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ぼぼるパパの日記はこちら
2003年2月1日風邪をひいて寝込んでいる。とはいえ、午前中は苦しい身体をひきずってワーシップチームの練習に行って来た。驚いたことに、ワーシップリーダーだった牧師夫人が、しばらくチームからおりることになった。前回の練習のときは、何があってもおりないと言っていたのに。牧師夫妻の長女もチームのメンバーだったが、まわりからのプレッシャーがあって、すでに奉仕からおろされている。 ほかに、出産を控えている姉妹たちが二人いて、一人は体調が悪いためすでにおりていて、もう一人は来月からおりる予定。この調子では、イースターコンサートも出来なくなりそうだとのこと。 いろいろ考えると気が滅入るけれど、残っているメンバーのスピリットは熱い。こんなときだからこそ、ますます主を見上げ、あがめ讃え、主の御名を呼ぼう。 明日、前に立って歌うだけの体力が与えられますように。 2003年2月2日エミとみんはウィンターキャンプから無事に帰って来た。二人がいない間、家の中が随分静かだったなぁ。ま〜やがしきりと「I miss Emi and Miho」と言ってたのが可愛かった。 体調の方は昨日よりはましになった。まだちょっと熱っぽいけど。 礼拝のあとで牧師からアナウンスがあり、来週の礼拝の直後、臨時ミーティングを行なうので教会員の人は残って下さいとのこと。この6週間ほど、教会内であることについてテンションが続いているので、そのことについて説明をして、質疑応答の時間を持ちたい、と。愛と聖と義であるお方のご性質が、私たちの教会の中にも完全に現されリフレクトされますように。 2003年2月3日うう、今日は私が歯医者さん。いくつになっても歯医者に行くのは嫌なものだ。直前まで、風邪ひいてるし、熱っぽいし、キャンセルしようかなぁと迷っていた。それでも重い足を引きずって出かけて行ったものの、先生に「How are you?」と聞かれて「実は風邪ぎみなので、やっぱり今日はやめておいた方がいいかなと思ってるんですけど…」と、もごもご。先生はにこにこ(というかニヤニヤ)しながら「あなた次第よ。」 私はついに観念して「はい、やっていきます。お願いします。」 本当は先日ま〜やが泣き叫ぶのを見たばかりだったので、怖じ気づいていたのでした。情けない、これでも大人か? オフィスには新米の助手さんが二人いて、二人とも先生に叱られまくっていた。最初に印象剤を使って型を取るときも、治療する歯とは反対側の型を取っていたのでおかしいなぁと思っていたら、先生がやってきて一目見るなり「ナンバー19の歯はどこにあると思っているの? え? 言ってごらんなさい! ナンバーナインティーン!」と雷を落としていた。でもこの先生、私とはもう10年来の付き合いなので、私にはとても優しい。優しいというか、友だち感覚でいろんなおしゃべりをする。同年代なので育児や家庭問題の話しに花が咲くことが多い。(ただ、歯を削っている最中にあれこれ話しかけるのだけはやめて欲しいんだけど。だって話しかけられても返事できないよ。) 助手さんは最後まで先生に叱られっぱなしで気の毒だったので、帰り際に「Good job! Keep it up!」と励ました。 実は私もずーっと前に、歯科衛生士助手というアルバイトをしていたことがあるのだ。あれは高校を卒業した春休みの頃で、当然なんの資格も持っていなかったのだけれど、資格は必要ないとのことだったのでやらせてもらっていた。実際ほとんど技術を要しないようなアシストだけをしたのだが、たまには印象剤を練ったりすることもあった。ところがこの水加減が難しくて、ゆるくなり過ぎたり、がちがちになってしまったり。しかももたもたしているとだんだん固まってきてしまう。先生に横から「早く!」とか「ゆるい!」とか言われると、ますます焦る。しまいには「もういい!」と言って入れ物を奪い取られ、中身を捨てて、先生が自分で最初から練り直すということもあった。大変だったけれど、いろんなことを教えてもらって結構楽しかった。半年くらいは続けたと思う。そのうちスケジュールが合わなくなったので辞めたけど。 ***** そういえば、次の日曜日は夕拝で私とぼぼるパパが特別賛美をすることになっている。でも午前中の臨時ミーティング次第で、夕拝の雰囲気がかなり変わってくるかも。どの歌を用意しておこうか。今、私の頭のなかでずっと響いているのは、ある歌のこの部分。(Paul Oakley "Who is there like You?" より)
この部分、そのまま私の祈りでもある。今、私たちの教会を精錬するためにさまざまな辛いことが起きているけれど、すべて主の御手のなかにあることを信じる。しばらく前に、私の日本の母教会から送られて来た週報のメッセージにこのようなことが書いてあった。神様が私たちを取り扱われるためにさまざまな試練に私たちを通させるとき、私たちは主の大能の御手の下に自らをへりくだらさせなくてはならない。一方で、そのどさくさに紛れてサタンが私たちを責めたて攻撃してくることもあるが、サタンの攻撃に対しては、権威をもって立ち向かうべきである。ただしその権威は、主の前にへりくだる時に初めて、私たちに与えられるものだ、と。 だから、私はイエス様の御言葉と、十字架と、御血潮に信頼し、ただその前に身を低くしよう。 2003年2月4日●『神からの報い』読者の声(いのちのことば社ホームページより) ●『神からの報い』書評 2003年2月5日昨日、教会から手紙が来た。次の日曜日の臨時ミーティングでは牧師の信任投票を行ないますが、参加できないけれど投票はしたいという人は、事前に教会オフィスまで連絡ください、というもの。信任投票だなんて。いろんな思いが私の頭を駆け巡り、うまく言葉に出来ない。さっきから私の心のなかでぐるぐる回っている歌があるけど、これが今の私の心境かな。
…と書いていたら、同じ教会のヴェラから電話がかかってきた。一緒に祈りたいと言う。今日はもう子供たちが帰ってくるまでにあまり時間がないし、明日は近所の人にベビーシッターを頼まれていて都合が悪いので、金曜日の午後、うちで一緒に祈ることになった。ヴェラ自身が今問題を抱えていて、そのために祈るのがメインなんだけど、やはり教会のことも話題にのぼった。ゴシップにならないように二人で気をつけながら少しだけ話した。 で、上の歌だが、この歌詞のなかのCome on Jesus, come on Jesus、Show Your awesome power and might の部分、最初は「なんだこれは? イエス様を挑発している!?」と驚いたけど、何度か聞いているうちに、この歌詞の持つdesperateな感じにとても共感するようになった。自分にはどうしようもない、大きすぎる問題に潰されそうになっているとき、私もまた祈りのなかでCome on Jesus, come on Jesus、Show Your awesome power and might と叫んでいることに気がついた。この歌を歌っていると、自分がどんどん小さくなっていく。アリよりも小さく、ノミよりも小さく。そして神様がどんどん大きくなっていく。大きな岩壁のように、大波のうねりのように、天から轟く巨大な竜巻のように。神様の偉大な、圧倒的なご臨在の前に、私は息をすることさえ出来なくなる。ただひれふして。ひれふして。 2003年2月6日一ヶ月ほど前に、joy♪さんから「単語力(たんごりき)」という英単語の語彙力を判定してくれるサイトを教えていただいた。英単語ひとつにつき、訳語を三つの選択肢のなかから一つを選ぶ、というシンプルなものだが、参加者のランキングが出るのでなかなか面白い。テストには初級から至難レベルまでいくつかの難易度があるので、誰でも気軽にトライできる。このサイトで単語力500と出ると、TOEICの600点、700と出るとTOEICの800点くらいのレベルになるそうだ。一回のテストは単語10コなので、30秒前後くらいでできる。テストを一回受けるたびに、その結果によって自分の成績が上がったり下がったりするので、つい「もう一回」「もう一回」とはまってしまう。ゲーム感覚でやっているうちに、いつの間にか語彙力があがっていくのだとか。いや、でも確かにその通りだと思う。私もここしばらく気分転換がしたくてちょっとはまっていたのだけれど、随分新しい単語を学びました。辞書機能もついていて、間違えた単語はオンライン辞書で即座に意味や用法を確認することも出来る、なかなか有益なサイトです。(10年くらい前に、テトリスにはまったのと同じようなノリではまりました。(^_^;; 久々に自己の限界に挑戦するような快感を味わいましたが、そろそろ頭打ちになったかな、というところ。) ***** 3週間程前だったか、教授会のある日にパパが「今日の教授会では難しい問題について話し合われることになっていて、かなりの紛糾が予想されるから、祈っていて欲しい。神様のjusticeが現されるように、それから僕が言うべきことをきちんと言えるように」と言い残して出かけていったことがあった。私には詳しい事情はわからないものの、とにかく祈っていた。話し合いは何週間かに渡り、1週間前の教授会のあった日の夜、パパはこんなことを言った。「話し合いは案の定かなりもつれて、僕が推しているケースはどっかへとんでっちゃったみたいな雲行きになってるんだけど、それにもかかわらず平安が与えられたよ。神様の御心がなる。だからもう僕は何も心配していないんだ。」 そして昨日、その問題について最終的な決議がなされた。12対4、棄権1で、ぼぼるパパが推していたケースが可決された。本来ならば満場一致というのが望ましいものの、これだけ紛糾したケースで12票を得ての可決とは、奇跡としかいいようがない、とパパは言った。話し合いは最後の最後まで二転三転し、どうなるか予断を許さない状態だったらしい。話しを聞いた私の方が、「ええーっ、すごいねぇ!」と興奮してしまったが、パパはいたって平静。「先週の時点ですでに平安が与えられていたから、どう決まってもそれが神様の御心だとわかっていた」と言う。 このパパ、日曜日の臨時ミーティングの件に関しても、すでに平安をいただいている。教授会のときと同じだ。神様のjusticeが現されるように、そして言うべきことがあればきちんと言えるように。 私はといえば、感情的には痛みがあるものの、霊においては平安がある、と言えるかな。 ちょうど今日、ケンブリッジのH子さんから電話があって、H子さんとも話していたのだけれど、霊が私の感情を慰めてくれている、とでもいうような… 「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。」(エレミヤ 30:13) 主よ、感謝します。 毎日、賛美と祈りをもって捧げる礼拝と、御言葉の糧によって支えられている。 そして今日の歌はこれ。
2003年2月7日今夜、パパとみんは近所の中学校の体育館でもたれた『Daddy-Daughter Date Night』というイベントに行って来た。バレンタインデーにちなんだもので、4歳から12歳までの女の子とお父さんたちのための、要するにダンスパーティーだ。親友のパティとブリジットとそれぞれのお父さん達も一緒にトリプルデート。コサージュを買ってあげたり、フォトグラファーに二人の写真を撮ってもらったり。ダンスは、普通に踊るのは良かったそうだが、途中で女の子を横や上や下に思いきりスウィングするようなのがあって、それが大変だったと言っていた。もう、肩や腕がつりそうだったよ、と。(笑)何でも年令制限があるとかで、9歳以上の子供のことはスウィングしてはいけないことになっていたんだそうな。きっと、過去に背中でも怪我したお父さんがいたんじゃないかな。バキッとかなって、うずくまって救急車で運ばれたとか。ありそうな話しだなぁ。 それにしても、パパは私の風邪がうつってしまったらしく、すっかり鼻づまり。 今夜は本当にお疲れさまでした。薬飲んでゆっくり寝てください。でも楽しくてよかったよね。 2003年2月8日有志で集まって教会のために祈ってきた。
今うちの教会で起きていることを、一言で説明するなら、牧師夫妻の26歳になる長女の結婚が暗礁に乗り上げ、離婚の手続きの最中だということ。それに対して、一部の信徒が牧師のくせに娘を離婚させるとは何ごとだ、と非難の声をあげているらしい。(もちろん、詳しく説明すればもっといろいろあるんだけど、省略。)しかしこれは、皆で牧師夫妻の痛みを分かちあい、一緒に祈るべきことであって、牧師の不信任云々なんて話しに展開するようなことじゃないと思うんだが? 成人した子供の問題でなぜ牧師が責められなければいけないのか? それなのに、あれよあれよという間にこんなふうになってしまった。 常識で考えればまったく馬鹿げたこと。サタンの策略としか言いようがない。一方で、これだけサタンにしてやられたのは、私たちの側も隙だらけだったということだろう。心のなかに苦味をためこんでいたり、自分の悟りや理解に頼ったり、祈りと御言葉による神様との交わりが不足していたり… サタンのせいにするのは簡単だが、結局は私たちが自らの手でイエス様の御身体を傷つけていたのだ。私たちはへりくだって神様の御前に出て、悔い改めなければならない。
明日の臨時集会では、説明とか話し合いは一切行なわれず、ただ信任投票だけがなされることになったらしい。どういう流れになるかまだ予断を許さないが、今夜の祈りのなかであらためて、御座におられる神様の主権が示された。神様は目的をもって、私たちの教会がこの試練を通ることを許されている。ただ神様がなさろうとしておられることだけが、完全に成し遂げられますように。 私の教会のために、多くの方々が祈っていますというメールをくださいました。心から感謝します。 もしこの日記を日本時間の日曜日の夜遅くに読んでおられる方がいましたら、その時間、私たちの教会は戦いの真っ最中にあると思うので、どうぞ続けてお祈りに覚えてください。教会員の一人一人が、サタンの嘘に煽られることなく、イエス様の愛と恵みのうちに留まることが出来ますように。うちの教会の上に働こうとしているサタンの力をイエス様の御名と血潮の権威によって縛っていてください。 信任投票は、シカゴ時間の日曜日午前11時半から12時頃の間に行なわれる予定です。日本時間の月曜日午前二時半から三時頃になります。その時間にはさすがに皆さんもお休みでしょうが、お休みになる前に一言でもお祈りいただければ、本当に感謝です。ありがとうございます。皆さんのうえにも豊かな神様の祝福がありますように! 2003年2月9日臨時集会は、緊迫した空気が漂ってはいたものの、非常に淡々と、秩序だった雰囲気のなかでとり行われた。昨日聞かされた通り、説明や話し合いは一切なく、ただ投票だけが行なわれた。話し合うべきことがあれば、三月末に予定されている定会においてなされるそうだ。また今日の投票は、あくまでもvote of confidence(日本語に訳せば『信任投票』)であり、教会員が牧師に対して持っているconfidence(信頼)をはかるだけものであって、その結果はいかなるbinding power(拘束力)を持たないということもあらかじめ確認された。 投票の結果は… 明日、各教会員へ郵送するそうだ。明日投函するなら、届くのは火曜日になるだろうか。 お祈りしてくださった皆さん、本当にありがとうございます。誰一人わめき出す人もでず、全てが冷静に行なわれたのは、今日の集会のために多くの祈りが積まれた結果だと思います。心から感謝します。投票の結果が出たらまた御報告しますので、それまで、牧師一家の霊が主の御手のなかで安息を保つことが出来るよう、お祈りいただけると嬉しいです。 2003年2月10日教会の前に立っている看板には、集会時間の案内の他に、聖書の言葉とか、何か啓蒙的な警句が掲げられていることが多い。数カ月前のこと、うちの教会の看板に「科学はフィクションである」というような警句が掲げられていて、ぼぼるパパと二人で苦笑したことがあった。どうもいわゆる「福音的」なクリスチャンには、科学を頭から否定することこそ信仰的であると思っている人がいるようだ。実際、私自身も以前はそういう傾向があった。だけど彼と結婚して、いろいろな話しを聞くようになって、パースペクティブが変わった。 2月10日の研究日誌で、聖書と科学の関係について、ぼぼるパパがクリスチャン科学者の立場から語っている。大変興味深いと思うので、皆さんも是非御一読ください。 2003年2月11日投票の結果が送られて来た。 信任50票、不信任59票。 信じられない。 いくらこの結果に拘束力はないとはいえ、この数字では牧師は三月の定例会を待たずに自主的に辞任してしまうかもしれない。 それにしても、どうして全部で109票しかないの? 棄権や無効投票もあったんだろうか。 いろんな思いが頭をよぎる。ああ、だめだ、だめだ。余計なことは考えるまい。今は嵐。イエス様から目を離したら、本当に沈んでしまう。 2003年2月12日いのちのことば社のホームページで、ヤベツシリーズのコーナーが綺麗なムービー入りでリニューアルされてる。なかなか美しくて感激。 ***** 今夜の集会は素晴らしかった。巡回伝道師の人が来たのだが、彼のメッセージがまさに今のうちの教会にぴったりのメッセージだった。一語一句、神様からの励ましのようだと思った。彼はまさか、三日前に信任投票が行なわれたばかりで、牧師の不信任が過半数を超えていた、なんて事情は何一つ知らないで今夜のメッセージを語ったはずだと思う。知ってたら、逆にここまでピッタリのメッセージはとても出来ないよ。 ところが、そう思って感動していた矢先、教会から帰る間際に、ショッキングなことを小耳にはさんでしまった。でも、事実関係がはっきりするまでは、結論にとびつくのはやめよう。感情的にリアクトしてしまわないように。 …と書いているが、実はすでにかなり感情的にリアクトしてしまった。で、パパに「事実関係がはっきりするまでは、何も言っちゃいけない」とたしなめられた。 はちこ、こらえています。本当はここにもドバーっとぶちまけてしまいたいけれど、こらえています。いつもそうだけど、こういう時はなおさら、自分のなかに渦巻く感情や思いを野放しにしてしまってはいけないよね? ひとつひとつを捕まえて、とりこにして、イエス様の前に差し出さなくては。(第2コリント10:5) まずイエス様に差し出して、そしてイエス様が清めてから返してくださったものだけを自分のものにしよう。そうでないと、私はきっと間違いを犯してしまう。主よ、あなたが私の心を治めてください。 2003年2月14日今夜、我が家でもたれたバイブルスタディでのこと。ケンスケが廊下から何度も顔を覗かせ、私の方に来たそうにしながらも、みんなと目が合うたびにサッと隠れていた。そのうち彼は、顔をカーペットにおしつけて、四つん這いになった。そして芋虫のごとくモジモジと床を這いながら、私の方に向かってリビングルームを横切り始めた。あまりの奇妙な行動に、みんなの視線は彼に釘付け。そのうち誰かが笑いをこらえつつ言った。「隠れてこっそり這ってるつもりなんだろうね。自分にはみんなが見えてないから、みんなにも自分が見えてないと思ってるんだろうね。」 んもうっ! ケンスケってば、可愛いー! 2003年2月15日木曜日の朝9時頃、ヴェラから電話がかかってきた。牧師を支持している彼女は、大変な剣幕だった。 「はちこ、聞いた? パスターは、今度の日曜日を最後に辞任するんだって!」 「うん、夕べ聞いた。役員会がパスターに辞任するよう言い渡したって、ほんと?」 「そうらしいわよ。今まではゴシップになったらいけないと思って我慢してたけど、もう我慢できない! 私が知ってることを洗いざらい話すね。」 彼女はそう言って、誰が何を影で操作しているか、名指しでいろいろ教えてくれた。それを聞いたとき、全身から力が抜けていくようで、私はもうこの教会を去ってもいいと思った。 ヴェラは言った、「神様はきっと、建物も人間による組織も、それが欲しい人には与えよう。しかしわたしの霊はここを去る、って言ってると思う。神様だって、この教会にはいい加減うんざりしてるに違いないわ!今までだって、気に入らない牧師たちのことは次から次へと辞めさせてきたじゃない?」 言われてみれば、私たちがこの教会に来てから10年余りのうちに、主牧、副牧、音楽牧師の三人が辞めていっている。表面的には穏便な辞め方で、いわばソフトランディングだったわけだが、実際には影で圧力をかけていた人たちがいたらしい。今回はハードランディングだ。 私も言った、「そうよね、私も神様の霊のない教会なんて、残っていたくないわ。」 実際、すでに数組の家族がパスターと共にこの教会を去ると言っているらしい。そして、自分たちで集まって、パスターを講師として招く、と言っているそうだ。短期間のうちに話がどんどん進展していることに驚く。 「はちこたちはどうする?」 「今すぐにはまだ、何とも言えないけど… うちの夫も、結論にとびつくなって言ってるし。」 いろいろ話したあと電話を切って、一人で考えた。気持ちのうえでは、この教会を去ることにかなり傾いていた。 ところが、その矢先、私の心の動きを知っていたわけではないお友達のNちゃんが、ある言葉を分かち合ってくれた。以前、別の教会で分裂の問題が起きたときに、神様が彼女に語られた言葉だそうだ。プライベートな内容なので全文は引用しないけれど、一言で表すなら「神様はご自身の教会を惜しまれる」ということ。 ハッとなった。1月19日の日記で、私はこう書いている。「今朝の礼拝では、主を賛美しながら、教会に対する愛が込み上げてくるのを感じた。イエス様御自身がこの教会を愛しておられるその愛が、私のなかにも注がれていくのを感じた。イエス様が教会を愛しておられるとは、なんという尊い真理だろう! イエス様の愛に応えるとは、私自身もまた教会を愛する者になることだと思わされた。」 イエス様は教会を愛しておられる… これこそ、この数カ月、くり返し私に語られていたことではなかったか。キリストは教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた(エペソ5:25)。そこまで愛しておられる教会を、そう簡単に見捨てたりするだろうか。そう簡単に、去られたりするだろうか。単なる組織のことじゃない。もちろん建物のことでもない。イエス様が命をかけて罪から贖い出し、この世から召し出した、尊いキリストの肢体だ。目的をもって集められ、生かされている私たちだ。 人間的にみると、汚いことをやっている人たちがいる。それを見ると、ついこちらも人間的に反応して、抗議の意志表明をしたくなる。だけど、それは人のやり方であって、神さまのやり方はそうじゃないかもしれないんだ。 水曜日の夜、伝道師の人によって語られたメッセージは、極めて平易、とりたててセンセーショナルでもなんでもないメッセージだった。だけど、今まさに私たちの教会のために神様が語られたメッセージだと私は思った。「完璧な教会などありません。たとえどんなに八方ふさがりのように思えたとしても、やめてはいけません。諦めてはいけません。前進し続けなさい。神はあなたを愛しておられます。」 こういうとき、自分の内側でも、外側でも、真っ向から対立する二つの声が聞こえたりする。本当はどっちが神さまの声がわかっているはずなのに、それなのに迷わされる。惑わされる。どうしても、こうだ!と確信がもてない。 英語に「play it by ear (その場の状況に合わせて臨機応変に対応する)」という表現があるけれど、今の私には play it by the Spirit だろうか。なまじ人々の意見を聞いたり、状況を見たりするとかえって惑わされる。 今夜、もう一度有志で集まって祈る。私たちの祈りを主が導いてくださいますように。 2003年2月16日夕べの祈り会は、御霊による一致のある、素晴らしい時となった。リードしてくれたヘムヘムさん(難しくて発音しにくい名前なので、私とぼぼるパパはいつも彼女のことをそう呼んでいる)は、まず悔い改めから始めましょうと言った。今回のことでは、みんな、正直言って、怒りや苦味、批判の思いなどを内側にもっていたのだけれど、それを悔い改めるところから始めた。自分の肉をもう一度十字架につけるような祈りだった。みんなで泣きながら悔い改めた。そして教会の回復のために、一致のために、牧師ファミリーのために祈った。みんなが祈っていた一つ一つの祈りの言葉が、私がずっと祈っていた祈りと同じものだったので、とても励まされた。 昨日から今日にかけて、私のなかで、何度も出エジプト記33、34章が思い起こされていた。 モーセの指揮のもとにエジプトから脱出して来たイスラエルの民。神様が約束してくださった乳と蜜の流れる地に向かって進んでいるはずだったが、彼らがあまりにうなじがこわく(=頑固で不従順)、神様はいい加減、嫌気がさしてしまう。そしてモーセに言う。約束の地へはあなたがただけで行きなさい、わたしは一緒に行かないよ、あなたがたはあまりにうなじがこわいから、これ以上一緒にいたら、わたしはあなたがたを絶ち滅ぼしてしまうかもれしない… モーセは神様に訴える。イスラエルの民をエジプトのパロのもとから脱出させ、約束の地に連れて行けと私を選び、命じられたその時、あなたは「我が臨在、汝と共ならん」とおっしゃられましたよね? それなのに、今さら一緒に行くのはやめただなんて、話が違うじゃないですか。この民は、あなたご自身の民ではないのですか? あなたが一緒に行って下さらないのなら、私も行きません。あなたのご臨在なしに、一歩たりとも動くもんですか… それを聞いた神様は、モーセにこう返事をする。 そうだったね、その通りだ。あなたの言う通りにしよう。あなたはわたしが名指しで選びだした僕だから… モーセと神様の近密な関係。それでいて、神様がモーセに示しておられる圧倒的な権威とご栄光。めまいがしそうだ。 神様はさらにモーセに語られ、イスラエルの民との間に契約を結ぶ。するとモーセは地にひざまずき、伏し拝んで、神様にお願いした。
これこそまさに、神様が今私に、また祈り手たちに、祈れとおっしゃっていることだと思った。 次に神様がモーセにおっしゃったことはこんなにも素晴らしいことだ。
夕べ、そして今朝、礼拝が始まる前、私たちはこの御言葉をもって主の御前に出た。モーセがそうしたように、私たちもまた地にひざまずき、伏し拝んで、神様にお願いした。神様が素晴らしい奇跡を起こしてくださることを期待しつつ。 パスターの最後のメッセージは素晴らしかった。過半数が不信任に投票した会衆の前に立ったパスターは、尊厳と謙遜と赦しと愛に満ちていた。私は彼のなかにイエス様をみた。ピラトの前に引き出されたイエス様もまた、きっと今日のパスターのように凛としておられたに違いない。 大勢の人たちが泣いていた。一方で、無表情な人や笑みを浮かべている人たちもいた。 礼拝の間中、心のなかで私はずっと叫んでいた。「主よ、今ですか? 今こそあなたは奇跡をなしてくださるのですか?」 だけど、最後まで何ごとも起こらなかった。人々のすすり泣きと、苦し気な祈りの声に包まれたまま、礼拝は終わった。 今の私の気持ちを何と説明したらいいのかわからない。まっ先に思い浮かんだのは、ダビデのことだった。ダビデがバテシェバに生ませた赤ん坊が病気になったとき、彼は神に願い求め、断食をして引きこもり、七日の間、地に伏して祈った。しかし子供は死んだ。 子供が死んだことを知ったダビデは、泣きわめくこともなく、神様に腹をたてることもなく、静かに起き上がり、身繕いをして、主の宮にはいって礼拝した… 何が苦しいって、自分の心が、肉が、欲していることと、神様が御言葉を通して私に語っていることが一致しないことだ。 今日を最後に、多くの人たちが教会を去る。夕べの祈り会に集まった人たちのほとんどがそうだ。みんな私の親しい友人達、祈りのパートナーたちだ。牧師夫人に代わってワーシップチームをリードしていたトム(仮名)も、今日を最後に辞任した。祈りのミニストリーのリーダーだったモリー(仮名)もヘムヘムさんも辞任した。水曜日の夜にもたれている子供たちのプログラムの奉仕者たちも、約半分が辞意を表明している。このプログラムが閉鎖されたら、子供たちはどうなってしまうんだろう? 私も彼らと一緒に去って行きたい。パスターについて行きたい。 だけど神様は、少なくとも今の時点では、私とぼぼるパパにこの教会を去りなさいと語っておられない。むしろここに踏み止まって、この神の宮において、主への賛美と礼拝が途絶えることのないようにしなさいとおっしゃっている。 神様の御声に聞き従い、ついていくことが、こんなにも重く苦しいことだとは、私は今まで知らなかった。 ゲツセマネの園で「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください」と祈られたイエス様に思いをはせる。 2003年2月17日先週、牧師の辞任の話が出る前のこと、心配してメールをくれた友人に、私は次のような返事をした。
ところが、水曜日の夜以降の急展開に、足下をすくわれたかのようになり、不覚にも(?)かなり動揺してしまった。夕べも、夕拝から戻ったあと、いつものようにキッチンで一人で祈っているとき、涙が溢れてとまらなくなり、しまいに大声をあげて泣き出してしまった。二階にいたぼぼるパパが私の泣き声を聞きつけて、びっくりして降りてきてくれた。そして冷蔵庫の前でうずくまって泣いていた私を抱きかかえてくれた。ここには書ききれないけれど、私の回りでいろんな動きがあって、ものすごくストレスフルな状況なのだ。 今朝も、子供たちのお弁当を用意しながらイエス様に祈った。「主よ、この件に関して私に与えられていた希望はどうなってしまったのでしょうか?」 するとイエス様は、間髪を入れずにこのように答えてくださった。「あなたの希望は失望に終わることがありません。」 ああ、ローマ書だ。急いで聖書を開いた。
また泣いてしまった。でも今度は喜びの涙。イエス様がこんなにも私の魂の近くにいてくださり、私を慰め、包んでくださっていることに対して… 私たちの主が、「気落ちしたものを慰めてくださる神」(第2コリント7:6)というのは真実だ。「落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15) そして、神様からの慰めは、多くの友人たちの祈りと励ましを通しても与えられている。メールをくださった皆さん、祈ってくださっている皆さん、本当にありがとうございます。なかなか個別にお返事が出来ないでいますが、一つ一つのメール、分かち合ってくださった御言葉や記事、体験談など、心から感謝しています。本当にどうもありがとうございます。祝福がみなさんの上にも豊かにありますように。 たまには明るい話題も。先日、いのちのことば社の出版部の担当のTさんから、嬉しいメールをいただいた。今、私はブルース・ウィルキンソン師の奥様であるダーリーン・ウィルキンソンによる『女性のためのヤベツの祈り』を翻訳しているが、その翻訳原稿を、出版部に立ち寄ったライフセンター(書店)の女性の職員の方に読んでもらったのだそうだ。その方は内容に大層感動して、次のようなメールをくださったらしい。引用の許可をいただいたので、以下に御紹介します。
こういう声を聞くことが出来て、ものすごく嬉しい。翻訳もあと少しで終わり。最後までしっかりやらせていただこう。 全ての栄光はイエス様に! 2003年2月18日ああ、なんだか心がとても穏やかだ。 今夜も何人かで集まって祈って来た。心の中の怒りや苦味、痛みや不安、混乱などを、全部神様の前に差し出した。癒しそのものにはもう少し時間がかかるかもしれない。だけど主が共におられる。 それにしても、びっくりするようなことを聞いたよ、今夜は。うちの教会のパスターが不信任になったのと同じ日曜日、セントルイス市では3つの教会の牧師がそれぞれ不信任になったのだそうだ。お父さんがセントルイスで牧師をしている子がいるのだが、その子が言っていた。サタンがものすごい勢いで教会を攻撃している。だけど、サタンはすでに負けているんだ。 私とぼぼるパパは、少なくとも今の時点では、このままこの教会に留まることに決めている。ワーシップチームからはピアニストもリーダーもいなくなってしまい、私ももう辞めたいと最初は思った。だけど、嫌なことが起きたから、悲しいことが起きたから、だからもうワーシップしないなんて、そんなのはおかしい。こんな時だからこそますます高らかにイエス様の御名を賛美して、この教会から礼拝の火が途絶えないようにしなくてはいけない。そう思っていたら、ワーシップチームの仲間のベッキーから電話がかかって来て、今度の土曜日は集まってとにかく練習しよう、という。キーボードとかはどうするの?と聞いたら、新たにマリアとロブも加わることになったと教えてくれた。マリアとロブは不信任の方に投票したらしいことを私は知っている。ベッキーはどっちに投票したのかわからない。ベッキーのお父さんも牧師で、うちのパスターとは友だち同士なので、多分信任の方に投票したんじゃないかと思うけど。電話をきったあと、私がそのあたりのことをぶつぶつ言いながら、パスターを不信任にしたとわかっている人と一緒に奉仕出来るかなぁとぼやいていたら、ぼぼるパパにたしなめられた。残ると決めた以上、誰がどっちに投票したかなんて考えてちゃいけない。敵はサタンであり、決して不信任に投票した個々の人たちではないのだから。むしろ僕達が心から彼らを愛し、へりくだって彼らと共に仕えるとき、サタンはこれ以上僕達に手出しできなくなるはずだ… そう言ってパパは、早速WorshipTogether.com のサイトへ行って、新しく賛美のレパートリーに入れたい曲の楽譜を注文している。前向きだよね、彼は。見習わなくちゃ。昨日の彼の日記に引用されていた御言葉を見ても、神様が彼に何を語っているのかがわかる。私も励まされた。 ***** 15日の日記で触れた、Nちゃんが分かち合ってくれたこと、Nちゃんから掲載の許可をいただいたので、私自身への励ましと覚書として、ここに改めて掲載します。
2003年2月19日最近のケンスケ語録:1歳11ヶ月 ●ラリラリラリ〜 (相変わらず言ってます。) ●ヤー (相変わらず言ってます。) ●I'll do it. (御飯に自分でふりかけをかけたいときのセリフ。他の場面では言わない。) ●Can I have cookie? (クッキーをねだるとき。ただし「キャンブクキー?」という一単語だと思っているに違いない。) ●Want some. (食べ物などをわけてもらいたいとき。) ●ここ (姿が見えなくなったとき「ケンちゃん、どこにいるのー?」と呼びかけると、どこからともなく「ここ」という返事が聞こえてくる。) ●ガルルルルル… (自分の思い通りにならないと、顔を真っ赤にして唸り声をあげてすごんでみせる。) ●あっ、だっこ! (叱られそうになると、あわてて両手をママの方に伸ばして言う。) ●ないないこ 又は ないこないこ (眠たくなったとき。日本語の「ねんねんこ」と英語のナイナイが混ざったケンスケの造語。) 最近のケンスケが夢中なもの: ●小さいノートとクレヨン。 テレビの「Blue's Clues」という番組の影響。寝るときもノートとクレヨンを握りしめている。おかげでケンスケの手はこの頃いつもクレヨン臭い。 2003年2月20日きよきよさんが、『教会の混乱』というエッセイを書いてくださった。ヤコブ書の学びのなかから、教会内の混乱という問題について示されたことをまとめてくださったものだ。一言ひとことに励まされ、とても参考になったので、ここに覚書としてリンクしておこう。 ●『教会の混乱』by きよきよさん ●きよきよさんのHP ロゴスミニストリーズ ***** また役員会から手紙が来た。今度の日曜日の夜6時から、臨時集会が開かれるそうだ。今度こそ、現在起きていることに関して役員会から説明がなされ、質疑応答などの時間もあるらしい。こういうことは投票の前にされるべきだったと思うけど、今さら言ってもしょうがない。一体どういうことになるのだろうと重苦しい気持ちでいたら、役員の一人からぼぼるパパに連絡があって、この臨時集会で、ワーシップをリードして欲しいと頼まれた。ミーティングといっても、主の宮で行なわれることだから、まずその前に時間をとって主を礼拝することから始める。それはいつものこと。ただ、今回は普段のミーティングとはわけが違う。恐らくみんな、緊張し気が高ぶって、賛美するどころの状態じゃないのではないかと想像される。そんななかでワーシップをリードするなんて。考えるだけでもdreadfulだけど、一方でなんという特権だろうとも思う。
そして、今日一日中聞いていた歌。
2003年2月21日最近ケンスケが反抗期ですごい。ここまで反抗するかというような、すごい反抗の仕方だ。たしなめられたり、気に入らないことがあると、「ガルルルルルル」と唸る。唸ってすごんでみせる。顔を真っ赤にして握りこぶしを震わせていたりする。そしてそのこぶしを振り上げて、私をぶちに来る。ちっちゃなグーで、ゴツンゴツンと私をぶつ。抱き上げると、今度は平手でピシャピシャと叩く。ぶたれたときにわざと「あっ、痛い!」と大袈裟に痛がってみせると、彼はさっと顔色を変えて「あっ、だっこ!」と言って私にしがみつく。 なぜだかわからないが、さっきはパパに向かって唸ってすごんでいた。そしてパパに組み付いて、パパの大きな足をエイッエイッと一生懸命踏んでいた。(笑)ケンスケがそんなことしたって、パパは痛くも痒くもないのにね。 まだちっちゃい末っ子のケンスケなので、正直なところ、どんなに反抗しても、どんなに怒ってみせても、私の目には可愛く映ってしまう。しかしだからといって、「あらケンちゃん、可愛いわね、うふふ」で済ませていたら、あと数年たった時、ものすごく小憎たらしい子供になってしまうだろう。今が肝心だ。難しいけど。 ***** 今日もヴェラが祈りに来た。ドアを開けて出迎えると、開口一番「今日はクツを脱がなくでもいい? 靴下に大きな穴があいてるの。」思わず笑った。ヴェラ、あなたもなのね。(笑) 私は答えた。「いいよ、いいよ。穴があいてても私は気にしないけど、クツをはいたままでも別にかまわないよ。」 教会のことを初め、いろんなことについて祈った。まだ救われていない家族や友人たちのためにも祈った。ちょっと驚いたのは、まだ救われていない両親や家族のためにわりと淡々と祈っていたヴェラが、「主よ、私の犬のことも覚えてください」と言って、いきなり涙声になったこと。嗚咽しながら「携挙が起きて私たちがいなくなっても、あの子が路頭に迷って飢えたりすることがないように、どうかあの子の面倒見てあげてください。一人で寂しくないようにしてあげてください」と祈っていた。祈り終わると、彼女は涙を拭いながら恥ずかしそうに言った。「家族同然なのよ。携挙のことを思うとね、うちの子(犬)のために祈らずにおれなくなるの。」なるほど、そういうものか。そうかもね。 そういえば、ヴェラはこんなことも言っていた。もし戦争になって、息子(彼女には18歳の一人息子がいる)に召兵状が来たら、彼を連れてカナダに逃げると御主人が言っているのだそうだ。なんでも御主人は19歳のときに召兵されてベトナム戦争に行っており、そこで恐ろしい経験をしたので息子には絶対そんな思いをさせたくないと言っているという。私が大学院生のときに湾岸戦争が起きたが、同じ研究室の仲間だったマットも、もし召兵されたらカナダに逃げるって言ってたっけ。マットのお父さんはベトナム戦争で召兵されたけれどカナダに逃げたのだそうだ。 私が住んでいる地域には、軍の予備兵の基地だかセンターだかがあって、このあたりには予備兵の人たちが大勢住んでいるらしい。実際、子供たちの友人のお父さんの中にはすでに中東に行っている人たちがいる。ここの学区のPTAも、出兵した人がいる御家族を助けるための募金を集めている。家族を戦地(になる可能性のある地)に送りだすって、どんな気持ちだろう。私は経験したくない。 ぼぼるパパの親友のD川くんという人が、NHKの国際部の記者をやっていて、今はバグダットにいる。去年の春頃だったかカイロに駐在になったのだが、エジプトに渡る前にケンブリッジの私たちのところにも会いに来てくれた。彼はずっと中東専門で、NHKのエルサレム支局長も5年ほど務めた。目の前で爆弾が爆発して肉片が飛び散るという恐い思いも何度かしているらしい。記者というのも大変な仕事だと思う。湾岸戦争のときこんなことがあった。テレビでABC局の『World News Tonight』というニュース番組を見ていたときのこと。ワシントンにいるアンカーのピーター・ジェニングスがクェートだかどこだか、とにかくそちらの方から中継しているディーン・レイノルズと話していた。もうすでに戦争になっていた時期で、画面で見ていても、爆弾が近くにどんどん落とされている様子がわかった。いかにも危険そうで、ピーター・ジェニングスは「もう危ないのではないですか? 中継はいいから、早く安全なところに逃げてください」と呼びかけていた。そのうち、爆音とともに画面が揺れ、灰色のゲジゲジになって中継が途絶えた。緊張しながら画面を見つめていたら映像が戻り、そこにはものすごいガスマスクのようなものをつけたディーン・レイノルズがなおもマイクを握って映っていた。ピーター・ジェニングスは「ディーン! 早く避難してください! 早く!」と叫んでいた。 あのときの衝撃は忘れられない。 危険な場所から報道しているD川くんを思うとき、いつもこの日のディーン・レイノルズを思い出す。そしてD川くんを守ってくださいと祈る。 2003年2月22日午前中は新生ワーシップチームの練習。ジョンとベッキー夫妻がリーダーとして新しく立てられた。ぴったりの器だと思う。二人とも音楽面での賜物があり、歌がめちゃうまい。ベッキーは大学で音楽を専攻していたそうで、キーボードも弾ける。二人ともそれぞれに牧師家庭の出身で、信仰面でもとても安定している。常々、30代半ばと20代後半のまだ若い二人なのに、とてもマチュアだなと感じていた。ただ、ベッキーは四月後半に初めての赤ちゃんを出産予定で、今からもうお腹がとっても大きい。本当なら、こういう時期に新しく責任あるポジションに着くというのは大変なことだと思うけど、主のために、主の御身体のために、自らを捧げてくれている。練習を始めるにあたってのジョンの油塗られた祈りを聞きながら、ああ、神様はきっと何か大いなることをなしてくださる、と確信を新たにした。 日曜日の朝の礼拝のワーシップのリードはこの二人が、夕拝でのワーシップのリードはぼぼるパパ&はちこと青年会のユースバンドが1週間交代で担当することになっている。主よ、私たちの教会で、あなたの御名だけがますます讃えられますように。 さらに私は、水曜日の夜にもたれている子供のプログラム、『ミッショネット』での奉仕にも加わることにした。本当は子供は苦手なので、どうしてもやりたくなくて、数日間聖霊さまともみあっていた。それでも二日前、ついにギブアップして、ミッショネットのディレクターのディアナ(仮名)に電話した。ミッショネットを手伝うよう示されている、と伝えると彼女は、You are an answer to my prayer、と泣きながら言った。 今日の午後、お皿洗いをしていたときに、シンクの前に飾ってある額が目にとまった。あの有名な、『平静の祈り』の額だ。
どんなにもがいても、自分の力では変えられないことがある。今回のことだってそうだ。誰の目にも今回の件が不適切な手順で進んだのは明らかなのだから、何とかもう一度投票をやり直して、パスターに戻って来てもらうことは出来ないかなぁと思っていた。でも、数日前にぼぼるパパにそう言ったら、彼は首を横に振りながら「もう、そういうことはいつまでも願ってちゃいけないんだよ。神様の御手が置かれていることを信じて、ただ前に進むだけだ」と言われた。その時はブーと思ったけれど、あとからゆっくり考えてみると、やっぱりぼぼるパパの言う通りだなと思った。 お皿を洗いながら、平静の祈りをもう一度祈った。過ぎてしまったことにいつまでも心を悩ませるのではく、これから何がなされるべきかを賢く見分け、あなたの召しに応えて前進していく勇気を下さい、と。 2003年2月24日朝起きたら、外は一面の銀世界。また雪かぁ。もう雪はいらないよぉ。(泣) 子供たちを学校へ送り届けてから、早速雪かき。お天気は、太陽が照っていて気持ちがいい。無心で雪かきしていたら、隣の家から誰かが出てきた。息子さんかと思って手を振り、「グッドモーニング!」と声をかけてからびっくり。出てきたのはGさんだった。年が明けてから一度も見かけていなかったので、どこかへ行ってしまったのだと思っていたけど… それとも、しばらくどこかへ行っていて、また戻ってきたのかな。一瞬あせりつつも「How are you?」と声をかけると「Good. How about yourself?」と彼。私も「Alright!」と返事した。 Gさんはそのままうちの前を通り過ぎ、大通りの方へ向かって歩いて行った。皮のジャケットにきちんとプレスされたジーンズ。さっそうとした身なりで、わずかばかりのお金を何度もうちに借りに来た人とは思えなかった。彼の後ろ姿をぼんやり眺めつつ祈った。「神様、もしまたこの人と関わっていくことになるのでしたら、どうかあなたが私たちと共にいて、助け導いてください。文字通りの隣人を、愛せる愛をください。恐れではなく、あなたの愛が私を支配しますように。」 ***** 昨日はさすがに疲れた。長い一日だった。新生ワーシップチームは、やっぱりまだ即席寄せ集めバンドの域を出てないなと思ったけれど、そのなかに注がれる主の恵みが素晴らしかった。 夜のミーティングについては、何度か書こうと試みたのだけど、なぜだか言葉が出てこない。なんとなく、今、私の教会で神様がなさろうとしていることを、早急に言葉にしてしまわないようにと聖霊様が私を押しとどめているような気がする。 ただ、ひとつ誤解していたことがあったとわかった。牧師の辞任は、投票の結果をみて本人が選択したことで、決して役員会の方から辞任を言い渡したのではなかったこと。役員の方々のへりくだった誠意のある姿勢に、今まで彼らに対して批判的な態度を持っていたことを悔い改めさせられた。 ミーティングの前と最後に数曲賛美し、主の御名をたたえた。話し合いの最後に、たとえ意見やこれから進んでいく道に違いがあるとしても、ただイエス様の御名のゆえにミーティングの参加者全員が立ち上がり、手をつないで共に祈った。そして閉会にあたってぼぼるパパが、『平静の祈り』の全文を読んだ。その場にいた人たちは皆(だと思う)アーメンと言った。 今は、これだけ。 2003年2月25日みんのアイススケートの春のセッションが始まり、また1レベル上のクラスにあがった。とはいえ、まだまだ初級であるには違いないけれど。でも、だんだんフィギュアスケートらしくなってきて、みんはとっても楽しそう。先が楽しみだ。 ***** 2003年のミス・アメリカに選ばれたエリカ・ハロルドは、アッセンブリーオブゴッド教団の教会に在籍するイリノイ州出身のクリスチャンだ。 1ヶ月くらい前に彼女に関する記事を新聞で読み、なんて知的で美しい女性だろうと思って感激していた。ギリシャ人とドイツ人とイングランド人とウェールズ人の血をひく白人の父親と、アメリカンインディアンと黒人とロシア人の血をひく母親を持つエリカは、まさにアメリカを代表するのにふさわしい美人だ。ハーバード・ロー・スクールにすでに進学が決まっている筋金入りの才媛でもある。そうしたら、今週のペンテコスタル・エバンジェル誌にエリカ・ハロルドの特集が出ていて、彼女がクリスチャンだと知って感激してしまった。ミス・アメリカというのは、ただ美しければいいのではなく、知性や教養も評価される。『青年の主張』(?)のような感じの、Platform Statement というものをすることになっていて、それも主要な評価の対象になるらしい。エリカのステートメントは、青少年の間の暴力やいじめを防ぎ、ドラッグやアルコールを拒否し、結婚前の貞潔を守る、というものだ。実は彼女がミスに選ばれるとき、主催者側から「結婚前の貞潔を守る」の部分はステートメントからはずすようにと圧力がかかったそうだが、彼女はそれを断固拒否した。エリカはミスに選ばれる前から、「結婚前の貞潔を守る」運動の活動家として各地の高校を訪問し、大勢のティーンに結婚前の貞潔を守ることの大切さを説いてきていたのだ。 エリカはそのエキゾチックな容貌のせいか、高校生の時に大変ないじめにあった。いじめはどんどんエスカレートし、しまいには「殺すぞ」というような悪質な脅迫状まで来たという。そこで彼女の両親は神様に祈って知恵を求め、2年生の途中でエリカを転校させた。エリカの信仰もこのような体験を経て成長した。また、今回のミスに選ばれるまでに、ミス・イリノイに2回挑戦して2回とも苦渋をなめている。とくに2度めの挑戦のときには、「結婚前の貞潔を守る」という彼女の主張が不評で、結局トップ10にも残れなかったそうだ。しかし三度めにミス・イリノイに挑戦したときも、彼女は自分の主張を変えなかった。自分の信念を曲げて一般受けするような主張をするのなら、ミスに挑戦する意味がないと思った。そして神様はそんなエリカを祝福した。ミス・イリノイに選ばれただけでなく、ミス・アメリカの冠も与えられた。 ペンテコスタル・エバンジェル誌の記事にも書かれていたが、エリカはまるで現代のエステルのようだ。エステルは人間的にはその美貌のゆえに王妃になったが、実はその徳のゆえに神様が彼女を特別な役割に用いるために選んだのだった。ユダヤ民族の歴史におけるエステルの業績は大きい。エリカはこう言っている。「私は、自分の美しさや才能のおかげでミス・アメリカに選ばれたのだという幻想は抱いていません。神様は、この世界に違いをもたらすために、人々を様々な方法でお用いになるのです。いわゆる伝統的な『ミニストリー』と呼ばれるものだけに、神様の御手の業を限定すべきではないと思います。」 エリカはミス・アメリカとしてこの1年、反ドラッグ、反暴力、貞潔の勧めのメッセージをもって全国を駆け巡る。エリカ・ハロルドのうえにさらなる祝福がありますように! ●Erika Harold: Miss America for such a time as this (ペンテコスタル・エバンジェル誌より) ●Miss America
2003 (オフィシャルMiss Americaサイトより) 2003年2月26日具合が悪い。今日は一日、めまいがしていた。壁がグルグルまわるタイプのめまい。何だか心が風邪をひきかけている気がする。 夕べ語られた御言葉。
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