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ぼぼるパパの日記はこちら
2003年7月1日
以前、カナダのリージェントカレッジの教授、ジェームス・フーストン博士が「日本のリバイバルは女性の解放から始まるのではないか」とおっしゃっていたと聞いたことがある。『力と気品を身につけるーー聖書的女性像を目指してーー』(テル子・ジュディー・ミドルトン著)を読み終わったとき、このフーストン博士の言葉が私の脳裏によみがえった。そして、日本の女性の解放はすでに始まっていることを感じた。 神様は女性を男性の助け手として創られた。この「助け手」というコンセプトは私にとっても長年のテーマとして模索してきたことだったが、ジュディー師は万物の創造において、女性が創られたことの意義に始まり、助け手とは何か、どう助けるのか、助けることの本質は何か、などなど御言葉を通してとてもわかりやすく説明してくださる。また、同じ女性としてご自身の体験談も踏まえながら、私たちが日々直面しているような恐れや困難、また期待や焦燥を共有しつつ、そこから私たちの手を取って、神様のご計画に従って前進できるようチャレンジし、励ましてくださる。こういう話しはいくら男性から言われてもダメ。やはり女性から聞きたい。本書を読んでいると、なんというか、クラブの合宿で宿屋の広い一室にお布団を敷き詰めて、その上に女の子たちがぐるりと輪になって座り、枕を抱きしめながら先輩の話しをウンウンと聞いているような、そんな気持ちになってくる。ジュディ先輩は優しいけど、時に厳しいこともおっしゃる。「危機的な状況というのは突然やって来ます。そんなとき、一週間断食しないと霊性が整えられないでは困ります。いつでも『助け』となる準備ができていなければなりません。小さいことで、日々みことばに従う生き方をしていて初めて、危機的な時も慌てずに、自然に『助け』となることができるのです。みなさん、日々の歩みが勝負です。(92、3頁)」 女性にとって、『助け手』としての役割は家庭生活のなかで妻として、また母として実践されていく場合が多いと思う。この本のなかでも『家庭における女性の働き』という章でその側面から具体的に語られている。しかし、女性の助け手としての召しは、家庭のなかだけに限定されるものではない。教会で、職場で、コミュニティーのなかで、私たちが置かれたあらゆる場所で、私たちは神様が女性に与えられた素晴らしい賜物を存分に用いて、神様に御栄光を帰していくことができる。未婚の女性も然り、高齢を迎えた女性も然り。「年齢と共に体力は衰えるかもしれません。記憶力も衰えるでしょう。しかしクリスチャンは、体力や記憶力が勝負の世界ではありません。私たちがどんなに年をとっても、私たちにおられるイエスさまは永遠に元気なのです。このお方が私たちを通して働いて下さいます。クリスチャンの女性の奉仕には定年がないのです。(134頁)」 さて、私が本書を読んで個人的に語られたことは、「愛される者」よりも「愛する者」が、「赦される者」よりも「赦す者」の方が、より祝福されるという神様の真理。そして女性には、愛したり赦したりする場面が日常的にたくさん与えられているということ。神様が女性たちをご自身の働きに召すために、特別に訓練しておられるのかもしれない。こんなことを言ったら男性の皆さんに怒られちゃうかもしれないけど、神様は男性よりも女性をより愛しておられるのではないかしら!?とさえ思ってしまう。 それから、今回、先日ご紹介した上沼昌雄先生の「夫たちよ、妻の話を聞こう」と続けて本書を読んでみて、大変興味深いことに気がついた。上沼先生は、キリストが教会を愛されたように夫も妻を愛するべきなのは、妻が愛されるに値するからではなく、神様がそのように夫に求めておられるからである、教会のためにすでに命を捨ててくださったキリストの愛に対する応答として妻を愛するべきなのであるとおっしゃっていた。一方でジュディー師は、妻が夫に従い、夫を敬い、愛するのは、夫が妻の尊敬や愛を受けるにふさわしい者だからではなく、神様がそのように命じておられるからであり、私たちは神様への従順の証しとして、神様の愛への応答として、目の前にいる夫に従い、夫を愛することが求められているのだとおっしゃっている。なんと言う見事な対応! つまり、夫も妻も、互いを愛するのは、それぞれの神様に対する愛の応答であるというわけだ。これこそ本来、神様が結婚に求めておられることであり、逆にいえば、神様が間に入っていてくださればこそ、初めて結婚というものは成り立ち得るということだろうか。ぼぼるパパは、いつも私の霊的成長に気を配ってくれる。結婚して以来、ずっとそうだ。家事育児だけに追われて私が霊的に枯渇してしまうことがないように、さまざまな集会や祈祷会にいつも心よく送りだしてくれるし、ホームページや翻訳の仕事を支援してくれるのもその一環だと思う。とても感謝している。それにひきかえ、私はどれだけ彼が神様の忠実なしもべ、またイエス様から権威を担われた家庭のよき指導者であれるよう助けていただろうか。実はそういうところに私が神様をどれだけ愛しているかが現れてくるんだなぁと思ったら、何だかドキッとした。 それからもう一つ。私は個人的に、女性に生まれたことを残念に思ったことはないし、女性が男性に劣るとか、虐げられていると感じたことも特にない。むしろ私のなかでは、男性も女性も同じだと思う気持ちの方が強かったと思う。しかしこの本を読んで、神様は目的を持って私をあえて『女性』として造られたのだと改めて知ることができた。『女性』として造られた私に神様が託しておられるご計画、さまざまな賜物…それらを見い出すことは、私という人間を限定された枠に閉じ込めることではなく、むしろ今まで気付いていなかった大いなる可能性へと引っ張りだしてくれることになるに違いない。 あなたは今、何かに捕われていますか? 縛られていますか? 恐れていますか? この本を、全ての解放されたい女性たちにお薦めします。以下はジュディー師から日本の女性たちへのメッセージ。
●『力と気品を身につけるーー聖書的女性像を目指してーー』 テル子・ジュディー・ミドルトン著 リバイバル新聞社 定価1600円 ISBN4-901634-04-6 (在庫は僅少だそうです。ご注文なさりたい方はお早めに。出版社さま、再刷よろしくお願いいたしますね。(^_-)-☆) ●joy♪さんからの推薦の言葉 (joy♪さん、早速読んでくださってありがとうございます!) 2003年7月2日ああ、疲れた。今日は家族でインディアナにあるウォーターパーク(要するにプールのこと:波のたつプールとか、流れるプールとか、ウォータースライドなどいろいろなプールがある)に行って来た。インディアナといっても、私たちはイリノイとインディアナの州境の近くに住んでいるので、片道40分くらいで行ける。今日はお天気がよく、気温も上がって絶好のプール日和。みんなすっかり焼けた。そうそう、ま〜やは少しだけだけどついに泳げるようになりました。 2003年7月3日今日はうちで婦人たちの断食祈祷会があった。6月に引き続き二回め。 昼の12時に集まって、3時半まで祈ったり分ち合いをしたが、時間が過ぎるのがあっと言う間だった。その間、ぼぼるパパが下の子供達3人を連れて外出してくれたので家の中も静かだったし。パパ、いつもありがとうね。 実は火曜日にもたれたワーシップチームの練習がいまひとつ芳しくなく、気がかりだったのでみんなに祈ってもらった。うん、ほんとに、いろいろ気がかりなことがあるんですよね… 何かこう、思いばかりが空回りしているようなじれったさとか。メンバー一人ひとりが同じようなじれったさを感じていて、それがチームの中での変なテンションになって悪い方向に向きそうな、嫌な予感。駄目だよね、こんなふうにネガティブになってたら… Someone, please pray for me! 今日届いた6月29日号のリバイバル新聞に十条キリスト教会の讃美礼拝に関する記事が出ていた。この教会では、毎週日曜日の午後、3時間にわたる讃美礼拝を続けて10年近くになるんだそうだ。この教会の牧師さんのお話では、日本の教会では讃美の時間が平均15分前後のところがほとんどだとか。しかし日曜日の朝の礼拝では時間の制約があるために、この教会では午後に時間をとって「讃美、証、祈り」を中心とした『讃美礼拝』を持つようにしたらしい。 この記事を読んでいて、思い出したことがあった。うちの教会では、日曜日の朝の礼拝ではワーシップにいつも30〜35分くらい時間をとっている。時には、ワーシップと祈りだけで二時間近くの礼拝の時間を全部費やして、牧師がメッセージを省略することもあった。うちの教会の前牧師は、私たちが考えた式次第よりも聖霊様ご自身によるミニストリーを重要視していたので、プレイズ&ワーシップのなかで主が御臨在を強く現そうとしてくださっていると感じられたときには、いつでも自分が説教する時間を聖霊様に明け渡していた。前にも日記に書いたけど、彼はよく「私が一時間説教しても成し遂げられないことを、聖霊様は3分でなさることができます」と言っていたものだった。 去年の夏から秋にかけて、私たちの教会のなかで、主を礼拝することへの飢え乾きがさらに高まって、もっとゆっくりプレイズ&ワーシップに時間を取れるようにと11月頃だったか、礼拝の開始時間を15分繰り上げた。 そして、教会内で牧師一家を巡っての問題が噴出し始めたのはその直後だった。誰も、ワーシップに時間をとることに反対していたわけじゃない。うちの教会の人たちは、みんなワーシップに対して情熱を持っている。反対したのはサタンだったんだと思う。年が明けるとまずキーボードを担当していた牧師の長女が様々な非難を受けてワーシップチームの働きから降ろされた。そしてついにはワーシップリーダーだった牧師夫人も働きから降ろされた。ワーシップに時間を十分かけたいからと礼拝開始時間を繰り上げたにもかかわらず、あの頃は午前11時40分には礼拝が終わっていた。それまではいつも12時20分くらいまでやっていたのに。 ***** いろいろ書いたんだけど、どうも今日はちょっと気持ちがブルーなようで、ろくな思いが出て来ないので今日はもうおしまいにします。ごめんなさい。 2003年7月4日 独立記念日今日は休日なのに、いつも通りに目が覚めてしまった。夕べは寝る間際、ぼぼるパパに呼びとめられた。 「はちこ、ワーシップチームのこと、心配しているの?」 「うん、ちょっと…」 「大丈夫だよ、神様が始められたことだから、神様が成し遂げてくださる。はちこは何にも心配しなくていいよ。」 ***** 今日は独立記念日。アメリカ人が「自由」をお祝いする日。だけど、アメリカの「自由」はその意味がねじ曲げられてしまっていないだろうか。「自由」が罪へのフリーチケットのように用いられていないだろうか。何というか、アメリカは「自由」の奴隷になっている気がする。 『Transformations』という世界各地のリバイバルを取材したドキュメンタリービデオを製作した、Sentinel Groupの代表、ジョージ・オーティスから来たニュースレターにこんなことが書いてあった。 ==== 今年の始め頃、ある著名なアメリカの上院議院から電話がかかってきた。彼は仕事に関わることで大変重要な決断を迫られており、何人かのクリスチャンリーダーたちに相談しているということだった。彼はこう尋ねた。「What is God saying?」 彼の話しによると、この質問に対する各クリスチャンリーダーたちの答えはバラバラで、彼いわく、「神が混乱しているか、みんなが単なる個人的な意見を言っているに過ぎないかのどちらかです。」 オーティス氏はそれを聞いたとき、心臓を射抜かれたかのように感じた。国が非常事態に直面している今、アメリカでもっともパワフルなリーダーの一人がクリスチャンたちのところに来て、「神は何と言っているのですか?」という非常に大切な質問を向けているのに、クリスチャンたちにはそれに対する答えがないなんて… 日々の喧噪のなかに埋もれて、クリスチャンたちは神との近密な関係を失っている。神の御声を聞き分けられなくなっている。もしも私たちが神から聞いていないのなら、私たちには到底この世に対して神の知恵や導きを示すようなことは出来ない… 驚くべきことに、9-11の悲劇は、私たちの生活に結局ほとんど何の変化ももたらすことがなかった。クリスチャンリサーチ会社のジョージ・バーナの言葉を借りていうなら、あのテロは、神の御臨在の力をもって人々の生活を変えることの出来る素晴らしい機会を教会に呈示していたのに、今やその機会は、ほとんどなんの実を結ぶこともないままに去っていってしまった。 もし9-11がウェイクアップコールであったのなら、私たちは明らかにそれを逸したのだ。公にも、個人的にも。神の御声を聞くために静まるかわりに、私たちはかえってさらに深く喧噪のなかに落ち込むことを選んだ。私たちは気を紛らすことを自分から求めた。そしてあの悲劇からわずか数週間のうちに、元通りの日常生活のなかに埋没していった。しかし、混乱と恐れは今なお人々にまとわりついている。私たちが本当に逸らしたのは、他でもない神の御声だけだった… もし教会が立ち上がるべき時があるなら、今こそその時だ。しかし残念なことに現在のアメリカのキリスト教界は霊的に衰弱しきって低迷している。単なる宗教的惰性に陥っている。クリスチャン同士の交わりは数の上では増えているが、しかしその多くのメンバーたちは霊的に成熟できないでいる。たくさんのプログラムは行なわれている。しかしそこには神への恐れがない。CSルイスはThe Great Divorceという著作のなかでこのように言った。「There have been some who were so occupied in spreading Christianity that they never gave a thought to Christ.... It is the subtlest of all the snares. キリスト教を広めることにあまりにも捕われすぎて、キリストを全く意に介さなくなってしまった人たちがいる。これこそ、全ての罠のうちでもっとも巧妙な罠である。」 私達の多くがこの不健康な状況に気付いていない。ラオデキヤ症候群に流されて、自分たちの妥協した状態を普通のこと、いやそれどころか、祝福されているとさえ思い込んでしまっている。… ==== このニュースレターを読んだとき、胸が締め付けられる思いがした。 今は午前9時前。今日はこれから独立記念日のパレードだの花火だの、いろんなイベントがある。だけど私は一日を静かに過ごしたい。イエス様の御声に耳を傾けるために。 2003年7月5日お友達のサイト紹介。シカゴJCFNのメンバーの天野冬樹くんの日記サイトです。フユキくんは1980年生まれの現在大学5年生。(あれ、もう卒業したのかな?)会うたびに髪の毛の色が違います。青だったりブロンドだったり紫だったり赤だったり真っ黒だったり。(笑)12歳のときに御家族でアメリカに来た彼は、日記もバイリンガルなので、ここを読めば英語のお勉強にもなるかもしれません。(^^) 6/26の日記にはこんないい事が書いてありました。(無断転載ゴメン!)
ところで6/22のシカゴJCFN焼き鳥大会についての日記では、「はちこさんには今回もかなり笑わせてもらいました」って書いてあったんですけど、『今回も』って、何よ〜!(笑) ●fooky11's Xanga Site By 天野冬樹くん 2003年7月7日今日はエミを歯列矯正専門の歯医者さんへ連れていった。歯列矯正専門だから、患者さんは子供が圧倒的に多いのだろう。オフィスはキッズフレンドリーに飾り付けされていて、いかにも楽しそう。待ち合い室には子供向けの本やおもちゃ、各種ゲームがあり、さらに付き添いの大人のためにコーヒーや紅茶、クッキーまで用意されていてびっくり。 診察室は熱帯雨林のテーマのデコレーションで、壁紙はジャングル模様、天井からはオウムやサルのぬいぐるみなどがぶらさがっていた。受付の人も、看護婦さんも、もちろん歯医者さんも、みんなとても親切。子供が通院を嫌がらないように、工夫をこらしているのがよくわかる。それだけじゃない、子供たちが装着するブレース(歯列矯正装置)の部品も、カラフルな色が取り揃えてあり、子供が自分の好きな色を選べるようになっていた。色のチョイスのなかにはglow-in-dark(暗闇のなかで光るもの)まであったよ。(笑) エミは今日は一回めなので、まずコンサルテーションから。特別な部屋で、看護婦さんに渡された資料をながめなら先生を待つ。今日のエミは先日のキッズキャンプで買ってきた「My Hero... Jesus」と書いたTシャツを着ていた。先生が入って来ると、ニコニコ自己紹介しながらエミや私と握手。そしてエミのTシャツに気がつくと、「Who's your hero?」 エミは臆せずTシャツを見せながら「ジーザス」と答えた。先生は驚いたように「Oh! That's good. Wonderful.」 私はその時、まさか子供相手に嫌味を言ったりしないよね…と内心ヒヤリとした。 その後、先生はエミの歯を見てあれこれ説明しながら、この歯科医院の治療方針などについて説明をしてくれた。話しが全部終わると、先生はこう言った。 "Well, before letting you go, I would like to say that it is very commendable and admirable that a young person like her is willing to stand up for her Savior. I myself is a believer, so I really appreciate her openess about her faith. It is very encouraging." なんと!この歯医者さんはクリスチャンだったのだ! 私は感激して思わずポロリと泣いてしまった。このオフィスがこんなにも患者さんへの配慮が行き届いているのは、単に彼がビジネスを成功させたいためというのでなく、彼の信仰の現れなのかな、と思ったりもした。 クリスチャンの歯医者さんに巡り合わせてくださった神様に感謝。 2003年7月9日最近ずっと天気が悪い。シカゴの夏にはありがちな天候で、朝はきれいに晴れているのに、午後になるとだんだん曇ってきて、夜になると雷が鳴り響く大嵐になるというパターン。ここ数日も、毎晩のようにものすごい嵐が来ている。昨日の新聞には嵐のせいで大木が根こそぎ倒されている写真が出ていた。うちの庭でも、数年前に嵐でポプラの木が倒れたことがあったっけ。今年は木は無事だけど、実をつけるのを楽しみに待っていたトマトがどれもこれもなぎ倒されてしまった。支えを立て直したけど、茎が傷ついちゃったんじゃないかな。ちゃんとトマトできるかな。 英語の表現に「体調が悪い/気分がすぐれない」という意味で「under the weather」という言い方があるが、こんな天候のせいか私もこのところ文字どおりunder the weather で、今ひとつ気分がスカッとしない。なんだか疲れて、ほぼ毎日午後になるとケンスケと一緒にお昼寝している。 今日もお昼寝したのだが、妙な夢をみた。河口湖では今ラベンダーが見頃で美しいらしい、なんていうことを考えながら眠りに落ちたはずだったのに、スーパーでイカ飯を買っている夢をみた。二個ずつパックになっているものを、どれが一番美味しそうかしら、などと丹念に見比べながら選んでいる夢だった。 でも夕べ見た夢はもっと奇妙だったかもしれない。隣にお金持ちの華僑が越してきて、とても教養のある一家らしく、飼っているニワトリまで英語が堪能だった。セサミストリートに出てくるビッグバードのように大きなそのニワトリが、なぜかうちの庭に巣を作ったので覗きに行くと、ニワトリはこう言った。「ダニエル・デフォー、持ってない? 『ロビンソン・クルーソー』が読みたいんだけど。」私は答えて言った、「日本語版なら持ってるけど、あなた、さすがに日本語は読めないでしょ?」 ***** エミが今までレンタルしていた3/4のバイオリンを返却して、改めてフルサイズのものを購入した。レンタルしていたものとは素人の耳にも音色が格段に違う。先月受けたシカゴ南部郊外のユースシンフォニックオーケストラのオーディションに受かったので、9月からは練習やコンサートで忙しくなりそうだ。練習は毎週土曜日、コンサートは年に3回、イベントが3回だって。コミットメントが求められるのはエミだけじゃない。片道30分の道のりを車で毎週送り迎えすることになる親(=私)の方も大変だ。でも、エミがやりたいのならやらせてあげなさい、とぼぼるパパも言ったので。 ***** ワーシップチームに新しい青年が加わった。彼はドラムス担当のジェフの息子で、子供の頃は親と一緒に教会に来ていたらしいが、ここしばらくはずっと離れていた。ジャズバンドでドラムを叩いているという彼は、さすがにとても上手。彼にとって初めての曲でも、難なくいい具合にドラムを入れてくれる。ジェフがリクルートしたらしい。夕べの練習ではジェフが側について息子の様子を監督していた。これがきっかけで、ジェフの息子さんも教会にもう一度つながって、あらためてイエス様に出会って欲しいと思う。きっとジェフもそう願っているに違いない。 そういえば練習が始まる前に、ジェフがぼぼるパパに、今回のような状況でワーシップリーダーに立てられる器として、ぼぼる以上の適任はいないと思う、と言ってくれた。ぼぼるパパが「しかし僕は音楽の専門的なトレーニングは何も受けていないし…」と口ごもると、「いや、君には心がある。それが一番必要なんだ」と言った。チームの人たちが、このようにぼぼるパパのリーダーシップに対してconfidenceを持ってくれることこそ今一番大切なことの一つだと思っていたので、私はそれを聞いてとても嬉しかった。先週は落ち込んでいた私も、これで浮上できそう。神様、感謝。お祈りくださった皆さんにも感謝。 *****
2003年7月11日今日は同じ教会の若い子の結婚式。大学を出たばかりだからまだ22歳くらいのはず。私たちがシカゴに越して来たばかりの頃は、まだ今のエミくらいの子供だったのに。時が流れるのは早い。こんな調子ではエミもあっという間にお嫁にいってしまうんだろうか。 ディナーで出されたシャンパンは、アルコールが除去されているとラベルに書いてあったけど、でもやっぱり少しアルコール分が残っていたんじゃないかしら。何だか頭がボーっとしてる。 ***** 私信:ぼぼるパパ、冷蔵庫のなかのラズベリーは、夜中に食べてしまわないように。明日、サーモンのラズベリーソースがけを作る予定なので。それから、クリーニングに出してあるパパのスーツとYシャツを明日取って来るのを忘れないように、リマインドしてね。 2003年7月13日日曜日ごとに、神様の真実と恵みと憐れみを目の当たりにしている。イエス様を霊と真とによって礼拝したい、だたその思いだけを持って集まる私たちを、御霊ご自身がワーシップリーダーとして導いてくださっているのを実感する。 来週は、牧師候補の人がオレゴンからやって来る。金曜日には役員たちとディナー、土曜日にはオープンハウスがもたれ、教会員の人たちが自由に牧師候補の先生とその御家族と交わりを持つ。そして日曜日には彼が説教をし、礼拝後ただちに、彼を牧師としてうちの教会に招聘することを承認するための投票が行なわれる。ここまでのプロセスは、長かったような、短かったような… 千鳥足でよたよたやっていた私たちをずっと守り支えてくださっていた主に感謝。 今日の礼拝は、パスター・ウィルソンが来てメッセージをしてくださった。 パスター・ウィルソンは今ではリタイヤしているけれど、私たち家族がこの教会に初めて来たときにここの牧師だった人。私たちが来て間もなくの頃、このようにおっしゃられたのがとても印象に残っている。 「この教会があなたがたにとって祝福となることを願うと同時に、あなたがたもまたこの教会にとっての祝福となって下さることを期待していますよ。」 これは、私にとってパラダイム転換ともいえるほど画期的なことだった。なぜなら、それまでの私は、教会とは恵みと祝福と教えと交わりを受ける場所としてしか認識していなかったから。自分が教会にとっての祝福になるかなど、考えたこともなかったのだ。この時以来、「私たち夫婦がこの教会にとっての祝福になれますように(make us a blessing to this church)」というのが私たちの日々の祈りの一部となった。 パスター・ウィルソンは、今朝、このようにおっしゃった。 「もしもリバイバルが欲しいなら、イエス様ご自身を求めなさい。いくら完璧な牧師を求めても、そんなものはどこにも見つけることはできません。 むしろ、イエス様ご自身を求めなさい。イエス様に近付けば近付くほど、あなたがたの羊飼いとして立てられた牧師のうえにある、神のご計画と御心をあなたがたも知るようになり、それによって牧師のことも愛と感謝をもって受け入れられるようになるでしょう。」 2003年7月14日今日は下の三人を連れてプールで午後二時間ほど過ごした。んー、心地よい疲れ。 ***** ある人から、「神様が(自分の人生に)介入してくださるように毎日祈っています」というメールをいただいた。これは何と大切な祈りだろう。神様が絶対こたえて下さる祈りの一つだと思う。私たちの人生に介入することは、他でもないイエス様ご自身が一番願っておられること。だけどイエス様は御自分から無理矢理押し入って来るようなことはなさらず、私たちが扉を開いてイエス様をお招きするのを待っておられる。 だから、「私の人生に介入してください」と祈ったなら、イエス様は必ずそうしてくださる。そしてそれを期待しながら毎日を生きていく時、きっとだんだん見えてくる。あなたの人生のなかで働いておられる、イエス様の御手が。あなたを支え、導き、時に与え、時に取られ、時に引っ張り、時に押しとどめ、時に壊し、時に建て直し… あなたを御子に似た姿に変えていくために、全てを相働かせて益となしてくださる主の御手が。 ***** ある人間関係で自分のなすべきことがわからずに混乱しているとメールを下さった方へ。 おっしゃる通り、ローマ書12:18には「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」と書いてあります。ここで私たちが明確にすべきなのは、神様の前で私たちの責任が問われるのはどこまでか、ということだと思います。パウロは「自分に関する限り」と言いました。自分の言動に関して謝罪するなり、和解に向けて働きかけるなり、あなたがすべきこと、出来ることについてはあなたが責任をもってすべきでしょう。しかし、それに対する相手の方の反応に関しては、あなたには何の責任も義務もありません。それは、その方と神様の間の問題です。一方で、相手の方があなたが差し出した和解の手を払い除けたとしても、怒りや苦味などのネガティブな感情に蝕まれないように、ふさわしくない思いに振り回されないように、自分の心を見張るのはあなたの責任です(箴言4:23)。 あなたが混乱しておられるというその人間関係において、どこまでがあなたの責任として神様から問われている範囲なのか、もう一度神様に尋ねてみてはいかがでしょうか。私たちは、示された責任の範囲内のことに集中していればいいのだと思いますよ。そして、範囲外のことは静かに主の御手に委ねましょう。明け渡しましょう。私たちには他人の心や言動を変えることは出来ないし、変える責任もないのですから。取り急ぎ、日記レスでごめんなさい。御霊ご自身が、必要なことを明らかにし、助けてくださいますように。 2003年7月15日「Severe thunder storm warningが出てるよ! 地下室に避難するようにってネットで流れてるから、起きて!」 明け方5時頃、ぼぼるパパに揺り起こされた。ぼんやりした頭で地下室に降りていくと、子供たちは4人共すでに全員集合していた。(何で私が一番最後なの?)外では確かに雷や雨の音が聞こえているけど、そんな、避難しなくちゃいけないほどなの? 私が眠くて不服そうにしていると、「インターネットのレーダーで見たら、本当にすごいのがちょうどこの町の上を通りそうなんだよ。ゴルフボールくらいの大きさの雹も降ってるらしい」と彼。雹が降ったって、別に屋根が飛ばされるわけじゃあるまいし、竜巻警報なら避難するのもわかるけど、何も嵐くらいでこんな時間に起こさなくても… 私はなおも納得がいかなかったけど、とにかく眠かったので黙って地下室の床にコロン。一方子供たちは結構楽しそうに、見ていた夢の話しなどで盛り上がっていた。ケンスケも地下室に置いてあるおもちゃで嬉々として遊んでいた。一時間くらいたって嵐も過ぎた頃に、またみんなで二階に戻る。何ごともなくて良かったけど、今日は一日中眠かったよ。このあたりで、朝5時に起きてわざわざ避難したのなんて、うちだけだろうな。そもそも、朝の5時にまだ起きててパソコンに向かって仕事してる人なんて、うちのパパ以外にいる?(笑) ***** 7月6日号のリバイバル新聞に、「奮闘するキリスト教書店」という特集記事があった。ここ数年、閉店に追い込まれるキリスト教書店は少なくなく、出版社側もどこも経営が厳しいらしい。この記事を読みながら、ふと思い出したことがあった。 私が『ヴァインの祝福』の翻訳をしていた頃のこと。教会の友人のローラに「今、『Secrets of the Vine』という本を翻訳しているので、お祈りに覚えていてね」と話したら、彼女は、「ああ、その本、昨日Sam's で見たけど、今度キリスト教書店で買おうと思って買わなかったの。」と言った。Sam's というのはいろんなものが廉価で買える大型ディスカウントストア。食料品、衣料、文具、各種家電、電話、メガネ、CD、ビデオ、そして書籍… 書籍のコーナーにいくと、Sam'sのオーナーはクリスチャンなんだろうか?と思うほど、聖書をはじめ、その時々でベストセラーになっているキリスト教書もズラリと並んでいる。私はSam'sで欲しい本を見つけたら、いつもためらわずに買っていたけど… 多分私はそのとき不思議そうな顔をしたのだろう、ローラは続けてこう説明した。「最近キリスト教書店は経営難らしいから、私たちの町のキリスト教書店がつぶれてしまうことがないように、キリスト教書やCDは、そのへんのスーパーやディスカウントストアじゃなくて、ちゃんとキリスト教書店で買うようにしてるのよ。」 偉い! そう、実際アメリカではそのへんのスーパーやディスカウントストアでも、キリスト教関連の商品でも売れ筋のものなら簡単に手に入る。 だけど、「売れ筋」のもの以外だと、やはりキリスト教書店でないとだめだ。そして書店にとっては「売れ筋」の商品は貴重な収入源なのだと思う。だから「売れ筋」の品の販売が一般のスーパーやディスカウントストアに持って行かれてしまうと、彼らにとっては厳しかろうと思う。書店がつぶれてしまったら、私たちだって困る。自分の町のキリスト教書店をサポートするために、そこで買い物をするという彼女の言い分はもっともだと思った。もちろん、一般のお店でキリスト教関連商品が扱れていること自体は、クリスチャンでない人たちにも販路が広がるという意味で、大変結構なことだと思うけれど。 そもそも、キリスト教書店や出版社と私たち信徒の関係は、単なる「販売者/生産者」と「顧客/消費者」の関係にとどまるものではないと思う。書店や出版社はビジネスとして以上にミニストリーとして自分たちの働きを捉えておられるだろう。良質のキリスト教出版物はどれだけ私たちを霊的に養い、建てあげることか。またどれだけ伝道にも役立つことか。だったら私たちも、ただの「消費者」ではなく、同じ主の御身体につながる者として、「文書ミニストリーを支える」という意識を持ってもいいのではないかしら。 たとえば、キリスト教書やCD類は、人から借りるのでなく、自分で購入するとか。いや、最初は借りてもいいかもしれないけど、実際自分にとって役に立つと思ったなら、あらためて購入するようにするとか。そして、自分の分だけでなく、お友達にもプレゼントできるように余分に購入してみるとか。私もしばらく前に、とても気に入ったケイ・アーサー師の本があったので15冊ほど購入して友達に配ってまわったことがあった。でもうっかりして自分の分をとっておくのを忘れて全部あげてしまい、改めて自分の分を買おうと思ったらすでに絶版になっていてとてもがっかりしたんだったっけ。(笑)アメリカのキリスト教出版も回転が早いです。新刊がどんどん出るけど、絶版になるのも早い。ま、これは余談ですが。 前述の記事のなかで、キリスト教書の三つのオンライン販売サイトが紹介されていたので、ここでも御紹介。 ●CLC Books 検索も可能、偏り少ない書籍紹介 ●小牧者出版 小牧者出版の書籍を1900円以上購入の場合、送料無料 ●いのちのことば社 動画配信も行う凝ったサイト、商品紹介は自社のみ 2003年7月17日いのちのことば社さんが「2003 真夏の読書キャンペーン(7/10~9/30)」というものをやっているらしい。キャンペーン対象になる50冊の書籍があって、それらの本の帯の袖部分に付いている応募券を集め愛読者カードに貼付して送ると、集めた応募券の枚数に応じて、オリジナルグッズがもれなく当たるのだそうです。(「もれなく」という言葉に弱いのは私だけ?) あるいは、キャンペーン対象書籍のどれかの感想文を書いて送ると、やはりもれなく特製グッズがもらえるのですって! しかも優れた感想文はことば社さんが発行している「月刊いのちのことば誌」とホームページに掲載され、全国共通図書券がいただけるのだそうですよ。 皆さん、是非ふるって応募してみては? ***** 再び友人のホームページ紹介。今回は、巡回音楽伝道師、米田浩司さんのHP、「米田ひろしミニストリー」です。カリフォルニア州フラートンの葡萄の木国際フェローシップ教会宣教師として、日本、アメリカを始め、韓国、ヨーロッパなどを巡回して各地で伝道コンサートを開いておられます。HPの紹介ページによると、「9年前から日本語のオリジナルの賛美を通して音楽活動を開始。流しのようにギターを抱え全国各地の教会、施設、居酒屋、ライブハウスなどで福音を歌っている」とのこと。また、10代から20代の初めの頃に引きこもりと鬱をご自身が体験したこともあり、同じような苦しみを持つ中高生のために家庭訪問コンサートも行なっているそうです。 何年か前に、奥さんの由美ちゃんと一緒にシカゴの私のうちを訪問してくださったおりに、私も浩司くんのナマの歌を聞かせていただきましたが、『癒し系』という表現がぴったりの優しい歌声、優しいメロディに、心が洗われる思いでした。 CDの販売許可さえもらえるなら、謝礼なしで教会、家庭、学校など必要のある場所で証、メッセージ、 コンサートをしてくださるそうです。HPから申し込みが出来ますので、興味のある方は是非問い合わせてみてください。また浩司くんのオリジナル讃美CD『心の扉』、『Testimony』の視聴、注文もHPから出来ます。私はどちらのアルバムも持っていますが、両方ともお薦めです。 2003年7月18日今日はま〜やの6歳の誕生日。朝から二人でチョコレートケーキを作った。 午後は美容院へ。夕方からは牧師候補の御家族とうちの教会の役員及び「教壇委員」とその配偶者たちで一緒に食事。役員の一人の自宅での持ち寄りディナーで、私はサラダを持っていった。ドレッシングははちこ特製…というほどでもない、日本人なら誰でも作りそうなお醤油味のドレッシング。ところがこれが、いつも非常にウケがいい。日本食は苦手というアメリカ人でも、このお醤油味のドレッシングだけは気に入ってくれる。ただお醤油とオイルと米酢を混ぜて、胡椒とガーリックをパパっと振るだけのものなんだけどね。今日も複数の人からドレッシングのレシピを教えてと言われた。きちんと計って作ったことないので、困っちゃう。 ***** 夕べはまた嵐だった。今年の夏は例年以上に嵐警報が出ることが多い。今朝になってみたら、町中あちこちに木が倒れていた。停電も多かったらしく、うちは大丈夫だったんだけど、場所によっては夕べからずっと停電で、復旧までに3日かかると言われているところもあるそうだ。 2003年7月19日夏風邪をひいたっぽくて、ちょっと喉が痛い。午後は教会でのオープンハウスに行く予定だったのだけど、明日に備えて、今日はゆっくりお休みしました。 お休みしてたら、日本から分厚い封筒が。 きゃー、ホープチャーチのF子さんからだー! ホープチャーチでは先月末にワーシップ聖会が持たれたのだそうですが、そのときのメッセージのCD5枚と、聖会後の日曜日のスティーブン・ケイラー師のメッセージテープ、そしてホープチャーチのライブワーシップCDの第二弾を送ってくださったのですぅ〜。嬉しい! 早速ケイラー師のメッセージ「主を賛美する新世代」と、聖会の初日のメッセージのCD「礼拝の情熱に火をつける」を聞いた。今の私にとって、あまりにタイムリー、ぴったりのメッセージ。イエス様、感謝します。F子さん、どうもありがとう! 早く続きも聞きたいけれど、一気に聞くのはもったいない(?)ので、一枚一枚丁寧に聞こう。 ***** 私信:パパへ。crosswalk.comでスチュアート・タウンエンドのインタビュー記事見つけた! ●10 Questions With Stuart Townend 2003年7月20日ああ、今日はいい日。嬉しい日。うちの教会の新しい牧師が決まった。礼拝後の投票の結果、95%以上の承認が得られ、拍手をもって新しい牧師が迎え入れられた。 ハレルヤ!イエス様、この5ヶ月間、混乱と不安のなかにいた私たちを、忠実に守り導き続けてくださったことを感謝します。御霊の風が、今また私たちの教会のなかで新たに吹き始めたのを感じます。私たちに新しく与えられた牧師は、この群れのためにあなたご自身がお選びになった、あなたの器であることを信じ、感謝し、あなたの麗しい御名を讃えます! 私たちの教会を祈りに覚えて下さっていた皆さん、本当にどうもありがとうございます。皆さんのお祈りがなければ、私もぼぼるパパも前進し続けることが出来なかったと思います。皆さんのうえにも主の豊かな祝福がありますように! ***** 夕拝から帰って来た。もう、嬉しくて嬉しくて、幸せで幸せで、賛美がどうしようもなく溢れ出てくる。私が今感じているこの喜びと幸福感は、この5ヶ月にわたる試練を通ることなしには得られないものだったと思う。主は本当に素晴らしい。主に信頼するものは、決して失望することがない。二月の日記を読み返すと、あの頃の動揺や不安がありありと思い出される。でもそれ以上に今私の心を打つのは、あの混乱の直中にあって、神様はものすごくはっきりと私に語り、励まし、進むべき道を示し続けてくださっていたこと。時には御言葉を通して、時には友人の言葉を通して、時には賛美の歌を通して… 主の真実を思うとき、私はただ感謝に溢れる。御名を賛美せずにはおれない。御座につかれたいと高きお方を、この全地宇宙を造られた全能の神を、恵みと慈しみに溢れた愛なる神を、聖なる、聖なる、聖なる万軍の主を、礼拝せずにはおれない。 O, Lord, I am ready. I am ready to see whatever You might have for this church. I am ready for new wine. Pour out Your Spirit. I am ready! 2003年7月21日昨日、私のサラダドレッシングのレシピと取り替えっこしたオリビアのデザートレシピ。これ、すっごく美味しかったの。
***** 冷蔵庫のなかを片付けていると、時々、何だかよくわからない気持ちの悪いものが出てくることがある。そういうことって、ないですか? 主婦の皆さ〜〜ん!? ***** 庭のズッキーニが2本ほど実をつけている。万歳! 今年はズッキーニ初挑戦だったのです。 まだ先の方に花が残っているから収穫までにはもう少しかかるだろうけど、毎日気をつけて見てなくちゃ。ズッキーニって、放っておくと、どんどん大きくなっちゃうのだ。収穫時期を逃して数日ほったらかしにすると、たちまち大根サイズになってしまう。一方、トマトの方は今年はあまり期待できなさそう。今年の夏は変な天気が続いているからかな。 2003年7月22日メールの件は原因が解明されたようなので、削除しました。 ***** 日本のはちこの母教会から送られてきた週報に掲載されていた、水上祥蔵牧師のメッセージの一部要約。タイトルは『真の立ち返り』
このメッセージ、改めて心に染み入るものがあった。私は14歳のときにイエス様を救い主として心に受け入れた。その時点から失敗知らず、罪知らずで順調な歩みをしてきたかというと全くそんなことはなくて、よくもまぁここまで、と言いたくなるような、アブラハムも顔負けの失敗をたくさんしてきた。だけど神様はアブラハムに示してくださったのと同じ真実を私にも示してくださった。14歳の春のある日曜日、あの小さな教会の小さな部屋の畳のうえで、私が祈った小さな祈りを神様は喜び受け入れてくださった。そしてその祈りを私よりも神様の方が忘れることなく覚えていてくださり、私が落ちるたびに何度でもその場所まで連れ戻して下さった。今私がここにこうしているということ自体が、神様が真実なお方であることの証だ。
2003年7月23日物理の田崎先生のところで山本義隆さんという方による物理の本の書評が紹介されていて、ぼぼるパパがいたく感激していた。 「山本先生! なつかしい! 僕も駿台の夏期講習で山本先生から物理習ってたよ! いやぁ、なつかしいねぇ。」 私にはよくわからないことなのですが(物理関係者の皆さま、ごめんなさい)、ぼぼるパパへの愛と敬意をこめて(?)こちらでも御紹介。 ちなみに、山形浩生さんによる書評は、さすが、名文ですね。素人の私でも感動しました。 ●「日々の雑感的なもの(7/23/2003)」 学習院大学 田崎晴明先生 ***** ぼぼるパパへ:土曜日のミツワの件、了解。うなぎ買って来ようね♪ うなぎといえば、あれは多分私がまだ小学生の頃のことだと思うが、ちょっと恐い思い出がある。法事だったのかなぁ、父の実家(高知)に親戚が大勢集まっていて、祖母が台所でうなぎをさばいていた。冷凍庫で凍らせた生きたうなぎを取り出して、まな板にキリで目のあたりをズドンと打ち付け、まだ凍っているうちに包丁でツツーっと割く。浮き袋に刃先があたると「キューン」とまるでうなぎが泣いているかのような音をたて、後ろで見ていた私は切なくなった。暑い真夏のこと、ちょっともたついていると、うなぎが解凍されてまな板の上でニュルニュル動きだす。黒くて、太くて、長いやつが。その光景がまた子供の目にはキョーレツで。 後から食事の時間に出されたうなぎは、上半身(?)は頭がついたまま、下半身(?)は尻尾がついたまま。 頭がついたままのうなぎは、私にはどうしても食べることが出来なかった。実際、まな板にキリで頭を固定されたうなぎがニョロニョロ激しく動めく光景が脳裏から離れず、その後何年ものあいだ私はうなぎが食べられなかった。実は今でもちょっと苦手だったりする。いえ、ちゃんと食べられますけどね。 それにしても、あの時のうなぎは四万十川のうなぎだったのかな。だとしたらあまり食べなくて、もったいないことしたね。 2003年7月24日今朝、聖書を読んでいて思わず「うっ」となった箇所。
私も、日に焼けたくないのに、黒いのです。(泣) ***** 家族で外食してたら、男の人が女の人にプロポーズしている場面を目撃してしまった。今日はその女性の誕生日だったらしく、ウェイトレスさんたちが誕生日の歌を歌いながらケーキを運んできた。ここまではよくあることで驚かなかったけど、その直後、男性が「I have something to say!」と叫んで立ち上がると、ズボンのポケットから指輪のケースを取り出し、ふたを開けながら彼女の前にひざまずいた。「○○○(名前は聞き取れなかった)、I love you. Will you marry me? 」女性は「Yes, I will」と答え、周りのお客さんたちの視線が集まるなかで、キスをしていたよ。まあ〜、素敵ねぇ!もちろん周りはみんな拍手喝采。このお二人に祝福がありますように。(^^) 2003年7月25日リバイバル新聞7月20日号のコラム『後の雨』で、編集長谷口和一郎氏が「『霊的戦い』は、愛し合うという現場でこそ最も激しいものがある」と書いておられた。数日前にある方からいただいたメールのなかでもこの谷口氏の言葉にふれられており、その方ご自身もこのことについてずっと示されていた、とおっしゃっていた。愛し合う現場での霊の戦いの方が、神社・仏閣の類の霊の戦いよりも、はるかに身近で高度であると感じている、と。私もこのお二人のおっしゃることに実感をもって同意する。 愛し合うという現場(たとえば家庭や教会、各種クリスチャンの交わりやミニストリー)において、一番の誘惑、つまずきとなるものは何だろう? それは、相手を支配したいという欲求ではないだろうかと思う。夫が妻を支配する、妻が夫を支配する、親が子を支配する、牧師が信徒を支配する… 共依存 (codependancy) のように、「献身的/犠牲的」の仮面をつけた微妙なかたちでのコントロールも出てくるかもしれない。多くの場合、決して悪気はなく、愛していればこそ、相手のことを親身になって考えればこそ、その人の人生に介入しようとするのだろうが、結果としてそれが愛する人の自立や成長を妨げたり、互いの間の信頼関係を損なうことになる。神様がその人の人生に対してもっておられるご計画の邪魔をすることにもなりかねない。パウロはこう言った。
協力者と言うからには、それぞれが独立した存在であることが前提になっていると思う。神様は私たち一人ひとりを、人格をもつ独立した個人として造られた。そこには、どんなに愛しているからといっても決して侵してはならないバウンダリー(境界線)がある。私たちは、互いに相手が神様によって目的をもって造られた、賜物豊かなユニークな存在であることを知り、それゆえに相手を敬い、尊ぶことを学ばなくてはいけない。その時にこそ、「互いに仕え合」う(第一ペテロ4:10)ということが愛の関係のなかで自然と実行され、そして主の御栄光が現されるのではないだろうか。 蛇足だけれど、それぞれが独立した存在として造られ、「自分の十字架を負って」イエス様に従うようにと召された私たちは、同時に愛の関係のなかにおいては、相互に依存する (inter-dependent) ように召されていることも付け加えておこう。(ガラテヤ6:2) 2003年7月28日GRACE: God's Riches At Christ's Expenses ***** エミを歯列矯正の歯医者さんへ連れて行って、これからどういう手順で治療を進めるのか説明を受けた。エミはどういうわけか下の歯が二本足りないので、上もそれに合わせて二本抜歯しなくてはいけないそう。可哀想に、エミは青ざめてた。虫歯でもないのに抜いちゃうなんてね。でも、思えば私も小学生の頃、矯正のために虫歯でもない永久歯を一本抜いたよ。歯の噛み合わせの善し悪しは身体全体の健康に影響が出るんだから、我慢して頑張ろうね、と励ます。 ***** ぼぼるパパと、来年の夏に日本に一時帰国する件について話し合う。家族6人にもなると里帰りもそう簡単には出来ない。一人暮らしの母のところに、6人が転がり込むなんてね。受け入れる方が大変だもの。だから次に日本に行くときは、実家の近くのホテルを利用することになるかな。6人だと二部屋とらないといけないけどね。いろいろ具体的なことを考えていると、だんだん憂鬱になってきて帰るのやめようか、と言いたくなるんだけど、やはりそうもいかない。なにしろ、はちこ父はまだケンスケに会ってないし。 前回日本に帰ったのは3年前で、7月中旬から3週間滞在したが、あの時は猛暑で大変だった。しかも私は、日本に到着するや否や4人目の妊娠が発覚し、つわりが始まって結構キツかった。日本に帰ったら美味しいものをたくさん食べようと思って楽しみにしていたのに、つわりのせいで何を食べても美味しくないし、食欲もなかったし。それでも、人に会う予定はびっしり入っていたので、連日のようにかなり無理して出かけてた。子供たちを連れていろんなところへも行った。なつかしい人や初めての人たちにも会えてとても楽しかったのだけれど、一時帰国というとあの時のつわりと猛暑の辛さが思い出されて、ついつい億劫になってしまっていた。それに、最近は日本も随分物騒なようで、チビを連れての帰国はちょっと不安だったりもする。でもやっぱり来年には帰りたーい! 子供たちも日本に行きたいと言ってるしね。 2003年7月29日あー、疲れた。今しがたワーシップチームの練習から帰ってきて、子供たちを寝かし付けたところ。 わずか二時間の練習なのに、今日はすっごく疲れた。 そして… ああ、今日は大失敗だった。 この一ヶ月余り、ワーシップチームの未熟さにも関わらず御霊ご自身が私たちのワーシップを導いてくださって、私たちは祝された礼拝を持つことが出来ていた。5レプタのようなワーシップと言えたかもしれない。他所の教会の熟練したワーシップリーダーに導かれる礼拝に比べたら、お粗末そのものでも、私たちは歌よりも音楽よりも何よりも、ただ自分たちの持っている全てを、自分たち自身を、主の御前に捧げてきた。そしてイエス様は確かにそれを喜んで受け入れて下さっていたと思う。神様の憐れみに私はただ感謝で胸がいっぱいだった。 ところが、今日の私たちは、ワーシップよりもパフォーマンスに走っていた。少なくとも私は、歌うことそのものに夢中で主を礼拝していなかった。チームもだんだん慣れてきて、少しずつレパートリーが広がって、まだまだぎこちないところも多いながらも、少しずつ形が出来てきたからだろうか、「上手くやりたい」という肉的な欲が出てしまったのかもしれない。練習の最後の方になって、オルガニストで最年長のロバートおじさんがたまりかねたようにこう言った。「僕たちは、会衆に向かって歌を歌ってパフォーマンスをしてあげるのかい? それとも、会衆が一緒に主を礼拝出来るように、リードしているのかい?」彼のこの一言は、私の心にグサリときた。いや、彼の言葉に傷ついて嫌だったとか、そんなことを言ってるんじゃない。彼は私とぼぼるパパが今夜、見事にスッポぬかしていた一番大切なことを指摘してくれた。そして私はそのことに心から感謝した。 How easy it is to fall into a prey of "performance" when you hold a microphone!! Jesus, I am so sorry that I wasn't giving anything to You tonight. It was supposed to be all about You, but, Lord forgive me, I had it all to myself. I am so sorry.... 始まってまだわずかしか経っていないのに、もう初心からはずれてしまったなんて。我ながら呆れてものも言えない。でも、すぐに軌道修正してもらえて本当によかった。ロバートおじさんに感謝。主に感謝。 2003年7月30日先日の、雅歌1:6はどういう意味なんですか、という質問メールが。(^_^;; いえ、あの、私は日に焼けやすくて、特に焼いているつもりはなくてもすぐに真っ黒になってしまうのです。夏はそれが悩みのタネなんですよ。で、聖書のなかにもそういう人がいたんだなぁ、と。そんなに深い意味はありませんので、どうぞお気になさらずに。(笑) ***** 聖霊のバプテスマに関して質問をくださったA子さん、メール、どうもありがとうございます。とても大切なことだと思われますので、御言葉に照らし合わせながら、私にわかる範囲でお返事したいと思います。必ずお返事しますから、ちょっとお待ち下さいね。 ***** ケンブリッジのH子さんから電話あり。英国キングダムフェイスのFaith Camp 2003に前半3日間参加して来られたとのこと。とーっても良かったそうです。まずとにかく賛美が素晴らしく、賛美をするなかで主の御臨在に触れ、内側からリフレッシュされたと。H子さんとも話したのだけれど、イエス様を賛美をするって、クリスチャンにとっては呼吸をするのと同じくらい大切かも。深呼吸をして身体のすみずみまで酸素を行き渡らせるのが大切なのと同じように、賛美をするなかでイエス様の息吹きを霊と魂と身体の隅々まで行き渡らせていただく、というか… それから、メッセージのなかで、神様を「アバ、父」と呼んで、主の御前にcry out する大切さを改めて教えられたそうです。cry out するというのは、単に比喩的なことだけでなく、時には文字通り、実際に主にむかって叫ぶこともある。泣いてもいい、わめいてもいい、心の思いを正直に、全て神様にぶつける… そうやって神様に問題なり何なりをゆだねていく… そういえば、ジョンとベッキーがうちの教会を去ると決まったとき、私もどれだけ神様に向かって怒って文句を言ったことだったか。「ジョンとベッキーのような器こそ、今うちの教会で必要とされているのに、どうして私たちから彼らを取り去って他の教会にあげてしまうんですか? うちの教会はどうなるんですか?」と、遠慮なく神様に訴えた。私のなかにあった納得できない思いも不安も何もかも、思い付くままに神様に差し出した。もちろん、神様に対する畏怖と敬意(fear and reverence)は決して忘れないのだけれど、だからといって神様の前で取り繕ったり、いい子ぶったってしょうがない。だって、神様の御前こそ、私たちにとって一番安心して泣ける場所、一番安心して本心の全てをぶちまけることの出来る場所なのだから。 奇しくもおととい、あるお友達から同じような話を分ちあわれたばかりだった。彼女も今、神様の御前で『子供として』素直に、やせ我慢しないで自分の思いを正直に伝える、ということを学ばされていると言っていた。そして、彼女がずっと祈ってきたある件について、神様の御前で、自分でもびっくりするくらい大泣きしてしまったんだそうだ。神様の御前で大泣きする、cry out するって、案外なかなか出来ないことなのかもしれない。だけど、神様の側は、私たちがそうやって神様の御前に『素』のままで出ていくことを待っておられるんだと思う。体当たりで神様の御腕のなかに飛び込んでいくのを、両手を広げて待っておられるんだと思う。 ***** 歯列矯正のために歯を二本抜くことになってへこんでいるエミのために、シカゴJCFNの冬樹くんから応援メールが来た。Supertonesというアメリカのクリスチャンバンドの歌に「歯医者の歌」というのがあって(いえ、本当はLike No One Elseというタイトルだそうですが、仲間うちではこう呼ばれているんだとか)、その歌詞をシェアしてくれました。それを一部紹介すると、こんな感じ。(時間と興味のある方は、このリンクをたどって是非歌詞全部をご覧ください。真理がしっかりと綴られていて感動ものです。)
泣かせる歌詞ですねー。上にも書いたように、「アバ、父」である神様は、私たちの日常の全てに関心を寄せておられ、一つひとつのことにケアしてくださるのですね。たかが歯医者くらいで神様を煩わせてはいけない、なんて考える必要はないの、because it matters to Him!! この歌、早速ネットで検索して試聴してみましたが、ううむ、こういう音楽はさすがにこの年になるとちょっと辛いかな(笑)、でもエミは喜びましたよ。Thanks, Fuyuki, both Emi and I really appreciated it! ![]() |