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はちこの日記(2003年5月)

ぼぼるパパの日記はこちら

2003年5月2日

ケンスケが「オンジ、ピーオ、オンジ、ピーオ」と言う。でも何のことだかわからない。ケンの望むことをやってあげられないでいたら、そのうちに癇癪を起こされてしまった。おろおろしながら彼の言わんとしていることをつきとめようと頭をひねって考えていたら、ついにわかった。

「オレンジ、ピール」と言っていたのだ。つまり、「オレンジむいて」ということ。オレンジをケンの前に差し出して、「これをむいて欲しいのね?」と聞くと、泣き顔がとたんにニコニコに。むくために、まずオレンジの先っぽを包丁で切り落とそうとまな板を出したら、ケンスケはまた怒った。切るんじゃないの、むくの! と言わんばかり。いろいろこだわりがあるんだよね、彼も。「大丈夫、ちゃんとむいてあげるから」先っぽを切り落としたオレンジを手でむきはじめたら、またニコニコ。むいたオレンジを丸ごと器にいれて「さぁ、どうぞ!」と差し出したら「サンキュー!」とケン。

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去年このサイトのドメインを取って以来、忙しくてなかなかファイルの引っ越しや整理が出来ずにいた。まだ手付かずになったままのものがいろいろあるが、夕べ、ついに重い腰をあげて(?)『信仰・希望・愛』のページを6ページまで整えた。整えたとはいっても、たいしたことはしてないが。このコーナーは、とりあえず引っ越しだけはさせてあったけれど、リンクなどは昔のままで、画像もきれていたりと不備が多かった。全部で27ページあるコーナーなので先は長いが、まぁ気長にやっていこう。

整理しながら昔の日記を読み返していて、記録をつけていてよかったなぁとつくづく思った。5年前から今にいたるまで、神様がどんなふうに私たちを導いてくださったのかがよくわかる。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。詩篇103:2

信仰・希望・愛 :1998年5月〜2001年7月までの「はちこの日記」から、信仰に関する記述だけを集めたもの。

2003年5月3日

今日は教会で、女性オンリーのティーパーティーがあった。お気に入りのティーカップ持参で来てね、ということだったので、イギリスで買ったカップを持って行った。エミとみんにはパパがフランスのニースで買って来てくれた厚手のカップを、ま〜やにはシカゴの老舗のデパート、マーシャルフィールドのマスコットの熊さんの絵が入っているカップを持たせた。

きれいなティーポットが各テーブルに置かれ、サーバー係のご婦人が嘘っぽいブリティッシュアクセントの英語で「Would you like some tea?」

イギリスでの生活に関わる証を、と事前に頼まれていたので、お茶の後は私が前に出ていって20分くらいお話させていただいた。

証の後は、ラッフル(抽選? 福引き?)。 当てた人はテーブルを飾っていた手作りのトピアリーもらうことができる。(こんな感じのものです。)こういうのを手作りで上手に作る人がいるんだからすごい。 誰が当てるかなぁ、わくわく、と思っていたら、なんとま〜や(5歳)が当てた。でかしたぞ!(?) ところが… 司会者が「はい、どうぞ」とま〜やのところまでトピアリーを持ってきてくれたまでは良かったが、一旦テーブルの置かれたトピアリーを、ま〜やが「わーい!」と嬉しそうにむんずと掴んで持ち上げたその時、テラコッタのポットがするっと抜け落ち、床の上でガチャン。無惨に砕けた。みんなの視線が一斉に集まり、部屋のあちこちで「はぁ〜っ」とため息がもれた。ま〜やは一瞬固まって、それからあわててそばにいたお姉ちゃんに抱きついた。私も言葉を失ったままでいると、このトピアリーを作ったご婦人がニコニコとやってきて、「まだ余分のポットがうちにあるから大丈夫。作り直して明日また持ってきてあげる。」ああ、よかった、よかった。

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覚書

Kazukoさんが紹介しておられた『Christianity Today』5月号に掲載の、クリスチャン心理学者ラリー・クラブに関する記事。

A Shrink Gets StretchedWhy psychologist Larry Crabb believes spiritual direction should replace therapy.

今は時間がなくて全部読めなかったけれど、興味深いので後でもう一度読んでこよう。

2003年5月6日

今日からぼぼる母が日本から来ている。2週間強滞在の予定。 ケンスケは最初のうちは人見知りしていたけれど、半日もしたら大丈夫になった。時差ボケのため、おばあちゃんがソファでうとうとしていると、わざわざ側にいって「コチョコチョコチョ…」とおばあちゃんをくすぐっていた。しかも何回も。なんてヤツ。おばあちゃんはそのたびに眠たそうに目をあけ、ニコニコしていたけれど、私は恐縮してしまった。

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この前の日曜日は、産後2週間のベッキーとジョンがワーシップチームに復活。やっぱりジョンのリードはいい。ジョンがリードに入ったことで、ぼぼるパパはコンガを叩くことができて、全体としても深みが出ていた。音楽的な面だけでなく、ジョンはやっぱりワーシップリーダーとしての油注ぎを受けているんだなぁ。会衆をどんどん主の御臨在のなかに導き、みんなが一つとなって礼拝を捧げることが出来たと思う。 今週は木、金、土と、シカゴ郊外でワーシップに関する大規模なトレーニングカンファレンスが開かれる。分科会のトピックは、マイクの選び方やサウンドシステムのセットアップの仕方といった非常に実際的なものから、「Preparing to lead worship」、「What does the Bible really say about worship?」というインスピレーショナルなものまで多種多様。講師はイギリスのスチュアート・タウンエンドやアメリカのクリス・トムリン、トゥワイラ・パリスなど。スチュアート・タウンエンドの働きは、私たちもイギリスにいる間によく見聞きしていた。CDもたくさん買ってきた。そのスチュアート・タウンエンドがシカゴに来ると聞いて、私とぼぼるパパもこのカンファレンスに参加することにした。とっても楽しみ。本当はベッキーとジョンも来るはずだったけど、やっぱり生後1ヶ月にも満たない赤ちゃんを連れては無理なので、二人は直前になって参加を断念した。

2003年5月7日

朝、子供たちのお弁当の準備をしながらふと窓の外を見ると、芝生のまん中に何やら白っぽいものが落ちているのが見えた。どこからかビニール袋でも飛んで来たのかな、と思いつつ、何だか変な予感がした。でも忙しかったからそれ以上は考えなかった。お昼頃になって、ぼぼる母が、「ねぇ、はっちゃん。庭に何か落ちてるわよ、何かしら?」と言い出した。彼女も怪訝な顔をしている。「ゴミでしょうかね? ちょっと見てきます。」そう言ってドキドキしながら庭に出てその白い物体を確認したところ、それはウサギの死体だった。このへんには野うさぎがたくさんいる。でも野うさぎは普通、茶色がかったグレーをしていて、大人でもかなり小さめだ。しかし、このウサギは白と茶色のまだらの毛並みで、とても大きくてよく太っていた。耳が顔の横に垂れている種類のウサギで、どう考えても野うさぎじゃない。誰かに飼われていたものに違いない。でも、なんでうちの庭で死んでいるの? 首のあたりが少し裂けて血がこびりついていた。

ウサギの死体だとわかってまっ先に私の頭に浮かんだのは、「Fatal Attraction」(グレン・クロースとマイケル・ダグラスが主演していた不倫の映画)の一場面。 うっわー、こわーい。

なんだかそれですごーく嫌な気持になって、青ざめていたら、うちの裏に住むおじさんがひょっこり庭に出てきた。それで私は手招きをして彼をうちの庭に呼び、こう言った。「ねぇねぇ、うちの庭にウサギの死体があるの。誰かに飼われていたウサギじゃないかと思うんだけど…」 すると彼は、ウサギを一目見るや、「あっ、知ってるよ、そのウサギ。うちの隣で飼ってるウサギだ。逃げちゃって、探してるんだって昨日言ってたよ!」 おじさんと顔を見合わせていたら、今度は奥さんも出てきて、「あら! それは隣のフロプシーよ! 可哀想に、フクロウにでもやられたのね。」 私が泣きそうになっていると、おじさんは「大丈夫、僕が始末してあげるから」と言うや紙袋をとってきて、いきなり素手でそのウサギの死体をむんずと掴み、袋に入れた。奥さんは「あなた、あとでちゃんと手を洗ってよ。」 私が、「どうするんですか、それ」と聞くと、「隣に電話して引き取ってもらうよ。いらないって言ったら、明日ゴミに出すさ。」 奥さんは「トイレには流さないでよ。」 おじさん「しない、しない!」

いやー、びっくりした。

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↑のような話題のあとで、夕食の話をするのも何ですが、今夜のメインのおかずはグリルドチキンのマンゴークリームソース。以前Kazukoさんからグリルドサーモンのマンゴークリームソースというのを教えていただき、試したところ大好評だったので、今日はサーモンの代わりにチキンを使ってやってみた。マンゴークリームソースは、刻んだマンゴーとニンニクをバターでしんなりするまで炒め(私はバターの量を減らしたかったので、バターとオリーブオイルを半々にした)、そこにクリームと白ワインを入れて中火で煮立たせ、それから塩胡椒で味を整えるという非常に簡単なもの。だけどとても美味しい。しかも、お皿に盛り付けた時の見栄えがまたよろしい。庭からチャイブを摘んで来て、ソースのうえからパラパラと散らしたら彩りもよく、ちょっとしたフランス料理みたいでした。

しばらく前にレストランでグリルドサーモンのラズベリソースというのを食べたことがあったけど、ラズベリーソースもとても美味しかった。フルーツを使った甘酸っぱいソースが魚とよく合うんですね。チキンでもいけるでしょう。うちの庭には夏になるとラズベリーがたくさん出来るので、夏になったらラズベリーソースにも挑戦してみよう。

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今夜はミッショネット。今日から『Peer Pressure(ピアプレッシャー)』という単元に入った。 いい学びになりそう。今日もディスカッションが盛り上がってとてもよかった。私にとっても、この年令(11〜14歳)の女の子たちが学校でどういう状況に直面しているのかがわかって勉強になるし、いろんな難しい場面を通らざるを得ない彼女たちに、聖書の真理を教え、励ますことが出来るのはこのうえない喜びだ。この奉仕を始めた当初は、果たして私につとまるだろうかとまったく不安だったけれど、毎回毎回、主の御手が私のうえに置かれるのを感じている。何より、神様は私に、彼女たちに対する愛をたっぷり与えてくださっている。彼女たちの一人一人が愛しくてたまらない。本当に神様は素晴らしい。

2003年5月8日

ワーシップコンファレンスの初日から帰宅した。すっごくよかった…、が、もう遅くなってしまい、眠たいので今日はこれまで。 あ、スチュアート・タウンエンドと少しお話しちゃった。ぼぼるパパが是非彼と話したい、といって話しに行ったので、私もくっついていったのでした。うちの教会の分裂騒動でとても苦しかったとき、スチュアート・タウンエンドが書いたIn Christ Aloneという賛美歌にとても助けられた話をしてお礼をいいました。彼は嬉しそうにニコニコして、別れ際に"Cheers!"(発音はブリティッシュ風に「チエーズ」)と言ったのが、何とも良かった。

2003年5月9日

今日はめちゃくちゃ忙しい一日だった。本当はワーシップカンファレンスの二日めなんだけど、私は用事が詰まっていたためお留守番をし、パパだけに行ってもらった。すべてのセミナーや集会は録音されており、まとめて購入するよう申し込んでおいたから大丈夫。

午前中はまずま〜やのスケートのレッスン、それから昼前から2時頃までみんとま〜やの両方の学校でGrandparents' Day という祖父母参観があったので、ぼぼる母(とケン)を連れて学校を訪問。参観の後は、きらした牛乳を買いにスーパーへ。

子供たちが帰宅すると、子供たちへのプレゼントをおばあちゃんが買って下さるというのでみんなでお買い物。その後は来週末に予定されているみんとま〜やのスケート発表会のリハーサル。一日中出たり入ったりで食事の用意をする暇がなかったため、リハーサル後は例の日本食のレストランに行って夕食。おばあちゃんも満足してくれました。

一日バタバタして息つく間もなかった私は、みんとま〜やをスケートのリハーサルに連れて行った頃にはもうパンク寸前だった。身体の疲れ以上に、精神的なストレスがたまっていたかもしれない。(やっぱりね、お姑さんが来ている最中だし。)そこで、娘たちをスケートリンクの建物に降ろすと、あとは自分たちでやってね、少ししたらすぐに戻って来るから、と私一人で車に戻った。駐車場に停めてある車にもぐりこむと、サングラスをかけ、運転席を後ろに倒し、それから昨日買って来たばかりのワーシップCDをかけた。

座席に横たわったまま、両手をあげて祈り始める。涙がボロボロ溢れて来る。あげた両手はガタガタと小刻みに震える。聖霊様の御臨在が車中に満ちる。

まるで泥水をたっぷり吸ったボロ雑巾をしぼるように、自分のありったけをイエス様の前に絞り出す。出てくるのは汚れた水だけ。こんなものしか捧げられない私を許してくださいと祈る。だけどイエス様はちっとも怒っておられない。汚れた雑巾をきれいな水に浸すように、私のうえに恵みを注いでくださる。しわしわに固まっていた雑巾が水を吸ってだんだん膨らみ、広がっていくように、私の霊も潤されていく。

わずか10分か15分のこと。私は別人になって車を後にした。

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夕食の間、ケンスケはバギーの中で都合よく寝ていてくれた。おかげでゆっくり食事することが出来た。ところが家に戻ってくると、非常に御機嫌ななめにお目覚め。もう、わーわー泣いて手がつけられない。ケンスケのためにと鍋焼きうどんを持ち帰って来たのに、ケンスケは見向きもせずに泣き続ける。「ゴーアウェイ!ゴーアウェイ!」と叫ぶ。「ゴーアウェイ? あっそう。じゃあね。」と部屋を立ち去ろうとすると今度は「マミー、マミー!だっこ!」と両手を私の方に伸ばしながらますます泣く。だっこしてあげると多少は大人しくなったものの、まだ「えーん、えーん」という泣き声がとまらない。頭をなで、背中をトントンしてあげるのだけど、どうしても泣きやめない。そこで私はケンスケをだっこしたままソファに座り、祈るために両手を組み「ジーザス…」と一言いった。するとケンスケも私のひざの上で目をギュッと閉じ、両手を組んでお祈りの姿勢をしているではないか。私は、自分が途方に暮れてしまったので祈ろうと思っていたのだが、ケンスケの様子を見た瞬間、「ああ、この子も祈りたいんだ。この子もイエス様に触れられる必要があるんだ」と気がついた。そこで私はケンスケを代弁して祈り始めた。「Jesus, please help me calm down. Please embrace me in your arms. Even though I'm so little, I need you as my Savior and the Lord, just like everybody else does. Jesus, I can't control myself. Please help me. Help me to calm down so that I can eat my supper. Lord, touch me right now. I need You....」祈り終わったとき、ケンスケの泣き声は止んだ。 いや、祈り始めたとたんにピタリと止んでいた。 お祈りが終わってから「ミルク飲もうか?」とミルクのコップを差し出すと、ケンは「ヤー」と言ってそれを受け取り、ゴクゴクと飲み干した。 そして、自分のハイチェアによじのぼり、鍋焼きうどんをもりもり食べた。

2003年5月11日

夕べ、シカゴ近郊一帯に竜巻警報が出た。ここ数日、アメリカ中部では竜巻による大きな被害が相次いでいる。竜巻が通ったあとの上空写真を見ると、まるで積み木で作った町を子供が蹴散らしたかのように見えて、とても不思議だ。そして恐ろしい。夕べも緊張しながらラジオやテレビで情報を確認していたら、11時過ぎ頃、ついにサイレンが鳴った。サイレンは地下室に避難するようにという合図。

ただちに子供たちとぼぼる母を起こしてみんなで地下室にこもる。何だか笑ってしまったのは、みんはしっかり自分のおサイフを持って下りて来ていたこと。「いくら入ってるの?」と聞くと「4ドル。」 一方エミは、ペットのハムスターが入っているカゴを抱えて下りて来た。「だって、この子が竜巻に吸い込まれちゃったら可哀想だもん。」 ま〜やはと言えば、最初のうちは寝ぼけてぼんやりしていたが、そのうちただならぬ気配を感じたのか、怯えて泣き始めた。「みんながいっぺんに死んじゃったらどうなるの?」「みんなが一緒に死ねるなら素晴らしいじゃない! そうなったらママは嬉しいよ。だって、みんなでそろってイエス様のところに行けるんだもの!」

そんなことをあれこれ言っていたら、ぼぼる母が、「あら? ぼぼるはどこ?」「あっ、ほんとだ、いない。二階で貴重品を集めているのかしら?」「ぼぼる! 早く下りてらっしゃい! 何やってるの?」階段に向かって叫ぶ母。 すると上からパパの声が聞こえてきた。「ウンチー!」(地下室からの階段をあがったところにちょうどトイレがあるのです。)

私たちは思わず顔を見合わせ、爆笑。ぼぼる母は「んまぁ! 何でこんな時にまた…」 しかし、これですっかり緊張がとけた。そうこうしているうちに警報も解け、みんなそれぞれの寝室に戻った。

そのあと、ま〜やはまだ怖がっていたので、今夜は特別ね、とママのベッドで寝ることを許した。側にいて、というので添い寝をしてあげていると、すぐに寝つけないで何かを考えていたらしいま〜やが眉間にしわを寄せながら言った。

「Is a tornado an arachno? (『タツマキ』って、蜘蛛のこと?)」 私はふいをつかれて「は?」 ま〜やは天井をにらみながら繰り返す。「Is a tornado a bug? (『タツマキ』って、虫なの?)」なんと。ま〜やは竜巻が何なのか、知らなかったのか。巨大な虫が襲ってくると思っていたのか。笑いをこらえながら私は説明した。「違うよ、『竜巻』っていうのはね、『嵐』とか、『雨』とか『台風』みたいに、お天気の一種よ。ぐるぐるうずを巻きながら吹く強い風のことよ。」ま〜やは返事もせず、まだ何かを考えている。相変わらず眉間にしわを寄せながら真剣な表情で、今度はこう言った。

「"Tornado" sounds like "tomato." It also sounds like "potato." I always get confused tomato with potato. (『トルネード』って、『トマト』みたい。それから『ポテト』にも似てる。私、いつもトマトとポテトがわからなくなるの。)」 はちこママ、もう死にそう。 なんて可愛いの、ま〜やってば。

自分の疑問を吐き出したらすっきりしたのか、私が身悶えしているうちにま〜やはいつの間にかすやすやと寝入っていた。眉間のしわも消えていた。愛しくて、愛しくて、私はま〜やの寝顔に何度もキスをした。

2003年5月13日

先日竜巻警報が出て地下室に避難したとき、ぼぼる母がぽつりと言った。「サイレンがなって避難するなんて、空襲以来だわ。」

ぼぼる母は若造りで元気だけど、実はもう75歳。東京に空襲があった頃、ちょうど女学生だったそうだ。文系に進みたかったのだけれど、戦時中は文系に進んでも勉強させてもらえないと聞き、急きょ理系に進路を変えて、薬科女専に入った。しかしせっかく入った薬科女専も、空襲で建物が焼けてしまい、結局勉強どころではなかった。空襲で自宅も焼かれ、あたり一面焼け野原の東京で、あの頃を一体どうやって乗り越えたのか、あまりにも無我夢中だったため今となっては詳しく思い出すことすら出来ないと言う。サイレンが鳴って防空壕に避難する。空から焼夷弾がバラバラとまかれ、辺り一面たちどころに炎が燃え上がる。家も、家財道具も、思い出の品も、何もかも失う。焼け跡では親とはぐれた子供たちが泣きながらさまよっている… 私には想像を絶する光景だ。 町中のあちこちに防火水がためられた場所があり、避難のために逃げるとき、防火水のあるところで頭から水をかけてもらうのだそうだ。サイレンが鳴る。避難する。あたりが燃え上がる。そんなことを何度か繰り返しているうちに、サイレンを聞いただけで身体がガクガク震えてきて動けなくなってね… とぼぼる母は言った。今回の竜巻警報サイレンを聞いたとき、忘れかけていた記憶が甦ってしまったらしい。今朝、ぼぼる母と二人でお茶を飲みながら、母の話をしみじみと聞いた。「あの時は文字どおり、一寸先が闇で、将来のことなんて全く予想も出来なかったけれど、今こうして、アメリカに息子夫婦を訪ね、4人もの孫たちの可愛い姿を見れるなんてねぇ… 人生って、本当にわからないものねぇ…」ぽつりぽつりと話す母も、うなずきながら聞いている私も、二人とも涙ぐんでいた。 (ところで、11日の日記のウンチの件は、ぼぼるパパの許可を得て書きました、と一言添えておきます。)

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今週は忙しい。金曜、土曜とみんとま〜やのアイススケートの発表会。木曜日はリハーサル。今日は記念撮影会。 それにしても、発表会というものはお金がかかる。参加費、発表会用のレッスン料、そして衣装代。衣装にあわせるための特別なタイツも買わなければいけない。うちは二人分なのでますます大変だ。

一方エミは、明日から二泊三日で学校のキャンプ。ここから二時間半くらいのところにあるキャンプ場でさまざまな野外活動を体験してくるらしい。お天気が守られるといいね。

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夏にもたれるアッセンブリー教団イリノイ地区主催の子供キャンプに、私もカウンセラーとして参加することになった。私が出かけるとぼぼるパパが一人でま〜やとケンスケの面倒をみなくてはいけないことになる。4泊5日なのでぼぼるパパにはキツイのではないかと思って、私は出来ることなら避けたかったのだけれど、うちの教会からも一人はカウンセラーを出さなければならず、他にだれもボランティアがいなかったため、私が引き受けることにした。しかし、カウンセラーとは言っても、私は何をすることになっているのかさっぱりわからない。私が参加申し込みをするにあたって、牧師の推薦状、私をよく知っている他のクリスチャン二名による推薦状が必要とされ、さらに、犯罪歴などがないか、バックグラウンド調査も独立の調査機関を用いてなされるのだそうだ。ぎょっ。つい不安になってぼぼるパパに聞いてしまった。「ねえ、私って、犯罪歴なんかないよねぇ?」「僕が知っている限りではないと思うよ。」「駐車違反でチケット切られたことあるんだけど、それは犯罪歴って言う?」「言わないと思うよ。」「ああよかった。じゃあ大丈夫だよね?」「大丈夫だよ。」

これを書きながらふと思ったんだけど、私はアメリカでの永住権は持っているけれど市民権は持っていない。つまり、法律上では「エイリアン」だ。もしかすると、市民権を持っていないエイリアンはカウンセラーは出来ません、と断られてしまうこともあるかもしれない。もしそうなったら、うちの教会からは今年は誰も子供キャンプに参加できないことになってしまう。それは困る。うーん、大丈夫だといいなぁ。

2003年5月15日

そろそろ素足にサンダルの季節。

お風呂上がりにペディキュアを塗っていたら、二歳の息子が興味シンシンで覗き込む。

手を出そうとするので、「ダメ!」と向きをかえると、またそっちの方にやってきて覗き込む。

息子の熱い視線を浴びながらペディキュア塗りを続けていたら、私の足に生暖かいものがタラーリと落ちた。

何かと思ったら、息子のよだれ。 彼はペロペロと舌なめずりしながら私の足元を見つめている。

「ちょっと! キャンディーじゃないのよ?」と声をあげると、息子は私のつま先を指さして「おいしい?

やっぱりキャンディーと勘違いしていたのか。

なんてやつ。

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ワーシップコンファレンスのことを少し。

最終日の土曜日、朝からパパと二人で出かけてきた。まずはジェラルディン・ラティの『Worship as a lifestyle』という分科会に参加。パパは『Maximize your ability as a guitar player』に行った。ジェラルディンの分科会ではかなりインタラクティブなディスカッションがなされた。Worship as a lifestyle というのは、私にとってもずっと考えてきたテーマだったけれど、ジェラルディンの視点は私にとってはわりと意表をついたものでもあり、新鮮だった。彼女は創世記22章の、アブラハムがモリヤの山で主を礼拝するためにイサクを捧げようとしたあの箇所から、礼拝とは犠牲と従順である、というようなステートメントを出した。私にとっての「ライフスタイルとしての礼拝」とはConstant awareness of God's presense in my life であり、それゆえの My continual responses to His goodness through daily activities だと思っていたのだが、犠牲と従順というのは、私が考えていたものをさらに一歩踏み込んだ感じかな。なかなか考えさせられた。

この分科会のなかではなかったが、今回のコンファレンスで印象に残ったことの一つに、ワーシップリーダーの役割はhelping people shift their eyes to the Lord and open their hearts to Him である、ということがあった。それを聞いたとき、私は数カ月前に始めたばかりのミッショネット(女の子たちへのミニストリー)での奉仕を思い出した。私がやっていること、やりたいと思っていることは、まさにそれではないかしら。信仰に関する「模範解答」を教え込むことではなく、彼女たちが主に向かって心を開き、イエス様と個人的な関係を深めていくようになるためのお手伝いをすること、最終的には、人生における様々な疑問や試練に対して、彼女たたちが自分で直接聖書に、主ご自身に、聞いてそこから指針を得ることが出来るようになること、彼女たちが自分の人生をそのまま主への礼拝として捧げられるようになるお手伝いすること… そんなことを思わされた。 これは、親の子供に対する務めでもあるね。

さて、土曜日のその後は、約3時間に渡る最後の全体集会。メッセージは今回のコンファレンスのメイン講師の一人、デイビッド・ナッサー。彼はイラン人の移民で、元イスラム教徒。彼の語り口は非常にユニークでユーモアに富んでいたが、その内容はとても厳しかった。

セレブレーションの盛り上がりはすごかった。スチュワート・タウンエンドがワーシップをリードし、会場はものすごい熱気。スチュワートはイギリスのスプリングハーベストなどでもワーシップリーダーを務める器だけあって、本当に自然に、無理なく会衆を主の臨在のなかに導いていく。(スプリングハーベストとは、イギリスで毎年4月頃に行なわれる超教派の大規模な聖会。近年は日本からも参加する人たちがいるようです。) ちょっと話がずれるけど、スチュワートが「檻に閉じ込められて飼い殺しにされているニワトリではなく、庭を自由にかけ回る『フリーレンジ』のニワトリのように主を礼拝しましょう」と言ったのがとてもおかしかった。『フリーレンジ』とはそもそもイギリス英語なのでアメリカ人の会衆には意味不明。みんながキョトンとしているとスチュワートは、「あれ、アメリカではフリーレンジとは言いませんか? こっちでは何というのですか?」 アメリカではね、『ケージフリー』って言うんですよ。(笑)

そんなわけで、私たちはフリーレンジのニワトリのごとく、自由に踊ったり飛び跳ねたりひざまずいたりしながら主を礼拝した。会場となっていたジャドソン大学の学生さんたちがボランティアでさまざまな事務を担当してくれていたが、彼らも最後のセレブレーションでは私たちにジョインし、会場を文字どおり縦横無尽に踊り回りながら賛美していた。(ちなみに、ジャドソン大学はバプテスト系のバイブルカレッジ)

私たちがこんなに熱くなって主を全身全霊をこめて礼拝したのにはわけがある。単に、ビートルズのコンサートさながらに熱狂するのとはわけが違う。

なぜなら、主の主、王の王であるイエス様が生きておられ、 イエス様の十字架のおかげで私たちの罪は贖われ、永遠にイエス様と共に生きることが出来るようになったのだから! いまや私たちはなんの傷もしみもない者として御前に立つことが出来るようにされたのだから! イエス様の麗しさを見、その偉大さと、いつくしみと憐れみと愛と恵みのなかにどっぷりと浸るとき、私たちは踊り出さずにはいられない。歌い出さずにはいられない。その御栄光の重みに、ひざまずかずにはおれない。 どんなにほめ讃えても、ほめ讃えても、ほめ讃えたりなくて、ただただ天の御国でイエス様と永遠に過ごす時が来るのを待ち望まずにはおれない。せめてこの世で私たちが出来るすべてを尽くして、差し出せるすべてを差し出して、そう、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くし、主を愛し主を礼拝したい… うん、そうよ、フリーレンジのニワトリのごとく。 だってイエス様が私を罪という檻から出して、すべての手かせ足かせから解放して下さったのだから! If the Son has set us free, WE ARE FREE INDEED! (cf. ヨハネ8:36)

ハレルヤ、主にすべての御栄光がありますように!

2003年5月19日

多忙なり。書きたいことはたくさんあるのだけれど、いかんせんゆっくりしている暇がない。

金曜日、土曜日にもたれたアイススケートショーはとてもよかった。みんもま〜やもものすごく可愛くて、私は大声援を送りつつ、手が痛くなるまで拍手した。上級生のお姉さんたちになると、シンクロナイズドスケートといって、チームで滑ったり、ソロやペアやトリオで滑っていたりして、なかなか見ごたえがあった。みんもあと何年かしたらあんなふうになるのだろうか。ちょっぴり気になったのは、やたらセクシーなコスチュームを着せられている子たちがいたこと。コスチュームは本人が選ぶのではなく、振り付け担当のコーチがコスチューム係の人と一緒に決めるらしいが、10代の女の子たちにあんな、キャバレーのダンサーのような格好をさせるのはどうかと思った。観客席からは口笛がヒューヒューなって、私がその子の親だったら不愉快になるかも。 私の夢は、みんがいつか、アメイジンググレースのような賛美歌に合わせて滑るようになること。想像するだけでウルウルしちゃうね。

ものすごく美しい15〜6歳くらいの女の子が、とても素敵な演技を見せてくれたのだけれど、彼女は途中、ジャンプを二度ほど失敗して転んでしまった。すると、私の隣に座っていたおじさんが、その子が転ぶたびに、どういうわけか高らかに笑いながら拍手するではないか。なーに、この人、ヤな親父、と私は内心眉をひそめていた。そしたらなんと、この親父はその美しい女の子のお父さんだった! 演技が終わった女の子が半ベソかきながら戻ってきて、彼のひざのうえに座ってなぐさめてもらっていたのだ。なぁんだ、そうだったのか。あの笑いながらの拍手は、「転んだっていいんだ、気にするな、ガンバレ、ガンバレ!」というお父さんなりの気持ちを現したものだったのね。複雑な父親心。彼にとっては、こんなに美しく魅力的に成長した女の子も、きっとまだまだDaddy's little girl なんだろうね。ヤな親父から素敵なお父さんに急きょ格上げ。

日曜日の朝は来週のメモリアルデーに一週間先立って、Patriotic Service. メモリアルデーというのは、戦争でアメリカの国のために命を落とした人々を偲ぶ日のこと。 イラク戦争の直後だけに、例年のメモリアルデーの礼拝よりも重々しい感じだったかな。自由を得るために命をかけて戦ってくれた人たちがいるから、アメリカに住む今日の私たちには自由がある、同じように、イエス様が私たちに自由を得させるためにその命を十字架で捨ててくださったから、今日、私たちは自由なのだ、主が私たちのためにしてくださったことを、忘れないでいよう、というようなメッセージだった。

夕拝ではリバイバルのドキュメンタリービデオ『Transformations』から、コロンビアのカリーでのリバイバルについてをみんなで見た。この『Transformations』というビデオは、私とぼぼるパパがイギリスにいる間に見る機会があり、あまりに感動したのでアメリカに戻って来てからネットで検索して自分たち用にも注文したもの。そしてどうしても教会のみんなにも分かち合いたくて、今回ようやくその機会を得たのだった。 人数はそれほど多くなかったけれど、それぞれがとりなしの祈りについて、そして、コミュニティーに届いていくことについて、チャレンジを受けたいい礼拝だったと思う。

今日は私は庭にせっせと花を植えた。たくさん買ってきてあるのでまだ全部終わっていない。私が植えるさきからケンスケが花をむしってしまうので、やりにくくてしょうがなかった。娘たちもケンスケくらいの時は似たようなことをして私を困らせたものだったけれど、似たようなことをするにしても、女の子と男の子には決定的な違いがあると感じた。女の子の場合、花をむしってしまうのは、花が綺麗なので自分がそれを身につけたいと思うから。一方男の子の場合は征服欲というか、破壊欲というか、花をむしるのはただ単にむしってみたいから、という感じ。

さあ、今週もいろいろ忙しいぞ。明日はエミのオーケストラのコンサート。おばあちゃんにはみんとま〜やの学校のGrandparents' Day やスケート発表会も見てもらえたし、エミのコンサートにも来てもらえる。5月は毎年行事が目白押しなので、日本から来てもらうにはちょうどいい時。そのかわり、学校が忙しいので観光とかにはほとんど連れていってあげられないけれど。それでも、おばあちゃんは先週、一人でシカゴに二泊三日で行って来た。あいにくの雨模様になってしまったため、ほとんどの時間をデパートでぶらぶらしたらしいが、気に入ったスーツが見つかったとかで嬉しそうにしていたのでよかった。

2003年5月21日

多忙続く。この忙しさの原因は、各種イベント(主に子供関連)が数珠つなぎになっているため。

明日はぼぼる母が帰国。土曜日にはJCFNシカゴが中心となってのコンファレンスが、またもやジャドソン大学でもたれる。ちょっと急だけど、JCFNから送られてきた案内を一応ここに記しておこう。もしかしてシカゴ近郊の人で、「あっ、行きたい!」と思ってくださる方がいるかもしれないので。(いないかな?)

ここJCFN Central地区(Midwest)では、メモリアルデーの連休に、Central Conference(CC) を2泊3日で計画しています。 5/24-26。

メイン講師は年末のEquipper Conferenceのメイン講師の一組である、Jack & 恵子 Marshall夫妻! 今回、今までの奉仕の地カリフォルニアを後にし、新しい宣教の地であるオーストラリアに出発する途中で(かなり大回り?)シカゴに寄って下さいます。 テーマは"How, then, shall we live?" "生活から、聖活へ"。 皆さん主の様々なすばらしい導きによって、晴れてクリスチャンになりました、「さあこれからどうやってクリスチャンとして歩んでいったらいいのか?」、「クリスチャンになったつもりなのに、こんなんでいいのか、何も変わっていないのでは?」 と悩んでいるあなた、「私はクリスチャンとして真っ当な道を歩んでいます、ハイ。」というあなた。 「クリスチャンになりたいけど、それで一体どうなるの?」という人も。 それぞれにMarshall夫妻を通して主が語りかけてくださることでしょう。 

プログラム予定:
     9:00am 2:00pm  4:00pm 7:30pm  
     朝      午後      夕方     夜
24日        受け付け開始   集会(1)   集会(2)
25日  聖日礼拝    Free     JCFNアワー   集会(3) 
26日  集会(4)   解散

受け付け開始: 24日 2:00pm  解散: 26日 12:00pm
集会(1)〜(4)(各2時間): ワーシップ、証し、スキット、メイン講師メッセージ(1時間)
日曜礼拝: 基本的に地元シカゴの人は各自自分の教会の礼拝に出席。 シカゴ以外の人達は車で10分のWillow Creek Community Church(全米で一番大きい教会)、又はその他の教会や日本人教会に自由出席。
JCFNアワー(2時間): デンバー本部から下部祐子主事が応援に駆けつけてくれます。 内容は乞う御期待!

このコンファレンスには、N吉くんも留学先のネヴァダからも駆け付けてくれる予定。N吉くんとは、数年前に彼がまだイエス様を受け入れる前にネットで知り合った。会うのが楽しみ。

それから、30日にはみんの誕生日パーティー。31日には、キッズキャンプのカウンセラーのための講習会に参加するためにシカゴ郊外の某町まで行く。6月1日の午後にはエミのHonor Star Celebration。(これについての説明はまた後日にでも。)6月7日にはま〜やの誕生日パーティー。学校が夏休みに入る前にやってしまわないと、クラスのお友達と連絡がつきにくくなるので、本当の誕生日よりひとあし先にやってしまう。子供たちのビッグイベントが終わってほっとするのも束の間、6月16〜20日はキッズキャンプ。場所はイリノイ州のカーリンビルとかいうところで、ここからは車で4時間くらいらしい。

大切なイベントが続くから、準備に手抜かりがないよう、ポカしないよう、よく気をつけなくちゃ。あーでも、なんかやりそう。去年のみんの誕生日パーティーでは、私ったらバースデーケーキを用意するのを忘れてしまって、ケーキなしのパーティーだったんだよね。(^_^;; フランス旅行に行く前日で。そしてま〜やの誕生日パーティーはケンブリッジを発つ二日前だったんだよね。いやぁ、去年もこの時期はすごかった。

2003年5月22日

早朝にぼぼる母を送り出した。パパが飛行場まで送っていったのだが、パパの運転する車で去って行くおばあちゃんに向かってエミと一緒に手を振っていたら、何を勘違いしているのか、ぼぼるパパが身を乗り出して嬉しそうに手を振り返している。

はちこ(玄関から手を振りながら)「パパじゃないんだってば。」

エミ「パパがじゃまでおばあちゃんが見えなくなっちゃったよ。」

*****

昼前には保険屋さんがやってきて、いろいろ話をした。リビングルームで話をしていたら、ケンスケが両手で目隠しをしながら摺り足でソロソロとやってきた。本人は目立たないように、隠れて侵入しているつもりなんだろうけど、あまりの挙動不審にみんなの注目が集まる。3人でクスクス笑っていたら、保険屋さんがふと思い出したように口を開いた。「イグアナがね…」

「友人にイグアナを飼っているやつがいるんですけど、そこのイグアナが面白くてね。僕ら他所ものがカゴを覗き込むと、目を閉じて首を傾けて寝たふりをするんですよ。友人の話では、イグアナは恐れを感じるとそうやって目を閉じることで恐れに対処するんだとか…」 

うちのケンスケはイグアナですか。(笑)

目隠しをして摺り足でやってきたケンスケは、私の椅子の背後に隠れると、顔だけ出しておもむろに、「レロレロレロレロレロ…」 舌をベロベロと出して保険屋さんを威嚇(?)し始めた。我が息子のあまりの行動に、私もぼぼるパパも絶句。保険屋さんも首を横に振りながら、うつむいて肩をふるわせていた。

*****

ワーシップコンファレンス以来、ずっと思いを巡らせている御言葉。

ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

イザヤ6章1〜8節

Woe is me! For I am undone and ruined... (Isa. 6:5 Amplified Bible)

2003年5月23日

ふう、今日も疲れた。でもいろいろ仕事を片付けたぞ。

まず、Honor Star Celebration のために、エミの写真を撮ってもらってきた。Honor Starとは、アッセンブリーオブゴッド教団がやっている女の子のミニストリー『ミッショネット』に関するもので、ミッショネットのプログラムのなかの「Stars」というレベルをhonor roll で卒業した子だけに与えられる称号。Honor Star Celebrationとは、Honor Starとして卒業する子たちのためのお祝いのセレモニー。とってもフォーマルで、Honor Star になるというのはうちの教団ではかなりのビッグディールなのだ。Honor Starになるためには、小学校3年生から5年生までの3年間の間に新約聖書を全部読むこと、聖書66巻の全ての名前とスペリング、そして順番を覚えること、27の御言葉を暗記すること、最低27のレッスンの単元を修了すること、その他数々の条件を満たさないといけない。決して楽なことではなく、今年のHonor Starは二人だけだった。去年も二人いて、その前は6年間くらい一人も出なかった。エミは(みんやま〜やも)3歳のときからずっとミッショネットのプログラムをやっているが、祈りをもって入念に作られたプログラムに添って、年相応のレベルで聖書やイエス様について、また信仰生活や聖書に基づいた価値観について、システマティックに学べるというのは、素晴らしいことだと思う。エミは「Stars」を卒業して、今は「Friends」というレベルをやっている。私が春から教え始めたのがこの「Friends」だ。みんが今は「Stars」をやっているけれど、みんは別にHonor Starにならなくてもいいなどと言っている。たくさん暗記したり、エキストラの学びをするのが面倒なんだそうだ。(^_^;; まあ、go-getter のエミとは違って、みんはのんびりやさんのところがあるから、それでもいいんだけどね。無理強いはしないけど、できれば奮起して頑張ってもらいたいというのが私の本音。絶対頑張ってよかったと、後から思えるはずだから。子供のうちに努力して何かを成し遂げるという体験をすれば、それがきっと10代20代になってより広い世界に出て行くときの励みになるんじゃないかなぁ。Honor Starというのは能力に対してではなく、努力とヤル気がもたらした結果に対して与えられる称号だから、やろうと思えば誰でも成し遂げられる。そしてその努力と最後までやり遂げたことに対して、教会全体が敬意を払い、大人も子供もみんなでお祝いしてくれるって、とても感謝なことだ。子供たちにとってもどれだけ励みになることか。

さて、Honor Star Celebrationでは、真っ白のワンピースに金のタッセルのついた青いケープを着ることが義務付けられている。ワンピースは買ってきて、ケープは教会のお裁縫が得意な人が手作りしてくれた。今日はその姿でフォーマルな写真を撮って来た。まず写真屋さんに行く前に美容院に行って髪の毛を結ってもらった。結ったまわりにかすみ草の花をたくさん飾ってもらって。白いワンピースによく似合う。最初は私が自分でやるつもりだったけれど、私はそういうことはどうも苦手で、うまく出来そうになかったので昨日急きょ美容院に予約を取ったのでした。

写真屋さんはぼぼるパパが電話帳で調べて適当に予約をいれてくれた所だったけれど、ここがまたとてもよかった。女性のフォトグラファーで、とてもプロフェッショナル。今までやってもらったことのある写真屋さんのなかでここがベストだと思った。見て、見て、こんな感じ。これとか、これとか。エミの写真はどんなふうに出来上がるかなぁ。写真を撮る部屋には私は入れてもらえなくて、覗き穴から覗くだけだったんだけど、エミはまるでプロのモデルさんのように扱ってもらっていたよ。子供たちの結婚式の写真も、是非ここでやってもらおう、などと思ってしまった。(笑)

6月1日のセレブレーションまでにまだ準備しないといけないことがいくつかある。それも早く片付けなくては。その前にみんの誕生日パーティーもあるしね。

2003年5月25日 ぼぼるパパの誕生日

昨日のJCFNのセントラルコンファレンスはとてもよかった。受付をやることになっていたので、早めに出かける。到着すると、ネヴァダから朝5時半にシカゴについたというN吉くんとご対面。全然初めて会ったという気がしなかった。真面目そうで生き生きとした好青年。受付の人員が足りなかったため、地元シカゴの人でもないのにいきなり一緒に受付をやってもらうことに。(笑)次から次へと領収書かき、どうも御苦労さまでした。(^^)

講師のジャック&恵子マーシャルご夫妻のことは、何年も前から何度もそのお働きについて伺っていたけれど、お目にかかるのは今回が初めて。でもやっぱり初めてという気がまったくせず、一目見るなりお互いに心が通じあってしまった、という感じ。お互いに、名前だけは何年もの間知っていたので(believe it or not, 恵子さんの方も私の名前をJCFNの『祈りの勇士』を通して御存じだったそうだ)、まるで数年ぶりに再会した友人同士のように、手を取りあって初対面を喜んだ。

受付が終わって集会の時間になったら、私は隣室でベビーシッター。うちの子たちの他に4人のチビさんたちがいた。でも1時間ほどたってマーシャル夫妻のメッセージの時間になったら、実行委員長のO兄がベビーシッターの交代を申し出てくださったので、ありがたくお受けした。

メッセージはエペソ書から。3日間、4回のメッセージを通して、(1)キリストにある新しい人生ーあらゆる霊的祝福にあずかってー、(2)キリストにある新しい社会ー主なる神ご自身の選びの民ー、(3)神の民のための新しい基準ーキリストのからだにおける一致と日々の生活における聖さー、(4)新しい人間関係ー家庭における霊的調和とサタンの力に対する霊的葛藤ー、という4つのテーマにそって語られる予定のうち、私は最初に二つのメッセージにあずかることが出来て感謝だった。

金曜日の午後、実行委員の方から電話があって、集会で日常生活における恵みに関する証を7分くらいで分かちあって欲しいと頼まれた。証ししたいことはたくさんあるので、喜んでお受けしたものの、さて、どの恵みについてお分かちさせていただこうか、考え込んでしまった。祈り、またぼぼるパパにも相談した結果、私たちがこの冬から春にかけて体験した、教会の分裂という試練とそれを通して現された神様の恵みについてお分かちさせていただくことにした。時間もなかったので特に原稿の準備はせず、祈って備えた。

試練を通されている最中は心も重苦しく辛かったけれど、後から振り返ったときに、確かに神様の御手がそこにあったことを見ることが出来、またそれをこのように他の人たちにも分かち合い、励ますことができるのはそれ自体が大きな恵みだと思った。私が証ししている最中、部屋の一番後ろに座っていたぼぼるパパは、やはり当事者だからか、涙をボロボロこぼして泣いていた。でもそれは過去の辛い記憶を思い出しての涙ではなくて、神様がどれだけ私たちのすぐ側にいて、私たちの一歩一歩を導いてくださっていたか、またどれだけ私たちに報い、祝福と恵みを与えてくださったか、その神様のあふれるばかりの慈しみに圧倒されての涙だったんだと思う。

証のあと、マーシャル夫妻が前に出てきて、私を抱きかかえるようにして力強くお祈りしてくださり、私はそれがものすごく嬉しかった。私の教会のために、私の家族のために、またキリストの身体全体のために… 祈っていただいている間、この日記を通して私たち家族や教会のことを覚えて祈ってくださっていた大勢の方たちのことをも思い、感謝で胸がいっぱいになった。

私たちがこのコンファレンスに参加するのは昨日だけだが、コンファレンス自体は月曜日まで続く。参加者みなさんのうえに、さらなる祝福がありますように。

2003年5月26日

今日はメモリアルデーで休日。娘3人を連れて、映画『Lizzie McGuire』を観に行って来た。ディズニーチャンネルでやっている同名の中学生の女の子が主人公のドラマの映画版。プレティーンの女の子たちの間でとても人気がある番組らしい。この映画はローマが舞台だというので興味が出て観に行って来た。どうってことないストーリーだったけど、ローマの景観が美しかったね。トレビの泉とか、コロシウムとか、ついこの前エミとパパが行って来たところだと思うと感慨深く、またこんな素敵なところに行って来たのかと羨ましくもなった。

それにしても、半日出かけただけで妙に疲れた。今夜は早く寝よう。

*****

土曜日のコンファレンスのメッセージのなかで、マーシャル師が問いかけておられたことがなぜかずっと心に残っている。クリスチャンはよく「救われた」「救われている」と言いますが、何から救われているのか知っていますか?と。 答えは、そう、from the wrath of God (神の御怒り)から。

天国と地獄というと、何か対立する概念で、天国の王が神様で地獄の王がサタン、みたいなイメージがもたれがちかと思うけれど、それは違う。サタンは別に地獄を取り仕切っているわけでもなんでもない。地獄は天国に対立してサタンが打ち立てた王国などではない。地獄とは、サタンとサタンに連なる者たちが裁きの時に神の御怒りを受けて投げ込まれる場所として、神様が作った場所。つまり地獄においても権威を持っておられるのは神様。神様こそ唯一私たちが恐れるべきお方。 サタンとは私たちの罪を責め立てる嫌なやつ、一方神様はその罪を「いいよ、いいよ」と許してくださる優しいお方、と思っているならそれも違う。神様は私たちの罪を「いいよ、いいよ、そのままでもいいよ」と言って許してくださったわけではない。神様が見逃して下さった罪など一つもない。私の罪のうち、ひとつとして「いいよ、いいよ」で許してもらったものなどない。私の罪 (sins) は、一つ残らず、逐一、全部、イエス様のうえに置かれ、本来なら私が受けるべきだった神様の御怒りを、イエス様が身替わりになって受けて下さった。私の罪は、見逃して許してもらったのではなくて、罪が受けるべき処分をきっちり受けることによって対処された。そして、それはイエス様という身替わりを通してなされたのだ…  だから私は、本来、罪のゆえに私が受けるはずだった神様の御怒りから救われている者なんだ。「いいよ、いいよ」で許されたわけではなくて、きちんと正当な手順を踏んで処理されたことだからこそ、サタンがねちねち責めてきても、「私の罪はイエス様の血潮によって覆われている!」と断固として宣言することができるんだ。

マーシャル師は、クリスチャンは「神の愛」についてばかり聞きたがるけれど、もっと「神の御怒り」についても知らないといけない、とおっしゃっていた。神の御怒りのことを知ってこそ、神の愛の本当の価値を知ることが出来るから… そんなことに思いを巡らせながら、大好きな『In Christ Alone』の二番の歌詞を、一人でずっと口ずさんでいた夜。

In Christ Alone! - who took on flesh,
Fulness of God in helpless babe!
This gift of love and righteousness,
Scorned by the ones he came to save:
Till on that cross as Jesus died,
The wrath of God was satisfied
For every sin on Him was laid;
Here in the death of Christ I live.

(In Christ Alone  詞:スチュアート・タウンエンド 曲:キース・ゲティー)

2003年5月27日

昨日の続き。神様の御怒りといえば、もう一つ思い出したワーシップソングがある。イギリスのワーシップリーダー、グラハム・ケンドリックが書いた曲で『We worship at Your feet』というもの。グラハム・ケンドリックといえば、日本でも『Shine, Jesus, Shine』、『Amazing Love』とかが有名だけど、私は『We worship at Your feet』の方がずっと好き。この曲も『In Christ Alone』に通じるところがあって、どちらも、福音、すなわちイエス様の十字架の死と復活を克明に描き、それを通して現された神様の愛と恵みと偉大さをほめ讃え、それゆえに主を礼拝する歌になっている。 私とぼぼるパパは、こういうワーシップソングを「モダーンヒム(現代の賛美歌)」と呼んでいる。

『We worship at Your feet』の歌詞

2003年5月29日

シカゴから無事ネヴァダへ帰りついたN吉くんが、とてもいいことを分かちあってくれた。彼の日本の母教会の牧師さんがいつも彼にこう言っていたそうだ。

「教会は人格的に優れた人たちが集まってくる所ではなくて、たくさんの争いや問題を克服していく中で愛の訓練をする場所なのです」

N吉くんは、今回の私の教会の問題は確かに痛みを伴う辛い経験だったかもしれないが、愛の訓練のために神様が備えて下さったことだと私の証を聞きながら思った、と言ってくれて、私はとても励まされた。励まされると同時に、改めて今回のことを振り返り、自分自身の心を吟味させられた。これが愛の訓練であったなら、私は果たしてこの訓練から学ぶべきことを学んだだろうか、と。

実は、土曜日、夜中近くにコンファレンスから帰宅すると、留守番電話にヴェラからのメッセージが残っていた。ヴェラと私はとても親しくしていて、今回の分裂問題でも一緒に涙を流して祈りあった仲間だ。だけど彼女はうちの教会を去ることを選び、私は残ることを選んだ。彼女も私も、それぞれ神様から示されたという確信にそっての選択だった。彼女は教会を去るとき、私に「あなたとの関係は断ちたくないから、これからも連絡を取り続けようね」と言った。私も「もちろんよ」と答えた。しかし彼女がうちの教会を去って間もなくの頃、ある日電話でおしゃべりしていたとき、彼女はまだ感情的に不安定で、声を荒げがちだった。私は私で、彼女の喧嘩腰とも取れるような物言いについ感情的に反応してしまいそうになっていた。私はそのとき、ヴェラとはしばらくの間少し距離をおいた方がいいかもしれない、と感じた。彼女も同じ思いだったのかもしれない、その後、ずっと彼女から連絡はなかった。私からもしなかった。

彼女からの留守電のメッセージは、特に用事ではなく「最近どうしてる? 久しぶりにはちことおしゃべりしたくなったので電話しました」というものだった。

その日はもう夜中近かったし、次の日は日曜日だったし、月曜日も出かけたのでばたばたしていたため、結局私から電話をかけ直したのは火曜日になってからだった。電話に出た彼女の声は、やけに暗く、ムスっとした感じだったので、私がすぐにかけ直さなかったので怒っているのかと一瞬あせってしまった。でもそうではなくて、その日の朝息子さんが車で事故をおこして、怪我人は出なかったものの相手の車がかなり潰れたとかで、警察に調書を取られたり、保険屋に連絡したりと、忙しくしている最中だったらしい。間の悪いときにかけてしまった。彼女はまた落ち着いたらかけ直すからと言い、電話を切って、そのまま今日に至っている。

そもそも、今回の教会の問題で、私とヴェラの関係がぎこちなくならなくてはいけない理由なんて何にもないはずなのに、私はこれからまたヴェラとおしゃべりをすることに関して、ちょっぴり緊張している。これは一体どうしてなんだろう?

…「一体どうしてなんだろう?」これは修辞疑問文。 本当はそのわけはわかっている。今、ここにそれを書いたんだけど、なんだか長くなってゴチャゴチャしたので消してしまった。 ひとつ言えるのは、今回の件を通しての神様の私に対する愛の訓練はまだ終わっていないということ。

教会(あるいはクリスチャン同士の交わり)こそ、様々な争いや問題、諍いや躓きを克服していきながら愛の訓練を受ける場所であるとは、なんと驚くべきことだろう。でも言われてみれば確かにその通りだと唸ってしまう。教会(クリスチャン同士の交わり)以上に、私たちが愛の訓練を受けるにふさわしい場所があるだろうか? 交わりのあるところには、必ず何らかのすれ違いやぶつかり合いが起きる。でも、そこから逃げ出すのではなく、表面だけ取り繕って何ごともないかのようなふりをするのでもなく、一人一人がまずイエス様と向かいあって、自分の品性(キャラクター)を根底から練り直していただくこと、それこそ神様が願っておられたことなのだなぁと思わされた。

私たちが通る試練のなかで、人間関係における躓きほど辛く苦しいものはないかもしれない。土曜日、別れ際にジャック・マーシャル師に挨拶をしている時、彼が私とぼぼるパパにこのようにおっしゃった。

「神様は、どんな困難や試練をも、すべてのことを相働かせて益としてくださるのですから素晴らしいですね。そして神様がそのようにしてくださるのは、私たちが御子の姿に似た者に変えられるためだと聖書は言っています。いかなる困難であっても、それが私たちの品性を練り、私たちを御子に似たものにするために用いられるのだと思ったら、心から感謝ではありませんか!」

私はこれを聞いたとき、「えっ?」と思った。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています(新共同訳)」というローマ書8章28節の御言葉はよく知っている。だけど、それが私たちが御子に似たものにされるためだとは? 家に帰ってから聖書を開いた。29節にはこう書いてあった。(太字はちこ)

神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。(新共同訳)

For those God foreknew he also predestined to be conformed to the likeness of his Son... (NIV)


ああ、そうか。私にとっての究極の益とは、私がイエス様の姿に似た者に変えられることなんだ。

教会の分裂のような問題でさえ、それによって結果としてますます神様のための働きが広がり、より一層福音が多くの人に伝えられるため、という以前に、神様が関心を持っておられるのは、私たち一人ひとりが、イエス様の姿に似た者に変えられることなのか… 神様の御思いの深さに圧倒されそうだ。

God's desire is not for me TO DO MORE FOR HIM, but TO BE MORE LIKE HIM.... うわああ、ショックだ。うちの教会分裂問題の背後に、神様のこのような深い御思いがあることに、私は今の今まで気付いていなかった。神様、トロイ私をお許しください。あなたが他の人たちを通して、私にこの大切なことを忍耐強く示してくださったことを感謝します。 あなたの愛の訓練を感謝します。

2003年5月30日

5月25日号のリバイバル新聞に、SARSに感染していることを知らずに日本に観光に来た台湾人医師に関する記事が出ていた。この医師が務める馬偕記念病院は、「医療」と「伝道」をモットーとし、院内に礼拝堂もあるキリスト教系の病院なんだそうだ。院長の黄俊雄さんは熱心なクリスチャンで、今回の件に関して日本国と日本国民に対して深い謝罪の意を表するとともに、日本人クリスチャンにも「祈っていてほしい」と願っている、と記事にあった。 興味深く読んだ記事だったので、御紹介。

●リバイバル新聞 「台湾 馬偕記念病院「深い謝罪の意」表明  SARS感染の男性医師が勤務 日本人クリスチャンに祈りの要請

それから、リバイバル新聞には『私の献身の証』というシリーズがあって、現在連載中の鍛治川紀子先生(CFNJ聖書学院副学院長)の証がとても興味深い。全8回の連載で、現在第4回めまでオンラインで読むことが出来る。

『私の献身の証』 鍛治川紀子先生

それからそれから、リバイバル新聞のなかで私が毎週一番楽しみにしていて、まっ先に読むのが編集長谷口和一郎氏によるコラム『後の雨』なのだが、今週の『後の雨』に、「サイン」という映画の話しが出ていた。「交通事故で妻を失ったことで神に背を向けた牧師が、宇宙人の来襲という危機を通して神に立ち帰る」というものなんだそうだが、それだけ聞くと、「はぁ? 宇宙人の来襲?」と思ってしまう。でも、父と子の愛やすべてを益に変えられる神の御手が描かれていて、なかなか感動的だったらしい。これ、邦画なんでしょうか、洋画なんでしょうか? 何だか私も興味が出てしまったけれど、どなたかこの映画について詳しいことを御存じの方がいらっしゃいましたら是非教えて下さいませ。

コラム『後の雨』

2003年5月31日

この週末はとてもイベントフルで忙しい。

昨日は、まずま〜やが4時から6時まで、お友達のお誕生日パーティーに招かれて行って来た。そのあと6時半から8時まではみんの9歳の誕生日パーティー。うちの村には、素焼きのお皿などに自分で絵付けをさせてくれるちょっとおしゃれなアートスタジオがある。去年ケンブリッジに住んでいたとき、ちょうど同じようなスタジオが近所にあって、うちの子供たちとパパはそこが大のお気に入りだった。去年のエミの誕生日会はそこでやった。シカゴにもそういうところがあればいいのにね、といってたら、先日、うちから車でわずか数分のところにそういうスタジオがあるのを発見し、驚くやら嬉しいやら。早速みんの誕生日会をそこでやらせてもらうことにしたわけだ。子供たちはワイワイガヤガヤ、お皿に下絵を書いて、それからペイント。出来上がったらあとはお店の人が上薬をかけてから焼いてくれる。出来上がるのには1週間かかる。ペイントが終わったら今度はバースデーケーキを出して来て、みんなでおめでとうの歌と、ろうそくの火を吹き消すお決まりのパターン。ケーキを切り分けている間にいただいたプレゼントをみんなの前で一つ一つ開けて、お礼を言う。それからケーキを食べ終わるとうまい具合にちょうどお開きの時間。

パーティーが終わって家に帰って来ると、急に空模様が怪しくなり、いきなり竜巻警報が。またもや貴重品や懐中電灯などをかき集めて地下室に避難。今度も何ごともなく嵐は過ぎていってくれたのでよかった。

今日は午前中、6月に行くキッズキャンプのカウンセラーのための講習会に行って来た。初めてカウンセラーの奉仕をすることになっている人は、絶対にこれに参加しないといけないということで、うちから車で片道1時間の会場まで、ぼぼるパパが送り迎えをしてくれた。私は車の運転が苦手で、高速道路の運転が出来ないんです。(泣)アメリカに住んでいるのに、とっても不便。

さてキッズキャンプの1週間は激務になりそう。私は8〜10歳の10人の子供の受け持ちになり、1週間一緒に寝泊まりをしてお世話をする。10人のうち4人はうちの教会の子たちで、残りは他所の教会の子たちだ。事故などが起きませんように。去年のキャンプでは、竜巻が近くに来て、全員で避難したんだそうだ。うわあ。

午後は、今度はみんがお友達の誕生日会に行った。夜にはエミの学校の担任の先生の家で持ち寄りのバーベキューパーティー。これは3月のギリシャ/ローマ旅行に行って来た人たちが、みんなで旅行の写真を見せあうという趣向のパーティーだった。せっかくのバーベキューだったのに天気が今ひとつで、とにかく寒くて参った。ケンスケは鼻水たらしながら嬉しそうに外を駆けまわっていたが。

明日は朝は礼拝、夜はエミのHonor Star セレブレーション。これが終わってほっとするのも束の間、来週の土曜日にはま〜やの6歳の誕生日パーティーがある。 そしてその10日後がキッズキャンプ。キャンプが終わったら私は寝込んじゃうかもね。(笑)

*****

そうそう、今日はすっごく久しぶり(数年ぶり)に、大学院時代の友達のリンダから電話がかかってきた。リンダの御主人のボアズと私はプリンストン時代、同じ言語心理学研究室で一緒に研究していた仲間。リンダも心理学部の院生で、彼女は社会心理学の専攻だった。しかも、ぼぼるパパとリンダは同期で、大学院1年生のとき同じ寮に住んでいて、私とぼぼるパパ、リンダとボアズが出会うまえにぼぼるパパとリンダはすでに友達同士だったというから面白い。さらに、現在ボアズはシカゴ大学の心理学部で、リンダはシカゴ大学のビジネススクールで、それぞれ教授をしている。リンダとボアズのように夫婦揃って同じ大学で職に就くというのはなかなか容易ではないが、二人ともとても優秀だったから実現したのだろう。学生時代からの仲間たちが、同じシカゴ大学で頑張っているというのはとても嬉しい。ちなみに、ボアズはエルサレム生まれ、エルサレム育ちの生っ粋のイスラエル人。同じ研究室にいた頃は、彼が電話でヘブル語を話しているのをよく耳にしたものだった。また彼のカレンダーにはミミズがのたくっているようなヘブライ文字が書きなぐってあって(いや、丁寧に書いてあったのかもしれないけれど、私にはよくわからない)とても興味深かった。

リンダは私より2、3歳年上だけど、この4月に第4子を出産したそうだ。リンダはシカゴ大学のビジネススクールの看板教授の一人で、世界的に活躍している学者なのに、よく育児と両立させているなぁと心から感心する。それだけではない。リンダとボアズは、5年前にとても悲しい体験をしている。彼らの次男のダニーが1歳半のとき、デイケアで事故死したのだ。メーカーがリコールしていた不良品の折り畳み式ベビーベッドに寝かされていたとき(もちろん、デイケア側はそれが不良品だとは知らなかった)、突然ベッドのバネがはずれ、ダニーの首がはさまっての窒息死だった。

リンダとボアズは、メーカーがリコールしている不良品であっても、小売店側がそれを知らずに販売し続けていたり、消費者もリコールされていることに気付かずにずっと使い続けていることが多いという現状に非常に心を痛めた。彼らが調査したところ、同じような事故で命を失ったのはダニーが初めてではなかったし、最後でもなかったからだ。二人はその後、多くの人たちの協力を得て、Kids In Danger という非営利団体を設立し、危険な子供用品が市場に出回り続けることが出来なくするための運動や、消費者に警鐘をならす働きをしている。Kids In Dangerの働きのおかげで、イリノイ州ではリコールされた子供用品が市場に出回らなくなるための新しい法律が作られた。彼らの働きは全国的にも注目を集め、雑誌やテレビなどでも随分取り上げられていた。ABC局の看板番組『20/20』でも特集されてバーバラ・ウォルターズがインタビューしていたし、ワシントンのオーバルオフィスに呼ばれてクリントン前大統領から表賞されたりもした。

しかし、大統領から表賞されたとか、一線で活躍する優秀な学者であるとかはオマケみたいなもので、彼らの魅力はその人間性(キャラクター)にある。家族の絆や人間関係を大切にするとても素敵な人たちなのだ。4月に生まれたばかりの赤ちゃんは、予定日より9週間早い早産で、誕生後1ヶ月の間病院で保育器に入っていたそうだ。でも今では退院し、元気で体重もぐんぐん増えているという。リンダは、夏休みになったら一緒に動物園にでも行きましょうよ、と誘ってくれた。数年ぶりに彼らとget together するのはとても楽しみだ。

Kids In Danger

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