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はちことぼぼるの日記(2004年1月)

1月9日より、ぼぼるパパの日記とはちこの日記が統合され、「はちことぼぼるの日記」となりました。
二人が交互に書きます。どうぞよろしく。エントリーの最後に(ぼ)とあるのがぼぼるパパの日記です。

2004年1月1日

ようやくシカゴも新年になりました。明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。

*****

新年になると、カレンダーが新しくなっていい。季節が一巡して、もう一度新しい気持ちで一月一日から始められるというのは嬉しいものだ。でも、主の恵みとあわれみは「朝ごとに新しい」と聖書は言う。ハレルヤ、その通りです。感謝します!

Through the LORD's mercies we are not consumed,
 Because His compassions fail not.
 They are new every morning;
 Great is Your faithfulness.
 "The LORD is my portion,"says my soul,
 "Therefore I hope in Him!"
              (哀歌3:22〜24)

今朝の祈りのなかで、この御言葉が示された。朝ごとに新しい主の恵みとあわれみを一日一日たっぷり受けながら、今年も主を待ち望みつつ、イエス様だけを見つめて歩ませていただきたいと思わされた。 過去のことは過去のこと。主が良くしてくださったことは何一つ忘れないし、失敗からは学びたい。でも、振り返ってばかりいて、今日、今朝、主が新しく与えてくださっている恵みとあわれみを受け損なわないようにしよう。 この一年間はどんなことが待っているのだろうか。楽しみだ。

先程、JCFNの主事のYちゃんから電話が入った。あと数時間でこちらに到着するとのこと。今年は賑やかな元旦になって嬉しい。さて、デザートを作っておこう。

2004年1月3日

大変パワフルで楽しい二日間だった。一日はアーバナ学生宣教大会帰りのJCFN主事ら六人と、デンバーから合流した二人がやって来て、楽しい交わりの時を持った。みんな個性的な人たちばかりで、お正月早々お腹を抱えて笑いまくってしまった。でも笑うばかりでなく、素晴らしい証もたくさん聞きましたよ。特に、11月末に婚約したばかりのO主事が、いかにして婚約に導かれたかについての証はすごかった。O主事は12月一杯でJCFNでの奉仕の任期が切れ、その後の進路についてずっと導きを求め祈っていたのだが、JCFNを一旦主にお返しして帰国すること以外、何も示されずずっと悶々としておられた。それが、驚くばかりの方法で突然結婚が決まったのだ。紛れもない主のご介入に、お話を伺いながら私の方が震えてしまった。神様のなさることは本当にwonder-ful。何が素晴らしいって、神様を見上げ神様に従おうと自らを明け渡している人に対しては、神様はこんなにも明確に語りかけてくださるのだということ。神様はO主事と、日本在住のT兄の双方に個別に結婚について語りかけられ、お二人ともそれに対して各々従順に応答したところ、まるでジグソーパズルのピースがピタリと合うようにつなぎ合わされたのだから。詳しく書きたいところなのだけれど、パーソナルなことでもあるし、本人の許可を得ていないので今回はここまでにしておくが、いやー、ほんとにすごい。O主事がお話のなかで「聖書的な、良い助け手となるために整えられる」ということに何度か言及しておられるのを聞いて、ジュディー・ミドルトン師の『力と気品を身につける』をプレゼントしたくなり、うちにあったものを差し上げた。私が読んだあとの本で申し訳なかったけれど、その場ですぐに手渡したくなったので。

アーバナ大会は、今年は「御国が来ますように」をテーマに約一万九千人の参加者(主に学生)が集まり、世界宣教について様々な角度からのチャレンジを受けたらしい。日本人参加者は約150人、うち40人が日本からの参加だったそうだ。二万人近い人たちが一同に集まってのワーシップや祈りはさぞかし迫力だったろう。Jesus, All for Jesusも讃美したそうで、JCFNでもこれからブレイクしそうな気配。嬉しいな。(^^)

アーバナ大会の様子は、ウェブでメッセージからワーシップから、ほとんど全て見ることが出来るようになっている。

Urbana '03 Web Cast

一日の夜はおせちを囲んで爆笑しつつ新年の抱負のようなものを分ちあった。抱負というよりも、これからの一年で神様に期待していることかな。みんなの話しを聞きながら思ったのは、みんな、若いのに自己に死んでるんだよね。「自分の」抱負とか野心とかビジョンではなくて、ただ神様がなさろうとしておられることがこの世でも自分の人生でも成されるのが見たい、それだけ。ある姉妹は、まさにJesus, All for Jesusの歌詞にあるように「All I am, and have, and ever want to be, all of my ambitions, hopes and plans, I surrender these into You hands」なんだ、と言っていたっけ。それでいて決して受け身ではなくて、今日自分がすべきことはきちんとこなしている。そして、自己に死んでいるとはいっても、みんなものすごーーーく個性的。輝いていて素敵でした。食事中に立ち上がって聖子ちゃんステップを実演してくれた姉妹もいたし。(というか、前述の姉妹と同一人物ですが。(笑))

食事のあとは、スーツケースや寝袋でごった返しているリビングルームに場所を移してしばらく讃美の時を持った。みんな寝不足でフラフラだったはずなのに、夜中まで盛り上がりましたね。その後も修学旅行状態で、かなり遅くまでおしゃべりが続いた様子でした。

二日の餅食い大会も大盛況でものすごかったんだけど、今夜は私も疲れてしまったので、続きはまた明日にでも。

あ、でももう一つ。お客さんがお帰りになった今夜は、子供たちをエミにまかせて、私とパパは二人で食事に出かけました。近所のレストランなんだけどとても雰囲気がよくて、大変美味しかったです。これからは三ヶ月に一度は二人だけでデートしようね、というのが私とぼぼるパパの新年の抱負かな?(笑)

2004年1月7日

先週の金曜日までは随分暖かかったシカゴなのに、土曜日あたりから冷え込みはじめ、日曜日には大雪。昨日は日中でもマイナス13度くらい、最低気温はマイナス20度くらいだったらしい。新学期が始まってから毎朝子供たちの支度が大変。モコモコに着込んで雪だるまのようになって出かけていく。今朝は先に出かけたま〜やが間違えてみんのスノーブーツを履いていってしまい、みんは出かけようとしたら小さなブーツしか残ってなくて往生した。結局、かなりブカブカだけど私のを履いて行った。(みんは結構足が大きい。)あれだけ着込んでいると、多少ブカブカのブーツでも気がつかないんだね。(^_^;; それにしても昨日は本当に寒かった。 というわけで、私はここ数日間、冬ごもりしておりました!?

さて、金曜日の餅食い大会の話。大人34人+子供たちで、四十合用意したお餅が全部きれいになくなりました。餅つき器を三台用意して、二回ずつくらい使ったのかな。お餅の種類は、お雑煮、お汁粉、きな粉、大根おろし、納豆、醤油バター、磯辺巻… 左の写真はつきあがったお餅を丸めているところ。この作業は主に男性陣が活躍してくれましたね。熱くて大変だったみたい。隣はダイニングルームでの様子。もちろん立食です。下は全体写真。この時点ですでに数人お帰りになっていましたが。お雑煮は7.5リットル余り入る大鍋にたっぷり作ったけれど、最後の一滴までなくなりましたね。すっごく美味しかったですよ。大根おろしとか納豆をからめたお餅なんて、普段は自分ではやらないので、嬉しかったし。「日本人に生まれて良かったー!」という叫び声がどこからともなく聞こえてきたりね。(^^)JCFN集会なので、お餅を食べただけでなく、森作ダンJCFN主事(まん中の写真、右端の緑のTシャツに編み込みヘアの青年)によるメッセージや、アーバナ大会での証、そしてもちろん賛美もしました。(ちなみに全体写真の下の方にいる青い髪の毛の青年は私の日記にも時々登場するフユキくんです。)写真見てたらまた食べたくなってきちゃった。写真は他にもたくさんあるので、そのうち整理してアップしましょう。

kitchen

dining
group

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元旦の朝に示された御言葉を毎日噛みしめている。特に3章22節。これは神様の私たちに対する約束でもあると思う。朝ごとに新しく、尽きることのない主の恵みとあわれみは、今まで私たちが滅びうせることがないように支えていてくださったし、これからもずっと支え続けて下さるのだ、という約束。 主よ、このお約束を信仰を持って告白し、ただあなただけを待ち望みます。

2004年1月8日

今朝、祈っている時に示された御言葉。

アサは彼の神、主を呼び求めて言った。「主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます。わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。わたしたちはあなたを頼みとし、あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。」(第二歴代誌14:11 新共同訳)

しかし、あなたたちは勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある。(第二歴代誌15:7 新共同訳)

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今週はうちの教会(教団)の祈祷週間だ。毎年、一月の第一月曜日から金曜日までが祈祷週間になっている。火曜日の晩、祈る前に牧師が祈りについて次のような勧めをされた。

使徒の働き4章24節から31節には初代教会がどのように祈っていたか、その様子が記されている。神に助けを求めるこの初代教会の祈りには、次の三つの側面を見ることができる。

  1. 神がどのようなお方であるかを認めてそれを告白した:「主よ。」(NIVの英語の聖書ではこの箇所は「Sovereign God(主権を持たれる神)」となっている。)
  2. 神がなさったことを述べた:「あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。」
  3. 神がおっしゃったことを述べた:「あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。……」

彼らがこれらのことを祈りにおいて告白してから主に助けを求めたとき、「その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした(31節)」と記されている。私たちもまた、祈るにあたり、神がどのようなお方であるか(who He is)、何をなさったか(what He has done)、そして何を言われたのか(what He has said)を覚え、告白し、信仰をもって主に大胆に求めよう。

2004年1月9日

学校から帰宅したみんとま〜やにせがまれて、みんの学校の裏にある人工の丘(というか、盛り土)にそりすべりに連れていく。ここは近所では名の通ったsledding pointで、他にも親に連れられた子供たちが大勢そりやタイヤのチューブなどを持って遊びに来ていた。まったく山や丘がない平坦な中西部の大地では、たとえ盛り土であっても上に登れば展望が開け、普段とは違った視点からものが見えて新鮮だ。しかし、さすがに吹きさらしで寒い。ジーンズの上にスノーパンツをはいてこなかったのは一生の不覚だった。子供たちを遊ばせるわずか30分の間で、体の芯まで冷えきってしまった。

*           *           *

さて、毎年この時期は、自分の仕事よりも学生の推薦状書きで忙しい。正月早々2本手紙を書いた。手紙といえば、恩師の一人からいただいた年賀状に「去年は論文を3枚書きました。」と書いてあったのを読んで、本当に3枚しか書かなかったのかな(なら大したことない)、それとも3本ってことかな(だとしたらすごい)と、妙なところに反応してしまう私であった。

*           *           *

このあいだの日曜の夜に、中学高校の同級生でNHKの記者のDが、わざわざバグダッドから新年のあいさつの電話をくれた。現在は日本人3人、現地人4人のスタッフを統率しつつ、ニュースを集めて配信している。彼が詰めているホテルは、ロケット弾の攻撃を受けにくい角度にあり、またホテルのまわりは戦車がぐるりと包囲しているので、外に出ない限りは安全だろうと言っていた。しかし、自衛隊の先遣隊到着にともない、スタッフの安全確保が彼の第一の使命になっていて、日本人は狙われる可能性があるので取材はもっぱら現地人にまかせ、少しでも危ないと思われる時にはたとえCPAの記者会見でもでかけないことにしているという。日本時間の朝の中継はバグダッドでは夜間になり、照明を使うと攻撃の対象になる恐れがあるので、もっぱら彼の中継画像は日本時間の夜に放送されているらしい。(その時間アメリカは午前中なので、なかなか観ることができない。)

亡くなった奥大使と井ノ上書記官はDの親友だったそうで、いまだにショックをひきずっていた。なんでも、自衛隊派遣の決定に伴い、日本人の外交官が狙われるという情報が寄せられていたので、Dが奥氏に進言したところ、彼は笑って大丈夫だよと答えたのだそうだ。デロリアンにフラックス・キャパシターを積んで11月29日に逆戻りし、もういちど忠告したい気持ちであろう。D自身も、これから先遣隊の到着に伴い現地へ出かける可能性が高く、目的地自体は比較的安全だが、そこに行くみちのりが…とやや声が沈んでいた。警備会社まるがかえで取材をしているアメリカのCNNやNBCに比べ、危険に関する情報は自前で集めなければならないため、そうとう気を使っているようすが聞き取れた。

とはいえ、自ら志願して中東を選んだDのこと、自分が作っているレポートが世論に直接影響を与えていることについては十分な手応えを感じているようすだった。福田官房長官が国会でイラクの状況について説明をしている画像を見ると、明らかに自分が数時間前に提出したものの中身が使われているといった具合に。また、監禁状態のようなバグダッドの生活でも、インターネットと衛星中継のおかげでかろうじて正気を保っていると言っていた。おおみそかには戦車に囲まれながら紅白を見たそうだ。

あー無事でいてくれよ、頼むから…。もしDの身に何かあったら、ひとごとではすまないのを知っている。電話を切って、その場で声に出して祈る。「天の父なる神様、自衛隊もいいですが、どうかあなたの御使いの援軍をつかわして、Dをお守りください」と。そして、いまだ狂気と混乱が支配するバグダッドにあって、なおあなたの愛をDに現してください、とも。(ぼ)

2004年1月10日

あれは1999年のことだからもう五年前になるのか。早い。このサイトを始めたは1998年の2月で、日記を書き始めたのが5月の中頃だった。月日が流れるのは早いですね。何が1999年のことだったかというと、以前にもぼぼるパパと二人で交互に日記を書いていたことがあり、それが1999年の1月からだった。結局、パパの方が忙しくなってきて1年も続かなかったのだけど。あの頃は、はちことぼぼるパパの文章の雰囲気が似ていて、日記の出だしを読んだだけではすぐにどちらの文章かわからないことがある、とよく言われたりした。可笑しかったのは、ある時パパが「学生時代に相撲部員だった」という話を書いたとき、ある読者の方はてっきりはちこが元相撲部だったのかと思い込み、「すごいなー、はちこさんって、女力士だったのか。それにしても女相撲部があるなんて、一体どこの大学だろう、と真剣に感心してしまいました」とメールを下さったことがあったこと。で、最後まで読んでやっとはちこではなくぼぼるだということに気付き、「当たり前だよねー」と妙に納得されたそうでした。これにはホントに笑いました。今回も、はちことぼぼるが交互に書くと言っても、厳密に二人が交代で書くとは限らないので、これからもまた皆さんを混乱させることがあるかもしれないですね。どうぞお楽しみに。(?)

*****

新年を祈祷週間で幕開けするというのはいいことだ。今週はほぼ毎晩、教会で祈って来たせいか、心が非常に晴れやかで、穏やかで、そのくせとても沸き立っている。そして私の今日の礼拝の歌はこれ。スチュアート・タウンエンドの「The King of Love」。日本語にするとこんな感じの歌詞。

愛の王は私の歓び
その目は炎、その御顔は光
始まりで終わり、生けるお方
その名はイエス

その御口からは地を揺るがし地面を引き裂く声がする
それでもこの方の御声は私にとってのいのち
イエスの御声

だから私は愛の歌を歌おう
世界中に向かって叫ぼう
王が来られた!
愛の王がやって来られた!
悩める心はこのお方の平安を知ろう
捕われた魂は解放されよう
王が来られた!
愛の王がやって来られた!

私の愛するお方の吐息は甘いワイン
私はこのお方の誇り、そしてこのお方は私のもの
たかが罪人が、こんなにも素晴らしい喜びを持てるなんて!
ただイエスのゆえに

そのお方の手のひらには愛の傷がある
罪人のために代価が支払われた
受け入れられた子供、赦された息子
ただイエスのゆえに

そして私の願いは、ただあなたに近くにいていただくこと
主よ、あなたは私があなたを大いに歓迎していることを御存知です
こんなにも素晴らしい愛、こんなにも素晴らしい恵みの前に
私はすべての壁を取り払います


「たかが罪人が、こんなにも素晴らしい喜びを持てるなんて!」の一行が、特に実感をもって私の胸に迫る。そしてこの歌を賛美しながら私のなかに思い起こされた御言葉は詩篇24篇。 ああ、栄光の王よ、力ある万軍の主よ。私の人生にどうぞお入りください。ご介入ください。私は戸を開け、壁を取り払ってあなたを歓迎いたします! 王よ、ただあなたを礼拝いたします!

Lift up your heads, O you gates!
And be lifted up, you everlasting doors!
And the King of glory shall come in.
Who is this King of glory?
The LORD strong and mighty
The LORED might in battle
Lift up you heads, O you gates
Lift up, you everlasting doors!
And the King of glory shall come in
Who is this King of glory?
The LORD of hosts,
He is the King of glory

詩篇24篇7〜10節

2004年1月11日

先週の祈祷会についてもうひとつ書くと、あれは初日だったか、家族のために祈る前に、牧師が列王記第一18章40節から46節のエリヤを祈りのモデルとして紹介した。エリヤは次のように祈った。

  1. 群衆から身を引いた: 「カルメル山の頂上に登り…」
  2. 神の前にひれ伏した: 「地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。」
  3. 何回もあきらめず祈った: 「七たびくり返しなさい。」
  4. 神の約束にもとづいていたので、祈りが答えられることに確信を持っていた: 「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから。」

この箇所からはまた、神様が喜んで祈りに答えてくださることも学ぶことができる。日々のルーティンから身を引き、神様の御顔をあおぎ、まだ自力でなんとかなるかもという思いを捨て、神様の約束を信じてあきらめず祈るものに、神様は答えてくださる。

*****
祈りのリクエストがひとつあります。これはうちの教団の海外宣教部から回ってきたものですが、教派を越えて祈る必要を感じますので、おわかちします。

ご存知のように、イスラエルはキリスト教の聖地でありながら、宣教活動の自由が非常に制限されています。ここ数ヶ月の内政事情により、状況はより困難になってきているようです。イスラエルのクリスチャン一般を代表する団体United Christian Council in Israelによると、

  1. 政府職員の長期ストライキにより、ビザの発行と更新が滞っている。
  2. これまでキリストの働き手にビザを発行してきた宗教相が12月末日をもって廃止され、内務相の「人口管理局長」に引き継がれましたが、人口管理局の主な仕事は不法移民を国外追放することです。
  3. キリスト教の牧師(いわゆるA3ビザ保持者)は、母体となる組織が定められた手続きを踏んで、ビザ保持者が実際に教会の牧師であることを証明するまで、不法移民と同じ扱いを受けることになるもようです。また、外国人で牧師以外の働き手(聖書学校の先生、修道院の働き手、クリスチャン本屋さんなど)は国外追放の憂き目にあうことも考えられます。

UCCIは神様がこの障害をとりのぞいてくださるよう、クリスチャンが祈りをもってとりなしてほしいと結んでいます。とくに、彼らが新任の人口管理局長であるHertzel Gets氏から何らかの譲歩を引き出すことができるように祈ってほしいとのことです。ただし、現在は政情が微妙なため、イスラエル大使館への抗議などというような外交手段には訴えないように、とのことでした。

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覚書: Courage is fear that has been prayed over.

(ぼ)

2004年1月14日

ケンが最近、私のカーディガンのボタンを留めるという作業にはまっている。私の膝の上に座り、スーハーと鼻息を荒くしながら、必死でボタンを留めてくれる様子はとても可愛い。

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今また、翻訳をやらせていただいている。これまでこの日記でも何度か言及してきた『Boundaries』(バウンダリーズ:境界線)という本。クリスチャン心理学者クラウド博士とタウンセンド博士によるもので、アメリカでは70万部以上売れていて大いに用いられている。

昨年11月27日の日記でバウンダリー(境界線)とはどういうものかについて触れたので、ここでは説明しないが、このコンセプトはありとあらゆる人間関係(自分と神様との関係も含めて)に適用できる、とても基本的で重要なものだと思う。何より大切なことは、「境界線」とは単なる文化的または心理学的コンセプトなのではなく、御言葉のなかに現されている神様の原理原則の適用であり、極めて聖書的なものだということ。よく「キリスト教はreligion(宗教)ではなくrelation(関係)だ」と言われるように、そもそも信仰を持つとは神様との個人的な愛の関係を回復することに他ならない。そして、神様との関係が回復されたとき、私たちの人生のなかにある一つひとつの「関係」もまた、神様の愛のなかで回復され、立て上げられていく。その「関係」の根幹をなすのが「境界線」なのだと思う。

昨今では人間関係における不健全な依存関係として「共依存(co-dependency)」がよく話題にされるようになった。アマゾンで「共依存」で検索すると、興味深げな本がいろいろ出てくる。共依存とは、単に互いに助け合い依存し合う関係というものではない。何か慢性的な問題を持ち、その問題の責任を自分で取らずに他者に依存する人と、そういう依存者を常に助け、面倒を見、そうやって世話をやくことで自分の存在意義を見い出し、知らず知らずのうちに相手を支配している人(共依存者)との関係を言い、その背後には歪んだ愛情や低下したセルフイメージ、支配欲、自律性の欠如のような病理がある(らしい)。共依存もまた、適切な境界線がないことによる問題の典型例だ。互いに愛し合い、助け合い、依存し合うことがいけないというのではない。実際、聖書はそれを命じている。ただ、互いの弱点や欠けを補い、さらに成長し前進するために助け合い、重荷を負い合うことと、自分の負うべき責任を放棄して他者に依存することには天と地ほどの違いがある。前者のような依存関係は「相互依存(inter-dependency)」と呼ばれ、「共依存」とは明確に区別される。そして聖書が教えているのは、私たち一人ひとりがまず主にあって自立し(=主に依存し)、他者との間には聖書的で健全な相互依存の関係を築くことだ。一人で立てない人がいるなら、その人の代わりに自分が立ってあげるのでなく、その人が自立できるように周りの人たちがグループでサポートしてあげることが必要だ。教会は本来そのためにも存在しているはず。

「甘えの構造」を持つと言われる日本の社会では、教会を含め、不健全な依存関係というものが蔓延しているのではないかと思われる。特にクリスチャンは「愛する」「重荷を負い合う」よう教えられているため、時には互いの「境界線」を越え、必要以上に頑張りすぎてしまう傾向があるのではないだろうか。そうすると、自分はバーンアウトし信仰が傷つき、相手は真に主にあって自立することが学べない、という悪いサイクルに陥る。あるいは、自分が他者の評価に依存し、神様ではなく他者を歓ばすための信仰生活に終始してしまうこともあるかもしれない。必要な時に「ノー」も言えず、罪に対峙することも出来ず、ただ何でも「受け入れあう」だけの偽りの「兄弟愛」に騙されてしまうかもしれない。

な〜んて、偉そうに書いているけれど、実は翻訳している私自身が今、「境界線」について徹底的に教えられ、練られ、取り扱われている最中だったりする。私と一緒に全ての翻訳原稿に目を通し、入念なチェックを入れてくれているぼぼるパパもまた同様だ。二人して目が開かれ、二人の関係についても根本から見直すようになった。翻訳しながら新たに教えられたことを、私たちが自分のものとしていけるように、悪い習慣は断ち切り、間違った考えからは解放されるように、そして代わりに主だけが与えてくださることのできる良いもので満たされるように、日々二人で祈っている。私たち自身がこの本を通して主からこれだけ取り扱われているからこそ、これが無事に出版され、日本の教会でも用いられるようになることを、心から願ってやまない。

2004年1月15日

しばらく前の日記に、対テロ法の影響で日本からアメリカへ食品を郵送する手続きがこれから面倒くさくなるらしいと書いたところ、「そ、そんな〜」という声とともに、ニューヨーク州在住の読者のTさんが独自の調査結果を送ってくださいました。やはり日本のご両親から送られてくる小包のほとんどが食料品で、ご両親は英語が得意ではないので、新しい規制はとても困るとのこと。同じような境遇の在米日本人の方はおおぜいいるはずですよね。

Tさんに教わった米国FDAの公式文書では、個人的な小包に対しては規制は除外されているように読めなくもありませんが、私の母がこのような通達を日本の郵便局からもらっており、これだとやはりオンラインであらかじめ送るものの登録をしないといけないようです。しかし、今のところ郵便局によっても対応が違うようで、Tさんがためしに実家のご両親に小包を送ってみてもらったところ、郵便局の局員さんに「そういう通達は来てにゃあねえ」と言われたそうで、小包も無事にニューヨークまで届いたそうです。

Tさんのお父様によると、「試しに、ガイジンさんにゃあなんだかわっかんねえモン送ってみたずら。向こうが怪しいと思うかどうか見とくべえ」とのことで、その小包の中身は、

食品 (Food) : かんずり (Kanzuri)
食品 (Food) : バクダン (Bakudan)

だったとか。(かんずりは新潟産の唐辛子、バクダンはおでんのねた。) それにしても、対テロ法の網をかいくぐってバクダンを送られるとは、ユーモアのあるご両親ですねえ。しかも缶入りだそうです。なんでもお父様曰く、

「なーに、ホンモノのばくだんだったら、バクダンって書いてカッコしてbombって書くじゃろ。そうでないのは食べもんに決まっとるに!」

いやあ、フツー書きませんぜ。大体そこまですることを考えたら、FDAに登録するぐらい朝飯前だと思いますが(笑)。

Tさん、貴重な情報と楽しい報告をどうもありがとう。そして、アメリカ(あるいは海外)にお子さんのいらっしゃる全国のお父さん、お母さんに乾杯。We love you, and we still need you!

*****

I will say of the LORD, "He is my refuge and my fortress;
 My God, in Him I will trust
 Surely He shall deliver you from the snare of the fowler
 And from the perilous pestilence.
 He shall cover you with His feathers,
 And under His wings you shall take refuge;
 His truth shall be your shield and buckler
                            詩篇91、2−4節

主の祈りの中に「試みに会わせないで」という下りがあるが、この祈りについて今まで何となくわかっていなかった。「試み」には「試練」と「誘惑」のふたとおりある。試練なんて程度の差こそあれ誰でも経験することだし、ヤコブの手紙1章13節によると神が誘惑することはないと書かれているので、それならこの祈りを祈る理由はなんなのか、どうも実感が持てなかったのだ。

しかし二日ほど前、これは明らかに神様がはちこと私を敵の誘惑から絶妙のタイミングで守ってくださったしかと思えない出来事があった。前の日にかわした決して楽しいとはいえない会話が、翌日起きたある出来事で私たちが引き裂かれることから完全に守ってくれた。全く予期しないことだった。前の日は、何で俺たちはこんな話をすることになったんだ、と思っていたが、一日経って、私たちはそこに神の手を見た。私たちは危険水域に近づいていることを知らなかった。神様があわれみにより、前もって自分の羽を広げて守ってくださったとしか考えられない。もし、前日の会話がなかったら、と今思うと空恐ろしい。それと同時に、いま私たちが霊的な戦いのただ中にいるのだと改めて思わされた。主の真実はまことに、大盾であり、とりでである。主よ、あなたを賛美します! 崩れそうになりながらも、私はあなたに目を留め続けます。 (ぼ)

2004年1月16日

高校時代の友人から来た年賀状に、数年前から毎年誕生月に人間ドックにはいるようにしています、この年になったらだんだん引っ掛かる項目が出てきてね…とあって苦笑してしまった。実は私も予定しているんですよ、今月末に。日本の人間ドックと同じものかはわからないけれど、一日がかりの総合的な健康診断。ぼぼるパパも一昨年の秋だったか、やったのよね。結果は全て良好で、ただ体脂肪率が高めなのと、体重が多めだとのことだった。私はそれを聞いて安心したからか(?)「そのくらい、高いお金を出して調べてもらわなくても、一目見ればわかるわよねー」と暴言を吐いてしまったのでした。(笑)

*****

今夜はうちで聖研。私がデザートを用意する当番で、エンジェルフードケーキと苺ソース、それからオートミールクッキーを焼いた。クッキーはオートミールの箱に書いてあったレシピ通りに作っただけなのに、すごく好評でびっくり。ケンスケが悪くて、途中で突然キャキャキャキャと笑いながらやってきて、廊下から私たちがいたリビングルームのなかに向かって丸めたトイレットペーパーを投げ入れた。もう、しょーもない悪ガキなんだから。

2004年1月17日

最近、なんだか私の霊がそわそわしている気がする。悪い意味のそわそわではなくて、期待に溢れたそわそわと言えばいいだろうか。I feel stirring in my spirit. 風向きが変わったのを感じて、荷物をまとめて出発の用意をするメアリー・ポピンズの心境。黒い鞄ひとつだけを持って(だけどこの鞄は底なしで、メアリーが必要なものはここに何もかも入っている)、空に向かってコウモリ傘を広げ、さあ、風に乗ってレッツゴー!という気持ち。

昨日だったか、おとといだったかも、ぼぼるパパと「次はどこですか? どこに行くのですか?」と積極的に祈ってみようと話していた。次のタームもまたシカゴでと示されるならそれもよし、どこか別の場所が示されるならイエス様のリードに従ってついて行こう。さあ、聖霊の風に乗って。

2004年1月18日

今朝の礼拝で、次女のみん(9歳)が洗礼を受けた。4歳の時にイエス様を救い主として受け入れたみんはまっすぐな信仰の持ち主で、彼女の小さな祈りが答えられるのを何度も見て来た。これからもますます「鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行」ってほしい(第二コリント3章18節)。今回の洗礼式はみんと同年代の子供たちが中心で、全部で11人だった。ひとりひとりがイエス様についていく決意を証しするのを聞きながら、彼らの10年後、20年後を想像してとても頼もしい思いがした。

*****

去年の今頃を思い返すと、この1年間に私たちの教会であったことがいろいろと思い出されて、感慨深い。何だかよくわからないうちに、あれよあれよと言う間に牧師への不信任投票、そして彼を含む大勢のリーダーたちの辞任。あの時点でもうこの教会は終わりかと思ったが、絶望の中で不思議とイエス様が近く感じられた。

牧師が去った次の日曜日の夜、臨時の信徒総会が開かれ、それに先立ってはちこと二人で賛美をリードするよう頼まれた。私たちはワーシップチームの中で教会に残った数少ないメンバーだったが、実際に賛美をリードするのはその時が初めてだった。あの日の奉仕は、おそらく私が12年間この教会でやってきたことの中で1番つらかったことのひとつだと思う。会衆は皆深く傷つき、気持ちもまっぷたつに割れていた。霊にある一致どころではない。こんな状況で、彼らをあなたのご臨在に導けと言うのですか、できっこありません。本気で神様に抗議した。ただ主にすがって賛美を始めたものの、プラットホームから見渡すとみんな魂が抜けてしまったような表情で、歌いながら涙で目が曇った。

ミーティングの後、楽器を片付けていると、長老格のロブが近づいてきて、ひとこと私に「Thank you.」と言った。普段だと冗談めかしたことばかり言う彼にしては、珍しく控えめでストレートな言い方だった。そのとき、彼の中に私はイエス様を見た。そして思わず耳を疑った。「え? あなたが私にありがとうと言ってくれるのですか…?」 その時のイエス様のやさしいまなざしを、私は絶対に忘れない。そして、痛いほどわかった。あなたは、この教会を愛しておられるのですね。ならばこの奉仕は、あなたのものです。私のものではありません、と。

今うちの教会は新しいパスターを迎え、歩みを新たにしている。リーダーシップの交代を通して、教会に残ったみんなの結束はたしかに強まった。教会を去った人たちはほとんど戻ってきていないが、個人レベルでは連絡を取っているという話もぼちぼち聞くようになり、癒しと和解は少しずつではあるが始まっているようだ。そして最近、すごく励まされる話を聞いた。

もともと前任牧師の退任のきっかけは、彼の長女マーサ(仮名)の結婚が破綻し、二人の小さい子をかかえながら離婚の手続きに入っていたことにあった。しかし、神様は1年たったいま、ふたりをもう一度引き寄せて、この結婚を立て直そうとされている。マーサの夫のスタン(仮名)は去年の秋ごろ、良性ではあるがかなり大きい3つの脳腫瘍が発見され、すでに2回の手術を受けた。2回とも、命を落としても不思議はない大手術だったが、奇跡的に回復した。その過程を通して、マーサとスタンは再びお互いを深く愛しあうようになり、もういちど出なおす決心をしたのだそうだ。今まで両親と同居だったマーサは家を離れ、スタンと子供たちと暮らしはじめている。スタンはもう1度手術する必要があり、その手術をすると確実に聴覚が失われることがわかっている。しかし、恐れに屈することなく、今ふたりで手話の練習を始めているそうだ。そう話すマーサの顔がとても明るかったと、うちの聖研のデイビッドが教えてくれた。ハレルヤ! 

その昔、荒野でハガルとイシュマエルに目を留めた神は、私たちの教会のことはもちろん、この苦境にあるカップルのこともお見捨てにはならなかった。主のあわれみの深さと広さに、思いを馳せている。 (ぼ)

2004年1月21日

うー、ぢみにやってます。

シカゴは連日氷点下の気温で、とてもとてーも寒いです。寒いの苦手なはちこはすっかり冬眠モードです。思考もにぶっています。今月の30日から三日間、ミッショネットのウィンターキャンプの引率でウィスコンシンまで行って来ます。月末までにはもうちょっとあったかくなって欲しい。せめて日中は二度とか三度くらいまでは上がってくれないと辛いものが。

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水曜日なので夜はミッショネット。今やってる「Accountability」の単元は、バウンダリーズ(境界線)のコンセプトとも関わっていて興味深い。今夜のレッスンのなかで、たとえば、もしも仲良しの友達が悪い場所に出入りするようになり喫煙や飲酒などを始めたらどうするか、という質問が出た。11〜14歳という年齢の彼女たちにとって、こういうことは現実に直面しかねないリアルな問題だったりする。ほとんどの子が、その友達と直接話しをすると言った。そこで、ではどういうふうにコンフロントするのが効果的かという話しになり、スモールグループに分かれてロールプレイをやり、それからみんなで話し合った。愛をもって真理を語るということや、相手が私達の言うことに耳を傾けてくれない場合、どこまでが友人としての私たちの責任なのか、といった境界線のことにも話が及んだ。

そういえば、この「コンフロント(confront)/コンフロンテーション(confrontation)」という言葉、今やってる翻訳のなかでも何度も出てくるのだけれど、どうもピタッとくる日本語がない。「対峙する」とか「直接話しをする」とか「諌める」とか、文脈に応じて日本語として自然な表現を当てているけれど、今ひとつスカッとしない。この単語に対応する日本語がないというのは、それだけ日本人はコンフロンテーションが苦手であまりしない、ということだろうか。

2004年1月23日

ダニエル書4章19節

きのう、コンフロントするのは難しいという話が出たが、私がいる教育業界や科学工学分野は、ある意味でコンフロンテーションの宝庫というか、それが仕事の一部になっている。(法曹界ほどではないかもしれないけれど。) 何が許容範囲で何がそうでないかの基準が比較的はっきりしているため、その基準に従ってものごとを判断していく中で、コンフロンテーションは日常的におこる。院生の研究の進行速度が基準を満たさず改善の見込みもないため、落第の通知を口頭で伝えるのも一種のコンフロンテーションだし、教授会で人事に単独の反対意見を述べるのもそうだ。また私が仕事で書くものは論文でもプロポーザルでも議事録でも、陽の目を見る前に必ず複数の査読者がチェックを入れ、入念なコメントがついて戻ってくる。コメントの多くはいつもかなり辛口でconfrontationalだ。一方、人の書いたものの批評を書く機会も、もちろん多々ある。

こういう環境にいると、コンフロンテーションそのものの是非というよりは、いかにコンフロントすべかということを常に考える。中には盗作やカンニングなど、理由の如何によらず厳しい対処を要求されることもあるが、多くの場合、やみくもに正しいことを主張すればいいというわけではないのだ。まず、一番大事な点は、コンフロントしても傷つかない堅固な信頼関係や取り決めが前提にあることだろう。たとえば、私の同僚のGには「君のその論文は屑だ」と言っても、彼は全然気を悪くしない(反論はするだろうが)。私たち二人の関係はそういうレベルにあり、お互いナンセンスを排除することに情熱を燃やしているから、それで平気なのである。こういう関係は、コンフロントすることで研ぎすまされることはあっても、壊れることはない。しかし、よく知らない人に同じことを言うのは、たとえそれが事実であっても危険だ。安全にボルテージを上げることができる関係ができていないからである。それを無視して無粋な批判をくりかえすのは、愛と礼儀に欠け、仮に言ってることは正しくても相手の持ち味を「盗み、殺し、滅ぼす」ことになり、結果としてサタンがやってるのと同じことになってしまう。論文の査読などは匿名なので、特にこの危険が高い。

私が受け取る自分の論文のレビューには大きくわけて3つのタイプがある。1つめは、事実誤認にもとづいて私の書いたものをけちょんけちょんにこきおろしているもの。2つめは、事実関係を正しく把握した上でけちょんけちょんにこきおろしているもの。3つめは、事実関係を正しく把握した上でこきおろすところはこきおろすが、建設的な代案を提示し、よいところも指摘しているもの。読んでいて一番受け入れがたいのは、2番目のタイプである。事実誤認があれば、ここが違いますよ、という対話をする余地があるからいい。しかし、正しいことを言われた上でこきおろされたのでは、救いがない。見知らぬ人にこの論文は屑だ、と言われているようなもので、最終的には認めざるをえないとしても、のどもとをすぎるまでに相当時間がかかる。一方、3つ目のタイプは、査読者が私の論文に興味を示し、悪いところを直してもっとよくするために手をさしのべてくれているため、非常にありがたい。2番目のタイプは論文を殺すが、3番目は生かすのである。

コンフロンテーションであれほめことばであれ、エペソ書は私たちに「愛を持って真理を語る」ように、と命じている。愛を持って、とは相手との関係をはぐくみ、相手のことを思いやることであろう。冒頭のダニエルは、ネブカデネザル王の夢の真意が王に惨事が来ることだと知り、つかえていた王への愛着のため驚きすくんだが、まさにその愛ゆえに忠告せざるを得なかった。コンフロンテーションのモデルだと思う。愛を持って語られた真理は、人を自由にし、命を与える。 (ぼ)

2004年1月24日

しばらく前にある読者の方から素敵なサイトを紹介していただいた。札幌ICF教会のホームページだ。ここの賛美チームのページでは、主日礼拝のプレイズ&ワーシップの様子をムービーで見ることができる。それも、最初から最後まで、たっぷり30分近くのものが、数日分。 私はもうすっかりはまって、堪能しています。ネットを通して、一緒に主を礼拝してしまう。思わず立ち上がって両手をあげてしまう。歌いながら祈りが、主への自由な賛美が、溢れてきてしまう。

そしてこのワーシップリーダーの女性の方の声が私の耳になんと心地よいこと。ここで歌われている賛美のほとんどが私の教会で歌っているものと同じなので、日本語で聞けるのもまた嬉しい。 Jさん、素敵なページを紹介してくださって、本当にどうもありがとう! とてもinspiringで、私自身が教会でワーシップをリードするにあたってもとても励みになりました。

札幌ICF教会 賛美チームのページ(クリックしてから音が出てくるまでに少し時間がかかりますが、のんびり待ってくださいネ。)

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おとといの晩、友人から、私宛に出したメールが全部はじかれて戻って来てしまう、と電話がかかって来た。どうしてなんだろー? 毎日いろんな方からのメールが届いているのに。もしかして、他にも私に出したメールが戻って来ている、という方いますか? もしいらっしゃいましたら、ごめんなさいね。原因不明なんです。決して特定のメールアドレスのメールを受信拒否しているわけではありませんので… それから、たくさんの嬉しいメールもいただいていますが、なかなかお返事ができなくてごめんなさい。みなさんからのフィードバック、励ましの言葉やお祈り、心から感謝します!

ああ、今、外はすごい雪です。週間予報によると、来週末はすっごく寒くなるらしい。日中最高気温でマイナス15度だって! えーん、いやだよう。私は猫娘だから寒いの嫌いなのに。

2004年1月26日

昼の気温が氷点下10度。おー寒いのお。アラスカのフェアバンクスから来たゲストがシカゴの方が寒いと言っていた。長女のエミの学校の始業は7時15分なので、7時すぎに学校まで車で送り届けているが、途中の交差点のcrossing guards(日本語で何ていうの? 緑のおばさん? 今でもいらっしゃるのでしょうか)の父兄も、車の中でエンジンをかけたまま待機していて、道路を横断する子供が通りかかった時だけ出て来て交通整理をしている。それでも月はじめにはエミを学校でおろすときはまだ薄暗かったのが、多少日が延びて明るくなってきた。

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ケンのキャラクターにいよいよ磨きがかかって、困っている。このあいだもレストランでケンを連れてトイレに行ったとき、私が用を足している隙にいなくなったと思ったら、反対側で使用中のトイレのドアの下30センチくらいの隙間から中を覗き込み、「Hello! Hello!」 と大声で叫んでいるではないか。何てやつ。ちなみに、お取り込み中の殿方は返事をなさいませんでした(汗)。

で、そのケンだが、うちのクリスマスカードを受け取った複数の方から、写真のケンが私に生き写しだと指摘された。そのうち二人は私の小学校の先生で、入学当初の私とケンがうりツーだというのだ。もうひとりは大学院の時の同級生で、こっちは私の昔を知らないのだから、今でも似ていると言いたいんだろう。それを聞いたはちこが口をとがらせて、「そうかなあ。ケンはこんなにかわいいけどなあ」 すいません、私、かわいくなくて。

それにしても、みんなに言われると、我が子ながら真似されているみたいであまり面白くないぞ。少なくとも、私は子供のころトイレをのぞくような真似はしなかった(と思う)。 (ぼ)

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いらさーい。いらさーい。ぢみに…(以下省略)(は)

2004年1月28日

26日の午後から突然ウィルスメールがじゃんじゃん届くようになり、やだなぁと思っていたら昨日の朝にはパソコンがHDを認識しなくなって、一日使えない状態だった。おかげで昨日は翻訳も全然できなかった。その代わり、ずっと先延ばしになっていたエミの部屋のペンキの塗り替えを終わらすことができたけど。 マックはウィルスには感染しないはずなのにどうしてやられちゃったのかな。ぼぼるパパはウィルスのせいではなくて別の理由だろうと言ってるけど。

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いろいろ考えて祈っていることあり。身辺整理(?)の必要があるかも。ぼぼるパパは今日、そのことも含めて牧師さんと話しをしにいくことになっている。哀歌3:22〜24第二歴代誌14:11に支えられている毎日。

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昨日の昼間、ああ今日はあったかい、と思ったら気温がマイナス4度だった。マイナス10度に比べれば、マイナス4度はずっと暖かく感じる。だけど今朝はものすごく寒くて、マイナス17度だよ。(泣)

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26日の日記を、はちこが書いたものだと思った方がいたらしい。確かに微妙だったかもしれないけど、「お取り込み中の殿方」ってあるでしょう? いくらはちこが肝っ玉母ちゃんでも、ケンスケ連れて男性用トイレには入りませんよー。(笑) まぁこのスリリングなところが、はちこ&ぼぼる日記の醍醐味ということで、今後ともどうぞよろしく。(^^)

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先日レストランで食べたトスカーナ風スープというのがとても美味しかったので、自分でも作れないかなと思って夕べ適当にやってみたら、それらしいものが出来て家族にも好評だった。 イタリアンソーセージをほぐしながらお鍋で炒め、出て来た油を捨ててから1センチくらいの厚さに切ったじゃがいもとニンジンを加えてさらに軽く炒める。そこに水を加えて野菜に火が通るまで煮る。それからアクやさらに浮いて来た油を捨てて、コンソメスープの素を入れて、ざく切りにしたケールをどさっと入れる。最後に生クリープを半カップくらい入れて、クレイジーソルトで味を整えて出来上がり。ケールというのは緑黄色野菜の王様、みたいないかにも栄養がありそうな葉っぱ系の野菜。見た目のわりにはくせがなくて食べやすいうえに、値段も安い。(あ、これです。)寒い日にはあったまるし、このスープ、気に入った。

2004年1月29日

>いくらはちこが肝っ玉母ちゃんでも、ケンスケ連れて男性用トイレには入りませんよー。

あー、私は、数学の問題を考えている時に間違って女性用トイレに入ってしまうことが、よくあります。さいわい、こんにちにいたるまで大事には至っておりませんが(汗)。また、数学の問題を考えながらお米を炊飯器に入れるのも、途中で何杯入れたか忘れてしまい、炊いてみたら固すぎたり柔らかすぎたりすることがあるので、禁物です。さらに、何回か道に迷ったこともあるので、家族にはずいぶん前から、車を運転している時だけは数学の問題を考えないでね、と言われております…。

別に、失敗を数学のせいにしようとか、そんなつもりで、もちろん言ってるわけですが。

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自分が幸運だったと思うのは、幼いころから大学院にいたるまで、要所要所ですばらしい恩師に恵まれたことである。これらの先生方には、いまでもいろいろな意味でインスピレーションをいただいている。

たとえば、高校の物理の先生で、山岳部の顧問としてもお世話になった大道先生。3年前に高校を定年退官されてから、娘さんがカナダ人と結婚したため、娘婿とのコミュニケーションを円滑にしようにと、モントリオールの語学学校に単身留学。自分の子供ほどの年代の学生にまじって半年、英語の勉強に明け暮れたそうだ。それでもまだ英語力が中途半端なので、ことしの6月から11月まで、またモントリオールに行かれるとのこと。なかなか真似のできないパワーとハングリー精神である。まだまだ、見習わねば。

なんでも、そのモントリオール体験を本にして出版したそうなので、私はまだ読んでいませんが宣伝させていただきます。

グッドモーニング!モントリオール  大道明著  碧天舎  (表紙はこちら

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きのうは1時間ちょっと時間をとって、牧師さんと一対一で話しをしてきた。これから数週間の礼拝の計画や、ワーシップやミッショネットなど、私たちが教会でかかわっているミニストリーについての現状と中長期的展望について、また、はちこと私の間のことについてなど、いろいろなことを話し、また相談もした。この牧師さんは説教師然としたところがまったくない。私たちのかかえている問題についても、穏やかな表情で耳をかたむけてくれ、聖書からいくつか励ましの御言葉を語ってくださった。胸につかえていたものがすっと抜けていくような感じで、うれしかった。

牧師さんがぼそっと言っていたことでひとつ印象に残ったこと。「サタンは天から堕ちる前はワーシップ・リーダーだったので、特に教会でワーシップをリードする者の家庭を攻撃する機会を狙っています。」 これは本当にその通りだと思った。牧師さんは、だから気をつけていなさいと言うわけでもなく、事実として淡々と述べられただけだったが、私は居住まいを正される思いがした。敵は、あきらかに、いる。しかし、私は主の御名を呼び続けよう。彼はすでに勝利をおさめ、私たちをも彼の勝利にあずかるものとしてくださっている。ハレルヤ!

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 (エフェソ書6章12節 新共同訳)

子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。(第一ヨハネ4章4節 新共同訳)

(ぼ)

2004年1月30日

今日は朝8時にシカゴ大学の大学病院に行って、総合的な健康診断を受けて来た。朝の寒いなか、電車に乗って出かけていくのはなかなか大変。ぼぼるパパはいつもこんな思いをしながら通勤しているんだなぁ。パパ、いつもお仕事どうもありがとうね。

それにしても、今朝の寒さは格別で、氷点下14度くらいだったらしい。道理で道行く人はみんな帽子をかぶり、マフラーで顔を覆って目だけ出してる覆面レスラースタイル。一方私は家を出るとき慌てていたのでマフラーも帽子も忘れてしまい、歩きながら、顔が凍傷になって首がもげるんじゃないかと思った。(笑)

健康診断の方は、それほど大げさなものでもなく、血液検査とか、心電図取ったりとか。そして眼科や婦人科などの検診や、担当医による問診。あとは体力測定があって、栄養士さんやフィットネス専門の先生とのコンサルテーションがあったり。今日わかった結果の範囲では、全て良好でした。感謝。特にコレステロールの値が素晴らしいとかで、お医者さんに感心されてしまった。総コレステロールが169、HDL(善玉コレステロール)が103で、LDL(悪玉)が47。HDLは50あれば良し、というものらしいけど、私は103もある!すごい! 別にコレステロールを意識した食生活というわけでもないんですけど、と言うと、きっと遺伝でしょう、ラッキーですね、とのこと。

今日わかった結果で唯一の問題(というほど深刻なものではないが)は、やや貧血気味とのこと。鉄分の含まれている総合ビタミン剤を飲むようにと言われた。あとカルシウムのサプリも。アジア人の女性は白人女性よりも骨粗しょう症になりやすいのだそうだ。それから水を毎日たくさん飲むようにとのこと。エネルギーレベルはどうですか、と聞かれたので、毎日、何となく疲れている感じがします、と答えると、貧血気味だったり脱水症状をおこしかけていると、慢性疲労になるのでそのせいかもしれないですよ、と。慢性的に脱水症状を起こしかけている人というのも多いのですって。

さて、明日は朝5時起きで、ウィスコンシンまで行って来る。子供たちは今日すでに出発したけれど、私は健康診断のせいで帰りが遅くなったためみんなと一緒に出発する事ができず、明日の朝、ぼぼるパパに連れて行ってもらうのでした。片道3〜4時間だからかなりの距離なんだけど、ぼぼるパパははちことのドライブは楽しみだと言ってくれている。そうね、行きはいいけど、帰りは一人だから気をつけてね。

キャンプから戻るのは日曜日の午後。天気予報では雪になりそうなんだけど、降らないといいな。事故や怪我のない安全な週末になりますように。そして楽しい雪遊びだけでなく、子供たちが霊的にも神さまにたっぷり触れられる時となりますように。

2004年1月31日

朝の集会に間に合うよう早起きをして、はちこを教会のウィンター・キャンプへ送りとどける。エミとみんは昨日一足先に出発し、ま〜やは夕べからお友達のうちへお泊まり会に出かけているので、ケンスケだけを一緒に連れて行く。案の定「ボクはまだベッドで寝ていたいんだーッ」と大騒ぎしたが、6時に出発してまもなくするとチャイルドシートの上でおとなしく寝息をたてはじめる。一路北へ。オヘア空港の少し前あたりで陽が昇ってくる。さいわい上天気とはいえこの冬一番の寒波で、外気温は氷点下20度。「こんな時に外で子供と一緒に遊べっていうの!?」とはちこはほとんど目が三角になっている > 猫娘

二本の煙突がもくもくと湯気をふきだしているミルウォーキーのダウンタウンをすぎ、さらに1時間北に走ったところで道に迷った(決して数学の問題を考えていたわけではない)。しかし、大事には至らず目的地のキャンプには9時すぎに到着。いちおうMapQuestにも住所が出ているくらいだからそれなりの場所かと思っていたら、とんでもなく辺鄙なところだ。It's middle of nowhere; it isn't quite the end of the world but you can see it from there... という感じの人里離れた場所。まさに修養会のための施設という感じだ。すくなくとも今年は雪不足の心配はなさそうだった。朝の集会がちょうど始まったところでもあり、屋外には誰の姿も見えない。はちこを引率者グループのたてものに送り届けてから、トンボ帰り。帰り道は退屈だった。途中行きつけの洗車サービスに寄るが、気温が低すぎて臨時休業だった。ま〜やをピックアップして家に戻ったのは1時前。とくにケンスケは、お疲れさまでした。ウィンター・キャンプの上に祝福がいっぱいありますように。誰もけがをしたり病気になりませんように。

*****

31日夜。ふだん親が寝ているベッドにま〜やとケンが首をそろえて寝ている。家族が半分いないだけで家の中はウソのように静かでものさびしい。あしたはワーシップもひとりでリードしなければならない。はちこがいないと、ちょっと心細いかな。油そそぎも半分になってしまわないように、第二列王記2章9節のエリシャの祈りを祈ろう。

頭の中に巡っている歌はKathy Troccoli の My Life Is In Your Hands(要Windows Media Player)。

歌詞のなかのI'm never without love; Not when my future is with You; My life is in Your hands; And though I may not see clearly; I will lift my voice and sing. (私にはいつもあなたの愛があります。私の未来はあなたとともにあるからです。私の命はあなたの手の中にあります。たとえ手探りの人生でも、私は声を上げて歌いましょう。)これは今の私の祈りでもある。(ぼ)

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