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はちこの日記(2002年9月)

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9/2/2002

もう少し落ち着いてからにしようと思っていたが、九月に入ってきりもいいことだし、のんびりペースでとにかく日記を再開してみることにした。今まで何度も見に来てくださっていたみなさま、応援のメールや電話を下さったみなさま、どうもありがとうございます! (^^)

*****

8月4日にシカゴに戻ってから早くも約一か月。この間にもいろいろなことがあった。いろいろありすぎて、家の中の片付けはいまだに終わっていない。もうこのまま片付けないで終わるのではないかという予感が(って、それじゃあ困るでしょー)。

この一か月のことはまた追々書くとして、今日はこのことを書き留めておきたい。

私の霊の育ての親とも言うべき、日本の私の母教会の元牧師であるケニー・カールトン師が日本時間の土曜日、主のもとに召された。ケニーさんは前立腺癌と骨肉腫で長い間闘病生活を送っておられた。

連絡のために日本の数人の友人がメールや電話をくれた。またある人は、しばらく前にリバイバル新聞に掲載されたケニーさんの記事を送ってくれた。

以下は、記事を送ってくださった方に宛てたはちこからのメールの抜粋。

ケニーさんは普段は穏やかで優しく話しをされる方でしたが、御言葉を語るときの言葉には権威がありました。いわゆるカリスマ派の説教者にありがちなシャウトするような語りではなく、静かな口調でありながら聞く人のなかに御言葉に対する畏怖をおこさせるような権威があったと思います。ケニーさんが書かれたものを読んでも同じ印象を受けますね。

昨日今日と、母教会の姉妹たちともメールや電話で話しをし、こうして記事も読ませていただいてあらためて思わされたのは、ケニーさんという人はこの世で人からうける称賛や栄誉を徹底的に拒んでおられた方だったのだということです。それだけ、天の御国に帰った後に主からいただく報酬だけに目を留めておられたのでしょう。

主の御座の前にひれふすケニーさんを、イエス様が手をとって抱き起こし、その頭に冠をかぶせている様子が目に浮かぶようです。土曜日にケニーさんの召天の知らせをきいたときは寂しい気持ちで一杯でしたが、今はそれ以上に、私の霊がかき立てられているのを感じます。主よ、私もただあなただけに仕えていきます、という思いを新たにしました。・・・

この一か月ほどの間、私のなかでは「It's all about Jesus, not about me」というフレーズがこだましていた。ケニーさんの生きざまを通しても、主は私に同じことを繰り返しておられる気がする。

It's all about you, Jesus... この思いを胸に、シカゴでの生活の一歩をまた新たに踏み出していきたい。

9/3/2002

びっくりした。今しがた、エミ(11歳)のHPを覗いてみたら、きれいさっぱりなくなっていた。丸ごと削除したらしい。

あれは先々週の日曜日の夜のこと。夕拝から帰ってくるとエミは自分の部屋へ駆け込み、夕飯も食べずにずっと泣いていた。何だろうと思ったけれど、追求するよりしばらくそっとしておいた方がいいのかなと思い、そのままにしておいた。夜遅くになって、エミの方から私に「God told me to quit drawing.」と打ち明けてくれた。ここしばらく、エミはずっと神様からその語りかけを受けていたそうだが、その日は特に強く感じたらしかった。

エミの話しでは、これから中学校に進学すると(そうなんです、明日からエミは中学生になります)、いろいろ環境も変わるし忙しくなってくるだろうから、絵ばっかり描いているべきではない、やめなさい、と示されたのだそうだ。エミにしてみれば、PCで絵を描くのは文字どおり三度の御飯より大好きなこと。それをやめるなんて自分の人生の半分を切り取られるようなものだ。それに絵を描くのをやめるということは、イコールHPを閉じることにもなる(と思ったらしい)。 その晩は私ともいろいろ話しをしながら、結局泣き寝入りしてしまった。

そして先週の金曜日。ファミリーデボーションでぼぼるパパがお話した箇所は、アブラハムが神様から語られ、イサクを全焼のいけにえとして捧げるためにモリヤの山に連れていったというあの部分だった。パパのお話が終わって、みんなで祈祷課題を出したり分かち合いをしている時、エミがみんなの前で「実は神様から絵を描くのをやめるように言われたの」と言い出した。エミは、絵を描くということが自分にとっての『イサク』であることを感じたらしかった。自分にとって何よりも大切なもの、神様御自身が与えてくださった宝物、それを手放しなさいと神様が私たちに語られるなんて… 理不尽とも思われるそのチャレンジの重みを、彼女なりに感じているようだった。

「でもね、アブラハムが本気でイサクを神様にお捧げしようとしたとき、神様はアブラハムの神様に対する信仰が本物であるのを見て、喜ばれたよね? そして、イサクのかわりにほふるための雄羊を与えてくださったよね? そして、イサクを通してアブラハムには多くの子孫が与えられたんだったよね? エミもね、今は絵を描くことを神様にお捧げしても、あとからまた神様がエミに絵を描く機会を与えてくださって、そしてそれを通して多くの人たちへの祝福をもたらしてくれるようになるかもしれないよ。」

「私の絵がどうやって多くの人に祝福をもたらすことになるの?」

「それはエミが心配することじゃないよ。それは神様のビジネス。あなたのビジネスは、神様の御声を聞いて、それに従うこと。それだけよ。」

そして私たちは一緒に祈った。

その後、私たちの間ではもうエミの絵のこともHPのことも話題に出なかった。私は特に何も言ったり聞いたりしなかったし、エミもそれ以上この件について話しに来なかったのでそれっきりになっていた。

そしたら、今しがたふと思ってエミのHPにアクセスしてみたら、きれいさっぱりなくなっていたのだ。トップページだけでなく、全部なくなっていた。

あぁ、エミ…

そうか、だからかもしれない。今日の夕方、こんなことがあった。明日からの新学期、お友達のAちゃん、Bちゃん、Cちゃんと一緒に学校まで歩いて通うことになっていたが、実はAちゃんとBちゃんはかなり仲が悪く、お互いに「あの子とは一緒に行きたくない!」と言い出して、エミは間に入って困っていた。AちゃんとBちゃんのそれぞれから電話がかかってきて、エミは「どうしたらいいの?」と私に泣きついてきた。「エミはどうしたいの?」「私はみんなで一緒に行きたいよ。みんな好きだもん。」「そうだよねぇ。ママもそう思うよ。じゃあ、祈ろう!」二人してすぐさまその場にひざまづき、神様がAちゃんとBちゃんの間に入ってこの関係をとりもってくださるようお願いした。するとそれから30分もしないうちにAちゃんからまた電話がかかってきて、今Bちゃんと電話して仲直りをしたから、明日は予定通りみんなで行こう!と言ってきたのだ!! ハレルヤ!エミは飛び上がって喜んでいた。エミが神様からの語りかけに従順だったから、神様はエミの祈りにすぐに応えてくださったのではなかろうか。

主よ、感謝します。あなたがエミの生活に、パーソナルに深く関わってくださっていることをありがとうございます。ハレルヤ、御名をほめたたえます!

9/5/2002

昨日から子供たちの新学期が始まった。新学期が始まれば、昼間は少しはゆっくり出来るかと思っていたら大間違いだった。ここの学区では、この九月から新しい制度が取り入れられ、学校の様相がすっかり変わってしまったため、今のところ親も子供も学校側も、みんな不慣れであたふたしている様子。

今まではこの学区内には小学校が二つと中学校が一つあった。ここ数年のうちに学区内の子供達の数が急激に増え、どの学校も増設の必要が出て来たのだが、三つの学校それぞれを増設すると予算がかかり過ぎる。そこで大変な議論の末、採択されたのが『グレードセンター』というものだった。

『グレードセンター』制のもとで、今まで小学校だったひとつの学校はキンダーガーテン及び1、2年生の専門校に、もう一つは3、4年生の専門校になり、中学校だけ増設・改築して5、6年生専門校と7、8年生専門校の二つに分けられた。

うちの子供たちはキンダー、三年生、六年生なので、みんなバラバラの学校に通っている。イギリスでは子供たちが二つの学校に分かれてしまって苦労をしたが、今度は三つの学校だから増々大変だ。もっとも、この辺は子供が三人、四人の家族は多いので、うちと同じような苦労をしている人たちは大勢いるのだが。

エミは徒歩で通い、ま〜やはスク−ルバスに乗り、みんだけ私が車で送り迎えしている。まだ2日めだったのでスクールバスはどれも大幅に遅れたらしく、車で送っていけば五分でいけるところを、ま〜やは行きも帰りも40分近くバスに揺られていたらしい。今後もこんなに時間がかかるなら可哀想だから、ま〜やも車で送り迎えする方がてっとり早いかもね。

とにかく施行されたばかりで今はみんな手探りだけど、そのうちリズムがつかめて来れば落ち着くでしょう。

ところで笑ってしまったのだが、エミは昨日の初日、時間割りの読み方を間違えて違う教室に行ってしまい、気が付かずに一時間違うクラスに座っていたのだそうだ。ホームルームに戻ったら、担任の先生に「どこに行っていたんだ?」と言われてしまったとか。あの子はしっかりしているようで案外ぬけてるんだよね。心配だなぁ。(笑)

9/6/2002

シカゴに戻ってからの一か月間はいろいろなことがあったが、そのなかでも結構参ったのがケンスケの怪我だった。

あれはいつだったろう。もう三週間くらい前かな。ケンスケがソファの背もたれによじ登って転がり落ち、窓わくから飛び出していた金属のクランク(窓を開け閉めするための金具)に額を打ち付けたのだ。

額の髪の毛の生え際あたりが2センチほどパックリ割れた。血はそれほど出なかったものの、傷は見るからに深かった。

お医者さんに連れていくと、最近の医療はすごいね、針と糸で縫うかわりに、外科用のボンドでギュッと接着しただけだった。よく消毒してからボンドをチューっとつけて、手でギュッと。それできれいにくっついて感動ものだった。縫わないで済んでよかったよかったと、ホクホクしながら帰宅したものの、その後五日ほどしたら傷がピンポン玉のようにポコッと腫れ上がり、接着したところから膿みが滲み始めてしまった。その日は土曜日だったため、かかりつけの医者に電話したらER(救急病院)に行ってボンドを剥がし、膿みを抜いてもらいなさいと言われた。

何だか嫌なことになってきたぞと思いつつ、昼間だったので娘たちには留守番してもらい、パパと一緒にケンをERに連れていった。さんざん待たされた挙げ句、受けた治療はオキシフルでちょいちょいと拭いて化膿止めの軟膏を塗っただけ。それから内服用の抗生物質を処方してもらった。たったこれだけ?と思いつつも、ケンにとって恐い治療をしないで済んだのはよかったね、といいつつ帰宅。

(この日はそのあと、シカゴの日本人教会でもたれた特別集会へ出かけていってとても祝されたのだけれど、その話しはまた今度。)

ERから戻ってきた頃にはもう薬局が閉まっていたので、抗生物質をゲットしたのは日曜日の午後になってからだった。この日にはケンは全身いかにも具合が悪そうで、熱も出していた。早く薬をと思っても、味が嫌いだったのか、ケンスケは頑として飲んでくれない。無理矢理口に流し込んでもペッペッと吐き出して、しまいには吐いてしまうほど。

仕方がないので月曜日の朝一番でかかりつけの小児科に行き、別の抗生物質を処方してもらった。

たいていの抗生物質は一日二回、一週間から10日は飲ませ続けなくてはいけないが、新たに処方してもらったのは一日一回、五日間だけ飲ませればいいというものだった。味もチェリー味で、これなら飲ませやすいでしょうとお医者さんが配慮してくださったのだ。

薬局で薬をもらって早速ケンスケに飲ませようとしたが、赤ん坊といってもあなどれない。ケンスケはもはや私が彼に飲ませる見慣れない物質に対しては非常に警戒心を強めていて、せっかく美味しそうなにおいがしているのに泣いて怒ってまるで飲んでくれない。「飲まなくちゃダメなのよ!」とケンともみあっているうちに、あろうことか薬のボトルをひっくり返し、半分近くこぼしてしまった。

「キャーーーーッ!」 叫ぶ私。「薬をこぼしちゃった、どうしよう! どうしよううううう!」

年がいもなく、私は大声をあげて泣き出した。きっとかなり疲れていたんだと思う。

娘たちはびっくりして寄って来たが、みんな押し黙っている。

「ママったら、ケンの薬をこぼしちゃったのよ。どうしよう! Jesus, help me! Jesus, help me!!!」

私は子供のようにワンワン泣いた。

今にして思えば何でこんなにパニックしてしまったのかよくわからない。ただ、抗生物質は決められた分量を全部飲みきらなくてはいけない薬なのに、半分近くもこぼしてしまって、私は頭が真っ白になり、絶望してしまったのだ。

いつまでも泣いているわけにはいかないので、テーブルとカーペットにこぼした薬をペーパータオルで拭き取って、それから同じく泣いているケンスケを2階に連れていって添い寝をした。

添い寝をしながらイエス様に祈った。

「イエス様、ケンスケの薬をこぼしてしまいました。抗生物質なので、処方された分量を全部飲ませなくてはいけないのに、半分ちかくも無駄にしてしまいました。どうしたらいいのかわかりません。どうか、お医者さんに指示された五日間が終わるまで、薬のボトルが底をつくことがないようにしてください。イエス様、どうか必要量を全て飲ませることが出来るよう、毎日私に薬をください。」

その日の夜、5ミリリットルをスポイトで測り、飲み物に混ぜてケンスケに飲ませた。初日が5ミリリットル、残りの四日間は2.5ミリリットルずつということで、ボトルには15ミリリットル入っていたのだけれど、私が半分ちかくこぼしてしまったため、初日の分を飲ませたらあとはもう底の方にほんの少ししか残っていなかった。

2日目、スポイトで2.5ミリリットル測って飲み物に混ぜてケンスケに飲ませた。ボトルはもう今にも底をつきそうになっていた。「イエス様… よろしくお願いします。」

3日目も同じことの繰り返し、そして4日目も同じ。ボトルは今にも空になりそうなのに、スポイトで吸い取ってみると、なんとか2.5ミリリットル取ることが出来た。

そして5日目、ドキドキしながら2.5ミリリットルを吸い取ると、ボトルはついに空になった。お医者さんに処方された通りの分量を、無事5日間ケンスケに飲ませ続けることが出来た。ボトルは最終日になるまで底をつくことがなかった。

「これ、最初から余分に入っていたのかなぁ?」思わずボトルを凝視した私。(なんてヤツ。(^_^;; )しかし、ボトルにははっきりと「Qty: 15ml」と書いてあった。(注:Qty とは 「Quantity」すなわち「分量」のこと) 

あぁ、イエス様… あなたは何と憐れみに満ちたお方でしょう! こんな私のために…

後からよ〜く考えてみたら、もし足りなくなったらお医者さんにいって足りない分を処方し直してもらえば済むことだったのに、なぜあんなにパニックしてしまったのか。それでも、自分の無力さに呆然となってただイエス様に向って文字通り叫んだとき、イエス様は私を突き放すことなくその御手を動かしてくださった。 この日、娘たちにも薬が最後まで底をつくことがなかった話しをしたら、みんな一緒にとても喜んでくれた。みんなでイエス様の御名をほめ讃えた。

イエス様、すべての御栄光はただあなただけに…

(ケンスケの傷は、今ではもうほとんどよくなっています。感謝!)

9/7/2002

私たち家族が行っている教会の牧師一家がうちのすぐ近所(徒歩三分)に越してきた。この家族は三世代が同居していて、今までの牧師館だとおばあちゃんたちの部屋が2階にしかとれず不便だったので引っ越すことにしたらしい。ぼぼるパパも手伝いに行き、夜は牧師さん一家と手伝いにきていた教会の人たちをみんなうちに招いて食事を共にした。牧師さんは随分疲れている様子だったけど、明日の礼拝、大丈夫かしら。明日は9月11日を前に、特別集会を行うことになっているんだけど。

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9月8日号のリバイバル新聞に、私たちがイギリスで参加してきたキャンプに関する記事が出ていた。(このキャンプは本当に素晴らしかった。私も私の視点で、このキャンプから得たことを追々書いていきたいと思っている。)

リバイバル新聞 「地上に降りた天国 英国で『Faith 2002』」

それからケニーさん召天に関する記事も出ていた。

ケニー・カールソンさん召される 人の誉れを決して求めなかった人生

9/9/2002

ぼぼるパパの研究日記(「日々の研究」改め「Idle Musing」)が再開しました。おお、いきなりすごい話題をぶつけてきましたな(笑)。

ぼぼるパパの研究日記「Idle Musing」

9/10/2002

うちの近所に越してきた牧師さん一家は三世代同居だと先日書いたけれど、よくよく考えてみたら四世代だった。牧師さん夫婦、夫人のご両親、長女夫婦、そしてその子供二人。総勢八人だ。一年前は娘二人を嫁に出したばかりで、さあこれからは「空の巣」だと言っていたのに、去年9月におばあちゃんが怪我をして同居するようになり、今年に入って娘婿が失業して家族で転がり込んできたなど、いろいろあったらしい。牧師夫人は特によく頑張っておられると思う。もっと彼らのためにも祈らなくてはね。

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今日はま〜やの初めてのアイススケートのレッスン日。何度か転んで泣きもしたけど、結構楽しかった様子。私の方は怪我でもしたらどうしようと気が気ではなかったけれどね。

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放課後の時間になると、ほとんど毎日誰かしら子供の友達がうちに遊びに来ている。どの子もみんな、勝手知ったる…とばかりに、冷蔵庫でも食品庫でも自由に開けて、好きなものを飲み食いしている。今日など、私が夕飯の支度でカリフラワーを切っていたら、そばに来てまな板の上からカリフラワーのかけらをいくつもつまみ食いしていた。(笑)誰がうちの子で、誰がよその子だかわからなくなりそう。(笑)つい先日は、夜七時頃突然やって来て、うちでコーラを飲んでいった二人組もいた。コーラを飲み終わったあと、自宅に電話しときなさいよ、と言っていたら、ちょうどその時その子のお母さんが迎えに来た。「うちの子、来てますか?」と言いながら。

私の家のすぐ前には公園があって、夏など夜遅くまでそこで中高生とおぼしき子供たちがたむろしていることがよくある。時々トラブルを起こす子たちもいるらしく、パトカーもしょっちゅう巡回している。それを思うと、せめてわが子の友達たちには、安全にうろつける場所として我が家を提供してあげたいと思ってしまう。

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いろいろ書きたいことがあったはずなんだけど、いざこうして日記の前に向うと、どれもこれもくだらないことのような気がして。

9/11/2002

今日は子供たちの学校で9.11を覚えるための小さなサーヴィスがあった。町の消防士さんも招かれ、みんなでPledge of Allegiance (アメリカ国旗への忠誠の誓い)を唱えたあと、黙祷、それからAmerica the beautiful を斉唱した。この「忠誠の誓い」の復唱は、アメリカ中の多くの小中学校で毎朝行われている儀式だ。しかしながら、その中に出てくるunder Godというフレーズは特定の宗教を子供たちに強制していることになるから違法ではないのか、という声もあがっている。(つい数カ月前にもカリフォルニアで裁判沙汰になったばかり。)実際、半数の州ではこの誓いを学校で復唱することを義務付けてはいないらしい。普段なら、私はアメリカ人でないでアメリカ国旗に向って忠誠を誓うことはしないが、今日は皆と一緒に参加した(うろ覚えだったけど)。 アメリカが神様のもとに立ち返り、そのことを恥じることなく、全世界と神様との前に、確固として立つことが出来ますようにとの祈りをこめて。

Pledge of Allegiance

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.(私はアメリカ合衆国の旗、及びそれが象徴するこの国に忠誠を誓う、神のもと、ひとつの国家、分かたれること能わず、自由と正義が万人にあるこの国に。)

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夜は教会でバイブルスタディ。国家のために、ブッシュ大統領のために祈った。

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教会から帰ってくると、キッチンの前のポーチでカタリと物音がした。何かいる、と思って急いで外の明かりをつけてみると、そこには見たことのない動物が。狐の顔をした巨大なネズミという感じ。

変な動物がいるからと子供たちを呼び寄せると、エミとみんが「オポッサムだよ」と教えてくれた。何よ、オポッサムって。綴りを聞いて辞書で調べてみたら「フクロネズミ」と出ていた。フクロネズミなんて聞いたことないと思い今度はネットで検索。こんなのが見つかりました。

Opossum

そう、確かにこんな動物でした。エミもみんも、よく知ってたねぇ。物知りなんだな、案外。この動物、何でも危険に瀕するとひっくり返って死んだふりをするんだそうな。タヌキ寝入りという表現は、ここから来ているのかも。英語でもplay possum という表現があって、しらばっくれるとか死んだふりをするとか、仮病を使うとかタヌキ寝入りをするとかいう意味らしい。またひとつ勉強になったぞ。

9/12/2002

昨日思いがけない人に出会った。去年イギリスからこの町に越して来たという奥さん。御主人はシカゴ大学で生物を教えているという。私は去年一年間ケンブリッジに行ってたんですよ、というと彼女は驚いて、「私はハンティントンから来たんです!」ハンティントンとはケンブリッジの近隣の町。二人で顔を見合わせて笑ってしまった。ピーターバラから遊びに来ているという彼女の友人にも会い、二人のばりばりのブリティッシュイングリッシュがやけに耳に心地よかった。(^^)

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イギリスの話しが出たついでに、キャンプのことを少々。(キャンプそのものについての紹介は先日リンクしたリバ新の記事にあった通り。)

私たちは2001年七月にイギリスに最初にやって来たときも、七月末から一週間行われたこのキャンプに参加した。メッセージが素晴らしかったのはもちろん、ワーシップの濃密さは私もぼぼるパパもそう滅多に経験したことがないほどだった。それで、来年もアメリカに帰る前に行けたらいいねぇ、と言っていたのが実現し、今年の夏の参加となった。今回は日本からルークさん御家族やSさん御家族、それからケンブリッジJCFからHさん御夫妻とヒロコさんも一緒に参加され、みんなで同じキャンプサイトにテントやキャンピングカーを並べ、楽しい一週間だった。他にも、去年出会ったイギリス在住の日本人の奥さんに再会したり、去年隣のテントにいた御家族に再会したりと嬉しいこと続きだった。

今年のキャンプのメインスピーカーの一人にアメリカのジョン・ビヴェア師がいた。彼は日本ではあまり知られていないらしいが、アメリカではとても有名。『The Bait of Satan』の著者といえばわかる人も多いのでは。そのビヴェア師、超多忙のせいか、一週間のキャンプのうち最後の2日間だけの参加だった。アメリカから飛んできて、到着したその当日の夜の集会、次の日(最終日)の朝と夜の集会でメッセージを語ってくださった。

あれは最終日の朝の集会の時だったろうか、この一週間ずっとそうだったように、この朝も神様の御臨在に満ちた素晴らしいワーシップの時がもたれた。そしてその後、ビヴェア師が講壇の前に立った。彼はいつも非常に元気のいいメッセージをする方だが、その朝の彼は立ったまましばらく口を開かなかった。そしてかすれた声で「こんな素晴らしいワーシップのあと、説教することなどできるかわかりません」と言って静かにすすり泣き始めたのだ。会場は水を打ったように静まり、ただ彼のすすり泣く声だけが響いていた。そのまま一分くらいが過ぎただろうか。一万人近い人たちが見守るなかの一分といえば随分長い時間だ。聖霊様がその場で誰よりもまず、メッセンジャーであるビヴェア師を取り扱っておられるのがよくわかった。彼は会衆の目も気にせず、ただ促されるままに聖霊様に自分を差し出しておられたのだろう。やはり主に用いられる器は謙遜だなぁと思った。

涙を拭い、顔をあげて語り始めた彼のメッセージがどれだけパワフルで油注がれたものであったかは言うまでもない。

9/13/2002

最近のケンスケ、どうもキッチンのゴミ箱がお気に入りらしく、しょっちゅう中を覗き込んだり、何かを掘り出したりしている。彼にとっては宝箱同様なのか、時には自分の好きなおもちゃを放り込んでいたりもする。今日も中から発掘したレタスの芯を、嬉しそうに握りしめているケンスケの姿が目撃された。

もう一つ、最近のケンスケ。都合の悪いところを見とがめられたり諭されたりすると、パっと片手をあげて賛美のポーズをとる。そして一声「ジーザッ!」 悪いことをしているから躾けようと思って「ケンスケ!」と厳しい声を出しても、可愛いポーズで「ジーザッ!」とやられると、つい脱力してしまう。うーむ。こんなことではいかんのだが。ケンスケ、もうすぐ一歳六ヵ月。

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昨日はみんのアイススケートレッスンの日。一年ぶりとはいえ、さすがにみんは余裕で滑っていた。今後が楽しみ。みんはスタイルがいいのでスケートのコスチュームがよく似合う。ストレートロングの黒髪をなびかせて滑る姿はとてもチャーミングだった。(親ばかサクレツ。)

夜は教会でエミのYouth group の集まり。今年から中学生なのでyouth groupに参加するようになった。もうエミもそんな年齢かと思うと感慨深い。

エミが帰宅したとき私は2階でケンスケを寝かし付けていたのだが、階下から大声でわめく声が聞こえて来たので、何か嫌なことがあってカンシャクでも起こしているのだろうか、と不安になってしまった。(最近のエミは感情の上り下がりが激しいので… まぁそういう年齢だから仕方ないだろうけど。)しかし二階に上がってきたエミは、聖書を胸に抱きかかえ、上機嫌で自分の部屋へ消えていった。後からパパにその話しをすると、「ああ、それはね、エミがナイフで桃の皮を剥いていたとき、その真後ろで僕がハエを潰したからエミがびっくりして大声をあげたんだよ。『危ないじゃないっ!』ってね」だって。 Youth groupの方はとっても楽しかったらしい。よかった、よかった。感謝します、主よ。

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キャンプの話し(その2)。KFMのキャンプで油注がれた素晴らしいセレブレーションをリードするワーシップチームの一人に、ラウルさんというおじさんがいる。チームのメンバーはほとんどがみな音楽は素人ばかりらしいが、トランペットとパーカッションを担当する彼はプロのミュージシャンで、日本でも有名な『ドリカム』とかいうグループのバックバンドの一員でもあるそうだ。

去年、私たちが初めてこのキャンプに参加したときから、ラウルさんはただものではない(?)と感じていた。チーム全体が素晴らしかったのはもちろんだが、なかでもラウルさんの輝きは私やぼぼるパパの目を引いた。技術的なことというより、彼の表情の輝きが際立っていた。(ぼぼるパパがイギリスにいる間にコンガに目覚めた話しは以前も書いたが、なにを隠そう、それはラウルさんの影響が強かったのだ。)今回、ルークさんがラウルさんの知り合いで、インタビューをすることになっているのでよかったら同席しませんか、と嬉しいお誘いをいただき、ラウルさんから直接お話を伺う機会にあずかれた。

間近に見るラウルさんはとても優しそうでフレンドリーな人だった。一緒に座っているだけで何だかリラックスでき、心地よさを感じた。それでいて、彼の語る言葉のひとつひとつはとても深く、キリストとつながっていることから来る権威を感じさせた。一般に「権威」を感じさせる人というのは同時にintimidating(威圧的)でもあったりするものだが、彼の場合はそうじゃなかった。権威を感じさせるのに謙遜で、自然体で、彼の言葉を聞いていると、萎縮させられるのではなくリフレッシュされていく気がした。

インタビューのなかでラウルさんが最近受けた啓示としてこんなことをおっしゃっていた。「私たちの内にはキリストからいただいた油塗りがあり、それぞれにキリスト御自身が住んでくださっていますから、そのことを真に知るときに、お互いに服することができるのです。」 この「服する」という部分、ラウルさんは「bow down」という表現を使っていたのが印象的だった。bow down、すなわちおじぎをする、膝をかがめる、という意味だが、それぞれのキリスト者のなかにキリスト御自身が住んでおられるのだから、人を見るときにはその人の内に住んでおられるキリストを見て、そのキリストゆえに互いに敬意を表し、仕え、服し、重んじ合う… そういうことだろうか。ラウルさんから感じられた謙遜さは、まさにその現れだったんだなぁ。相手のなかにイエス様が住んでおられることを認めるとき、どうしてその人に対して高慢な態度をとったりできるだろう。どうしてその人の信仰の歩みを批判的な目で見ることができるだろう。今回のキャンプでは、KFMの牧師のコリン・アーカート師もたびたびSubmit to one another in reverence for Jesus Christ(キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい エペソ5:21)と言っていたのが心に残っているのだが、これもまたラウルさんのお話と重なっている。さらにいうなら、ケンブリッジにいる間、このことは神様が一つのテーマとしてずっと私に繰り返し語っておられたことだった。クリスチャンの交わりの尊さとは、単に仲良くしましょうとか「和」と保ちましょうとかいう次元のことではなく、あるいは何かを一緒に成し遂げましょうということでさえもなく、ただそこにおられるキリストゆえなのであると。

それからもう一つ、ラウルさんのお話のなかで非常にインパクトが強かったこと。ラウルさんは普段はセキュラー(secular)な音楽業界でプロとして働いておられるけれども、クリスチャンミュージシャンとして、そのことに葛藤を覚えることはありませんか?という質問に対する彼の答えに私は脱帽した。彼はこんなような答えをしてくれた。「…(前略)…私が主の主権に服し、私の言葉や行いが主の表現であれば、そこには平安と安息が満ち、調和がもたらされます。もちろんそれは神の恵みによります。そしてそこには神の祝福があるようになります。 …(中略)… どこにいようとも御霊の力づけによって、私たちはあらゆる状況において権威を帯びることができ、嵐や争いを鎮めることができます。私たちはさらに大きなわざをなすであろうという約束をいただいています。そこでどんな状況に置かれようとも、私たちがこの世に関わるとき、この世は光を見ることができ、彼らは光のもとに来ることができるのです。私が加わることで、その場に神の御臨在がもたらされるのです。…(後略)…」要するに、私たちがいつでも神の御臨在のなかにとどまり、この地上においてもイエスを王とし、主の愛の律法に従って歩んでいるのなら、私たちはどこで誰と何をしていようとも、そこはもはやセキュラーな場所ではなく神の御国になるのだ、ということだと私は理解した。セキュラーな場所にいると(職場でも人間関係でも)、どうやって自分の信仰を守ろうか、という受け身な態度になってしまうことが多いと思うが、ラウルさんの言葉に私は目を覚まされた思いだった。

9/15/2002

今日から3日間、うちの教会でHeaven's Gate, Hells Flamesというお芝居を上演する。初日の今夜は、数十人の人がイエス様を信じる決心をしたらしい。(私は託児室でおチビさんたちの面倒を見ていた。)この夏シカゴに戻って来てから知り合った日本人の友人三人も来て下さった。この方たちは、うちから車で一時間くらい離れたところに住んでらっしゃるのに、遠路はるばる足を運んでくださりとても嬉しかった。お土産に(?)うちにたくさんあったザーラ10号と11号も差し上げた。(ザーラとはマルコーシュ出版が出している証雑誌。)

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私は無力だけれど、無力だからこそ、心の重荷をすべて差し出します、天に向って。

9/16/2002

個々の日付けの日記のパーマネントアドレスにリンクをはれるようにしてみました。もしもリンクしたい日記がありましたら、日付けをクリックするとその日記のパーマネントアドレスにとびますので、そこにリンクしてください。(ただしこれは、今月の分からのみ有効です。)

9/17/2002

昨日の早朝、私の友人の同僚(クリスチャン)がダンキンドーナツでコーヒーを買おうとしていたところ、強盗に襲われて射殺された。彼は毎朝そこでコーヒーを買ってから出勤していたらしい。まだ31歳、2ヵ月前に初めての赤ちゃんが生まれたばかりだったそうだ。

死とは人生の終わりに私たちを待っているものではなく、ある日突然私たちの人生の途中に割って入って来るものだ、というある牧師さんの言葉を思い出した。

Are we ready? Are you?

*****

今日はブルース・ウィルキンソン師(『ヤベツの祈り』の著者)の第三作め、『A Life God Rewards』という本の発売日で、早速朝から書店に出向いて買って来た。ウィルキンソン師曰く、死後、私たちがどこでどのように永遠を過ごすかは、私たちがこの世でどのように生きるかによって決定される。まず、イエス様に対する信仰を持つかどうかで、永遠を天国で過ごすか地獄で過ごすかが決まる。そして、この世で生きている間の行いによって、天国で(または地獄で)私たちがどのように過ごすことになるのかが決まる。(cf. マタイ16:27;ローマ2:6;第2コリント5:9;黙示録20:13等)

さて、続きはいかに。(まだ3分の1しか読んでいないので。)

ウィルキンソン師の先の2冊に続き、この本も私が翻訳することになった。締きりはなんと一ヵ月後ですと。決して楽ではないだろうけれど、それでもこのスケジュールにさえも神様の御手がおかれているのを感じる。この本の翻訳の依頼は実は七月中旬頃に受けていて、当初の話では八月中には原稿が私のところに送られ、それから一ヵ月ほどで訳して欲しいとのことだった。とりあえずそれでお受けしたものの、もし実際に八月中に原稿が送られて来ていたなら、私は大変なことになっていただろう。結局、出版社側の事情で、私がこの本の原稿(というか、原書)を手にしたのは今日だった。

神様、今回も私一人では出来ません。どうかあなたが助けてください。

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ところでわが家のガレージですが。人類の恥とは言わなかったと思うけど、このままじゃ恥ずかしくて外を歩けないとは言ったかも。(ぼぼるパパの日記9/16分を参照下さい。)片付け、最後までちゃんと、よろしくね〜、パパ。(^_^)v

9/18/2002

今日は午後からシカゴ大学の大学病院へ行ってきた。保険の関係で、体調に何かあるといちいち大学病院まで行かなければならないのでめんどくさい。今日はまずプライマリーケアフィジシャンと呼ばれるお医者さんに診てもらって予備診察。そこで必要な専門のお医者さんに行くように指示される。(五人目ではありません、念のため。:-p)

9/19/2002

今日はみんとま〜やを歯医者さんに連れていった。アメリカに戻ったら一日も早く子供たちを歯科検診に連れて行きたかったので、七月上旬だったかケンブリッジから国際電話で予約を入れたのだった。それでも相当混んでいたらしく、今日になってしまった。ケンブリッジにいた時に発見されたま〜やの虫歯は案の定かなり進行していてショック。ま〜やの歯医者さん好きもいよいよこれまでか。次の予約は11月半ば。それまでにますます悪くならないよう気をつけなくては。

この歯医者さん(女性)とはもう十年来のつきあいで、ほとんど友達感覚。今日も一年ぶりということもあり、関係ない話に花が咲いてしまった。彼女は去年、健康のためにと婦人サッカーのチームに入ったそうだ。ところがある日の練習中、ボールを追いかけて一生懸命走っていたら突然膝がガクンとなり、歩けなくなってしまったのだとか。そのうち直るだろうと六週間もほったらかしにしていたけれど、いつまでたってもよくならないのでついにお医者さんに行ったら、「こりゃすぐに手術しないと、そのうち歩けなくなるぞ」と言われ、膝の大手術をしたそうだ。

私も健康のためとか思っても、いきなり過激なスポーツはしないように気をつけなくちゃねーと思った。ローインパクトエアロビクスか水泳くらいが無難かな。そういえば、2年ほど前に買ったローラーブレードはどこにいってしまったんだろう?

9/20/2002

数日前から、みんの友達のパティ(仮名)も朝、一緒に学校に連れて行くことになった。パティはみんの親友で、うちとは同じ通りの四件先に住んでいる。というか、いた。

パティの両親のロンとジュリー(仮名)もクリスチャンで、私たちと同じ教会に行っていたのだが、諸事情で数年前から違う教会に移った。ロンとジュリーの関係がうまくいっていないらしいのはうすうす感じていたが、今年の六月、ついに彼らは別居に踏み切った。ケンブリッジにいるみんにパティから手紙が来て、両親が離婚した、と書いてあるのを見たとき、私は泣いた。

私たちがシカゴに戻った次の日、ジュリーはパティを連れて早速私たちを訪ねてくれた。そして事情を簡単に説明してくれた。まだ正式な離婚には至っていないけれど、書類を準備中であること。ジュリーはここから徒歩数分のところに別の家を買って(支払いはロンがしている)そちらに引っ越したこと。二人の子供たちはロンとジュリーの家を3日ずつ交互に行き来していること、等など。

私はその数日後ジュリーの家を訪ねた。引っ越して来た当初は随分汚かったそうだが、彼女は一人で家中のペンキを見事に塗り直し、寝室の壁には壁画よろしく、素晴らしい絵が描かれていた。彼女はとても芸術家肌なんだ。「ペンキ塗りに没頭していると辛いことは忘れられて、それが私にとっての癒しだったの」彼女はほがらかに言った。「ロンはね、欲しいものは何でも持っていっていいって言ったから、家具は全部もらってきたわ。新たに買い直したのは子供たちと私のベッドだけ。」言われてみれば、そこにある家具はどれも見覚えのあるものばかりだった。

不思議なことに、彼女は辛いはずのことを語るときも、満面の笑顔で時々笑い声までたてながらいかにも楽しそうに語っていた。だけどその笑顔が本物じゃないことなんてあまりにも明らかで、私の方がよほど泣きそうだった。それでも彼女の笑顔につられて「思ったより元気そうでよかったわ」と言うと、「だけど決して楽じゃなかったのよ」と彼女は真顔で言った。そうだよね、そりゃそうだよね。「祈ってほしいことがあったらいつでも言ってね。一緒に祈りたい時があれば、いつだって飛んで来るから、遠慮なく言ってね」そういうと、彼女は真顔のまま何度もうなずいた。

子供たちはと言えば、両親が別居したとはいえすぐ目と鼻の先にいるわけで、会おうと思えばいつでもすぐに会えるせいか、まったく平然としていた。家が二つになってラッキー!というくらいにしか感じていないのかな、とさえ思えた。

私たちがシカゴに戻って以来、みんとパティは毎日のように互いの家を行き来しており、「今日はパティのお父さんちで遊んでくるね」とか「今日はパティのお母さんのうちで遊ぶ日だからね」という具合だった。

新学期が始まり、どこの家庭も慌ただしくなった。以前にも書いたように、このあたりでは今年からグレードセンター制度が施行されるようになったため、適応するまで誰もがあたふたしている状態だった。

ジュリーはま〜やが通う小学校で教諭補佐をしている。補佐とはいえフルタイムの仕事だ。この小学校は始業時刻が7時50分で、先生たちはみな七時過ぎには出勤しているらしい。ジュリーもまたその時刻の出勤になる。一方みんやパティの小学校は始業時刻は8時20分。ジュリーの出勤時間とパティの登校時間に中途半端なずれがある。

「朝はどうしてるの?」学校が始まった数日後、私はジュリーに聞いた。「幸いロンが今は朝8時になってから家を出ればいいので、私のうちにいる日もロンのうちにいる日も、毎朝彼が子供たちを見てくれているのよ。」もう少し時間がたって、みんなのスケジュールとかが落ち着いてきたら、カープールしようか、その方がお互いに楽だしね… そんなふうに話していた。

そして数日前にカープールの相談をして、これからは朝は私が担当し、帰りは彼女が担当することになった。

私がパティを迎えに行くようになった初日、パティは私に一通の手紙をくれた。中を開けてみたらそれはサンキューノート(お礼のカード)だった。

Dear Mrs. Nakamura,

Thank you for car pulling me to school. It's very thoughtful of you. My family is just kind of busy.

Thank you, Patty

手紙にはそう書いてあった。car pulling というのはcar poolingの間違いだが、英語では車を道路脇に寄せて停めることをpull offというので、誰かのうちにちょっと寄ってピックアップすることをcar pullingというのだとパティは思っているのだろう。子供らしい発想だ。そう思ったら可愛くてつい笑ってしまった。

しかし最後の一行、My family is just kind of busy.を読んだとき、鼻の奥がツーンとなった。そうか。やっぱりそうだよね。パティは今まで我慢していたんだ。みんたちの学校には始業時間より10分以上早く登校してはいけないという規則がある。だけどパティのお父さんは8時には出勤しないといけないので、パティは毎朝8時過ぎには学校に来て、誰もいない校庭でひとりポツンと待っていたに違いない。8歳の子供にとって、それはきっと寂しくて心細いことだったに違いない。それでも家族の事情を考えたら、文句なんか言えなくて、じっと黙って我慢していたに違いない。だから今度からは私がパティのことを迎えにいって、みんと一緒に学校に行けるようになったことが嬉しかったに違いない。きっと、私たち大人が想像できる以上に、彼女にとって嬉しいことだったに違いない。

そもそも、いくら近いとはいえ、両親が別居し、2件の家を3日ごとに行ったり来たりする生活は、彼女に何らかのストレスを与えていたのではないだろうか。このことでロンやジュリーを責めたり批判する気は毛頭ない。ただ今思わされているのは、近所のおばさんであるこの私が、パティの生活にとって何らかのスタビリティー(安定)を与える拠り所となれるのであれば、ということ。子供の生活にとって、いや、大人にとってもだろうけど、スタビリティーって大切だと思う。忙しすぎていつも流動的な生活をしていたら、身体も情緒も精神も不安定になる。インセキュア(insecure)になる。信仰が成長していけば、たとえ物理的な生活が不安定であっても、神様を拠り所として内側の安定さと安息を得ることが出来るだろうけど、パティはまだ8歳の子供だもの。

ああ神様、パティをお守りください。そしてこの家族をもう一度あなたの御名によって、ひとつに立て直してください。

9/22/2002

目が回るほど忙しい。何をどういう優先順位でやったらいいのかさえわからなくなりそう。

でも「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。」(詩篇37:23 新共同訳)

私の中で確認されている優先順位は、(1)神様との個人的な時間、(2)家族。あとは野となれ山となれ!? おっと違った。この二つを押さえたら、後はその都度私の前にあるアジェンダのひとつひとつを神様に差し出して、神様から示されるままに。主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。アーメン、ハレルヤ。

昨日はぼぼるパパの職場主催のピクニックがインディアナ・デユーンズでもたれた。インディアナ・デユーンズとは(インディアナ・ジョーンズではありません)インディアナ州の州立公園に指定されているミシガン湖畔の砂浜。雲一つない最高のお天気で、子供たちもTシャツとショーツのまま湖に入って大いに楽しんだ。ケンスケの面白い話があるんだけど、それはまた時間のあるときに。

明日はま〜やの学校の遠足。シカゴの自然史博物館へ恐竜ティラノザウルスの「スー」を見にいく。私も付き添いで行ってくる。

9/23/2002

今日の遠足は片道45分かけてバスに乗って行ったのに、博物館にいた時間は全部で一時間半、そのうち30分はお弁当を食べていたので、結局展示物を見ていたのは一時間だけ。ま、五歳の子供たちにはそれで十分なのかな?

*****

インディアナ・デューンズでのケンスケの話し。

その1:砂浜に座り込んでシャベルで穴を掘っていたケン、突然歓声をあげた。何かと思ったら、長さ10センチくらいの立派な骨を握りしめて嬉々としている。骨を掘り当てるなんて、さすが犬介。

その2:参加者のなかに犬を連れて来た人がいて、ケンスケは興味津々。トコトコと追いかけていっては背中をたたいたりさすったり。小型犬でサイズはケンスケと同じくらいだったので、友達だと思ったのかもしれない。(?) しかし犬の方は明らかに迷惑がっている様子でしまいにはケンスケに向って「ワン!」と吠えた。ケンスケが怖がって泣き出すかと思いすぐに助けに駆け寄ろうとしたその時、ケンスケはムッとした表情で犬に向って一歩踏み出し「ワン!」と吠え返した。犬の方がびっくりして逃げていった。

しかし犬だって人間のチビごときに負けてはいない。仕返しの機会をうかがっていたに違いない。ケンスケが両手にポテトチップスを一枚ずつ握りしめて悦に入っていたとき、そっと背後から近寄ってきた。犬に気がついたケンスケが、またたたいてやろうと思ったのだろう、右手のポテトチップスを口にくわえ、あいた手を犬に向って差し出した。すると犬は素早く体制を変え、ケンスケがくわえていたポテトチップスにかじりついた。ポテトチップスを双方が口にかじったまま、しばらく引っ張りっこ。ついには犬の方がそれをせしめた。しかしお互いに相手をあっぱれと思ったのか、二人(二匹?)仲良くその場に座り込んでポテトチップスを頬張っていた。 う〜ん、さすが犬介。

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インディアナ州で25歳のお母さんが、デパートの駐車場で四歳の子供を車に乗せようとして激しく叩いたため、幼児虐待として逮捕されたという事件があった。お母さんが用事を済ませている最中、子供はショッピングカートから降りる、勝手に歩いていって2回も行方をくらます、あげくに売り場の棚からバービー人形を取り出すなどのいたずらばかりしたので、お母さんはついカッとなって子供の頭を叩いたり髪の毛をひっぱったりしたらしい。そしてその様子が駐車場のセキュリティカメラに写っていたのだそうだ。

買い物に行くたびに同じようなことをして手こずらせてくれる小さな子供を持つ母親として、あまりにも人事ではなく、この記事を新聞で読んで、まるで私に逮捕状が叩き付けられたかのような気持ちになってしまった。

この母親が普段から虐待している可能性があるとして、子供は親から取り上げられ、今はよその家庭に預けられている。有罪判決が下されれば、実刑三年だとか。

セキュリティカメラに写っていた自分の様子を見せられたこの母親は、子供を打つ自分の姿がまるでモンスターのようであったと自分でも気分が悪くなるほどの衝撃を受け、愛するわが子にこんなことをしてしまったなんて信じられない、私は普段はこんなではないのです、but I lost my temper, I lost it 、と言ったらしい。

もし私がカッとなって感情的に子供を叱ったいる様子がビデオにおさめられたとしたら… 私もきっとモンスターのような顔をしているに違いない… 胸が痛む。なんと言っても、やっぱり子供が可哀想だ。そして、このお母さんも可哀想。多分、常軌を逸していると思われるようなすごい叩き方をしていたのだろうが、それでもきっとこのお母さんは、普段は虐待なんかしていなくて、普通のお母さんなんだと思う。だけど、普通のお母さんだって、時々キレてしまうことがある… 

どんなにカッとなっても、絶対にしてはいけないことがあるんだ。特にアメリカでは、こういうことがあると子供はただちに親から引き離されてしまう。

全国のお母さん、どんなに疲れていても、どんなにイライラしていても、カッとなって子供に感情的に手をあげるのは絶対にやめましょうね!(これは、自分自身にも言い聞かせているのです。)子供も親も、両方とも傷付くだけだと思うから… 後で取り返しのつかないことにでもなったら大変だから…

カッとなって子供を怒鳴り散らしているとき、鏡を見るといいかもしれないですね。鏡にうつった自分の鬼のような顔をみたら、ハっとなって頭が冷めるかもしれないから…

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翻訳をほったらかしてテレテレ日記など書いていたら、ぼぼるパパがまた変なことを自分の日記(9/23)に書いていた。4章じゃなくて、3章の間違いどすえ。

9/24/2002

今日、聖書を読んでいて、励まされた御言葉。

見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で、骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。

実に神はすべての人間に富みと財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。

こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。 (伝道者の書5:18ー20)

*****

そういえば、今、エミは聖書旧新約全巻の通読に挑戦している。新約はすでに一通り読んでいるけれど、あらためて三年間で全部読むのが目標らしい。教会の友達と一緒にスタートしたというので、お互いに励みになっていいね! 聖霊様がエミの聖書理解を助け、ますます御言葉によって養ってくださいますように。

9/26/2002

今日は再び大学病院へ。次は二週間後。(五人目ではありません、念のため。)

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おお、そうだ。今朝はちょっぴり恐い目に合った。いつものようにみんとパティを学校へ送り届けたあと、いつもの道を通って家に帰る途中のこと。このあたりの住宅街では、ほぼすべての十字路に一時停止の標識があるのだが、いくつかの見通しのいい十字路ではどちら側の道路にも一時停止の標識がないところがある。そのような交差点で、横から来た車ともう少しでhead on collision (衝突)するところだった。私は急ブレーキを踏み、もう一方の車は急ブレーキを踏んだうえで急ターンをした。彼女のその見事なハンドルさばきのおかげで私たちはぶつからずに済んだ。実はこの交差点は、最近うちの近所に越してきた牧師の家の真ん前。急ターンをしたその車は、危うく牧師の家の前に停まっていた教会のバンに突っ込むところだったけれど、それもギリギリで大丈夫だった。よかったーー!

パパのお祈りのおかげです。彼は毎朝、子供たちが学校へ行く前にみんなを集めて一人一人のために祈ってくれる。しかし私は、今朝ちょっと悪い態度を持っていた。パパが祈っている間「長いなぁ、朝出かける前なんだからもっと短くすませばいいのに。私のことまで祈らなくていいよ」などとチラチラッと思ってしまったのでした。そしたらこれだもの。ただちに悔い改めました。パパ、祈ってくれてありがとう!

9/27/2002

ふっと気が弱くなって
泣きそうになる朝もある。

だけど神様はすでに私に語ってくださっていた。

いのちの日数の続く限り、骨折るすべての労苦のうちに
しあわせを見つけて飲み食いしなさいと。

そうすれば神が私の心を喜びで満たしてくださるから
自分の生涯のことでくよくよするなと。

主よ、感謝します。 

*****

実は昨日の大学病院は、婦人科の検診のためだった。イギリスにいる間にあることが発見され、シカゴに戻って来たら適切な処置を受けようと思っていた。

問題だと思われていた件は意外とあっさりとその場で治療してもらえたのだが、その他に別の症状が発見された。悪性のものでないことを確認するために、その場で組織検査用の組織をとった。結果は二週間後。

夕べは結構ケロッとしていたけれど、今朝になったら少し不安感に襲われた。それで祈っていたら、三日前に私に与えられていた御言葉が思い出された。(24日の日記参照)

神様はこの御言葉を通して、まずなによりも、人のいのちの日数は神様によって定められるということ、神様の御手のなかにあるということを再確認させて下さった。私のいのちの日数を決めるのは、病ではなく神様なんだ! ハレルヤ!

その後ま〜やを学校に送りだしたあと、この御言葉にもあるように、日々の労苦のなかに幸せを見い出すために(!?)山のような洗濯物をたたんでいたら、お腹の中からある思いが込み上げてきたので、私は声に出してそれを祈った、というか宣言した。

「主よ、今あなたの御前で、また私に攻撃をしかけようとしている諸々の霊たちの前で宣言します。 私のいのちの日数は、ただあなたの御手のなかだけにあります。病も、その他のいかなるものも、あなたの許しなしにそれを変えることは出来ません。ただ主なるイエス様だけに私を明け渡し、肉体的にも、感情的にも、霊的にも、あなた以外の者によって影響を受けることを拒絶します。ハレルヤ! イエス様の御名をたたえます! イエス様の血潮によって完全に覆われていることを感謝します!」

そして大声で主を誉め讃えて歌った。

ほふられた小羊こそは、力と富みと知恵と勢いと
誉れと栄光と賛美とを受けるにふさわしいお方です!

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

9/28/2002

最近、hotmailが不調のようですね。hotmailのアカウントに出したメールが軒並みはじかれて戻ってきています。

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ま〜や(五歳)が昨日、幼稚園の校庭でジャングルジムだか何かから落ちて左腕の骨を折った。(ま〜やは左利き。)学校のナースは骨は折れていないと思うと言ったので、昨日は家で休ませながら様子をみた。でも痛がり方が尋常じゃないと思われたので、今朝一番にクリニックに連れて行ったら、肘の骨にヒビが入っているようだから、今すぐシカゴ大学のERに行って、整形外科の先生に診てもらいなさいと言われた。パパは休日を返上してま〜やを連れて大学病院まで車を走らせた。クリニックの先生は、最悪の場合は手術をして肘に金属のピンを入れないといけないかも、と言っていたが、幸いそれはなかった。肘のすぐ下の太い方の骨がポッキリ折れていたそうだ。レントゲンを撮るのもキャストを着けるのも随分痛いことだったらしいが、ま〜やは麻酔の注射を拒否し、注射をするくらいなら痛い方がましだと言って、我慢したんだそうだ。(笑)そういえば、エミが五歳のとき幼稚園で転んで頭を切ったことがあって、そのときも、麻酔の注射はどうしてもイヤだと言って麻酔抜きで縫ったんだっけ。

お医者さんたちも、相当痛いはずなのによく我慢していると、ま〜やのことを褒めてくれたそうだ。一ヵ月はキャストをつけていないといけないらしく、もうアイススケートは当分お休みだね。可哀想に。今日からスイミングのレッスンも始まるはずだったけど、それもキャンセルだ。残念だったね、楽しみにしてたのに。早く直るといいね。来週もう一度病院に行って、いったんキャストをはずして着け直すらしいんだけど、イエス様がそれまでに完全に癒してくださったらいいね! それから、ま〜やのアトピーの敏感肌が、石膏でかぶれてしまうことがありませんように。

*****

God is good all the time, all the time, God is good!

主の御名を賛美します! あなたの御名の麗しさは、私たちの状況によって左右されるものではありません。 あなたこそが私の喜びと平安の源です。それは何者によっても奪われることがありません! ハレルヤ、主よ、感謝します!

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ4:4〜8)

9/30/2002

まだケンブリッジにいた頃、シカゴに戻ったらもっと現地の日本人の人たちとの関係を築いていくようチャレンジを受けていた。とはいえ、回りにあまり日本人はいないし…と思いつつも、そのためのチャンスや機会を広げてくださるよう祈っていた。ケンブリッジJCFの人たちにも一緒に祈ってもらった。

そしたら、帰国後すぐに、シカゴ市内の日本人教会で三谷康人・君子先生及び慶応大学の梅津先生を講師にお招きした特別集会が開かれることを知り、早速行って来た。そちらの日本人教会を訪問するのは、私たちにとっては実に十年ぶりだった。また嬉しいことに、シカゴ在住でこの日記の愛読者とおっしゃる方にもお会いすることが出来、ものすごく励まされた。(Mさ〜ん、メールが使えるようになったら是非メールくださ〜い!)

8月末には、昨年立ち上げられたばかりのJCFN(日本人クリスチャンフェローシップネットワーク)シカゴ支部の集会があり、そこにも参加することが出来た。私はヤベツの祈りをテーマに少しお話をさせていただく機会が与えられた。約30名の方達が集まったなか、ノンクリスチャンの方も五人ほどいらして、集会後にはいろいろ深く突っ込んだ楽しい会話を持つことも出来た。

9月中旬には、うちの教会でもたれた特別集会に、JCFNシカゴ集会で知り合った方たちの何人かに来ていただくことが出来て感謝だった。

今週末にはJCFNシカゴのバイブルスタディがもたれるそうなので、それにも家族で参加する予定。

これだけでも神様が祈りを聞いてくださったと喜んでいたのだが、神様のなさることはそこでは終わらなかった。

日本の愛知県にある某大学がこのたびシカゴキャンパスを設立し、それがなんとシカゴ大学の構内の一角に建つのだそうだ。そして校舎が完成するまでの間、なんとぼぼるパパが所属する学部の建物に間借りをすることになり、パパは今日、学長さんを含む何人かの日本人の先生に御挨拶してきたらしい。そのうち日本から学生さんたちがどんどんやって来るようになるだろう。すごい、すごい! 

この後、神様はどのような展開を見せてくださるんだろう? 神様のなさっていることを見逃すことがないように。神様の御働きの波に、乗り遅れることがないように。

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