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はちこの日記(2003年10月)

ぼぼるパパの日記はこちら

2003年10月1日

ケンスケを連れてクリニックまで3往復した。クリニックで受けた検査では尿からバクテリアが検出されたそうで、膀胱炎かもしれないので明日、大学病院で詳しく検査。といっても、直接本人が出向くわけでなく、尿のサンプルをぼぼるパパに託して大学病院のラボに持っていってもらうだけ。パパ、悪いねぇ。電車のなかでこぼさないようにね。(だって、日本の尿検査みたいにふた付きの容器をくれるわけでもなく、プラスチックのコップに入れて持っていって下さいって言うんだよ!真面目な話、どうやって持って行ってもらったらいいかしらん。) でも、膀胱炎というのは、ケンみたいに割礼を受けている男の子は滅多にならない病気のはずなんだけどね。そういえば、エミは赤ちゃんの時、女の子は滅多にならないはずの「そけいヘルニア」になって手術したんだったよね。変わってるなぁ、うちの子たちは。

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今日のミッショネットでは、私のクラスには10人の女の子がいた! 普段来ている子が一人休んでいたから、全員そろえば11人だ。すごい。昨年度の倍以上!! 今までは少人数でintimate な感じでやってたけど、これだけいるとどうしてもガヤガヤしがちなので、もう少しレッスンのストラクチャーをしっかりして工夫した方が良さそう。今日は昼間が慌ただしかったので、夕方にはもうすっかり疲れて、教会へも這うようにして行ったのだけど、みんなの顔を見たらすっかり元気が出ちゃった♪

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エミが教会に持っていくためのオートミールクッキーを焼いた。妹たちに、「食べちゃだめだよ!」と厳しく言い聞かせたものの、エミが自分の部屋へ消えると、みんが早速、「ママ、これ、一つ食べてもいい?」 私はたくさんあるのだから一つくらい食べてもよかろうと思い、「ママは見てないよ。何にも聞こえないよ」と見て見ぬふりをした。みんはただちに嬉しそうに一つとってパクリ。ところが… クッキーを食べたとたんにみんの口がへの字になり、涙をポロポロ流して泣き出した。

「Mom, I feel guilty... うわ〜ん。」 私はびっくりしてみんを抱きしめた。「ごめんね、ママがあなたに悪いことさせちゃったね。ごめんね。」 

みんのこういうセンシティブなところには、私はいつも本当に驚かされる。だけど何だかとっても嬉しかった。

しかし、この感動秘話(?)には続きがある。 その後、30分くらいしてから…

エミ「ママ、みんは私のクッキー食べたでしょ?」

私 「うん。みんがエミに謝ったの?」

エミ「謝らないよ。She said, "Hey, Emi. I ate your cookie!" So I said, "What? You did?" Then she said, " Mom said I could!" (みんが「エミのクッキー食べちゃったよ!」って言うから、「ええっ、食べたの!」と言ったら「ママが食べてもいいって言ったんだもん」って言ったよ。)」

私はガックリ。 さっきは良心の咎めを感じて I feel guiltyと泣いてたくせに。 ま、姉妹同士というのはこんなものですかね。(笑)

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夕べは詩篇4:8を寝る前に祈ってから寝たせいか、よく眠れて感謝だった。

2003年10月2日

今朝は子供たちを学校に送り出すとすぐにクリニックに行き、尿をとるための袋をケンスケに装着してもらった。ついでに、大学病院に持って行く時に使えるような蓋つきの容器はありませんかと聞いたら、ちゃんとくれた。(あるんだったら最初からくれればいいのに。)それからケンにジュースを飲ませて、しばらくしてから袋にたまった尿を容器にうつして、それを大学へ行くパパに持っていってもらった。だけど、ケンはもうあまり痛がってないんだけど、本当に膀胱炎なのかな?

午後は、3時前にみんを学校へ迎えに行き、戻って来たらすぐにエミを町の図書館へ。宿題のプロジェクトで、ウィンドウズのPCを使わないといけないのだそうだ。(うちのはマックなので。)エミを図書館に落としたあと、今度はみんとま〜やをアイススケートに。もちろんケンスケも同伴。その後5時過ぎになったらスケートリンクから図書館へまわってエミをピックアップ。一旦うちに戻って、ちょうど帰宅したパパにま〜やとケンを預けてから今度はエミを5時半からのユースワーシップチームの練習のために教会へ連れていく。その足で直接またスケートリンクへ行って、まだ練習をしていたみんをピックアップ。それから帰宅して、満足に夕食をとる間もなくすぐに7時からの婦人会のリーダーミーティングへ。エミは7時からユースグループがあるのでずっと教会に残っている。ミーティングの後、エミと、エミの友達二人をピックアップして、それぞれの子供を自宅に送り届けてから再び帰宅したのが9時過ぎ。帰って来たら、パパがすでに子供たちの食事とケンのお風呂を済ませておいてくれたのでとても助かった。

これから木曜日の午後は当分ほぼ毎週こういうスケジュールになりそう。

明日は明日で、ミッショネットのスリープオーバー(sleep over)の日。みんなで教会にお泊まりする。子供たちはものすごく楽しみにしている。特にま〜やにとっては生まれて初めてのお泊まり会なので、月曜日頃から寝袋を用意して嬉しそうにしていた。 明日の午前中は10時に教会へ行って会場の整備、そして夕方は6時集合。帰ってくるのは土曜日の10時過ぎくらいになるのかな。 

土曜日は、お泊まりから戻ったら、エミをオーケストラの練習に連れていき、待っている間はみんを連れてモールでお買い物の予定。何やら買って欲しいものがあるんだそうだ。そして、夕方からはぼぼるパパに誘われたコンサートに行く。The Electrics というスコットランドのクリスチャンフォークロックバンドが、シカゴ郊外の教会でコンサートをやることをパパが聞きつけてきて、二人分チケットを入手しておいたらしい。パパにコンサートに誘われるなんて、生まれて初めてだわ。(笑)The Electricsはスコットランドのバンドなので、演奏にはフィドルやパイプも入ってケルティックな音楽を聞かせてくれる。それに彼らの『A Party Is Going On Upstaris』という歌は、イギリスのKFMのFaith Camp でもお馴染みの楽しい曲で、私もとても楽しみ。 でも、身体がもつかしら… 唯一のなぐさめ(?)は、来週の月曜日は子供たちの学校がお休みなこと。

2003年10月4日

ふう〜。お泊まり会から帰って来ました。もう、子供たちはみんなすごいエネルギーで、ほとんどの子が午前4時半過ぎまで起きていたらしい。私は二時頃にはアウト。でもま〜やも二時近くまで起きてたよ。こんなことは初めてじゃないかな。今回のお泊まり会のテーマは「Totally Free!: If the Son sets you free, you are free indeed」で、テーマに合わせたたメッセージ、ゲーム、クラフトなどが夜中近くまで続いた。でも、本番はその後から。何しろ夜中過ぎになってからの盛り上がりがすごくて、みんなパジャマに着替えたあと、マニキュア塗ったりお化粧したり、互いの髪の毛を結いあったり。そしてファッションショーごっこ。1時半頃になったら映画上映会。1時半から始めて二本も観たんだって。

朝は大人は7時に起きて朝食の用意。といっても、まっ先に自分たち用のコーヒーを作ってキッチンでしばらくくつろいでいたんだけど。そして、朝食はただドーナッツと各種飲み物をテーブルに並べるだけ。

子供たちが楽しんだだけでなく、大人たちも、普段はなかなか出来ないような深い交わりが出来て楽しかった。

あー、エミのオーケストラの練習に行く前に、シャワー浴びてこなくちゃ。

2003年10月5日

なかなか過酷な週末だった。今からもう寝るところなので、続きは明日にでも。The Electricsのコンサートはとーっても楽しかった。スキンヘッドのおじさんたちが、スコットランドのキルト姿で足を思いきり広げてエレキギターをかきならす姿は、なかなかの迫力でございました。(笑)

The Electrics:公式HP  (MP3のページからいくつか彼らの演奏を無料でダウンロードして聞くことが出来ます。ははぁなるほど、ケルティックロックね、という感じ。 ちなみにここのゲストブックに私のメールアドレスで書き込んでいるのはうちのパパです。(^_^;; )

2003年10月7日

土曜日の朝10時頃、教会でのお泊まり会から戻って来るとケンスケが嬉しそうに出迎えてくれた。でも彼は何だか調子がよくない様子で、しばらくすると頭をおさえて痛い、痛いと泣き出した。バンドエイドをつけてくれというので、無駄なんだけどな…と思いつつ、ケンスケの後頭部にバンドエイドを貼り付けた。それでしばらくは気持ちがおさまったようだったが、しばらくするとまた泣き出した。抱き上げると熱っぽい。風邪をひいたのか、あるいは中耳炎かもしれない… もうエミをオーケストラの練習に連れていく時間になってしまったので、とりあえず薬を飲ませたが、薬嫌いのケンはたちまち吐いてしまった。行かないわけにはいかなかったので後はパパに任せ、私は後ろ髪を引かれつつ出かけた。

今夜のコンサートは行かない方がいいかもしれない… そう思いつつ帰宅し、パパにケンの具合を聞くと、吐いた後はケロっとしてるから大丈夫、さあ支度をして出かけよう、と言う。でも、ケンは私の顔を見るとまた泣き出した。抱き上げるとやっぱり熱っぽい。

「ねぇ、熱がある子を置いては出かけられないわよ。子守りするエミだって可哀想だし。」

「大丈夫だよ。今日はまだ昼寝してないから、薬飲ませて寝かし付ければ、きっとぐっすり寝るよ。」

パパはそう言って薬を用意してケンに飲ませたが、昼間と同じように、飲むや否やまた吐いてしまった。

「やっぱり無理よ。私は出かけられない。悪いけど、あなた一人で行って来て。」

「はちこが行かないなら、僕も行かないよ。」パパは怒ったような口調で吐き捨てるように言うと、口をとんがらかせて階下に降りて行った。

汚れたケンスケの顔を拭いて着替えさせながら、私はため息をついた。どうしてそんな、お子さまみたいな反応をするのよ、二歳の息子が病気だっていうのに…

でも、普段の私なら、こういうとき、絶対パパに腹をたてるのだが、この日は違った。このコンサートに私と二人で行くというのが、彼にとってbig deal だったのは私にもよくわかっていたから… 6月にワーシップチームを率いるようになって以来、パパは一日も自分のための休暇を取っていない。「休みの日」があっても、私のために庭仕事をしたり、子供たちをプールに連れて行ったり、そういうのばかりで、彼自身の息抜きのための休みはまったくなかった。そんな彼が数週間前にエレクトリクスのコンサートがうちからそう遠くない教会で持たれると知ったとき、それが予定の入っていない土曜日の夜だったこともあり、彼は迷わず、喜び勇んでチケットを二枚手配した。そしてCDもオーダーしたりして、ずっと楽しみにしていた。 先週になって急に土曜日の夜に教会で大切なミーティングが開かれることが決まったけれど、それも、はちこと二人でコンサートに行く予定が入っていますので、と、パパはパスターに欠席の旨をはっきり伝えた。パスターも、他の人たちも、みんな快く受け入れてくれて、金曜日にもみんなから「明日のコンサート、楽しんでおいでね!」と言われていた。そのくらいパパは本当にこのコンサートを楽しみにしていた。

それなのに… ケンスケも、どうしてこんな間の悪いときに熱を出すの… 子供はいつも間の悪い時に病気になるものだと相場が決まっているとはいえ、よりによってこんな日に… そう思ったら悲しくて、悲しくて、泣けた。 泣きながら祈りつつケンスケに添い寝をしていると、吐いてすっきりしたのか、ケンスケはそのうちスヤスヤと寝ついた。

「ケンスケ寝たか? よし、じゃあ行こう。」何ごともないかの顔をして、ぼぼるパパが上がって来た。

「本当に行くの?」

「行くよ。」

私は覚悟を決め、彼について行った。エミには何かあったらすぐに携帯に電話するように、ケンスケは、騒いで起こすようなことさえなければ多分ずっと寝ているだろうから静かにしていなさいね、と言って。(ちなみに、エミはもう12歳で、ベビーシッターのための講習会も受けているので、普段だったら安心して任せられるのです。)

出先からも途中何度か電話を入れて、ケンスケが寝ていることを確認しつつだったけれど、結論から言えば、私たちはコンサートを堪能し、家の方も何ごともなく無事にすんだ夜だった。 ただ、私たちの留守中はずっと寝ていたケンスケだったのに、帰宅して10分もしないうちに泣きながら目を覚まし、嘔吐したのには驚いた。もしこれが私たちの留守中だったら、と思ったらゾッとした。今回は神様の憐みで守られたけど、もう二度とこういうことはしたくないから、そのつもりでいてね、とパパには言った。

その晩のケンスケは、まるで私が隣に寝ていることを確認するかのように、約1時間毎に目を覚まして泣いた。喉が乾いたというので水をあげると、そのたびにすぐに嘔吐した。明け方になってピディアライトのフリーザーポップがあることを思い出し、それを与えた。ピディアライトというのは、子供が脱水症状を起こしているときに飲ませるイオン飲料で、フリーザーポップタイプのものは、それがプラスチックの筒に入っていて、冷凍庫で凍らせてアイスキャンディーのようにして与えるようになっているもの。水分も補給できたし、熱でほてった身体には気持ち良かったのだろう、その後はわりとよく寝てくれた。

次の日の日曜日は、ケンと私は教会には行かずにお留守番。でも、ケンは昨晩のことが嘘のように、ケロっとして、ジュースでもハムでも卵でも、何でも飲み食いしていた。あれは一体何だったのだろう? 風邪に、私の留守が続いて精神的なストレスが加わったのかな。ケンスケ、ごめんね。

それにしても、こういう状況だったわりには、私もパパもコンサートはかなり楽しみました。(^_^;; 始まる前に、エレクトリクスの人と話しをすることが出来て、パパがイギリスに住んでいた時に「Party goin' on」に出会い、以来はまっています、みたいなことを言ったら、コンサートの最中ステージの上からパパに声をかけてくれて、パパのためにと「Party goin' on」を演奏してくれたのがとても嬉しかった。

ところでこの「Party goin' on」という曲、今ルークさんちのHPのBGMになっています。昨日、「BGMにアップしましたよ」とルークさんから御連絡をいただきました。感謝。(^^)こちらにアップされているのはエレクトリクスの演奏ではなく、Kingdom Faith のワーシップチームによる演奏ですが。何度聞いても楽しい曲です。

2003年10月8日

今、シカゴ近郊ではゴミ収集の人たちがストライキを起こしていて、ゴミがそのままになっている。今日でもう1週間。レストランや病院などではかなりの問題になっているらしい。もちろん、うちももう二週間分のゴミがたまっていて、かなり大変な状況になりつつある。今日、役場から「こちらから連絡があるまでは、ゴミを外に出さないで下さい」という通知が来た。この分ではストライキはまだ当分続くのだろうか。衛生上の問題もあるし、早く解決されて欲しい。

それからもう一つ、今シカゴで話題になっているのは野球のシカゴカブスの活躍。町中あちこちで「Go, Cubs!」というサインを見かける。今日はカブズの旗をひらめかせている車も見た。私はこういうことに疎いのでよくわからないのだけれど、何が起きているのでしょう? たかぽろさ〜ん、解説してくださ〜い! プレイオフって何?  

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リバイバル新聞がこの10月で7周年を迎え、10月19日号から紙面の大幅リニューアルを行なうらしい。新連載がいろいろ始まるようだが、その中でも私が期待しているのが丸屋真也師による「自立と境界線」(仮題)と細井眞師による「ワーシップ徒然草」(仮題)。えっと、紙面に出ていた広告からそれぞれについて転載させていただくと(無断でごめんなさい!)…

★「自立と境界線」(仮題):クリスチャンにとって教会での人間関係は、祝福と同時に悩みの原因ともなる。臨床心理学と牧会学を専門とする丸屋真也師が、人間関係において重要なバウンドリー(境界線)などを聖書から解説。教会での人間関係に悩む人は必読。

★「ワーシップ徒然草」(仮題):毎週日曜日に3時間におよぶ讃美礼拝を10年間続けているアッセンブリー・十条キリスト教会。牧師を務める細井眞師が、自らの体験に基づいて「ワーシップ」を語る。礼拝でのワーシップがより豊かになるために。

特に前者は、何人かの友人たちと『境界線』のコンセプトが日本でも理解されるようになりますようにと祈ってきたことに対する、祈りの答えだなぁと思ってとても嬉しい。

新連載には他にも「救いを求める女性たち」(矢野悦子さん:DVのカウンセリングの現場からの現状報告と提言)、「ゴスペルと教会に架ける橋」(粟野めぐみさん:ゴスペルクワイヤでの証し)、「狭間に生きるクリスチャン」(イスラエル在住ルツさん:イスラエル・パレスチナ双方のクリスチャンの現状をレポート)と、楽しみなものばかり。(タイトルはいずれも仮題)

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2003年10月11日

ゴミ屋さんのストライキが9日間の後、木曜日にようやく終わった。ゴミ収集車が回って来たとき、感動して思わず熱い視線を向けていたら、何を思ったのか収集車のお兄さんが、戦場から帰還した英雄のように手を振ってくれた。それでつい私も彼に拍手を送ってしまった。(笑) この9日間でたまったゴミは13500トンだって。

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じゅんぽろたん、御主人のたかぽろさんに代わって、アメリカ野球事情に関する詳細な説明、どうもありがとう! これで私もようやく少しはみんなの話しについていけそう。(笑)カブスは好調なようで、夕べもまた勝利をあげました。(^^)今朝のトリビューン紙の一面にも大きく出ていました。シカゴは今はどこへ行ってもカブスで盛り上がっています。Go, Cubs!

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久々に「これは!」と思う素敵なHPに巡り会いました。円浄好明 (えんじょう よしあき) さんという方による、「聖書概論Web ーやさしい旧約聖書研究とキリスト信仰のサイトー」というHPです。 こんなにわかりやすく、私たちの日々の信仰の歩みに関連づけた旧約聖書の解説には初めて出会ったような気がしました。聖書を解説するサイトはいろいろありますが、このサイトが傑出していると思ったのは、その解説が単なる知識の伝達に留まるものでなく、読む人をキリストのいのちに触れさせてくれることです。私は二日前、エズラ記を読んでいる時に歴史的背景を調べたくなってネットを検索していてこのサイトに出くわしたのですが、この解説のおかげで、エズラ記を私にとっても個人的にとても関連のある書として読むことが出来ました。

解説が素晴らしいのもさることながら、「聖書の読み方」というコーナーがまた必読です。聖書の中心主題はイエス・キリストによる救い(十字架を通しての罪の贖い)であり、旧新約聖書66巻すべてが、その中心主題であるイエス・キリストを指し示すものであることがわかりやすく簡潔に説明されています。

また、私が円浄さんの解説にキリストのいのちを感じたのはもっともなことで、円浄さんご自身が、「『よい解釈』とは?」というコーナーで、聖書の「よい解釈」とは、「いのちある解釈」だと考えておられるとおっしゃっています。

「いのちある解釈」とは、単に主観的な読み込みを押し付けた、感動できる解釈という意味ではありません。「ただ恵まれさえすればいい」という解釈が非難されるのはこの点です。そうした解釈がなされた場合、一時的に心は感動するかも知れませんが、後でよくよく考えてみたり、実際にその通りに歩んでみると、「やっぱり何か変だ」という気がしてきます。

また、知性を満足させるだけの学究的な解釈に終わってもいけません。知性を働かせることは必要ですし、そのような勉強も必要です。しかし、頭は満たされても、私の存在とは何の関わりももたない解釈は、わたしたち一般人が聖書に求めるものとはちがいます。良い悪いはともかくとして、これもまた「いのちある解釈」ではありません。

知性においても、情性においても、全人的に「アーメン」と告白できる解釈があるはずです。そこに必然的に「いのち」の実感がともなうのです。これが私の言う「いのちある解釈」なのです。

「いのちある解釈」への第一歩は、いのちある解釈にたくさん触れるということです。それはキリストを追い求めていくことと、同じことです。
私たちは、聖言に恵まれれば恵まれるほど、キリストを慕い求める魂へと変えられます。そうしたキリスト求道の歩みをする中で、私たちは「いのちある解釈」と出会います。

このいのちとは、キリストご自身が持っておられるいのちなのです。

アーメン! このサイトは今年の3月に始まったばかりなので、まだ旧約聖書のすべての書についての解説がアップされているわけではありませんが、これからも注目していきたいサイトです。円浄さんのHPが、これからもますます主のご栄光と聖徒の成長のために用いられますように!

聖書概論Web ーやさしい旧約聖書研究とキリスト信仰のサイトー

  -聖書の読み方を考える」(このページから、「聖書の中心」「よい解釈とは?」「解釈について」…と、是非読み進んでみてください。)

2003年10月12日

エミの友達のブリアナが、私たち家族と一緒に夕拝に来るようになった。ブリアナのお母さんはクリスチャンだけれど、シングルマザーで日曜日も働いていたりして、なかなか教会へ行くことが出来ない。それで随分前から、私たちはブリアナをうちの教会の水曜日の子供のプログラム、ミッショネットに連れて行くようになった。子供キャンプなどにもいつもブリアナも一緒に参加し、彼女のお母さんはそれをとても喜んでいた。去年からは木曜日のユースグループにもエミと一緒に来るようになり、最近ではユースワーシップチームにも加わった。昨日ブリアナのお母さんとスーパーでばったり会った時、エミがブリアナにとってとても良い影響を与えていること、私たちがブリアナを家族同様に扱ってブリアナを教会に連れて行っていることをとても感謝している、と涙を流しながら話してくれた。(彼女も私も涙もろく、スーパーの肉売り場のカウンタの前で泣きながら立ち話をしている私たちは、さぞや奇妙に見えたことだろう。笑) ブリアナは聖霊のバプテスマや異言の話しもお母さんにするのだそうだ。そのことを、彼女はとても嬉しそうに教えてくれた。夕拝にも誘ってみたら、お母さんは是非連れていってやってくれと言うので、今日から一緒に来るようになった。ユースパスターも、ブリアナが夕拝に来ているのを見て嬉しそうにハイファイブをしていた。(^^) ブリアナとエミは幼稚園の年少で同じクラスになって以来の付き合いなので、私は彼女をもう10年近く知っていることになる。私とぼぼるパパはブリアナを私たちの霊的養女だと思ってそのつもりで接している。ブリアナは今学期にはいってから、学校のクワイヤの、選抜グループのオーディションを受けた。その時彼女が歌ったのがミッショネットのテーマソングで、イエス様へのコミットメントを歌った信仰告白の歌だった。ブリアナがその歌をオーディションで歌ったと私に教えてくれたとき、私はとても嬉しく、誇らしく、彼女を抱きしめてオーディションに受かりますようにと祈った。数日後、オーディションに受かったとブリアナが嬉しそうに知らせてくれた時、私は飛び上がって喜んだ。ブリアナの信仰が、神様に向かってまっすぐ成長していることを、私は本当に嬉しく思う。ブリアナの人生に関わる特権が与えられていることを主に感謝。

2003年10月13日

米シカゴ近郊で脱線事故、100人負傷 (asahi.comより)

これ、ぼぼるパパが普段通勤に使っている路線です。事故が起きたのは日曜日なので彼は乗っていませんでしたが… これはコミュータートレインと呼ばれ、通勤に使っている人が多い路線なので、平日の夕方に脱線していたら、もっと大勢の人が巻き込まれていたことでしょう。今回の事故では幸い死者な出なかったようですが、シカゴトリビューン紙の記事によると事故当時210人が乗車していて、うち45人が負傷、5人の方が今なお病院におられるとのこと。怪我をされた方々が早く回復されますように。

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先日、いのちのことば社さんのHPを見ていたら「50人が薦める信仰を励ますこの一冊!」という記事があった。こういうのは大好きなので、誰がどんな本を薦めているのかなぁと早速覗いてみた。ところが冒頭にいきなりこんなことが。

「キリスト教界の著名な50人が、信仰を励ます書籍を紹介して下さいました。書籍の多くが品切れになっています。ごめんなさい。でも、あきらめないでください。教会の図書コーナーに、牧師室に、長老の自宅にきっと「宝」が隠れているはず。読書のなかで神様に逢えることを祈りつつ、秋の夜長をお楽しみ下さい。」(下線はちこ)

書籍の多くが品切れだなんて、なんだか、気持ちがくじかれるなぁ… さあこれから紹介しますよという時に、そんなこと言わないで欲しかった。(苦笑) しかし、記事の一番最後には小さな文字でこうあった。

「*今回の特集で紹介されている現在品切の名著や、その他の品切書籍の復刊のご要望にお応えするため、本誌2004年1月号において、久しぶりに「限定復刊」の企画をお知らせいたします。全てのご要望には、お応えできないのですが、読者の皆様からのお申し込み数の多かった書籍から優先的に復刊させていただく予定です。どうぞ、ご期待ください。」

これこそ、冒頭に大きな文字で記して欲しいよね。ここでいう「本誌」とは、月刊「いのちのことば」誌のことで、定価74円とか何とかになっているけれど、実際にはキリスト教書店でお買い物をするとたいてい無料でついてくる。 オンラインでも記事のほぼ全てが読めるので、私は密かに(?)愛読していたりします。(^^)この限定復刊の企画、楽しみですね。

もう一つ、くだらない突っ込みを。「50人が薦める信仰を励ますこの一冊!」というわりには、一人二冊ずつお薦めの本があげられていました。(笑)

50人が薦める信仰を励ますこの一冊!

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夕方、食事の支度をしていたら、遠くでガラスが割れる音がした。二階で自分の部屋を片付いているみんとま〜やが瀬戸物の置き物でも落として壊したのだろうかと、私は階段の下から「何か壊したの?」と声をかけた。すると、玄関のドアの外から何者かが「I did!」というのが聞こえてくるではないか。うちの玄関のドアは二重になっていて、内側の木製のドアは開いたままになっていたが、外側についているストームドアと呼ばれるガラスのドアは閉まっていた。ストームドアを開けて外を覗くと、裸足のケンスケがそこに立っており、彼の足下には割れた牛乳ビンのかけらが散らばっていた。

「ケン! 一人で外に出たら駄目じゃないの!」急いでケンを抱き上げ家の中に連れ戻した。

ケンが牛乳ビンを割ったことよりも、彼が一人で家の外に抜け出していたことがショックだった。油断も隙もない。もしも彼が牛乳ビンを割らなければ、私はきっとケンが外に出てしまったことに気付かなかっただろう。ストームドアは自動的に閉まってしまうので、一旦外に出たらケンには一人では中に戻ることができない。夕方一人で外にいたりしたら、通りにフラフラ出て行って車にはねられていたかもしれないし、誰かに連れ去られていたかもしれない。私はガラスのかけらを片づけながら、ケンが牛乳ビンを割ったことを神様に感謝した。鋭い破片で怪我をすることがなかったことも。

2003年10月14日

今朝、クリスチャン新聞のHPの論説のコーナーを見ていたら、東條隆進先生が書かれた文章を発見した。東條先生は経済学者で、私たちはケンブリッジの日本語聖研で知り合った。以前私の日記で「信仰とは、信念の塊になることではないんですね。信仰の究極の形は愛であり、それは『謙遜』という形で現わされるんですね」という言葉を紹介したことがあったが、これをおっしゃったのが東條先生だった。また先生からはケンブリッジ滞在中に、ハンス・ビュルキ師の『主の弟子となるための交わり』という本の学びを通していろいろとご教示を受けたものだった。今回私が発見した東條先生の文章は「新十字軍主義との決別を」というもので、短いながらも興味深いと思ったのでちょっと御紹介。

東條先生はこの記事のなかで、現在のアメリカのあり方は、コンスタンティヌス以降のローマ帝国による支配の秩序体制の手段としての「パックス・ロマーナ」をそのまま踏襲し、十字軍以来の西欧キリスト教の精神がパックス・アメリカーナとして展開されているものであること、また、日本の福音的な教会形成は、戦後アメリカの援助を受けて進められたものであるゆえアメリカ・キリスト教会の強い影響を受けているが、今やその影響がかえって日本の福音宣教、教会形成を困難なものに追い込んでいることを指摘している。そして日本の教会に対して、今こそアメリカの「新十字軍主義」と明確にたもとを分かち、はっきりとした立場を取るべきであることを提言している。

新十字軍主義との決別を (東條 隆進先生)

その通りだと思った。 正直なところ、アメリカに住み、この国とこの国の人々を紛れもなく愛し、アメリカの影響を強く受けているに違いない私にとって、このような意見にその通りと言うにはある種の痛みを伴う。それでもやっぱりそう言わずにはおれない何かが私のなかにある。日本の教会に自立して欲しい。アメリカを介することなしに、直接キリストのいのちによって養われて欲しい。私自身アメリカ人宣教師たちの働きを通して救われた者だが、彼らの願いは、キリスト教宣教を通してアメリカの植民地を広げることではなく、ただイエスの弟子をつくることであったはずだと信じるから…

「でも主よ、こうしてアメリカに住み、アメリカの地域教会を通してあなたに仕えている私は、一体どうしたらいいのでしょう? どうあればいいのでしょう?」言葉に表現し難い葛藤を覚え、今朝、私は涙ながらに祈った。

「あなたは、あなたの隣人を愛しなさい。あなたの回りを見渡して、互いに愛し合いなさいという、わたしの新しい戒めにただ忠実でありなさい。」

イエス様が私の両手を握りしめて下さっているのを感じた。 私は立ち上がり、明日のミッショネットのレッスンの準備に取りかかることにした。

*****

あう、カブス。何という負け方を。最終戦は絶対勝つんだ! 勝ってワールドシリーズへ行け!(つい先日まで「プレイオフって何?」と言ってたくせに。<自分)

2003年10月15日

珍しいこともあるもので、今、我が家のテレビでは野球中継が映っている。今夜はミッショネットでもカブスのために祈った。(笑) 女の子たちでさえ、「カブス!カブス!」と興奮していた。さすがシカゴアン。教会から帰って来たら、まっ先にテレビをつけた。その時点では五回の表で3対5で勝っていたのに、見ている間にあれよあれよと、追いつかれ、抜かされ、6対5になってしまった。今は6回の表。…あーっ、またマーリンズに点が入った! カブス、何をしている! …ガーン、何よ、カブス、ミスばっかりじゃん。 7回表、9対5になってしまった。もうテレビ消そうかな。あっ、「Take me out to the ball game」の歌を歌ってる。ふ〜ん、こんなふうにしてみんなで歌うのかぁ。 7回裏始まって、カブス、あっという間に2アウト。やる気を失ったような表情のカブスファンの顔が次々と大写しになってる。…と思っていたら、きゃ〜、やった、ホームラン! はぁはぁ。やっと9対6。 しかし… 8回裏、サミーよ、この大事な時に空振りしている場合か? 二回も続けて。… ああっ、もう。三者凡退。やっぱり駄目か、カブスだもんね。ドキドキ。9回裏、せっかく一人塁に出てるのに、もう2アウトだよー。 あああああああああああー。負けてしまった。あーん。カブスはやっぱりカブスだった。残念でした。でもここまでシカゴの人たちに夢をくれて、ありがとね。スポーツはほとんど観ない私ですら、楽しませていただきました。 さ、寝よ。

2003年10月17日

今日のシカゴトリビューンに、"Hard Lessons Learned -- Youngsters see pros fail, and try again" という見出しで、今回のカブスの負けが子供たちに教えたレッスンについての記事が出ていたが、それがなかなか微笑ましくてよかった。小中学生のカブスファンたちにとっては、水曜日のカブスの負けは彼らが今までの人生で経験した最大の失望だったろうけれど、これは彼らに人生の教訓を教えるとてもよい機会だったはずだ、というようなことが書かれていた。「人生は必ずしも自分が願ったように進むわけではない、どんなに悲嘆に暮れて泣きながら床に伏しても、必ず『明日』はやって来て、再び起き上がって前進し続けていくのだ」「どんなにエキサイティングで楽しいことでも、必ず最後には終わりがあるということを忘れるな」「人生はいつも自分の期待通りにいくものではない、しかしだからといって人生が崩壊してしまうわけでもない」などなど… マイク・ロイコというシカゴの著名なスポーツコラムニストはかつてこのように言ったそうだ。「カブスのファンであることは、その人のキャラクターを強く逞しいものにすると私はいつも思ってきた。長年カブスファンをしていると、どんなに一生懸命頑張っても、どんなに長い間トライし続けても、それでもやっぱりうまくいかないということはある、それが人生だ、ということをおのずと学ぶことになる。」 カブスのファンである以上、苦渋をなめ、涙をのみ、悔し泣きに泣くという経験は必須であるらしい。シカゴの人たちは、みんなそれを覚悟でカブスを応援し続けているのですねぇ。 ちなみに、エミの中学校でも木曜日の朝はみんな悲嘆に暮れていて、ショックで学校を休んだ男の子もいたらしいです。Lovable Loser Chicago Cubs....  強いヒーローだけでなく、負けてばかりのヒーローも悪くないね。私もファンになりそう。

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今朝は教会で月一のお母さんたちの会。今日来るはずだったスピーカーが突然来られなくなったため、急遽私が分かち合いをすることになった。"Boundaries with Kids" という本から私が教えられたことを分ちあったのだけれど、なかなか話が盛り上がって楽しかった。子供にバウンダリーを教える以前に、自分自身のバウンダリーがしっかり築けていないというお母さん、頭ではその大切さはわかっていても、具体的にどうしたらいいのかわからないというお母さんなどなど、それぞれに自分のチャレンジを分かち合い、互いに共感しあえただけでも、とても励まされた。面白いもので、これらのお母さんとは年中教会で顔を合わせているにも関わらず、深い話をする機会なんて案外なくて、結局みんな一人で自分の重荷を抱え込んでいたりするのよね。「いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い…」という御言葉は、本当に私たちにとって必要なことなんだなぁ。

約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

(ヘブル10:23〜25)

さて、明日はシカゴJCFNのバイスタの日。楽しみ。

2003年10月19日

今日ははちこ妹の誕生日。ここ見てるかなー、見てないだろうなー。おめでとねー!

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忙しい週末だった。先程教会から戻ってきたところ。先週と今週はうちの教会でミッションコンベンションがあり、今夜はポットラック(持ち寄り)のディナー会だった。インターナショナルディッシュ歓迎ということだったので、私はちらし寿司とお味噌汁を持っていった。 今日のスピーカーはモロッコへの宣教師さん。いろいろ書きたかったのだけれど、なんだかとても眠たいので、今夜はもうお休みなさいませ。

2003年10月22日

ぼぼるパパがついに車の買い替えを真剣に考えてくれている。今まで乗っていたものはそろそろ引退させてあげないと可哀想な状態(乗っている人が可哀想?)になってきたので。彼が狙っているのは2004 Toyota Sienna。レビューはこんな感じこれとか。まぁ、私にはよくわからないので、決断は彼に任せていますが。冬になる前に新しくする予定。楽しみです。でもねー、新しくなったとたんに、冬の雪道で滑ってぶつけたりしないといいなぁ。(笑)

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インマヌエル首都中央教会がインマヌエル中目黒キリスト教会に名前を変えて、HPも新しくなったらしい。リンクを直しておきました。新会堂、美しいですね!(^^)今週、ロンドンJCFの盛永先生がいらっしゃるのだとか。Oさん、よろしくお伝えくださいね♪

インマヌエル中目黒キリスト教会

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今度の土曜日はうちの教会の婦人会が主催するLadies Prayer Breakfast. 朝食とプレイズ&ワーシップ、メッセージ、そしてお祈りの4つのセグメントがあって、私はプレイズ&ワーシップのリードを担当することになっている。礼拝での讃美と違ってわずか15分と割り当ての時間が決まっているけれど、ただの「歌の時間」ではなく、みんなが主の御臨在のなかに入っていって心からの讃美を捧げるときになりますように。

2003年10月25日

一週間が過ぎるのが早い! 10月中は毎週土曜日に用事がはいっていて慌ただしかった。そうそう、明日からまた冬時間に変わる。日本との時差は今まで14時間だったのが15時間に。たとえば、日本の夜10時はシカゴの朝7時、日本の朝9時はシカゴの夕方6時、という具合。

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昨日は夕方から急に具合が悪くなってしまった。そこでかろうじて夕食の支度と、うちで持たれる予定だった聖研のお客さんを迎えるための準備だけして、あとは夜7時前に早々に寝室に引っ込んだ。ゆっくり朝6時まで休んだおかげで今朝はすっきり起床。Ladies Prayer Breakfastに出かけるまでの間は、キッチンのシンクに山積みになっていた夕べの食器類を片付けて、それから一人で礼拝。

今日のLadies Prayer Breakfastのメッセージで心に残った一言。

God doesn't call the qualified. He qualifies those He called.  神様は資格のあるものを召すのではなく、召した者にご自身で資格をお与えになる。

それからこれも。

The Will of God will never take you to where the Grace of God will not protect you.  神の御心は、神の恵みがあなたを守ることの出来ないところへまであなたを連れていったりしない。

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車は契約書にサインしてきました。納車は11月中旬から下旬になるそう。

2003年10月27日

昨日から冬時間。あえて時計の時間を戻さず、1時間余計に寝る気分を堪能。ところがそのまま時計を冬時間に戻すのを忘れてしまい、今朝は1時間早く起きてしまった。(泣)昨日は夕方からエミが参加しているオーケストラのコンサート。だから夕拝には行けないけどみんなよろしくね〜、とワーシップチームのメンバーたちに委ねたところ、楽しんで来てね♪と快く送り出してもらいました。(^^)

ある方から、HPに掲載している私の写真に関して、「おかあちゃん」という感じがしますねというコメントをいただいた。うっ。 実際4人の子供がいる正真正銘の「おかあちゃん」ですから。(^_^;;  でも、ぼぼるパパと相談して、何とか「おかあちゃん」から脱却している写真を撮れないものかと、夕べ、コンサートから戻って来たあと、パパにちょっと写してもらいました。(下の写真。掲載は期間限定。明日あたりには削除します。)でも、ケンスケがどうしても私にまとわりついて、側でいろいろパフォーマンスしてくれちゃったので、結局「おかあちゃん」写真になってしまいました。仕方ない、それが私のコーリングですものね。それにしても、この時に比べると、ケンスケは大きくなったし、私も老けましたねぇ。(苦笑)ちなみにこのケンスケは、牛になって「Moo, moo!」と鳴いているところ。

***写真ははずしました***

2003年10月28日

創刊7周年を迎えた記念号のリバイバル新聞に、リバイバル新聞の元編集長である笹井大庸氏(マルコーシュパブリケーション社長)と、同紙現編集長の谷口和一郎氏の対談が出ていた。日本のキリスト教界の流れをクリスチャン・ジャーナリストとしての立場から「本音で」語りあっておられ、とても興味深かった。そのなかで谷口氏が「私は詩篇133篇がリバイバルのモデルだと思っているのですが、兄弟姉妹が愛し合うところに神さまが油を注がれ、とこしえの祝福を命じられるということですね。互いの自己主張や対抗意識の強いところに油は注がれないでしょう」とおっしゃっておられたのだけれど、うんうんとうなずきつつちょっと思い出したことを徒然に(対談の内容とは直接関係ないのだけれど)…

去年の暮れ頃、私の教会でいろんなことが起きる前、個人的に詩篇133篇が強く示されたことがあった。私は何かとてもエキサイトしてそれを教会のために祈り始めたのだが、私の思いに反して教会はその後、分裂してしまった。ゴシップ、失われた信頼関係、無関心、辛辣な批判… そのような中で一つ思い知らされたことは、愛し合うって、人間にとってナチュラルに出来ることではなく、訓練され、学ばないといけないのだということだった。そして何より『教会』こそ、その愛し合うことを学ぶ訓練の場所なのだということ… 分裂の痛みと悲しみを通って、私たちの教会は今ようやく兄弟姉妹が愛し合うということに目覚めたような気がする。ここ数カ月のうちに気づいたのだけれど、信徒たちの間で頻繁に「Thank you」「Good job! 」「I appreciate your ministry to us」と言った言葉が交わされるようになった。以前は一握りの特定の人たちばかりが全体の8割くらいの奉仕を一手に引き受け、同時に教会内の決まりごとも一部の人たちの間で進められていく、といった感があったのだけれど、今では裾野が広がって、教会内の大勢の人たちがいろいろなことに加わり、そして互いに感謝を表しあうようになったと思う。それぞれに自分のコンフォートゾーンから一歩踏み出して、神様からの助けをいただきながらキリストの御身体に仕えている… そんな感じ。先週の土曜日のLadies Prayer Breakfastでも、今までほとんど裏方の仕事をしたことのなかったような人たちも積極的に働いているのを見ることが出来て、私はそれだけでも胸が熱くなった。とは言え、教会を去って行った人たちや前パスターとその家族に対しては、まだまだあちこちに苦みの根が残っているのも確かで、今後もいろんなレベルで取り扱われ続けていくことになるのだとは思うけれど。兄弟たちが一つになって共に住むようになるに至るまでのプロセスのなかで、神様はきっとそれを阻んでいる一つ一つの問題を明らかにされ、取り扱い、私たちを悔い改めに導き、整えていかれるのかなぁと思う。

私たちの教会では、毎週日曜日、礼拝が始まる前に小さなとりなしの祈りのグループが集まって祈っている。(本当に小さくて、おとといは私とリーダーの姉妹の二人だけだった) 前回はネヘミヤ記の8章を一緒に読んで、私たちの教会でも、このくらい人々の心が神様の前に取り扱われ、柔らかくされることを求めて祈った。この箇所でのイスラエルの民は、主の前にひざまずき地にひれ伏して主を礼拝したり、律法のことばを聞いたときに泣いたり、教えられたことを理解して大いに喜んだりしているが、そこに至るまでに、彼らは深い悔い改めの期間を通った。エズラ記の9章、10章にその様子が記されている。民が犯した不信の罪のためにどれだけエズラが嘆き悲しんだことか。またイスラエルの民も、男も女も子供達も、どれだけみんなで激しく泣き、また真剣に自分たちの間で行なわれた罪を悔い、徹底的にそれを改めたことだったか。今、新しいパスターの就任に伴い、いろいろなプログラムが活発に動き始めている。それはそれでエキサイティングだし、その中から良いものが生まれているのが確かにわかるけれど、プログラムそのものが私たちにリバイバル--霊の活性化、神様との関係の回復、いのちの再生--をもたらすわけではない。表面的には活気づいて見えるけれど、私には何か大切なことが抜け落ちているようにも見える。各種プログラムを動かすことに熱中して、肝心なことからは目を逸らしているようにも見える。

最近ヨエル書が気になって、何度か繰りかえし読んでいるのだけれど、1章に何度も「目をさまして、泣け」「泣きわめけ」「泣き悲しめ」といった言葉が出てくる。それを読みながら、私たちはもっともっと自分たちの真の姿を見据えて、神様ぬきにはどうしようもない自分たちの現状に絶望しなくてはいけないのではないか… そんな気がしている。もちろん、主の約束に基づく希望は決して失わないのだけれど、プログラムが動きだしたとか、各種イベントや集会が計画されているとか、そういうことは実は神様の前における教会の霊的健康状態のゲージにはならないのではないか… そんなことを思わされたりしている。

そしてこれは、私個人についても当てはまる。こういう奉仕をしている、ああいう宣教活動に関わっている、そういう次元で安心してしまわないで、神様が私をご覧になっているのと同じ視線で自分を見ることが出来るように…

2003年10月29日

数日前の私とぼぼるパパの会話。

ぼ (私が聖書を読んでいるところへやって来て)「ねぇねぇ、昨日聖書読んでたらさぁ、どうしてもわかんないところがあったんだけど、ちょっと質問してもいい?」

は「どうぞ。」

ぼ「箴言なんだけどね、26章。」

は (箴言を開きながら)「どれどれ。」

ぼ「ここ。4節と5節。」

は (指さされた箇所を黙読)

ぼ「『愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。あなたも彼と同じようにならないためだ。
   愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。そうすれば彼は、自分を知恵のある者と思わないだろう。 』
   …どっちなんだよっ? 愚かさにしたがって答えたらいいのか? それとも答えたらいけないのかっ?」

は(爆笑)「さぁ〜? どっちなんでしょうねぇ? そんな、私に詰め寄られても…」

ぼ「わかんないよな? わかんないよな?」

は「うん、わかんない。」

ぼぼる、納得して去って行く。

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昨日の日記は、思いがけずいろいろな方からの反応をいただきました。感謝します。(^^) なかなか個々にお返事ができないかもしれませんが、お許しください。この日記を読んで下さっている皆さんも、それぞれの場所でそれぞれのチャレンジを受けつつ、主に語られ導かれて歩んでおられるご様子にとても励まされました。具体的な状況は違っていても、皆さんと何かを共有し、共感しあえることを嬉しく思います。 Glory to God!

2003年10月30日

今日の夕方からエミは教団主催のユース大会に出かけている。場所はスプリングフィールドでここから車で4時間くらいのところ。大会は土曜日までなので明日は学校を休むことになる。なぜ学校がある時にユース大会をやるのかよくわからないけれど、本人は学校を休んででも行きたいというので、行かせることにした。ブリアナも一緒。エミが、また参加するユースたちがみんな、神様の御臨在をたっぷり味わうことのできる時となりますように。

土曜日の昼はエミが留守になるためにオーケストラの練習への送り迎えをしないで済む。今月に入って初めて何の予定も入っていない土曜日なので、ゆっくり出来そう。(^^)

2003年10月31日

うー、不調なり。突然おそってくる吐き気、めまい、悪寒。この1週間で二つも、夜に入っている用事をドタキャンしてしまった。今夜は教会でハロウィンの代替の行事。私はキッチンの手伝いをすることになっている。日曜日の午後から火曜日まではぼぼるパパがテキサスに出張して留守になる。心細い。

ま〜やを学校まで車で送り届けた帰り道、突然ひどく弱気になって神様に泣きついた時に示された御言葉。

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。

特に「慎み(sound mind)の霊」という部分がずっしりきた。

*****

先日の箴言26章4、5節に関して、現代語訳聖書からの引用を教えてくださった方がいました。

愚かな者の考えには同調してはいけない。そうでないと、あなたも同じようになる。
愚かな者には、その愚かさを分からせるために、知恵をもって答えてあげなさい。

な〜るほど、これならメイクセンスしますね! NYのT子さん、感謝します! 早速ぼぼるパパにも伝えました。(^^)

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