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はちことぼぼるの日記(2004年3月)

2004年3月2日

うをー、もう3月ぢゃないか。まったく時間がたつのは早い。ここんところ、さすがのシカゴの冬も中休みで、気温がかなり上昇し、雪は完全に地面から消滅した。キャンパスでは気の早い学生たちがTシャツやタンクトップを着て歩いている。しかし、なんといってもシカゴですからね。これで終わりということはあり得まい。まだまだコートを手放すわけにはいかない。

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土曜日に観にいった「パッション」については、はちこがいろいろ書いているのであまりつけ足すことはないけれど、みんなに観てもらいたい、すげいえいがだった。へえーという脚色も全然ないわけではないものの、私にとっては、自分の信じているものを画面であらためてうんうんと確認しながらの2時間。まあ、でも、デートで観に行く映画としては、ちょっとヘビーかも。(はちこはヘロデのエジプト人風アイメイクが気になったらしく、後からしきりと「私は目の下にはアイラインは入れないのよ」と言っていた。)

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出エジプト記18章の、モーセと、しゅうとイテロの会話(要旨)。

イテロ 「なんでやねん、あんはんひとりだけが裁きの座についとるのや。」
 モーセ 「みんながわいを必要としておるからや。」
 イテロ 「そらあかん。ひとりでは、あんはんには重すぎて、疲れてしまうよ。」

こうしてイテロの助言にしたがって、モーセはチームを組んで、仕事を分担する。これによって、モーセは燃え尽き症候群や過労死に至らずにすんだ。

これと正反対なのが、最終回前のウルトラセブン。

上司 「君の身体は過去の侵略者たちとの激しい戦いによって多くのダメージを受けた。これ以上地球にとどまることは、非常に危険だ。」
 セブン 「僕が帰ったら地球はどうなるんだ。恐ろしいことが地球におこりそうなんだ。今は帰れない」

無理がたたって、セブンはゴース星人の地球への侵入を許してしまうばかりか、再起不能の傷を負ってしまう。

教訓: 今日という日にやらなければならない、本当に大事な仕事はそんなに多くないはずなのに、「ちょっとこれたのむ」とか「悪いけどよろしく」と言われて思わず引き受けてしまい、雑用が増える結果、結局大事な仕事がいつまでもはかどらないばかりか、自分の身体まで犠牲になったりする。自分で思ってるほどに時間やエネルギーは無尽蔵にあるわけではないことを、肝に銘じなければ。(とくに40を越えたらそうだ。)気をつけて、引き受ける仕事の数を減らすべし。それと、賢明なアドバイスには耳を傾けよう。

きょうの覚書。"Work will grow to fill the time you have set aside for it." (仕事はそれに割り振った時間にあわせてふくらむもの)(ぼ)

2004年3月3日

今夜はミッショネットでびっくりすることがあった。教室に入って行ったら、風船とかがたくさん飾り付けしてあって、テーブルのまん中にはろうそくのたったケーキが。そして女の子たちが「ハッピーバースデー、ミセス・ナカムラ!」見事にやられた。Totally unexpected だったので、本当にびっくりした。そしてみんながくれたカードには「We couldn't have a better teacher than you!」と書いてあって、私はもう泣き出す寸前だった。はずかしいから必死になってこらえたけど。 それで今日はレッスンを早めに切り上げて、みんなでケーキを食べてから残りの時間はゲームをした。

ものすごく嬉しかった。 It really meant a lot to me. Thank you, Jesus, thank you, girls.

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先日、ある証しを読んでいたら、こういう文章に出くわした。

The person who hurt you cannot heal you. Only Jesus can.

(あなたを傷つけた人には、あなたを癒すことはできない。ただイエスだけがあなたを癒すことができる。)

これは本当にその通りだなぁと、しばらくこの言葉に思いを巡らせている。

謝罪してくれたら、償ってくれたら、せめて、自分がやったことを認めてくれたら、そうしたら赦せるのに。私の傷も癒えるのにノ ついそんなふうに思ってしまわないだろうか。あるいは、「赦しはするけど、でも赦すと言えるようになるまでに、私がどれだけ苦しく辛い思いをしたのか、そのことは相手に知っていて欲しい」そんなふうに思ってしまうことはないだろうか。でも、私たちが相手に何を求めても、それによって傷が癒されることはないんだ。私たちを癒すことができるのは、ただイエスさまだけノ

先週の金曜日、初めてこのサイトを訪問したという方からメールをいただいた。その方は、仕事で不当な扱いを受け、損害を受けたうえに心もひどく傷つけられていた。赦そうとして、何度も祈り、自分の怒りや傷ついた思いを十字架に持っていこうとしたけれど、どうしてもまた苦味が戻って来てしまい苦しんでおられた。そんな時、偶然このサイトにたどりつき、何気なく読んだのがAuthor Unknown のコーナーの「大親友の訪問」だった。そして読んでいるうちに主からの甘い語りかけを受け、涙が止まらなくなったのだそうだ。興味深いのは、その語りかけの内容はストーリーとは直接関係のないものだったこと。それでも、主のご臨在に触れ、主が優しく、親しく、彼女に語りかけてくださり、彼女は甘い喜びに満たされたという。主のなさることは何と素晴らしく、何と奇しいことか。 (Sさん、メールを本当にありがとうございました。共に主の御名を讃えます。)

主よ、あなたの麗しい御名を誉めたたえます。あなたは他の何者にも依存することなく、時間も場所も超越して自ら存在なさる (self-existent)ジェホバなる神です。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。愛であり義であり聖であられるお方。あなたはただご自身の御名のゆえに全てのことをなさいます。あなたはいと高きお方、御座から万物をすべ治めておられるお方。あなたのようなお方は他にはいません。そんなにも尊い神でありながら、あなたは地を這う私たちに出会ってくださり、私たちに癒しと解放をもたらしてくださいます。主よ、私たちは、人を見るのでもなく、自分を見るのでもなく、ただあなたの麗しい御顔を拝することを選びます。あなたの大庭に住み、そこで憩うことを選びます。

御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。 (詩篇29:2 新共同訳)

2004年3月5日

おおきな声ではいえないが、きのう私は家の箱の中から、きれいに紙に包まれたままのオックスフォード大学の2003年版カレンダーを発見した。2002年の5月に仕事でオックスフォードを訪ねたさい、お土産に買ってきたのを、すっかり忘れてしまっていたのだった。カレンダーの曜日とひにちが次に合うまで何年も待つよりは、せっかく写真も美しいことだし、今年使ってしまおうということになり、マジックペンで曜日を書き換えた。かくして、一週間が水曜日に始まり、火曜日に終わるという、珍妙なカレンダーが出来上がった。やっぱり、使えないよ、これ。

ところで面白いのは、イギリスのカレンダーでは一週間が月曜日に始まり、日曜日で終わっていることである。つまり、土日が「週末」に来るようになっている。これに対し、アメリカのカレンダーでは一週間の始まりは日曜であり、金土が週末になっている。この違いの由来は、不明。

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あいかわらずケンスケのキャラクターが面白い。この間、お父さんにも名前があるのだということを初めて学んだときのこと。

私  My name is Boboru.
 ケ  No! You're Daddy.
 私  No, no. My real name is Boboru. Can you say that? Bo-bo-ru.
 ケ  「Boubouroo?」

頓狂な声をあげて私の名前を繰り返したあと、ケンは何を思ったか、やおら目をとじて天を仰ぎ、

    「あっはははは。」

と高笑い。そして、こりゃだめだ、とばかりに両手でぽん、と自分のおでこをたたいた。いったい何を考えているのだろう。

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ふうむ。これで火星にかつて液体相の水がざばざばあったことが確定したとすると、当時の気温は当然0度以上でなければならず(現在の平均表面気温は?50度前後)、太陽が今より25パーセントほど暗かったことを考えると、これを実現するのは至難の技だ。温室効果だけでそこまで高温を保つためには相当な量の二酸化炭素が必要で、第一、そのような量の二酸化炭素は凝結をおこしてしまい、大気中に存在できないことが知られている。代案としては、うちの同僚のRay Pierrehumbertが提唱している、ドライアイス雲による赤外線の反射くらいか。ドライアイス雲は粒子のサイズが大きいため、太陽光を外に反射するより、地面から放出される赤外光を下向きに反射する効果が高いのだそうだ。いずれにしても、直接の観測データから仮説を検証するのが極めて困難なことにはかわりがない。 (ぼ)

2004年3月6日

そう言えば、「パッション」だけど(何度もすみません)、ストーリーの流れは基本的に聖書に忠実だと思ったけれど、ぼぼるパパと二人で途中、あれ?と顔を見合わせた箇所もいくつかあったなぁノ

たとえば、イエス様が十字架を担いで歩くシーン。十字架の縦棒は磔刑現場にすでに立っていて、罪人は横棒だけを担ぐものだと聞いているけど、この映画では、イエス様は十字架を担いでいた。私の記憶もちょっと曖昧になっているけど、確かイエス様と一緒に十字架にかけられた二人の罪人は、横棒だけしか背負っていなかったようなノ 

それから、釘を打たれた位置。磔刑での釘は手のひらではなく手首に打つことはよく知られている通り。でもこの映画では手のひらに打っていた。

映像としての表現上の効果を狙ってこういう演出にしたのかもしれないけれど、このあたりのことはよく調べられていることでもあるのだし、もう少し資料に忠実に再現してもよかったのではないかと思った。

ちなみに、イエス様の十字架の物理的な側面について、ここのサイトに詳しい説明があります。(英語)

The-Crucifixion.org: The Physical Death of Jesus Christ

所詮、映画は映画。でも、この映画が一つのきっかけとなって、今まで聖書に興味のなかった人たちが聖書を開き、イエス様の十字架について考えるようになるなら素晴らしいことだと思う。そして、映画だけが話題になって終わるのでなく、これをきっかけに人々の間でイエス様の御名が高く掲げられ、御業そのものが語られるようになることを祈る。映画の重箱の隅をつつくような議論ではなく、イエスはなぜ十字架にかけられて死ななくてはならなかったのか、その後はどうなったのかということに、福音に、人々の思いが向けられますように。この映画の記述に間違いがあったとしても、イエス様が十字架を通して成し遂げられた御業そのものには何の変わりはないのだから。

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ケンスケのキャラクターと言えば。

最近のエピソードその一:先週の日曜日、教会での出来事。ケンはみんの友達のエリー(十歳)が大好き。帰り際、ホールでエリーを見かけたケンは、「エリー!」と叫んで駆け寄った。彼女もケンと目線を合わせるために、ケンの隣にしゃがんだ。ケンは愛しのエリーに手を伸ばし、彼女の頭をなではじめた。エリーは二才児に頭をなでられることに抵抗があったのか、ちょっと身を引いた。するとケンは一言。

You are shy. (恥ずかしがりやなんだね。)」 ノノなんて子なの、先が思いやられるノ

最近のエピソードその二:一月に図書館で借りた絵本、なぜかすっかり返却するのを忘れていて、昨日メールで催促がきた。これは大変!と慌てて本を探したのだけれど、見当たらない。「イエス様、図書館で借りた絵本が見つかりません。どうか探すのを手伝ってください」と祈ってから、一番最初にチェックした本棚をもう一度調べたら、あった!ありました! 「Thank you, Jesus, for helping me find the book!」と私が大声で叫ぶと、本探しを手伝おうともせずソファの上でごろごろ転がっていたケンが「You are welcome, Mama.」 違うっ! あなたじゃないんだってばっ!

最近のエピソードその三:水曜日の夜、教会で。集会が終わって帰ろうとしていると、幼児室の担当だったラナがやって来て、笑いながら私にこう言った。「ケンがね、今日はお医者さんにいって、つまさきに注射して、バンドエイドをつけてもらったってお話してくれたの。それで、お医者さんの名前はドクター・ナカムラだったって言うのよ。どこまでが本当のことなのかなぁと思って。」 私はしばらくの沈黙のあと、こう答えた。

それ、ぜーんぶ嘘よ。今日はお医者さんなんか行ってないし。それ、全部ケンの作り話よ。」 ったく、一体いつからこんな大嘘つきになったんだ?

最近のエピソードその四:ケンブリッジ在住のH子さんは私の祈りのパートナー。二週間に一回、国際電話で一緒に祈っている。30分くらい互いの近況報告と、祈りの課題の分ちあい。それから30分くらい祈る。毎回、電話だということを忘れてイエス様のご臨在のなかにゆっくりと浸る。昨日は、いろいろ祈っているなか、互いの子供たちのことへと祈りが導かれた。「子供たちがそれぞれに、自分の年齢にあった生活を楽しみ、霊的にも感情的にも身体的にものびのびと成長していきますように!」二人でそう祈っていると、隣でなにやら遊んでいたケンが、おもむろにズボンを脱ぎ、トレーニングパンツを脱ぎ、何とその場で用をたし始めたではないか! ママはお祈りしているから邪魔をしてはいけない、一人でやろう、と思ったのだろうか。仁王立ちになってリビングルームのカーペットの上で用を足すケンスケは、それはそれは得意そうで、嬉しそうでノ 二歳十一ヶ月、トイレットトレーニングの真っ最中。確かに年齢相応に自分の生活を楽しんでいるノ 主よ、私たちの祈りを聞いていて下さって感謝しますノ どうか私には、あなたの憐れみのdouble portion をくださいノ

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覚書:「細心にして大胆、慎重にして決断力に富む、これが山下の真価というべきであろう。」(高山信武 『昭和名将録』芙蓉書房 山下奉文についての記述)

2004年3月7日

もう、びっくりした。夕拝の後、教会でみんなが私のためにsurprise birthday party を開いてくれた。まったく予期しないことだったので、本当にびっくりした。夕拝が終わって二階の幼児室にケンを迎えにいくと、今夜の担当だったオリビアが、ケンはくつを脱ぎ捨ててどこかに隠してしまい見つからないのよ、と言う。それで私も一緒に探したのだけれど、なかなか見つからなくて、随分たってからようやく見つけて下に降りていった。すると、時間がたってしまったせいか、一階はすでに閑散としていて、ぼぼるパパや娘たちの姿も見えない。まさか私をおいて先に帰っちゃったはずはないし、と不審に思いつつ玄関でしばらく待っていると、牧師夫人のデニースがやってきて、「ユースセンター(教会堂の隣にある)に機材を運んでいるんだけど、多分ぼぼるはそれを手伝っているんでしょう、うちの子供たちもそっちに行っているはずなので、一緒に行く?」と言う。それで、ケンを連れて一緒にユースセンターに向かった。でも、建物の前にうちの車がなかったので、「車がないから、きっと彼はここにはいないわ」と言って、もう少しでUターンしそうになったところで、みんが廊下で友達と走り回っているのが見えた。それでデニースと建物の中に入り、ホールのドアを開けたらいきなり「サプラーイズ!!」 ほんっとに驚いた。教会の人たちが嘘をついて人を騙すのがこんなに上手だとは思わなかった。(笑) そういえば、昨日のぼぼるパパはやけに何度も出たり入ったり、外出してたのよね。こういうわけだったのか。 私のために、こんなパーティーの準備をしてくれて、夕拝の後、みんな残ってくれて、もう、申し訳なくて恐縮してしまった。(ぼぼるパパも、ありがとね。)

神様はこうやって、ご自身の民を用いてその御愛を私たちに示してくださるんだなぁと、神様とみんなの愛がつくづく身に沁みて嬉しかった。そして、私もまた神様の愛を人々に示す者として用いられたいものだと思わされた。

去年の一月、礼拝の最中にものすごく神様の愛を強く感じて、あなたのこの愛に、私はどうやって応えることができるでしょうか?と主に問いかけたことがあった。(去年の1月19日の日記)すると主は私に「この教会を愛しなさい。これはわたしの教会、わたしの身体です。教会を愛しなさい」というようなことを語られたのだった。そのとき、キリストの御身体なる教会を、また私がつながっているこの地域教会を、愛しそれに仕えるということに強い思いが与えられた。主からのこの語りかけがあったからこそ、その後の教会の分裂騒動のなかでも、私は進むべき方向を見失わずに済むことができたのかもしれない。そしてその後、思いがけない奉仕の道が示されたときも、自分がつながっている地域教会に仕えるということを私のコーリングとして受け止め、主の促しに従うことができた。でも、ワーシップリーダーとして、またミッショネットの先生の一人として、一年間やって来て、私はただただ自分の力量不足を思い知らされ、どうしてこんなふうに自分に能力のない分野で奉仕しなくてはいけないのだろう、これでも神様のご栄光になるのだろうか?と落ち込むことも少なくなかった。

教会を愛し、教会に仕えることで神様への愛と献身を示しなさいと私に語られた神様は、今度は教会の人たちからの愛を通して、神様ご自身の私に対する愛と励ましを示してくださった。私という人間は、聖く偉大なる神様からの愛を受けるにまったくふさわしくない者であるのに(それは他の誰よりも自分が一番よく知っている)、because of who He is, He loves me. His love for me does not depend on who I am or what I did. It only depends on who He is. Therefore, I worship Him. I bow down before His holy name. Let there be glory and honor and praises unto His name! Precious Jesus, I love you! Thank You, thank You, thank You!!

2004年3月8日

3月3日につづき、7日にも似たような手口にひっかかるとは、はちこは騙されやすいタイプなのかな、とも思うが、ここは主催者側(つまり私)の手腕をほめるべきであろう。とはいえ、土曜日は挙動不審を疑われるのではないかとかなりひやひやした。普段だとこういうことの準備ははちこに頼む訳だが、本人のパーティーだと気づかれないように頼むことは難しそうなので、同じ教会のティナとタミーにかなり手伝ってもらった。でも、とにかくみんなに参加してもらえ、はちこも心底驚いたようなので、満足、満足。

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実は16年まえ、私がプリンストンで博士号を取った日に、はちこが大学院の友達を集めてサプライズ・パーティーをやってくれたのだ。だから、これであいこになったわけである。ところが、なんとはちこはその時のことを全然覚えていないそうだ。あれはかなり大掛かりなパーティーだったから、それを忘れるということのほうが、よっぽどサプライズである。(ぼ)

2004年3月9日

う〜ん、あんまり覚えてないのよね、ぼぼるパパが博士号取った時に私が主催したというサプライズパーティー。(ごめん。)どうも昔のことはすぐに忘れてしまうらしくて、パパから「シアトルにいたとき、二人で○○の映画を観に行ったよな、プリンストンでは??を観たよな」とか言われても、「えっ? そうだっけ? 覚えてないなー」と言ってしまう、薄情な妻。(ごめん。)私がパパと二人で観にいった映画で覚えているのは、新婚の頃にシアトルで観た『Back to the Future 2』ぐらいよ。これは絶対忘れない。だってノ

映画館は超込み合っていて、映画が始まる前、ポップコーンと飲み物を買おうとしたのだけれど、どこも長蛇の列。それで、私が列に並んで、パパは座席を確保しに行った。10分待ち、15分待ち、そのうちベルが鳴って映画が始まる時間になった。ポップコーンの列はまだまだ長く、他の並んでいる人たちのところには、連れの人たちがやってきて、「もう映画が始まるからいいよ、中に入ろうよ」とか「僕が代わりに並ぶから、君は中に入って観ておいでよ」とかやっている。でも、ぼぼるパパは来ない。もう諦めて、私も中に行こうかと思ったけど、ここまで並んだのに、と少し意地になっていた。それに、もう少し待てば、ぼぼるパパが心配して様子を見に来てくれるかもしれないじゃない? 新婚だし。でも、ぼぼるパパは来なかった。ようやくポップコーンを買った時には、すでに映画が始まってから20分くらい経過していた。両手にポップコーンのバケツと飲み物を持った私は会場に入って行ったけれど、何しろ満員だし、暗くてどこにパパがいるのかわからない。結局、彼を見つけるのはあきらめて、すみっこに一席だけ空いていた座席を見つけてそこに座った。一人きりでばかばかしく大きなポップコーンと飲み物を抱えているのはひどく恥ずかしかった。

映画が終わると、私はすぐに立ち上がってホールに出て、ぼぼるパパが出てくるのを待った。彼は私を見つけると、ニコニコしながら寄って来て、「映画、見た? 面白かったね。」私は怒って、「見てないもん! 一人でずっとここで待ってたんだもん!」と嘘をついた。 だってー、新婚だよー。二人で映画に来たら、並んで観なくちゃ意味ないでしょー。 それで結局、次の回でもう一度中に入り、今度はちゃんと二人で並んで座って観たのでした。私のなかでは、ぼぼるパパと映画を観たといったら、この件の思い出があまりに大きすぎて、他のは全部忘れちゃったみたい。(笑)

でも、サプライズパーティーの話しは、パパに「ナカムラタダスも来てたじゃないか」と言われ、そういえばそういうこともあったかなぁと、ちょっと思い出しました。タダスさんはぼぼるパパの大学時代の同級生で、その頃、ちょうどプリンストンに遊びに来ておられたのです。話術巧みな、とても愉快な方でした。(^^)

*****

今、ワーシップチームの練習から帰ってきたところ。アフリカのチャドから来ているトマシンが新しくワーシップチームに加わってくれた。彼はギターと歌ができる。彼がギターをやってくれると、ぼぼるパパはギターを弾かないでリードに集中できるので、流れなど全体としてぐっと良くなった。またトマシンの歌声が厚みを加えてくれること! ハレルヤ! そして次の日曜日には、一曲トマシンにフランス語でリードしてもらうことになった。The Lord Reigns という歌なんだけど、まずギター一本の伴奏にトマシンとぼぼるパパがフランス語で静かにデュエットする(ぼぼるパパは実はフランス語も結構はなせる人)。それから他の楽器がジャカジャカと入ってみんなで英語で歌い出す、という具合。

Il est Roi (x3)
Rejous-toi mon ame (x3)
Et sois dans l'alle gresse
Car Ton Dieu regne

Un Feu marche devant lui
Et deteuit tous ses ennemis
Les montagnes fondent
Devant l'Eternel (x2)

Les Cieux declarent Sa Justice
Les Nations voient Sa gloire
Car il-est le Tres Haut
Sur Toute la Terre (x2)

フランス語の記号が出せなかったけど、こんな感じ。きゃ。

ちなみに、うちの教会は別に全然インターナショナルというわけではなく、中西部の田舎町の典型的なアメリカ人の教会です。外国人は、私たちと、トマシンと、あとインド人の家族が一組いるくらいかな。

2004年3月10日

> でも、ぼぼるパパは来なかった。

へえー、そんなことがあったかなあ。覚えてないなあ。などと、シラを切るつもりはございません。いやあ、たしかにあれはまずかった。しかし、なんだね。ちゃんと許してもらって今では笑い話になっていても、しっかり記憶には残ってるところが、罪の爪跡とでもいうべきか。でも、イエスさまの血潮にあがなわれているので、天のいのちの書には、そんな私の失敗の記録さえ、残っていないのである。ハレルヤ!

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現在、アメリカの福音的な教会で社会問題化しているのが、ワーシップ戦争(Worship War)と呼ばれる現象である。教会における賛美奏楽は、教派を問わず、過去10年ばかりで大きく変貌した。伝統的なオルガンやピアノによる賛美歌や聖歌中心の奏楽から、バンドによる近代的な音楽を取り入れるところが圧倒的に増えている。これにはいい面もあるが、新たな問題も生み出している。

よい点は礼拝のスタイルが総じて自由になったことである。型にはまった文語調の賛美歌にくらべ、神様に対する自分の気持ちをもっと自由に表現することができるようになった。これにより、若い世代にもアピールするようになってきている。問題は、必ずしもみんなが新しいスタイルの礼拝についていけるわけではないことである。音楽的好みも近い、同世代の人たちで構成されている教会ならいざしらず、大概の教会には、赤ん坊から80歳を越えるおじいちゃん、おばあちゃんまで何世代もがつどっている。最近の賛美曲はリズムも複雑だし、歌詞も早口言葉のようだったりする。それをドラムやエレキギターの音量をいっぱいに上げてかきならされたのでは、賛美どころか耳を押さえたいという人も出てくるわけだ。

うちの教会でも、一時期ユースがリードする賛美はうるさすぎるのと、知らない曲がほとんどでついていけない、という苦情が年配の方たちから寄せられたことがある。また、朝の礼拝を2回にわけて1回目には伝統的な奏楽、2回目はバンドによる賛美にしている教会は少なくない。一見民主的なように見えても、これでは同じ教会なのに1回目に出席するグループと2回目に出席するグループは一緒に礼拝できない、と宣言しているようなものである。こうして、ワーシップのスタイルをめぐって会衆が分断されてしまうことを、ワーシップ戦争とよんでいる。

音楽のスタイルを巡って教会が分裂するなどというのは、全く嘆かわしく、馬鹿げたことである。音楽はそもそも賛美を助けるための手だてであって、争いのネタになるべきシロモノではないのだ。 私には、この現象がアメリカの教会の二つの病理を示唆しているように思える。ひとつは、教会は自分が何かをもらうための場所だという誤った認識。ワーシップとは私たちが神に捧げるものであり、本来こちらが何かを得るためのものではない。ふたつめは、これに関連して、お互いに対する思いやり、他人に譲るという態度の欠如である。奏楽のミニストリーに携わるものは、年齢層によってアピールする音楽が異なることを認識し、選曲やアレンジに幅を持たせればいいのである。ところが、ミニストリーを自分の音楽性を主張し欲求を満たす場にしてしまっている、アーティスト肌のワーシップ・リーダーが散見されるのは残念だ。いくら音楽的に洗練されていても、会衆を神の臨在に導くことができないのであれば、無意味である。逆に、ふだんはサラリーマンをしているおっさんが、たった3つのギター・コードとだみ声の歌で教会全体を聖霊の嵐の中に巻き込むことだって可能なのだ。

会衆の側も、歌が自分のお気に入りのジャンルでないからと言って、賛美がつまらないなどと言ってはいけない。歌はたしかに賛美礼拝の重要なポイントだが、歌イコール賛美礼拝ではないのである。五感すべてを動員して礼拝にのぞむなら、たとえ自分の好きなスタイルの曲でなくても、歌詞をよく知らなくても、それで賛美がとだえてしまうことはないはず。本気で神様と出会うつもりで礼拝に望むなら、どんな選曲だろうと(よほどのことがないかぎり)気をちらすことはないだろう。

スタイルのことはさておき、ワーシップ・リーダーとして、私は歌う中身(歌詞)についてはかなり気を配っている。最近のワーシップソングには、「私」がどう感じるか、「私」の必要は何かを切々と語ったものは比較的多いが、神様はこういうお方である、ということをストレートに歌った曲は比較的少ない。私たちの礼拝の中心にいるべきなのはイエスさまであって、私たちではない。バランスをとるために、賛美歌を(多少モダンにアレンジして)かなり歌っている。賛美歌には、最近のワーシップソングに欠けている神学的なテーマがふんだんに盛り込まれているからだ。とはいえ、どこでどの歌をどう使うかは、采配が難しい。

というわけで、教会の年次報告書に提出した、はちこと私のワーシップに関するレポート(英文)はこちら。 (ぼ)

2004年3月11日

突然ですが、明日(シカゴ時間12日の午前中)、両目の手術をすることになりました。手術後は目を休める必要があるため、しばらくパソコンが使えなくなります。したがって私は当分日記をお休みしますので、ご了承ください。ぼぼるパパは続けますから、よろしくお願いします。(^^)日本時間の12日夜中頃まではメールチェックをします。手術後も、数日したらメールチェックだけはするようになると思います。

2004年3月12日

今、12日の朝です。目の手術は、決して大掛かりなものではなく、ちょっとしたことなので、どうぞ御心配なさらないでくださいね! それから、先日のワーシップ戦争に関するぼぼるパパの日記に、多くの方から反応をいただきました。感謝します。やっぱり皆さん、それぞれに信徒の立場として、また遣わされている教会のワーシップリーダーとして、いろいろ思わされていることがあるのですね。

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数週間前に、ワーシップリーダーとしての奉仕をするにあたって目が開かれるような出来事があったのを、目が見えなくなる前に書き留めておこう。(笑)

二月の初め頃、パスターがワーシップチームの練習にきて、いろいろ励ましや勧めの言葉をかけてくださったことがあった。その中で、特に印象に残ったのが、「Have compassion for those who are not so musical」という彼の言葉だった。私たちチームのメンバーや、教会の多くの人たちは音楽に日常的に触れ、音楽が生活の一部になっているかもしれないけれど、会衆のなかには音楽は苦手、という人もいる。歌を歌うのはちょっとノと言う人たちもいる。でも彼らだって主を愛し、主を礼拝したくて教会に来ているのだから、それを忘れずに、彼らもまた一緒に主のご臨在のなかに入っていき、共に主に礼拝を捧げることができるように配慮しましょう、というような意味だったと思う。その時は、意味はわかるけど、でもHave compassion と言われても具体的に何をどうすればいいのノ?という思いだった。

その約二週間後、ゲストスピーカーが来た。音楽パスターを務め、夫婦でワーシップリーダーをしておられる方たちだった。そこでメッセージだけでなく、その日のワーシップのリードも、うちのワーシップチームと一緒にやっていただくことになった。フルタイムでこの奉仕をされている、いわばプロと一緒に働けるなんて、私たちにとってもとても貴重な体験だった。しかし、彼らが用意した歌のリストは、半分以上が私たちの知らない歌だった。だから私たちは土曜日に半日かけて猛特訓を受けた。

日曜日、彼らは私たちへなちょこチームを用いても素晴らしいリードをしてくださった。でも歌いながら、会衆の大半が歌についてこれずに、傍観者になっていることに気がついた。当然のことだろう。だって、私たちだって楽譜を見ながら半日かけてようやく学んだものを、一回聞いただけでさあ歌いましょうと言われたって、そう簡単にできるものじゃない。一回聞いただけですぐに歌いだせるようなシンプルなものもあるけれど、ぼぼるパパも書いていたように、最近の歌は難しいものが多いのだ。早口言葉のような歌詞についてこれず、どう手拍子を入れたらいいのかもわからない複雑なリズムにとまどいつつ、ただ立ち尽くしているだけの人たちを見て、私は、何ていうのか、胸の痛みを感じた。心のなかで「みんな、ごめんね。 来週はみんなが知ってる歌で一緒に賛美しようね!」と思った。そして、ああ、そうか、パスターが言っていたHave compassionって、こういうことか、とわかったような気がした。

賛美(プレイズ)は主のため。ワーシップは私たちから主への捧げもの。だからこそ、私たちが捧げる賛美の歌が、歌う側にとって「自分の捧げもの」としてrelateできないとだめなんだということに気付いた。それは好み云々の次元の問題ではない。賛美は私たちの心の内側から出てくるものでなければ、「これは私からあなたへの捧げものです」と言って主にお捧げすることはできないし、スタイルだけ真似た借り物の捧げものでは主は喜ばれないと思う。そしてワーシップリーダーは、自らが礼拝者として主に心からの礼拝を捧げると同時に、会衆もまた、彼らの心からの礼拝を主に捧げることができるように導き、手伝うこと、それがこの奉仕の役目なんだと改めて思わされた。

ゲストで来てくださったこの御夫妻は、紛れもなく素晴らしい奉仕をしてくださった。私たちは多くを学ばせていただいたし、礼拝の最後に、私とぼぼるパパを前に呼んで、ワーシップリーダーとしてのさらなる油注ぎのために手をおいて祈ってくださったのが、何より嬉しかった。このお二人には心から感謝している。と同時に、この経験を通して、大切なことに気付かせてくださった神様にも心から感謝。

2004年3月13日

きのうは、はちこの眼の手術のつきそいでダウンタウンまで行ってきた。送り届けてまた連れて帰ってくるだけかと思っていたら、手術室はガラス張りで待合室から中がよく見えるようになっているばかりか、待合室に向けて大きなモニターに患者の眼がアップで映し出され、手術の経過が逐一観察できるようになっていて、待っている間も退屈しなかった。手術は宇宙服のような衣服に身をくるんだ4人のお医者さんのチームが執刀。弛緩用のバリウムを飲み、眼球の写真をとったあと、いすの上に仰向けに寝る。瞳孔を開いて角膜を吸引し、特殊なメスで表面を数ミリにわたってそいでめくりあげ、ガーゼで消毒乾燥したのちレーザーを照射し、最後に表面をもとどおりにして、おしまい。その間正味約30分。微妙な手術のわりには手際がよくて感心した。本人によると、吸引するところが一番痛かったそうだ。お医者さんに、炎症を防ぐため今後2週間はお化粧をしてはいけませんと言いわたされ、それがしんどいと言っている。術後の経過は順調のようです。お祈りくださったみなさま、ありがとうございます。

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午後、みんを学校に迎えに行って帰ってくると、玄関のところにバックパックを背負ったま〜やの姿が見えた。あれ、いつもよりちょっと早いな。玄関の鍵がかかっていたから中に入れなくて困っただろう。みんが「ま〜や!」と声をかけると、ま〜やはこっちに走ってきたが、あれれ、大べそをかいているうえに、鼻血を出して唇のまわりが真っ赤になっている。ふだんは妹とけんかばかりしているみんもさすがに驚いて、車からとび降り、「ま〜や、だいじょうぶっ?」と駆け寄っていった。「いつ、どこで鼻から血が出たのか言ってごらん。原因に思い当たるふしはあるかな。」と聞くと、スクールバスを降りてから家までの100メートルの間に、転んで歩道に顔を打ち付けたのだそうだ。鼻の骨を骨折しているとかそういうことはなさそうだったが、ころんだ衝撃で、すでにぐらぐらだった前歯が抜けてしまい、そこからも出血したものだから、口のまわりまで真っ赤になっていたのだった。抜けてしまった歯をにぎりしめ、泣きながら家まで走って帰ってきたのに、玄関がしまっていたのでは、ちょっとかわいそうだったな。

さいわい鼻血もたいしたことはなく、本人もすぐ落ち着いた。大丈夫だとわかると、前歯が2本ともぬけてしまった妹をたちまち「toothless! (歯無し)」とからかっているみん。考えてみると、ま〜やは、去年の10月一番最初の歯が抜けたときも、遊んでいる時に弟のケンに間違って顔をけっとばされ、そのはずみでぐらぐらだった歯がひょいと抜けたのであった。ほんと、踏んだり蹴ったりのま〜や。

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その、姉貴の歯を蹴り抜いたケンスケだが、私が昼寝から眼がさめて階下に降りていくと、「むはははは。」「ひょっひょっひょっ(吸い上げ笑い)。」「うわっはは。」と怪しげに野太い笑い声を上げている。何かと思ってのぞいてみると、ケンは居間の絨毯の上で、テレビの「Tom and Jerry」のアニメを見ながらひとりで大喜びしているのだった。それだけではない。いつのまにか冷蔵庫からリンゴジュースの1リットルびんを持ち出してきて、テレビ鑑賞の合間にびんから直接らっぱ飲みしているではないか。

あと9日で満3歳。こいつは、大物になるよ。(ぼ)

2004年3月14日

あさって期末試験を実施すると、採点を残して冬学期の講義はすべて終了する。春学期と夏学期は講義の担当がないので、たまりにたまった雑用やhoneydo list(旦那が奥さんに、あれやってね、これやってねと頼まれる諸々の仕事のこと)にようやく着手することができるぞ。

1) 5年ぶりのオフィスの大掃除。
2) 実験室となる元暗室の大掃除。
3) 家の地下室とガレージの大掃除。
4) 確定申告。
5) 去年の7月に受け取ったままになっている元学生のemailに返事を書くこと。
6) 論文4本のレビュー。
7) 学生の推薦状3本を書くこと。
8) 自分の論文の改訂。

やれやれ。まだまだ忙しい日々が続きそうだわい。が、まずは試験問題をこしらえなくては。解答可能であることを確認する作業が、意外に手間がかかるんだよなー。

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今日の礼拝のメッセージから学び、考えたこと。アントニア要塞でピラトの手によってキリストのかわりに釈放されたバラバには、手に負えない殺人者というイメージがついてまわるが、実は彼もキリストと彼の王国の到来を待ちわびる一人のユダヤ人だった。(マタイの福音書の古い写本によると、バラバのフルネームは「イエス・バラバ」である。)もちろん、バラバの頭の中で王国の到来とは、ローマの圧政からの解放を意味していた。血気盛んなバラバはついにしびれをきらし、自ら暴動を決起して権力に反旗をひるがえし、そのかどで牢屋につながれていたのだった。

ふーむ。とすると、サンヘドリンが人々をあおってバラバを釈放しろ、とあっさりいわしめたのも納得がいく。殺人者ではあっても、バラバはある意味でユダヤ人たちに英雄視されていたのかもしれない。力にまかせて王国を建設しようとした「イエス・バラバ」と、あくまで父なる神への従順によって王国を実現しようとした「イエス・キリスト」の対比は、鮮烈である。人々は前者を受け入れ、後者を拒絶した。本来罪に定められるべきバラバが、キリストの礫刑によって自由を得たのである。「私が道であり、真理であり、いのちである」と語った方が冒涜の罪に定められ、「神の計画など黙ってじっと待っておれるかい」と突っ走った男は、しゃばへ解放となった。

バラバは、破綻した正義と公正の狭間を、「ラッキー」とつぶやいて歩き去ったのであろうか。それともその日の午後、キリストの十字架を仰いでいたのか。自分の罪が許されたことの意味と代価の重さ、神の愛の奇しさに思いを巡らしていたであろうか。神の王国の実現の証人となったであろうか。これらの問いはそのまま、自分に対する問いでもある。 (ぼ)

2004年3月15日

エミの学校から送られてきたニュースレターを読んで、アメリカに来てからの長年の謎がひとつ解けた。Junior High とMiddle School の違いである。どちらも日本語に訳せば中学校となるが、両者の違いは生徒を教育するアプローチの違いなのであった。ちなみに、アメリカでは中学校によって受け入れる学年も微妙に違い、エミの学区では6年生から8年生までが中学生。そして、エミの行っている中学校は、Middle School である。 

Junior High は、High Schoolと同じ教育システムになっている。すなわち、先生は科目ごとの担当で、生徒は朝学校に着いてから下校時まで、科目ごとに教室を次々と変えていく。生徒は学力に合わせたクラスを選ぶようになっているので、科目がかわれば教室で会う生徒の顔ぶれもかわる。ホームルームなるものもあるにはあるのだが、ほんとうに必要な連絡を取るだけで、生徒には「学級」への帰属意識があまり育たない。親が先生と面談するときには、各科目ごとに先生と予約をとらなければならない。

いっぽうMiddle School は、生徒の人格形成や発達過程をよりよく管理するために、一学年の生徒を「チーム」という単位に振り分ける。言ってみれば「クラス」みたいなものだが、ふつうのクラスと違うのは、複数の先生が割当てられることである。先生たちは、自分の学科をチームの生徒に教えるだけでなく、協力してチームの生徒の生活指導にあたっている。たとえば、エミのチームでは理科、社会、数学、語学の先生が常に連絡をとりあって、エミやチームメートの総合的な成績や行状などに目を光らせている。親が面談に行くときには、この4人の担任団と同時に会って、総合的なアドバイスを受ける。4人ともエミのことをよく知っていて、感心する。

12歳や13歳の子供には、学校でもきちんとした帰属意識を持たせることが落ちこぼれさせないためにも必要だと思うので、Middle School のアプローチは非常に的を射ていると思う。担任団による監督というのも、ひとりの先生にまかせっぱなしになるよりずっと安心だし、先生同士もお互いに補い合えるので、よいシステムだと思う。いっぽう、Junior High 方式には、ひとりひとりの生徒に目が行き届かない欠陥があるように思われる。

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はちこの目はだいぶ落ち着きつつあるが、まだ夜間に車に乗ると、対向車の明かりで目の中に後光がさしたようになるそうだ。しかしこれは正常の範囲で、もうしばらくたつと改善されるものらしい。

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日本語に訳された賛美歌や聖歌には、たとえ有名で耳になじんでいても、意味が難解なものが多い。そして、原詞をあたってみると、作者の意図がずっとはっきりしていて驚くことがある。たとえば、聖歌232番の「つみとがをゆるされ」(Blessed Assurance)の2番。日本語の歌詞は

主にまたくしたがい
やすきえしわがみに
あまつやのうたごえ
ひびきくるここちす

原詞は

Perfect submission, perfect delight.
Visions of rapture now burst on my sight;
Angels descending, bring from above
Echoes of mercy whispers of love.

一音節にひらがな一個しかのっけられないという日本語の圧倒的なハンデを考慮に入れても、和訳が作者Fanny Crosbyの意図の半分も伝えていないのは残念だ。特に2行目と3行目には、携挙のまぼろしと、御使いたちが天から降りてくるのが見える、というこの聖歌のキーとも言える記述があるのに、和訳には全く反映されていない。なぜこれがキーかというと、Fanny Crosbyは盲人だったからである。(赤ん坊のときに医療ミスによって失明した。)しかし、その災難も神から与えられたものとして真摯にうけとめたクロスビーは、生涯を通じて8000を越える賛美歌を書き、イギリスのチャールズ・ウェスレーと並び称される賛美歌詩人となった。物理的には目の見えなかったクロスビーだが、霊の目ははっきりひらいており、来るべきイベントをはっきり視野におさめていた。それはキリストと歩む永遠の未来の約束であって、そのことこそが彼女にとっての「Blessed Assurance」であり、「My story」だったのであろう。

私の好きな聖歌のひとつである。(ぼ)

2004年3月16日

お化粧をしていない自分の顔にやっと見慣れてきた、とはちこ。先週髪型も少し変えたので、このあいだの日曜日に教会でみんなに「何かが違う」と言われていた。私は、個人的には、若返った感じがして、好きですが。ミッショネットの生徒たちにも17歳に見えるとか、おだてられたらしい。まあ、アジア人は、若く見られがちなんだけどね。

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気象力学の大御所、ワシントン大学のJim Holton 教授が65歳で逝去されたというニュースは、正直言ってショックだった。学者であると同時にアスリートでもあっただけに、ジョギングの最中の心臓発作が命取りとは、信じられない気持ちだ。赤道上空の準二年周期振動の理論や、最近では対流圏ー成層圏の物質交換について、偉大な足跡を残したことはもちろん、Introduction to Dynamic Meteorology という業界では定番中の定番の教科書の執筆、Encyclopedia of Atmospheric Sciencesの編集などを通して、後進にも大きな影響を与えた。私が研究員でワシントン大学に在籍した1988年から1990年には、間接的にではあったがいろいろとご教示をたまわり、最近ではNASAの高層大気研究衛星のプロジェクトの主任研究員としてご一緒させていただいた。私の研究の数少ない理解者の一人でもあり、彼を失うことはさびしい限りだ。分野のひとつの章が未完のまま終了した、という気がしている。私たちに残された仕事は、これで本全体が閉じられてしまうことがないよう、Holton 教授のビジョンを後代に語り次いでいくことであろう。

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後ろでケンスケが悪さを見とがめられて、またふてくされている。どーして、こいつは、こんなに頑固なんだ。誰に似たんだ。何かお気にめさないときにケンが言う十八番のセリフが、「I don't like it! (気にいらねー!)」。ただし、これにはケン独特の節回しがあって、こんな感じ。

「アーイドーント・ラィキーーット!」と、"like it"がシンコペートしているのであります。これは、音楽の才能があるかもしれない。などと、親ばかを言ってる場合ではない。(ぼ)

2004年3月17日

シカゴはきのう、きょうと雪だった。少し積もっている。なごり雪というのであろうか。子供たちは「Awesome!」と大喜びだが、私にとっては「おお寒」だ。

恒例となった「春の採点」に手こずっている。ややこしい問題を出すと、ややこしい答えが返って来るので、採点も楽ではない。自分でまいた種は自分で刈り取ることになるわけである。来週早々には成績を提出しなきゃならんので、あんまりのんびりもしてられない。

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しばらく前にはちこに聞いた話。どういう脈絡かは忘れたが、ミッショネットのクラスを教えている時、自分が赤ん坊のころどういう顔をしていたかという話題で子供たちが盛り上がった。ところがクラスにひとり、里子として育てられた子がいて、自分は実の親ともほとんど面識がないし、赤ん坊のころの写真もないので、そのころ自分がどんな顔をしていたかわからない、と悲しそうにつぶやいたのだそうだ。はちこは彼女のそんな身の上は全然知らなかったので晴天の霹靂、なんと言ってその子を励ましたらいいのか見当もつかず、途方にくれてしまった。

するとそのとき、じっと話を聞いていたはちこのアシスタントのベッツィーが、こう言った。

「あなたが赤ん坊のころどんな顔をしていたか、わかる方法があるわ」

きょとんとしている当の生徒とはちこを前に、ベッツィーは続けた。

「あなたもそのうち結婚して、赤ちゃんを生むでしょう。まず間違いなく、あなたの赤ちゃんは、赤ちゃんのころのあなたと同じ顔をしているはずだわ。昔教会で、赤ちゃんのころの写真を持ち寄って、それが誰だか当てるゲームをしたのよ。そうしたら、みんな一発で私の写真を当てたわ。なぜだと思う? ちょうど私が赤ちゃんを生んだばかりで、私の写真が私の赤ちゃんにそっくりだったからよ。」

生徒はへえーという顔をして、納得して、笑顔を取り戻したそうだ。

この話を聞いて、私ははちこと一緒に神様をたたえた。もちろん、ベッツィーはその場が気まずくなるのを間一髪救ってくれたわけだが、それだけではない。彼女の知恵と愛に満ち時にかなったコメントが、不遇な境遇に育った少女の心に触れ、癒しをもたらしたのである。咄嗟にこういうことの言えるベッツィーもすごいが、私には、少女を一人だけ仲間はずれで惨めな思いにはさせておかない、という神様の愛が強烈に感じられるエピソードであった。だてに「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」とおっしゃってるわけじゃないのだ。

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今晩の祈祷会では、教会のみんなで、救われていない家族のために祈った。名前をひとりひとり読み上げて、その人のためにみんなで一斉に祈っていく。祈っているうちに、自分たちの家族だけでなく、個人的には知らない他の家族や親類にも、何かとてもいとおしい気持ちがこみ上げて来た。イエスさま、どうぞ私たちの大切な家族みんなに、あなたの愛を伝えることができますように。  (ぼ)

2004年3月18日

またまた、大粒の牡丹雪が降っている。気温が比較的高いので、降るそばから解けてはいるが。

物理の田崎先生が日記で、アメリカでのセミナーの準備と書いておられるのを読んで、4月15日にニューヨーク大学のクーラント研究所でセミナーをすることになっていたことを突然思い出した。忘れてすっぽかしたあとじゃなくて、よかった。すぐ飛行機の手配とかしなくちゃ。だいいち、しゃべる中身もひねりださねばならないぢゃないか。せっかくレビューを1本提出したのに、これで to do list の項目の数はもとのままだ。

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今日の晩ご飯はエミが用意した。ゆでマカロニと、ピンク・ポテトをゆでたの、それに湯葉とわかめのみそ汁である。みそ汁だけは味加減の取り方などを私がコーチしたものの、あとは全部エミがひとりで作った。マカロニに火が通り過ぎていたほかは、とてもおいしかった。Way to go, Emi !

エミの手伝いで、水を切るためにゆであがったマカロニをざるに移す作業をしていたら、湯気がもうもうとたちのぼって、私の眼鏡は完全に曇り、何も見えなくなってしまった。かまわず鍋をかたむけてマカロニを全部ざるに移す。ところが、湯気がさめて視界が開けて驚いた。いつのまにかざるが流しの中で斜めになっていて、移したはずのマカロニの約3分の1がそのまま流れ去っていたのである。もったいなーい。(実は、しばらくまえにはちこも似たようなことをやっていたらしい。)

エミを教会のユースグループの会合に送り届けたあと、ま〜やを連れて、みんの学年のリコーダー・リサイタルを聴きに行く。4年生全員を100人ずつのふたつのグループにわけ、それぞれがOld MacDonald Had a Farm、When the Saints Go Marching In、Ode To Joy、Amazing Graceなどの聞き慣れた曲の一部を次々と演奏していった。みんが家で練習しているのを聞いたときは、こんなんでだいじょうぶなのかい、というような感じだったのが、100人という人数の中では全く問題なかった。というか、100人が同時に吹くソプラノ・リコーダーというのは、なかなかどうして迫力があり、数の力とはいえ聴きごたえがあった。

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神は死んだ。 --- ニーチェ          
ニーチェは死んだ。 --- 神

He's Alive!  (要QuickTime: この曲はうちの教会でよく賛美します。)   (ぼ)

2004年3月19日

春分ももうすぐだが、まだまだ気温は低い。シカゴでは花が本格的に咲き始めるのは4月の下旬から5月の始めにかけてだ。でも注意してみると、春の訪れの気配はあちこちに感じとることができる。

  • 雪が消えたあとの玄関先の花壇に、クロッカスとチューリップの芽が少しだけ頭をもたげている。
  • 年間に半年だけ営業する村のアイスクリーム・ショップ、デイリークイーンが今年も開店した。
  • いつも古いゴルフのクラブを庭先で売っている角のおじさんが、またガレージセールをやっている。
  • 長い冬が、ようやく終わろうとしている。

    *****

    流体実験室設立にむけ準備は着々、と言いたいところだが、いろいろと紆余曲折あり。グラントのひとつは口座は開いたものの、最近になっても入金されていない。円筒形の水槽を外注しようといくつかの産業用機器メーカーにあたってみたが、「うちでは作れない」とどこでも門前払い。結局、水族館むけに水槽を作っているメーカーと交渉することに。「中にサメとか入れますか?」「入れません」。

    そして、肝心の実験室のスペースだが、前任者が残していった暗室を改造するというのでのぞきにいってみると、基本的に、物置だよこれは。「ゆとりの400平方フィート」とか言って、そんなゆとりができるまで、いったいどれだけ働かなければならないのだろうか。ため息が出ますな。

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    おかげさまではちこの眼の方はほぼ正常に近づきつつあります。あと1週間ほどで公務にカムバックする予定ですので、恐れ入りますが、もうしばらく私の駄文におつきあい下さいませ。(ぼ)

    2004年3月20日

    今日から娘たちは春休み。一週間家がにぎやかになる。エミをオーケストラの練習に送り届けてから、いったん帰宅し、Little Tokyoでお昼を食べた。本当はオーケストラの練習場の近くのピザ屋に行こうと言っていたのだが、いざそこまで行ったら財布を忘れたことに気づき、家に戻らなければならなかったのだ。

    練習を終えたエミを拾ってから、みんとま〜やも連れて、Crackpotsという焼き物の絵付けの店に行く。すでに低温で焼いてあるいろいろな素焼きの焼き物の中から好きなのを選んで自由に色を塗り、あとはお店の人が窯で焼いてくれ、1週間後に取りに行く、という仕組み。3年前にイギリスのケンブリッジに住んでいたときに、Glaze to Amazeという同じ趣向のお店にかなりはまって、エミなどはそこで誕生会をやったりしたので、シカゴに帰ってきてから探してみたら、私たちの住んでいる村に一軒、すこし離れた町にももう一軒、似たようなお店があるのがわかったのだ。今日行ったのは後者で、店の広さも色数無制限というところも、Glaze to Amazeに限りなく近かった。費用は選ぶ器にもよるがひとつ10ドルから15ドル程度で、釉薬代や窯代もすべて含まれるから、小中学生と来るにはお手頃なアトラクションと言える。みんは小鉢、ま〜やは小物入れ、私とエミは大小の寿司皿に絵付けした。2時半から閉店の5時まで窓際の机に陣取り、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら思い思いに筆を走らせる。

    大学院のころは焼き物もずいぶんやって、自分で釉薬の調合などもしたものだが、最近は忙しくてそんなことからはとんとご無沙汰してしまっている。仕事を引退した暁には、地下室に自分の窯を構えるのが夢である。

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    ふだんは宿題の山などで慌ただしく、ろくに話もしないエミが、やっと春休みになって緊張が解けたせいか、学校や友達のことをいろいろ話してくれるようになった。

     「げー、お父さん。マイク・ソルビンスキーはあたしのこと好きみたい。どうしよう」
      「へー、どうしてそう思うの。」
      「何かと話しかけてくるんだもの」
      「エミは、マイクが嫌いなのかい?」
      「嫌いっていうかノ頭がすっごくいい子なんだけど、良すぎて、しゃべってることの意味がよくわかんないんだ」
      「ははあ。それは困ったな。わからない時はわからないって、ちゃんと言うんだぞ」
      「いつも言ってるんだけどな」
      「で、どんな顔をしてるんだ、そのマイクってのは」
      「これこれ、この子だよ」(とyear bookを出してくる)
      「ふうんノ(別にどうってことないやんけ)」

    だんだん、私の手に負えない領域に足をつっこんでいるようだ。もうすぐ13歳。いつまで話をしてくれるかな。(ぼ)

    2004年3月21日

    先週、今週と礼拝での賛美に自由さが加わってきたと思う。個人的には、トマシンがギターに入ってくれたおかげで私の手が空き、歌とリードに専念できるようになったことが大きい。はちこも私もじっと立ったまま賛美することのできない人なので、プラットフォームを自由に歩き回ったり、手足を自由に動かせるのは、何と開放的なことか! もっとも今日はハンドマイクが壊れていて、コード付きのマイクだったので、右を向いたり左を向いたり踊ったりしているうちに、コードが体に巻き付いて、もうすこしで転ぶところだった(汗)。会衆も、すすんで手を上げたり、左右に体を振ったり(ダンスとまでは行かないが)、ずいぶん表現に幅が出てきて、賛美を楽しんでいるようすが伝わってきて、うれしい。十字架の代価で自由にされたことを考えたら、やっぱり、喜びが体中から湧いてくるよね。全身全霊を捧げたいと思う。

    また、きょうは長老格のロブさんが、トロンボーンを持ってきて一番前の列で曲にあわせて吹いてくれた。もともとロブさんはワーシップチームのオルガニストだったのだが、ここんところオルガン曲といえるのは全体の4分の1くらいなので、しばらく奏楽から退いておられたのだ。オルガンがだめならトロンボーンで、という気概が泣かせるぜ。しかも、彼がリクルートした結果、高校のブラバンでトロンボーンをやっているダビデソンも来週から加わってくれることになった。ラッパ系の楽器は、ちょっと入るだけでも賛美の活気が全然違う。というわけでjoyful noiseにあふれた一日だった。

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    信徒総会を来週に控えて、教会の年次報告が配られた。1月にも書いたけれど、過去1年の教会の歩みには、実に感慨深いものがある。リーダーシップの遷移期で、みんながいろいろな意味で成長した。ふだんだと年次報告は、表面をつらつら〜と眺めるだけだが、今年はいつもにも増して、各ミニストリー部門の報告をじっと読んでしまう。ひとつひとつが、報告というよりは、主の憐れみと忠実さの証となっていて、ほんと、神様の憐れみなしにはここまで来れなかったよなあと、うなずき、主を賛美せずにはおれない。宝の年次報告である。Lord, I could sing of Your love forever! (ぼ)

    2004年3月22日

    HAPPY BIRTHDAY, KEN!!

    Wiggles Big Red Car, Wiggles video, Wiggles T-shirt, Wiggles plates and napkins とお気に入りのWigglesグッズに囲まれて超幸せのケン。

    みん 「Ken, are you happy?」
     ケン  「No, I'm Ken.」

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    採点表を提出したあと、エンジニア三人と流体実験室(になる予定の物置暗室)に集まって、天井の電気や水道の配管のチェックをする。なぜ天井かというと、天井に大型のターンテーブルを設置することになっているからだ。なぜ天井に大型のターンテーブルを設置するかと言うと、実は床にももう一台のターンテーブルを設置し、両者の軸をあわせて回転数を同調するという計画になっているからだ。なぜそんな面倒なことをするかというと、床のターンテーブルは地球の自転を再現し、天井のターンテーブルにはビデオカメラをとりつけて、回転する地球の上に立つ観測者の視点を作り出すという趣向だからである。なぜビデオカメラを直接床のターンテーブルに設置しないかというと、ターンテーブルの上に水槽をのせると、その上にカメラを取り付けようとした場合、水槽に直接マウントするか、ターンテーブルに柱を立てて取り付けることになる。前者では、水槽を取り替えるたびにカメラもとりはずさなければならなくておっくうだ。後者では、学生がターンテーブルの外から水槽を覗き込んでいるときに、柱が回ってくるたびに頭をぶつけて、こぶをつくったり、打撲傷を負ったりする可能性がある。そこでカメラは別途天井のターンテーブルに取り付け、床のターンテーブルの周辺は十分スペースを明けておくことにしたのである。これはMITのJohn Marshallの実験室がモデルになっている。

    とにかく、天井に20キロ近い機材(ターンテーブル、モーター、カメラ、ベルトドライブ、スリップリングなど)を取り付け、それを床の機材とシンクロナイズさせるというのは思ったより大掛かりな作業で、エレクトロニクス関係が二人、部屋のリモデリング関係が二人、それと機材作製の図面引きが一人と、計5人のエンジニアとの共同作業となっている。ターンテーブルの図面引きの方はかなり進んでいるが、部屋の片付けがまだまだ。そもそも、リモデリングのファンドレイジングをしないことには、足が出ますよ。

    *****

    忙しいときに限って、時間のかかる雑用が来る。雑用オブ・ザ・デーその1。NSF(米国科学基金)の就職動向調査。この年になったら一年ごとに仕事をかわったりすることは少ないはずなのに、なぜ毎年同じ情報を30分もかけてくりかえしタイプしなきゃならんのだ。ずっと無視しておいたが、だんだん催促の頻度が高くなってきて、うっとおしくなってきたぞ。

    雑用オブ・ザ・デーその2。ま〜やのプラスチックのコイルのおもちゃが位相幾何学的危機に陥り、これをほぐすのにほとほと手を焼く。このおもちゃは値段が安いかわりにこんがらがりやすいのが、最大の難点だ。このおもちゃを面白いと思う年齢の子供には(大人にも)絶対もとどおりに直せないようになっているのは、スポンサーである保護者に対する背信行為といえる。ぶつぶつノ。(ぼ)

    2004年3月23日

    ま〜やが手足口病になった。つま先が痛いというので見ると、両足の先に赤い発疹がいくつも出ており、また手のひらにも似たような感じのポツポツが出ている。しかも、口の中に口内炎ができて痛いと言っているから、ほぼ間違いないだろう。実は、しばらく前に教会の友人の3歳の女の子が手足口病になったという話を聞き、これは子供たちにうつるかなと思っていたので、案の定来たかという感じだ。しかし、発疹が出ているだけで本人は至ってケロリとしているし、お医者さんに連れて行っても何にもしてくれないと聞いているので、ほうっておく。私たちにうつさないでね、と言ってももう遅いだろう。やれやれ。

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    たたみかけるように、さっき、うんざりするようなことが起きた。今晩はチャイニーズのテイクアウトで簡単にご飯をすませたのだけれど、全部は食べきれなかったので、ローメインと炒飯の紙容器にふたをしてそのまま食卓の上に置いておいた。ところが、子供たちを寝かしつけてまた階下に戻ってみると、炒飯の紙容器に、どこからにおいを嗅ぎ付けてきたのか、無数のアリが黒山のようにたかっているではないか。いやな予感がして、ふたをあけてみると、うを。わずかなすきまから侵入したアリが炒飯の上に層をなしてうごめいている! 白い炒飯がまるで黒ごまをまぶしたような惨状だ。げー。半分近く残っていてもったいないと思ったけれど、迷わずアリもろとも流しに捨てました。不思議なことに、すぐとなりに置いてあったローメインの箱やクッキーには一匹もたかっていない。あきらかに、炒飯にアリを強力に引きつけるなにがしかの成分が含まれているとしか思えない。市販のアリホイホイなどよりよっぽど強力だ。次にアリ退治をする時は、毒盛炒飯でおびき寄せることにしよう。

    ほかにも書こうと思っていたことはあるのだが、一気に萎えたので、もう寝ます。(ぼ)

    2004年3月24日

    さいわいま〜やの手足口病は終息にむかい、本人ももうなんともなさそうだ。お騒がせしました。あしたはみんも連れて、水族館に行ってきます。

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    キリスト教書店に行くためにひとりで街に出たはちこが携帯から電話をよこして、駅からの道順を控えてくるのを忘れたので調べてほしいと言う。こういう時、インターネットは強い。コンピュータの前に座って、地図をひきだして、あとは電話でナビを与える。「出口を出たら橋をわたって、次の交差点を左だ」「交差点の角にはガソリンスタンドがあるはず」「まっすぐ行って、次の信号をわたって、もうすこし行った先の左側」。はい、10分もたたないうちに無事到着。遠隔操作と言うか、管制塔と操縦士みたいな関係。はちこが歩いていくにつれ、電話のむこうで道行く人のざわめきや車の騒音なんかが聞こえて、街の息づかいが感じられる。もちろん、早足で歩いているはちこの息づかいもforegroundにきこえているのだが。

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    ここしばらく、イスカリオテのユダのことを考えている。ユダがイエスさまのことを裏切った動機は、なぞだ。もっとなぞなのは、ユダが自分のことを裏切ると知っていながら12弟子のひとりに選び、キープしていたイエスさまの意図である。が、動機はなんであれ、ユダは銀貨30枚でイエスさまを売った。出エジプト記によると、銀貨30枚とは、奴隷の値段だそうだ。士師記でサムソンの秘密をさぐるのにペリシテ人がデリラに銀貨1100枚を払っていることを考えると、ただ同然である。道であり、真理であり、いのちであるイエスさまを、奴隷の地位に貶めたのかと考えると、暗澹たる気持ちになる。しかしユダの「裏切り」は、そこにいたる以前から始まっていたかもしれない。12弟子のひとりで、出納係という役職についていたにもかかわらず、彼はそのさいふから私腹をこやしていた。弟子でありながらそういうことをしていたということ自体、すでにイエスさまの信頼を裏切っている。

    ふと思うに、私がこれくらいはノと妥協してやっていることって、実はユダがやったこととそう違わないのじゃないか。自分のミニストリーをよく見せるために家族のための時間を削って努力したり、論文の見栄えをちょっとよくするため、よく読んでもいない他人の論文を引用したりする時、私は銀貨30枚でイエスさまを身売りしていないだろうか。

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    結局今年も、こいつこそはと目をつけていた有望な大学院の候補学生は、ライバル校に行ってしまった。またまた学生も研究員もいない、たったひとりの研究室を一年走らせることになるのかいな。そろそろ研究助手が必要なんだがな。(ぼ)

    2004年3月25日

    シェッド水族館は春休みのため子供連れでごった返しており、中に入るまでに約30分並んだ。フィリピンの沿岸を模したワイルド・リーフ(サメがいっぱいいる)、アマゾンの熱帯雨林、定番のオーシャナリウムのイルカのショウなど、久しぶりだったのでなかなか楽しかった。去年ディズニーのFinding Nemoがリリースされたばかりだからか、子供たちの人気は珊瑚礁の熱帯魚。説明の係の人も心得たもので、色とりどりのイソギンチャクの中をすいすいと泳ぐオレンジ色のカクレクマノミのことを「ニモ」と呼んで子供たちの注意をひきつけていた。

    カクレクマノミは英語ではclown anemonefish。 Anemone (アネモネ) とは sea anemone (イソギンチャク)のこと。とすると、Nemo というネーミングはanemoneという語のアクセントのある真ん中の4字から来ているのかもしれないな。日本語で言えばさしずめ「イソギン」とか、そんなかんじかな。

    私は、ワイルド・リーフの一コーナーで流体実験にそのまま使えそうな円筒のアクリル水槽を発見し、欲しくなってしまった。

    *****

    待ち人きたらん。

    ウルトラセブンでは侵略者とウルトラセブンの戦いに焦点が当てられているが、ストーリーの展開上、味付け役をしているのが、ダンとアンヌの絡みだ。二人の関係は最終回でクライマックスを迎えるけれど、その他のエピソードでも随所で、二人のただならぬ仲がさりげなく演出されている。私が個人的に印象に残っているのは、第35話のラスト。月面でザンパ星人と怪獣ペテロと戦っているダン(とキリヤマ、クラタ)を気遣い、地上から霧の晴れる月を見上げて、アンヌが

    「帰ってくる。きっと帰ってくるわ」

    とつぶやくシーンである。この回のエピソードは、セブン対怪獣の戦いの描写がいまひとつぱっとしなかっただけに、この最後のシーンが妙に浮いて記憶に残っているということもあると思う。が、この時のアンヌの表情には、愛する人が必ず、そしてもうすぐ帰ってくる、という信念にも似た期待感がにじみ出ていた。きっと、あの後あたたかいスープでも用意して待ちかまえていたことだろう。

    私にとって、イエスさまの再臨を待ち望む気持ちは、本来こういうものであるべきではないだろうか。私は心と体を整えて待っていますから、早く帰ってきてください、そして実際に早く帰ってきて下さると信じています、と。ところが現実には、当分帰って来そうもないからお買い物にでも行きましょうかね的な態度だったり、大変だもうすぐ帰ってくるから大掃除しなきゃ的な脅迫観念だったりする。しばしばイエスさまとの愛が緩んで、律法的な関係に陥ってしまう。

    もちろん、日々の暮らしで祈りを通してイエスさまと話はできるわけだけれど、物理的に彼がまもなく戻ってくるという期待なしには、自分がなすべきことの達成目標とか、ビジョンとかを持つことことは難しいと思う。愛する人が喜ぶ顔を見たいというのが、私たちが生きる原動力になるのだ。

    私には、愛する待ち人がいる。 (ぼ)

    2004年3月26日

    はちこです。実は、家庭の事情でケンスケと二人だけで一週間ほど日本に帰っていました。詳しいことは書きませんが、今回の帰国は体調を崩していた父にケンスケを会わせることが目的でした。短い滞在でしたが、父は元気一杯のケンスケを思い切り堪能したようで、先ほど父から来たメールにも「もうしばらくは元気でいられるように毎日を注意して送りたい」とありました。夏にも家族全員で帰る予定なのだし、行こうかどうしようかと迷った末の帰国でしたが、やっぱり行ってきてよかった。普段は全然親孝行できないのだから、たまにはこのくらいしなくちゃね。ケンスケも初めての日本、楽しかったみたい。日本のお風呂とお布団が好き、と言ってました。おじいちゃんに会うのも、従姉兄たちや叔母さんたちに会うのも初めてだったけれど、すっかりなついていました。

    期間も短いし、目的のはっきりした訪日だったため、あえてほとんど誰にも言わずさっと行ってさっと帰ってきました。訪日を公表してしまうと、あの人にも会いたい、この人にも連絡しなくちゃ、と欲が出て収集がつかなくなりそうだったのでノ はちこがなかなか出てこなくて、目の手術の予後が悪いのかなと心配してくださっていた方がいらっしゃいましたらごめんなさい。目の方はもう大丈夫です。

    *****

    24日の日記で、私がキリスト教書店への道順がわからなくて電話した話をぼぼるパパが書いていたが、あれは実は、横浜からシカゴに電話したのでした。

    「もしもし、私、私。私の携帯に電話かけ直してくれる?」 国際電話は5秒20円なので、それだけ言ってすぐにかけ直してもらう。パパからの電話を受けると、ネットで横浜のライフセンターのHPを検索してもらい、それから道順を教えてもらった。いや〜、なんて便利な世の中になったのでしょう。

    ライフセンターではギフト用にマックス・ルケードの「たいせつなきみ」のクラッシック版とストーミー・オマーティアンの新刊「ストーミー 赦し、そして癒しへ」、それから自分用にいくつかのCDや本などを購入。お目当ての現代訳聖書がなかったのはちょっと残念でした。夏に帰国する時は、事前に注文して入荷しておいてもらおう。

    お会計のとき、お店の方から「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれた。持っていなかったので、夏にも来ることだし作ってもらうことにして、カードに名前を記入していると、「えっ、中村佐知さんって、あの中村佐知さんですか? 翻訳の?」「はい、そうです」「私、以前中村さんのホームページに登場させていただいた者です」「ええーっ!」

    二人して、うわーっとか、きゃ〜〜っとか、歓声をあげ、手に手を取り合わんばかりにして邂逅(?)を喜んだ。何だかとても嬉しかった。

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    う〜ん、時差のせいで、眠たくはないのだけどやっぱり疲れている感じ。寝てみようかな。

    2004年3月27日

    上野公園の桜、7分咲きに 花見客ら22万人訪れる

    春の桜の時期に帰国したのは11年ぶりで、きっと私がいる間に満開になるだろうとお花見を楽しみにしていた。私が日本に到着したのが18日で、その前日は20度を越える陽気だったそうだが、18日からいきなり気温が下がり、雪まで降ったのには驚いた。暖かい春を楽しむつもりだったので冬のコートも持っていなかったし、桜も、開花宣言が出るや否や「待った」がかかったような状況で、お花見どころではなかった。それなのに、私がシカゴに戻った翌日にはまた「4月上旬並みの暖かさ」ですって。私ってば、もしかして、「冬女」? あー、上野公園、行きたかったなぁ。次に春に帰国するのはいつになるだろう? いつかきっと、ね。

    2004年3月28日

    アメリカから日本への時差ボケが完全に直る前にまたアメリカに戻って来たので、あまりひどい時差ボケがなくて助かっている。夕べは12時頃に寝て、朝は5時半起床。午後、礼拝のあとに2時間ほどお昼寝をして、今は夜9時過ぎだけど、あと数時間は頑張れそう。これなら普段とほとんど変わらない。

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    目の手術をした頃から、いただいているメールへのお返事が随分滞っています。いただいたメールはいつも感謝しつつ読ませていただいています。お返事ができていなくてごめんなさい。

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    今夜は教会でAnnual Business Meeting. ビジネスミーティングとは、日本でいう信徒総会のようなもの? 役員を選出し直したり、教会内のさまざまな事柄について話し合ったり投票したりする会議。賛美と祈りから始まって、会計報告や、その他いろいろなディスカッション。私がこの教会に来てもう10数年になるけれど、思えばこの一年間は、今までで一番力強くイエス様の愛と恵み、憐れみ、導きとご介入を実感した年だったと思う。イエス様が「ハデスの門もわたしの教会には打ち勝てません」とおっしゃったことを思い出す。教会って、人が集まって構成される以上、この地上では人間の組織としての形を取らざるを得ないし、人間の組織にありがちなさまざまな摩擦やトラブルも確かにあるけれど、それでもこの世の組織とは全然違う。イエス様によって建てられたDivine Institute だ。イエス様の御肢体であり、花嫁として整えられるプロセスにある、この世から召し出された特別な存在。

    あっそうそう、今日は朝の礼拝に、エミの親友のブリアナがお母さんを連れてやって来た。この母子と私たちの付き合いは、エミやブリアナが3歳の時からだから、もう10年近くになる。ブリアナのお母さんはクリスチャンなのだけれど、諸事情で、ずっと教会から離れていた。それでも娘が教会につながることを望んでいたため、私たちがブリアナをユースグループやミッショネットにずっと連れて来ていた。ブリアナとしては、日曜日の礼拝にもどうしても来たいと思っていて、今朝、ついにお母さんを引っ張ってやって来たのだそうだ。とても嬉しかった。お母さんはまた来ると言っていた。ハレルヤ!

    2004年3月30日

    時差ボケがあまりないと思って喜んでいたけれど、甘かった。夕べは9時半頃になったらもう眠くてたまらなくなり、どうせ朝早く目が覚めるのだろうから寝てしまえ、とすぐにベッドにもぐりこんだ。そしてぐっすり眠ってパチリと目が覚め、まだ外は暗いから夜明け前かな、と思って時計を見たら「10:40」 は? この時計、壊れてる? いやそんなことはない。本当にまだ夜の10時40分だ。「何よー。一時間しか寝てないじゃないよー!」と思わず激昂する私。それでも気を取り直してもう一度布団にもぐる。しばらく寝て、また目が覚め、時計を見ると今度は「11:50」 「何よー。まだ日付も変わってないじゃないよー!」 しつこく寝ようとしたけれど、ベッドのなかで右を向いたり左を向いたり、ちっとも寝付けない。やることはたくさんあるんだし、仕方ない、起きるか、と起き出したのが12時半頃。3時近くまでキッチンを片付けたり翻訳をしたり。さすがにこのまま朝まで起きていられるとも思わなかったので適当なところで寝ることにして、次は目覚ましでいつもの通り朝6時に起きた。でも、今度は眠くて眠くて、子供たち3人をそれぞれ学校に送り届けたら、再びベッドに逆戻り。ぼぼるパパに昼の12時半頃に起こされるまでしっかり熟睡してしまった。今は夜の10時半だけど、全然眠くない。こうやってどんどんサイクルが狂っていってしまうのだろうか。ちなみに、アメリカは今度の日曜日からサマータイムになって、また一時間ずれる。たかが一時間、されど一時間。私の体内時計はさぞかし目を回すことでしょう。

    *****

    夜はワーシップチームの練習。私は一週間抜けただけなのに、とても久しぶりな気がした。トマシンがいい味を出している。彼に自由に伴奏を入れてもらうと、やはりどことなくアフリカ調になって、それが何ともいえずいい。でも彼のいいところは音楽性だけでなく、その人間性も素晴らしい。穏やかで、暖かくて、見るべきところはよく見ていて、洞察力や包容力があって。彼と一緒にいるととても励まされる。ぼぼるパパとも意気投合した様子で、いい仲間が増えて、本当に感謝。

    2004年3月31日

    六本木ヒルズでの回転ドアの事故、人ごととはとても思えない恐ろしい事故だ。私とケンが日本に滞在していたときも、父の勤務先が六本木なので、皆でヒルズに行こうか、という話が出た日があった。しかしその日、父は具合が悪くなったため、結局行かなかった。今回亡くなった男の子は、ドアの近くまで来たところでつないでいたお母さんの手を振り払って駆け出し、ドアに挟まれたとのことだが、ケンスケもすぐに私の手を振り払って駆け出して行こうとする傾向がある。いかにもケンスケもやりそうな事故だと思うと、まったく恐ろしい。

    回転ドアが設置されている建物はシカゴにもとても多い。どこにでもあるものだから、当然安全なのだろうと思っていたが、決してそういうわけではないのか。シカゴ大学の大学病院も、ちょうどヒルズの回転ドアと同じような仕組みのものだと思う。子供たち4人を連れてこのドアを使おうとすると、実際危なっかしくて怖い。全員が入れるかな、入れないかな、という大きさなので、入ろうとしたところでつい迷うのだ。後続者が迷うと、先に入っていた子が心配して逆戻りして出て来ようとしたりする。「危ないからそのまま進みなさい!」と叫んだことも何度かあった。大学病院だけでなく、レストランでも回転ドアのあるところは多い。こうしてみると、今まで私たちが事故に遭っていないのが奇跡のような気がしてくる。回転ドアのある入り口には、たいていその横に手押しの普通のドアもあるので、今度からはいつも手押しのドアの方を使うことにしようと心に決めた。

    *****

    『境界線(バウンダリーズ)』、今日12章と13章を送付。今月は目の手術をしたり日本に行ったりしたので、少ししかできなかった。でも残るはあと3章。かなり頑張れば、予定通り4月の末までに本文は全部翻訳が終えられそうだ。Jesus, help me "finish well."

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