美味しかったよ、ありがとう」と。彼は実は味にはうるさくて、結構グルメな方だと思うけど、それでも私が作るものは何でも美味しいといってきれいに食べてくれるのです。 15年間の重みは、何ものにもかえ難い。心の奥に、しっかりと刻んで。感謝の思いとともに。
2004年6月13日朝の礼拝のあと、アル&ゲイル夫妻とデイビッド&バーバラ夫妻がランチに誘ってくれた。一人で子供4人抱えて留守番している私に気を遣ってくれたらしい。しかも、女子供の分は男たちに任せておきなさい、と私たちの分はアルとデイビッドが払ってくれた。びっくりー。でも感激。 タミーが転んで尾骨を折ったらしい。教会にはクッション持参で来ていた。立ったままの台所仕事は辛いだろうから、明日の食事は私が作って持っていくことにした。彼女は「別に大丈夫よー」と言っていたけど、タミーにはいつもお世話になっているし、たまには私から何かさせて欲しい。そしたらタミーは「はちこの方こそ、ぼぼるが留守で大変でしょう? 今週はラリー(タミーのご主人)がずっとうちにいるから、何かあったらいつでも電話して」と言ってくれた。自分だって大変なのに、タミーはいつでもこうして周りの人たちに気を配っている。素晴らしいなぁと思う。 さっき(夜11時頃)、うちの前にある公園から銃声が三発聞こえた。何かと思って窓から外を覗いていたら、誰かが通報したのだろう、パトカーが次々とやってきて、ライトで公園を照らして探索し始めた。夫が留守のときに物騒なことがあったら嫌だなぁと思ったけれど、不思議と心は平安だった。だけど、戸締まりはもう一度確認しよう。先週だったか、うっかりガレージのドアをしめ忘れて一晩放置していたことがあった。目の前の公園でどんな人がうろついているかもわからないのに、泥棒さんいらっしゃい、とばかりにガレージドア全開では、やっぱり危ないものね。 しばらく前に、主の静けさについて分かち合ってくれた人がいた。その時以来、何かと騒ぐ私の心にも主の静けさが与えられるようにと求めつつ、主の御もとにあるセレニティにずっと思いを巡らせてきた。困惑や混乱、苛立ちや憤り、不安、懐疑心、自己憐憫… いろんな思いが私の心を侵蝕してくることがある。思いがけないときに思いがけない人からくる思いがけないブローに、ついリアクトしそうになることがある。でも、そんな時こそじっとしていよう。リアクトしそうになっている私の心が鎮められ、代わりに主の愛が私の思いを支配するようになるまで。 2004年6月14日イタリアはアルプスのぼぼるパパから写真が送られてきました。
2004年6月15日夕べは早めに寝たので、今朝は5時に起きた。早朝の静けさは本当に気持ちがいい。ワーシップCDを低音量でかけ、聖書を開く。
今日はみんの10歳の誕生日だ。みんは昨日からバイブルキャンプに出かけていて留守だけど、ぼぼるパパからはイタリアからおめでとうの写真入りメールが入っていた。主がみんのような尊い子供を私たち夫婦の手に委ねてくださったことを感謝し、これまでの10年の彼女の成長を感謝し、これからのみんの歩みのうえに主の祝福がありますようにと祈る。 昨日はタミーのところに食事を作ってもっていった。ご主人のラリーは日本食がいけるクチなので、つい遠慮なく日本食を用意してしまったが、届ける道すがら、ふと、「あれ、だけど他の人たちは大丈夫だったかな? 特に子供たちは…」と心配になってしまった。子供用にマカロニ&チーズも用意すればよかったかも、と思ったけど後の祭り。ううう、みんなちゃんと食べてくれたかな? さて、今は朝8時、3人の子供たちも起き出してきた。今日も一日、主にあって感謝しつつ生きよう! ***** 今は夜。ワーシップチームの練習から戻ってきて、子供たちをお風呂に入れて、寝かしつけて、紅茶をいれてほっと一息ついたところ。次の日曜日のワーシップはトマシンがリードする。トマシンがリードするのは初めてなので、いろいろとまどっていたけれど、よくやってくれた。 ***** 今、ハンス・ビュルキ師の『主の弟子となるための交わり』をパラパラと読み返して、あらためて思わされたことをいろいろ書いたのだけど、こうしてすぐに日記に書いてしまわないで、もう少し私の心のなかに留めておこうと思って全部消してしまった。この本については、ケンブリッジにいた頃に何度も触れたけれど、その頃に書いた日記で、この本から一部長い引用をしたことがあった。それはこちら。 2004年6月16日淡々と毎日が過ぎていく。子供たちは早くも退屈だから早く学校が始まらないかな、などと言っている。 ま〜やは今週、来週と水泳教室。地元の高校の大きなプールで行われているこの小学生のための水泳教室は、先生と生徒の割合が1対2か1対1くらいで、とてもいい。ま〜やもマンツーマンで指導してもらっている。彼女はやる気満々で頑張っているが、二階の観覧席から見ていると、なんだかおもしろい。最初の2〜3メートルはバタ足で進み、そのうちそれが犬かきになり、最後はブクブクブクと泡をたてて沈んでいく。溺れそうになってアップアップしていると、先生が手を伸ばしてさっと引っ張り上げてくれる。だけどま〜やは懲りない。何度でも挑戦する。何度沈んでも、溺れそうになっても、もう一度水に飛び込んで泳ぎ出す。私は遠くから眺めながら、沈んでも先生が助けてくれるってわかっているから、だから怖くないんだろうなぁと考える。だけど今日、ま〜やが怖がっていないもう一つの理由に気がついた。ま〜やは先生を無視して自分勝手に水に飛び込んでいるのではなく、あくまでも先生の指示に従って、「やってごらん」という言葉に励まされつつ飛び込んでいるんだ。ま〜やが飛び込んで泳いで行くその先には、いつも必ず先生が手を広げて待っていてくれる。先生が「やってごらん」という通りにやっているのだから、怖がる必要がないのは当然だ。信仰生活も同じだ。 ふと、半年前に読んだジャーナリストの浜名純さんのエッセイ(リバイバル新聞1/18号掲載)を思い出した。彼は学生時代山岳部で、大学4年になる春、北海道で遭難事件を起こしたそうだ。吹雪のなか、一週間あまりも閉じ込められ、マスコミでも「北大パーティー絶望か」と報道されたそうだ。しかし彼らは九死に一生を得、最終的には無事に下山した。浜名さんはこの時の経験をこのように書いておられた。
大胆な信仰と無謀な信仰もまた似て非なるものだと思った。『偉大な神、偉大な信仰』の著者、ウェンデル・スミス師は「信仰のバランスがとれた人生というのは、確かに不可能に向かって一歩足を踏み出し、愚かに見えることすらするでしょう。しかし、それは現実を無視した知恵のない行動への許可証ではないのです(p.81)」と言っている。語られたことに応答して、自分一人の力では無理だとわかっていても一歩を踏み出すのは大胆な信仰、神が何を語っておられるかに耳を傾けずに自分で思った通りに走り出すのは無謀な信仰(というか、実はこれは「信仰」ではない?)、だろうか。 また、信仰には「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算する(ルカ14:28)」細心さも必要だと思う。「細心」というと言葉がちょっと違うかもしれないけれど、つまり、まず主の御前に静まって主の御声に耳を傾け、語られていることをしっかり聞き分けること、主からいただく知恵によって状況を見極め、委ねられているものを忠実に管理すること、と言えるだろうか。そしてそれは、臆病なのとは違う。 細心さには主体性があるけれど、臆病なのは受身だ。主は恐れ退く心は喜ばれない。(ヘブル10:38) と書いていたら、ぼぼるパパからメールが。大ショックなニュース。今頃、がっくり肩を落としているんだろうなぁ… くすん。 大きな障害にぶち当たる。それでも忍耐を持って祈り、待ち望み続けて、ついに大どんでん返しが起きて、これは神様がなさってくださったことだ、としか言いようのない展開に主の御名を讃え、喜び踊る。それなのに、その祝宴の最中に再び状況が180度ひっくり返って、また一から出直しになる… こういうとき、どう受け止めたらいいのかわからなくなってしまう。 細心さを伴う大胆な信仰、なんて偉そうに書いていたけれど、神様から聞いたと思った「やってごらん」が、周りの状況の騒音のなかでかき消されそうになるときがあるのも私の現実。 ああ、でも、でも、でも。それでもあなたに信頼します。 と書いたとたん、頭のなかでヒルソングの「All things are possible」という歌が響いてきた。うん、そうだ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は今までにも何度も私たちを窮地から助け出してくださった。He'll do it again. He'll do it again!! With God, all things are possible! 2004年6月17日昨日のぼぼるパパからのメールのあと、祈りのパートナーのH子さんに連絡したところ、今日電話をくださって、また一緒に祈ることができた。祈っている最中に、H子さんが詩篇103篇1〜5節を読んでくださった。そこはちょうど2日前に私自身示されていた箇所だったので、私はてっきり、H子さんが私の日記をご覧になっていたからその箇所を読まれたのかと思って、祈り終わってから、「日記にも書きましたけど、その箇所は、私も主人からの知らせが入る前日に示されていたところで、ずっとその箇所に思いを巡らし、そこから励ましをいただいていたんですよね」と言うと、H子さんは「えっ? そうなの? その日記、まだ読んでなかったわ。祈っている時に詩篇103篇を示されたので、それでこの箇所を読んだのよ!」今度は私の方が驚く番。「ええーっ? そうなんですかー?」 神様がこんなふうに、御言葉を通して何かを語ってくださるとき、その言葉は100%信頼するに足るものであることを私は知っている。しかも、この電話のあと、聖書を読んでいたらヘブル7:24、25が示され、もう、俄然確信に満たされた。
ハレルヤ、御名を讃えます! ***** 『主の弟子となるための交わり』の第一章のなかに次のようなくだりがあることに気付いて驚いた。
これって、『バウンダリーズ』が言っていることと同じだ。 2004年6月18日みんが陽に焼けてキャンプから帰ってきた。楽しかったようで、よかった。 ううむ。あと10日で日本だ。荷物の準備はまったくしていない。荷物といっても、ほとんどが衣類とか洗面具とかその類いのものだし。それより、郵便物を局留めにする手配をするとか、そういった準備の方をぬかりなくやっておかないと。 2004年6月20日 父の日ぼぼるパパ、そして全国のお父さん、Happy Father's Day! ***** ぼぼるパパへ:今朝のトマシンのリードはとてもよかったです。やっぱりドラムスにジェフが入ってくれたのが大きな違いをもたらしたみたい。そうそう、シェリーは肝臓移植の日が7月14日に決まったそうです。ハレルヤ! あと、今日Divine Exchange をやりました。クラークとジャネットがシリアを、ゲイルがルーシーを連れて来ていてとてもかわいかったよ。 ***** 昨日のデボーションでグッときた箇所。
特にこの「わきまえのない者を守られる」というのに感激した。良い御父である神様は、わきまえのないものを賢くし(詩篇19:7)、悟りを与え(同119:130)、分別を与え(箴言1:4)てくださるお方。わきまえのないものを、わきまえがないままでほったらかしにはされず、知恵や悟りや分別を与え、主の道を進むことが出来るよう教え、訓練し、守ってくださるお方なんだ。自分のわきまえのなさのためにとんでもない方向に進んでしまっても、主は私たちを呼び戻し、時に叱責し、時に懲らしながら、いのちの穴から救い出してくださる。Dear God, thank you for being our greatest Father! 2004年6月21日日本での予定をどんどんたてる。5週間の滞在のうち、半分以上は家族との旅行。那須とか。以前どこかで誰かが、那須のオルゴール博物館とテディベア博物館がいいと言っていたような気がするのだけど、どなただったかなぁ。 小学校/中学校/高校/大学時代のそれぞれの友人たちとも会う予定。年賀状を引っぱり出してきて、電話番号やメールアドレスを確認する。名前を見なくても、筆跡だけで誰だかわかる、そんな昔からの気心の知れた友達と再会できるのはとても嬉しい。ぼぼるパパのお友達とも会う。彼の友達はみんな、律儀で礼儀正しく、話題も豊富で面白い人たちばかりなので、私もご一緒させてもらうといつも楽しい。 もちろんネットで知り合った何人かのお友達とも会う予定。楽しみなことがいっぱい。(^^) ***** ぼぼるパパからさらに写真が送られてきました。緑の字はパパ本人によるキャプションです。ぼぼるパパは中学高校と山岳部だったから、こういう場所に来ると血が騒ぐのでしょうね。
2004年6月22日興味深い記事を見つけた。興味深いというのは面白いという意味ではなく、ああそうか、ここにこういう必要があったのか、と目を開かされるような、考えさせられ、また祈らされる記事ということ。 ●佐世保小6女児殺害事件 市内の教会もショック−−「祈りの言葉出てこない」(クリスチャン新聞6月27日号) 2週間前にH子さんとこの事件に関連して祈ったとき、地元の教会のためにも祈ったのを思い出した。事件のあった小学校で流された少女の血潮によって学校や地域の人々にもたらされた霊的・感情的衝撃が、イエス様の血潮で完全に覆われ、洗い聖められるように、代わりにイエス様の血潮とお名前によってのみ与えられる救いと癒しがこの地域にもたらされるようにと祈り、それから地元の教会とクリスチャンの方たちのためにも祈ったのだった。でも、この記事を読んで、地元の教会が受けているショックが私が想像したもの以上であることを知り、彼らのためにも続けて祈っていかないといけないと思わされた。 またこの記事の最後に、酒鬼薔薇事件の翌年、事件が起きた地域の子供たちに届いていくために、神戸市須磨区に移り住んで開拓伝道を始めた谷口明法牧師の言葉が出ていた。
これを読んで、ちょっと前に偶然目にした「ぱど厨になってみる」という一連の文章を思い出した。これは風野春樹さんという精神科のお医者さんのウェブ日記『読冊日記』のなかの記事。「ぱど厨」というものが私にはいきなり??なのだけれど、「ぱど」というのは、「ぱどタウン」というネット上のバーチャルコミュニティーのことで、ここでは入居者が無料で専用の掲示板を持てるらしい。そして、大勢の小中学生がここで自分専用の掲示板を持って、独特のコミュニケーション手段とルールを駆使して、独特の文化を生み出しているようだ。ぱど厨が何を指すのか今ひとつよくわからないのだけれど、要するにこの「ぱどタウン」というところで生み出された特異な子供のネット社会のなかに棲息する子供たちのことなのかな、と。 で、「ぱど厨になってみる」だが、精神科医の風野春樹さんが、自ら小学生女子になりすまして(?)ぱどタウンに潜入し、彼らの視点からこの世界を見てみようではないか、という勇気ある試みらしい。彼のレポートを読んでみると、現代の小中学生にとってのネット社会というのは、私が知っている大人のそれとはまったく異なる「異次元空間」であるらしいことがわかり、びっくりする。大人の視点からネット社会の危険がどうのとか、ネットリテラシーがどうのといっても、子供にとっては無意味なのかもしれない。なにしろ彼らには彼らのネットリテラシーがすでに存在しているのだから。それに、彼らにとっては、恐らくネットはそれほどバーチャルな世界ではなく、あくまでリアルの延長上にある内輪でのコミュニケーション手段の一方法に過ぎないのだろう。自分がネット上で発信する言葉が、世界中のどこにでも届き得るとか、自分の知らないどこの誰が見ているかもわからないものだ、なんていうことは念頭にない極めて閉ざされたエゴセントリックな世界… この子供世界の独特さというものは、大人になってしまった私から見るとなんとも不気味で、見てはいけないものを見てしまったような気持ちにさせられるが、私も昔はこういう世界に住んでいたはずなんだなぁ… もう、よく覚えてないよ。(ため息) 話しがつらつらと飛んで申し訳ないが、もう少しエゴセントリシティーから脱却していていいはずの小中学生の、異様とも思える幼さを覗き見してなぜだか思い出したのが、川端光生さんが父親の役割について書いておられたこの言葉。
ぱど厨たちが関係を切望しているのは見れば明かだ。だけど彼らは関係の築き方というものをまったくわかっていないように思える。風野さんのレポートのなかにあった彼らのぱど友達募集広告(?)を見ると、身勝手千万なことばかり書き並べている。おいおい、友達ってのは、そんなふうにして作るもんじゃないだろう?と言いたくなる。 「関係」というのは、聖書の中心メッセージだとも言える。創造者と被造物の間の関係、被造物同士の関係。ネットリテラシー以前に、リアルでの人間関係の築き方を。そして本当に深く意味のある人間関係を築いていけるようになるためには、一人一人が創造主との関係を回復していく必要がある。現代の子供への伝道というのも、結局はそこに帰結するのだろう。 2004年6月23日イラクで殺害されたキム・ソンイルさん、彼はクリスチャンで、通訳として貿易会社に勤務するかたわら、語学の才能を生かして伝道もしていたそうだ。生前本人が電話でご家族にそう言っていた、と今朝のシカゴトリビューン紙に書いてあった。 夕べ寝る前にオンラインの新聞で彼の殺害のニュースを読んだのだが、そのせいだろうか、夕べはとても嫌な夢を見た。ちらりと読んだニュースだけでもこれだけ脳に影響を与えるなら、子供たちが熱心に見るような映画やゲームで彼らがすっかり洗脳されてしまうのも無理はないと思った。 うちの子供たちは映画やテレビなど、リアルな残虐ものはまったくダメ。普段から一切見ていないからちょっと目にするだけでも耐えられないらしい。それでいいと思う。残虐なものに対して感覚が慣れている必要はない。数年前、衛星放送でNHK大河ドラマの毛利元就を見ていたら、戦国時代ものだから結構残虐な場面が多く、誰かがたくさんの矢で射られて血しぶきが激しく飛ぶ場面になったところでちょうど部屋に入って来たみんに、「ママはどうしてこんな恐いものを見たいの?」と泣かれてしまったことがあった。ドラマとしては気にいっていて、私は毎週楽しみにして見ていたのだけれど、みんにそう言われて続きを見るのを断念した。戦国もののドラマとはいえ、子供たちに血しぶきがとぶような殺人の場面を見せたくなかったし、ママは残酷なものを平気で好んで見ていると思われたくなかったから。 奇しくも、ミッショネットでは今日から「命の尊厳」という単元に入った。なぜ命とは神聖で尊いのかということについて6週間にわたって学ぶ。今日はまず、「命」とは神様に源を発するものであり(創世記2:7)、私たち一人一人のいのちも神様が私たちの母の胎で形作られたものであり、まだ生まれる前から私たちのいのちの日々は神の書物に書き記されていた(詩篇139:13〜16)という話しをした。命の価値という観点から、創造論対進化論にも話しが及んだ。つい昨日の日記で、子供たちに創造主を教えることの大切さに触れたばかりだったが、今日のレッスンはまさにそれだった。子供たちの価値観や世界観から創造主を取り除いてしまうことがいかに恐ろしいことか、改めて思わされた。 私たちの日々が、生まれる前からすでに神様の書物に書き記されているって、どう思う?という話しもした。私たちにとっては人生は未知の連続だけれど、神様にとっては知らないことは何一つなく、nothing catchs Him by surprise という流れから、私の先日の体験を子供たちにも分かち合った。私にとっては青天の霹靂のような、まったく予期せぬ知らせだったけれど、神様はすでにご存知で、あらかじめ私の心に語りかけ、私がその知らせを受け入れることができるようにと私を整えて下さっていた。今の私には、その後がどうなるのかはわからない。だけど神様はすべてご存知。だから私は何も恐れたり心配する必要はない… 私たちは、全知全能で主権を持って全地宇宙を統べ治めておられる創造主であられる神様によって造られ、生かされ、守られ、導かれているのだから、と。 そして私のパートナーであるベッツィーが、私の話の後を継いでこう言った。(彼女は子供たちにわかりやすい言葉で話しをするのがすごくうまい。)「こんなに素晴らしい神様のことを十分に理解するのは難しいかもしれないけれど、今夜はこれだけ覚えておいて欲しいの。God is GOOD. Our God is good. Because He is good, we can have hope. Because He is good, we can have peace. He is good. HE IS GOOD. HE IS GOOD.」ベッツィーがHE IS GOODというフレーズを何度も繰り返すのを聞いているうちに、私の方が涙が溢れてきてしまい、それもちょっと涙ぐんだなんてもんじゃなく、声も出さずに滝のように涙が流れてしまい、まいった。HE IS GOOD. このシンプルな一言に、ものすごく、ものすごく励まされたのだ。HE IS GOOD. Yes, indeed, You are GOOD. Lord, You are good! You are! 2004年6月25日ぼぼるパパ、イタリアから無事帰国。疲れているだろうに、今日は早速仕事。月曜日には日本に向けて出発。パパの身体が守られますように。 日本は今年は空梅雨だとかで、雨が少ないみたいですね。このままお天気が続いてくれるといいな。シカゴの方は、ここしばらくずっと涼しい。昨日など、涼しいを通り越して寒かった。気温が60度をきったもの。摂氏でいうと、15度以下。半袖のTシャツで外に出たらガタガタ震えてしまった。でも日本は暑そうですね。楽しみです。 さすがに今日あたりから、本気で荷造りを始めた。夏の衣類はかさばらないから助かる。4年前に日本に行ったときは、必要以上に衣類を持っていきすぎて無駄だったから、今回はもう少し少なめにしようと思う。でも浴衣は持っていく。娘たちの分だけだけど。4年前に買ったのがろくに袖も通さないままそのままになっていたのだけれど、日本でだったらきっと着せる機会もあるだろうから。もちろん、4年前に買ったのはそれぞれ小さくなってしまったから、みんのをま〜やに、エミのをみんに、そしてエミには私用に買ったのを回す。(女の子ばかり3人続いていると、こういう時便利。)ケンには日本に着いてから買ってあげよう。男の子って、どんな浴衣を着るんだっけ? ん、そもそも男の子って、浴衣着るんだっけ? 忘れちゃった。 ***** 夕食の支度をしていたら、「うんち、うんち」ケンスケが叫びながらトイレに駆け込んだ。この1〜2ヶ月くらいだろうか、ようやく普通のパンツをはいて生活するようになった。まだときどき間に合わなくて、トイレまで来て濡らしてしまうこともあるけれど、もうほとんど完了と言ってもいいくらい。うんちの方はもう失敗しなくなったし。まぁ、もう3歳3ヶ月なんだから、そうでないと困るけど。上の三人と比べたら、彼には随分手こずらされたなぁ。(苦笑) そんなケンスケ、トイレから「ママー、ごちそうさま!ごちそうさま!」と叫んでいる。野菜を刻む手を止めずに「なぁにー?」と声をかけると、彼はなおも「ママー、ごちそうさまー!」何のことだろうと思って、洗った手をタオルでふきふきトイレまで行くと、まだ便座に座ったままのケンが言った。「I'm done, Mommy. Wipe my butt.」 なるほど、I'm done だから、「ごちそうさま」だと思ったのか。いい線いってるけど、ちょっと違うんだよねー。(笑) 今日は嬉しいことがあった。6年くらい前に東海岸に引っ越して行った友人夫妻が、近くまで来たから、と足を伸ばしてうちにも寄っていってくれたのだ。午後になって突然電話がかかってきて、今近くまで来ているからこれから寄ってもいい?と言われた時は、私は飛び上がって喜んだ。 メアリー(仮名)は私より20歳年上。だけど私たちはとても親しかった。同じ教会で、彼女は私のメンターのような存在だった。彼女たちが引っ越して行った後もずっと連絡を取り合い、時には電話で祈りあったりした。去年教会で問題があった時も、彼女は何度も私に電話をくれて、一緒に祈ってくれた。イギリスにいたときも、私がホームシックにならないようにと、アメリカからいろんなものを送ってくれた。翻訳をやっているときも、一冊一冊、いつも励まし、祈ってくれた。そういえば、私に一番最初に翻訳への思いが与えられた時、御心なら扉が開かれますようにと一緒に祈ってくれたのもメアリーだった。それがもう7年くらい前のことだ。うちで初めてJCFNの感謝祭ディナー集会を開いたときも、若い人たちが20人くらい泊まっていくと聞いて、彼女が夜食をたくさん作って持って来てくれたりした。 8年くらい前だったか、当時二十歳そこそこだった彼女の息子が刑事事件を起こしたことがあった。彼は刑務所に入り、彼女はそのことでとても心を痛めた。しかし、文章を書く賜物のあるメアリーは、息子が刑務所に入っている自分と同じような立場の母親たちのために、手紙形式のトラクトを自前で製作した。一枚一枚がきれいな便箋に印刷され、きれいな封筒に入れられ、きれいなシールが貼ってある心のこもったトラクトだった。 メアリーについて語り出したらきりがない。メアリーのような素晴らしい女性を私の人生に送り込んでくださった神様に心から感謝する。 2004年6月27日裏庭のラズベリーの薮が赤い実を付け始めている。芝刈りの手を休めていくつか口に放り込んでみると、甘酸っぱくておいしい。子供たちを呼んで、摘み取らせる。ささやかな天の恵み。 ***** ケンの粗相の後始末をしていたはちこが、床に落ちていたうんちに気づかずシルクのドレスのままその上に座ってしまった。それで階段に腰をおろしてよごれた部分をしみぬきでこすっていると、上からケンスケがやってきて「Mom, what are you doing?」と覗き込むなり、手に持っていたスプライトのコップをひっくり返し、ドレスはびしょびしょ。踏んだりけったり、なすったりこぼしたり。はちこは、2ドルのドレスだからまあいいけど、と諦め顔。ケンは買ってもらったスパイダーマンのパンツは、おしりのほうにスパイダーマンが描いてあって見えないからと、わざわざ後ろ前にはいている。 ***** イタリア遠征の疲れがここへ来て少し出てきたようだ。12日間、世界中から集まった80人を越える参加者といっしょに朝から晩まで物理と数学をハードに考えることができたのは、滅多にない機会でとても有意義だった。ヨーロッパの学生は、海洋や大気の研究をしている者でも基礎となる物理や数学がきちんと教えられているため、厳密な議論にも平気でついてくる。残念ながらうちの学科ではこうはいかない。それと驚いたのは(ヨーロッパではあたりまえなのかもしれないが)学生のほとんどが2カ国語以上堪能なことだ。とくにイタリア語とフランス語はほとんど共通語のような感じで、それにお国なまりの英語。私はフランス語はかたこと、イタリア語は去年エミとローマに行く直前に学んだあいさつ用語くらいしかしゃべれないので、半分は蚊帳の外だったが。最終日に行ったセミナーは好評で、発表の後で学生にいろいろ質問をされた。講師陣の一人で2次元乱流の大御所Jim McWilliamsにもよいコメントをたくさん頂戴した。 遠征でハードだったことのひとつは、夕食の時間。8時すぎに始まり、11時、遅いときには夜中の12時近くまで食べている。これではお腹も会話の間も持たない。食事がおいしければそれでも我慢するが、とくにそういうわけでもないのだ。イタリアの家庭料理というのは質素な感じで、アメリカで食べ慣れているイタリア料理のイメージからはほど遠い。(去年ローマを旅したときもそう感じた。ジェラートだけは別格だったけど)朝は7時前に起床だから、食べるだけ食べてすぐ就寝という、あまり健康とは言えない生活のサイクル。8日目を過ぎるあたりからは自主的に晩ご飯を抜いて、自己防衛をはかった。 ***** 私が大学院に行くためにアメリカに渡航したのが1984年の6月27日だから、きょうでまる20年になる。早いもんだなあ。人生の半分近くを海外で過ごしていても、日本人としてのアイデンティティーは全然変わってないけれど。(ぼ) ***** 日付まで覚えているとはさすがぼぼるパパ。↑ 私は、交換留学でカリフォルニアに渡ったのは1984年の8月だったと思うけど、何日だったかまでは覚えてないなぁ。 それにしても、ケンスケの粗相には参りました。つい先日、「うんちの方はもう失敗しなくなった」と書いたばかりだったのに、いきなりやられました。どうも、間に合わなくてパンツの中にしてしまったのを、一人でなんとかしようとしてトイレにいって、あれこれ処理を試みたために、一層ひどいことになってしまったのですね。落ちているのをティッシュでつまんで拾って捨てて、汚れているお尻やら腿やらを拭いてきれいにして。(お食事中の方、すみません。)その作業をしているとき、私はその場にペタンと座り込んでやっていたのだけれど、終わってから立ち上がったとき、ふと足の裏に何か冷たくて湿ったものを感じたのですね。で、見てみると、ああああ。ひとかけらだけ違う場所に落ちていたやつを、しっかり踏んづけていた。(泣)しかも、どうなっていたのかよくわからないけれど、その上にペタンと座り込んでいたため、ドレスにも茶色く丸いしみが。(号泣) ああ、母は辛いよ。(あ、今ここまで読み直して気が付きましたが、英語でいう「ドレス」とは、日本語でいう「ワンピース」のことです。私とぼぼるパパがここで言っている「ドレス」も、ただの「ワンピース」です。日本語でいういわゆる「ドレス」のことは英語では「ガウン」といい(たとえば、ウェディングガウンとか)、日本語でいう「ガウン」のことは、英語では「ローブ」と言います。ややこしや。) それにしてもね、ケンが自分で何とかしようとしたりするから、いよいよ汚れが広がって、厄介なことになったのですよ。こういうときは、パンツの中に出してしまった時点で、すぐにママに助けを求めるべきでした。でも、失敗したときに、何とか自分で始末しようともがいてしまうのは、人間の本能なのでしょうか。一つには、自分で何とかできるとタカをくくってしまうため。もう一つには、人知れずこっそり処理して、事なきを得たいと思ってしまうため。私も、失敗したとき、罪を犯したとき、すぐにイエス様の御前に出ずに一人でジタバタもがいてしまうことがある。踏んだりけったり、なすったりこぼしたりの午後、イエス様に「はちこも同じですよ、何かしでかしたら、すぐにわたしのところにいらっしゃいよ」と指摘された。 ***** いよいよ明日の朝、出発です。荷造りはもう完了したと思うけど、忘れ物はないかな? いくら夏の衣類はかさばらないとはいっても、さすがに6人分の荷物5週間分なので、かなりの量になりました。 それでは、皆さんの夏も、祝されたものになりますように! (はち) 2004年6月30日夕べ日本に無事到着しました。皆元気です。上手くアップロードできるかわからないけど、やってみましょう。 |

当サイトにおける聖書の引用に関しては
上記のページより「聖書の引用について」の項目をご覧ください。