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聖書の読み方、御言葉の学び方
〜ミニガイド〜

わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、
私の命令をあなたのうちにたくわえ、
あなたの耳を知恵に傾け、
あなたの心を英知に向けるなら、
もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、
銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、
そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、
神の知識を見いだそう。
主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。

箴言2章1〜6節

目次

はじめに

ステップ1:観察(Observation)

ステップ2:解釈(Interpretation)(以下、工事中です。すみません。)

ステップ3:適用(Application)

参考文献

はじめに

聖書を毎日読み続けるのは大切だとわかっていながらもなかなか実行できない、とりあえず読んではいるものの、流し読みしているだけなのか、あまり実になっている気がしない、実際に自分が直面する日々の問題に聖書がどう関わってくるのかがピンと来ない、せっかく読んでも聖書からガイダンスを得ているという気がしない、そういうじれったい思いを抱えている方々は案外多いのではないでしょうか?

聖書を読むときに、あぁ、今日も神様に語っていただいた、という手ごたえを感じてこそ、毎日読み続ける励みにもなるというものですよね。(たとえ何も感じなくても、それでも読み続けるに越したことはないですが・・・)

このコーナーでは、はちこが大学生の頃、IVCFという聖書研究会に参加していた時に学び、今も所属教会のパスター(牧師)から日頃教えられている聖書の読み方、御言葉の学び方をお分かちしたいと思います。

★ なぜ聖書を読み、御言葉を学ぶのか

さて、なぜ私たちは聖書を読み、御言葉を学ぶべきなのでしょうか? 
聖書はこのように言っています。

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。 」(ローマ10:17)

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。 」(第一ペテロ2:2)

聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわし い十分に整えられた者となるためです。 」(第二テモテ3:15〜7)

つまり、聖書を読み御言葉を学ぶことによって私たちは信仰による救いを得、さらに霊的に成長し、整えられることが出来るのですね。

また、イエスさまもこのようにおっしゃっています。

もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 (ヨハネ8:31、2)

さらに聖書自身が神さまの言葉についてこう証ししています。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」  (ヘブル4:12)

草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
                  (イザヤ40:8)

巷には多くの信仰書が溢れています。その多くは大変有益で確かに私たちの霊的成長を助けてくれるでしょう。しかしどんなに優れた信仰書であっても、聖書そのものの代わりにはなりません。聖書は、その原典において誤りのない、生きた神の言葉です。神さまが私たちに与えてくださった「啓示(revelations)」なのです。私たちを真に生かし、解放し、成長させてくださることが出来るのは、神のことばである聖書だけなのです。

★ ここで紹介する方法の概観

まず最初にお断りしておきますが、ここでご紹介する方法はあくまで一つの方法であり、必ずこのように読まないといけないというものではありません。またこの方法は御言葉の学びにおいてとても効果的だと思いますが、私たちの霊の目や耳を開かせ、理解を与えてくださるのは聖霊さまです。聖書を読むにあたって、聖霊さまが日常生活のさまざまな思いに満ちている私たちの心を静め、先入観を取り除き、教えられやすい心、柔らかい心を与えてくださり、私たちの霊のうちに光りを照らして下さるよう、祈ってから始めましょう。

また、私たちは決して、単に聖書/御言葉に関する知識を蓄積するために聖書を学ぶのではありません。私たちが聖書を学ぶのは、ますます深く神さまを知り、それによって私たちの生活、生き方、日々の歩みを変えていただくためです。それまで自己流の生き方考え方をしていたのを、神様のやり方考え方に添わせるためです。私たちが聖書を読む時に目指すのは、聖書学者になることではなく、イエス様の弟子として成長させられることではないでしょうか。そのこともどうか心に留めておいてください。

さて、ここでご紹介する方法は、以下の三つのステップに従うものです。

<1> 観察(Observation):このステップでは、まず読んでいる御言葉の箇所に何と書いてあるのか、事実を読み取ります。いつ、どこで、誰が、何を、どうしたのか、いわゆる5W1Hを押さえるのです。どんな小さな事実も見逃さないように、じっくり読みましょう。また文章と文章の関係、パラグラフとパラグラフの関係、接続詞の使われ方などにも注意をはらいましょう。

<2> 解釈(Interpretation):このステップでは、先に観察したことが、何を意味しているのかを問います。私達は、聖書を学ぶというとまっ先に解釈から始めようとし、そしてそこで止まってしまう傾向があるかと思いますが、解釈は御言葉の学びにおいて、一つのステップであるに過ぎないのです。

<3> 適用(Application):このステップでは、先に観察し解釈したことが、どのように自分や自分の周りの世界に関わってくるのかを問います。関わりがあるのかどうかではなく、どのように関わってくるのか、というのが鍵です。御言葉に書かれていることは、しばしば時代錯誤で、文化背景も何もかも違う現代の私たちにはあまり関係がないかのように受け取られがちかもしれませんが、神さまは私たちに関係のあることだからこそ、聖書を通して啓示してくださったのです。それは、聖書が書かれた時代の人たちに対してのみならず、現代に生きる私たちにとっても同じです。御言葉を通して語られたことを、今日の自分の生活に当てはめてこそ、御言葉を学ぶ意味があるというものです。

ちょっといい話

聖書を読み始めたばかりの頃は、結構わからないことだらけで、いくら読んでもちっとも自分の実になっていないのじゃないかとすら思えることもあったりしますね。
そんなふうに感じたことのあるかもしれない方に、ちょっといいお話。これは私が高校生の頃に聞いたお話なのですが・・・

「あるところにお父さんと小さな息子がいた。小さな息子は汚れたザルを持っていた。
 ある時お父さんは息子を川へ連れていき、その汚れたザルで水を汲んでごらん、と言った。息子は何度も何度もそのザルで水を汲み上げようとするのだが、穴があいているのでどうしても水は汲めない。 

 息子は父に言った。『お父さん、ダメだよ、水なんか全然汲めないよ! こんなこと、いくらやっても無駄だよ。』

 すると父は答えた。『そうかい? でもそのザルをよぉく見てごらん。何か気がついたことがあるだろう?』息子はしばらくザルを見つめていたが、やがてハッと目を輝かせて言った。
 
わかった、お父さん! ザルがきれいになったよ!』」

(^^) いくら聖書を読んだって、わからないことだらけで、ちっとも実にならないから無駄だ、ということはないのですね。たとえ最初ははっきりとした理解につながらなくても、読み続けていくことで、私たちの霊の目が開かれ、魂が清められていくものなのだと思います。私たちもあきらめないで聖書に親しみ続けましょう!

では、それぞれのステップについて、さらに詳しく見ていきましょう。

ステップ1:観察(Observation)に進む

参考文献


Living By the Book」 Howard G. Hendricks/William D. Hendricks,1991 シカゴ、ムーディープレス

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